ゲーム機

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ゲーム機は、コンピューターゲームを動作させるためのハードウェア機器の総称。広義には業務用筐体MSXのようなホビーユースのパーソナルコンピュータ(パソコン)も含む場合もあるが、通常はテレビゲーム携帯型ゲームなどのコンシューマーゲーム専用機を特に「ゲーム機(ゲームハード)」または「家庭用ゲーム機」と呼ぶ。

目次

[編集] 概要

多くの場合、ゲームソフトを組み合わせることで、コンピューターゲームをプレイすることができる(テレビゲームなどでは、ディスプレイなどさらに別の機器が必要なことがある)。また、最近では家電や情報機器の機能を視野に入れた多機能型のゲーム機(マルチメディア機)も登場している。

ゲーム機の場合、ソフトウェアの製造をライセンス形式にし、ライセンスの収入を見込んで製造するためゲーム機は低価格で販売されるものが多い。また、ゲーム機は、パソコンなどに比べて長期的にその基本性能が変わらない(商品寿命が長い)ため、対象となるソフトウェアも多い。

[編集] ハードウェアの歴史

初期のコンピュータゲームで最も有名なものとしては、ミニコン上で書かれた宇宙戦ゲーム『スペースウォー!』や、ATARI社の『ポン』が挙げられる。その後、ゲームは4つの道を通って発展した。

  1. 店頭に設置して有料で遊ぶ「アーケードゲーム
  2. 消費者が家庭で楽しむ「テレビゲーム」
  3. パソコン上でアプリケーションの一種として動作する「パソコンゲーム
  4. 電卓の技術を応用して作られた「携帯ゲーム」

最初に商業ゲームとして登場したのはアーケードゲームだった。『ポン』は瞬く間に、それまで店頭に設定されていたピンボールを駆逐した。次第に内容が複雑化していき、ワイヤードロジックの回路では実現が難しくなり、マイクロプロセッサが採用されるようになった。

テレビゲームはそれらのアーケードゲームを家庭で手軽に楽しむためのものだった。パソコンが登場したときは、すでにテレビゲームやアーケードゲームは存在しており、パソコンのユーザは無料でアーケードゲームを楽しむために、アーケードゲームを真似たパソコンゲームを競って自機上にプログラムし、互いに交換しあった。パソコンゲームはその後アドベンチャーゲームロールプレイングゲームシミュレーションゲームといったアーケードゲームとは異なった分野で独自の発展を遂げた。

テレビゲームは当初はワイヤードロジックで構成されていたため、1ハード1ゲームもしくは複数のゲームをスイッチで切り替える方式だった。その後、さまざまなゲームをプレイしたいという欲求にこたえるため、カートリッジでプログラムを供給するカートリッジ式のテレビゲームが考案された。ここで、ゲーム機本体を販売する産業とは別に、ゲームのプログラムそのものを販売して利益を上げるゲーム産業が誕生した。

しかし、初期に使用されたCPUは4ビットまたは8ビットで、複雑化してゆくアーケードゲームではCPUの画像処理機能が不足していた。そのため、表示装置に特別仕様の画像処理回路を追加するようになっていた。代表的なものがスプライト機能とハードウエアスクロール機能である。これらの処理回路は高価であり、サイズも大きかったので、そのままではテレビゲーム機に搭載することができず、それがアーケードゲームとテレビゲームの差別化として働いた。エレクトロニクス技術の進歩によって、家庭用テレビゲームも、次第にそれらの機能を簡略化・低価格化して追加していった。

最初の携帯ゲームは電子ゲームと呼ばれ、電卓の技術を応用したもので、アーケードゲームやパソコンゲームとはまったく別に生まれた。表示装置としては特定の形状を表示する液晶やダイオードを使ったもので、汎用のグラフィック表示機能を備えておらず、必然的に1ゲーム1ハードが基本だった。多数のゲームを遊びたいという欲求に応えて、汎用のCPUとグラフィック表示装置をもつ携帯ゲーム機へと進化を遂げていった。

