来生たかお
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| 来生たかお | |
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| 基本情報 | |
| 出生名 | 来生孝夫 |
| 出生 | 1950年11月16日 |
| 学歴 | 城西大学中退 |
| 出身地 | 東京都 |
| 職業 | 歌手 作曲家 |
| 担当楽器 | ピアノ ギター |
| 活動期間 | 1976年 - |
| 影響 | ギルバート・オサリバン ビートルズ |
| 公式サイト | http://www.kisugitakao.com/ |
来生 たかお(きすぎ たかお、1950年11月16日 - )は日本の作曲家・歌手。本名は来生孝夫(読みは同じ)。
目次 |
[編集] 人物
(注)原則、来生たかおの事は「来生」、来生えつこはそのまま「来生えつこ」と表記。
[編集] アーチスト面
控えめ且つノスタルジックで心温まる楽曲で知られる、屈指のメロディーメーカー。その多くはマイナー調であり、淡々としていながら叙情漂うそのメロディーと、ほとんどビブラートの掛からない囁くような歌唱は、「来生節」と称される。また、歌手活動と同時に、姉・来生えつことのコンビを主軸に作曲家としても活動。「セーラー服と機関銃」(歌唱:薬師丸ひろ子)、「スローモーション」、「セカンド・ラブ」(歌唱:ともに中森明菜)、「シルエット・ロマンス」(歌唱:大橋純子)、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(歌唱:しばたはつみ)など、日本ポピュラー音楽史上に残るスタンダードナンバーを送り出している。
自身の音楽の基本はノスタルジーであり、熱愛の頃をふと思い出すようなものを作って来たと述べ、また、自分は歌手より作曲家に向いていると語る一方で、自作品の細かなニュアンスを一番知っている自分自身でも歌いたいとも語っている[1]。デビューアルバムから最新作に至るまで、その作風は一貫しており、自らマンネリズムとも称しているが、それは、時流に流されずマイペースに長らく音楽活動を続ける数少ないアーチストであることの証左とも言える。
一般的な肩書はシンガー・ソング・ライターだが、担当しているのは歌唱と作曲のみ(自作曲のいくつかは編曲も担当)であり、そういう意味では“歌手兼作曲家”と表するのが正確である。また、実の姉弟によるソングライティングチームはあまり類例がなく、デビュー当初は夫婦に間違えられることも多かったと言う。
井上陽水、小椋佳に続く第三の新人として、キティレコードから鳴り物入りでデビューした当時、若者の音楽はまだフォークソング色が濃く、ジーパンにフォークギター一本というスタイルの歌手も多かった中、ピアノで歌う男性シンガーは珍しかった。最初はザ・ベンチャーズの影響でギターで曲作りも行っていたが、音符(来生自身は“おたまじゃくし”と表現する事が多い)として書き留めたい、曲作りの幅を広げたいとの思いで、20歳の時に一念発起、近隣の個人教室で子供と交じりながらピアノを習い始めた。週1回のレッスンを週3回にしてもらい、自宅では紙鍵盤で練習、バイエルを3ヶ月で終わらせ、約1年半の教室通いの後は独学でこなした[2]。ピアノを始めるきっかけのひとつとして、ザ・ビートルズのLet It Beのイントロを聴き、これくらいなら自分でも弾けるのでは、と思ったと語っている[3]。
元々、来生えつこが何気なくノートに書き留めていた散文に勝手に曲を付けるかたちでコンビはスタートした。処女作「サラリーマン」(後にオリジナルアルバム『égalité』に収録)等を含む自主制作レコードを放送局へ持ち込んだ事もあり、デビュー曲の「浅い夢」も19歳の時には既に原曲が作られていた[4]。ほとんどの楽曲は曲が先に作られ、後から詞が付けられるが、中には「Goodbye Day」のように詞が先の例もある。来生は、自由に楽曲の構成が出来る為、曲が先のほうが作りやすいと述べている。自演曲の場合、一挙に作り上げるということは滅多になく、部分的に出来たものを暫く放置し、他の曲作りをしつつ完成させて行く。散歩中や就寝前に浮かんだメロディーを録音したり譜面に起こしたりする事もあると言う[5]。最初のモチーフから自分のイメージ通りの“良い曲”にするのは難しく、中には7年ぐらいかけて作った曲もあると言う[6]。また、提供曲の場合、メロディーにある程度音を重ねたデモテープを作り、作詞家が依頼主の要望に沿った歌詞を付け、それに来生が歌を吹き込んで渡すという流れになり、実際に提供歌手が歌ったものは、思いの外良い事もあればその逆もあると語っている[7]。
デビュー間もない頃からメディアに引き出され、1980年代以降、『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』『ミュージックステーション』等々、数々の音楽番組に出演して来たが、圧倒的な数の人間が観ていると思うと集中して歌えない為、あまりテレビには出たくはないと語っており[8]、その緊張振りをよく“寿命が縮む”と表現する[9]。
[編集] プライベート面
来生えつこによれば、幼少期はぼうっとした子で、何度訂正しても“えんぴつ”を“いちんぷ”と表現する等、いくつかの単語を間違えて覚えていたと言う。また、中村錦之助、片岡千恵蔵、大友柳太郎等の影響でチャンバラごっこをしたり、風呂敷を羽織って月光仮面を気取ったりしていたが、基本は内弁慶で、その傾向は成人してからも変わっておらず、都会っ子の脆さを持ったシャイな人間だと言う[10]。自身もその傾向は認めており、家を一歩出ると大人しくなると述べている。[11]。自身の性格を対人恐怖症気味と評している通り、テレビやラジオ出演時のトークは苦手で、基本的に寡黙で淡々としている為、司会者や出演者にその点をつっこまれたり気を遣われたりする事も珍しくない。プロとしての初ステージではMC用の台本を用意していた程である[12]。姉弟が揃ってメディアに出る機会はあまりないが、一緒に出演する時は来生えつこが積極的に喋る傾向にあり、“しっかり者の姉とシャイな弟”という微笑ましい関係が窺える。
思想家・岸田秀の“すべては幻想である”という主張に衝撃を受けたと語り、後々オフィシャルホームページで氏との対談も実現させている(新書館・岸田秀著『官僚病から日本を救うために 岸田秀談話集』〈2009.05〉に収録)。また、好きな言葉は“色即是空、空即是色”(般若心経の一節)と語り[13]、“前向き・プラス思考という言葉は好きではない”“(年を取ると)ピュアな恋愛なんて不可能”等、ネガティブな発言も少なくなく、自分は厭世的な人間であるとも告白している。一方、番組で“幸せとは?”と問われて、一言では言い表せないこと、と答えている[14]。
一時期は野球やテニス(後者は35〜45歳)に熱中していた(プレイしていた)事もあったが、基本的には将棋、麻雀、パチンコ等の屋内ゲームが趣味である。将棋好きが高じ、その戦法(囲い)の一つである矢倉囲いと銀将を掛け合わせた「矢倉銀」という編曲用の変名を考案し、自作の幾つかを担当している。また、パチンコでは、その儲けで自宅の風呂を改築した事もあったと言う[15]。麻雀は、松任谷正隆・由実夫婦ともよく囲んでいたらしい。更に、かつては『ゼビウス』や『スペースインベーダー』等のアーケードゲームにも興じ、自宅にゲーム機を持ち込む程ハマっていたとの事で[16]、その自他共に認める凝り性の気質が窺える。
