ゲーム機

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ゲーム機は、コンピュータゲームを動作させるためのハードウェア機器の総称。ゲームのソフトウェアの略称「ソフト」に対してハードとも呼ばれる。

特にコンシューマーゲームテレビゲーム携帯型ゲーム)機を家庭用ゲーム機と呼ぶ。ゲーム機の形態からテレビゲームが遊べる据置機(据え置き機)と携帯型ゲームが遊べる携帯機に分類されている。また、家庭用ゲーム機は歴史を経るにつれてAV機能を持つようにもなった。

  • この項目では、ゲーム機の歴史を各世代ごとに年代順に分けて述べる。より詳しくは海外版記事も参照のこと。
  • 日本市場のみに限定された歴史については日本におけるゲーム機戦争を参照のこと。

目次

概要と歴史[編集]

ここではゲーム機と呼ばれているものがどのようにして確立したかを年代順に簡略に述べる。詳細は下記の小見出しを参照のこと。

ゲーム機が誕生した1970年頃には、コンピューターと言えばスパコンミニコンなど、軍や大学で使われる高価なシステムしかなかった。初期のコンピューターゲームで最も有名なものとしては、ミニコン上で書かれ不特定多数の大学生に遊ばれた宇宙戦ゲーム『スペースウォー!』が挙げられる[1]。その後、ゲームは4つの道を通って発展した。

  1. 店頭に設置して有料で遊ぶ「アーケードゲーム
  2. 消費者が家庭で楽しむ「テレビゲーム
  3. パソコン上でアプリケーションの一種として動作する「パソコンゲーム
  4. 電卓の技術を応用して作られた「電子ゲーム

1972年、史上初のビデオゲーム機が登場するが商業的に成功せず、最初に商業ゲームとして成功したのはアタリ社のアーケードゲーム「ポン (ゲーム)」だった[2]。ビデオゲームは瞬く間に、それまでゲームセンターに設置されていたピンボールを駆逐した。アーケードビデオゲームは次第に内容が複雑化していき、ワイヤードロジックの回路では実現が難しくなり、マイクロプロセッサーが採用されるようになった。

1970年代中盤に登場した最初期のテレビゲーム(第1世代)は、それらのアーケードゲームを家庭で手軽に楽しむためのものだった。この頃のテレビゲームは当初はワイヤードロジックで構成されていたため、1ハード1ゲームもしくは複数のゲームをスイッチで切り替える方式だった。

第2世代(1970年代後半 - 1980年代前半)では、1つのハードでさまざまなゲームをプレイしたいという欲求にこたえるため、ゲームソフトを組み合わせることで、コンピューターゲームをプレイすることができる、と言うシステムが採用された。ソフトの供給メディアはカセットテープを採用したマシンもあったが、Atari 2600はカートリッジでプログラムを供給するカートリッジ交換式のシステムを採用し、それが標準となった。1979年には史上初のサードパーティが誕生し、ここで、ゲーム機本体を販売する産業とは別に、ゲームのプログラムそのものを販売して利益を上げるゲーム産業が誕生した。このAtari 2600によってテレビゲームのイメージがほぼ確立されたが、1982年にアタリショックが起きた[3]

一方、1977年には各社からパソコン(8ビットパソコン)の販売が始まる。この頃すでにテレビゲームやアーケードゲームは存在しており、パソコンのユーザは無料でアーケードゲームを楽しむために、アーケードゲームを真似たパソコンゲームを競って自機上にプログラムし、互いに交換しあった。パソコンゲームはその後アドベンチャーゲームロールプレイングゲームシミュレーションゲームといった同時代のアーケードゲームやコンシューマーゲームとは異なった分野で独自の発展を遂げた。

1970年代後半のゲーム機やパソコンに使用されたCPUは4ビットまたは8ビットで、複雑化してゆくアーケードゲームではCPUの画像処理機能が不足していた。そのため、アーケードゲーム基板では表示装置に特別仕様の画像処理回路を追加するようになっていた。代表的なものがスプライト機能とハードウエアスクロール機能である。これらの処理回路は高価であり、サイズも大きかったので、そのままではテレビゲーム機に搭載することができず、それがアーケードゲームとテレビゲームの差別化として働いた。

