ホビーパソコン

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ホビーパソコン (Hobby Personal Computer) とは趣味娯楽のために供されるパーソナルコンピューター(パソコン)の総称である。

1980年1990年中頃はまだまだコンピューターは高価だったため、ホビー用途に的を絞った安価なコンピューターが普及した。日本国外では、ホームコンピューター (home computer) と呼ばれ、1977年12月4日Apple II発売から始まったとされている。

概要[編集]

カセットレコーダーとモノクロテレビを接続したホビーパソコン
シンクレア ZX81

ホビーパソコンは、個人が家庭などで趣味や娯楽のために利用していたパーソナルコンピュータ製品である。事務処理などといった実用面よりも、娯楽性や玩具として弄り回されることを前提としており、その多くでは当時のコンピュータ製品の中でも、取り分け安く低性能な部類(→廉価版)に含まれる。これらの所有者はその趣味性にも拠り、限られたリソースハードウェアの能力・資源)の中で如何に楽しむかを模索した。当時家庭向けのコンピュータは、実用性や利便性はともかくとして、さまざまな未来的可能性を感じさせる、目新しい玩具として販売され利用されていった。

今日のパソコンでも、テレビ受信機の機能が標準で搭載されたり、高性能な音声出力機能により楽器としてDTM等に利用されたりする物などが、これらに分類されると推測される。しかしこれらは既存の汎用のパソコンに必要なオプションハードウェアを搭載したり必要なソフトウェアインストールすれば、たいていのパソコンで同様の機能が追加できることから、相互の差は余り明確ではない。

古くは、BASICなどの高級言語コンピュータプログラミングを行い、雑誌上などのプログラムの腕を競い合う場も多かったことから、「趣味のプログラミング」を行う環境にも利用されていた。これら趣味のプログラマーの中には、後に商業プログラマーとなった人も少なくはないとみられる。

販売ルートとして当初は、ワンボードマイコンの延長としても扱われたことから、電子部品などを扱っていた無線機販売店のほか、電器店家電量販店の走りともなったディスカウントショップホームセンターなどで主に扱われた。次第に「一般向けのパソコン」という地位を築き始めると、いわゆる「パソコンショップ」などの専門店も出るようになった。ただ専門店化では、最初は無線機販売店などが店舗を分ける形も多かったため、現在でも秋葉原界隈のパソコン専門店には屋号に「無線(ムセン)」とつく所も見られる。

日本国外では、ホームコンピュータが一般家庭向けに販売されるようになったのは、マイクロプロセッサの大量生産が可能になったことが背景にある。名前の通り家庭でのホビー向けである。これはまた、それまでのマイクロコンピュータと呼ばれていたはんだ付けをして組み立てる必要のある基板むき出しのコンピュータと区別する意味もあった。北米では1980年代の終わりと共に、ヨーロッパでも1990年代初めにはホームコンピュータ時代は終わりを告げ、PC/AT互換機の時代となった。

歴史背景[編集]

TRS-80
コモドール マックスマシーン

1980年代から1990年代初頭にあっては、パソコンは家庭向け・ホビーユースの物と、事務や製図・各種制御用に用いられる物とにはっきりと分かれており、家庭向けを意識した製品では、高性能なCPUによる高速な計算能力や、潤沢なメモリハードディスク装置の搭載といった多くの記憶容量よりも、FM音源による豊かな音楽表現や、多くのVRAMスプライト機能・ハードウェアスクロール等による表示機能を強化したものに人気が集まった。

8ビットパソコンの時代では、中でもコンピュータゲームでの表現力の強化がユーザーに強く望まれていたため、それに特化した製品はよく売れている。これらの中にはパソコン御三家と呼ばれたパソコンの中でも、FM音源を標準的に搭載した後期機種が人気を集め、日本でのパソコン市場の寡占化を発生させた。

この時代には家庭用ゲーム機は、子供の玩具と見なされ、あまり高価な製品を買う人もおらず、また子供の玩具にはさほど市場性もないと考えられていたため、メーカー側も敢えて高価で高性能な機種は開発せず、安価で低機能な製品を発売、消費者もそれに満足していた。中には今日以上に高価な製品を投入したメーカーも在ったが、それらは大きなブームを興せず終わっている。