2003年の小津安二郎生誕100周年をきっかけに、それまでほとんど関心がなかった氏の作品に一気に傾倒し、アルバムのデザインワークにその雰囲気を反映させている。また、オリジナルアルバム『avantage』には、同監督作品の『長屋紳士録』(主演:飯田蝶子)で笠智衆が歌った“のぞきからくり”の一節に個人史を載せた「夢の途中譜」を収録している(来生たかお関連作品・「オリジナルアルバム」参照)。MCや番組出演時には、同監督作品も含め、映画の話題を切り出す事も少なくない。
大の愛煙家で、煙草(とコーヒー)がなければ曲が作れないとまで語っている。1983年に不整脈が出たのをきっかけに銘柄を「ハイライト」から「セブンスター」に替えたものの[17]、1997年のラジオ番組では、“健康の為に吸っている”“止めたらガン細胞が動き出して肺がんになる”“どうせ死ぬ訳だし、危険を遠ざけて生きるのはつまらない”と独自の哲学を語り、一日に大体80本は吸っていると明かしている[18]。
ウニ、イクラ等の高級な食材は食わず嫌いの傾向にあり、コンサートツアーで各地を回る時もあまり名産に興味が向かず、普段から、ラーメン、炒飯、スパゲティ等を好み、来生えつこからは、味覚は子供の頃と変わっていないと揶揄された事もある[19]。
愛車は「ミニ・クーパー」。将来的にはもっと楽に取得できるシステムになるだろうと考え、専ら妻の車の助手席を陣取っていたが、同じく車の運転をしなかった井上陽水が免許を取得した事がきっかけとなったらしく、49歳で一念発起し、一発合格を果たした。
かみさんは“ごはん”みたいなもの(=飽きない)と述べ、その愛妻家振りが窺える。出会いは1978年、コンサート会場の楽屋だった。
2008年に初孫が誕生した事をコンサートのMCで語った。
[編集] 音楽的嗜好と影響
元々、ザ・ベンチャーズ等のインストナンバーを好んで聴いていたが、姉の影響でザ・ビートルズのオリジナルアルバム『ラバー・ソウル』に興味を持ち、同グループの日本公演にも足を運んでいる。特にポール・マッカートニーの作品を敬愛するようになる一方で、ギルバート・オサリバンからも大きな影響を受け、「大明神」と称して崇めている。氏の楽曲(特Clair)をモチーフに作った曲も多いと言う。コンサート、テレビ、ラジオ等で氏の楽曲を何度も歌っており、また、初期のスタイルを模した衣装でアルバムのジャケットを飾り、同様の衣装を着て歌った事もある[20]。
他にも、好きなアーチストや楽曲として、フランシス・レイ(「白い恋人たち」)、ヘンリー・マンシーニ(「ムーン・リバー」)、バート・バカラック(「雨にぬれても」)、エミット・ローズ、マイケル・ジョンソン等を挙げている。ラジオ番組で「無人島に持って行く一曲」を問われた時は『太陽がいっぱい』のメインテーマ(作曲:ニーノ・ロータ)を選び[21]、古今東西の楽曲の中で一番好きだと語っている。
また、近年のコンサートでは昭和の流行歌を披露するようになり、2008年には、小学生時代の愛唱歌である「雨に咲く花」(歌唱:井上ひろし)や平岡清二作品等のカヴァーを収録したオリジナルアルバム『余韻(アルバム)|余韻』をリリースし、前述の海外アーチスト以前に昭和歌謡の影響もあることを公表している。
元々作曲家志望である為か、他人の楽曲も音楽理論的な見地から関心を寄せる事が多い。ギルバート・オサリバンに関しても、コード・メロディー・構成が意外な展開を見せる点、ジャズのコードを用いながらポップな曲に仕上げる点等を、その魅力として挙げている。他にも、小林亜星作曲の「ギターを弾こう」(歌唱:加藤登紀子)、加山雄三(「弾厚作」名義)作曲・歌唱の「君のスープを」等では、その転調の面白さを語っている。1999年にエルヴィス・コステロがカヴァーした「She」に関しては、好きな曲で、最初のメロディーは良いが後半はちょっと残念という感想を述べている[22]。
[編集] 活動経歴
[編集] デビュー前夜
20代前半、大学時代に結成した三人組のバンド「ビコーズ」で、音楽喫茶(銀座「タクト」、渋谷「青い森」)に出演するようになる(渋谷ジァン・ジァンはオーディションで落選)。バンド名はデイブ・クラーク・ファイブの楽曲「Because」に由来している。同時期に、いずみたく、浜口庫之助等の作曲家の元へ曲の売り込みに出向いた事もあったが、門前払いの状態だったと言う[23]。
「青い森」ではアンドレ・カンドレ(後の井上陽水)と出会い、その後、一緒に関東近辺のライヴやラジオに出演するようになる。氏のバックを務めていた当時を振り返り、「習い立てのピアノで迷惑かけたんじゃないかな」と回顧している[24]。また、同ライヴスポットでは、忌野清志郎とも出会っており、後に作詞の依頼もしている(来生たかお関連作品・「被カヴァー曲」参照)。
井上との出会いをきっかけに、氏や小椋佳のディレクターをしていた多賀英典と知り合い、デモテープを持ち込むようになるが、なかなか認められなかった。来生えつこによれば、プロデューサーが嫌になってしまうくらい粘り強く売り込みを続けていたらしい。 やがて、「酔いどれ天使のポルカ」が亀渕友香への提供曲に採用され、更に、後に高田真樹子が歌う事になる「終止符」を聴いたプロデューサー(多賀英典)から、君のレコードを作ろうと連絡が入り、書きためていたものの中から50曲をデビュー候補曲として録音する運びとなった。デビューアルバム『浅い夢』の製作には凡そ二年を要している。
[編集] 来生たかお大誕生
「週刊少年マガジン」1976年12月12日号にて、巻頭カラー特集ページ「カラー特別企画 陽水・小椋佳につづく彗星 ニューシンガーソングライター 来生たかお大誕生」が組まれた。トップページには小椋佳も映っており、「東京駅かなんかの前の並木道で撮った」と証言している[25]。また、同記事には井上陽水による“生きていたんだね,来生くん”と題したコメントも寄せられている。
当初、井上陽水や小椋佳のような、テレビ等のメディアには出ずに楽曲だけを発表して行く活動形態を思い描いていたが、前者二人のそれとは一転、前出の少年誌面の特集を始め、当時人気を博していたTBS系の音楽番組『サウンド・イン"S"』でデビューアルバムが取り上げられたり、FMラジオで特番が組まれる等、積極的に露出するという方針となり、大いに困惑したと言う[26]。
小椋佳は“出会った頃、来生くんはとにかく喋らなくて、ラジオでも喋んないんだから”と述べ、付き添い役的にラジオ出演した事を回顧している。また、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」の大ヒットで、同曲のB面曲だった「あたりまえの虹」(作曲・来生たかお)の作詞をした自分にも同額の印税が入り、嬉しかったと振り返っている[27]。
[編集] 不遇の時代
デビューアルバム『浅い夢』は、アレンジャー・スタジオミュージシャンとして、元ザ・モップスの星勝や、高中正義、高橋ユキヒロ、小原玪、今井裕、後藤次利等のサディスティック・ミカ・バンドの参加メンバー、更に、安田裕美、大村憲二、是方博邦、斉藤伸雄、村上秀一、浜口茂外也等が名を列ねており、満を持して製作された力作である事が窺える。周辺関係者から20〜30万枚セールスは間違いないと目され、荒井由実にも気に入られていた。しかし、蓋を開ければ6000枚という大きく期待を下回る結果に終わってしまう。
続くセカンドアルバム『ジグザグ』は、ロサンゼルスのスタジオ「ララビー・サウンド」でレコーディングが行われた。デヴィッド・フォスター、ジェイ・グレイドン、ジム・ケルトナー等、錚々たる面々がスタジオミュージシャンとして参加しているが、これは、小椋佳、星勝、安田裕美のユニットである「フライング・キティ・バンド」のアルバム『5・4・3・2・1・0』のレコーディングのついでに来生のアルバムも録ってしまおう、というレコード会社の方針だったらしい。また、同アルバムに収録する曲が足りず、急遽、現地のホテルで、既に出来ていた小椋佳の詞に曲を付けたと言う[28](来生たかお関連作品・「提供曲」参照)。ちなみに、この時が来生にとって初めての海外旅行となった。海外録音という話題性も兼ね備えた『ジグザグ』に、今度こそはと周囲の期待も高まったが、結局セールスは12000枚に留まった。
