薬師丸ひろ子

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やくしまる ひろこ
薬師丸 ひろ子
本名 薬師丸
生年月日 1964年6月9日(50歳)
出生地 日本の旗 日本東京都渋谷区
身長 155 cm
血液型 A型
職業 女優・歌手
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1978年 -
活動内容 1978年:女優デビュー
1981年:歌手デビュー
配偶者 玉置浩二
1992年 - 1998年
主な作品
映画

野性の証明
セーラー服と機関銃
探偵物語
Wの悲劇
ALWAYS 三丁目の夕日
今度は愛妻家


テレビドラマ
ミセス・シンデレラ
木更津キャッツアイ
1リットルの涙
Q10
あまちゃん

薬師丸 ひろ子(やくしまる ひろこ、本名:薬師丸 博子(読み同じ)、1964年6月9日 - )は、東京都港区北青山出身の女優歌手東京都立八潮高等学校玉川大学文学部英米文学科卒業。

概要[編集]

角川映画野性の証明』(1978年)の長井頼子役オーディションで選ばれ、スクリーン・デビュー。1981年に主演した映画『セーラー服と機関銃』(相米慎二監督)が大ヒットする[注 1]。また、同名主題歌を歌い、歌手デビューする。主演映画のヒットばかりでなく[注 2]、映画の主題歌「セーラー服と機関銃」「探偵物語」「メイン・テーマ」「Woman "Wの悲劇"より」もヒットを記録する[注 3]。特に、映画『Wの悲劇』(澤井信一郎監督)では演技も評価され、主演女優賞を獲得した。

1985年角川春樹事務所から独立する。その後も、映画女優として『野蛮人のように』、『紳士同盟』、『ダウンタウン・ヒーローズ』、『病院へ行こう』、『タスマニア物語』などに出演する。また、民営化直後のNTTのCMソング「あなたを・もっと・知りたくて」や映画主題歌「紳士同盟」などのシングルだけでなく[注 4]、オリジナル・アルバムのリリース、コンサートと歌手としても活躍する。しかし、1991年安全地帯のリーダーの玉置浩二と結婚後は、歌手活動や映画の世界から遠ざかる。(玉置とは1998年に離婚を発表。)オリコンチャートによると、薬師丸のシングルとアルバムを合わせた売上枚数は、現在までに約585万枚[3](そのうちシングルは約395万枚[4])と推定されている。1997年に18年ぶりのドラマ『ミセス・シンデレラ』に主演してからは、テレビドラマの世界にも活躍の場を広げる。

2000年代に入り、ドラマ『木更津キャッツアイ』(宮藤官九郎脚本)や『1リットルの涙』、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ(山崎貴監督)などでの演技を通じて、日本を代表する女優の1人として評価されている[5][6][注 7]

2010年代、木皿泉脚本のドラマや舞台、NHK連続テレビ小説への初出演(『あまちゃん』)など、多忙な女優活動の一方で、CDシングルやアルバムのリリース、35周年記念コンサートと、歌手活動にも意欲的に取り組んでいる。2013年の多方面での活躍と長年の放送文化に対する功績が評価され、放送ウーマン賞2013を受賞した[9]

略歴[編集]

女優[編集]

角川映画(1978年2月 - 1985年3月)[編集]

偶然、薬師丸の写真を撮った人が、本人には内緒で角川映画野性の証明』長井頼子役オーディション(1978年2月)に応募していた。頼子役の8歳という設定に対し薬師丸は既に13歳、想定される身長よりも高かった[注 8]。さらに、演技経験もなかったので、必ず落選すると本人は信じていた。しかし、条件に合致した候補者と接戦になったものの、薬師丸の将来性を見抜いた審査員の角川春樹が強く推したことで合格してしまう[注 9][注 10]。決め手となったのは、非常に印象的な目だったと角川は結果発表時に述べている[11][注 11]。『野性の証明』(1978年)は角川映画として初めて邦画年間興行ランキング1位になった映画であると同時に、映画史には「薬師丸ひろ子のデビュー作」として記録されている[12]

薬師丸は引退も考えていたが、角川春樹事務所TBS系の単発ドラマ『装いの街』(1979年)や実相寺昭雄が監督した資生堂のコマーシャル「色」、雑誌『バラエティ』での写真モデルの仕事を入れることで薬師丸が芸能界から引退する逃げ道を無くした[13]

ドラマ『装いの街』への出演交渉を受けた時、薬師丸はマネージャーなしで1人、プロデューサー石井ふく子を訪ね、台本の疑問点の確認をする[14]。そのことに石井は感心したという逸話がある[14]。『装いの街』は薬師丸が休業中だった1982年7月に『セーラー服と機関銃 完璧版』の併映作として映画劇場公開もされた[15]2012年のドラマ『妻が夫をおくるとき』では、石井ふく子プロデューサーの役を薬師丸が演じている[16]

1979年、中学三年生だった薬師丸は高校受験のため女優業は休止[17]。1979年夏の角川文庫「時間がないんだ青春は」キャンペーンのポスターチラシの仕事だけはしていた[17]

同年、キティ・フィルム代表多賀英典が薬師丸本人に直接映画『翔んだカップル』(相米慎二監督)への出演交渉を行った[18][注 12]。当初、薬師丸は出演を固辞していたが高倉健のアドバイスもあり、最終的には出演を了承した[18]。薬師丸が『翔んだカップル』に出演する意欲を見せたので、事務所は東宝に薬師丸を貸し出すことになった[19]。この映画で第2回ヨコハマ映画祭主演女優賞と第4回日本アカデミー賞話題賞俳優部門を受賞した。

宮本治雄によれば、ドル箱だった山口百恵を結婚引退で失った東宝ポスト百恵として薬師丸の2作品『翔んだカップル』(1980年)・『ねらわれた学園』(1981年)を配給した[20][注 13]

初主演映画『翔んだカップル』は大ヒットとはならなかったが[注 14]、キティ・フィルムは相米慎二監督&薬師丸主演第二弾として『セーラー服と機関銃』(1981年)を予定していた。角川春樹事務所に薬師丸の出演交渉を行うが、他社映画への出演に難色を示した。しかし、薬師丸が角川春樹を説得し、キティ・フィルムと角川春樹事務所提携作品として映画が製作されることになった[18]

映画『セーラー服と機関銃』の中で機関銃を乱射するシーンで有名な「カイ・・・カン」のセリフは薬師丸のアドリブであると言われていたが、薬師丸は台本であると断言した[22][注 15]。このシーンの撮影で割れたビンの破片が薬師丸の左頬に当たり少し出血する事故が起きるが[24]、そのまま演技を続け映画の本編で使われている[25][注 16]。傷は長さ1cm弱で浅かったが、対応した医師は傷痕は残ると宣告する[25]

『セーラー服と機関銃』の公開2日目(1981年12月20日)、大阪・梅田東映ほかでの舞台挨拶を予定していたが、徹夜組を含めた約8000人[注 17]のファンが上映3館に殺到したため、放水車[11]を伴う機動隊まで出動し、舞台挨拶も上映も中止となった[18][27]。その騒動は翌日のスポーツ新聞のみならず、一般新聞の社会面トップ記事にもなった[27]。舞台挨拶を見られなかったファンは薬師丸を追って大阪空港へ殺到し、空港もパニックになる。空港を回避し新大阪駅に向かったが、そこにもファンがいて、結局、名古屋までタクシーで移動し東京に戻った[28]。その後、薬師丸が大阪を訪問するには、何年かの間、警察の許可が必要だった[11][28]。同月25日、「翌年(1982年)は大学受験のために仕事を控える」と休業宣言をする[29]

1982年4月18日、第2の薬師丸ひろ子を発掘するために『角川・東映大型女優一般募集』オーディションが開催される[30]。グランプリは渡辺典子、特別賞に原田知世[31]。この後、原田知世・渡辺典子と共に「角川三人娘」と呼ばれる[32]。同月21日、薬師丸主演の過去作のサントラとナレーションからなるアルバム『ひろ子 青春のメモワール』が発売される[33]。同月29日、上映時間が16分長くなった『翔んだカップル オリジナル版』が公開される。

1982年6月、前年(1981年)に舞台挨拶中止となった大阪で『セーラー服と機関銃 完璧版』の試写会挨拶を行い[33]、7月に『セーラー服と機関銃 完璧版』が封切られる。