この時代を通して、特に高価で高性能なゲーム機を求める、経済的にも余裕のある向きは、おおむね家庭向けのパソコン=ホビーパソコンを購入することで満足していた。またこれらホビーパソコンには、個人経営の小さな所から、今日の家庭用ゲーム機向けゲームソフト制作メーカーの興りとなった企業まで、さまざまなソフトハウスより、多種多様なゲームが発売されていた。この時代にはこれらホビーパソコンが、青少年向けの高価な玩具だったことからエロソフトと呼ばれる性的興奮を目的とした物も発売されるにいたって、家庭用ゲーム機との明確な市場性の違いも発生した。

その一方で、今日では普遍的に利用されているDTMにも、早い段階からその可能性に注目し、利用する人もあって、メーカー側から同種の用途に即した機種も発売されている。

長らくは「そこそこの低価格」で「家庭用ゲーム機を凌ぐ性能」を持っていれば売れたため、8ビットパソコンであることが多かったが、後に家庭用ゲーム機も高性能化が始まった辺りから、16ビットパソコンへの変更が始まった。この時代には、8ビットパソコン時代の資産が完全に切り捨てられたため、古い機種の愛好者等は、従来のソフトウェア資産を利用するために、旧式な機種をいつまでも保管しておくなどの対策に走った。

今日では、これら旧時代の資産を活用するために、現在のWindowsMacintoshのパソコンなどでこれら資産を実行するエミュレータの開発が、一部マニア間で盛んである。

8ビット機全盛時代には雑誌や入門書に各機種向けBASIC機械語のプログラムソースコードが掲載され、ユーザーが自分で入力して楽しんでいたが、8ビットパソコンにフロッピーディスクドライブが標準搭載され、やがて16ビットパソコン時代を迎える頃にはBASICではまったく性能を活かせず、機械語のプログラムソースコードは膨大な量となり、それを入力するという行為自体が成立しなくなった。その頃にはパソコン通信が普及し、プログラムは電話回線を通じて送受信されるようになった。

ホビーパソコン一覧[編集]

主なメーカー別に、それぞれの主要な機種シリーズを列記する。

日本国内[編集]

日本国内では、日本電気 (NEC)・富士通・シャープの3社が特に覇権を争った。日本国内市場での「パソコン御三家」と呼ぶ場合、NEC、シャープの他を、富士通とするか日立とするかは議論があるが、ホビーパソコンとしての普及率で言うなら、上記の三社が中心となる。

日本電気[編集]

同社製品は販売台数、扱いやすさ、普遍性などから、日本の代表的なパソコン製品シリーズだった。そのため研究開発の現場からビジネス、そして個人のホビーまで、そのユーザー層は幅広かった。 シリーズ型番に共通して付く「PC」は「パーソナルコンピュータ」の略であり、当時「マイコン」と呼ばれていたこれらの民生用コンピュータの呼称を「パソコン」と定着させる一因ともなった。当時は「パソコン」といえば「NEC (PC)」であり、それほどまでの影響力を持っていた。