来生姉弟自身は、自分達の楽曲がレコードになるという喜びの方が大きかった為、上記二枚のセールス的な結果に特段の落胆はなかったと言う。但し、この先もレコードを作らせてもらえるのかという不安はあったと述べている[29]。
その後もマイペース且つコンスタントに楽曲をリリースし、CMとのタイアップや、映画・ドラマ主題歌への起用も続くものの、なかなか大きなヒットに恵まれなかった。一方で、マイ・ラグジュアリー・ナイトのヒットをきっかけに楽曲提供の依頼は次々に舞い込んでおり、来生自身も、歌手ではなく作曲家に徹するべきかと思い始めていたと言う。しかし、折好く10枚目のオリジナルシングル「Goodby Day」がスマッシュヒットした事もあり、もう少し頑張ってみようと奮起した。
[編集] 一躍ヒット・メーカーへ
1981年12月19日、全国東映系で公開された角川映画『セーラー服と機関銃』の主題歌は、当初、来生自身の歌唱で話は進められ、レコーディングも済んでいたが、総監督・相米慎二により、同映画の主演女優・薬師丸ひろ子が歌う発案がなされた。前オリジナルシングル「Goodbye Day」が好調だった事もあり、ここで勢いに乗りたいと考えていた来生姉弟を始め、関係者は大騒ぎになったが、結局、競作シングル「セーラー服と機関銃」「夢の途中」としてそれぞれがリリースする事で決着した。 この2曲は一部歌詞に相違があるが、意図的なものではない。来生えつこは、レコーディングのギリギリまで歌詞を書き換える事は茶飯事で、この時はいつにも増して試行錯誤を重ねていた為、受け渡しの最中に手違いがあったとされる。“夢の途中”というタイトルは不意に思い付いたものの、先にタイトルが決まっている事は稀で、また、ヒットの期待を込めた曲には“夢”というキーワードを入れる彼女としては、来生のデビュー曲「浅い夢」に絡めて拘りを持っていた“夢の途中”というフレーズが「セーラー服と機関銃」の歌詞から消えてしまった事は残念だったが[30]、薬師丸の澄んだ歌声を聴いた時は、いけるかも、と思ったと言う[31]。 また、来生は同映画の主題歌候補として3曲用意しており、その決定はプロデューサーによってなされた。来生は自信がなかった曲が選ばれたと回顧している[32]。
「夢の途中」は1981年11月10日にリリースされ、オリコンで第4位(最高位)、有線で第1位(最高位)を、後発の「セーラー服と機関銃」(1981年11月21日)はオリコンで第1位を獲得し、来生たかおの最大のヒット曲となった。
「夢の途中」「セーラー服と機関銃」の大ヒットで楽曲提供の依頼が殺到し、年間100曲以上作っていた時期もあり、時に、来生はもうマンネリと揶揄される事もあったが、「夢の途中」のような曲をとの注文を付ける依頼も少なくなかった為、自然と似たようなコード進行になってしまったと吐露している[33]。
なお、デビュー以来レコードジャケット(アルバムでは主に帯)に記されていたアーチスト名のルビ(きすぎ)は、「夢の途中」(シングル及びアルバム)をもって姿を消す。メジャーな存在になった事による細やかな変化である(ローマ字による表記はこれ以降も頻発している)。ちなみに、幼少期には苗字に含まれる“きす”(=Kiss)という響きに関してからかわれた事があり[34]、来生えつこも同様に苗字に関して様々な苦労をした過去があると言う</ref>リクルート出版・来生えつこ著『夢の途中に』(1990)</ref>。
「シルエット・ロマンス」は、 ハーレクイン「シルエットロマンスシリーズ」イメージソングのイメージソングとして作られた為、最初からタイトルは決まっていた。実力派歌手である大橋純子が歌うという事で、思う存分難しい曲を作ろうと考えた来生は、先に出来上がったサビの部分に確かな手応えを感じ、「これはいける」と思ったと言う。一方、来生えつこによれば、同曲をあまり過度な情感を込めて歌ってほしくなかった為、あえて、大橋がまだ歌い慣れる前の最初の2〜3テイクが使用されたらしい[35]。「セーラー服と機関銃」が一気に大ヒットしたのとは対照的に、同曲はジワジワと人気を獲得し、大橋は第24回日本レコード大賞 最優秀歌唱賞を受賞。スタンダードナンバーとして、その後、多くの歌手がカヴァーを試みている来生作品のひとつである。
「セカンド・ラブ」は、「シルエット・ロマンス」のヒットにより、大橋純子サイドから再び楽曲提供の依頼があるだろうと見越して作られた曲だったが、中森明菜を手掛けていたディレクターの目に止まり、ぜひ明菜に歌わせたいという事で、提供に至った。ただし、セカンドシングルという事で「セカンド・ラブ」というタイトルを付けたものの、実際にはサードシングルとしてリリースされた。大橋純子用に音域を広くして作った同曲を、まだデビュー間もない中森が歌った事に対して、来生は「大変だったんじゃないかな」と述べている。 同曲が第3回日本作曲大賞を受賞した折り、松任谷由実が原田知世に提供した「時をかける少女」もノミネートされており、会場の来生たかお及びその関係者は、滅多に公の場に出て来ない松任谷がわざわざ来ていて、しかもステージに行きやすい通路側に座っていた事から、「時をかける少女」が受賞する事はもう決まっているのだろうと予想していたと言う[36]。ちなみに、同賞の景品として車が進呈されたが、当時、姉弟はともに免許を持っていなかった。
1983年、念願だった美空ひばりへの楽曲提供が実現した。提供曲「笑ってよムーンライト」(来生たかお関連作品・「提供曲」参照)はヒットには結び付かなかったものの、来生自身は名曲と自負している。姉弟で美空邸を訪れた際、もっとジャズナンバーも歌って欲しいと懇願したところ、美空自身もそれを希望しているものの、多くの観客の要望と合致しない為、なかなか叶わないという思いを吐露された。美空は、レコーディングスタジオに真っ赤なスーツ姿で現れ、編曲を担当した坂本龍一と共に感激したと言う[37]。レコーディング自体も難なく終了し、来生は彼女のプロ意識を感じたと言う。また、美空とは歌番組で一度だけ競演も果たしているが、番組側の、ピアノはフェイクでもかまわないとの意向で、来生はピアノに向かっているだけで実際には弾かなかったと言う。
1986年6月30日〜7月22日、デビュー10周年企画コンサート『来生たかお10th ANNIVERSARY“ELEVEN NIGHT THEATER”』が開催された。11日間(週末を含む3日程の単位)で既出のオリジナルアルバム11枚を全曲披露するという前代未聞の内容で、折りしも次のオリジナルアルバム『I Will...』の制作の途中でもあり、来生自身は承諾するかどうかかなり悩んでいたが、先んじて告知が出てしまった為、止むなく決行となった。そして、危惧していた通り、コンサートは準備の段階から過酷を極める事になる。基本的に来生自身が百数十曲にも及ぶ楽曲のライヴ用アレンジを施した後、バックバンドと共にリハーサルを行い、いざコンサートが始まってからも、毎回セットリストが異なる為、ステージが終わる度に次回の練習をこなす事という状況で、アルバム制作の方は一旦中断せざるを得なくなった。また、MCの内容もいつも同じという訳にも行かず、コンサートの後半は来生えつこが台本を用意し、その彼女自身も、スケジュールの都合が付いた日は舞台に上がった為、観客席でゆっくり楽しめず残念だったと語っている。全ステージ終了後、来生はやつれていたらしいが、その後、直ぐにアルバム制作が再開され、姉弟は事務所とレコーディングスタジオに別れてカンヅメになった。当初、来生えつこは、歌手デビュー10周年記念のアルバムでもある為、かつてのように膝を突き合わせて一曲一曲作りたいとの思いもあったが、時間的に叶わず口惜しかったと回顧している。ちなみに、上記コンサートの企画を先に聞いていたら絶対反対したとも告白している[38]。なお、7月12日(『夢の途中』の回)の模様は後日ラジオで放送された。