休業中の1982年11月、次作『探偵物語』が薬師丸の受験の合否に関係なく撮影されることが発表される[34]。原作は前作と同じ赤川次郎で、書き下ろす前から薬師丸主演で映画化されることが決まっていた[35]1983年7月に公開された『探偵物語』(共演:松田優作、併映は原田知世主演『時をかける少女』)は薬師丸が出演した角川映画の中で最高の興行成績配給収入28億円、興行収入51億円を記録する[36][37]。その後、同年12月公開『里見八犬伝』(深作欣二監督)、1984年7月公開『メイン・テーマ』(森田芳光監督)に主演する。

澤井信一郎監督の『Wの悲劇』(1984年)は興行的な成功とともに映画の評価も高く、薬師丸の代表作となった[38]ブルーリボン主演女優賞の表彰式で、「この映画で燃えつきたので、(女優を)やめようと思った。でも、この賞は私にガンバレという励ましの意味でいただけたと思います」とスピーチ[39]。澤井監督「役のつかみ方に天性のものがあって、方向さえきちんと示せば確実にできる子だと思いました」、澤井監督の師匠マキノ雅弘監督「普通はどんな上手い子でも数カットは作ったような間違った表情をするものだけど、この子にはそれが全くない」と賞賛している[38]

主演映画のヒットは続いていたが、内心ではずっと女優を辞めたいと思ってた[19]。角川社長の「いつ辞めてもいい。でも、もったいないぞ」の言葉にその都度なだめられ、7年間、その気持ちを抑えていたが、二十歳の時、ユーミン苗場のコンサートに遊びに行ったことを契機に[注 18]、所属事務所を辞める決心をする[19]。直接、社長に掛け合うと「分かった。でも、もったいないぞ。やりたくなったら、またいつでも始めろよ」と許可され[19]1985年3月、角川春樹事務所から独立[40]。引退の報道をうけ、大勢の取材陣が家に直接殺到することに困り、同月、個人事務所オフィス・メルを設立[19][40]。角川時代の出演映画の配給収入の詳細は角川映画#配給収入を参照。

独立以後(1985年4月 - 現在)[編集]

2005年のインタビューで薬師丸は、独立後の2本の正月映画野蛮人のように』(1985年)、『紳士同盟』(1986年)は模索していた時期の映画と回顧している[41]1988年山田洋次監督の『ダウンタウン・ヒーローズ』、1989年には桃井かおりと再共演となった『レディ! レディ READY! LADY』に出演する。

1989年には、冷戦終結に伴い外国人も立ち入ることが可能になったサハリン樺太)を訪れた『薬師丸ひろ子が見た!サハリン(樺太)縦断1000キロ』(フジテレビ)に出演している。この番組は第7回ATP賞優秀賞ノンフィクション部門を受賞している。後に、このドキュメンタリーで「故郷」を歌ったことに薬師丸は触れている[42]1992年には続編『薬師丸ひろ子が見た!サハリン感動の47年』も放送される。

滝田洋二郎監督の『病院へ行こう』(1990年)には、〔共演者にもスポットが当たり〕自分だけにスポットが当たっていないことの面白さ、自分が主役でなくても成立する作品自体の面白さがあり、そういう点に引き込まれていったと答えている[41]。『病院へ行こう』とオーストラリアのタスマニア島の自然を舞台にした『タスマニア物語』(1990年)によって、第14回日本アカデミー賞話題賞俳優部門を受賞する。1992年には、同性愛の夫とアル中の妻、そして夫の彼氏の3角関係を描いた『きらきらひかる』に主演する。

1997年、『装いの街』(1979年)以来18年ぶりにテレビの連続ドラマミセス・シンデレラ』に出演した[注 19]。デビュー以来、映画に特化して出演する女優、映画女優として芝居のキャリアを重ねてきた薬師丸を"銀幕女優"・"最後の映画女優"と呼ぶこともある[43][44]。テレビドラマへの出演がなかったのは、映画に関わり続けたかったことや〔映画と比較して〕慣れていないテレビの早いサイクルに少し臆病になっていたことを理由に挙げている[41][45]。〔撮影開始時に〕脚本が最終回分までは用意されていないことに戸惑ったとも答えている[46]

同年のNHKドラマ『熱の島で〜ヒートアイランド東京〜』は多数の賞に輝いた作品だが、薬師丸も演技が評価され、第24回放送文化基金賞女優演技賞を受賞した[47][48]

2000年、『キネマ旬報』誌上の「映画を愛する74人の著名人が選んだ20世紀の映画スター 女優編」で日本女優14位[49]。同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」では日本女優10位[50]。さらに、「映画館をいっぱいにしたマネーメイキング・スターは誰だ!」日本篇[注 20]では、渥美清西田敏行に次いで3位[51][注 21]

2002年宮藤官九郎脚本の『木更津キャッツアイ』に浅田美礼(美礼先生)役として出演する。俳優の宮藤とNHKドラマ『コウノトリなぜ紅い』(2001年)で共演していなかったら、"学校に、たぬきの置物の爆弾を仕掛けるような奇抜な役"は引き受けなかった可能性もあったが、共演して知った朴訥とした人柄の彼の書く脚本ならと8割ぐらい安心して出演を決断した[52]。現場では周りを見る余裕もあり、演じることの楽しさを教えられた作品だったと振り返っている[52]。このドラマの後、宮藤作品へは、2本の映画版『木更津キャッツアイ』、ドラマ『タイガー&ドラゴン』、『うぬぼれ刑事』、『あまちゃん』に出演している。宮藤が作る薬師丸の役には、いつも心躍らされるともインタビューに答えている[53]。宮藤ワールドの中では、結婚していない・子供もいない・殺人者でもない役が割り振られることに大変感謝している[54]。言わせられる際どいセリフも宮藤の品性が目も当てられない下品にはならないようにしていると信じ、宮藤には一生ついていこうと全幅の信頼を寄せている[54]

『ナースコール』(1993年)以後の10年間には、『マグニチュード 明日への架け橋』(1997年)と『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』(2003年)の2本しか映画出演していない[53]。その間はドラマやミュージカル『雨に唄えば』(1996年)・『シュガー』(1998年)などをしていて、良い経験・修行の期間、試練だったと薬師丸は答えている[53]

2005年ALWAYS 三丁目の夕日』や『1リットルの涙』の母親役の演技で数多くの映画賞やテレビの賞を受賞した[55]。母親役は見ている人にとって身近なので「こんな母親いない」と判断されやすく、さらに、自分に子供がいないので母親役に不安もあった[56]。経験のない分を街中の人間観察や想像で補っていると答えている[57]。薬師丸は2005年キネマ旬報助演女優賞受賞に際し、20歳の時の『Wの悲劇』を評価していただいて以来20年ぶりと振り返り、受賞の理由を自分のキャラクターと役がうまくマッチした結果と想像するが、それよりも〔受賞対象となった〕素敵な映画や役に出会えたこと、それらの映画を観てくださった方々が強く感じてくれたことに感謝し、きっと映画のマジック、映画の奇蹟に出会えたんだと述べている[58]

日本郵便2006年10月10日に発行した特殊切手「日本映画II」(現代の名作)(1980年 - 2000年代公開)は、代表的な日本映画10作品を選定しているが、その1本に薬師丸主演の映画『セーラー服と機関銃』が選ばれた[59]

2009年9月12日放送の土曜プレミアム戦場のメロディ〜108人の日本人兵士の命を救った奇跡の歌〜』(渡辺はま子の実話を基にしたドラマ)において、主役の渡辺はま子役を演じ、1ヶ月の歌のレッスンをした上でドラマの中で「ああモンテンルパの夜は更けて」などのはま子の歌を歌唱した[7][60]。この歌唱が『今度は愛妻家』(2010年)の公開記念イベントのコンサート開催の契機となる[7]。また、『今度は愛妻家』で第34回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞する。

2012年木皿泉作品に出演する機会があるのならば、それが舞台であろうと構わないと、14年ぶりに舞台『すうねるところ』に主演する[61]。木皿作品の魅力を心臓をぎゅっと掴まれるようなセリフ、キラキラしたセリフで構成されていると表現している[61]。木皿作品へはドラマ『Q10』、『世の中を忘れたやうな蚊帳の中』[注 22]、『おやじの背中』 第5話 「ドブコ」、舞台『すうねるところ』、『ハルナガニ』に出演している。木皿泉から見た薬師丸評は「SF風の意味不明なセリフでも、ものすごくリアルに言うことができる」「非常にぶっ飛んだセリフを書いても安心できる」[62]、「消費されない存在感のある女優」[63]