ホビーパソコンの先駈けとなったシリーズ。Z80Aを搭載し、当時としては性能の割に廉価を感じさせる製品だった。豊富な周辺機器と共に、ユーザーが競うように膨大な数のソフトウェアを開発したために、使用環境がどんどん切磋琢磨されていった。この製品のヒットは、日本の民間のパソコン普及、技術向上に多大な貢献を果たした。他社の競合製品が多数発売され、製品として性能が魅力的でなくなってきてもなお売れ続けた。グラフィックなどの性能を向上させたmkII、mkIISRなどの後継機が発売されたが、そちらは実務・ホビー共にあまり人気は出ず、ユーザー層は8800シリーズや9800シリーズに移行していった。
PC-8001と完全上位互換性を持ち、非常に多くのソフトウェア資産を誇った。初代は「当時市場のメイン機だったPC-8001の資産も使える、ビジネス向けの高級機」という位置付けで、のち、ホビーユースを視野に入れたmkII以降、グラフィックやサウンド性能の向上と共に、5インチフロッピーディスクドライブなど標準搭載し、以降続々と後継機を出していった。デザイン的には「ゴツい、大きい、角張っている」など初代のビジネス機のイメージが抜けきらない、とも評価されたが、この色と形が日本のパソコンの基本形ともなり、他社を含めて長く影響力を持ち続けた。同シリーズが市場で大きな力をつけ人気を博し、同シリーズがホビーユースがメインになってきた頃には(FEシリーズなどで)角の取れたデザインも採用されている。末期にはZ80Aをエミュレーションできる16ビット機、9800シリーズと8800シリーズを一体に内蔵した互換モデル、CD-ROMを搭載した縦型据え置き(ミニタワー型)なども発売された。
上記8000番台とは別に、NEC子会社であった新日本電気株式会社が開発したシリーズである。初代であるPC-6001は低価格ホビーパソコンの先駈けとなった機種で、すがやみつるのパソコン入門漫画「こんにちはマイコン」の教材ともなった。家庭用テレビに接続することを前提に開発され、8001の下位互換的な位置付けながらも、8色のカラー表示、ひらがな表示、三重和音も可能なPSG音源、ジョイスティックインターフェース標準搭載など、当初からホビー用途を狙って開発された製品である。愛称は「パピコン」。初代のキーボードがオレンジ色で、キートップの間に隙間のある特殊なデザインは、同機種ユーザに対する揶揄の対象ともなった。後継機であるPC-6001MkIIでは一般的なホビーパソコン然としたデザインとなり、オプションだった音声合成LSIを標準搭載し、史上初の「喋るパソコン」となった。表示周りの強化、ならびに、音声合成で音程を取れるようになるなどの機能強化をしたPC-6001mkIISRが最後のモデルとなる。
6600シリーズは6000シリーズに対し、片面倍密度の3.5インチフロッピーディスクドライブを搭載し、音声合成により「歌う」ことが可能になった上位機種としてのシリーズである。しかし本来は家庭ホビー用途を狙っていた路線のはずがディスクドライブ搭載のため価格上昇し、位置付けが中途半端となってしまった。後継機としてPC-6601SRが発売された。キャッチフレーズに「六本木パソコン」愛称が「Mr.PC」。SRのデザインはセパレート型になり、TVとの連携、赤、黒の本体カラーバリエーションなど、リビングに置く事を意識したデザインとなった。しかし価格に対する性能、アプリケーションの供給量などから、ヒット作とはならず、6000シリーズとともに、姿を消した。

なお後に8ビットパソコン市場が終焉していく際、同社のメインストリームも16ビット/32ビットパソコンに移行して行く。

”98”と略されていた。本来は事務機器などに向けて製造されていたが、8ビットパソコンに継続してホビーパソコンの高性能化競争が起きた際に、同社はこの9800シリーズをベースとした機種で対抗していった。シャープのX68000、富士通のFM TOWNSなどのライバルは98の前に有力な対抗馬とはなれず、9800シリーズは国内メーカー製コンピュータの最大勢力として君臨を続けた。
やがてWindows3.0とともに日本国外メーカー製のPC/AT機が低価格を武器に進出をはじめたが、その採用CPUや、設計から、Windowsのプラットホームとしても利用できたPC-9800シリーズを更にWindowsの実行に最適化したPC-9821シリーズにモデルチェンジし、Windowsでの動作を中心としながらも独自の設計を継承していった。
Windows 95の発売とともにPC/AT機の時代がやってくるまで98シリーズはNECの、日本のPCを代表するパソコンであり、ビジネスからホビーまでの幅広いニーズに応えた。ハードウェアの差異をシステムが吸収するWindowsの台頭は、多くのハードウェアで同じソフトウェアが動作する環境を構築した反面、量産効果から、独自設計のハードウェアを追いやる形となり、結果として、PC/AT互換機を中心としたWindows環境に世間はに移っていった。NEC自身もPC/AT互換機をベースとしたハードウェアの販売を開始し、その役割を終えた。

富士通[編集]

