ファミリーコンピュータ

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ファミリーコンピュータ
Famicom.jpg
ファミリーコンピュータ (HVC-001)
メーカー 任天堂
種別 据置型ゲーム機
世代 第3世代
発売日 日本の旗 1983年7月15日
アメリカ合衆国の旗 1985年10月18日
カナダの旗 1986年2月
欧州連合の旗 1986年
オーストラリアの旗 1987年
CPU リコーRP2A03
対応メディア ロムカセット
クイックディスク
ディスクシステム
コンパクトカセット
スタディボックス
ファミリーベーシック
対応ストレージ バッテリーバックアップ
コントローラ入力 ケーブル接続
(着脱は要改造)[1]
外部接続 15ピン拡張コネクタ
オンラインサービス ファミリーコンピュータ
ネットワークシステム
売上台数 日本の旗 1,935万台
アメリカ合衆国の旗 3,400万台
世界 6,191万台[2]
最高売上ソフト スーパーマリオブラザーズ
互換ハード ファミコンテレビC1
ツインファミコン
編集ファミコン
前世代ハードウェア テレビゲーム15
次世代ハードウェア スーパーファミコン
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ファミリーコンピュータ (Family Computer) は、昭和58年(1983年7月15日任天堂より発売された家庭用ゲーム機メーカー希望小売価格は14,800円。型番はHVC-001。HVCはHome Video Computerの略である。日本国内での略称・略記はファミコンFC。平成25年(2013年)7月15日に発売30周年を迎えた。

概要[編集]

ゲーム&ウオッチの事業を成功させた任天堂が、その利益を投入して開発した家庭用ゲーム機である。当時アーケードゲームで人気を博していたドンキーコングが見劣り無く家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して開発された[3]アタリショック以後、細々と次世代の様々なゲーム機が提案されては消えていたゲーム機市場が続いていたが、本当にゲームに必要な要素のみに絞り込みゲーム機自体を再定義することにより後のゲーム機の雛形となった。また、このゲーム機の発売がアタリショック以後の近代的なゲーム文化の始まりとなった。[要出典]

開発は1981年11月[3]頃より、当時業務用ゲーム事業の縮小によって[4]手の空いていた開発第二部[3]上村雅之らアーケードゲームの開発陣)が行った。開発開始の直前にコレコ社がコレコビジョンの試作品を任天堂に持ち込んでおり、その性能に開発第二部の技術者たちは驚くとともに、今後開発すべき製品のイメージとしてコレコビジョンを据えた[5]。「ファミリーコンピュータ」の名前は上村雅之が付けた(上村が名称を妻に伝えたところ、妻は「日本人はファミコンて略すに決まってる」と言ったという)。本体にえんじ色が使われているのは当時の社長の山内溥が好きな色だったためで、社長命令により決定[6][注釈 1]8ビットCPUを搭載し、ゲーム機本体のスロットに差し込むロムカセットを交換することにより様々なゲームを楽しむことができる。当初はアーケードゲームが家庭で出来ることをセールスポイントにしており、製品パッケージにも『家庭用カセット式ビデオゲーム』と銘打たれていた。本体と同時発売したゲームソフトは『ポパイ』、『ドンキーコング』、『ドンキーコングJr.』の3本である。追加投入されたゲームも当初は『マリオブラザーズ』などアーケードゲームからの移植作が中心となった。すでに知名度のあるソフトウェアを移植するこの手法は、宣伝費の削減に貢献した[3]。当時、汎用ICを搭載していることが多かった他社のゲーム機やパソコン等と比較して、グラフィック面に特化して設計されており、80年代前半のアーケードゲームと比べてもあまり遜色の無いグラフィックを高いフレームレートで描画できた(例:スーパーマリオブラザーズ)。

販売状況は発売当初こそPPUのバグの発覚による出荷停止があり振るわなかったものの[4][注釈 2]、徐々に人気化し1年間で300万台以上を販売した[4]1985年には『スーパーマリオブラザーズ』を発売。この作品は大ヒットとなり本体の販売にも大きく貢献し、家庭用ゲーム機の市場を大幅に拡大させていった。同年、アメリカNintendo Entertainment System(ニンテンドーエンターテインメントシステム、略称:NES)としてアメリカでも発売され、アタリショック以来冷え込んでいたアメリカのテレビゲーム産業を復活させた。

最終的な出荷台数は全世界累計で約6,291万台を記録した。内訳は日本で約1,935万台、日本以外で約4,356万台である。

現在、ファミリーコンピュータの一部のゲームソフトはWiiWii Uニンテンドー3DSの配信サービスであるバーチャルコンソールでもプレイ可能である(ただし、いわゆるポケモンショックの影響により画面の明度が下げられていたり、点滅表現が抑えられているなどの修正が加えられたソフトが多数ある。)。

仕様[編集]

少ない主記憶、表示解像度の低さなど、汎用のコンピュータとしては貧弱な仕様ではあるが[8]、コストと性能のバランスを考慮した上で割り切った設計になっている。主記憶は、レイテンシを考慮しSRAMで構成され、ROMカートリッジによる供給も、二次記憶装置からのロードなどを必要とせず、RF出力を前提に新規に起こされた表示回路、デューティー比の変更が可能な矩形波と、ノイズ、三角波、DPCMが使用可能で、カートリッジの回路とミキシング可能な音源周り等、他の汎用チップで構成された低価格帯のコンピュータや、ゲーム機に対し、その発売されたソフトウェアもあいまって、特にキャラクタが多く動くリアルタイムゲームの実行という主目的に対して大きなアドバンテージを示した。[注釈 3]