初の朝ドラあまちゃん』(2013年4月 - 9月)の出演依頼は断るつもりだったが[注 23]、プロデューサーから渡された台本を読み出演を決める[66][注 24]。しかし、懸念が1つあり、それは薬師丸が演じる鈴鹿ひろ美の大女優という役柄[注 25]。また、鈴鹿には"音痴"という設定もあったが、それは、視聴者の世代によって受け止め方が違った[注 26]。30代から下の世代には本当に下手だと思っていた人も[70]。しかし、ドラマの最終週で本来の歌唱力を披露すると大反響となった[71][注 28]。薬師丸が演じた鈴鹿ひろ美役は抜群の存在感だったと評価された[9]。薬師丸は、(35周年記念)コンサートもアルバムも『あまちゃん』より前に決まっていたけれど[73]、「潮騒のメモリー」を歌わせてもらったことは、私にとって大きかったと振り返っている[74]

2003年から始まった、薬師丸がナレーションを担当する紀行・料理番組『食彩の王国』(テレビ朝日系)は2013年に10周年、放送回数も500回を超えた。

歌手[編集]

薬師丸ひろ子のディスコグラフィ
リリースリスト
スタジオ・アルバム 9
ライブ・アルバム 1
ベスト・アルバム 4
シングル 21
映像作品 5
サウンドトラック 16
カバー・アルバム 1
他アーティスト作品への参加 15
非公式ベストアルバム 14

歌手活動(1981年11月 - 1999年)[編集]

デビュー直後には歌手になる道もあったが[注 29]、薬師丸は辞退した[11][注 30]。そのため、1978年のスクリーンデビューから1981年11月の歌手デビューの間は"歌わない(最後の)アイドル"と形容されることもあった[注 31][77]。歌手デビューに至った詳細はセーラー服と機関銃 (曲)#経緯を参照。

角川映画時代にリリースしたシングル「セーラー服と機関銃」(1981年)、「探偵物語」(1983年)、「メイン・テーマ」(1984年)、「Woman "Wの悲劇"より」(1984年)は、すべて主演映画の主題歌である。「メイン・テーマ」が最高位2位だったため、シングル連続首位記録は途切れたが、他の3曲はオリコン1位を獲得している[2]

セカンド・シングル「探偵物語」の両A面である「すこしだけやさしく」(1983年)は、TBS系『わくわく動物ランド』のエンディングテーマになっている。

薬師丸の代表曲の1つである「元気を出して」は、竹内まりやが薬師丸のために書き下ろした。ファースト・アルバム『古今集』(1984年)に収録されているが、これまで、シングルカットされたことはない。その後、1987年に竹内まりやがアルバム『REQUEST』でセルフカバーした時に、山下達郎とともにコーラスに参加している。2人のコーラスは絶品と竹内まりやは賞賛している[78]

角川春樹事務所から独立した1985年には、シングル3枚「あなたを・もっと・知りたくて」・「天に星.地に花.」・「ステキな恋の忘れ方」とセカンド・アルバム『夢十話』をリリースしている。

「あなたを・もっと・知りたくて」は民営化直後のNTTCMソングで、薬師丸自身がCMに出演すると同時にCMソングも歌っている。「ささやきのステップ」(1986年)、「瞳で話して」(1986年)、「風に乗って」(1991年)もNTTのCMソング[79][80]

「ステキな恋の忘れ方」は映画『野蛮人のように』の主題歌で、映画関連としては1986年の「紳士同盟」(同名映画『紳士同盟』の主題歌)、1988年の「時代」(『ダウンタウン・ヒーローズ』のイメージソング)がある。

1986年には『花図鑑』、1987年『星紀行』と、『古今集』(1984年)以来、毎年1枚のオリジナル・アルバムのリリースがルーチンとなっていた。

1987年7月・ 8月にファースト・コンサート『星紀行』を行った。コンサートは1988年に『SENTENCE』、1990年に『ハート・デリバリー』を開催している。

1987年10月、玉置浩二作曲の「胸の振子」をリリースしている。玉置作品は他に「交叉点 〜そう それがそう〜」(1997年)がある。

1988年3月のフジテレビ『夜のヒットスタジオDELUXE』ではマンスリーゲストを務め、特に卒業式前日の3月9日には同番組内でミニ・コンサート(服部克久指揮)を実施した[81]

1988年7月にリリースした「時代」は中島みゆきのカバー。薬師丸の愛唱歌だったが、当時、中島がコンサートでは歌っていないので残念に思い、アルバム『Sincerely Yours』(1988年)の1曲とした[82]。「時代」はフジテレビ系『なるほど!ザ・ワールド』のエンディングテーマにもなっている。

1989年の「語りつぐ愛に」は「セーラー服と機関銃」と同じ来生たかお来生えつこ姉弟の作品で、しかも、「セーラー服と機関銃」以来の競作曲となっている。「語りつぐ愛に」は日本テレビ系『水曜グランドロマン』の主題歌になっているが、薬師丸自身は『水曜グランドロマン』には出演していない。

1989年に6枚目のアルバム『LOVER'S CONCERTO』、1990年に7枚目『Heart's Delivery』、1991年3月に8枚目の『PRIMAVERA』をリリースする。

玉置との婚姻中には、玉置のアルバム『カリント工場の煙突の上に』(1993年)に収録の「西棟(にしとう)午前六時半」でのデュエットや『Act Against AIDS '94』(1994年)に2人で参加している。

1997年6月に、「風に乗って」(1991年)から6年ぶりのシングル「交叉点 〜そう それがそう〜」、12月に「恋文 〜哀愁篇〜」をリリースする。

1998年2月に『PRIMAVERA』(1991年)から7年ぶり9枚目のオリジナル・アルバム『-恋文-LOVE LETTER』を発表する。同年4月にはシングル「smile スマイル smile」(作詞:薬師丸)をリリースする。

歌手活動(2000年 - 現在)[編集]

2000年2月、テレビ朝日系主演ドラマ『恋愛中毒』の主題歌「Love holic」(作詞:松本隆)をリリースする。

2006年3月、音楽番組NHK音楽・夢くらぶ』へ出演[83]。「セーラー服と機関銃」「探偵物語」などのヒット曲を披露した[83]

2008年9月放送のNHK『SONGS』に出演し代表曲を披露する[84]。『SONGS』には2011年、2013年にも出演している。

2010年出演映画『今度は愛妻家』の公開記念イベントの一環として、1990年以来20年ぶりとなるコンサートを東京(1月7日)と大阪(1月12日)で開催。またコンサートの中で、同映画の監督行定勲と夫役の豊川悦司を交えてのトークショーも行なわれた[85]

2011年3月、主演映画『わさお』が公開され、主題歌「僕の宝物」も自らが担当。主演映画の主題歌を歌うのは22年ぶりとなる[86]。「僕の宝物」は2013年11月のTBS系のドラマ『こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜』の主題歌にもなっている。2011年12月放送の『2011 FNS歌謡祭』で平井堅と「Woman "Wの悲劇"より」をデュエットする。『FNS歌謡祭』には2013年にも出演しデュエットを含め3曲「セーラー服と機関銃」・「元気を出して」・「時代」を披露している。

2012年11月にリリースされたケルティック・ウーマンのアルバム『心のクリスマス/ホーム・フォー・クリスマス』のボーナス・トラック曲「ユー・レイズ・ミー・アップ〜 祈りヴァージョンfeat.薬師丸ひろ子」でコラボレーションした[87]

2013年10月に芸能活動35周年記念コンサートを東京・大阪で開催した[88][注 32]1990年の『ハート・デリバリー』以来23年ぶりの単独コンサートとなった[90]。コンサートのパンフレットには、井上陽水竹内まりや中島みゆき松任谷由実(掲載順)からの祝福のメッセージが掲載されている[80]。このコンサートを観た先輩達から「もっと歌っていきなさい」と言われたことで、2014年12月のライブ『Premium Acoustic Night 時の扉 〜Look For A Star〜』を自ら企画した[91]。ライブは2013年12月にリリースした初のカバー・アルバム『時の扉』の曲を中心に構成され、アルバムの編曲を担当した吉俣良がアレンジャー兼サポートミュージシャンとして参加している[92]