ギルバート・オサリバンのベストアルバム『アローン・アゲイン』(1986.03.25)にコメントを寄稿、同じくベストアルバムの『アナザー・サイド』(1988.06.25)では、コメントの寄稿に加え、選曲監修も務めている。また、1990年、日本における事実上の復活作として発表されたオサリバンのオリジナルアルバム『In The Key Of G』のライナーノーツにも長いコメントを寄せており、これが氏の目に止まった事で、来生作品のカヴァー企画が持ち上がった。しかし、どうせなら新作を、という氏の意向で、1991年に競作シングル「出会えてよかった」「What A Way(To Show I Love You)」(来生たかお関連作品・「提供曲」参照)がリリースされた。同曲は氏の日本盤オリジナルアルバムにも収録され、同アルバムの「Can't Think Straight ぼくときみのラヴ・ソング」ではデュエットも実現(来生たかお関連作品・「参加曲」参照)、更にテレビ番組やステージでの出演も果たした[39] 。 ちなみに、ギルバート・オサリバンとの初対面はイギリス領内のジャージー島にある氏の自宅において実現した。思い描いていた通りの人柄と生活スタイルだった為、実際に会ったが為にイメージが壊れてしまう事もなく良かったと述べている。
1991年5月23日、デビュー15周年記念イベントとして、東京は日本武道館においてアコースティックコンサートを開催した。来生自身は、キャパシティー的にも同所でのコンサートに必ずしも積極的ではなかったが、周囲の勧めもあり、赤字覚悟で実現させた。
[編集] 関連エピソード
[編集] 提供曲・被カヴァー曲
(来生たかお関連作品・「提供曲」「被カヴァー曲」参照)
2009年現在、提供曲は400曲を超えている。提供先は女性歌手が多いが、アイドル系(河合奈保子、斉藤由貴、西村知美、松田聖子、山口百恵、等)、シンガーソングライター系(小椋佳、さだまさし、やしきたかじん、等)、歌謡曲系(伊東ゆかり、西郷輝彦、高橋真梨子、布施明、等)、演歌系(五木ひろし、島倉千代子、森進一、等)と、多方面に亘る。
また、提供希望歌手として井上陽水の名を挙げており[40] 、2000年に競作(来生たかお関連作品・「オリジナルシングル」参照)は実現しているものの、「作曲:来生たかお/歌唱:井上陽水」は未だ実現していない。
一方、「Goodbye Day」、「夢の途中(セーラー服と機関銃)」、「スローモーション」、「セカンド・ラブ」等を中心に、多くのアーチストが来生作品をカヴァーしており、「Goodbye Day」に至っては中国や韓国にも母国語によるカヴァーヴァージョンがいくつも存在する。
岡村孝子が歌った「はぐれそうな天使」は、提供曲ではなく、カヴァー曲である。どちらのヴァージョンもHonda「Today」のCMで流れたが、彼女のヴァージョンの方がヒットした為、錯誤が生じやすい。
椎名純平・椎名林檎兄妹は、母親の影響で来生たかお作品に愛着があるようで、共にカヴァー(椎名純平は「浅い夢」をアルバムでレコーディング、椎名林檎はステージで「マイ・ラグジュアリー・ナイト」を披露)している。
小堺一機は、大の来生ファンである事を公言している。「浅い夢」や「マダムとの散歩」等、“失恋した時に聴いて癒された”“当時こんな内容の歌は他に無かった”と語り、自らのラジオ番組でも楽曲を掛けたり、ゲストに呼んだりしている。来生えつこの提案で実現したデビュー曲の「with」を始め、多くの楽曲提供を受け、自身のデュエットアルバム『with K』では共演も果たしている。ちなみに、小堺の妻は来生たかおが歌う「with」を聴き“こんな良い歌だったんだ”という感想を漏らしたと言う。また、来生からの伝聞で、勝手にステージに上がって来た女性客に“私、あなたの妻です”と迫れたエピソードをラジオ番組で語っている。
提供曲「時を輝かせて」を歌った八神純子は、コンサートのMCにおいて、“他人の曲にはケチをつけたいが勢いがあって明るいから素直に好きになった”と述べたらしい。
時東ぁみのアルバム『②好きです…。』をプロデュースしたつんく♂は、収録曲「小夜子」を作った来生たかおを“すごいメロを生み出す人やな”と評している[41]。
「セカンド・ラブ」をカヴァーした徳永英明は、「Yahoo!ライブトーク」にて、歌唱に苦労した部分があった為“どのように歌えば良いか来生たかお氏に尋ねてみたい”と語ったらしい。
三浦友和、桃井かおり、倉橋ルイ子、平井菜水は、全作曲・来生たかおのアルバムを発表している。
[編集] その他
フジテレビ系アニメ『みゆき』では、「疑惑」「白い愁い」「坂道の天使」「つまり愛してる」「官能少女」「Goodbye Day」等が挿入歌として使われている。
ギルバート・オサリバンのベスト盤CD-BOX『CARICATURE: THE BOX』(2004.01.01)のブックレットには、競作シングル「出会えてよかった What A Way(To Show I Love You)」のジャケット写真(オサリバン版)が掲載されており、来生たかおに関する“a very famous and well-known aritist”“a Big fan of Gilbert”との記載も見受けられる(「出会えてよかった What A Way(To Show I Love You)」自体は収録されていない)。
「夢の途中」のヒット後にドラマ出演の話が舞い込んだが、音楽以外の仕事をする気にはなれず、断っている[42]。主演の教師役だったらしく、TBSドラマ『2年B組仙八先生』であったと思われる。
漫画「キャプテン翼」の登場キャラクターである“来生哲兵”は、作者・高橋陽一が来生たかおのファンで、来生たかおの息子の名前を拝借したと言われている。
フジテレビ系バラエティー番組『笑っていいとも!』の『テレフォンショッキング』で、タモリに“顔色が悪いですねぇ”“町工場のお兄さんと話してるみたい”等とからかわれた(ちなみに、来生は小堺一機からの紹介で出演し、松任谷正隆を紹介している)。また、テレビ東京系音楽番組『タモリの音楽は世界だ』にゲスト出演した時は、氏の所属事務所(田辺エージェンシー)社長・田邊昭知にルックスが似ていると評された。
[編集] 年表
- 11月16日:東京・大森に生まれる。
- たまたまジャケットが気に入って買ったギルバート・オサリバンのシングル「No Matter How I Try/さよならがいえない」に衝撃を受ける。
- 3月21日:亀渕友香のアルバム『Touch Me,Yuka』に、姉弟コンビの手による「酔いどれ天使のポルカ」が収録され、作家デビュー。
- キティレコードの社員としてインスペクターの業務に就く。
- 10月1日:シングル「浅い夢」で歌手デビュー。
- 10月12日:デビューコンサート(青山タワーホール)を開催(第1曲目は「挿話-エピソード-」)。
- 10月21日:ファーストアルバム『浅い夢』をリリース。
- 渋谷ジァン・ジァン(月に1度・40分2回ソロステージ)を中心にコンサート活動。