仕様は下記の通り[9]

  • ロムカセット(カートリッジ)によりゲーム内容を交換できる方式である。
  • CPU:リコーRP2A03MOS 6502にサウンド用DACおよびDMA転送機能を追加し、BCD演算機能を削除したカスタムチップ。1.79MHz動作)
  • 音源pAPU 上記のとおり、CPUに組み込まれている。下記の項目に詳述。
  • ビデオ用PPU:リコー製 RP2C02
    • ラスタ検出可能(0番スプライトの表示ラインによる)
  • ワーキングRAM:2kバイト(16kビットSRAM
  • VRAM:2kバイト(16kビットSRAM)
  • 表示画素数:横256ドット×240ライン(TVの表示範囲に入るのは上下から8ドットずつ差し引いた224ライン)
  • 色表示性能:52色から56色まで諸説(数え方による)
    • 表示色の数が中途半端になるのは、RGBでの指定ではなく、NTSC信号を直接生成する方式のため、与えるパラメータは、64種であるものの(有彩色12色相+無彩色2系統)×輝度4階調で構成され、一部が重複しているため。
    • ファミリーベーシックの取扱説明書では52色と記述がある。
    • 最終的に宮本茂が色を選択したと取れるドキュメントや記事もあるが、実際の仕様は色を一色ずつ選んで指定するようにはなっておらず、「色」を選択したのではなく、52色という色表現の選択幅を決定したとするのが正しいと考えられる。
  • 同時発色数:25色
    • スプライト用、BG用それぞれ4パレットで、1パレットは4色で構成されるが、うち1つは全パレット共通色(スプライトの場合は透明色)となる。8パレット×3色+共通1色=25色
  • スプライト(オブジェクト):サイズ8×8ドットまたは8×16ドット1画面中に64枚表示可能(水平には8枚まで)
    • スプライトのキャラクターパターン(グラフィック)は64種類定義できる。
    • スプライトは、水平・垂直反転可能。
    • スプライトの表示位置は、BGの手前か後ろかを選べる。
  • BG画面:256×240の領域を2画面(追加VRAMにより最大4画面)
    • BGキャラクターはスプライトと同じく8×8ドットを256個。ただし、スプライトとは別にBGキャラクタセットを持てる。
    • 色は16×16ドットの範囲ごとにパレットで指定。
    • 内部的には256×240の領域を4つタイル状に並べた画面を構成し、そのうちスクロールレジスタによって指定された256×224の領域が表示できる。ただし、本体内のVRAMは2領域分しか用意されていないので、ロムカセット内の結線によって縦または横方向にミラーされる。したがって、ロムカセットごとに縦スクロールをするか横スクロールをするかによって、都合のよい方を選択している。ソフトから切り替えられるようにしたロムカセットもある(下記MMCの項を参照)。また、ロムカセット内にVRAMを追加し、4領域をすべて使用することもできる。
    • 前述の制約から、カートリッジ側での拡張機能を使わずに上下左右にスクロールするゲームは、ミラーされている方向へのスクロールの際は、画面端でBGキャラクターの描き換えがチラついて見える。
    • PPUの制約から、テレビへの信号出力とBG面の描き換えを同時に行えない。このため、通常はVSYNC期間中にBG面の描き換えを行うが、一度のVSYNC割り込み期間内で描き換えられるのは32キャラクターに制限されている。このため、『ウィザードリィ』のような画面全体のキャラクター描き換えによる擬似3D視点タイプのゲームでは、テレビへの信号出力を止め(ブランクの信号を出力)、その間に画面全体を描き換える。このため、画面を描き換える度に画面全体がチラつく。なお、描き換え時にティアリングが発生しても問題ない場合はこの限りではない。
  • ACアダプタ端子、RF出力端子
    • コンポジットビデオ端子は発売当時は装備していたテレビが少数だったこともあり、搭載されなかった。基板から出る映像信号にアンプ回路を組み込み配線を引き出すことで、容易にコンポジット映像信号を出力させることができる。
    • RGBは出力していない(PPUをRGB出力を持つRP2C03 / RP2C05へ交換した上で配線を引き出すなどの改造が必要)。
  • 1ch / 2chチャンネルセレクトスイッチ(RF出力先)、ゲーム / テレビ切り替えスイッチ
  • 初期にはなかったが、後にこれらの機能を説明するための漫画「これがファミリーコンピュータだ!! ファミリーコンピュータ編」が同梱されるようになった。
  • 15ピン拡張コネクタ - ジョイスティックキーボード光線銃などが接続可能、独自規格。初期を除きカバーが付属。
  • カートリッジイジェクトスイッチ、電源スイッチ(スライド式)、リセットボタン、コントローラ×2(本体筐体内コネクタにて接続)
CPU RP2A03E 
PPU RP2C02E 
メイン基板(後期型) 

筐体[編集]

筐体のえんじと白を基調としたカラー配置は、当時最も安価な部材の色だったためとよく言われているが、ファミコンの開発者である上村雅之によると、実際のところは山内社長が好きな色で、当時山内が着ていたマフラーの色だったという[10]。またプラスチックの筐体はコスト的には廉価だったスチール製のボディがあまりに脆かったため、強度的に勝るプラスチックに変更したもので、コストが理由との噂を明確に否定している。[注釈 4]

コントローラ、マイク[編集]