アイドル[編集]

薬師丸にとってのアイドルはユーミン[66]。子供の頃、よくピアノでユーミンの弾き語りの真似をしていた。そんな憧れの人が主題歌を担当したり(『ねらわれた学園』の「守ってあげたい」)、憧れの人から曲を提供をされる(「Woman "Wの悲劇"より』)という幸運に恵まれる[93]1985年3月の苗場のコンサートや2013年1月のユーミン40周年記念イベントに参加している[52]2011年4月放送のフジテレビ『僕らの音楽』で松任谷由実と共演し、「Woman "Wの悲劇"より」をデュエットした[94]

音楽雑誌『レコード・コレクターズ』(2014年11月号)の特集「80年代女性アイドル・ソング・ベスト100」では薬師丸の曲が4曲選ばれた[95]。5位「セーラー服と機関銃」、13位「探偵物語」、17位「Woman "Wの悲劇"より」、20位「あなたを・もっと・知りたくて[95]

紅白歌合戦[編集]

『セーラー服と機関銃』は映画・主題歌いずれも1980年代を代表する大ヒットとなったが、当時は薬師丸が大学受験のため休業中だったので1982年の『第33回NHK紅白歌合戦』を辞退、「セーラー服と機関銃」は薬師丸の代わりに桜田淳子によって披露された[96]。薬師丸は2005年の『第56回紅白』にゲスト審査員、2007年の『第58回紅白』に応援ゲストと2回出演した後、特別出演した2013年の『第64回紅白』で「潮騒のメモリー」を歌唱、『紅白』での初歌唱となった[97][98]。翌2014年の『第65回紅白』に正式出場し、松任谷正隆によるピアノ伴奏で「Woman "Wの悲劇"より」を披露した[96][99]

歌手としての評価[編集]

歌唱力に関しては、アイドル風でなく、合唱団風と揶揄されることもあったが、「角川映画の主題歌の歌っていた当時から歌唱力は抜群。歌い方は正統派。基本に忠実な歌い方で、声も透き通る伸びやかな高音が魅力。これまでの人生経験で培われた彼女の人間としての魅力や女優としての経験が加わって歌の表現がより豊かになっている」と音楽評論家の富澤一誠は評価している[100]。歌手としても希有な才能の持ち主で、同世代の女子アイドルがぶりっ子キャラや歌唱力の拙さをアピールポイントとしていたのとは正反対のポジションで清楚で礼儀正しい歌唱が個性的だったと久保田泰平は解説している[43]。内田正樹は、アイドル時代から定評のある歌唱力、譜面に忠実で歌詞が明瞭に聴き取れる生真面目なファルセットは独特な包容力を持ち、女優特有の細やかなニュアンスの表現力を有していると評価する[69]

歌声について、竹内まりやは「爽やかな声」、武部聡志は「透明感があり、鈴を転がすような暖かい声」[注 33]と形容している。偶然にも二人が共通する表現は「(ボーカリストとしても)希有な声」[78][101]松任谷由実は「クリスタル・ボイス、水晶のような硬質な透明感」と表現している[102]小西康陽は「天使の賛美歌[103]

年表[編集]

人物・エピソード[編集]

デビュー作の『野性の証明』(1978年)は大ヒットしたが[注 35]、この1作で芸能界引退も考えていた[11]。理由は、進学することが当然と思っていたのに、映画の撮影等で53日間の長期欠席を余儀なくされ、学業が遅れてしまったからである[11][114]。そのため、所属の角川春樹事務所に対して、学校を欠席する必要のないことを仕事の条件として要求した[11][注 36]。結果、2作目の『戦国自衛隊』(1979年)は学業に支障がない祝日、体育の日だけの撮影となった[11]。その後、映画撮影は学校の春夏の休暇を利用し[20]、大学を卒業するまで仕事を理由に学校を欠席することはなかった[11][114]

薬師丸は祖母には芸能界入りを反対され、母親とは『野性の証明』だけで芸能界を辞めると約束もしていたので[115][20]、撮影後、お世話になったキャストスタッフギャラの大半から買い求めたプレゼントにお礼の手紙を付けて贈っていた[20]

薬師丸に芸能界への志向がなかったのは、青山という出身地が大きく関係していると答えている[114]。スターを実際に目撃することも多く、友達の父親がアイドルのディレクターだったり、芸能界に関係する人が周囲に大勢いたので、とても自分には向いていないと考えていた[114]。出身地の華やかな環境とのギャップを感じていた薬師丸は、本来の自分の姿を「都会の田舎育ち」と形容している[116]。『翔んだカップル』(1980年)の出演交渉の時、地味で、はしゃぐのが苦手なので、役者よりも映画のスタッフ(スクリプター)になりたいと将来の希望を話していた[18]

『野性の証明』で共演した高倉健から言われた「チャラチャラするなよ」を自らの原点として守ってきた[116]

高校の恩師は、学校を休むな、〔薬師丸は芸能人なので〕休むのが当然と思われたら本当の学生生活を送っているとは言えないというのが持論だった[116]。その先生のおかげで、普通の高校生活が送れ、良い友達にも出会えた[116]

休業中の1982年12月に薬師丸の玉川大学の推薦入試に合格したことがマスコミに漏れ、角川春樹事務所から公表される[117]1983年4月、玉川大学英米文学科に入学する[107][108]

里見八犬伝』(1983年)の撮影中、次作の『メイン・テーマ』(1984年)の撮影で自動車運転免許が必要になり教習所に通った[118]。同時期同じ教習所に竹内まりやが通っていた[119]。マネージャーなしの1人で、薬師丸が教習所近くの中華料理店で居合わせたサラリーマンと相席で餃子定食を食べてきた話をした時、竹内は薬師丸と友達になれると思ったと対談で答えている[119]

Wの悲劇』(1984年)の出演後、一時は引退も考えた薬師丸は、撮影現場で「飽きない、冷めない、慣れない」の三原則を自らに課し、女優として生きていくことを決意する[20]

大学4年生の頃、薬師丸だと気付いてない男子大学生に「可愛い」と言われたと、自分の友達に触れまわったことがあった。そんな普通の女子大生の生活を過ごした[120]。昼食に大学の友達と学食で220円のラーメンを食べていることが写真週刊誌の記事になることもあった[121]。1年生の時に病気のために休学したため、5年間の大学生活を過ごし、1988年3月に玉川大学を卒業する[109][110]

1991年1月、安全地帯玉置浩二とハワイのマウイ島にある教会で挙式する[111]。結婚生活は約7年間で、1998年6月5日に開かれた薬師丸の誕生パーティーの席で玉置との離婚を発表する[112][113]。離婚は2人が幸せを掴むためのスタートラインに再度立つことだと述べている[122]

体調不良で医者に運動をするように言われた時、高倉健から勧められ同じジムに入った[123]。しばらくして高倉に毎日ジム通いしてることを伝えると、「ジムに毎日来る奴に、幸せな奴はいないんだ」と言われる[123]

1998年のインタビューで、薬師丸は精神的にバランスを崩している時には現実逃避の旅に出ると答えている[48]。5年連用日記を付けていると、毎年同じ時期に、現実逃避の旅に出ているか、または、〔旅に出られない時は〕東京にいて深く悩んでいて、そんな自分の精神状態の周期性に驚かされると話している[48]。日記を読み返すと、「人生はこんなものだ」と自分に言い聞かすことができるとも薬師丸は答えている[123][注 37]2005年のインタビューでは10年分が一覧できる日記を付けているが、毎年季節の変わり目には感傷的になるという同じパターンを繰り返していると話している[122]

30代半ば、女優を続けて行くか悩んでいた頃、渡米しカウンセリングを受けた[124][125][126]。自身の俳優への適性を相談すると、先生から俳優を何年しているか聞かれ薬師丸が答えると、「あなた、もう20年以上も俳優を続けてきたのでしょう?そんなに続けられたのに向いてないわけないでしょう。もういいんじゃないの、悩まなくても」と言われた[124][125][126]。その言葉で目が覚め、自分は好きだからこの仕事(俳優)をしているんだと再確認し、人に望まれる限り女優を続けたいと話している[126][注 38]。それからは、自分の演じたい役や表現したいことに出会った時に、それを体現できるようになってればいいと思うようになった[125]