1970年代後半には携帯型ゲーム機も人気となった。1979年には既にカートリッジ交換型携帯型ゲーム機が登場されているが、当時は技術的な制約から十分な製品は作れず、電子ゲームと呼ばれるものが主流だった。電子ゲームとは電卓の技術を応用したもので、アーケードゲームやパソコンゲームとはまったく別に生まれた。表示装置としては特定の形状を表示する液晶やダイオードを使ったもので、汎用のグラフィック表示機能を備えておらず、必然的に1ゲーム1ハードが基本だった。

第3世代(1980年代前半 - 1980年代中盤)ではエレクトロニクス技術の進歩によって、家庭用テレビゲームもスプライト機能とハードウエアスクロール機能の機能を簡略化・低価格化して追加していった。任天堂ファミリーコンピュータはサードパーティによるソフトウェアの製造をライセンス(ゲーム機メーカからの許諾を要する)形式にし、ゲームソフトメーカからのライセンスの収入を見込んで製造することによってゲーム機のハードウェア自体を低価格で販売した。

1980年代後半にはパソコンの性能向上の速度が加速し、パソコンからプラットフォーム性が失われた一方で、ゲーム機ではプラットフォーム制が確立された。パソコンやゲーム機などで、単一の機種が長期的に基本性能が変わらないまま販売され続ける(商品寿命が長い)と、ひとつのプラットフォームとして認識され、サードパーティによって多くのソフトウェアが製作される。「プラットフォームハードウェアと多数のソフトウェア」という手法は、ハードウェアの進歩や新しいプログラミング手法の導入(これらのゲーム機のソフトはほとんどがアセンブリ言語で記述されていたが、世の中のプログラミングはC言語などに移行しつつあった)を阻害するものではあったが、ゲームソフトという特定の先鋭分野における競争と技術開発を促進することでゲームソフト業界を急速に発展させる一因にもなった。

第4世代(1980年代後半 - 1990年代前半)ではさらにゲームソフトの技術力や表現力が向上し、より高性能のハードウェアが求められ、ゲーム機専用のCPUやプロセッサが設計されるようになった。それまではパソコン用チップや汎用製品を流用したゲーム機も多かったが、ゲーム用途としてはパソコンをはるかに凌ぐ性能を持つゲーム機というイメージがこの頃に確立した。また、この頃にようやく、十分な性能の汎用のCPUとグラフィック表示装置をもつカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機、つまり「携帯型ゲーム機」と呼ばれているものが発売されて人気を得るようになった。

このような歴史を経て、1990年頃にはゲーム機という物のイメージが確立された。

据置機[編集]

第1世代(1970年代)[編集]

1972年、史上初のビデオゲーム機とされるオデッセイがリリースされる。オデッセイはCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。

その後、1972年にオデッセイを参考にして製作したビデオゲーム『ポン』をアーケードで大ヒットさせたアタリ社が、テレビに接続するだけで家庭でもポンが楽しめる玩具を1975年にリリースし、大ヒットとなる。これによって家庭用ゲーム機という存在が広く知られ、ポンクローンと呼ばれるポンのコピーゲーム・亜流ゲームが、大手から中小までおびただしい数の玩具メーカーからリリースされた。その中には後に世界最大のゲーム機会社となる任天堂の姿もあった。アタリが1976年に発売したブレイクアウト(ブロック崩し)なども多くのクローン機が出回った。

これらのゲーム機が最初期に現れたゲーム機、すなわちゲーム第1世代と呼ばれる。この時代はソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。

ポンクローン
ブレイクアウトクローン

第2世代(1970年代後半 - 1980年代前半)[編集]