改良後のコントローラ外観

十字ボタン、A / Bボタン、START、SELECTボタンをそなえたコントローラを、本体に直接接続した形で2つ持つ。横長の板状で左に十字キー、右にボタンを複数個配置した形態は、その後のゲーム機のコントローラの雛形となった。初期に製造されたコントローラーはA・Bボタンが四角いシリコン樹脂(シリコンゴム)製だったため連打がきかず、ボタンを酷使するとシリコンゴムがちぎれてボタンが抜ける問題があり、後に丸いプラスチック製のものへと改良がなされた[注釈 5]。また、この四角ボタンの最初期の出荷分(発売日から半年分)に関してはコントローラのケーブルが灰色になっている。RFスイッチは黒いままである。コントローラは本体に直接接続されているが、交換用に店頭で販売もしており、本体を分解すれば自分で交換することもできる。ボタンを含むコントローラの外装パーツのみでの販売もあった。

コントローラII(IIコン、ツーコン)にはマイクを搭載しており、ある一定以上の大きさの音声が入力されているかどうかをソフト側で判別できた。この機能を利用した主なゲームには『バンゲリングベイ』や『スターラスター』、『たけしの挑戦状』、『ゼルダの伝説』、『ドラえもん(ハドソン版)』、『スターソルジャー』、ファミリーベーシックなどがある。しかし、これも故障の原因となることがあった。また、本体の製造時期によってオン / オフの判別が逆にされたため、ゲームに有効な形でこの機能を利用するのは困難だったといわれる。後に発売されたAV仕様ファミリーコンピュータでは、この機能は削除され、セレクトボタンなどで代用されるようになった。

2005年9月13日に任天堂より発売された携帯ゲーム機、『ゲームボーイミクロ』のカラーバリエーションの一つである『ファミコンバージョン』は、このコントローラーのデザインが元になっている。また、クラブニンテンドー会員専用景品としてIIコンバージョンのフェイスプレートも存在する。これをファミコンバージョンに装着すればIIコンバージョンとなる。

コントローラーのボタンの数は十字キーを4キー分として8キーである。現行のゲーム機のコントローラと比較して決して多くないが、当時はこれらの数のボタンをテレビ画面を見ながら一度にどうやって操作するのかという論争が一部のゲーム専門誌の中にあった。

音源[編集]

ファミコンに搭載されている音源はCPU内に組み込まれている。この音源により奏でられるBGMが「ピコピコ」と言うゲームに対するイメージの1つを作り上げた。PSGとも呼ばれる事があるが、あくまでPSGを参考にして新規に設計された音源でありPSGそのものではない。

以下、ファミコン音源の仕様と実際のゲームでの使われ方を挙げる。

  • パルス波(矩形波)発生装置 - 2系統
    • デューティー比 3:1, 1:1, 1:3, 1:7 切り替え
    • 音量を15段階に設定できる。減衰音の使用もできるが低機能で、ほとんどのゲームソフトではソフトウェアでリアルタイムに音量を変化させて表情をつけていた。
    • 主にメロディライン、サブメロディに使われた。
  • 三角波発生装置 - 1系統
    • 4bit波形
    • 音量は仕様上固定だが、DPCMと絡んだバグに近い挙動が存在し、若干音量が変わる。
    • 理想的な三角波と比較してかなり歪んだクセのある音が鳴るが、むしろそれが独特の印象を与えている。
      • いわゆるファミコン互換機ではファミコン三角波のこれら特徴を再現していないものが多い。
    • ベースラインに使われる事が多かったが、高域では正弦波に近い音に聞こえるので、木管楽器系の印象を出すためのメロディラインにもよく使われた。
  • ノイズ発生装置 - 1系統
    • 擬似ホワイトノイズ・短周期ノイズ切り替え、周波数変更、15段階の音量設定が可能。
    • ホワイトノイズは爆発・打撃音などの効果音として使われる事が多かった。
    • 音楽ではドラム系やハイハット的な利用が多かった。
    • 短周期ノイズは金属的な響きがある。
      • 最初期型(コントローラのボタンが四角いゴム)のファミコンでは短周期ノイズを指定しても通常のホワイトノイズが鳴った。
  • DPCM - 1系統
    • レジスタは7bit幅だが、下位1bitがハード的に無視されているため、実際上6bitのデルタPCMとなる。
    • 再生周波数(再生速度)を16段階に変更できる。これは単純な比ではなく音階となるよう設定されており、下位から CDEFGABCDFGACEGC となる(C毎にオクターブが上がる)。
    • サンプリングされた効果音を鳴らすのに利用されたが、カートリッジの容量に対し、大きなデータを必要とするため、積極的に使われるようになるのは後期に入ってからである。
    • 音楽としては、発音の短いバスドラムタムタム他、パーカッション系の音を出すのによく使われた。
  • ミキサー

生成された音声はミキサーを通した後、さらにRFに変換されて出力される。ニューファミコンではオーディオ端子に出力される。この回路や部品が本体の製造時期によって異なるため、同じファミコンであっても本体によって音量バランスや高音域などの出方が異なる。製造期間が長いゲーム機ならではの現象といえる。

なおRF変換の際に高音域がかなり減退しているためAV出力されるニューファミコンではだいぶニュアンスが違って聞こえる。一部ゲームメーカーのサウンドトラック製作では音質追求のため、RF変換される前の信号を直接取り出すよう改造された本体を使って収録したという逸話もある。

MMC[編集]

メモリ空間が64kバイトしかなかったため、中期以降のファミリーコンピュータの歴史は、メモリサイズを確保するためのさまざまな工夫が施される。ディスクシステムの登場もその一環といえる。

