クイズダービー

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クイズダービー
TBS Hall.JPG
番組の収録が行われていたTBSホール
(写真は番組終了3年前の1989年に撮影)
ジャンル クイズ番組/ゲーム番組
放送時間 土曜日 19:30 - 20:00(30分)
放送期間 1976年1月3日 - 1992年12月19日
(862回)
放送国 日本の旗 日本
制作局 TBS
監修 大橋巨泉(スーパーバイザー[1]
プロデューサー 居作昌果 ほか
出演者 司会
大橋巨泉(初代)
徳光和夫(2代目)
解答者
篠沢秀夫
はらたいら
竹下景子
北野大
井森美幸 ほか
レギュラー解答者も参照)
音声 ステレオ放送
1978年11月25日 - 最終回)
オープニング 作曲:ボブ佐久間
外部リンク TBS
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クイズダービー』(英称:QUIZ Derby)は、1976年1月3日から1992年12月19日まで、毎週土曜日の19:30 - 20:00(JST)にTBSで放送された、トークショーを交えたタレントおよび視聴者参加のクイズゲーム番組である。

同じくTBSで放送していた『ぴったし カン・カン』と並び、クイズトークショーを基礎とする現在のクイズバラエティ番組の原型を作った番組といわれている。

ロート製薬一社提供で、全862回放送された。

目次

[編集] 概要

  • 出場者が解答者の中から正解すると思う解答者1人に自分の持ち点を賭けて、得点を増やしていく競馬形式のクイズゲーム番組
  • 元々この枠では、大橋巨泉司会で、同じくロート製薬の一社提供番組だった『お笑い頭の体操』が1968年2月から1975年12月まで放送されていたがリニューアルされることになり、このとき巨泉の競馬好きから、かつて巨泉がカナダで見たクイズ解答者をに見立て賭けを行い高得点を競う競馬形式のクイズ番組セレブリティ・ステークス』を模倣した番組が企画された(詳細はルールの変遷を参照)。その『セレブリティ・ステークス』は巨泉の話によれば「非常に短命で、1年も続かなかった」というが、この番組はルールはもとより、司会者と解答者とのやりとり、ギャンブルのスリルを味わえることが受けて人気番組になった。
  • CM等をのぞいた番組放送時間は24分であったが、収録は25分までで、いわゆる「撮って出し」の手法が使われた。[4]

[編集] 番組の歴史

[編集] 巨泉時代

  • 1976年1月3日、放送開始。番組開始当初は、複雑なルールが災いして視聴率が低迷。2月には4.4%にまで下落し、TBS上層部から再三打ち切り勧告が出された。しかし、スポンサーのロート製薬側の意向もあり存続し、ルールを単純化したところ、秋ごろには視聴率が20%を超え、TBSを代表する看板番組となった。[5]番組の最盛期は上記最高視聴率を記録した1979年から1981年にかけてで、この3年間は年間平均視聴率がおよそ30%にも達した。[6]

[編集] 徳光時代

  • 1990年4月14日(第735回)からは元日本テレビアナウンサー徳光和夫が2代目の司会者となり、オープニングの掛け声も「徳さんの、クイズダービー!!」と変更された。なお徳光に司会が変わってからこれまで巨泉時代に放送実績がなかった富山県チューリップテレビ・1990年10月1日開局)と愛媛県あいテレビ・1992年10月1日開局)の2県にて新たにネットを開始した。しかし冒頭で触れた通り1992年12月19日で番組が終了したため、後者では1クールしかネットできなかった。
  • 1992年7月からは従来固定されていたレギュラー解答者を週替わりにしたが、裏番組の競合でプロ野球中継に負けることも多くさらに視聴率が下落する結果となり、同年度初頭には、当時社長だった磯崎洋三が視聴率低迷に喘ぐTBSの大改革を掲げて同年末での終了が決まった。
  • 1992年12月19日の最終回(第862回)では、巨泉が1990年3月に「セミリタイア宣言」で降板して以来の司会に復帰し、2代目司会者の徳光は5枠のゲスト解答者として出演した。この回の詳細については最終回を参照。

[編集] 特別番組

  • 1983年に放送された『スター対抗クイズ番組大集合 熱狂!興奮!タモリの司会でクイズを100倍楽しもう!』では、タモリ司会によるクイズダービーも行われていた。なお、タモリは本放送時に常連ゲストとして出演していた。
  • 本放送時は通常は30分の放送だったが、過去に数回1時間のスペシャル『お正月だよクイズダービー』(1983年1984年1月1日、1988年1月2日ほか)が放送された[7]