2001年キネマ旬報相米慎二追悼特集で、実際には服を着ていても、生身の姿を人前にさらけ出す覚悟がカメラ前に立つには必要であること、演じることの厳しさ、恐さを相米監督から教わったと薬師丸は話している[127][128]。そして、あの時期があったからこそ、薬師丸は女優を続けられているとも述べている[127]

〔薬師丸主演の『セーラー服と機関銃』(1981年)などの〕その頃の邦画を学生時代に見た、同世代の監督やスタッフと映画やテレビの仕事ができることに感謝している[129]。『今度は愛妻家』(2010年)を監督した行定勲は『セーラー服と機関銃』を観て映画に興味を持ったと話している[130]。また、 薬師丸が初主演したドラマ『ミセスシンデレラ』(1997年フジテレビ)のプロデューサーで、薬師丸をテレビに担ぎ出した小岩井宏悦は、この業界に入ったきっかけとして映画『Wの悲劇』(1984年)を挙げている[131]。〔現場のスタッフから〕球場で薬師丸さんが野球しているのを見に行きましたなどと話をされると、無駄づかいさせてすみませんと謝ることもある[132]

あまちゃん』(2013年)での鈴鹿ひろ美(演・薬師丸)が天野アキ(演・能年玲奈)に向けて言ったセリフの「続けていくのも才能よ」「向いてないけど、続けるっていうのも才能よ」は薬師丸自身を励ます言葉のように感じている[133][124][134]

放送ウーマン賞2013の授賞式で、芸能生活35年は混沌として計画的なものではなかったと回顧し、「子供の時から地味で社交性がなかった私が、みなさんのおかげで表舞台に立たせていただいて、35年間この仕事を続けることができた」と感謝の言葉を述べた[135]。また、早めの失敗があったから頑張れたとも話した[136]

2014年11月、映画共演は『野性の証明』だけだったが、その後も公私にわたって交流のあった高倉健の訃報を聞いて、体から魂が抜けていった感じがしたとラジオで語った[137][138]。12月、ラジオの高倉健追悼特別番組のパーソナリティを務める[139]。同月の『第65回紅白』では「今年色々な出会いや別れがありましたが、紅白という晴れやかな舞台で、目に見えない遠くまで歌が届くといいなと思います」と話した[140]

トリビア[編集]

  • デビュー時のキャッチ・コピーは、「ひろ子という字何度ノートに書いたっけ」であった[要出典]
  • 映画の『翔んだカップル』や『レイクサイド マーダーケース』で共演した鶴見辰吾は幼稚園・小学校の同級生[141][114]
  • 彼女の形態模写を持ちネタとした芸能人としては『オレたちひょうきん族』でのあめくみちこがいる[142]
  • 写真週刊誌の『FLASH』は薬師丸のホクロが消えたのは1994年5月から1995年12月の間だと推理している[143]
  • 『あまちゃん』の天野アキが鈴鹿ひろ美に憧れていたように、能年玲奈はデビュー後の演技指導で薬師丸を参考にするように言われて『野性の証明』・『探偵物語』・『Wの悲劇』などを視聴し[144][145]、『あまちゃん』の出演者オーディションでは「憧れのアイドル」に薬師丸の名前を書いていた[146][注 39]
  • 『あまちゃん』の鈴鹿ひろ美と天野春子の設定は、薬師丸が出演したミュージカル「雨に唄えば」を観ていた番組プロデューサーがオマージュとして設定したと語っている[要出典]。薬師丸は「雨に唄えば」ではキャシー・セルダンを演じているが、『あまちゃん』ではリナ・ラモントに相当する役を演じている。

主な出演[編集]

映画[編集]

♪は主題歌も担当。

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

ドキュメンタリー[編集]

  • テレビシティ特別企画 薬師丸ひろ子 セーラー服を脱いで・・・(1983年4月6日21:00-22:24、TBSテレビ)
  • 薬師丸ひろ子 19歳・夏[注 43](1983年7月10日 15:30-17:00、日本テレビ)
  • オール・ザット・薬師丸ひろ子[注 44]1984年12月9日 16:00-17:00、日本テレビ)
  • 薬師丸ひろ子が見た!サハリン(樺太)縦断1000キロ[注 45][注 46](1989年5月19日、フジテレビ)、放送ライブラリー 番組ID004504
    • 薬師丸ひろ子が見た!サハリン感動の47年(1992年4月24日、フジテレビ)
  • 消えた中国皇帝の秘宝(1998年9月23日、TBSテレビ)
  • 故宮大長征 中国皇帝の秘宝10000キロの旅(1999年1月1日、TBSテレビ)、放送ライブラリー 番組ID010765
  • ルネサンス時空の旅人・奇跡の都ベネチア物語[注 47](2000年11月3日、日本テレビ)
  • 中国謎のヴィーナス〜薬師丸ひろ子・幻の遣唐使ロード3000キロをゆく〜(2000年11月5日、テレビ朝日)
  • ケンボー先生と山田先生〜辞書に人生を捧げた二人の男〜[注 48](2013年4月29日、NHK BSプレミアム)

ナレーション[編集]

ラジオ番組[編集]

CM[編集]

  • 「TALK ON THE PHONE」
  • 19の日」(トークのひ)
  • 「パジャマ・コール」
  • 「100年目の電話生活」 - 監督:森田芳光。シリーズCM。
  • 「これがリッチな缶ビール」(SUNTORY CANビール)
  • 「妻、曰く。」(和膳。和食がおいしくなるビール)
  • 角川文庫「時間がないんだ青春は」(1979年)
  • 角川文庫「ひとりぽっちの空間飛行」(1980年)
  • 角川文庫「好きです、日本語」(1981年) - 八百屋お七
  • 角川文庫「こころは、少年。」(1984年) - 角川文庫創刊35周年記念。原田知世と共演
  • カドカワノベルズ(1981年) - 桃太郎

音楽[編集]

シングル[編集]

シングル
No. 発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 c/w
1 1981年11月21日 せえセーラー服と機関銃 きすき来生えつこ きすき来生たかお ほしか星勝 あたあたりまえの虹
2 1983年5月25日 たん探偵物語 まつもと松本隆 おおたき大瀧詠一 いのうえ井上鑑 すこすこしだけ やさしく
3 1984年5月16日 めいメイン・テーマ まつもと松本隆 みなみ南佳孝 おおむら大村雅朗 すろスロー・バラード
4 1984年10月24日 ううWoman "Wの悲劇"より まつもと松本隆 くれた呉田軽穂 まつとうや松任谷正隆 ふゆ冬のバラ
5 1985年7月3日 あなあなたを・もっと・知りたくて まつもと松本隆 つつみ筒美京平 たけへ武部聡志 てん天に星.地に花.
6 1985年9月6日 てん天に星、地に花[注 51] まつもと松本隆 つつみ筒美京平 しんかわ新川博 あなあなたを・もっと・知りたくて[注 52]
7 1985年11月1日 すてステキな恋の忘れ方 いのうえ井上陽水 いのうえ井上陽水 たけへ武部聡志 ふし不思議よセ・ラ・ヴィ
8 1986年10月19日 ささささやきのステップ まつもと松本隆 さとう佐藤健 ふなやま船山基紀 ひと瞳で話して
9 1986年11月24日 しん紳士同盟 あき阿木燿子 うさき宇崎竜童 たけへ武部聡志 はあハードデイズ ラグ
10 1987年10月10日 むね胸の振子 たて伊達歩 たまき玉置浩二 はきた萩田光雄 ふた二人の帰る場所
11 1988年3月30日 しゆ終楽章 たけうち竹内まりや たけうち竹内まりや しんかわ新川博 ていDISTANCE
12 1988年7月29日 した時代 なかしま中島みゆき なかしま中島みゆき ふなやま船山基紀 はな花のささやき
13 1989年1月25日 かた語りつぐ愛に きすき来生えつこ きすき来生たかお たけへ武部聡志 あんアンフィニ
14 1989年10月4日 ういWindy Boy たかみさわ高見沢俊彦 たかみさわ高見沢俊彦 えくち江口信夫 すいスイート・セレナーデ
15 1990年5月9日 てを手をつないでいて ふうとう風堂美起 くすのせ楠瀬誠志郎 はきた萩田光男萩田光雄 そら空飛ぶ列車
16 1991年1月30日 かせ風に乗って うえた上田知華 うえた上田知華 しみす清水信之 ゆう夕暮れを止めて
17 1997年6月21日 こう交叉点 〜そう それがそう〜 あく阿久悠 たまき玉置浩二 ありか有賀啓雄 へふHeaven's Song 〜愛の繭〜
18 1997年12月3日 こい恋文 〜哀愁篇〜 あく阿久悠 かつき勝木ゆかり さわちか澤近泰輔 さい再会橋
19 1998年4月21日 すまsmile スマイル smile やくしまる薬師丸ひろ子 いけかみ池上智庸、佐孝康夫 さこう佐孝康夫 きえ消えた年月
20 2000年2月23日 らふLove holic まつもと松本隆 うとく宇徳敬子 にしひら西平彰 みか未完成[注 53]
21 2011年3月2日 ほく僕の宝物 たましろ玉城千春 かいた海田庄吾 いのうえ井上鑑 えい映画『わさお』サウンドトラック組曲

