熊川哲也

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くまかわ てつや
熊川 哲也
生誕 1972年3月5日(39歳)
日本の旗 日本 北海道
出身校 ロイヤル・バレエ学校
職業 バレエダンサー
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熊川 哲也(くまかわ てつや、1972年3月5日 - )は、日本の北海道出身のバレエダンサーである。愛称は、テディ(Teddy)。血液型はA型。身長174cm。

目次

[編集] 略歴

北海道旭川市に生まれる。熊川の父親は富良野市出身の人物で、熊川家は、同市近郊で明治時代から続く農家であった。当地には現在も親戚が多数住んでおり、母親も旭川市出身ではないため、熊川自身は富良野を自身の故郷として認識しているという。10歳で地元の久富淑子バレエ研究所で学び始めた。

高校1年で英国ロイヤルバレエ学校に留学し、在学中の1988年昭和63年)、日本人としては初めてソ連(当時)・ペテルブルクマリインスキー劇場で踊った。翌年には、第17回ローザンヌ国際バレエコンクールに出場、日本人初の金賞を受賞し、その演技は絶賛された[1]

1989年平成元年)、英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団し、バレエ団最年少でソリストに昇進。1990年(平成2年)にケネス・マクミランの新作『パゴダの王子』の道化役に抜擢される。1991年(平成3年)ファースト・ソリスト、1993年(平成5年)プリンシパルに昇格。天性の体のバネを生かした、滞空時間の長い跳躍と切れ味鋭い回転が持ち味で、『ドン・キホーテ』のバジルを始め、数々の名演を残した。同バレエ団には約10年間在籍し、1999年(平成11年)に退団した。

その後熊川は、自らKバレエカンパニーを創立。以来国内外で活動を続ける傍ら同カンパニーの芸術監督としてプロデュース演出振付なども手がける。マヤ・プリセツカヤシルヴィ・ギエムダーシー・バッセル吉田都など、内外の有名ソリストとの共演も多い。

2007年(平成19年)5月15日に札幌市で行われた『海賊』の公演中、ジャンプの着地の際に右ひざをひねり公演途中で舞台を降板した。翌日、都内病院で右膝前十字靭帯損傷と診断され、約20年間のバレエキャリアで初めて代役を立てる事態となったが、翌年3月の新作『ベートーヴェン 第九』で復帰した。

2011年(平成23年)6月30日に、2012年からBunkamura オーチャードホールの初代芸術監督に就任することが発表される。任期は5年。[2]

[編集] 受賞

[編集] 人物

[編集] 主なレパートリー

[編集] メディア出演

映画
  • F - 古瀬郁矢役 ※第22回日本アカデミー賞新人俳優賞受賞
  • およう
テレビドラマ
テレビ番組

他多数

ラジオ
(NHK広島放送局ではぶち☆なまを放送されるため聴くことが出来ない。)
CM

[編集] 脚注

  1. ^ 同コンクールでは、決選以外は拍手を禁止されているが、予選の段階から観客の拍手が鳴り止まなかった。また、当時のテレビ解説者が熊川のドン・キホーテのバジルを評して「少し芝居がかっていますが、素晴らしいですね。彼は既にプロとしてやっていけます。今は膝下が少し短いようですが、成長すればそれも…。」とコメントした。なお、このコンクールの解説者は、クロード・ベッシー元オペラ座バレエ学校校長と混同されがちだが、東京大会の解説者はヴィオレット・ヴェルディである。
  2. ^ 熊川哲也がBunkamura オーチャードホールの初代芸術監督に就任(シアターガイド、2011年6月28日)

[編集] 外部リンク

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