1981年発売のFM-8シリーズから一貫して互換性を保ち続け、豊富なソフトウェア資産を誇っていた。CPUをメインと、画像、周辺機器制御の一部を担う2つ搭載する贅沢な設計や、テキストVRAMを持たず、キースキャンが一部キー以外は押下以外を検出出来ないなどの特徴がある。のちには、一般にはあまり利用されないI/Oポート面での互換性維持が祟って、他社製品に今一歩及ばなくなってしまったものの、基本設計面での堅実さは一定の評価を得ていたとされる。FM-8の廉価版と言われつつ、各種機能を向上させ、同時代の競合他社機種より廉価でかつ性能が高かったFM-7を経て、ややハードウェアを簡略化したコストダウン機種のFM-NEW7を発売した。同時期にはそれまでのカセットテープに替わり、フロッピーディスクがソフトウェア媒体として標準的地位を得てきたため、次に3.5インチフロッピーディスクドライブ標準装備の77シリーズを発売した。また後のAVシリーズではホームユースの可能性を探り、“表示機能の大幅強化による画像キャプチャ機能”なども提供されるようになり、より「娯楽のためのコンピュータ」としての性格を強めていった。
8ビットパソコン終焉とともに同社が打ち出した32ビットパソコン。ビデオ性能を強化したり、CD-ROMドライブを搭載するなど、ゲーム用途を強く意識した製品となった。その結果全体的な価格上昇を避けられなくなり、ややホビーパソコンとしては高価に成り過ぎたきらいもある。1993年にはインターフェイスを大幅に簡略化して低価格なマルチメディアプレーヤーとしたFM TOWNS マーティーも登場したが、この頃には独自仕様のホビーパソコンという市場も終息に向かいつつあり、同社もFMVシリーズなどDOS/V互換パソコンに移行していった。

シャープ[編集]