1976年、フェアチャイルド社がチャンネルFを発売した。チャンネルFはROMカートリッジを差し込むことで様々な種類のゲームを楽しむことができる最初の家庭用ゲーム機であった[4]。マグナボックスも1978年に同様のシステムを採用したゲーム機Odyssey²を発売。アタリも1977年にAtari 2600 (VCS)を発売した。『スペースインベーダー』などの人気アーケードゲームのコンシューマ移植をキラータイトルとし、1980年頃にはアメリカにおいて爆発的な人気を博した。さらに、1979年にアタリからアクティビジョンが独立してゲーム史上初のサードパーティとなって以後、続々と誕生するサードパーティーのソフトを積極的に受け入れるビジネスモデルを確立した。

北米では他にインテレビジョンやコレコビジョンも人気となり、欧州ではドイツのインタートン社によるVC 4000なども人気を博した。しかし1982年のクリスマス商戦で決定的な市場崩壊(いわゆるアタリショック)を起こしてしまう[3]。Atari 2600のみならずアメリカのゲーム機市場 (パソコンゲーム市場は含まない)そのものが一時壊滅状態に追い込まれた。

なお、日本や南米などの地域におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。

第3世代(1980年代前半 - 1980年代中盤)[編集]

アタリショック後、北米と欧州ではゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえたゲームパソコンが勢力を増し、多くのゲームメーカーがゲームリリースを家庭用機からパソコン主力に移した。ゲームパソコンとして北米ではコモドール64が、欧州ではZX Spectrumが成功を収めた。日本でも同様の機種(ぴゅう太、M5、SC-3000、MSXなど)が登場したが、最終的にはゲーム機能に特化し、第1・第2世代より優れたゲーム性能を実現した機種が成功を収めた。特にファミリーコンピュータ(以下ファミコン)は日本における家庭用ゲーム機の本格的普及を担った。

1985年には北米で北米版ファミコンであるNintendo Entertainment System(NES)が発売され大成功を収めた。

RPGや対戦型格闘ゲーム、2Dアクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。また、これまではAtari 2600に由来するAtari仕様と呼ばれるジョイスティック型のコントローラーが一般的であったが、ファミコンのパッド型コントローラーはコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機における入力装置の基礎となった。

ゲームパソコン
ゲーム専用機種

第4世代(1980年代後半 - 1990年代前半)[編集]

従来より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が格段にアップ。ステレオサウンドが標準になり、サウンドによる表現も工夫された。ゲームの複雑化・高度化も進み、対応するコントローラーも多ボタン化が進んだ。他方、複雑で表現力豊かなゲームをROMカートリッジに詰め込むのには、容量不足による限界が見え始めてきた。ゲームソフトの大容量化によりコストも高騰し、9,800円以上のソフトが続出した。このような情勢から、従来のROMカートリッジに代わりCD-ROMを媒体に利用する機種が現れた。対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となったが、大容量でのゲーム開発がいまだ洗練されていないこともあって、この世代ではそれほど成功していない。

この時期における主なハードは、PCエンジンメガドライブスーパーファミコンの3機種である。スーパーファミコンは他の2種よりも大幅に発売が遅れたが、日本ではファミリーコンピュータからの圧倒的シェアを受け継いで移行することに成功した。一方、北米市場では任天堂のSNES(北米版スーパーファミコン)とセガのGENESIS(同メガドライブ)が市場競争を展開し、GENESISがシェア55%の2000万台を売り上げ一定の成功を収めている[5]

また、アーケード市場において対戦型格闘ゲームなどで絶大な人気を得ていたSNKが、アーケードのシステムをそのまま家庭用機に流用したNEOGEOでゲーム機市場に参入。

この時期の家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームやパソコンゲームとの性能差は縮まった。海外市場ではホビーパソコンのAtari STとAmigaがリリースされ、ゲームパソコンとして拮抗した人気を得る。日本でもX68000FM TOWNSなどのホビーパソコンが発売されているが、据置機とソフトに恵まれた日本ではパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えないアダルトゲーム(いわゆるエロゲー)を除いて衰退した。

なお、第4世代ゲーム機はドット絵スプライトによる2Dゲームの成熟・完成期にあたる。Atari 2600、ファミコン、Genesisと言ったこの世代までのマシンやゲームを「神聖視」するゲーマーが世界中で存在するため、第7世代機ではネットワークサービスを利用して、当時のゲームや「ドット絵を利用した、当時のハードウェア環境そのままでの新作」が配信されている。

