みうらじゅん

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みうら じゅん
本名 三浦 純
生誕 1958年2月1日(56歳)
京都府京都市
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家イラストレータータレント
活動期間 1980年 -
ジャンル ギャグ漫画
公式サイト http://www.miurajun.net/
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みうら じゅん1958年2月1日 - )は、日本漫画家イラストレーター。本名、三浦 純(読み同じ)。京都府京都市出身。血液型:AB型。169cm(自身で公表)。妻はシンガーソングライターのbird

東山高等学校武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。

職業については、エッセイスト小説家ミュージシャン評論家ラジオDJ編集長ライター解説者など幅広い分野で活動しており、公表している職業は「イラストレーターなど」。

来歴[編集]

小学生時代から仏像と怪獣が好きな少年で、京都や奈良の仏像をめぐる。仏像が好きすぎて仏教系の学校に入学したが、途中でエロに興味が出て仏像に飽きる。仏像が好きな理由は、怪獣のように見上げる迫力があったからだという。高校時代から絵描きを目指し、2浪後に武蔵野美術大学に入学する。在学中から、友人が糸井重里の事務所に勤めていたため、特に何をするでもなく入り浸り、糸井が「タダでイラストを仕上げる奴がいる」と紹介し、カットの仕事をもらっていた。

1980年に『ガロ』誌上でデビュー。『ガロ』に持込をしたのは、他に掲載させてくれる雑誌はないと周囲に言われ判断したためだが、それでも当時編集長の渡辺和博の判断で何度もボツになった。デビュー作の「うしの日」も、一旦はボツになったが、その後、渡辺と親交の深かった糸井の「載せてあげれば?」の一言で掲載された。

初期の画風は現在と全く違い、デビュー前は和田誠の真似的絵柄、デビュー時は「ヘタクソなひさうちみちお」のような絵であった。当初、『ガロ』は汚い表紙の雑誌だと思っていたが、父親が間違えて貸し本屋で『ガロ』を借りてきてしまい、つげ義春の漫画の温泉シーンで抜いたのがきっかけであるという。

1982年には講談社の発行する『週刊ヤングマガジン』のちばてつや賞で佳作を受賞する。以後、『ビックリハウス』や『宝島』などの各雑誌で、関西ネタや怪獣ネタのエッセイイラストを執筆する。1986年に刊行された、糸井重里を「相談」役にすえた漫画集『見ぐるしいほど愛されたい』で、現在のスタイルを確立した。本人曰く、漫画を描くのは大嫌いであるが、完成原稿を並べて俯瞰で見ることだけが楽しみで描いているという。一般的にゆるい絵柄で知られているが、それはカエルの絵などに限り、人物や仏像などは時間をかけて描くことが多い。

1980年代後半からテレビ・ラジオでの出演も増え、多彩な活動を見せ始め、1989年には『いかすバンド天国』に喜国雅彦滝本淳助(写真家)らと「大島渚」(由来は同名の映画監督大島渚より)という名のバンドを結成し出演した。1991年ごろには女装に凝り、いとうせいこう安斎肇と「バギナーズ」という「女装バンド」を結成した。「ナオミ」の名でボーカルとギターを担当(安斎は「キャンディ・O」、いとうは「マリエ」)。巧みな化粧とセクシーな衣裳で、かなりの「美女」に変身していた。バギナーズは外タレという設定で「遂に来日」「日本上陸」等と謳っていた。

1994年にはハリウッド俳優のチャールズ・ブロンソンの男気に憧れるあまり、映画俳優の田口トモロヲとユニット「ブロンソンズ」を結成。1996年にはいとうせいこうと「The Rock'n Roll Sliders」を結成し、みうらが撮影した写真にいとうが突っ込みを入れるという「ザ・スライドショー」が初めて開催され、以後何度も開催される人気公演となる。

1996年には青林堂からみうら漫画のベスト選集『はんすう』が刊行された。渡辺和博が解説を書いているが、「初めてみうら先生のオフィスに玉稿をいただきにいった時は、非常に緊張した。みうら先生からは、卓越した漫画にたいする意見をいただいた」という、現実にまったく反するイヤミな内容が書かれている。

1997年自由国民社の『現代用語の基礎知識』による新語・流行語大賞のトップテンに「マイブーム」(後述)が選出され表彰される。

2003年には自伝的コミック『アイデン&ティティ』が、田口トモロヲの初監督作品として映画化され再び脚光を浴びる。『シベリア超特急』が縁で交流のある水野晴郎が世話人を務める日本映画批評家大賞では2004年度に功労賞を受賞。「勝手に観光協会」などのコラムの他、エッセイ、小説など文章の世界でも活躍中である。