シャープ製パソコンの先駆となった製品。システムを予めROMとして本体に搭載していた機種が多かった時代にクリーン思想に基づき、そのシステムのメイン部部分を二次記憶装置から読み込むため、他社製品より(BASICの)起動までが遅いことが難点とされた。ROMとして固定されるメモリ空間が少なく、システムとしてのソフトウェア的に柔軟な運用を可能としていた他、他社製品には見られない独特なデザイン、並びに、初代のMZ-80Kの設計が周辺装置による割り込み、バス調停により足を引っ張らないことにより実効速度が相対的に高速であったことなども相まって、現代でも過去の優れたPCとして評価が高い。
同じ「MZ」の型番であっても、事業部の再編、出自の違いなどから、数系統に分かれ、別系統の機種との互換性はBASICコンバータが一部用意されている程度でほぼ無い。
MZ-80K
MZ-700(MZ-721)
組み立てキットであるMZ-40Kを祖とするMZ-80K/C/1200シリーズの初代機であるMZ-80Kは半完成キットとして発売され、キーボードもそれまでのワンボードマイコン然としたものであり、後年の“ホビーパソコン”と言われる位置までは到達していなかった。顔マークなどの豊富なキャラクタグラフィックパターンを駆使し、高速動作するアクションゲーム等を得意としていたが、本体のみでは精細なグラフィック表現はできなかった。サードパーティ提供の PCG を使用したゲームも多数発売された。
同シリーズ後継の MZ-700/1500 シリーズは、よりホビー用途を意識し、ディスプレイを別売にしてコストを下げる一方で、矢印キーを独立させたキー配置でゲームを遊びやすくする配慮が見られた。
MZ-700はテキスト画面でキャラクタの文字色と背景色を文字単位で設定でき、ピクセル単位での描画はできないものの、キャラクタグラフィックスベースでのカラフルなゲームも作られた。本体のバリエーションは、内蔵のプリンタやカセットレコーダーの付属の有無が選べた。さらに MZ-1500 は後述の X1 シリーズにも搭載されていた PCG 機能や3重和音の PSG を二つ搭載し、表現力を向上させた。
MZ-80B
MZ-80Kの系統より分岐したMZ-80Bは本体にはIPLのみを実装し、クリーン設計を推し進めた他、オプション扱いであるものの、従来機種が持っていなかったピクセル単位でのグラフィックス表現が可能になった。ビジネス向けの高級機として発売された系譜であったが、2000/2200以降はオプションの追加で他社の同世代機種と同様の640×200ドット・8色カラーのグラフィック機能を実現できたため、他機種からの移植または同時開発という形でゲームソフトも一定数発売されていた。
コンシューマ向けMZシリーズの最終形となるMZ-2500では、それまでのMZシリーズやライバル機種の特徴をほぼすべて取り込み、6MHz駆動のZ80B CPU、最大320×200ドット256 色カラーまたは640×400ドット16 色カラーのグラフィックとハードウェアスムーススクロール機能、PCGによるキャラクタグラフィック、FM音源(ヤマハOPN) による多重和音サウンド機能、 3.5 インチフロッピーディスク、アタリ互換のジョイスティックポート等、高度なホビー向けの機能を搭載していた。 当時電波新聞社からいろいろな機種向けに移植発売されていた人気アーケードゲーム「ゼビウス」でも、MZ-2500版が8ビットパソコン中最高の完成度を誇っていた。
しかし MZ-2500 が発売されるころにはすでに8ビットパソコンの趨勢は PC-88シリーズへ傾いており、社内でもX1シリーズがすでにホビーパソコンとしての地位を確立しはじめていたため、 MZシリーズはホビーパソコンから次第に業務用パソコンのAXシリーズへと移行してゆくこととなった。
また、シリーズを通じてユーザが市販ソフトを購入せずに自作する、あるいは書籍に掲載されたソースコードを入力して楽しむという傾向が強かったため、ソフト会社によっては MZ 版の製作を回避していたこともあり、それ故にユーザが市販ソフトに頼らなくなってゆくという循環構造も見受けられた。
同社のMZシリーズとは別に、シャープテレビ事業部が発売した、家庭向けを意識し、チャンネル制御、画像取り込みや、合成などテレビ受像機との連携を考慮して設計された製品である。長らく世代交代を続け、ホビーパソコンの中でも華やかな印象があった。同社製品であるMZシリーズとも競合し、MZシリーズがビジネス用途方面に転換していくきっかけともなった。
標準搭載された PCG によるカラーキャラクタグラフィックを活かしたゲームが発売当初から多数発売された。 アタリ互換のジョイスティックポートも標準装備していたため、特にアクション・シューティング系統に強く、X1Gでは、ファミリーコンピュータに似た配列のジョイカードを標準添付していた。
他社ライバル機種がFM音源を搭載し始めたのに対応してシャープもX1向けYM2151を採用したFM音源ボードを発売。左右にパンポットを振ることが出来る8重和音は、他の標準音源よりも強力なものであったが、ミキサの類は内蔵されておらず、標準音源として内蔵されるのはturboZ以降である。
上位機種としてX1turboシリーズが発売されたが、その後 X1 シリーズとしての最終機種となった X1twin には、電源と映像出力のみ共有し、切り替えて使用する形式ながら、HE-SYSTEM、いわゆるPCエンジンを内蔵した機種も存在している。
X68000 ACE(1988年)
X1 シリーズの後継として発表された X68000 シリーズは、プラットフォームを一新して X1 のホビー志向を突き詰めた思想で開発された。
CPU には、16 ビット(内部レジスタ 32 ビット)であるMC68000が採用され、メインメモリは 1MB 以上搭載された。
最大65,536色のグラフィックとスプライト機能、同時発声8音のFM音源+ ADPCM によるサウンド等、表現力は当時の他機種を圧倒していた。 初代機に「グラディウス」が標準搭載されていたことも、同機種の位置付けを確たるものとしていた。一方で、解像度の向上などから、X1 シリーズの特色であるテレビとの連携は次第に薄れていった。
とくにアーケードゲームの移植作品が多数発売されたほか、性能を活かした独自色の強いゲームも多数発売された。
市販ソフト以外でも、有志によりサウンドやグラフィック能力を極限まで引き出すドライバや、ゲームが開発されたり、自作拡張ボードを搭載して機能拡張したり等、パソコン通信時代の隆盛もあいまってユーザコミュニティ活動も活発におこなわれた。今日でも根強いファンがいる。

日立製作所[編集]

日本初の「ワンボードではない筐体を持った個人ユース・家庭用のパソコン」とも言われる。日本初とも言われるその製品が、日立のコンピュータ部門ではなく、テレビ部門による開発であることが「ホビーパソコン」というジャンルを明快に表している。当初の基本性能は簡略であり、当時はまだ高価だった電子部品を減らすことでコストダウンを図った。拡張性の高さを兼ね備え、その拡張性で各々のユーザーに対応しようとした機種である。発売時期が早かったこともあって、発売当時、物珍しさも手伝って売上を伸ばした。その後もモデルチェンジを繰り返し、ベーシックマスターレベル3では日本初のひらがな標準表示を実現させ、日立製MSX規格製品の初代機であるMB-H1の翌年に発売された最終シリーズであるS1は、12個のカスタムLSIを備え究極の8ビット機の一つとする声もあるが、シェアとしては振るわず、MSX規格(後述)に一本化された。

