コンプティーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
コンプティーク
Comptiq
愛称・略称 コンプ
刊行頻度 隔月刊 → 月刊
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
出版社 角川書店
(2007年より発売元:角川グループパブリッシング
発行人 井上伸一郎
編集人 安田猛
編集長 多田年礼
刊行期間 1983年11月10日 -
発行部数 7.3万部(2007年10月1日 - 2008年9月30日 日本雑誌協会調べ)
レーベル 本文を参照
姉妹誌 本文を参照
ウェブサイト コンプティーク.com

コンプティーク』(Comptiq) は、角川書店発行・角川グループパブリッシング発売のゲーム漫画雑誌。輸入ゲームショップ『コンプティーク』と角川書店の提携[1] で、『ザテレビジョン』の別冊として1983年11月10日隔月刊誌として創刊され、1986年より月刊誌となった。通称は「コンプ」。雑誌名「Comptiq」は「コンピューター (Computer) 」と「ブティック (Boutique) 」を組み合わせた造語。定価は800円台後半ほど。本誌連載漫画の単行本ドラゴンコミックスコンプコミックスDXカドカワコミックス・エース電撃コミックスなど。

目次

[編集] 概要

毎月10日発売。キャッチコピーは「パソコンと遊ぶ本」「戦うパソコンゲームマガジン」。

マニア層の中でも「コンピュータゲームアニメなど」という今日ではおたくの概念に収斂されるような「娯楽メディアを消費する方向を好む者」へとターゲットを据えたことから、次第にメディアミックスを主体とする娯楽誌に変化していった。

『コンプティーク』の1コーナーから『マル勝ファミコン』などの〈マル勝シリーズ〉が発祥しており、現在の『電撃PlayStation』などのメディアワークスゲーム雑誌も、元を辿れば本誌が発祥ということになる。また、「聖エルザクルセイダーズ」などの連載によって、『月刊ドラゴンマガジン』の創刊に影響を与えた。本誌は紆余曲折を経て創刊当初とは大きく異なる内容になったが、ゲーム雑誌という枠組みで見ると非常に長命であると言える。

[編集] 創刊当初

創刊当時から1980年代を通してはゲーム記事は勿論のこと、パソコン本体の購入ガイドなどマニア向けの「コンピューター」雑誌(パソコン雑誌)であった。初期はアイドルを表紙に起用しており、アイドルグループセイントフォーやブレイク直前の森高千里などが表紙を飾ったことがある。パソコン関係では他誌が取り上げないようなパソコンゲームの裏技チート(当時の表現に従うなら「改造」)を精力的に扱い、読者投稿ではパソコンゲームプログラム本体の改造手法すら掲載していた。また、ロードス島戦記の元となったテーブルトークRPGリプレイ記事や「ロボクラッシュ」「トップをねらえ!」などの読者参加型ゲームなど、テーブルゲームに関する記事、ライトノベルなども掲載されていた。

一方で、「福袋」と呼ばれる袋とじアダルトゲーム関連のページも組まれていた。元々は年数回の定期企画だったのが、後に同市場の拡大も手伝って毎号連載となり、アダルトゲーム以外に18禁アニメHコミックAV女優紹介のコーナーも載っていた。毎年1月号には「Hコミックアドベンチャー」というゲームブック形式のゲームが欄外にあり、内容は官能小説並みの極めて過激なものだった。

こういった徹底的なマニア向けの路線は固定読者層に加え、掲載されている裏技や改造に人気ゲームのものがあると、それを求める読者にも販路を伸ばした[2]。1985年7/8月号にてファミコンゲーム「ゼビウス」の無敵コマンドを最初にとりあげた。同じ号でアダルトゲーム「天使たちの午後」の記事も載せ完売、増刷した。増刷分にはその旨が書かれた帯が付いていた。ゲームの裏技などの情報の掲載については、現代でこそ協定のようなものがあるが、当時はまだそのようなものはなく、当時の編集長だった佐藤辰男(現角川グループホールディングス社長)は2008年12月号にて当時のことについて「ナムコに呼び出され声を録音され、ただ謝るだけだった。だがこの雑誌があまりにも売れ、凸版印刷の担当者から「田中金脈の時の文藝春秋以来売れた」と言われたくらいで、相乗効果でゼビウスも非常に売れ、何度も謝るうちにナムコとも和解できることとなった」と回想している。