その中でも最も多く使われた方法がMMC (Multi-Memory Controller) である。MMCはプログラムROMおよびキャラクタROMをバンクに分割し、必要に応じて切り替えるためのゲートアレイであり、カートリッジ内に搭載されている。MMCには実際に実用化されたものだけでも6種類が存在し、スクロール方向の制御などのPPUを補う機能のほか、バッテリーバックアップメモリ、割り込みを発生させるタイマカウンタ(ラスタースクロールなどで活用される)を搭載したものなどもあった。この方式は同社のゲームボーイにおいてもMBC (Memory Bank Controller) として使用されることになる。

MMCと類似のICはサードパーティー各社で開発されており、コナミのVRCチップ等がある。

バリエーション[編集]

AV仕様ファミリーコンピュータ[編集]

AV仕様ファミリーコンピュータ (HVC-101) と専用コントローラ (HVC-102)
AV仕様ファミリーコンピュータの全体
AV仕様ファミリーコンピュータ用RFモジュレータ (HVC-103)
ファミリーコンピュータとAV仕様ファミリーコンピュータの比較

1993年12月1日には新型機AV仕様ファミリーコンピュータ(エーブイしようファミリーコンピュータ)が発売された。当時のメーカー希望小売価格は税込7,000円。

この名称は他のゲーム機ではすでに主流となっていたコンポジットビデオ出力によるテレビ接続が可能となったことに由来する。製品の箱には AV仕様ファミコンの略称が記載された。さらにテレビCMで用いられたニューファミコンの通称もあり、一般にはこの名で呼ばれることが多い。

当初は10月をメドに発売される予定だったが、RF出力からビデオ出力への仕様変更により延期された。北米にて先行発売されたNES2では逆にAV出力が省かれ、RF出力のみとされた。

AV仕様ファミリーコンピュータはコストダウンを図った廉価機として発売されたものの、ディスクシステムなど従来の周辺機器もほぼ全て使用でき、取り扱いも容易となったことからレトロゲームの愛好者からは珍重された。中古市場ではAV仕様ファミリーコンピュータの方が台数が少なく高値な場合が多い。

ACアダプタとRFスイッチは旧型機やスーパーファミコンとの共用が可能との理由で別売とされた。コントローラやAVケーブルなど旧型機に使用できないAV仕様ファミリーコンピュータ専用周辺機器にはNEW FFマークが付けられた。任天堂以外から発売されたNEW FFマーク付き周辺機器にはNewホリコマンダー等がある。

旧型機 (HVC-001) との主な変更点は以下のとおり。

本体とコントローラのデザイン
NESと同様薄い灰色を基調とし、スイッチやボタン類には赤色、濃い灰色、黒色が配色された。コントローラはスーパーファミコンのように丸みと立体感を持たせAボタンの位置を変更するなどより操作しやすいように改良された。これらのデザインはカセット差込口を除きNES2と共通する。
映像・音声出力
コンポジットビデオ出力に対応し、煩わしいRF接続が不要となった。テレビとの接続には、スーパーファミコン用のモノラルAVケーブルまたはステレオAVケーブルを使用する。ただしステレオAVケーブルで接続した際も左右のチャンネルに同じ音声が出力される[12]。また、S端子ケーブル、RGBケーブルは使用できない。RF出力端子は搭載されておらず、RF接続するには別売部品のRFモジュレータ (HVC-103) が必要となる。
カセット挿入部
カセット挿入部の蓋はカセットの抜き差し動作と連動し自動開閉するようになった。旧型機に搭載されたカセットイジェクタ機構は削除されたため、カセットは直接手で引き抜かなければならない。
コントローラ接続端子
本体前面には新型コントローラを接続するための端子部を新たに装備した。この端子形状はNESと同一である。旧型機の本体前面に存在した拡張端子は本体側面に用意され、連射コントローラ、外部記憶装置など周辺機器との互換性は保たれた。
コントローラの機能
コントローラは本体からの取り外しが可能となり、I / IIコントローラの区別がなくなった。旧型機のIIコントローラに搭載されていたマイク機能は削除された。

AV仕様ファミリーコンピュータは、スーパーファミコンの廉価機「スーパーファミコンジュニア」とともに2003年9月をもって製造出荷を終えた。最後に製造されたAV仕様ファミリーコンピュータは任天堂が保管し、2003年-2004年にかけて開催されたテレビゲームの展覧会レベルXでは「ラストファミコン」の名前で展示された。このラストファミコンの製造年月は2003年9月25日、製造番号はNH11033309である。

ファミコンボックス[編集]

ファミコンボックスの例。

ファミコンボックスとは1986年に任天堂がリリースした業務用向けファミリーコンピュータである。

本体内に最大15個のファミコンソフトを内蔵する(交換可能)。主にホテル旅館に設置されており、本体に設置されているコインボックスにコインを入れると本体に内蔵されたファミコンソフトを10分または15分間遊ぶことができる。リセットボタンを押す事で制限時間内であれば、他のゲームに切り替えることができる。

制限時間1分前にはプレイ画面の明滅と共に警告音が鳴らされ、さらにコインを入れるとプレイ時間が追加される。コインを追加しない場合はゲームの進捗にかかわらず「Time Up」と表示し強制終了する。課金方式は設置者により他に2種類(ビジターキー方式、CATV方式)あり、この場合は制限時間はない。プレイ中以外は内蔵されたソフトのデモ画面を順番に繰り返して表示する。

付属のコントローラーと光線銃はNESから流用され、ファミコンボックスのソフトもNESと同じ形状のカセットになっている(ただし、NESとの互換性はない)。 シャープ版の「ファミコンステーション」もある。