[編集] 本放送終了後

  • 2005年1月3日からCS放送TBSチャンネルで再放送されている。本放送と同じく音多ステレオで放送されている。また、ロート製薬の初代オープニングキャッチも併せて放送されている。TBSチャンネルでの最初の放送となった1月3日は、地上波での放送開始からちょうど30年目にあたる節目の日でもあり、放送開始時刻も本放送と同じ19時30分に設定された(この日は4本分連続で放送)。その後毎週月曜日の放送に変更されたが、この月曜日は本放送の公開録画が行われていた曜日である(2011年5月から金曜夜、11月から土曜朝に移動)。2005年1月はランダムで放送されたが、2月以降は第589回(1987年5月9日放送分)から順番に放送している(ただし、事情により放送されなかった回もある。第739回(1990年5月12日放送分)など)。2008年2月11日に巨泉勇退の回を放送した。2010年2月22日まで第831回(1992年4月25日放送分)まで放送されていたが、同年3月1日よりひかりTVでもTBSチャンネルの配信が始まった関係で第784回(1991年4月27日放送分)から再度放送される。その後同年5月31日に第842回(1992年7月11日放送分)から再びランダムで放送されている。ただし、同年6月以降元TBS社員の秋山豊寛の出演回は放送されていないほか、一部のレギュラー出演者についてIP放送での再放送における諸権利の処理のめどが立っていない(インターネット配信とみなされる)ため、順番に放送できなくなったと推測される。2010年8月2日の第860回(最終回の2回前。1992年12月5日放送分)を以って再放送は終了し、翌週8月9日の第310回(1982年1月2日放送分)から事実上2巡目の再放送が行われる。8月16日は第336回を放送、8月23日は第528回を放送し、8月30日からの第589回以降順番通りに放送される予定。しかし第632回(1988年3月19日放送分)、第650回(1988年7月23日放送分)は1巡目では放送されたが、2巡目では諸事情により放送されなかった。

[編集] 番組の構成

時刻 内容 詳細
  クロスプログラム
  • 1986年春改編よりTBS系列ゴールデン・プライムタイムにおいてエンディング時にクロスプログラムが開始されたのを受け、4月5日放送よりこの番組もクロスプログラムを放送することになった。ただし、この番組の前に放送される『まんが日本昔ばなし』が同時ネットされないテレビ高知テレビ山口ではこのクロスプログラムを見ることができなかった。
  • 巨泉司会時代はゲスト解答者が出演し、番組に対する意気込みを述べていた。
  • 徳光司会時代は徳光が「この後はクイズダービーです」とコールしていた。
  • 最終回は、徳光と巨泉が横に並び、徳光「いよいよ最終回です。」、巨泉「ぜひご覧下さい。」とコールした。
19:30 ロート製薬アイキャッチ
19:30 オープニングテーマ

番組はクイズダービーのタイトル表示を背景に司会者の映像を中央にワイプで表示し「巨泉の、クイズダービー!!」(最初期は「大橋巨泉の……」だった)あるいは「徳さんの、クイズダービー!!」の掛け声でスタート。発馬機のゲートが開く音とともにオープニングテーマが流れ、その回の解答者を左から右へパーンで映し出しながら同時に番組セットのすべての電飾が点灯する。なお、オッズマン制時代にはワイプ表示、電飾の点滅はなかった。

19:30 オープニングテーマ

司会者が挨拶した後に参加出場者に関連したオープニングトークから入る(司会者席に座った状態)。なお、オッズマン制時代にはスタジオ中央で挨拶していた。

19:30 参加出場者紹介

オープニングトークに引き続いて参加出場者を左に座っている組から順に紹介する。

19:33頃 1問目出題
  • 参加出場者の紹介が終わると司会者に画面が切り替わり、司会者の「1問目です。どうぞ」という合図とともに右(司会者)から左(出題者)へパーンしながら出題者を映し出す。
  • 出題者が1問目を出題する。
  • 司会者が解答者の倍率発表(1枠解答者から順に数字だけ読み上げる)
  • 参加出場者の点数掛け
  • シンキングタイム
  • 解答者正解発表(1問目では解答者紹介を含むため原則として1枠解答者から順にあける)
    • 解答者が正解の場合はファンファーレとともに参加出場者の得点加算
    • 解答者が不正解の場合は参加出場者の賭け点没収
19:38頃 コマーシャル(1)
19:39頃 2問目出題
19:40頃 3問目出題
19:41頃 4問目出題
19:43頃 5問目出題
19:46頃 参加出場者(各組)の点数確認
19:46頃 コマーシャル(2)
19:47頃 本日のレース結果確認
  • 「本日のレース結果」(司会者席の後部上にある)のボードを見ながら解答者のその回の成績を確認
19:47頃 6問目出題
19:50頃 7問目出題
19:52頃 チャイム(最終問題の合図)
19:52頃 最終問題(8問目)出題
  • 出題
  • 司会者が解答者の倍率発表(最終問題は倍)
  • 解答者正解発表
  • 最終結果を反映して賞金を表示
19:54頃 エンディング
  • エンディングテーマが流れる。司会者は司会者席を出て解答者と最終問題などについて話し、その後、参加出場者とは獲得賞金などについて話す。
  • 司会者は最後にセット中央で挨拶をして終了する。
次回予告、出場者募集、エンドカード
  • エンディングではポップ調にアレンジされた番組テーマ曲をバックに、次回の予告と出場者募集が流された。1990年3月31日まではブルーバック静止画だった。1980年代前半にはゲストの写真をはめ込んだイラストに手書き文字を使用していた。ナレーションは当初藤田恒美が担当し、1986年4月5日からは宇野淑子が担当したが、1990年3月24日放送の第733回をもってナレーションは一旦廃止された。同年4月以降は、5枠のゲスト解答者がVTRで出演し、出場チームは字幕スーパー(週替わりレギュラーの頃はピンク地に来週の解答者と出場チームの名前)で紹介され、1991年10月ごろからには、視聴者プレゼントのお知らせと前週のプレゼント当選者発表が追加された頃から再びナレーションが復活。当時出題者の渡辺真理がナレーションを務めていた。
  • 提供読みのナレーションは開始から長らく他のロート製薬提供番組同様「提供は、ロート製薬でございました。」で藤田恒美が担当していたが、ロート製薬のロゴとコーポレートスローガンの制定に伴い、1989年6月以降は「健やかな明日のために、ロート製薬の提供でした」という固定の女性のアナウンスとなった[8]。同様に、「クイズ!!ひらめきパスワード」末期及び当番組の後に始まった「クイズテレビずき」も対象だった。
  • エンドカードは、開始から1977年頃までは明るい赤地に下に白抜きで小さく“クイズ[改行]ダービー[改行] 終”(レイアウトはセンタリング)配され、それ以降は赤地に白抜きで大きく“クイズ[改行]ダービー[改行] おわり”のレイアウトとなり、最終回まで継承された。
  • エンドカード終了後には次番組のジャンクションが流れ、森永製菓(末期はP&G)によるヒッチハイクCMが30秒放送された。