ホビーパソコン
ゲーム専用機種

第5世代(1990年代中盤 - 1990年代後半)[編集]

ROMカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、データ容量が大きくさらに生産性が高いので、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴い音質の向上やムービー再生による演出が広がった。本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ、ゲーム内での映像表現の幅が劇的に広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した。ドット絵とポリゴンでは製作ノウハウが違い、中小の新しいソフトハウスも台頭した。

この世代から第6世代にかけて、コンソール・ウォー(ゲーム機戦争)と呼ばれるハードウェア同士の性能競争が最高潮に達し、各社とも自社製ゲーム機の高性能ぶりを盛んにアピールした。第3・4世代の覇者である任天堂が発売したNINTENDO64は、64ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在であった。しかしゲーム機戦争が激化した結果、システムがより複雑化し、ゲーム機の価格も高騰した。

この世代の主要な機種はPlayStationセガサターン、NINTENDO64の3機種である。この世代でゲーム機市場に新規に参入したSCEのPlayStationは、安価で開発のしやすいシステムと、サードパーティの高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立った。任天堂のNINTENDO64はこれらの2機種に発売が大きく出遅れたが、ソフト供給媒体に他機種のようなCD-ROMではなく高価で容量の少ないロムカセットを採用した。また、北米最大のコンシューマゲーム会社であるエレクトロニック・アーツの創設者が、3DO社を設立してゲーム機市場に参入。

なお、ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えたアタリがこの世代でハード事業から撤退、コモドールが倒産した。それによって、ゲーム用途で使われるパソコンとしてはPC/AT互換機がほとんどとなる。Windows 95の登場後もしばらくゲーム用途ではMS-DOSが主流であったが、DirectXの登場以後は次第にゲーム用途としてもWindowsがメイン環境となった。マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多数抱える大手ゲームメーカーとなり、続く第6世代でついにコンシューマ機に参入する。

第6世代(1990年代末 - 2000年代初頭)[編集]

3Dグラフィックスの表現力が格段に上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始める。メディアはDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが主流となった。

大手メーカーではゲームの大作主義・シリーズ物重視がより一層進み開発費の高騰が進んだ。大手メーカーやサードパーティーの統廃合も進行し、据置きゲーム市場は厳しい転換期を迎えた。開発費の高騰に対しては、開発者側では従来から行われてきた開発ライブラリの整備だけでなく、ゲームエンジンを利用した開発などの対策がとられた。ハードウェア面ではニンテンドーゲームキューブ(GC)のようにボトルネックを排除し扱いやすさを意識した設計を採用したり、ドリームキャストXboxのようにWindowsをOSに採用しパソコンとほぼ同様の開発手法が使えることをアピールするゲーム機が現れた。

この世代では、第3世代より長らくゲーム開発をリードして来た日本のゲーム市場は頭打ちとなった。「売り上げ20万本で大ヒット」と言われるなど、第5世代や第4世代よりもゲームソフトの売り上げが減少した。PS2に限らず業界全体でゲームの売上げは伸び悩み、ゲーム離れと言われるようになった。特にPS2においては「ハードは売れるのにソフトが売れない」という現象を引き起こした。PS2は当時としては高価だったDVDプレーヤーとしての機能があり、PS2の方が安価なため購入する者もいた。一方で欧米ゲーム市場は逆に大きな拡大を見せ、このことは第7代目になると更に顕著なものとなってくる。欧米ではパソコンや複数のゲーム機にタイトルを供給するマルチプラットフォーム作品が増加し当たり前になってきた。

この世代を最後にセガはハード販売から撤退し、入れ替わる形でマイクロソフトのXboxが参入した。Xboxは日本国外市場において成功を収めてPS2に次ぐシェアを獲得したが、日本では非常に不振であった。NINTENDO64の後継機のGCは日本で一定の支持を得たが、日本国外では前ハードほど振るわなかった。