東芝[編集]

1981年にZ80Aを搭載して発売された。当時のパソコンとしては標準的で、これといったセールスポイントもなかった。CMキャラクターに横山やすし木村一八親子を起用して話題になった。後継機の「パソピア7」は他社に先駆けて六重和音を実装し、またキーボードのパネルが交換可能(赤、青、茶の三色が付属する)になっており、先進的なファッション性を持っていた。その後16ビット機に移行するが、東芝のホビーパソコンは MSX 規格(後述)に移っていく。

松下通信工業株式会社・電卓事業部(ナショナル)[編集]

ソニー[編集]

いち早くDTMに着目し、標準でそのソフトが付属していた。また他の電化製品で業績を支えられるという総合家電メーカーとしての強みもあって、投入直後から人気アイドルをCMに起用したりブローダーバンドなど日本国外ソフトウェアメーカーを引っ張り込む形でソフトウェア資産を増やした。また販売チャンネルに電器店なども利用し、田舎の電器店の店先にパソコンがあるという光景を産んだ。ただ日本国内ソフトウェアメーカーが同機種向けに人気ソフトウェアを余り発売しなかったこともあり、ホビーユース市場での評価は今一つだった。しかしビデオ出力機能回りでは映像機器メーカーとしての同社の意地もあったのか充実しており、テロップエディターとして業務用映像機器の範疇にも利用され、こちらは暫く生き残った。同機種以降、後に同社は独自仕様パソコンを諦め、MSXファミリーへの参加へと方向転換した。

トミー[編集]

ぴゅう太
高性能な16ビットCPUを搭載、またゲーム機としても利用でき、異色の「日本語BASIC」を搭載するなど意欲的な製品だった。しかし発売元が玩具メーカーであり、日本語BASICの異色さや、ゴムのキーボードや筐体カラーリングなどの外見もあいまってか、「児童向け玩具の域を脱していない」と解釈され、低い評価しか与えられなかった。同社が自ら「パソコンなんて、過激なオモチャじゃ!」と宣伝していたという一面もある。販売チャンネルも他の電機・家電メーカーと異なり、玩具店ルートで流通していた。家庭用ゲーム機用途としては、付属のコントローラーの操作性がいまひとつだった、と評価される。後継機としてキーボード省略・ゲーム特化の「ぴゅう太Jr.」、プラスチックのキーボードに英語表記のBASIC(つまり通常のBASIC)を搭載した「ぴゅう太mk2」がある。

バンダイ[編集]

バンダイが、同社の看板商品である機動戦士ガンダムの主役級ロボット「RX-78 ガンダム」の形式番号から命名した、会社として力の入った製品。BASICも含むソフトウェアは扱いが簡易なROMカートリッジで提供され、パソコンよりもセガのSC-3000等のゲーム機に近い設計になっている。バンダイ社の強みを存分に発揮した、子供の興味を引くであろう多数のゲームソフトと共に、親に対してはBASICを基本に、学習ソフトやワープロ、グラフィックなどのソフトを発表するなどの販売戦略をとったが、「玩具」としては当時高額でもあり、販売実績は芳しくはなかった。

セガ[編集]

SC-3000
SG-1000(後期モデル)
下記ソード社M5やMSX1が基本設計の基にあるとされている。Z80を搭載するキーボード一体型コンピュータとして発売された。その後のセガの商品展開からゲーム専用機のイメージを受けるが、ディスクドライブや通信機能、プリンタポートやRS-232Cシリアルポートを備えた拡張ボックス(スーパーコントロールステーション)が発売されるなど、本格的なパソコンとしてのハード展開もなされていた。SC-3000発売と同時にキーボードを廃したゲーム特化モデル「SG-1000」(オプションの専用キーボード(SK-1100)を接続するとSC-3000と同等になった。)も発表された。SCは「Sega Computer」、SGは「Sega Games」の略である。
SG-1000はツクダオリジナル(オセロマルチビジョン)・パイオニア(SD-G5)から互換機も発売されている。セガは市場の求めるままに、即座に改良を加えたSC-3000HやSG-1000IIなどを発売し、各国の代理店を通じて海外でも展開されたが、以降、特に日本国内市場では振るわなかった。マークIIIマスターシステムメガドライブと、互換性を廃したセガサターンの登場までその系譜は続いているが、時代の流れ通りそれはもはや「(ホビー)パソコン」ではなく、ゲーム専用筐体となっていた。SC-3000・SG-1000兄弟の発売日(1983年7月15日)と同日に発売されたのが、任天堂のゲーム専用機「ファミリーコンピュータ」であることも奇縁である。