[編集] ルールの変遷

  • 番組の基本的なシステムやルールの考案者は、初代司会者だった大橋巨泉である。番組は「巨泉の、クイズダービー!!」(最初期は「大橋巨泉の……」だった)の掛け声の後、発馬機のゲートが開く音とともにオープニングテーマが流れ、同時に番組セットのすべての電飾が点灯してスタートした。

[編集] 基本ルール

  • 毎回3チーム(初期は4チーム)の出場者と、5人(初期は6人)の解答者が出演した。
  • 出場者チームは各問題に対して正答しそうな解答者を一人指名し、持ち点(3000点からスタート)の範囲内から100点単位で賭けていく。解答者には問題の解答力に応じた倍率が設定されており、指名した解答者が正解した場合には賭け点と解答者の倍率をかけた得点が与えられ、不正解だと賭け点分のみマイナスとなった。ただし、解答者が全員不正解の場合にはその問題での賭け点はすべて返された。
  • 実際の競馬でいうと、出場者は「賭け手」、解答者は「競走馬あるいは騎手」、出場者の持ち点は「馬券」、解答者の倍率は「オッズ」、解答者のシンキングタイムは「競走」、解答者の正解は「1着ゴールイン」、出場者の得点獲得は「的中」、全員不正解は「競走不成立による全返還」に見立てたものである。

[編集] 問題

  • 通常は8問(初期は11問⇒10問:6人制・9問:5人制)出題され、1・3・5・8問目が一般問題、2・4・7問目が三択問題、6問目は音楽問題(巨泉は「作詞の問題」と呼んでいた)というのが基本である(まれに1問目で音楽問題や、三択が出題されたこともある)。問題表示は、出題者が読み上げの最中にテレビ画面の下半分に水色のボードに手書きの黒い文字で表示されていたが、末期の解答者変動制になってからはテロップ表示となった(2回の復刻盤では水色ボードの黒い文字の手書き)。なお、問題を解くカギとして、問題中にヒントが隠されており、そこから答えを連想することができた。音楽問題は歌詞通りに書かなければならないが、一般問題と同様に問題のフレーズの周りの歌詞にヒントがあり、そこから予想していた。
  • 出題は一般常識や時事関連、著名人のエピソード・名言、時代を反映したエピソード、事件簿、アメリカンジョークなどの珍問・奇問の問題が中心で、知識より勘やユーモアを問う問題が比較的多かった。中には出場者のタレントに関するエピソード問題や、普通の辞書には載っていないユニークな漢字の出題もあった。出場者に関係する問題については、解答に入る前に司会者から出場者に対して「○○さん(みなさん)は黙っていてくださいね!」と注意があった。