一方、この時期はパソコンにおけるブロードバンドの普及期に当たり、ネット対応が不十分な家庭用ゲーム機に先行して、パソコン用のオンラインゲームが充実した。中国や韓国などアジアの新興国においても自国製ゲームの普及が見られ始めるが、据置型ゲームは多大な開発コストなどの参入障壁が大きかったことや、アジア諸国における海賊版の横行のためコンテンツ販売では利益を得にくかったなどの理由から課金制のパソコンオンラインゲームが開発の主流となっていき、これらの国の作品が海外に輸出されるのも多く見られ始めた。また同時に、それへのゲーム中毒といえるほど傾倒するゲーマーも現れはじめる。

第7世代(2000年代中盤 - 2000年代末)[編集]

この世代の主要な機種は、Xbox 360PlayStation 3(PS3)、Wiiの3機種である。Xbox 360とPS3はハイデフィニション(HD)に対応した。WiiはWiiリモコンという体感型インターフェイスを搭載し、PS3とXbox 360もPlayStation MoveKinectを発売。Kinectは発売4ヶ月で1000万台を超えギネス世界記録に認定された[6]。いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレータを用意し、ネットワークサービスやコンテンツのダウンロード販売も行われている(デジタルディストリビューション)。

世界的に見てもWiiのシェアが他の2機種より上であるが、Xbox 360とPS3に圧倒的な差はなく、Wiiも従来のゲーマー層と異なるライト層のユーザーを多く含むため、ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況であり、前世代以上にマルチプラットフォームが増加している。また、ビデオ・オン・デマンドなど海外ではXbox 360がスマートテレビデファクトという指摘もある[7]

この世代、Wiiは今までのゲーム機の常識を変え体感型として出したため、新しくて面白さが分かりやすく普及に時間がかからなかった。一方でXbox 360とPS3はハードが高価であったこと、HDに対応したが開発費が上がり、ソフト開発に時間がかかる問題などからソフトが出にくかったこと、売りが弱かったことが影響しWiiに比べ売れ行きは鈍く普及するのには随分と掛かっている。PS3に関してはBDプレイヤーが機能としてあったもののまだ市場はDVDの時代でありDVDで十分という言う層が多かったためBDプレイヤーとして買う層も少なかった。初期型はPS2互換があったが一部ソフトの互換が完璧でないなどの問題もあったり、新型ではPS2互換を切ってしまったことも普及遅れの原因である。またXbox 360とPS3は開発費がかなり上がっている影響からチャレンジ的な新規タイトルが出にくく、人気ゲームの続編、過去の人気ゲームのリメイクやHD対応版の発売が多くなっている。一方でWiiはサードパーティによるソフトのマルチプラットフォームリリースの対象から外れる事が多かった上、後年はWii専用タイトルの数も大きく減少した。結果的にXbox 360やPS3のラインナップが充実していく中、逆にWiiは新作ソフトが不足するようになり、次世代の到来を前にしてソフトがほとんど発売されないという状況に陥った[8]

主要3機以外の主な機種としては、日本の新世代株式会社が2005年に発売したXaviX PORTが存在する。Xavix PORTはゲーム機ではなくフィットネス機器あるいは体感型玩具としての戦略を取っているため、通常ゲーム機としては扱われないが、システムとしては紛れもなくカセット交換型のゲーム機であり、ゲーム機向けのフィットネス系ゲーム(特に『Wii Fit』)と競合する。ちなみに体感型インターフェイスの採用はXaviX PORTの方がWiiより早い。南米やアジアなどの新興国ではネットワーク対応や体感型インターフェースなど現世代のトレンドを盛り込みながらも安価で低性能なゲーム機が盛んにリリースされており、ブラジルで長らくセガの代理店として活動していたTectoy社が2009年に独自にリリースしたドリームキャストの後継機Zeeboや、中国におけるセガの代理店であるAtGamesがリリースしたZONE(およびそのバリエーションであるSEGA Reactor)などが代表的な製品である。先進国ではハードから撤退したセガは新興国ではTectoyやAtGamesなどを介してハード事業を継続しており、Tectoyからはメガドライブのモデルチェンジ版であるメガドライブ4(2009年)も発売されている。