オリジナルアルバム[編集]

オリジナルアルバム
No. 発売日 タイトル チャート
最高順位
レーベル 備考
1 1984年2月14日 古今集 1 東芝EMI・イーストワールド 竹内まりや作詞作曲の「元気を出して」を収録。
2013年7月24日に2005年盤を高音質SHM-CDで再発売
2 1985年8月8日 夢十話 2 2014年2月5日に高音質SHM-CDで再発売
3 1986年6月9日 花図鑑 2
4 1987年7月6日 星紀行 3(LPCD)
8(CT)
5 1988年4月6日 Sincerely Yours 8
6 1989年2月15日 LOVER'S CONCERTO 2
7 1990年3月28日 Heart's Delivery 3
8 1991年3月13日 PRIMAVERA 13
9 1998年2月4日 -恋文-LOVE LETTER BMGファンハウス
"-"はオリコンチャートに載らなかったことを示す。

その他のアルバム[編集]

『薬師丸ひろ子 35th Anniversary Concert 2013』 パンフレットのディスコグラフィによる。

type 発売日 タイトル チャート
最高順位
レーベル 備考
ベスト 1986年12月6日 薬師丸ひろ子 ベスト・コレクション 7(LPCT)
4(CD)
東芝EMI・イーストワールド 新曲として「2×2 (two by two)」を初収録
ライブ 1987年12月25日 '87 薬師丸ひろ子ファーストライブ星紀行 94
ベスト 1988年8月5日 SENTENCE〜セ・ン・テ・ン・ス〜 18 2012年12月12日に高音質SHM-CDで再発売
ベスト 2000年4月19日 Love Collection BMGファンハウス 薬師丸ひろ子自身による選曲
ベスト 2011年3月2日 歌物語 43 EMIミュージック・ジャパン 本人による選曲・監修の歌手活動30周年記念アルバム
カバー 2013年12月4日 時の扉 24 女優デビュー35周年記念。
本人選曲による国内外スタンダード曲のカバー・アルバム
"-"はオリコンチャートに載らなかったことを示す。

映像作品[編集]

発売日 タイトル 規格品番 備考
1987年9月25日 星紀行 〜二人の帰る場所〜 VHS:TT90-1198HI, LD:L070-1100
1987年10月26日 星紀行 CDV:CTV24-103
1988年6月25日 Tea Party-卒業記念- VHS:TT48-1283HI, LD:LO48-1124
1990年6月27日 Heart's Delivery ハート・デリバリー VHS:TOVF-1061, LD:TOLF-1061
2007年3月14日 星紀行 〜二人の帰る場所〜 DVD:TOBF-91122 再発売
2007年3月14日 Heart's Delivery ハート・デリバリー DVD:TOBF-91123 再発売
2014年1月29日 - 時の扉 - 35th Anniversary Concert BD:TYXT-10030 ,DVD:TYBT-10030

非公式ベストアルバム[編集]

発売日 タイトル 規格品番・備考
1987年11月25日 オリジナルツイン・シリーズ ザ・名盤 古今集/夢十話 CT22-5052〜CT22-5053
1988年7月6日 薬師丸ひろ子 Selection20 XT15-5016
1988年12月4日 薬師丸ひろ子 マイ・コレクション CT16-5364
1989年6月7日 薬師丸ひろ子 CD BOX CT25-5477〜CT25-5481
1990年9月13日 薬師丸ひろ子 ベストナウ CT33-9053
1991年9月27日 薬師丸ひろ子 ベストナウ2 TOCT-6265
1998年3月28日 薬師丸ひろ子 ツイン・ベスト TOCT-10240〜TOCT-10241
1999年3月17日 薬師丸ひろ子・シングルズ TOCT-24106〜TOCT-24107
2000年5月24日 薬師丸ひろ子・ベスト《2000(ミレニアム) BEST》 TOCT-24354
2002年11月20日 薬師丸ひろ子 ゴールデン☆ベスト TOCT-10875
2003年 Best Selection Original 薬師丸ひろ子 BSCD-0032
2003年12月5日 薬師丸ひろ子 ピュア・スウィート CD6枚組+DVDのボックスセット
GSD12101〜GSD12106、BVD-1039
2005年 薬師丸ひろ子 ベスト・コレクション FECL41715
2007年8月22日 エッセンシャル・ベスト 薬師丸ひろ子 TOCT-26317

他アーティスト作品への参加[編集]

発売日 アーティスト タイトル 備考
1987年8月12日 竹内まりや album『REQUEST コーラス:「元気を出して」
1991年2月20日 Various Artist 朗読CD『音楽物語 星の王子さま 曲「星の王子さま」[注 54]
1998年11月6日再発売
1993年9月22日 玉置浩二 album『カリント工場の煙突の上に デュエット:「西棟午前六時半」
1994年7月25日 竹内まりや album『Impressions コーラス:「元気を出して」
1997年3月19日 Various Artist album『またまた・マザー・グース 曲「小さな星よキラキラキラ」
1998年9月23日 S.E.N.S.of Y[注 55] single『Opura-Upulai-Lai/金色の麦畑』 曲「Opura-Upulai-Lai」「金色の麦畑」
1998年12月16日 S.E.N.S.of Y[注 55] album『TerraFarma』
2000年10月21日 来生たかお single『地上のスピード』 デュエット:「夢の途中」
2000年11月10日 来生たかお album『Dear my company デュエット:「夢の途中」
2008年5月21日 竹内まりや single『幸せのものさし/うれしくてさみしい日』 コーラス:「元気を出して」
2008年10月1日 竹内まりや album『Expressions コーラス:「元気を出して」
2012年11月7日 ケルティック・ウーマン album『心のクリスマス/ホーム・フォー・クリスマス 曲「ユー・レイズ・ミー・アップ〜 祈りヴァージョン feat. 薬師丸ひろ子
2013年12月4日 Various Artist album『Mariya's Songbook 曲「元気を出して」,「終楽章」
2013年12月18日 Various Artist album『Tribute to Taeko Onuki』 曲「色彩都市」[168]

サウンドトラック[編集]

発売日 タイトル 規格品番
1982年4月21日 ひろ子 青春のメモワール[注 56][注 57] COCA-12499
1983年7月16日 探偵物語 オリジナル・サウンドトラック CA35-1036
1984年8月1日 メイン・テーマ オリジナル・サウンドトラック CA35-1084
1984年12月21日 Wの悲劇 オリジナル・サウンドトラック CA35-1098
1985年7月20日 角川春樹事務所創立10周年記念 角川映画スペシャル CA32-1144
1985年12月25日 野蛮人のように オリジナル・サウンドトラック CA32-1210
1986年8月25日 セーラー服と機関銃 オリジナル・サウンドトラック H33K20053
1986年12月6日 紳士同盟 オリジナル・サウンドトラック CA32-1341
1989年11月1日 READY! LADY オリジナル・サウンドトラック TOCT-5585
1998年7月25日 Wの悲劇 オリジナル・サウンドトラック CPC8-3006
1998年11月26日 角川映画 女優ヴォーカル セレクション CPC8-3010
2002年8月21日 Kiss your dreams〜NHK「地球!ふしぎ大自然」サウンドトラック〜 PICL-1259
2005年5月11日 オペレッタ狸御殿 オリジナル・サウンドトラック MTCA-1020
2007年9月5日 少年隊PLAYZONE2007 Change2Chance-第1幕-オリジナル・サウンドトラック[注 58] JECN-0144
2011年1月26日 角川映画主題歌集 TOCT-27036
2011年1月26日 角川映画主題歌集〜デラックス[Limited Edition] TOCT-27034〜35