[編集] 倍率・オッズ

  • 基本的な倍率の付け方は、通常問題は1倍から10倍まで。三択問題は1倍から7倍まで(初期は1倍から5倍までだった)。最後の問題(合図として出題前に約2秒のチャイムが鳴る)では、設定された倍率がさらに2倍になった。
  • 番組の初期は、司会の巨泉と、レギュラーオッズマンの藤村俊二と、ゲストオッズマン(ゲスト解答者と親しい人 例・ゲスト解答者が植木等の時、ゲストオッズマンはハナ肇だった)の3人で解答者の倍率を決めていた。これは、解答者の正解不正解を、競馬の予想マーク(◎○△×)で予想するもので、3人全員がマークを付けない状態では「10倍」であり、マークの種類と個数に応じて倍率が下がっていった。ただし、どのマークでどれだけ下がるかの規則性は、番組内では明らかにされなかった。なお、競馬の予想マークは倍率の下に表示していた。その後、解答者が6人から5人に整理された際に、予想マークや倍率を下げるルールが廃止され、巨泉が単独で倍率を決める方法に改められたが、「最高倍率は10倍(最終問題は20倍)」というルールはそのまま継続された。巨泉はこのリニューアルについてのちに「複雑すぎて視聴者に受け入れられず、視聴率が取れなかった。それなら思いっきり単純にしようと思って、オッズマン制をやめた」と語っている。要するに競馬等のギャンブルを全く知らない視聴者にもわかりやすくするためでもあった。
  • 倍率は、概ね1枠・2枠・5枠には5〜10倍(三択問題では最大7倍だが、徳光時代ではゲスト解答者(ダニエル・カール藤田朋子松田聖子加藤博一久本雅美赤井英和)に8倍が、更に瀬川瑛子に9倍が付いたことがある。)、3枠と4枠には2・3・4倍(いずれも最終問題はさらに2倍)が表示されていたが、ごくまれに「1倍」がついたこともある。「1倍」の設定は正解率の高いはらたいらが多かったが[9] 、その他の解答者でも専門・得意分野にちなんだ問題では「1倍」が設定されたことがあった。また、番組初期から中期にかけてはごくまれに、はらに5倍、竹下にも5〜10倍(例:竹下が誕生する以前の時代での問題が出題された場合など)という高倍率が設定され、最終問題で彼らに10倍が出たこともある。
  • 最終問題では倍率が2倍になるため、確実に2〜20の偶数がオッズになるのだが、初期は単純に1〜20倍の間で倍率が決められたため、最終問題の倍率が2桁の奇数になる場合もあった。
  • 徳光への司会交代後の中期からは倍率が毎週ほぼ固定制になり、問題内容に応じた個々の倍率判断が全くなされなくなった。(例えば、第809回、1991年10月26日放送分の1問目の主婦向けの問題に普段通りはらに2倍、竹下に3倍が付いたり、第791回、1991年6月15日放送分の山田邦子の「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド編)」の歌詞問題に、世代的にかなり有利と思われる井森に9倍が付く等。因みにその問題に井森は正解した。)また時々つけられていた「1倍」という倍率もつけられることが少なくなっていった。
  • 倍率発表の際の司会者の決まり文句としては、以下のものがあった。
    • 「倍率ドン!!」(倍率発表の際に発する)
    • 「倍率ドン! さらに倍!!」(最終問題で倍率が2倍になるときに発する。主に巨泉)
    • 「倍率ドン! さらに倍してドン!!」(同上。主に徳光)

[編集] 点数賭け

  • この番組での的中時の配当は、日本における公営競技中央競馬地方競馬競輪競艇オートレース)のパリミュチュエル方式ではなく、いわゆる「n to 1」というブックメーカー方式で行われており、持ち点を賭けた時点では持ち点が減らないルールになっている。例えば3,000点を持っているチームが、3倍の解答者に500点を賭けて正解した場合の持ち点は「3,000+500×3=3,000+1,500=4,500」点となる。不正解の場合は「3,000-500=2,500」点(倍率は関係ない)となる。前述した「1倍」という倍率が存在したのはこのためである。
  • 「全員不正解」という事態は、番組当初においては想定されておらず、初めて生じたときには、通常通り「不正解者に賭けた」こととして減点されたが、その翌週より「そもそも誰が正解しているかを当てるゲームであり、全員不正解というのは根本的にゲームが成立していない状態である」という見解(実際の競馬でいうところの「競走不成立」となった状態と同じ)に統一され、「全員不正解の場合、賭け点はすべて返す」というルールが追加された。そのため、誰にも賭けられていない解答者が単独で正解した際に、巨泉がその解答者に「余計なことをしましたね~。」などとこぼすのがお約束となっていた。(特に高倍率傾向にあった1枠・2枠解答者に対して)

[編集] シンキングタイム

  • クイズの解答は、テーブルに設置されているロールペーパー式の解答用紙にマジックペンで書き、それを天井のカメラで撮ってモニターに映しており、文字は白抜きで表示された。また新しい紙は、解答者から見て左側にあるボタンを押すと出て来る。その為、モニターが開いている時(答えを開ける前の「クイズダービー」表示でない時)、解答用紙の所に手を置いたり顔が入ったりするとモニターに手や後頭部が映る、書いた解答が横にスクロールする所が見られる事もあった。
  • 「草競馬」のBGMが流れている間は、解答の修正が認められていた。最初の解答を抹消して改めて答えを書いたり、複数の解答を羅列し最終的な答えを○で囲んで答えとすることが可能であった。このケースは特に篠沢秀夫が使用することが多かった。