第8世代(2010年代)[編集]

2012年にはスマートフォン/タブレットの普及によりコモディティ化した高度なモバイルハードウェア/ソフトウェア技術がゲーム機に転用され始め、クラウドファンディングの流行を背景にOUYAGameStickなど新興企業の手によるAndroidゲーム機の企画・開発が相次いだ[9]。その他、「スクリーンのないAndroid端末」として「M.O.J.O」がMad Catzから発表された。

2013年初めにはValve CorporationPistonを発表。これは予てより構想が伝えられていた「Steam Box」、すなわち同社のPCゲームプラットフォームSteamのコンシューマ市場展開を担う家庭用ゲーム機(専用ゲーミングPC)規格に準ずる初の製品である。上記Android勢と出自は異なるものの、ゲーム開発自由な「オープンプラットフォーム」(インディーズゲーム)およびメディア在庫を持たない「デジタルディストリビューション」といった特徴は共通している。

Wii UPlayStation 4Xbox Oneという主要三大メーカーの次世代機も姿を現した。2012年にSCEに買収されたGaikaiWindows AzureによるXbox Live、OUYA等との提携が報じられたOnLive、そしてSteam Box計画にも含まれる各クラウドゲーミング(クラウドゲーム)サービスの台頭も重要トピックである。クラウドゲーミングは処理を全てクラウドで行うが、Xbox Oneなどでは物理演算・AIといった一部の処理をクラウドに負担させるという使い方も発表された。

クラウドゲーミングについては、ブロードメディアG-clusterがクラウドゲーム機として初登場した(NTTぷららひかりTVゲームの技術としても使われる)。国産タイトルの有償配信としてはUbitusのGameNow(G CLOUD)が日本初[10]データホテルの「CLOUD GAMING PLATFORM」にも使われる)。

携帯機[編集]

第1世代(1970年代)[編集]

この時代はまだ携帯型ゲーム機は存在していない。

第2世代(1970年代後半 - 1980年代前半)[編集]

ゲーム機が第2世代となり、据置型ゲーム機がブームとなっていた1979年、アメリカの大手玩具メーカーであるミルトン・ブラッドリーから史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機Microvisionがリリースされる。MicrovisionはCPUがカートリッジ側についているなど、後のゲーム機とはずいぶん異なっていた。LCD画面が壊れやすいなど技術的な制約のため、商業的にほとんど成功せずに終わった。

一方、ROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形式の電子ゲームが登場した。当時の電子ゲームはモノクロLCDすら搭載できず、LED表示によるものが主だったが、マテルが1976年に世界初の携帯型電子ゲーム機となる『Mattel Auto Race』をリリースして以降、各社から続々とLEDゲームが発売され、大きなブームとなった。

電子ゲーム

第3世代(1980年代前半 - 1980年代中盤)[編集]

1980年代に入るとLCDが安価となり、LCDを搭載した電子ゲームがブームとなった。代表的な製品が、任天堂が1980年に発売したゲーム&ウオッチシリーズであり、モノクロでシンプルなゲームが多数を占めたが、非常に普及した。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後に据置機の主力インターフェイスへと発展する十字キーも先行して採用されている。

任天堂、バンダイ、トミー、Tiger Electronicsと言った大手玩具メーカーの他にも多数のメーカーがさまざまな電子ゲームをリリースし、アーケードの移植も盛んであった。

この世代の主なトピックとしては、1982年、本体に太陽電池を採用し、電池が不要な初のゲーム機であるLCD SOLARPOWERシリーズをバンダイが発売。1983年、2つのディスプレイを搭載し、3D表示を可能とした初の携帯型ゲーム機であるTomytronic 3D(トミー3D立体グラフィックゲーム)シリーズをトミーが発売。

1984年にはエポック社から、日本初のROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機であるゲームポケコンが発売されているが、商業的にはまたしても失敗に終わった。

電子ゲーム

第4世代(1980年代後半 - 1990年代前半)[編集]

ROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代。ゲームボーイ、Atari Lynx、ゲームギア、PCエンジンGTが主要な4機種である。