歌手birdとの不倫(後にみうらの子を出産)が発覚し、前夫人と2007年春に離婚した。birdとは2006年末から「パートナー」という形で共同生活をしていたが、第2子の妊娠をきっかけに2009年に入籍をした。

2008年には興福寺創建1300年記念『国宝 阿修羅展』(2009年に東京福岡で開催)にともない発足する『阿修羅ファンクラブ』の会長となる。「阿修羅ファンクラブ」の公式ソング「愛の偶像(ラブ・アイドル)」(作曲:高見沢俊彦、作詞:みうらじゅん)は、高見沢のアルバム『Kaleidoscope』に収録。

テリー伊藤の司会を務めるNHKの視聴者参加番組『テレ遊びパフォー!』にて怪獣デザインマスターを名乗り、全国より怪獣デザインを公募、その中の一枚のデザインから『長髪大怪獣ゲハラ』のシナリオを執筆し、樋口真嗣制作総指揮の短編映画として完成するまでに携わった。

人物[編集]

  • 長きにわたる仏像マニアとして知られ、いとうせいこうと各地の仏像を見て回る『見仏記』は、書籍やDVDでシリーズ化されている。最近では、その流れから仏教に通ずる人生観を語ることもある。『般若心経』に使用される278の漢字を市街地の看板などで使用されている文字から収集(各文字を写真撮影することによる『写経』)した「アウトドア般若心経」を完成させ、2006年秋の「タモリ倶楽部」で発表した。いずれは出家する計画もある。さきの番組内では、インドア派であるみうらが撮影のためには外出が必要であり、「アウトドア」行動をとることが自らへの修行と位置づけられるため、家から出ることそのものを『出家』と表現していた。
  • 高校1年生になって、いくら仏像を熱く語ってもモテないということに気づき、モテてるのは誰だろう、と考えて吉田拓郎を知る[1][2][3]。吉田拓郎の初エッセイ集『気ままな絵日記』を読み「吉田拓郎になろう」と決めた[1][2][4]。400曲くらい歌を作ったが、ほとんど吉田拓郎のマネ[1]。みうらの名前がひらがな表記なのも、吉田拓郎の初期の名義が「よしだたくろう」だったことに由来している[2][5]。50代半ばにしてまだロン毛にしているのも、あの頃の拓郎さんを引きずっているからという[1][4][6]。『気ままな絵日記』はバイブルといい、自身の文体は、どんな文豪より吉田拓郎の影響を受けていると話している[2][7]
  • 吉田拓郎を通してボブ・ディランを知り、「人生の師匠」とまでリスペクトしており、ディラン関係のCDなどは(安売りの千円CDなどまで含めて)コンプリートに近くコレクションしている。サングラスはボブ・ディラン、ロン毛は吉田拓郎と、考えて見たらボクは自分なんてものはなく、色んなものが合体してできあがっていると話している[1][3]
  • ロックマニアでもあり、主にボブ・ディラントム・ジョーンズなどのキャラの濃いアーティストを愛好。また、半自伝的な漫画作品『アイデン&ティティ』シリーズでは、ウディ・アレンの映画『ボギー!俺も男だ』のハンフリー・ボガートのように、ディランが「主人公にだけ見える助言役」として、登場している。
  • 長髪(およびサングラス)がトレードマークだが、1980年代半ばの「トレンディ系コラムニスト・ブーム」の際は、その影響で短髪にしていた時代があった。1982年〜1983年頃はテクノカットにしていた。この際、糸井重里の「モッズヘアいいね」という言葉を聞き、どうやらモッズヘアと言えばテクノカットにしてくれると思い込み、高円寺床屋へ行って「モッズヘアにして下さい」と注文し店内を凍りつかせた伝説がある。だが、「本来の自分とは何か」と考え直し、長髪・サングラスの現在のスタイルに戻した。本人自身「自分が短髪だった『イカ天』が始まる前の1980年代は、すごく嫌いな時代だった」と語る[8]。2011年1月17日放送回のバラエティ番組『クイズ☆タレント名鑑』(TBS)のコーナーで、約20年ぶりにサングラスを外した素顔をテレビ番組で披露した。
  • ファミコンなど8bitCPU家庭用ゲーム機マニアでもあり、「クソゲー」は自分が生んだ言葉だと自認。
  • お笑い評論家としての顔も持ち合わせており、松本人志から「本当に信頼できる評論家はナンシー関とみうらじゅんだけ」と高い評価を受けている。
  • エロ写真スクラップ収集家としても知られ、自作のスクラップ本は200冊を超えている。テレビ朝日の深夜番組「タモリ倶楽部」出演時に、「エロスクラップブックが母親に見つかり風呂の薪と一緒に燃やされてしまったと」言う幻の1巻目が存在していたと言う証言もあった。本人曰く「エロは本能だから強い」。スクラップブック作成にはコクヨの「ラ40」とヤマト糊(L字タイプ)を使用している。
2008年6月13日BS11デジタルで放送された『大人の自由時間 吉田照美・みうらじゅん かゆいところはありませんか?』の中で「2か月ちょっと前に、200巻を迎えました」と語っている。
  • 幼少の頃から、怪獣と仏像、エロ、の三大スクラップブックを作成していたが、怪獣と仏像のほうは途絶えた。
  • 高校時代は「犬に似ているから」という理由で、ジョンというあだ名を付けられた。その後、長い間入院し退院して学校へ行ってみると、今度は「死にかけ」というあだ名を付けられた。
  • 堀江しのぶのファンであった。「日本の夏は堀江しのぶである」と力説して応援していたが、堀江は1988年にスキルス性胃がんのため23歳の若さで他界。その際にも「ボー然とした、ただ。そして生まれて初めて芸能人の死に対して泣けてきた」との言葉を残している[9]
  • ガロの対談で、「俺のちんこにはTSUTAYAって書いてあるからさ、一週間だけ なら誰でもレンタルできるんだよ」と語り、女性遍歴の多さを暴露した。