[編集] 解答発表

  • 司会者の「せーの、ドン!」(番組開始当初は「ハイ!」)の掛け声とともに、解答者の頭上にあるモニターに解答が表示される。正解の場合は正解した解答者のモニターの背景色が青から赤に変わり、倍率表周りのランプが点灯回転した。さらに賭けられた解答者に対しては、ファンファーレ(番組開始当初は馬の鳴き声だった)が鳴らされ、的中した出場者の得点表周りのランプも点灯回転した。賭けられなかった解答者が正解の場合、ファンファーレはなく、観客の拍手のみ。
  • 解答の開け方には、順番に開ける場合と一斉に開ける場合とがあり、順番も以下に示すように、場合によってまちまちだった。
第1問目
最初の問題では解答者の紹介を兼ねて1枠から順に解答を開けていった。その際、レギュラー解答者については先週の成績が「○問正解」ではなく、「○勝×敗」という表現で司会者より発表され(年初めの放送では、前年一年間の成績と勝率〈○割△分□厘〉を発表)、過去に出場経験があるゲスト解答者については通算成績が発表された。ただし、末期の週替わりレギュラー制となってからは、テロップで前回の成績が表示された。
三択問題
三択問題では答えが3つしか存在しないため、基本的に一斉に答えを開いていた。答えを開ける際で、答えの分布が○:△:□=2:2:1の場合「3つに分かれました。○は2人、△は2人、□は1人」、○:△:□=3:1:1の場合は「○という答えが圧倒的に人気で3人、△は1人、□は1人」、○:△:□=3:2:0の場合「□と書いた人はいない、○が3人、△は2人」、4:1の場合「なんとひとりをのぞいてみんなおんなじこたえ!」といった決め台詞が存在し、その後一斉に全員の解答を開く「いっぺんに開けます。せーの、ドン!」(徳光が時々「せーの、ドン!」の所を「よーい、ドン!」ということがあった)という形式だった。また「なんと全員同じ答えです!」と言ったり、いきなり「いっぺんに開けましょう」との号令で、5人全員正解と言ったこともある(逆に全員不正解の場合もあり)。一般問題でも「一人を除いて皆同じ答え」で一斉に答えを開けたことが時折あり、その後大抵は「○○さん(篠沢教授、井森が多い)以外は全部正解」となるパターンだったが、たまに「○○さん一人だけ正解」「全員不正解」となったケースもあった。なお一人だけ正解の場合は、予め司会者がとある解答者に対して「○○さん、(『一人を除いて』のひとりは)あなたでは有りません!」と安心させていたが、そう言われた解答者は不正解であった。極稀にゲスト解答者が「一人を除いて皆同じ答え」の台詞を聞いた後に自分ではないかと思い込んで書き直し、不正解となってしまうこともあった。なお最終回を除く巨泉時代のすべての回(復活特番も含む)と徳光時代の回の途中までの回は問題表示の際、出題内容と選択肢を一括表示していたが、後者の途中から最終回までの回は出題内容と選択肢が別々に表示される形式へ変更され(出題者が選択肢を読み上げる際に、表示を切り替え)、同時に問題表示の書体もナール体へ一新された(一般問題も同じ)。
その他の問題(一般問題)
一般問題(1問目以外)においては司会者の裁量で、大抵は誰からも指名がなくかつ間違えているだろうと思われる解答者の答えから順に開けていった(1・2・5枠のいずれかから開けることがほとんどであった。また奇を衒って、いきなり正解の解答者の解答を開けるといった演出もあった)。指名された解答者が全員不正解の場合、別の解答者を最後に残し、「○○さん(はらが多い)ができなければ、お返しします」の台詞で答えを開けており、この場合、大抵その解答者は正解であるが、たまに不正解で「お返し」となる場合もある。ただし同一解答が複数いる場合は一斉に答えを開けたこともあるが、はらと答えが同じで尚且つ正解の場合は、まずはらと答えが同じという事は告げずに解答を開けて正解、その後はらの答えも開けて正解という演出があった。番組開始当初は出場者の順番を追ってそれぞれ賭けた解答者から枠番で「ハイ、○番!」と解答を開けていた。

[編集] 得点・賞金

  • 最終的に獲得した点数がそのまま1点=1円で賞金となった。最終問題に関係なく持ち点が10万点に達したか超過した場合、または0点になって失格となった場合、そのチームのみその時点でゲーム終了となり、次の問題以降は参加できなくなる。『クイズダービーベスト500』では10万点という点数をクイズダービーの合格点と定義している。
  • 持ち点が10万点に達するか、それを超過した場合、賞金は10万円となり、10万円を超過した分は「TBSカンガルー募金」(現・TBS未来への生命募金[10]に寄贈された。これは製薬会社団体の紳士協定により、懸賞賞金が10万円までと定められていたためである。1チームでも10万点獲得チームが現れると、番組のエンディングで流れるテーマ曲の一部分がファンファーレとして鳴るとともに、出場者席の背後にある電飾および得点表周りの電飾が点灯し、天井に吊るされたくす玉が割られ、大量の紙吹雪と極細の紙テープの固まり2束が降り注ぐ中、男性には白、女性には赤のダービーハットがアシスタントによってかぶせられた。くす玉割りは毎日放送アップダウンクイズ』の末期と同様、スタッフの機械操作で行われていた。なお、字幕スーパーは一切出なかった。
  • 10万点獲得は最終問題で「最後の賭け」の結果達成するパターンが大半だったが、前述した通り、まれに最終問題に至る前に10万点獲得に至ったチームも現れた。例えば、1988年4月9日放送の奥田瑛二麻生祐未ペアは、5問目終了時点で持ち点を71,000点まで増やし、6問目で3倍の竹下景子に20,000点賭けたところ、竹下が正解したため、持ち点が131,000点となった。第614回、1987年11月7日放送分で、7問目時点で56000点持っていたチームが6倍の山崎浩子に16000点賭けたところ正解したため、152,000点を獲得した。また、第7問目までに全チームがあわや10万点獲得に至るまでなろうとしていたことがあった。
  • 大抵の回は10万点に達するチームが出たが、全チーム0点または逆に全チーム10万点となったケースも年に数回あった。最終問題であっても、確実に賞金を持ち帰るために正解率の高い(倍率の低い)解答者(主にはらたいら竹下景子)に賭けて10万点に届かなかったチームもあれば、全額を賭けずに少し点数を残したチームもあった。中には計算違いをしたり、最終問題に至るまでに0点となり失格になったチームも存在した。