2013年現在でも、佐渡汽船カーフェリー内や一部の旅館などでファミコンボックスが稼動しており、実際に遊ぶことが出来る[1]

類似品として北米市場には “Nintendo M82” が存在するが、こちらは店頭でゲームをテストプレイするための販促用デモ機であった。

1990年には後継機として、業務用向けスーパーファミコンのスーパーファミコンボックスがリリースされた。

周辺機器[編集]

ファミリーコンピュータ用カセット
アルカノイド専用コントローラ

任天堂純正[編集]

型番 名称 備考
HVC-001 ファミリーコンピュータ 1983年7月15日発売。本体カラーは白と赤。1993年12月1日には一部の機能を廃止し、小型化した「AV仕様ファミリーコンピュータ(Newファミコン)」も発売された。AV仕様ファミリーコンピュータについては後述。
HVC-002 ACアダプタ ファミコン本体付属。AV仕様ファミリーコンピュータ、スーパーファミコン、スーパーファミコンJr.、バーチャルボーイ(ACアダプタタップが別途必要)と共用。
HVC-003 RFスイッチ ファミコン本体付属。テレビとRF接続する為に使用。スーパーファミコンと共用。オプション使用でAV仕様ファミリーコンピュータ、スーパーファミコンJr.、NINTENDO64にも使用可能。
HVC-004 75Ω / 300Ω変換器 75Ω同軸ケーブルを300Ωフィーダ線に変換する。
HVC-005 光線銃シリーズガン ファミリーコンピュータ用の光線銃。
HVC-006 光線銃シリーズホルスター ガンを腰に下げるホルスター。
HVC-007 キーボード ファミリーベーシックに付属するキーボード。
HVC-008 データレコーダ 対応ソフトのデータをカセットテープに保存できる。
HVC-012 ファミリーコンピュータ ロボット ゲームと連動して動かせるロボット。光線銃の技術を応用したもの。
HVC-021 ディスクカード ファミリーコンピュータ ディスクシステムの記録媒体。クイックディスクがもとになっている。書き換えができ、通常の黄色のものとシャッターが付いている青色のもの等がある。
HVC-022 ディスクドライブ ファミリーコンピュータ ディスクシステムの読み込み装置。専用ACアダプタ、もしくは単二乾電池6本で駆動する。
HVC-023 RAMアダプタ ディスクドライブとファミリーコンピュータ本体を接続する機器。
HVC-025 ディスクドライブ専用ACアダプタ ディスクドライブの電源の一つ。DC端子が現在主流のタイプではない特殊なACアダプタ。
HVC-026 RF延長コード RFケーブルを2メートル延長することができる。
HVC-027 カードクリーナー ディスクカードをクリーニングする機器。
HVC-028 カートリッジ ディスクカードをクリーニングする機器。
HVC-029 クリーニングスプレー クリーニングカードに吹きかけて使用する洗浄液。
HVC-030 クリーニングカード ディスクドライブのディスクヘッドをクリーニングする機器。
HVC-031 3Dシステムスコープ 対応ソフトの映像を立体的に見ることができる。
HVC-032 3Dシステムアダプタ 3Dシステムとファミリーコンピュータを接続するアダプタ。
HVC-050 通信アダプタ ファミリーコンピュータでネットワークシステムに接続でき、株取引などが可能。
HVC-051 通信コントローラ 通信アダプタに付属するコントローラ。横長でテンキー状のボタンが付いているのが特徴。通常のゲームソフトにも使用でき、操作性も良い。
HVC-053 モジュラーケーブル 電話線。市販品で代用可能。NINTENDO64のモデムや、ニンテンドーゲームキューブのモデムアダプタにも付属している。
HVC-054 テレフォンスイッチ 電話線を分岐させることができる機器。市販品で代用可能。
HVC-101 AV仕様ファミリーコンピュータ 通称Newファミコン。コントローラが取り外せるようになり、マイクが廃止された。AV出力になり、安定した画質が出力できるようになった。なお、テレビとの接続はスーパーファミコンなどと共通のケーブルを使用するが、モノラルケーブルとステレオケーブルしか使用できない。RF出力にはRFモジュレータを使用する。
HVC-102 コントローラ AV仕様ファミリーコンピュータ専用のコントローラ。初代ファミリーコンピュータには使用できない。初代ファミリーコンピュータ専用のものと大きく形状が変わり、I / IIコントローラの区別がなくなった。
HVC-103 RFモジュレータ AV仕様ファミリーコンピュータ専用のRFモジュレータ。RFスイッチを接続する為に使用する。
HVC-BS ファミリーベーシック ファミリーコンピュータで簡単なプログラムの作成などが出来る機器。
SHVC-007 モノラルAVケーブル AV仕様ファミリーコンピュータとテレビを接続するためのケーブル。スーパーファミコンNINTENDO64ニンテンドーゲームキューブ共用。本来はスーパーファミコンの周辺機器。
SHVC-008 ステレオAVケーブル AV仕様ファミリーコンピュータとテレビを接続するためのケーブル。このケーブルを使用してもステレオ音声にはならない。スーパーファミコンNINTENDO64ニンテンドーゲームキューブ共用。<本来はスーパーファミコンの周辺機器。
NUS-009 RFスイッチUV RFスイッチの改良版。スーパーファミコンNINTENDO64共用。本来はNINTENDO64の周辺機器。

他社発売[編集]

グッズ[編集]