ソード(タカラ)[編集]

M5 海外版(CGL社)
1982年に発売。当初は爆発的に売れたが、翌年、各社のMSXや任天堂社のファミリーコンピュータが発売されると失速し、一部の付属BASICを省いた「M5 Pro」名義の廉価販売モデルや、より家庭でのゲーム用途に特化した「M5Jr.」と呼ばれる廉価な新型を出すも1984年に撤退した。当時人気のあったナムコ製のアーケードゲームが多数移植供給された。BASICやゲームはカートリッジや外部接続のカセットテープで提供された。互換性はないが、前述のセガ社のSC-3000はこのM5の設計が基になっているとされている。発売と同時に玩具メーカーのタカラからもOEM供給され、玩具店を販路とする販売がされた。こちらはジョイパッド付での販売だった。

カシオ[編集]

1983年発売。定価29,800円。通称「楽がき」。Z80を搭載し、BASICを内蔵した国産パソコンとしては当時最も廉価であり、販売対象として市販移植のゲームもしたいが、プログラミングもやってみたいというエンドユーザーを意識していた。パソコンとしては使用できない廉価版(ゲーム専用機)の「PV-1000」があり、性能はほぼ同等だが一部互換性がなく、ソフトウェアは別に供給されていた。ゲームソフトはカートリッジ形式で提供され、コナミ社やナムコ社のアーケードゲームが移植されていた。

任天堂[編集]

ファミリーベーシック セット
1984年発売。厳密には「ホビーパソコン」ではない。ゲーム専用筐体のファミリーコンピュータに、BASIC言語を搭載したカートリッジと専用キーボードを接続して使用する。プログラムの保存には乾電池によるバックアップもしくは、キーボードに接続する専用データレコーダか、民生品のカセットレコーダを必要とした。ハドソン社の「Hu-BASIC」を基本とした、ハドソン・SHARP・任天堂の共同開発によるNS-Hu BASICが動作する。整数を前提とした設計や、実行メモリの少なさ、使用できるキャラクタが固定という機能の限界(制限)もあり、このセット自体は爆発的大ヒットとはいかなかったが、ゲーム少年達がゲームの製作に興味を持ち、プログラミングを始めるよいきっかけとして機能した。マイナーチェンジされた幾つかの版のROMカートリッジと、内蔵インターフェイスを削除し、機能強化とユーザ空間の増設を行ったV3が存在する。MSXなどのゲームパソコンとは異なり、キーボードをゲーム用コントローラーの代用とすることはできない。

その他[編集]

ソニー「HiT BiT」 HB-75
パナソニック FS-A1WX (MSX2+)
東芝・日立・ソニー・三洋といった家電メーカーや、富士通・カシオ計算機といったコンピュータメーカー、ヤマハなどのチップ生産に強いメーカーが結束してさまざまな自社色を打ち出しながらも共通仕様で安価なホビーパソコンを発売していた。MSX2などの上位規格に移行し、16ビットパソコンへと移行したが、同時代に勢力を伸ばし始めた家庭用ゲーム機に追い越される格好で姿を消した。
スーパーインポーズ機能を備えテロップエディターとして映像機器分野で生き残ったほか、規格が書籍としてドキュメント化されていること、ユーザ数が多いことなどから、ユーザベースで各種インターフェイスや、音声、映像の拡張機器、拡張メモリなどが、開発、頒布されることもあった。2000年代に入っても熱狂的な愛好者層も存在し、エミュレータの開発やワンチップ化したMSXなど現在でも動きのある数少ない8ビット世代のプラットホームである。

日本国外(主に米国)[編集]

