有線ラジオ放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

有線ラジオ放送(ゆうせんラジオほうそう)とは、有線電気通信設備を用いた音声その他の音響放送である。有線音楽放送又は単に有線放送ともいう。

なお、「有線」「有線放送」という言葉は地域によって有線放送電話のことを指す場合があるので注意が必要。

目次

[編集] 定義

有線ラジオ放送業務の運用の規正に関する法律(昭和26年(1951年)法律第135号)に於いては、下記の一に該当するものを「有線ラジオ放送」と定義している。

  1. 一区域内において公衆によつて直接受信されることを目的として、ラジオ放送(当該放送の電波に重畳して、音声その他の音響、文字、図形その他の影像又は信号を送る放送を含む。以下同じ。)を受信しこれを有線電気通信設備によつて再送信すること。(共同聴取業務
  2. 一区域内において公衆によつて直接聴取されることを目的として、音声その他の音響を有線電気通信設備によつて送信すること。(告知放送業務
  3. 道路、広場、公園等公衆の通行し、又は集合する場所において公衆によつて直接受信されることを目的として、音声その他の音響を有線電気通信設備によつて送信し、又はラジオ放送を受信しこれを有線電気通信設備によつて再送信すること。(街頭放送業務

有線ラジオ放送は数百のチャンネルを有し、ジャンルはJ-POP演歌、歌謡曲、ロックポップスジャズクラシックヒーリングBGMカラオケなど多岐に渡る。 FMラジオのようなDJは置いていない。 また、リクエストチャンネルも有り、電話により自分の聴きたい楽曲をリクエスト出来る。

加入希望者の拡大に対応して、放送用ケーブルを電柱の所有者である電力会社電話会社の許可を得ずに違法に張る方法が取られたこともあったが、現在は電柱使用料を支払うなどして合法化されている。

ケーブルテレビ局がFMラジオ放送を送信していることがあるが、こちらは有線ラジオ放送には入らない。

[編集] 主な事業者

[編集] 歴史

1937年新潟県東頸城郡牧村(現在の上越市牧区)で、明願寺に置かれたラジオから、10m離れた向かいの理髪店まで配線を引きスピーカーを設けたのが日本の民間における有線でのラジオ共同聴取の始まりと言える[1]。のちに、明願寺住職による独自放送の出来る設備を備え、共同聴取を行う世帯で結成された「協聴会」会員は最大600軒を数えた。この共同聴取は1968年に、テレビが普及し使命を終えたとして終了した。なお、地区で最初にテレビを設置したのも明願寺であった。

[編集] 親子ラジオ

親子ラジオは、1952年から沖縄県奄美群島の主な市町村においてアメリカ軍の援助資金で設置され、民間企業により運営されたラジオ共同聴取施設である。

電力事情が悪く、ラジオ受信機が高価であった為、最盛期の1958年には12万台の加入があった。その後の、電力事情の安定とラジオ受信機の普及により徐々に姿を消していき、現在では宮古島市池間島奄美市名瀬などに残るだけである。

[編集] 関連項目


[編集] 脚注

  1. ^ 『NHK問題』武田徹著、2006年ちくま新書 ISBN 9784480063366

[編集] 外部リンク