Atari Lynx、ゲームギアのスペックは第3世代の据置ハードとほぼ同等であり、PCエンジンGTは据置機第4世代のPCエンジンと互換性があった。モノクロ液晶を採用したゲームボーイは、当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが、当時は液晶の技術が未熟で消費電力も大きかったこと、カラー機種は高価でバッテリー(単三乾電池)消費も激しかったため、コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイが最も人気を集めた。ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが、北米ではゲームボーイに善戦した。

なお、実用的な携帯型ゲーム機の登場によって電子ゲームのブームはこの世代で終了したが、電子ゲームは販売されて一定の市場を維持しており、時にたまごっち(バンダイ・1997年)のような大ヒットとなるものもある。

第5世代(1990年代中盤 - 1990年代後半)[編集]

スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、第4世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現している。また、液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。ビジュアルメモリPocketStationは、据置機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されていない。

メガドライブと互換性のあるセガ・ノーマッドや、この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの、この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった。

第6世代(1990年代末 - 2000年代初頭)[編集]

反射型TFT液晶や反射型FSTN液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった。スペック的には据え置きハードの第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯型ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。前世代と同様に任天堂以外の機種は振るわない結果となり、携帯型ゲーム機において任天堂の独占状態が確立する。また、この頃から携帯電話の普及率が激増したため、それを使ったアプリケーションが登場し始める。 N-GageのようにPDAや携帯電話機能を搭載したゲーム機も出始める。

第7世代(2000年代中盤 - 2000年代末)[編集]

この世代の携帯型ゲーム機市場は、2004年に発売されたニンテンドーDS(DS)とPlayStation Portable(PSP)によって二分される。DSはブルー・オーシャン戦略でライトゲーマー層もターゲットに据え、PSPはコアゲーマーを主なターゲットに据えた。

携帯型ゲーム機の高性能化により、据置機同様にグラフィックの3D化が進んだ。前世代までの乾電池に代わりエネルギー密度が高いリチウムイオン電池を採用し、明るいバックライト付き液晶でゲームを長時間できるようになった。また、無線LANにより、ネットワークを介したデータのダウンロードやオンラインプレイが可能となった。デジタルメディアプレーヤーの機能もそなえ、大容量のメモリーカードと組み合わせることで、ゲームだけでなく音楽や動画なども楽しめるようにもなった。

ニンテンドーDSはスペックこそ据置機の第5世代機レベルだが、特徴的な2画面(そのうち1画面はタッチスクリーン)を装備して、新たなゲーム表現を生み出した。タッチパネルの採用は携帯型ゲーム機としては史上初であり『Touch! Generations』のヒットによって、今までゲームにほとんど縁がなかった層にまでDSのユーザー層が広がった。日本においてはDSが学校教育にも取り入れられ、ユーザー層が高齢者にまで広がった。また、DSおよび後のWiiにも採用されたオンラインサービス「ニンテンドーWi-Fiコネクション」により、携帯型ゲーム機のネットゲームへのハードルが大幅に下がった[11]。日本以外ではタッチスクリーンを利用し、WindowsLinuxといったPC用OSを実行するソフトが開発されている。一方PSPは「21世紀のウォークマン」を目指し、大型液晶画面と光学ドライブ、高性能マイクロプロセッサを搭載し、携帯機でありながらPlayStation 2に迫るゲーム表現を実現した。PSPはローンチはDSに出遅れたものの、日本市場においては『モンスターハンター ポータブル』シリーズに恵まれたこともあって支持を得ることに成功、任天堂のハードが一人勝ち状態であった前世代までとは違い、ライバルハードとして善戦した。

この世代では後半になると「売り上げ10万本で大ヒット」と言われるようになっておりゲーム市場の下火を指摘されている。

なお、ゲーム機とは呼べないが、GP32から進化したメディアプレイヤーのGP2Xや、N-gageプラットフォームから進化した携帯電話プラットフォームのS60なども登場した。インターネット接続機能を持った携帯電話でも携帯電話ゲームが盛んに提供されるようになり、2010年頃までに発展・普及が急速に進んだ。

第8世代(2010年代)[編集]