マイブーム[編集]

マイブーム(my boom)はみうらによる造語である。「my」と「boom」を組み合わせた和製英語で「自分の中だけではやっている物や出来事」といった意味で使用される。みうらのマイブームのルーツは小学生時代にさかのぼる。小学校の社会科見学で奈良・京都の寺院を見学してから仏像に興味を持ちはじめ、寺院で配布されているパンフレットの仏像の写真を切り抜き仏像の感想を沿えスクラップにしていた。この仏像ブームがみうらの人生初のマイブームとなった。この言葉は「大ブーム」に語感が似ていることから思いついたという。

1994年に『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際に発言したのを機に、その語感の良さもあって一般に広まっていった。そして1997年に新語・流行語大賞で表彰された。同賞を受賞した言葉は、一般的にマスコミが多用する例はあるもののマスコミ外で流行したとは言い難いものがほとんどであり、その年限りの一過性に終わり死語と化すことも多い。その中で、「マイブーム」はマスコミ外でも広く使われており、受賞後も廃れることなく使用され続け、遂には2008年1月に発売された『広辞苑第六版』にも掲載されている珍しい例といえる(一方、2006年に彩図社より発売された『死語大全』にも掲載されており、みうら本人はダブル受賞だと喜んでいる)。

みうら自身はマイブームを、「自分だけのブームだけで終わらせず他人に広めること」としており、彼が注目した事柄は自身が出演する番組や著作などの形で面白おかしく紹介している。またそれらを世間に広める際は、みうらが考案した造語を用いる。

主なマイブーム[編集]

読んでいるだけでムカツク=腹が立ってくる内容の絵馬のこと。みうらが紹介したものの一例:「田中と関わりがあることがないように」「秀さん生きてくれ!!○○生命一同」
  • いやげもの(嫌+土産物)
悪趣味な置物やキーホルダー等、もらって困る土産物のこと。
絵葉書セットにたまに混じっている、何をアピールしたいのか意図が全く不明であるカスのような絵葉書のこと。有名でもないただの建築物や風景、温泉の写真等が多い。
  • とんまつり(とんま+祭り
学術的に言えば「奇祭」だが、「そんな格好良いものではない」というみうらの考えにより作られた概念。地元では吉例行事だが、傍から観ているととんまに思える祭りのこと。例として新潟県の「つぶろさし」、愛知県の「豊年祭り」、和歌山県の「笑い祭り」、奈良県の「おんだ祭り」、福岡県の「尻振り祭り」(東大野八幡神社)がある。
著名人の写真をベースにして、様々な落書きを施す遊び。元々は『小学四年生』でみうらが連載していたものだが、後に『どちら様も!!笑ってヨロシク』でもクイズの題材になるほど広まった。時の総理大臣:宮沢喜一も自身の写真を“らくがお”してもらうことを認めていたという。
『CHIYO!COQUETTISH BOMB』(1994年・TOCT-8293〜4)の責任編集・選曲を担当。
第1作目が制作/公開された当時は本当に一部のマニアにしか知られていない文字通りのカルトムービーだったが、みうらがきっかけの一つとなり広く話題となった。「シベ超」と略したのもみうらが最初である。なお、みうらは『映画秘宝』創刊者の町山智浩とは彼が『宝島』編集者だった時代からの長いつきあいであり、『映画秘宝』が創刊以来、一貫して「バカ映画」についての連載を持っている。町山によると、雑誌『映画秘宝』のキーワードのひとつでもある「バカ映画」は、みうらの命名だという。
  • 男キッス
長い付き合いでも手さえ触れたことがない男友達が多い。そんな人達は友情を確認するために男同士でキッスするべきという考え。