- 「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(歌唱:しばたはつみ)が、名立たる作家の作品の中から、東洋工業(現・マツダ)のCM曲として採用され、作曲家として注目される。
- 10月9日:結婚。
- 三浦友和 他主演の東宝映画『黄金のパートナー』の音楽を高中正義と共に担当し、同映画のエンドロールで初の映画出演。
- 12月:フジテレビ系ドラマ『翔んだカップル』の音楽(H2Oが歌った主題歌「僕等のダイアリー」を含む)を担当。
- 4月:初の全国コンサートツアーを開催。
- 10月:大橋純子に提供した「シルエット・ロマンス」で、第2回日本作曲大賞優秀作品賞、中山晋平・西条八十賞を来生えつこと共に受賞。「夢の途中」で、スコッチ・マスタリング・アワードのシングル優秀賞、LP優秀賞を受賞。
- 3月27日(放送):フジテレビ系バラエティー番組『笑っていいとも!』(『テレフォンショッキング』)に生出演。
- 9月14日〜10月2日:フランスはパリにおいて企画アルバム『LABURINTH』のレコーディングを行う。12月2日には、ポール・モーリアの来日公演(大阪フェスティバルホール)にゲスト出演(来生たかお関連作品・「映像ソフト」参照。一部、TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』で生中継)。
- 6月30日〜7月22日:デビュー10周年企画コンサート『来生たかお10th ANNIVERSARY“ELEVEN NIGHT THEATER”』(東京都・東京FMホール)を開催。
- 2月13日(放送):『加山雄三ショー 競演!来生たかお・岩崎宏美・島田歌穂』に出演。
- 5月23日:デビュー15周年記念イベント『来生たかお in 武道館 アコースティックスペシャル』(東京都・日本武道館)を開催。
- 2月24日:ギルバート・オサリバンの日本公演(東京都・中野サンプラザ)にゲスト出演。
- 7月1日:株式会社ベイシックを設立し、独立。
- 9月24日:井上陽水のシークレットライヴ(スイートベイジル139)にゲスト出演(12月26日にNHK総合で、12月10日にBS2で放送)。
- キティ・エンタープライズから日本コロムビアに移籍。
- 7月21日:デビュー20周年記念コンサート(東京都・NHKホール)を開催(来生たかお関連作品・「映像ソフト」参照)。
- 4月3日(放送):TBS系ドラマ“柴門ふみ”スペシャル『新・同棲時代』に「KASHIWAGI」役で出演(台詞なし)。
- 自動車の運転免許を取得。
- 日本コロムビアからキティMMEに移籍。所属事務所も株式会社シンプレックス・ミュージックに移籍。
- 5月15日(放送):フジテレビ系『SMAP×SMAP』内のワンコーナー『SMA☆SMASH』にゲスト出演。
- 12月26日:『30th Anniversary Concert Tour 2005 〜avantage〜』を開催(来生たかお関連作品・「映像ソフト」参照)。
- 5月31日・6月1日:『小椋佳トリビュートコンサート〜夢歌詩、あるところに〜』に出演。
[編集] 作品
詳細は来生たかお関連作品を参照
[編集] オリジナルシングル
(注)A面曲(タイトル曲)/B面曲(カップリング曲)(発売年月日)
- 浅い夢/待ち人来たらず (1976.10.01)
- 灼けた夏/マダムとの散歩 (1977.07.01)
- 長雨-ながあめ-/ジグザグ (1977.10.01)
- 赤毛の隣人/悪い夜 (1978.08.01)
- 片隅にひとり/振り向くならせめて (1978.10.01)
- そして、昼下り/ゆるやかに愛が… (1979.04.21)
- あなただけGood Night/マイ・ラグジュアリー・ナイト (1979.10.21)
- ほんのノスタルジー/グリーン・グラス (1980.06.21)
- とにかく、あした/やさしさ、ひととき (1981.02.05)
- Goodbye Day/ちょっと、ドギマギ (1981.05.21)
- 夢の途中-セーラー服と機関銃-/美しい女(ひと) (1981.11.10)
- 気分は逆光線/シルエット・ロマンス (1982.04.25)
- 疑惑/時よ ゆっくり (1982.12.01)
- 無口な夜/まどろみミステリー (1983.03.01)
- 吐息の日々/渚のほのめき (1983.07.01)
- そっとMIDNIGHT/Goodbye dream (1984.07.10)
- 白いラビリンス(迷い)/裸足で散歩 (1984.11.01)
- はぐれそうな天使/夢みる頃を過ぎても (1985.09.10)
- あした晴れるか/もう少し遠く (1986.04.25)
- フェアウェル/グラスの宇宙 (1986.09.25)
- 時を咲かせて/夢旅行 (1987.10.25)
- ORACIÓN-祈り-/イントロダクションを待っても (1988.07.25)
- 語りつぐ愛に/青いNovenber (1989.04.12)
- Silent Memory/雨とピアノ (1989.06.26)
- 夢より遠くへ/セカンド・ラブ (1990.11.28)
- 出会えてよかった/めざめ (1991.10.25)
- ため息のあとで/君が送る風 (1992.05.27)
- 愛する時間に/君の風景 (1992.11.21)
- 二人の場所/遥かなひと (1993.07.01)
- やわらかな刺激/やさしさの真実 (1994.06.01)
- 永遠なる序章/白い情景 (1994.12.01)
- 浅い夢 20thアニヴァーサリー・ニューレコーディング/夜はいつも長すぎて(1995.07.21)
- 渇いた季節/水色の六月 (1997.01.21)
- どこまでも恋心/あの頃に恋して (1998.01.21)
- 頬杖の幸福/さまよう言葉 (1998.04.01)
- 地上のスピード/夢の途中(Duet with 薬師丸ひろ子) (2000.10.21)
- Day by day/グレイ・海沿いの町で・ほほえみの扉 (2002.09.06)
[編集] オリジナルアルバム
(注)アルバムタイトル(発売年月日)
- 浅い夢 (1976.10.21)
- ジグザグ (1977.10.21)
- By My Side (1978.11.01)
- Natural Menu (1979.12.10)
- AT RANDOM (1980.07.01)
- Sparkle (1981.07.21)
- 夢の途中 (1981.12.10)
- 遊歩道 (1982.11.01)
- Ordinary (1983.07.25)
- ROMANTIC CINEMATIC (1984.08.10)
- Only Yesterday -つい昨日のこと- (1985.11.25)
- I Will... (1986.09.25)
- Étranger (1987.11.25)
- With Time (1988.11.25)
- SOMETHING ELSE (1989.11.25)
- 永遠の瞬間 (1991.04.25)
- Passage (1993.11.26)
- Another Story (1994.11.02)
- Purity (1997.02.21)
- Dear my company (2000.11.10)
- égalité (2004.11.17)
- Avantage (2005.10.19)
- 余韻 (2008.12.10)
[編集] コンサートツアー/スペシャルライヴ
(注)太字はツアー/*ゲスト出演
- 1976年
- 1978年
- ?月?日:石川セリとのジョイントコンサート(?・?)