ファミコンの人気が出始めた1984年頃から早くもハードウェアやキャラクターを立体化した「消しゴム」がカプセルトイ自販機にて街中の玩具店等で売られ始めた。その中には任天堂の許諾商品があったが、文字を一部入れ替えた無許諾商品も存在した。また「ポケットファミコン」と言う任天堂許諾商品のキーホルダー(ケースはカセット用を流用)、そしてロッテからは食玩の「ファミコンチョコ」が、サードパーティによるゲームソフトのボードゲーム等数多くの関連商品が売られた。

ファミコンの製造が終了した2003年以降、本体やコントローラーを模した形のグッズが出るようになった。キーホルダー・クッション・時計など様々なものが発売されている。懸賞プレゼントやプライズゲーム用景品など、非売品として世に出るものも多い。これらは子供時代にファミコンに親しんだ人々を主な対象とし、懐かしさを喚起する商品として企画される。グッズではないが、ゲームボーイアドバンスSPゲームボーイミクロには本機をイメージしたカラーバリエーションがある。

人気要因[編集]

ファミリーコンピュータが発売された1983年当時、家庭用ゲーム機は日本ではすでに普及しつつあった。エポック社カセットビジョンなどがその主な製品である。またファミリーコンピュータが採用している、ゲーム機本体とゲームソフトを別にする「ロムカセット取替え式」という仕組みは1976年に発売されたフェアチャイルドセミコンダクターの家庭用ゲーム機Video Entertainment Systemが、サードパーティーという概念は1977年にアタリが発売したVideo Computer Systemがすでに作り上げたものだった[注釈 6]。つまりファミリーコンピュータは成熟市場に後発参入したなんら新しい点のない製品に過ぎなかったが、ゲームに特化した高い性能の割に低価格という強みを活かすことで一気に業界の頂点にまでのし上がっていった。

家庭用ゲーム機業界内の後発商品としての利点もあった。アタリはファミコン発売以前に日本で大量の宣伝攻勢をかけており、テレビゲームの認知度および需要を大きく上げていた[22]。またファミコンの14,800円という価格も、ファミリーコンピュータ発売2か月前に24,800円で発売されたアタリのAtari 2800と比べて「値ごろ感」があったとされている。

当時の任天堂の販売戦略としては次のような要目があった。

低価格設定
手軽に買える価格設定を行い、親が子供に買い与えやすいようにする
高性能
パソコン的な部分を排除し、ゲーム専用機に絞ったことにより高性能化を実現する
ソフトの重視
多彩なソフトをどんどん発売し作品数拡充を図る。ユーザーが常に新しいソフトを欲しがるようにする

低価格[編集]

当時任天堂社長だった山内溥は、当初「本体価格を1万円以下に抑えよ」との要求を出しており、それを踏まえて上村雅之らのハード開発部隊は徹底的に製造費を下げる方針を採った。一例として、本体付属のコントローラがアタリのジョイスティック型ではなく十字キー型を選択したのは、「子供がうっかり踏んづけても壊れにくい」構造にするという理由もあるが、主眼は製造費用の抑制のためである[23]。さらに当初コントローラはコネクタ接続を予定していたが、コスト低減のためにコネクタを省略して本体直付けとした[24]。また本体のプラスチックが白と赤の二色となったのも「プラスチックの中で最も原価が安いものを選んだ」結果である[23]。ただし本体の色については「山内の指示で赤が選ばれただけで、製造費低減のためではない」とする説もある[25]。またこれまでのゲーム機は主に玩具流通で販売されていたが、ファミリーコンピュータはディスカウントストアでも販売され、価格も9,800円と値下げされていた。14,800円でも敬遠していた一般層がこれを機に購入するようになり、爆発的な人気に発展したとされている[22]。ただし値下げ販売を快く思わなかった任天堂は、値下げ店への対策として一時出荷を停止している[26][注釈 7]

高性能[編集]

80年代前半はまだ家庭用ゲーム機の普及率が低く、パソコンの汎用ICチップを流用することが一般的であった。結果として画面解像度は低く(100×100程度)、色数も数色程度で、画面スクロールの実現も難しいゲーム機が多かった。

任天堂は家庭用ゲーム機でアーケードで稼働しているゲームを遜色なく遊べるようにするために、当時人気のあったドンキーコングのアーケード基盤を参考に、ゲーム向けに仕様を最適化した各種カスタムIC(これはGPUの固定機能に相当する)の開発を行った。結果としてCPUの速度やメモリの容量は抑えられ機能が固定化されることで汎用性は低くなったが、強力な周辺回路の機能によりゲームの表現力を飛躍的に向上させる事に成功した。

発売半年で47万台、翌年には165万台を売り上げ、その牙城を崩す家庭用ゲーム機が競合他社から出ることはなかった。任天堂がリコーに「2年で300万台保証する」と約束したためにカスタムLSIの価格を抑えられたという話があるが、山内はこの話を否定している[27]。また、1988年に発行された書籍『電視遊戯大全』によれば、任天堂の「2,000円で売ってほしい」という要求に対し、リコーが「100万台の生産を保証するなら可能であるが、それ以下であれば不可能である」という回答をしたという記述がある。