[編集] 「お家騒動」以降

1992年、角川春樹歴彦兄弟の対立(お家騒動)により、編集を担当していた角川メディアオフィスのほぼすべてのスタッフがメディアワークス設立に参加。編集長以下ほとんど同じスタッフにより電撃王を創刊する。コンプティークは外部編集プロダクションにより続けて作られたものの、連載記事も含めてかなりの部分がそれまでと異なる別の雑誌となった。

その後も幾度かのスタッフ入れ替えやマイナーチェンジを繰り返した後、2003年9月号から「MediaMix Game Magazine」と題し、それまでのゲーム紹介記事中心の構成からギャルゲーを原作とした漫画を中心とする構成に変わる。角川エース新人漫画賞の広告でも「少年エース/ガンダムエース/コンプティークなどのコミック誌に掲載されるチャンス!」と謳っており、本誌の位置付けがメディアミックス主体の漫画雑誌へ移行したことがわかる。

2000年代後半に入ると、本誌は付録を付けることが多くなった。大きい付録(例えばフィギュアなど)が付いた場合は値段もそれに応じて高くなるが、付録をつけた方が売り上げは良いようである。「らき☆すた」や「Fate/stay night」など、編集部が推す漫画やゲームを連続して表紙にするケースも良く見られる。

2002年4月号では、別冊として『コミックコンプ』(内容は新規の漫画誌)が付録されており、一部ではコミックコンプ復刊とも言われたが、結果としては『コンプエース』を創刊することになった。

月刊少年エースやヤングエースケロケロエース月刊あすかコンプエースとともに角川書店が発行する5つの雑誌共同主催の角川漫画新人賞に参加しており、コンプエースとの共同の特別賞を持っている。

[編集] 連載作品

[編集] 漫画


[編集] 読みきり作品

[編集] 連載が終了した作品

[編集] 漫画

[編集] 小説

[編集] コラム

  • クロちゃんのRPG講座/クロちゃんのRPG千夜一夜(黒田幸弘
  • 安田均のこのゲームが面白い(安田均

[編集] 各種企画

[編集] 逸話

  • 深沢美潮榊涼介中村うさぎ(当時は「イボンヌ木村」名義)などはコンプティークのライターをしたことをきっかけにして、角川スニーカー文庫や電撃文庫などで作家デビューしている。また、板場広し(板場広志、伊多波広)や井上純弌(希有馬、井上けうま)などはハガキ職人だった。
  • 分裂以前の名物コーナーのひとつ、三国志や信長の野望などのSLGリプレイは、秋葉原助手や御茶ノ水教授、ドクター四谷、九段南、イボンヌ木村など複数のライターが参加したことになっているが、実際は、各ライターのキャラクター性を用い榊涼介が一人ですべて書いていた。人気コーナーの1つ「SLG劇場」の登場人物には東京都内の角川書店所在地近辺の地名が使われていた。上記以外では千駄ヶ谷君、飯田橋君など。また、別コーナーのライターで「市ヶ谷クン」と呼ばれている人がいた。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ BCN This Week 1983年10月31日 vol.46「コンプティーク 角川書店と提携 雑誌と連動でFC店展開BCN
  2. ^ プログラムに改変を加えるチート行為に関しては現代でこそ翻案権又は同一性保持権の侵害ともみなされうるが、この当時は、コンピュータプログラム著作権は1990 - 2000年代ほど厳密でもなかったため、ユーザーによる改変やその発表・雑誌メディアへの掲載も概ね自由に行われていた
  3. ^ テイルズ オブ マガジンの刊行終了に伴い移籍。
  4. ^ たにはらなつきとあやせりおの合同ペンネームである。

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語