タイアップ[編集]

曲名 タイアップ
セーラー服と機関銃 同名映画主題歌
探偵物語 同名映画主題歌
すこしだけ やさしく TBS系『わくわく動物ランド』エンディング曲
メイン・テーマ 同名映画主題歌
Woman "Wの悲劇"より 映画『Wの悲劇』主題歌
資生堂『ポーセリア』CMソング
あなたを・もっと・知りたくて NTT『TALK ON THE PHONE』イメージソング
天に星.地に花. 資生堂『ポーセリア』CMソング
ステキな恋の忘れ方 映画『野蛮人のように』主題歌
東芝テレビCMソング
ささやきのステップ NTT『19(トーク)の日』キャンペーンソング
瞳で話して NTT『19(トーク)の日』キャンペーンソング
紳士同盟 同名映画主題歌
ハードデイズ ラグ 映画『紳士同盟』挿入歌
胸の振子 東芝テレビCMソング
時代 映画『ダウンタウン・ヒーローズ』イメージソング
フジテレビなるほど!ザ・ワールド』エンディングテーマ
語りつぐ愛に 日本テレビ水曜グランドロマン』主題歌
Windy Boy 映画『READY!LADY!』主題歌
手をつないでいて TBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』エンディング曲[注 59]
風に乗って NTT『パジャマ・コール』CMソング
星の王子さま 青森テレビ局名告知BGM[注 60]
交叉点 〜そう それがそう〜 フジテレビ知ってるつもり?!』エンディング曲[注 61]
smile スマイル smile テレビ朝日グルメな冒険 お願い!リストランテ』エンディング曲
Opura-Uplai-Lai(オプラ ウプライ ライ) [注 62] TBS系「大発見! 消えた中国皇帝の秘宝」挿入歌
金色の麦畑[注 62] TBS系「大発見! 消えた中国皇帝の秘宝」エンディングテーマ
Love holic テレビ朝日ドラマ『恋愛中毒』主題歌
Kiss your dreams NHK総合のドキュメンタリー番組『地球!ふしぎ大自然』エンディング・テーマ
僕の宝物 映画『わさお』主題歌
TBSドラマ『こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜』主題歌

劇中歌[編集]

劇中歌
曲名 歌手 映画・ドラマ名
異邦人 久保田早紀 翔んだカップル
カスバの女 エト邦枝 セーラー服と機関銃
こぶたぬきつねこ 童謡 メイン・テーマ
人は病 映画オリジナル オペレッタ狸御殿
思い下りますな
OH MY LITTLE GIRL 尾崎豊 うた魂♪
ああモンテンルパの夜は更けて 渡辺はま子 戦場のメロディ
支那の夜
蘇州夜曲
桑港のチャイナタウン
(サンフランシスコのチャイナタウン)
夢の中へ 井上陽水 今度は愛妻家
潮騒のメモリー[注 63] 天野春子(小泉今日子 あまちゃん

音楽番組[編集]

NHK
日本テレビ
TBSテレビ
フジテレビ

オリコン記録[編集]

  • デビュー曲からのシングル連続首位記録(ソロ歌手)[注 66]
2作「セーラー服と機関銃」(1981年)、「探偵物語/すこしだけやさしく」(1983年)
  • デビュー作からのシングル連続首位記録(女性アーティスト部門)歴代3位[171]
2作「セーラー服と機関銃」(1981年)、「探偵物語/すこしだけやさしく」(1983年)
  • 女性アーティストによるデビュー年から3年連続の首位獲得[172]
1981年〜

ライブ[編集]

コンサート[編集]

No. 開始日 最終日 タイトル 公演数
1 1987年7月9日 1987年8月17日

トーク・ファーストツアー「星紀行」元気を出して!コンサート

21
2 1988年8月30日 1988年10月3日

1988コンサートツアー“SENTENCE”

18
3 1990年3月29日 1990年4月28日 NTTサウンドトークコンサート ハート・デリバリー 薬師丸ひろ子 '90 17
4 2013年10月1日 2013年10月11日 薬師丸ひろ子35周年記念コンサート[174][注 67] 4
5 2014年12月16日 2014年12月17日 薬師丸ひろ子 Premium Acoustic Night 時の扉 〜Look For A Star〜[175] 4

海外公演[編集]

No. 開始日 最終日 国・都市
1 1988年10月15日 1988年10月16日 台湾・台北

主なイベント[編集]

タイトル
1981年 「セーラー服と機関銃」ヒロコDEデート[注 68]
1984年 ひろ子20thフェスティバル
1984年 サンチェーンスペシャルイベント薬師丸ひろ子&原田知世ジョイントコンサート[176]
1994年 Act Against AIDS '94
2010年 薬師丸ひろ子「Songs 2010」〜映画「今度は愛妻家」公開記念[注 69]
2013年 Anniversary For Yuming〜Golden Circle Vol.17〜

書籍[編集]

写真集[編集]

  • 1979年 - 『薬師丸ひろ子フォトメモワール』 富士見書房
  • 1980年 - 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part2)』 富士見書房
  • 1982年 - 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part3)』 富士見書房
  • 1983年 - 『フラッシュバックひろ子 : ありのままの輝き 「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子写真集』 角川書店
  • 1984年 - 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part4)』 富士見書房
  • 1985年 - 『薬師丸ひろ子Visual message 21才の旅立ち』 扶桑社
  • 1986年 - 『「野蛮人のように」写真集』 集英社

対談集[編集]

  • 1983年 - 『プレイバックひろ子 : 言葉かみしめて 「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子対談集』 角川書店
  • 1993年 - 『「映画愛」 俳優編 武藤起一インタヴュー集』 大栄出版
1992年11月17日のインタビュー収録
2001年9月12日の対談収録[注 70]

雑誌[編集]

  • 1978年 - 『バラエティ角川書店
  • 1979年 - 『週刊朝日朝日新聞社、1979年11月23日号表紙[177]
  • 1982年9月22日 - 『週刊ザテレビジョン角川書店。創刊号を含め表紙登場回数は12回(2002年3月1日号時点)[46]
  • キネマ旬報キネマ旬報社
    • 山際淳司「薬師丸ひろ子インタビュー」、『キネマ旬報』1981年(昭和56年)12月下旬号、キネマ旬報社、1981年、 52-53頁。
    • 内海陽子「ひろ子の軌跡」、『キネマ旬報』1983年(昭和58年)7月下旬号、キネマ旬報社、1983年、 49-53頁。
    • 野村正昭「アイドル誕生 - 薬師丸ひろ子の場合」、『キネマ旬報』1983年(昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、 44-46頁。
    • 中岡徹尚「薬師丸ひろ子論」、『キネマ旬報』1986年(昭和61年)2月上旬号、キネマ旬報社、1986年、 105-107頁。
    • 「薬師丸ひろ子の証明」、『キネマ旬報』1992年(平成4年)10月下旬号、キネマ旬報社、1992年、 15-34頁。
    • 尾形敏朗「素晴らしき映画女優(7)薬師丸ひろ子 - 映画におかえりなさい!」、『キネマ旬報』2005年(平成17年)11月上旬号、キネマ旬報社、2005年、 121-129頁。
    • 薬師丸ひろ子「薬師丸ひろ子 映画のマジック、映画の奇蹟に出会えた2005年」、『キネマ旬報』2006年(平成18年)2月下旬号、キネマ旬報社、2006年、 48 - 49頁。
    • 金澤誠「薬師丸ひろ子インタビュー」、『キネマ旬報』2007年(平成19年)11月上旬号、キネマ旬報社、2007年、 31- 33頁。
  • 薬師丸ひろ子「独占インタビュー 五年連用日記で私の心を覗く」、『婦人公論1998年(平成10年)10月7日号、中央公論新社1998年、 58-61頁。
  • 阿川佐和子のこの人に会いたい(610)二十歳のとき、「泣き方は私が決める」と思って、一度辞める決心をしました 女優 薬師丸ひろ子」、『週刊文春2005年12月8日号、文藝春秋2005年、 146 - 150頁。
  • 林真理子「マリコのここまで聞いていいのかな(300)ゲスト 薬師丸ひろ子 女優」、『週刊朝日2006年2月3日号、朝日新聞出版2006年、 48 - 52頁。