カスタムチップのベースCPUに、当初任天堂側はアーケードゲームで使い慣れていたZ80を希望したが、リコー側は自社がロックウェルからライセンスを取得していた6502を使うことを推奨した。リコーは「6502を使うとチップ面積がZ80の1/4になりコスト面で有利なほか、日本国内で6502はあまり普及しておらず他社に真似されにくい」との理由で6502を勧め、任天堂側でも検証の結果「画像表示用プロセッサとの相性が良い」との理由で6502を採用することになった[28]。カスタムチップの仕様を決めるに当たり、宮本茂の様なゲームデザイナーの要望を取り入れたことも当時としては画期的なことだった。当初上村らが設計したチップでは最終的な本体価格が20,000円を大きく上回ることになってしまうことが判明したため、製造費低減策として使用できる色の数を減らしたり、音源の性能を落としたりする必要が出てきたが、この際最終的な色の仕様などは宮本が決定したという[29]。この様な工夫により製造費を下げつつもゲームの品質を損なわない一定の水準を確保したことも、後の人気の大きな要因となった。

リコーが選ばれた背景には、(1)三菱電機で任天堂と「カラーテレビゲーム15」の後のゲーム機用LSIの開発に携わっていた八木広満がリコーに移籍し、1980年に半導体事業に参入しており、任天堂と縁があったこと、(2)リコーは1981年4月に75億円をかけて大阪府池田市にカスタムIC専用工場を完成させたが、実績不足から顧客を獲得できず苦境にあったこと、(3)当時は世界的にIC不足で、リコー以外の半導体メーカーにとっては任天堂の望む低価格高性能なLSIを製造するよりも、高価格なパソコン用LSIを製造する方がよかったことがあった。リコーの半導体事業はファミコンの好調な売れ行きのおかげで好転し、4年で黒字転換した[4][30]

ファミコン互換機[編集]

2003年9月の任天堂の正規ファミコン製造終了後も、膨大な数の中古ファミコンソフトが日本中に流通しており、ファミコンソフトを遊ぶための本体が必要とされている。これらの需要に応えるため、および家庭用ゲーム市場が発達していない途上国向けに、2012年現在においてもファミコン(およびNES)のソフトが動作する安価な互換機が多数製造され、国内外で販売されている。

ファミコンが与えた影響とその後[編集]

非公認ファミコンソフト
パッケージデザインの盗作

「ファミコン」は、その影響力の大きさから早々に普通名称化し、年配層を中心にテレビゲームそのもののこと(特にゲームハード)を指す代名詞として用いられた。全く同じ日にセガから発売されたSG-1000SG-1000IIセガ・マークIIIエポック社スーパーカセットビジョンなど、同時期に販売された他社のゲーム機も同様に「ファミコン」と呼ばれたり、後にソニー・コンピュータエンタテインメントが発売したプレイステーションでさえも「ソニーのファミコン」などと呼ばれることがあった。

任天堂は新型機となるAV仕様ファミリーコンピュータへの生産切り換えを行いつつ、日本国内においては新作ソフトの製作・販売を終えた後も本体の製造を続けていたが、発売から20年後となる2003年の9月末、部材調達の困難などを理由として生産を打ち切った。累計販売台数約1935万台の大ヒット商品となった。

その影響力の大きさと他のゲーム機と比して圧倒的な普及率の高さゆえに当時の子ども達の遊びや話題の主流を占めるに至ったが、「ゲームに没頭し、勉強しなくなる」という理由からファミコンやコンピュータゲーム全般に対し根強い反感や嫌悪感を示す保護者や教育者も存在し、頑として買い与えないケースも見受けられ、ファミコンの保有者と非保有者との間で深刻な格差が生じスクールカーストの温床となった。

カセットは作品によって色が違っており、色以外に独自の意匠を凝らしたものも存在した。大容量のロムを採用した作品はカセット自体が大きくなっている。

また、日本を除く東アジアを中心に任天堂へライセンス料を払わずに、日本で発売されたファミコンソフトをそのまま違法コピーしたものやPCエンジン・スーパーファミコン・アーケードゲームなどから勝手に移植されたゲームなどの海賊版ファミコンソフトが出回っていることも実情である。中には日本製ゲームのパッケージデザインをそのまま盗作しているものまである。これらのほとんどは中国または韓国などで製造されている。

2011年地上波デジタル放送への完全移行が行われたことによって、アナログチューナー付きのテレビが姿を消しつつある。ファミコンはアナログテレビの電波信号を使って出力する仕組みであり、デジタルチューナーには対応していないので使用することができない。これは他のRF接続にしか対応していないレトロゲーム機でも起きている問題である。これはアナログ放送でも、ケーブルテレビなどで1chと2chが同時に使われている場合があり、似たような問題が起こっている。

アナログテレビ放送と同じコンポジット映像信号を扱えるRCA端子が備わっているテレビであれば、RF出力の信号をコンポジット出力信号に変換する周辺機器を使うか、新たに回路を組んでコンポジット映像信号を取り出すことで使用が可能になる。例えば、家庭にある古いビデオデッキなどを変換用に使うなどである。もしくは、コンポジット映像信号を出力可能なAV仕様ファミリーコンピュータやツインファミコンを使う方法がある。ごく一部では通常のファミリーコンピュータに電子回路を組み込みAV接続対応に改造する業者も存在する。

2007年10月31日をもって任天堂はファミコンおよびスーパーファミコンのサポートを打ち切った。24年にわたり修理などの依頼は受けつけていたが、本体の製造同様、部品の調達が困難になったことなどが理由とされている。