- 1979年
- 9月27日:初のホールコンサート(東京都・東京厚生年金会館小ホール)
- 1980年
- 4月?日〜:初の全国コンサートツアー
- 7月21日: 小林みちひろとのジョイントコンサート(東京都・郵便貯金ホール)
- 9月?日〜:秋のコンサートツアー
- 10月4日:Kitty Festival 1 Fiying Kitty Party '80(東京都・日比谷野外音楽堂/出演:高中正義、上田正樹、豊島たづみ、ラビ、白竜)*
- 1981年
- 5月1日〜:コンサートツアー
- 1982年
- 3月?日〜:Concert Tour '82 夢の途中…(?・?〜34公演)
- 9月4日:シルエット・ロマンス・コンサート(東京都・日比谷公会堂)
- 9月24日〜:Concert Tour '82 Much More…(神奈川県・神奈川県民ホール〜49公演・9万動員)
- 1983年
- 5月26日〜:Concert Tour '83 ミディアム気分で…(?・?〜75公演・15万動員)
- 1984年
- 5月28日〜:Concert Tour '84 Romantic Cinematic(神奈川県・神奈川県民ホール〜60公演・12万動員)
- 11月23日・12月2日:ポール・モーリア来日公演(東京都・NHKホール/大阪府・大阪フェスティバルホール)*
- 1985年
- 6月24日・30日:Night Visitor コンサート(東京都・東京厚生年金会館/神奈川県・神奈川県民ホール/出演:来生たかお&ヒズ・オーケストラ)
- 9月3日〜:Concert Tour '85 Only Yesterday(東京都・武蔵野市民文化会館〜40公演)
- 12月23日: 横浜クリスマス公演(神奈川県・?)
- 1986年
- ?月?日〜:Concert Tour '86 I Will…
- 6月30日〜7月22日:来生たかお 10th ANNIVERSARY“ELEVEN NIGHT THEATER”(東京都・東京FMホール)
- 1987年
- 6月7日:小椋佳コンサート(東京都・NHKホール/出演:井上陽水)*[43]
- 8月6日:夏 長崎から さだまさし(長崎県・長崎市営ラグビー・サッカー場/出演:さだまさし、村下孝蔵、白鳥座、吉田政美(元グレープ))*
- 8月31日:KACファン感謝コンサート(東京都・中野サンプラザ/出演:島津冴子、杉山佳寿子、千葉繁、島本須美、青木和代、ピカソ、南翔子、松永夏代子、成清加奈子、村下孝蔵)*
- ?月?日〜:Concert Tour '87〜'88 Etranger
- 1988年
- ?月?日:来生たかお with フルオーケストラ「STELLA」
- ?月?日〜:Concert Tour '88〜'89 With Time
- 1989年
- ?月?日〜:Concert Tour '89〜'90 Something Else
- 1990年
- ?月?日〜:Concert Tour '90〜'91 永遠の瞬間 THE MOMENT
- 1991年
- 5月23日:15周年記念イベント・来生たかお in 武道館 アコースティックスペシャル(東京都・日本武道館)
- ?月?日:びわ湖 水の祭典 SAVE The EARTH, SAVE The LAKE '91(滋賀県・矢橋帰帆島特設ステージ/出演:ジョージ川口、NewBig4+1、サリナ・ジョーンズ、渡辺貞夫グループ)*[44]
- ?月?日〜:Concert Tour '91〜'92 FROM NOW
- 1992年
- 2月24日:ギルバート・オサリバンの日本公演(東京都・中野サンプラザ)*
- Concert Tour'92〜'93 BASIC(44公演・4.7万動員)
- 9月24日:井上陽水のシークレットライヴ(東京都・スイートベイジル139/出演:忌野清志郎、奥田民生)*[45]
- 1993年
- 1994年
- 7月16・17日:Acoustic Tracks 2(東京都・東急Bunkamura オーチャードホール)
- 11月23日〜:Concert Tour '94〜'95 Another Story
- 1995年
- 7月21日:20周年スペシャルコンサート 浅い夢から(東京都・NHKホール)
- 12月3日〜:20th Anniversary Concert Tour '95〜'96 夢より遠くへ
- 1996年
- 7月:Acoustic Tracks(東京・神戸)
- 7月27日・28日:全国森と湖に親しむつどい '96しゃくなげ湖フェスティバル 森と湖に親しむコンサート(新潟県・六日町三国川ダム しゃくなげ湖畔/出演:財津和夫、渡辺真知子)
- 1997年
- 2月24日〜Concert Tour '97 Purity(東京都・天王洲アイル アートスフィア〜)
- 来生たかおLIVE そしてほのかに夏は行く/第一夜 WONDER NIGHT・第二夜 SLOW NIGHT(東京都・新宿日清パワーステーション)
- 1998年
- 2月14日:バレンタイン・クリスタルナイト(千葉県・浦安市舞浜東京ベイヒルトン)
- 2月28日・3月28日:コンサート'98 ぬくもりを探して(東京都・ティアラこうとう/大阪府・梅田ヒートビート)
- 3月21日:98八景島 年金フェスティバル 来生たかおコンサート(神奈川県・横浜市八景島シーパラダイス)
- 6月27日:コンサート'98 メモリー・メロディー(東京都・渋谷公会堂)
- 8月2日:第9回あづみ野池田音楽祭(長野県・池田町立美術館野外ステージ/出演:西田ひかる)
- 8月8日:来生たかおサンセットドリーム(神奈川県・鎌倉プリンスホテル バンケットホール七里ヶ浜)
- 12月14日:まちづくりコンサート(東京都・保谷こもれびホール)
- 12月26日:1998 YEAR-END CONCERT 時よ ゆっくり(東京都・中野サンプラザ)
- 1999年
- 2月13日〜:Concert Tour '99 Picturesque Melody
- 9月4日:いいでめざみの里まつり'99前夜祭 来生たかおコンサート(山形県・飯豊町町民総合センター「あ〜す」多目的ホール)
- 11月23日:成美教育文化会館竣工2周年記念 来生たかおコンサート(東京都・東久留米市成美グリーンホール)
- 12月23日:スペシャルコンサート1999 Made In X'mas(東京都・中野サンプラザ)
- 2000年
- 3月4日:勝沼 天空フェスタ(山梨県・ぶどうの丘ホール)
- 6月30日:来生たかお&平松愛理ジョイントコンサート(群馬県・明和町ふるさと産業文化館)
- 7月16日:青森県十和田湖 湖水まつり2000(青森県・十和田湖)
- 7月29日:鎌倉プリンスホテル サマーディナーショー SUNSET DREAM(神奈川県・鎌倉プリンスホテル バンケットホール七里ヶ浜)
- 8月10日:日本海夕日コンサート(新潟県・新潟市青山海岸特設ステージ/出演:服部克久と音楽畑オーケストラ、岩崎宏美、南こうせつ、 サーカス、新潟市ジュニア合唱団)*
- 8月20日:一里野音楽祭(石川県・一里野温泉スキー場 野外ステージ/出演:南佳孝、石川セリ、尾崎亜美、山梨鐐平)*