2011年、任天堂はニンテンドー3DS(3DS)を、SCEはPlayStation Vita(PS Vita)を発売した。SNKプレイモアネオジオポケット(NGP)の後継としてNEOGEO Xを2012年12月28日に発売した[12]

3DS・PS Vitaの両機種はタッチスクリーン(3DSは抵抗膜方式、PS Vitaは静電容量方式)、モーションセンサー(3軸加速度センサ・3軸ジャイロセンサ)、カメラによるAR(拡張現実)機能や、PlayStation NetworkNintendo Networkを通してのサービスやデジタル配信(ダウンロード販売)なども提供されている。3DSの「すれちがい通信」、PS Vitaの「near」など、プレイヤー間のコミュニケーションを意識した機能が多数盛り込まれた。3DSは前世代からの2画面などに加えて、裸眼3D映像対応ディスプレイ・ステレオカメラ、PS Vitaにおいては有機ELディスプレイ・背面マルチタッチパッドを搭載している。

また、スマートフォンタブレットといったスマートデバイス用のモバイルオペレーティングシステムにゲームを意識した機能が盛り込まれた。2008年にiPhone OS(現・iOS)のSDKが公開されて以降、iOSデバイス(iPod touchiPhoneiPad[13]Androidデバイスに参入するゲームメーカーが増え、SCEはPlayStation Mobileを提供している。

2013年初めにはGPUメーカーとして知られるNVIDIAがAndroid搭載の携帯型ゲーム機SHIELDを公開[14]。新参Androidゲーム機はこの年のトレンドといえるが(家庭用据置機の項も参照)、同機はPCをサーバとするゲームストリーミングクライアントでもあり、新たなストリーミングサーバ技術とともに発表され注目を集めた。このことはクラウドゲーミング市場への期待の高さと同時に、据置機/携帯機の区別の曖昧化を示すものでもある(Wii Uのタブレット型コントローラも同様の徴候がある)。

この世代では世界でスマートデバイスが急速に普及し始めており、従来の携帯電話に比べ性能が上がったことにより、幅広いゲームも出来ることからゲーム専用機不要論も出てきた[15]

立体視対応のゲーム機[編集]

1980年代トミーから立体視対応のゲームが発売された(宇宙壮絶戦車戦、ジョーズ、スペースレーザーウォー、ジャングルファイター、コスモ・ル・マン、ドッグファイト、シャーマンアタックの7タイトルが確認されている)[16][17][18][19][20]

また、任天堂からは1987年ファミコン3Dシステムが発売、セガからはアメリカ市場においてセガ・マスターシステムSegaScope 3-D Glassesと複数の対応ソフトが発売された。1994年にはアタリからミサイルコマンド3DWolfenstein3Dのわずか2タイトルだったが、Jaguar VR ヘッドセットが発売された[21][22][23]

1995年7月には任天堂からスタンドタイプのバーチャルボーイが発売されるものの、販売台数は振るわなかった。 その後はしばらく立体視対応のゲーム機は発売されていなかったが、2011年2月、任天堂から新たに裸眼立体視対応の携帯型ゲーム機であるニンテンドー3DSが発売された。

参考文献[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ J. M. Graetz (1981), “The Origin of Spacewar”, Creative Computing (August, 1981), http://www.wheels.org/spacewar/creative/SpacewarOrigin.html 
  2. ^ 宮沢篤; 駒野目裕久、アーケードゲームのテクノロジー (その1) 増補改訂版 「<小特集>遊び・エンタテインメントとメディア」、『情報処理学会研究報告.IM, [情報メディア]』 第96巻第29号9〜16頁、1999年http://ci.nii.ac.jp/naid/110002929678 
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  17. ^ トミー3D立体グラフィックゲーム シャーマンアタック
  18. ^ 3D立体グラフィックゲーム・宇宙壮絶戦車戦
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  20. ^ 週間電子ゲームレビュー宇宙壮絶戦車戦
  21. ^ Jaguar VR
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  23. ^ AGH Jaguar Review: MISSILE COMMAND 3-D

関連項目[編集]