マイブーム詳細[編集]

「みうらじゅん大図鑑」(宣伝会議)より

造語一例[編集]

  • マイブーム
  • ゆるキャラ
  • クソゲー
  • バカ映画
  • DT
  • 見仏
  • グレート余生
「人生とは死ぬまでの暇つぶし」はみうらの言葉である。人は生れ落ちた時、余生が始まると説いており、その余生を有意義にするのがマイブームである。
  • エナリスト
えなりかずきを愛好する人のこと。

みうらじゅん賞[編集]

みうらじゅんの独断で贈呈される賞。この人にはだれも賞を贈らないだろう、ということを中心に選定されている。1994年から始まり、雑誌「宝島」で7年間連載。しかし、同誌がリニューアルしたため、突如、終了。5年間のブランクを経て、2005年から復活(復活の理由は、リリー・フランキーが「自分もみうらじゅん賞が欲しい」と言ったためだという)。第8回はJ-WAVEGOLDEN TIME」で発表。第9回、第10回は、EXエンタテイメントで発表。第11回は、TBSチャンネルみうらじゅんDS」で発表された。第12回はイベント「みうらじゅんのDSショー」(PARCO劇場)にて発表。第13回はUst「miurajunnet」にて発表。第14回はニコニコ生放送にて発表。トロフィーの意味は「唯我独尊」、香港で100個まとめて製作されたため、当面は同じトロフィーが受賞者に贈られる。

歴代受賞者[編集]

  • 1994年(第1回)
杉作J太郎中野まり子(元おきゃんぴー、ライター)、カーツ佐藤佐藤克之、ライター)、いとうせいこう
  • 1995年(第2回)
薮下秀樹(宝島社「VOW」担当、エビ天巨匠監督)、泉晴紀泉麻人田口トモロヲ
  • 1996年(第3回)
金子修介樋口真嗣町山智浩水野晴郎安斎肇山田五郎
  • 1997年(第4回)
宮本浩次吉田照美喜国雅彦谷ナオミ松崎しげる水道橋博士
  • 1998年(第5回)
スターシップ・トゥルーパーズミスターマッスル野坂昭如ヤセの断崖池田貴族
  • 1999年(第6回)
遠藤賢司久住昌之ジョージ・ルーカス優香ニャンまげ
  • 2000年(第7回)
ケビン・ベーコン(『インビジブル』)、野沢直子井上陽水小林よしのり叶姉妹
  • 2005年(第8回)
熊田曜子井筒和幸猫ひろしリリー・フランキー峯田和伸(『アイデン&ティティ』)、ジャガーリチャード・ギア(『Shall We Dance?』)
  • 2006年(第9回)
高見沢俊彦(わんこそばギター)、スチャダラパー高田純次サミュエル・L・ジャクソン(『スネーク・フライト』)、二本松の菊人形大竹伸朗ギャル曽根
  • 2007年(第10回)
田村正和(『ラストラブ』)、黒川晃彦(野外彫刻)、入水鍾乳洞(福島県)、キヨーレオピン俺たちフィギュアスケーターぽっちゃり王子(ゴルファー)、SAM(TRF)
  • 2008年(第11回)
せんとくん笑福亭鶴光人間椅子高田文夫根本敬中井貴一(『次郎長三国志』)
  • 2009年(第12回)
チョー(『たんけんぼくのまち』)、ポール・スミス色即ぜねれいしょん松本清張ビーグル38
  • 2010年(第13回)
水嶋ヒロダニー・トレホ(『マチェーテ』)、YO-KING風間ゆみ、太田章(ニャン2倶楽部初代編集長)、松久淳
  • 2011年(第14回)
野口健前野健太わさおピンク・フロイドミゲル・ゲレイロ
  • 2012年(第15回)
川勝正幸ドン小西糸井重里壇蜜オリエント工業(ラブドール)
  • 2013年(第16回)
タモリ土門拳真如海上人宮藤官九郎ねぎし しろ4

主な作品[編集]

シリーズ化・文庫化されている作品はおもにシリーズ第1作・初出版時のものを挙げる。

漫画[編集]