プラットフォームハードウェアと多数のソフトウェアという手法は、ハードウェアの進歩や新しいプログラミング手法の導入(これらのゲーム機のソフトはほとんどがアセンブリ言語で記述されていたが、世の中のプログラミングはC言語などに移行しつつあった)を阻害するものではあったが、ゲームソフトという特定の先鋭分野における競争と技術開発を促進することでゲームソフト業界を急速に発展させる一因にもなった。

ゲームソフトの技術力や表現力が向上し、より高性能のハードウェアが求められ、ゲーム機専用のCPUやプロセッサが設計されるようになった。もちろんゼロから新しいアーキテクチャを開発したゲーム機は当時はまだなかったが、ごく最小限のCPUコアの周囲にゲームソフトの処理に特化した様々な機能のパターンを配して1チップとして製造する、特定ゲーム機専用CPUが次々と登場した(8ビット機にもその傾向はあったが、16ビット機になりさらに鮮明になった)。

  • 16ビットゲーム機の採用CPU(アーキテクチャ)

当時の市場は、ファミコンを投入してユーザーの心をつかんだ任天堂が圧倒的なシェアを持っていた。

当時の任天堂は、次世代機スーパーファミコンを投入するのが大変遅く、しかし技術的にはさほど革新的ではないアーキテクチャを採用する(65816は6502の後継と見られる)という大変に保守的な選択を行ったが、一方ではライセンシーの取り込みに成功して市場の支配力を保った。


[編集] 世代別 主要ハード一覧(家庭用据置機)

世代分けはアメリカにおいて使われている家庭用ゲーム機史の世代分けに準拠する[1]

[編集] 第1世代(1970年代)

最初期に現れたゲーム機。最初のゲーム機と言われるオデッセイはCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。ゲームソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。

[編集] 第2世代(1970年代後半 - 1980年代前半)

Atari 2600 (VCS) は、ROMカートリッジを差し込むことで様々な種類のゲームを楽しむことができる最初の家庭用ゲーム機で、アメリカにおいて爆発的な人気を博した。また、サードパーティーのソフトを積極的に受け入れるビジネスモデルもこの時確立された。しかしアタリショックを起こしてアメリカのゲーム機市場 (パソコンゲーム市場は含まない)は一時壊滅状態に追い込まれた。日本におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。

[編集] 第3世代(1980年代前半 - 1980年代中盤)

ゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえたホビーパソコン寄りの機種(ぴゅう太、M5、SC-3000など)と、ゲーム機能に特化し、第1・第2世代より優れたゲーム性能を実現した機種(ファミリーコンピュータ、光速船、セガ・マークIIIなど)があり、後者が成功を収めた。特にファミリーコンピュータは家庭用ゲーム機の本格的普及(アメリカではアタリショックからの復興)を担い、RPGや対戦型格闘ゲーム、2Dアクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。また、ファミコンのパッド型コントローラーはコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機における入力装置の基礎となった。

[編集] 第4世代(1980年代後半 - 1990年代前半)

従来より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が格段にアップ。ステレオサウンドが標準になり、サウンドによる表現も工夫された。ゲームの複雑化・高度化も進み、対応するコントローラーも多ボタン化が進んだ。他方、複雑で表現力豊かなゲームをROMカートリッジに詰め込むのには、容量不足による限界が見え始めてきた。ゲームソフトの大容量化によりコストも高騰し、9,800円以上のソフトが続出した。このような情勢から、従来のROMカートリッジに代わりCD-ROMを媒体に利用する機種が現れた。対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった。

この時期の家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームやパソコンゲームとの性能差は縮まり、日本のパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えないアダルトゲーム(いわゆるエロゲー)を除いて衰退の一途をたどった。これが第7世代登場時に顕著となった「日本のゲーム業界のガラパゴス化を引き起こす遠因となる。

なお、第4世代ゲーム機はドット絵スプライトによる2Dゲームの成熟・完成期にあたる。据置機では第6世代~第7世代が現行機である現在においても、当世代のマシンやファミコンのゲームが「神聖視」される傾向があり、「ドット絵を利用した、当時のハードウェア環境そのままでの新作」を望むユーザーも存在する。

[編集] 第5世代(1990年代中盤 - 1990年代後半)

ROMカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、データ容量が大きくさらに生産性が高いので、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴い音質の向上やムービー再生による演出が広がった。本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ、ゲーム内での映像表現の幅が劇的に広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した。ドット絵に比べてポリゴンは製作コストも安く[要出典]、中小の新しいソフトハウスも台頭した。日本における据置きゲーム機市場が最も拡大したのもこの時期である。

[編集] 第6世代(1990年代末 - 2000年代中盤)

3Dグラフィックスの表現力が格段に上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始める。メディアはDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが主流となった。ただし映像表現的には大量のキャラクター表示以外での分かりやすいインパクトを持った進化が少なかったため、第5世代からの本質的な変化を演出することは難しかった。

大手メーカーではゲームの大作主義・シリーズ物重視がより一層進み開発費の高騰が進んだ。さらに、熱心なファンを相手にした人気ゲームの続編、壮大で複雑なストーリーを盛り込んだ作品、萌え重視の作品など、コアユーザー向けのマニアックな作品が蔓延した結果、「ゲームはマニア・オタクの趣味」としてライト層がいっそう離れていってしまった。大手メーカーやサードパーティーの統廃合も進行し、日本の据置きゲーム市場は(悪い意味で)転換期を迎えた。

この世代の覇者はPS2である。しかし、ソフトだけを見ると「売り上げ20万本で大ヒット」と言われるなど、第5世代や第4世代よりもゲームソフトの売り上げが減少した。また、前述のようにサードメーカーの統廃合を促進したとする批判的な意見も、一部では見られる。

なお、この世代になると近年のパソコンのグラフィックスカードのスペックと同様に、2D描画に関してはいずれのハードもほぼ進化の余地を残しておらず(PCでは事実上2D描画開発は終焉を迎えている)、機種ごとの差異も微々たるものとなった。

この頃から、テレビゲームがコンピュータゲームの主流だった日本でもパソコンゲームが普及してきた。特に家庭用ゲーム機に先行してオンラインゲームが充実したことにより、10代中盤から20代のコアゲーマーは、パソコンゲームをメインにシフトする人が多かった。(なお、欧米では古くからパソコンゲームがコンシューマ向けゲーム機に並ぶほどの市場を築いている。)

[編集] 第7世代(2000年代中盤 - 現在)

Xbox 360プレイステーション3は、解像度HDTV画質に対応し、3Dは奥行きと繊細さを増し、大幅にリアリティを向上させた。Wiiに関しては、フルHD画質に対応せず、表示能力を前世代なみに留める一方、Wiiリモコンという新しいインターフェイスを採用し、ライトユーザの取り込みに成功した。

また、上記の3機種いずれもネットワーク接続に標準対応し、ネットワーク対応ゲームの増加やコンテンツのネット配信も本格化している。LinuxなどのLive CDを利用して、パソコンとして利用するユーザーも出てきている。(PS3の一部を除き)それぞれ前世代機との互換性を有しているほか(しかし、国内市場ではこれはほぼ無意味な物だった)、いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレータを用意している。

日本以外の地域では、いち早く発売されたXbox 360が順調に売上を伸ばし、後発のWiiがこれを追い抜き、前世代でトップシェアだったPS2の後継機であるプレイステーション3は三番手につけている。しかし、日本ではニンテンドーDSがゲーム市場全体の7割を超えるシェアを誇るまでに爆発的に普及していることから「据置機そのものの存在が脅かされている」情勢である。また、PS2の市場での存在感がいまだに根強いこと[2]も次世代の移行を難しくしている。

現在、据え置き型では最大シェアを誇るWiiを含めた場合でも、この世代のゲーム機の売上は日本市場においては(2009年現在、前世代と比較して100万台割れのハードは無いものの)振るわず、実質的に「据置機というカテゴリ」そのものが携帯機に取って代わられたと言える状況である。現在は市場のメインストリームが完全に海外に移行しており、国内市場のシェアは世界全体の10~20%程度。残り90%を欧米で分け合った状態にある[3][4]