- 10月7日:観月の夕べ 来生たかおムーンライトコンサート2000(愛知県・刈谷市洲原公園特設ステージ)
- 10月21日〜:25th Anniversary Concert Tour 2000 Dear My Company(神奈川県・秦野市文化会館〜)
- 12月17日:スペシャルライブ&握手会(東京・銀座山野楽器本店イベントスペースJAM SPOT)
- 2001年
- 1月19日:ニューイヤーブッフェ&ショー(千葉・新浦安オリエンタルホテル)
- 2月11日:ドコモとくもりキャンペーン(石川県・金沢市観光会館)
- 2月24日:益城町文化会館自主事業コンサート
- 3月2日〜:25th Anniversary Special Concert Acoustic Tracks Version 2001(埼玉県・大宮ソニックシティ〜)
- 3月16日:来生たかお&平松愛理ジョイントコンサート(千葉県・多古町コミュニティプラザ文化ホール)
- 3月23〜25日:鳥島周遊アホウドリウォッチングクルーズ
- 7月28日:鎌倉プリンスホテル サマーディナーショー SUNSET DREAM(神奈川県・鎌倉プリンスホテル バンケットホール七里ヶ浜)
- 10月9日〜:ソロライブ Stand Alone(東京都・南青山マンダラ〜)
- 10月13日:TAKAO KISUGI CONCERT Twilight Glow(神奈川県・横浜ホテルニューグランド レインボーボールルーム/ゲスト:山梨鐐平)
- 12月15日・22日・24日:来生たかおクリスマスコンサート2001 Touch of Tomorrow(神奈川県・ハーモニーホール座間/東京都・中野サンプラザ/大阪府・厚生年金会館芸術ホール)
- 来生たかお&オーケストラ・アンサンブル金沢 ポップスロマンチックコンサート
- 2002年
- 3月7日〜:Acoustic Concert 2002(東京都・江東区文化センター〜)
- 7月27日:鎌倉プリンスホテル サマーディナーショー SUNSET DREAM(神奈川県・鎌倉プリンスホテル バンケットホール七里ヶ浜)
- 9月6日〜:Concert Tour 2002 Day by day(埼玉県・鴻巣市文化センター〜)
- 10月9日:シークレットライブ
- 12月19日・21日:来生たかおクリスマスコンサート(大阪府・大阪厚生年金会館小ホール/東京都・中野サンプラザ)
- 2003年
- 6月4日〜:Acoustic Tracks 2003(東京都・町田市民ホール〜)
- 6月14日〜:Stand Alone 2003(大阪府・ザ・フェニックスホール〜)
- 7月26日:鎌倉プリンスホテル サマーディナーショー SUNSET DREAM(神奈川県・鎌倉プリンスホテル バンケットホール七里ヶ浜)
- 8月27:ホテル青森 ディナーショー(青森県・ホテル青森)
- 9月21日:金沢教職員組合コンサート(石川県・文教会館)
- 9月25日:めざましクラシックス in 横浜(神奈川県・横浜市みなとみらいホール 大ホール)(高島ちさ子、ジェイク・シマブクロ、軽部真一)*
- 9月26日:めざましクラシックス in 山形 秋を彩る音楽たち(山形県・山形市民会館/出演:高嶋ちさ子、軽部真一 他)*
- 12月7日:ホテルリッチ酒田 ディナーショー(山形県・ホテルリッチ酒田)
- 12月13日:めざましクラシックスin Fuji(静岡県・富士ロゼシアター大ホール/出演:高嶋ちさ子、軽部真一 他)*
- 12月19日・24日・25日:来生たかおクリスマスコンサート(大阪府・大阪リサイタルホール/東京都・東京芸術劇場中ホール)
- 2004年
- 1月9日:めざましクラシックス in もりおか(岩手県・盛岡市民文化ホール大ホール/出演:高嶋ちさ子、軽部真一 他)*
- 1月11日:めざましクラシックス in 高岡(富山県・高岡市民会館ホール/出演:高嶋ちさ子、軽部真一 他)*
- 1月25日:西東京市誕生3周年記念事業*(東京都・保谷こもれびホール)
- 2月6日:来生たかおスペシャルサロンライブ(入れ替え制2ステージ各40名限定/東京都・南青山GARGERY HOUSE)
- 2月28日:朝日新聞創刊125周年・京都新工場誕生特別企画 来生たかおアコースティックコンサート(京都府・京都シルクホール(京都産業会館8F))
- 5月3日:赤坂プリンスホテルビュッフェディナーショー STREET CLUB ZONE Special Acoustic concert 2004(東京都・赤坂プリンスホテル クリスタルパレス(新館2F))
- 7月24日:鎌倉プリンスホテル サマーディナーショー SUNSET DREAM(神奈川県・鎌倉プリンスホテル バンケットホール七里ヶ浜)
- 9月25日:来生たかお Concert 2004 in Autumn(埼玉県・北本市文化センターホール)
- 10月8日〜:アコースティックコンサート2004(東京都・杜のホールはしもと〜)
- 12月16・18日:クリスマスコンサート2004 égalité(大阪府・大阪厚生年金会館芸術ホール/東京都・中野サンプラザ)
- 2005年
- 1月13日:ミニライヴ&握手会(東京都・銀座山野楽器本店イベントスペースJamSpot)
- 2月20日:めざましクラシックス in 佐賀(佐賀県・佐賀市文化会館大ホール/出演:高嶋ちさ子、軽部真一 他)*
- 3月12日〜:ソロライブ Stand Alone 2005(長崎県・長崎文化放送〜)
- 7月23日:鎌倉プリンスホテル サマーディナーショー SUNSET DREAM(神奈川県・鎌倉プリンスホテル バンケットホール七里ヶ浜)
- 9月11日:来生たかお ライブ2005(大阪府・松原市文化会館)
- 10月15日〜:30th Anniversary Concert Tour 2005 avantage アヴァンタージュ(静岡県・御殿場市民会館〜)
- 12月23日・24日・26日:30th Anniversary X’mas Concert Tour 2005 avantage アヴァンタージュ(愛知県・名古屋Zepp/大阪府・大阪厚生年金会館芸術ホール/東京都・中野サンプラザ)
- 2006年
- 1月14日:ミニライヴ&握手会(東京都・銀座山野楽器本店イベントスペースJamSpot)
- 7月7日〜:ソロライブ Stand Alone 2006(東京都・渋谷duo Music Exchange〜)
- 9月22日・10月20日・11月24日:マンスリーソロライブ Stand Alone Another Side(東京都・東京FMホール)
- 12月17日・22日・23日:スペシャルライブ 2006 Stand Alone Christmas Color(大阪府・御堂会館大ホール/東京都・九段会館大ホール)
- 2007年
- 3月21日〜:来生たかお アコースティックコンサート 2007(神奈川県・茅ヶ崎市民文化会館大ホール〜)
- 7月15日〜:Stand Alone 2007(大阪府・大阪ブルーノート〜)
- 9月19日〜:Acoustic Tracks 2007(福島県・會津風雅堂〜)