共著

書籍[編集]

共著

音楽[編集]

  • 『青春ノイローゼ』(1999年、88-LDKCD) - CDアルバム 主な収録曲:『とんまつりJAPAN』
ユニット
  • 『大島渚』(1990年) - CDアルバム (「大島渚」名義、ボーカル&ギターとして参加)
  • 『アイデン&ティティ』(1991年) - CDアルバム (「大島渚」名義)
  • 『シーモンキーズ』(1991年) - カセット (「シーモンキーズ」名義)
  • 『ビバ!バギナーズ』(1994年、TOCP-8332) - CDアルバム (「バギナーズ」名義、ボーカル&ギターとして参加)
  • 『SUPER MAGNUM』(1997年、TOCT-9768) - CDアルバム (「ブロンソンズ」名義)
  • 『勝手に観光協会 vol.1』(2004年、LDCD-50012、第1作) - CDアルバム (「みうらじゅん&安斎肇」名義)

映画[編集]

DVD・その他[編集]

  • 吉本新喜劇ギャグ100連発』シリーズ(1989-1990年、セレクトを担当) - ビデオからDVD化
  • 『とんまつりJAPAN』(2000年) - VHSビデオ
  • 『テレビ見仏記1 京都編』(2002年、PIBW-7118、第1作) - DVD
  • 『みうらじゅんの伝説のゆるキャラショー』(2003年)- DVD
  • 全日本コール選手権 with みうらじゅん』(2005年、UPBH-1183) - DVD
  • 『みうらじゅん&安斎肇の「勝手に観光協会」 Vol.1』(2006年、AVBD-34318、第1作) - DVD
  • 『みうらじゅん・いとうせいこう めがね番長〜めがね上等!編〜』(2007年、PCBG-50961、第1作)-DVD
  • シンボルず』(2008年、MHBW-242、第1作) - DVD

プロデュース[編集]

  • OKAMANO KEN with スーパーホモンキーズ
    • 1stシングル『URAHARA』(作詞・作曲)
    • 2ndシングル『SNOW LIGHT LOVE』(作詞・作曲)
    • 3rdシングル『微熱が続いた夜』(作詞・作曲)

主な開催イベント[編集]

展覧会[編集]

  • 大物産展 マイブームの国へようこそ(1998年、ラフォーレ原宿
  • みうらじゅん キョーレツ!3本立!(2002年、ラフォーレ原宿他全国9か所) - 絵画、スクラップ、レコード
  • みうらじゅんのマイブーム・アート(2005年、枚方市民ギャラリー企画展)
  • 〜みうらじゅんジャンボリー〜[みうらじゅんの100冊展] Book On Rock'n Roll!(2009〜2010年、パルコファクトリー)- 原稿、フィギュ和、いやげ物、ゆるキャラ

主な出演番組[編集]

不定期・非レギュラー[編集]

終了[編集]

テレビ番組
ラジオ番組

出演映画[編集]

CM出演[編集]

  • ローソン (2000年) - いとうせいこう、しりあがり寿と共演
  • 全日本空輸 「LIVE/中国/ANA 竹の家篇」(2005年)- 山田五郎と共演
  • KDDIauの庭で。まとめる篇」(2008年)
長女役の仲間由紀恵、妻役の萬田久子、長男役の鈴木Q太郎ハイキングウォーキング)、次男役の子役少年と共演。家族揃って長く伸ばした黒髪が特徴。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 週刊現代』2013年3月5日号 p.136 - 137 「わが人生最高の10冊」
  2. ^ a b c d みうらじゅん、泉麻人山田五郎安斎肇『日本崖っぷち大賞』、毎日新聞社、1998年、p.183
  3. ^ a b みうらじゅん インタビュー5 米国音楽界の巨人 ボブ・ディラン特集みうらじゅん インタビュー6 日経トレンディネット
  4. ^ a b ほぼ日刊イトイ新聞- じゅんの恩返し12
  5. ^ みうらじゅん『みうらじゅん対談集 正論。』、コアマガジン、2009年、p.231、234
  6. ^ 第三回 : アレ?ここウチの地元? テーマ曲 「伽草子」 吉田拓郎
  7. ^ en-taxi』 第21号、2008年、p.100、『みうらじゅんの「サブカルジェッター」〜2番目がいいんじゃない』、TBSラジオ、2008年1月26日放送
  8. ^ 『サブカルチャー世界遺産』(扶桑社)収録のインタビューより。
  9. ^ 『みうらじゅん ひとり大宴会』プリンツ21、2000年、p.84

外部リンク[編集]