これに関しては意見や分析が多々あり、これまでの様な「メーカーの戦略の失敗」だけでなく、

  • 歴史的に「勝ち組ハードへの独占配給」が当然だった歴史が長すぎたため、マルチプラットフォームという概念が理解されにくかった。
  • ゲームの複雑化が進みすぎて、ライトユーザーを取り込めなくなった。
  • 新しいゲーム性を生み出せず、従来のユーザーに飽きられてしまった。
  • 価格の高騰・ハードの性能向上にメーカーやユーザーがついていけなくなった。
  • 次世代機の売りの一つである「リアルな3D表現」が、「アニメ・ドット絵などの2D系が好まれる」日本市場では拒絶された。

などのマイナス要因が前世代と比べても遙かに多い。

結果として、大手を中心とした日本国内のソフトメーカーは、第7世代のゲーム機の普及が進んでいる海外市場を重要視し、国内市場との注力の比重を変えてきている[4](≒国内企業の実質国内市場撤退)。さらに日本ではバイオレンス表現のあるゲームに対する規制が厳しいという側面もあり(CEROの項も参照)、日本のデベロッパー制作であっても、海外発売のみで日本国内発売未定といったゲームも登場している[5]

[編集] 世代別 主要ハード一覧(携帯機)

[編集] 第1世代(1980年代)

この頃はまだROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形だった。モノクロでシンプルなゲームが多数を占めた。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後に据置機の主力インターフェイスへと発展する十字キーも先行して採用されている。なお、この方式のゲームは現在でも販売され、一定の市場を維持しており、時にたまごっち(バンダイ・1997年)のような大ヒットとなるものもある。

[編集] 第2世代(1980年代末 - 1990年代中盤)

ROMカートリッジを利用し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代。最も早く出たゲームポケコンと最後に出たPCエンジンGTを除くと、スペックは第3世代の据置ハードとほぼ同等だった。PCエンジンGTは据え置き機第4世代のPCエンジンと互換性があり、当時としては卓越した性能と画質を持っていた。しかし、当時は液晶の技術が未熟で消費電力も大きかったこと、カラー機種は高価で駆動時間も極めて短かったため、モノクロ液晶を採用しコンパクト且つ省電力のゲームボーイが最も人気を集めた。

[編集] 第3世代(1990年代末 - 2000年代初頭)

スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、第2世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現している。また、液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。ビジュアルメモリポケットステーションは、据え置き機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されていない。

[編集] 第4世代(2000年代前半)

反射型TFT液晶や反射型FSTN液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった。スペック的には据え置きハードの第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。携帯ゲーム機において任天堂の独占状態が確立する。

[編集] 第5世代(2000年代中盤 - 現在)

2004年以降の携帯ゲーム機市場は、ニンテンドーDSとプレイステーション・ポータブル(PSP)によって二分されている。携帯ゲーム機の高性能化により、据置機同様にグラフィックの3D化が進んだ。無線LANを標準装備し、ネットワークを介したデータのダウンロードやオンライン対戦ゲームも楽しめるようになった。しかし、その他の部分ではDSとPSPの方向性は対照的に異なっている。

DSはスペックこそ据置機の第5世代機レベルだが、特徴的な2画面(そのうち1画面はタッチスクリーン)を装備して、新たなゲーム表現を生み出した。日本以外ではタッチスクリーンを利用し、WindowsLinuxといったPC用OSを実行するソフトが開発されている。PSPは大型液晶画面と光学ドライブ、高性能マイクロプロセッサを搭載し、携帯機でありながらプレイステーション2に迫るゲーム表現を実現する。さらにpspとDSiは携帯メディアプレイヤーの機能もそなえ、大容量のメモリーカードと組み合わせることで、ゲームだけでなく音楽や動画が楽しめる。

主にDSの普及や「脳ゲー」のヒットによって、今までゲームにほとんど縁がなかった高齢者にまでDSのユーザー層が広がり携帯機市場の拡大が進み、日本市場においてはWiiを除く第7世代据置機の立ち上げを事実上頓挫させただけでなく、日本のアーケードゲーム市場を深刻な不振に陥らせている[6]とする説もある。「ニンテンドーWi-Fiコネクション」サービスにより、コンシューマーゲーム機のネットゲームへの敷居が急激に下がった[7]。現在でも、PSP-3000ニンテンドーDSiと言った新型モデルが、従来の据置機を上回る驚異的な売上を見せ、日本でのゲーム市場の主流は完全に携帯ゲーム機に移行した。

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目