受賞歴[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 1982年邦画興行収入1位[1]
  2. ^ ゴールデングロス賞のマネーメイキングスター賞受賞2回。角川時代の主演映画『ねらわれた学園』から『Wの悲劇』までの配給収入合計は約120.7億円。
  3. ^ 「セーラー服と機関銃」・「探偵物語」・「Woman "Wの悲劇"より」はオリコン週間1位、「メイン・テーマ」はオリコン週間2位[2]
  4. ^ どちらもオリコン週間2位[2]
  5. ^ 順位は29位。ちなみに1位はSMAP。
  6. ^ 昭和アイドル27位。ちなみに1位は松田聖子。
  7. ^ 特に、『ALWAYS 三丁目の夕日』の演技で2005年度の国内主要映画賞の助演女優賞を独り占めにした[7][8]受賞歴も参照。
  8. ^ 身長がオーディションの重要な条件となっていたのは、劇中で高倉健が頼子役を背負うシーンがあるため。
  9. ^ 角川以外にも薬師丸を強く推したと言う人が多く、誰の話が真実なのか本人にも分からない。
  10. ^ 角川春樹は、つかこうへいに対して、薬師丸に投票するように頼んだ[10]
  11. ^ オーディションの内容の一部が『ひろ子 青春のメモワール』に音声として残っている。オーディションでは岩崎宏美の「思秋期」を歌った。
  12. ^ FLASH誌上でキティ・フィルム代表多賀英典は、出演交渉した時、薬師丸は何処の芸能事務所にも所属していなかったと証言している。
  13. ^ しかし、薬師丸人気が大きく爆発するのは東宝ではなく東映で配給する次作になる[20]
  14. ^ 目標とした興行成績を達成し、一応の成功をおさめている[21]
  15. ^ 第2稿の脚本では、星泉「(ニコッ)快感」と書かれている[23]
  16. ^ 映画撮影終了後に撮影された主題歌のレコードジャケット写真では、メイクによってこの出血が再現されている[26]
  17. ^ 大阪府警発表は1万人。スポーツ新聞には6000人とも。
  18. ^ 足を折っても構わないとスキーをすることで開放感を味わったことを理由に挙げている
  19. ^ 連続ドラマに限定すれば1978年の『敵か?味方か?3対3』以来19年ぶり。
  20. ^ 1980年以降配給収入10億円以上の映画3本以上に主役(級)で出演した俳優を対象に、その該当映画の合計配給収入順にランキング。ただし、90年代デビューは2本以上。
  21. ^ 配給収入10億円以上の映画7本。合計配給収入135.2億円。ちなみに、原田知世は10位で4本74.5億円[51]
  22. ^ a b ドキュメンタリー番組『しあわせのカタチ 脚本家・木皿泉 創作の「世界」』内の書き下ろしドラマ[159]
  23. ^ 「セリフ覚えるの大変」、「凄く時間に追われる」ことを懸念していた[64][65]
  24. ^ 「主役じゃなければそんなに大変じゃありませんよ」と言われたことも[64][65]
  25. ^ 台本通りに演じることで、宮藤官九郎さんの考えられる大女優像を演じ、台本のせいにして乗り切って行きたいと抱負を述べた[67][66]
  26. ^ 山形新聞「実はちゃんと歌える薬師丸ひろ子が音痴な役を演じ」[68]。内田正樹「本来歌の上手い薬師丸が究極の"音痴"を演じたこと」[69]
  27. ^ 〔引用者注〕本文の団塊世代団塊ジュニア世代の誤りであると思われる。
  28. ^ ドラマとして芝居を撮影しながら、生で音楽も歌声も「一発録りする」という異例な収録だった[72]
  29. ^ 歌手デビューの日付も決定していた[75]
  30. ^ 理由は歌手活動は学業との両立が時間的に難しいことと、マスコミへの露出が増えることへの不安。当時、薬師丸は学校や仕事場へ、自分一人で電車通学・通勤していた。
  31. ^ 当初、薬師丸は"歌わないアイドル"として売り出す方針だった[76]
  32. ^ 薬師丸は大瀧作品の「夢で逢えたら」・「探偵物語」・「すこしだけやさしく」を客席の大瀧詠一2013年12月30日歿)の前で披露した[89]
  33. ^ 「鈴を転がす声」のもとになっている「玉を転がす声」は高音の非常に綺麗な女声を讃える慣用句。
  34. ^ 出生地に関して、渋谷区[104][40]と港区[7][105]の2通りの資料があるが、渋谷区日赤病院と記述のある渋谷区の方が信頼性が高いと判断した[106]
  35. ^ 配給収入21.8億円。1978年度邦画1位。
  36. ^ この要求は両親でなく、薬師丸本人がしている。
  37. ^ 「あの日は楽しかったのに、今日は悲しい」、「1年前は辛かったけれど、今はこんなに元気だ」、「誰にも会いたくないと思ったけれど、10日後には友達と外食をしている」[123]
  38. ^ 薬師丸「だって私、好きなんだもん」[126]
  39. ^ 薬師丸が同作品に出演する事が発表される前[147]
  40. ^ 1997年度放送文化基金賞受賞本賞、女優演技賞(薬師丸ひろ子)受賞作品。第35回ギャラクシー選奨受賞作品。第37回日本テレビ技術賞受賞(録音)作品
  41. ^ 役者として宮藤官九郎が出演し、薬師丸と共演している。
  42. ^ 2013年度(平成25年度)第68回文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門の優秀賞を受賞[160]
  43. ^ 映画『探偵物語』のメイキング。
  44. ^ 映画『Wの悲劇』のメイキング。
  45. ^ 第7回(1990年)ATP賞優秀賞ノンフィクション部門受賞。
  46. ^ サハリン州#歴史
  47. ^ DVD化された。薬師丸ひろ子 (2003年9月25日). ルネサンス時空の旅人『奇跡の都ベネチア物語』 (DVD). バップ.. 該当時間: 80分. ASIN B0000AVTHS 
  48. ^ 第30回ATP賞情報・バラエティー部門最優秀賞を受賞[161]。第40回放送文化基金賞テレビエンターテインメント番組優秀賞を受賞[162]
  49. ^ YouTubeなどでは「初恋」や「初恋編」の名称で紹介されている。
  50. ^ ラジオCMでは、本人の17歳の誕生日前にもかかわらず、「ひろ子、17歳…」という本人のナレーションが放送された時期があった。
  51. ^ ニュー・リミックス・ロングヴァージョン。12inch Single。「天に星.地に花.」と表記されることもある。
  52. ^ ニュー・リミックス。
  53. ^ アルバム『星紀行』(1987年)に収録された「未完成」(中島みゆき作詞作曲)をセルフカバーしている。
  54. ^ 自身のアルバム『PRIMAVERA』にも収録。
  55. ^ a b センス、薬師丸ひろ子からなるユニット。
  56. ^ 映画『野性の証明』オーディション、映画『野性の証明』『ねらわれた学園』。
  57. ^ オリコン週間1位(LP)、2位(CT)。
  58. ^ 曲「愛しいあなた」。
  59. ^ 日立 世界・ふしぎ発見!#エンディング
  60. ^ 青森テレビ#オープニング・クロージングについて
  61. ^ 知ってるつもり?!#テーマ曲
  62. ^ a b S.E.N.S.of Y 名義。
  63. ^ 「セーラー服と機関銃」の歌詞とリンクしているという指摘もある[169]
  64. ^ ザ・ベストテン登場歌手一覧
  65. ^ 夜のヒットスタジオ出演歌手一覧#芳村真理・井上順時代後期(1981,4 - 1985,9)
  66. ^ オリコンチャート#オリコンシングルチャートの各種記録
  67. ^ 音楽監督は武部聡志
  68. ^ 新宿アルタ#備考
  69. ^ 音楽監督は井上鑑
  70. ^ 前日に起こったアメリカ同時多発テロ事件と3日前に亡くなった相米慎二監督のことを話している。
  71. ^ 2013年12月現在、話題賞4回は最多受賞記録
  72. ^ 主演と助演の両賞受賞は、山田五十鈴望月優子乙羽信子桃井かおり田中裕子三田佳子秋吉久美子宮沢りえ(達成順)に続き9人目。達成に要した期間21年は乙羽信子の13年を越え最長。

出典[編集]

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  4. ^ ミュージックステーション. テレビ朝日.. (2012年6月29日) [注 6]
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]