[編集] 司会者席

  • 司会者席の上には、解答者全員の成績が「本日のレース結果」として表示された。正解の際は当該箇所の赤いランプ(印)が点灯した。表示は10問目まで対応していたが、9問目以降は特番を除き使用しなかった。5問目終了後のCM明けにこのボードで解答者の成績を確認していたが、その際巨泉は解答者の成績が良いと「今日はみなさん真っ赤ですねえ」、逆に悪いと「今日はどうしたんでしょうか、真っ黒ですよ」などと言っていた(不正解の所は何も照明が付かず黒いため)。解答者の成績が悪いながらも出場者の点数が高いと「今日の出場者は賭け方が上手いですねえ」、逆に解答者の成績が良いのに出場者の点数が低いと「今日の出場者はおかしいですねえ、皆こんなに真っ赤なのに?」などと言っていた。
  • 番組初期は3つに席が分かれており、左からゲストオッズマン、レギュラーオッズマンの藤村俊二、司会者の大橋巨泉が座っていた。また、解答成績は司会者席と6枠解答者席の間にボード形式で立てていた。
  • 司会者席にも解答をチェックするモニターが横に1列並んで設置されており(解答者席のものと同様に画面が青・赤バック表示のもの)、視聴者にも解答の模様を公開するための黒バックのモニター(「ただいま解答中!」)が上3つ・下2つに並んで設置されていた。

[編集] 解答者席

  • 解答者席は実際の競馬で言うスタート地点(いわゆる「ゲート」)に見立てたものである。
  • 解答者の後方には解答モニター(通常は「クイズダービー」のタイトルロゴが表示されるが、番組改編期の特番では「春(秋)の豪華版スペシャルクイズまるごと大集合」と出ていた)が設けてあり、通常時は青バック、正解の場合はそれが赤バックとなり、不正解の場合は青バックのままであった。当初は解答モニターを棚に飾る状態でのせていたが、解答席が6席から5席に変更された際、番組セットの壁でモニター画面の部分以外をすべてふさいだ。
  • 解答者席の正面には倍率(オッズ)が電光表示され、賭けられた解答者の席では、賭けたチーム名が書かれたポールが自動的に立った。正解すると電飾が点滅した。
  • 解答者席の両側にはコンパニオンの出入口が配されており、出場者の10万点獲得時と、問題に関係した図表や物品を解答者に見せる際に使われた。コンパニオンはエンドクレジットに名前が出るが、どちらのケースもない場合は姿を見せなかった。

[編集] 出場者席

  • 出場者席のテーブルにはパネル形式で、上にその問題の賭け点、下に現在の獲得点数がそれぞれ表示される。得点表示はソラリー式(反転フラップ式。縦横方向は違うものの、『アップダウンクイズ』の賞金表示板と同じ仕組み)で、賭けた解答者が不正解の際には動作音が響いていた。1988年の『お正月だよクイズダービー』にて、優勝チームがトータル100万点を超過し表示不可能になり、巨泉がADの記したカンペを持参しての結果発表となって以来、特番のセットでは得点盤が6桁から7桁表示になっている。
  • 解答者指名の際には、手元にある解答者名が書かれたネームプレートをポールに差し込む(初期は丸いプレートに電光表示で解答者の枠番を表示させていた)。番組開始当初は出場者が賭け点入力もしていたが、のちにスタッフに一任された。賭けた解答者が正解すると、出場者席のテーブルの電飾が点滅した(後方の電飾は点滅しない)。
  • 1976年1月3日(第1回)の番組開始から1987年9月19日(第607回)放送分まで使われていた後方の電飾は、欧米の多くの競馬場(近年は日本でも)に採用されている競走馬の蹄をイメージしたゴール板を模したものである。出場者席の配色は左から赤・黄色・緑であった。ただし番組開始当初は色分けされておらず、後方の電飾はすべて黄色で、くす玉もなかった。
  • 『クイズまるごと大集合』や『お正月特番』では、赤・黄・緑のほかにもう1つ青枠が登場した。解答者席にある賭けたチーム名のポールは、自動的に立つのは3チーム分(赤・黄・緑)しかないため、青枠分は出場チーム名が書かれたネームプレートを賭けられた解答者自らが答えを記入する前に手動で差し込んでいた。

