月刊コミックコンプ

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月刊コミックコンプ』(げっかんコミックコンプ)は、角川書店1988年から1994年にかけて刊行していた漫画雑誌である。創刊号は1988年5月号[1]

当初の誌名は『コンプティーク別冊 コミックコンプティーク』で、その名の通り、元々は同社のコンピュータゲーム専門情報誌『コンプティーク』の別冊として創刊された。単行本はコンプコミックス、ドラゴンコミックスニュータイプ100%コミックス

概要[編集]

月刊少年キャプテン』(徳間書店)などと同様にマニア向け漫画雑誌の先駆けと言われている[誰によって?]。当初はファンタジー漫画が多く掲載された。

しかし角川書店のお家騒動により、漫画家・編集者の多くが1992年10月にメディアワークスへ流出、タイトルを変え『月刊電撃コミックガオ!』に掲載されることとなり、1993年1月号をもって掲載作品のラインナップの大半が突然変更されるという事態が発生。穴埋めとして急遽起用された漫画家たちは一部を除きキャリアの浅い新人が多く、月刊連載のペースに付いていけないケースが続出。毎月のように誰かが原稿を落し、連載されていた作品が何の告知もなく消滅したかと思うと突如復活したりと混乱が続くも、懸命の立て直しが試みられる。

1年以上が経過し、漸く落ち着きを取り戻したかに見えた1993年8月29日[2]角川書店社長角川春樹が、コカイン密輸事件で麻薬取締法違反・関税法違反・業務上横領被疑事件で千葉県警察本部(千葉南警察署)により逮捕されるという出来事が発生する[3]。これにより、角川お家騒動は収束に向かう運びとなり[4]、騒動の幕引きに伴ってメディアワークスと二重に出されていた雑誌の整理が行われ、本誌も1994年10月号をもって休刊した。

その後継として1994年12月、角川書店は『月刊少年エース』を創刊することになる。本誌連載作家のうち、田島昭宇長谷川裕一麻宮騎亜らは『少年エース』へ、真鍋譲治臣士れい夢来鳥ねむ吉富昭仁らは『電撃コミックガオ』へ移った。

作品は大半が休刊とともに打ち切りとなった。ただし例外として、長谷川裕一の『ダイ・ソード』は『轟世剣ダイ・ソード』と改題して『月刊少年キャプテン』へ、おちよしひこの『イグドラシル』は『風の惑星ゼファー』と改題して『月刊少年キャプテン』増刊『コミック鉄人』へ、飯田晴子の『パナ・インサの冒険』は『月刊ASUKAファンタジーDX』へ移った。

一時的な復刊[編集]

休刊から8年近くたった2002年、コンプティークの別冊付録として『コミックコンプ』が登場。以後何回か別冊として登場するが、以前のように独立刊行されることは無く、最終的には『コンプエース』の独立刊行をもって終焉した。

主な連載作品[編集]

コンプコミックス[編集]

本誌掲載作品(稀に角川書店の他誌掲載作もある)のレーベルで『月刊少年エース』掲載作のレーベルであるカドカワコミックス・エースの事実上の前身。B6判またはA5判(A5判は「コンプコミックスDX」として刊行)。「Comp」の「C」に由来する、パックマンのような形状のマークを使用していた。既に奥付には不死鳥をあしらったマークが存在していた。

1992年のメディアワークス設立に伴う混乱で本誌が連載作品の大半を失い、1994年の雑誌休刊と共にレーベルも自然消滅した。コンプコミックスの大半の作品は電撃コミックスで再版されるか、他社で文庫化されている。カドカワコミックス・エースでもごく一部が再版されている。

脚注[編集]

  1. ^ 明治大学 米沢嘉博記念図書館 [@yone_lib] (2020年4月18日). "「月刊コミックコンプティーク 」は1988年5月号が創刊号です。1989年5月号になると誌名は「月刊コミックコンプ」に変わり1周年をお祝いしています。". X(旧Twitter)より2023年7月5日閲覧
  2. ^ 『いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命』(角川春樹清水節共著 角川春樹事務所 2016) 218ページ
  3. ^ 『角川映画 1976‐1986(増補版)』(中川右介著、角川文庫、2016年)321ページ
  4. ^ 『角川映画 1976‐1986(増補版)』(中川右介著、角川文庫、2016年)323ページ

関連項目[編集]