Amiga 500

アメリカを中心とする欧米では、家庭用の趣味に供されるパソコンの市場に、メインフレームなどを製造していた大手コンピュータメーカーは関心を示さず、新興パソコンメーカーの独擅場となっていた。カンブリア紀の種の爆発のごとく、多数の新しいマシンが生まれては消えていった。中には長く愛されたマシンもあり、現在でもファンが活発に活動している機種もある。また、近年ではこの時代のマシンを収集するホビーストもいる。結局、ホームコンピュータはPC/AT互換機と新世代のゲーム機に分岐していった。

多くのホームコンピュータはその特徴が似ている。安っぽいキーボードテレビに接続して20 - 40行の表示をする。記録媒体としてどこにでもあったカセットテープを使うか、時には本体よりも高価なフロッピーディスクドライブを使った。後者は内部機構が本体よりも複雑なため、製造コストがかかり、結果として本体より高くなる場合もあった。ホームコンピュータは子供がいる中流家庭をターゲットと想定しており、その購買層に買ってもらうために徹底的にコストダウンを図り、結果として非常に安っぽいものになっていた。

現在のパーソナルコンピュータはオペレーティングシステム (OS) が必要だが、ホームコンピュータの多くはOSの代わりにBASICインタープリタROMに内蔵していた。これらホームコンピュータの多くは8ビットマイクロプロセッサを使用し、主にモステクノロジー6502ザイログZ80が使われた。

ただホビー用途とはいっても、フロッピーディスクが普及し始める頃になると日本語環境の整備が遅れ足を引っ張った日本のホビーパソコンとは違い、ASCII文字のみで作文が可能なこともあり、実用的な英文ワードプロセッサとして、タイプライターの代用品としても利用されていったなどの事情も垣間見られる。

アップル インコーポレイテッド[編集]

本体上に2台のフロッピードライブ、さらにモニタを載せた Apple Ⅱ
ホビーパソコンの草分け。世界で初めて個人向けにオールインワンの製品として提供されたコンピュータ製品であり、それまで一部の愛好者向けだったマイクロコンピュータを一般消費者に受け入れられる商品とした。コンパクトな筐体に必要なソフトウェア・周辺機器を内蔵しており、コンセントにつないで家庭用テレビに接続すればそのまま使えるのが画期的だった。標準の構成でもカラー表示と音声出力が可能であり、専用のゲームが多数開発された。米国では Home Computer(家庭用コンピュータ)というジャンルを生み出し、教育市場でも1990年頃まで広く使われた。
なお、同社の製品でMacintoshを「ホビーパソコン」に含める場合もある。当初Macintoshはアップルの販売していた業務用パソコンLisaの廉価版としての性格が強く、DTPを含めたビジネス用途を視野に入れ、当時のパソコンとしては珍しくネットワーク機能を標準搭載するなど業務用を意識した仕様だった。一方でビデオ表示回路は簡素なもので、画面表示は白黒表示のみ(描画ルーチンのQuickDraw自体はカラーに対応しており、1987年Macintosh IIでカラー化)、比較的高額であるなど、明らかにホビーパソコンとは異なる性格を持っていた。しかし、QuickDrawによる柔軟なグラフィック機能を生かし、豊富なゲームソフトが登場。低価格でカラー対応のMacintosh LCの登場以降はホビーパソコンとしての要素も併せ持つようになっていく。

コモドール[編集]

PET 2001
同社が日本向けに開発・販売したとされる。ソフトウェアはカートリッジで供給され、画面表示以外の外部接続端子は一切ない。つまり「キーボードがありBASICが内蔵されているゲーム機」とも看做すことができる。日本ではVIC-1001よりも廉価で発売され、世界的に売り出す方向だったともされるが、すぐ後にコモドール64が発売されたこともあり、日本以外で販売された形跡に乏しい。

その他のアメリカのホームコンピュータ[編集]

イギリスのホームコンピュータ[編集]

関連項目[編集]

日本では同誌への自作プログラム掲載が、プログラマーに憧れる少年少女にとって一種のマイルストーンとなった。
パソコンは高価で購入できないが、コンピュータに関心のある向きが、この安価なコンピュータを利用した。
趣味のためのポケットコンピュータも買えなかった層の俗称。「持たない」+「コンピュータ」のかばん語であるが、持たないながらも学校の備品などで触れる機会がある者の中には、その限られた時間の中で果敢にもプログラムを制作、プログラム投稿誌に投稿する者もいた。

外部リンク[編集]