[編集] 歴代司会者

[編集] 歴代出題者

出題者は問題の読み上げのみ担当し、賞品などを紹介することは一切なかった。

  • 初代:丹羽節子
  • 2代目:保田裕子
  • 3代目:きゃんひとみ(当時琉球放送アナウンサー・現フリー)
  • 4代目:小池達子(元テレビ愛媛アナウンサー・フリー)
    • 1985年4月6日(第478回)-1991年3月30日(第781回)を担当。
    • 2000年2004年の過去2回の復活特番ではいずれも小池が出題を担当している。
  • 5代目:渡辺真理(当時TBSアナウンサー・現フリー)
    • 1991年4月13日(第782回)-1992年12月19日(第862回)の最終回までを担当。
    • 司会が徳光に交代した後に就任したため、司会巨泉・出題渡辺という組み合わせは最終回の一度だけであった。また、1991年10月の頃から次回予告のナレーションを担当していた。

[編集] オッズマン

  • 藤村俊二1976年1月-1976年6月>(巨泉時代初期6人制のみ)
  • ゲストオッズマン<1976年1月-1976年6月>(巨泉時代初期6人制のみで週替わりである)
    • ゲスト解答者と親しい人が出演した。例:ゲスト解答者が植木等の時、ゲストオッズマンはハナ肇だった。

[編集] アシスタント

  • 笠井美江(巨泉時代中期?)
  • 橋本真理子(巨泉時代末期~徳光時代)

[編集] レギュラー解答者

氏名(職業)<レギュラーを務めた期間>(補足)、(1段下げて)通算勝敗、通算勝率の順に記載。

  • 解答者のギャラは正解数とは無関係だったため、はらたいらも篠沢秀夫も同じだった[11]。また、視聴率も解答者の成績の良し悪しにかかわらず常に安定していた。

[編集] 1枠

男性一発逆転枠。2枠よりは正解率は高め。主に作家・大学教授などの文化人が入る枠であった。不定期時は山崎浩子井森美幸などの女性陣が1枠に座ることもあった。

[編集] 2枠

女性大穴枠。長山まではベテラン女優枠であったが、4枠の竹下景子が長く出演したので、宮崎の時代から最終回までは若手女優枠に転向。不定期時は田中義剛などの男性陣が2枠に座ることもあった。

  • 五月みどり女優歌手)<1976年1月-1977年1月>
    • 通算勝敗:220勝250敗、通算勝率:4割6分8厘
  • 沢たまき(女優・歌手・のち政治家)<1977年1月-1977年9月>
    • 通算勝敗:107勝193敗、通算勝率:3割5分6厘
  • うつみ宮土理(女優・司会者)<1977年10月-1978年8月>
    • 通算勝敗:183勝201敗、通算勝率:4割7分6厘
  • 高峰三枝子(女優・歌手)<1978年8月>(うつみが病気のため降板した繋ぎとして短期レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明
  • 南田洋子(女優)<1978年9月-1979年9月>
    • 通算勝敗:99勝358敗、通算勝率:2割1分7厘
  • 長山藍子(女優)<1979年10月-1981年9月>
    • 通算勝敗:237勝555敗、通算勝率:2割9分9厘
  • 宮崎美子(女優)<1981年10月-1983年9月>
    • 通算勝敗:332勝504敗、通算勝率:3割9分7厘
  • 斉藤慶子(女優)<1983年10月-1985年3月>
    • 通算勝敗:174勝461敗、通算勝率:2割7分4厘
  • 山崎浩子(元新体操オリンピック代表選手、現日本代表監督)<1985年4月-1988年2月>
    • 通算勝敗:327勝857敗、通算勝率:2割7分6厘
  • 井森美幸(バラドル)<1988年2月-1992年6月>(レギュラー前にもゲスト解答者として3回出演、1992年7月-12月は準レギュラー)
    • 通算勝敗:374勝1431敗、通算勝率:2割0分7厘
  • 早坂好恵(女優・歌手)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗:11勝13敗、通算勝率:4割5分8厘
  • 小川知子(女優)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明
  • 田中義剛(歌手)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明

[編集] 3枠

男性本命枠。福地ははらのスケジュールが合わず代役として出演。秋山・加賀は番組終了まで約半年間の週替わりレギュラー。はらはこの間も最終回も含め不定期で出ていたが、竹下よりも早く番組出演を終えている。不定期時は秋山豊寛加賀まりこ、4枠レギュラーの竹下景子が3枠に座っていることが多かった。

  • 黒鉄ヒロシ漫画家)<1976年1月-1977年1月>
    • 通算勝敗:312勝159敗、通算勝率:6割6分2厘
  • はらたいら(漫画家)<1977年1月-1992年6月>(1992年7月-12月は準レギュラー)
    • 通算勝敗:4842勝1632敗、通算勝率:7割4分7厘
  • 福地泡介(漫画家)<1981年4月>(はらの代役として出演)
    • 通算勝敗:0勝8敗、通算勝率:0割0分0厘
  • 秋山豊寛(元TBSキャスター・日本人初の宇宙へ行った宇宙飛行士)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明
  • 加賀まりこ(女優)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明
  • 竹下景子(女優)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明