- 12月13日・21日:スペシャルライブ2007 Stand Alone Christmas Color(大阪府・大阪厚生年金会館芸術ホール/東京都・東京厚生年金会館)
- 2008年
- 1月26日:アコースティックコンサート2008(群馬県・渋川市民会館)
- 2月16日〜:Stand Alone 2008(宮城県・Zepp Sendai〜)
- 5月31日・6月1日:小椋桂トリビュートコンサート 夢歌詩、あるところに(東京都・東京国際フォーラム/出演:中村雅俊、さだまさし、堀内孝雄 他)*
- 8月4日:ミニ・ライヴ&握手会(東京都・銀座山野楽器本店イベントスペースJamSpot)
- 12月20日・23日:Stand Alone 2008 Christmas Color(大阪府・大阪厚生年金会館芸術ホール/東京都・東京厚生年金会館)
- 2009年
- 2月11日〜:コンサートツアー2009 余韻(宮城県・仙台市青年文化センターシアターホール〜)
- 2月22日:めざましクラシックス in おきなわ(沖縄県・沖縄コンベンションセンター/出演:加羽沢美濃、軽部真一 他)*
[編集] ランキング
- オリコン・作曲売り上げ
- 1981年:122位
- 1982年:2位
- 1983年:7位
- 1984年:44位
- 1985年:96位
- 1986年:17位
- 1987年:20位
- 1988年:48位
- 1989年:54位
- 1991年:146位
- 1992年:250位
- 1993年:340位
- 1982年オリコン・レコード売り上げ
- 総合:7位/シングル:24位/LP:7位/CT:6位
- 1982年総合リクエスト
- ラジオ:夢の途中(45位)
- 有線:夢の途中(18位)/ねじれたハートで(56位)/シルエット・ロマンス(来生ヴァージョン)(76位)
- ジューク:夢の途中(11位)/ねじれたハートで(50位)/気分は逆光線(89位)
[編集] 脚注
- ^ 朝日新聞夕刊 芸能欄(1995.11.25)
- ^ RKB毎日放送「ライブやろうぜ!」第31回(2002.07.09)
- ^ NHK総合の音楽番組『ふたりのビッグショー 来生たかお&渡辺真知子』(1996.04.22)
- ^ 『来生たかおLIVE 浅い夢から』(来生たかお関連作品・「映像ソフト」参照)
- ^ 来生たかお30周年記念インタビュー avantage
- ^ RKB毎日放送『ライブやろうぜ!』第31回(2002.07.09)
- ^ RKB毎日放送『ライブやろうぜ!』第32回(2002.07.16)
- ^ 朝日新聞夕刊 芸能欄(1995.11.25)
- ^ NHK総合の音楽番組『ふたりのビッグショー 来生たかお&渡辺真知子』(1996.04.22)等
- ^ 新潮社・来生えつこ著『いろはにオトコ』(1985)
- ^ NHK総合の音楽番組『ヤングスタジオ101』(1987.08.09)
- ^ 『来生たかおLIVE 浅い夢から』(来生たかお関連作品・「映像ソフト」参照)
- ^ NHK総合の音楽番組『ふたりのビッグショー 来生たかお&渡辺真知子』(1996.04.22)
- ^ NHK(BS2)の特番『スーパースターライブ「日本で一番、憂鬱でハッピーな一日』-井上陽水シークレットライブ-」(1999.12.10)/NHK総合の特番『井上陽水 secret Live 遊んであげる 今日だけ』(1999.12.26)
- ^ NHKラジオ第一『音楽夢倶楽部』(1999)
- ^ フジテレビ系バラエティー番組『笑っていいとも!』のワンコーナー『テレフォンショッキング』(1984.03.27)
- ^ 夕刊フジzakzak『ひとりごと』(2005.10.1)、ニッポン放送『マジカルミュージックツアーCountdown2000 1983年特集』(2000.01.28)
- ^ TOKYO FM『エモーショナルビート』(1997.01.20)
- ^ NHKラジオ第一『音楽夢倶楽部』(1999)
- ^ 来生たかおスペシャルライブ2006 Stand Alone 〜Christmas Color〜(2006.12.23)
- ^ NHKラジオ第一『音楽夢倶楽部』(1999)
- ^ TBSラジオ『中村雅俊マイ・ホームページ』(2005)
- ^ テレビ朝日系音楽番組『Music&Talk あの曲この人』第三回(1995)
- ^ NHK(BS2)の特番『スーパースターライブ「日本で一番、憂鬱でハッピーな一日」-井上陽水シークレットライブ-』(1999.12.10)/NHK総合の特番『井上陽水 secret Live 遊んであげる 今日だけ』(1999.12.26)
- ^ 小椋佳トリビュートコンサート〜夢歌詩、あるところに〜(2008.06.01)。このライブで、小椋佳に提供した「愛の足跡」、小椋佳の楽曲「少しは私に愛をください」(Duet with 小椋佳)、「残された憧憬」(メドレー内の一曲)を歌っている。
- ^ テレビ朝日系音楽番組『Music&Talk あの曲この人』第三回(1995)
- ^ 小椋佳トリビュートコンサート〜夢歌詩、あるところに〜(2008.06.01)
- ^ 小椋佳トリビュートコンサート〜夢歌詩、あるところに〜(2008.06.01)
- ^ テレビ朝日系音楽番組『Music&Talk あの曲この人』第三回(1995)
- ^ テレビ東京系音楽番組『そして音楽が始まる』(2002.09.01)
- ^ リクルート出版・来生えつこ著『夢の途中に』(1990)
- ^ NHKラジオ第一『音楽夢倶楽部』(1999)
- ^ テレビ朝日系音楽番組『Music&Talk あの曲この人』第一回(1995)
- ^ テレビ朝日系『徹子の部屋』(1991)
- ^ テレビ朝日系音楽番組『Music&Talk あの曲この人』第三回(1995)
- ^ テレビ朝日系音楽番組『Music&Talk あの曲この人』第三回(1995)
- ^ 講談社・来生えつこ著『わたくし的生活』(1991)
- ^ 講談社・来生えつこ著『わたくし的生活』(1991)
- ^ NHK総合の音楽番組『夜にありがとう 夢の競演』(1991)で「Can't Think Straight ぼくときみのラヴ・ソング」をデュエット/オサリバンの日本公演(1992)にゲスト出演し、アンコールでデュエットを披露/テレビ東京系音楽番組『タモリの音楽は世界だ』(1992)でオサリバンが「What A Way(To Show I Love You)」を披露、来生は付き添いで出演/日本テレビ系音楽番組『FAN』(1995)で「Clair」をピアノとヴォーカルでセッション
- ^ BS2『BS日本のうた フォーク大集合‘99』(1999.01.31)
- ^ つんく♂オフィシャルウェブサイト
- ^ 夕刊フジzakzak『ひとりごと』(2005.10.1)
- ^ 放送:NHK総合(1987.07.22)
- ^ 放送:BS2(1991.08.12)・NHK総合(1991.08.25)
- ^ 放送:BS2(1999.12.10)・NHK総合(1999.12.26)
[編集] 外部リンク
- kisugitakao.com - 公式サイト
- 日本音声保存