ファミコンのゲーム作品一覧[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 出版物としては、集英社『週刊プレイボーイ』第48巻第16号(2013年4月22日発売、同年5月13日no18・19合併号)に収録 p. 111
  2. ^ 初期の製品には多くの不具合があり[3]、多くのクレームが寄せられていたと言う[3]。例えば「ベースボール」と言う野球ゲームでダイヤモンドが表示されなくなると言う問題が発生するなどし、正月休みを返上して回収に当たったと上村は語っている[7]
  3. ^ 当時の多くの競合、ならびに低価格帯のコンピュータは、スプライトがあっても一キャラクタで指定できるのは単色のみであったり、スムーススクロールなどはできないものであり、高価格帯の機種は、スプライトなどはなくグラフィックス処理は、当時のCPUにとって、非常に重たい処理であった。
  4. ^ 上村雅之へのインタビューによる[11]
  5. ^ 同世代のハードウェアでは、セガSG-1000IIでこれと同様のボタン改良を行っている。
  6. ^ ただし、当時の日本ではゲームソフトのサードパーティーという概念は普及しておらず、発売当初からサードパーティーの参入が想定されていたわけではない[17]。ファミリーコンピュータへのサードパーティの参入はファミリーコンピュータが発売されて約1年後の1984年7月28日に『ナッツ&ミルク』を発売したハドソンが初めてであり、それによって日本で初めて家庭用ゲーム機のサードパーティビジネスが切り開かれるとともに、ソフト媒体の委託生産システムが生まれた[8][18]。ハドソンが参入した約1か月後にナムコが『ギャラクシアン』で2番目のサードパーティとなったが、ファミリーベーシックの開発を受託したことからハードウェアに関する知識を得られたハドソン[19][20]と異なり、ナムコはハードウェアを独自に解析してソフト開発を行っていた[21]
  7. ^ 高橋はインタビューで「そこで(任天堂の)社長さんがちょっと怒ったようで、『安く売るなら(出荷を)やめよう』となって、3カ月くらい出荷を止めたみたいです。」と語っている[26]

出典[編集]

  1. ^ NewFCのようなファミコン
  2. ^ 任天堂株式会社 連結販売実績数量推移表 (PDF)” (日本語). 任天堂. 2013年4月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f “成功の鍵「ドンキーコング」 ファミコン30歳 開発責任者に聞く”. 毎日新聞 朝刊 (東京): p. 7. (2013年7月17日) 
  4. ^ a b c d 藤田直樹「「ファミコン」開発とビデオ・ゲーム産業形成過程の総合的考察 ―現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(3)―」、『經濟論叢』第163巻5-6、京都大學經濟學會、1999年5月、 511-528頁。
  5. ^ 高野雅晴. “【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第7回:業務用機の仕様を家庭用に、LSIの開発から着手”. 日経トレンディネット. 日経BP. 2014年5月22日閲覧。
  6. ^ ファミコンの創造神・上村雅之「ゲーム&ウオッチには勝てないと思っていました」 - 週プレNEWS 2013年04月27日
  7. ^ “苦戦の任天堂 巻き返し元年 他の時間つぶしてでも遊びを追求 ファミコン開発者 上村雅之氏”. 京都新聞 朝刊 (京都). (2013年7月13日) 
  8. ^ a b 岩崎啓眞 (2012年2月7日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(3)”. 2014年7月8日閲覧。
  9. ^ NES info, programs, and demos
  10. ^ 週刊ファミ通」2013年7月25日増刊号、別冊
  11. ^ 集英社『週刊プレイボーイ』第48巻第16号(2013年4月22日発売、同年5月13日no18・19合併号)p. 111
  12. ^ ●AV仕様ファミコン
  13. ^ 沿革|自転車|ブリヂストンサイクル株式会社
  14. ^ 【ゲーム雑記】ファミコンの通信カートリッジの世界 第1回
  15. ^ 【レアソフト紹介】特殊:MCP-24(ファミコン用プリンター)
  16. ^ 【レアソフト紹介】特殊:DATESHIP1200(データシップ)
  17. ^ 岩崎啓眞 (2012年2月11日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(4)”. 2014年7月8日閲覧。
  18. ^ 岩崎啓眞 (2012年2月15日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(5)”. 2014年7月8日閲覧。
  19. ^ 岩崎啓眞 (2012年1月25日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(1)”. 2014年7月8日閲覧。
  20. ^ 岩崎啓眞 (2012年1月28日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(2)”. 2014年7月8日閲覧。
  21. ^ ほりい なおき、佐藤誠市、岩崎啓眞の各氏によるファミコンのサードパーティー誕生時の話”. トゥギャッター. 2014年7月8日閲覧。
  22. ^ a b 土屋新太郎『キャラクタービジネス その構造と戦略』(キネマ旬報社、1995年)ISBN 978-4873761237
  23. ^ a b NHKスペシャル新・電子立国』第4巻「ビデオゲーム・巨富の攻防」(相田洋著、日本放送出版協会1996年)pp. 274 - 280
  24. ^ 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第8回:ファミコン誕生、家庭用ゲーム機の代名詞に p. 4 - 日経トレンディネット
  25. ^ 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第8回:ファミコン誕生、家庭用ゲーム機の代名詞に p. 5 - 日経トレンディネット
  26. ^ a b Business Media 誠:“高橋名人” という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編)(5/5)
  27. ^ 300万台保障は伝説!?
  28. ^ 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第7回:業務用機の仕様を家庭用に、LSIの開発から着手 p. 3 - 日経トレンディネット
  29. ^ 『新・電子立国』第4巻・pp. 283 - 287
  30. ^ 藤田直樹「「ファミコン」登場前の日本ビデオ・ゲーム産業--現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(2)」、『經濟論叢』第163巻第3号、京都大學經濟學會、1999年3月、 311-328頁、 NAID 120000898882

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]