[編集] 4枠

女性対抗枠。当初は女子大生枠。宮崎・市毛・原・秋吉は竹下の産休代役として、それぞれ2週間ずつ務めている。不定期時はジェームス三木田中義剛円広志などの男性陣が4枠に座ることもあった。

  • 萩尾みどり(女優・当時千葉大生)<1976年1月-1976年4月>
    • 通算勝敗:45勝62敗、通算勝率:4割2分0厘
  • 岸じゅんこ(女優・当時國學院大生)<1976年4月-1976年9月>
    • 通算勝敗:114勝91敗、通算勝率:5割5分6厘
  • 竹下景子(女優・当時東京女子大生)<1976年10月-1992年6月>(1992年7月-12月の間は準レギュラー)
    • 通算勝敗:4172勝2418敗、通算勝率:6割3分3厘
  • 和田アキ子(歌手)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明
  • 小川知子(女優)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明
  • 久本雅美(女優)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明
  • ジェームス三木(作家)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明
  • 田中義剛(歌手)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明
  • 円広志(歌手)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
    • 通算勝敗・通算勝率:ともに不明
  • 宮崎美子(女優)<1986年3月>(竹下の産休代役として出演)
    • 通算勝敗:9勝7敗、通算勝率:5割6分3厘
  • 市毛良枝(女優)<1986年4月>(竹下の産休代役として出演)
    • 通算勝敗:9勝15敗、通算勝率:3割7分5厘
  • 原日出子(女優)<1988年10月>(竹下の産休代役として出演)
    • 通算勝敗:7勝9敗、通算勝率:4割3分8厘
  • 秋吉久美子(女優)<1988年10月>(竹下の産休代役として出演)
    • 通算勝敗:14勝23敗、通算勝率:3割7分8厘

[編集] 5枠

初期の解答者枠は6あり、6枠がゲスト枠だった。ガッツの降板後に整理されて1枠減り、ゲスト枠が5枠に改められた。

[編集] ゲスト解答者

[編集] 歴代ゲスト解答者一覧

あ行
相原勇青木茂青島幸男赤井英和明石家さんま赤塚不二夫秋野暢子秋吉久美子アグネス・チャン浅井慎平浅香光代朝丘雪路浅田美代子浅野ゆう子梓みちよ東八郎東ちづる安孫子素雄安部譲二荒井注井岡弘樹いかりや長介生島ヒロシ石川次郎石川さゆり石黒賢石坂浩二石原良純泉ピン子泉谷しげる市川海老蔵市川森一市毛良枝五木ひろし出光ケイ稲川淳二井上順井上晴美イルカ植木等楳図かずお蛭子能収海老名香葉子江守徹池田裕子大島渚大谷直子大平透大村崑岡江久美子緒形拳岡田眞澄小川知子沖田浩之沖雅也小倉一郎小倉智昭小倉久寛小沢昭一小田島雄志
か行
香川伸行掛布雅之風間トオル柏原芳恵片岡鶴太郎桂歌丸桂三枝桂米朝桂三木助加藤茶かとうかずこかとうれいこ金子信雄加納みゆき叶和貴子上岡龍太郎神津善行上村香子鴨下信一嘉門達夫川合俊一川上麻衣子川崎敬三川島なお美河内家菊水丸神田正輝岸千恵子北島三郎北方謙三喜多嶋舞木の実ナナ京本政樹久米宏草野仁蔵間龍也栗田貫一中島梓黒沢久雄桑田佳祐久和ひとみ見城美枝子研ナオコ工藤夕貴小堺一機五大路子児玉清小林幸子小林亜星小林繁小柳ルミ子紺野美沙子
さ行
冴木杏奈斉木しげる酒井法子堺正章坂上二郎榊原郁恵坂本冬美定岡正二里見浩太朗佐野量子佐藤直子佐良直美三遊亭圓歌三遊亭圓丈椎名桜子ジェームス三木宍戸錠島田紳助島崎和歌子清水アキラ清水ミチコ春風亭小朝笑福亭笑瓶笑福亭仁鶴笑福亭鶴瓶白都真理陣内孝則杉浦日向子杉浦幸杉田かおる杉本彩鈴木早智子関根勤世良譲千堂あきほそのまんま東
た行
高樹澪高島忠夫高橋英樹高橋名人高橋由美子高見恭子宝田明武田鉄矢武豊田子ノ浦親方立花理佐辰巳琢郎田中小実昌田中義剛田中律子ダニエル・カール谷啓玉置宏タモリダンプ松本檀ふみちあきなおみ筑紫哲也ちはるチャーリー浜月の家円鏡中尊寺ゆつこ常田富士男つのだ☆ひろ坪内ミキ子出門英寺田理恵子土井たか子東野英治郎東野孝彦戸川京子所ジョージ刀根麻理子戸張捷富田靖子鳥越マリ
な行
中井貴惠中尾ミエ中嶋常幸中野浩一中村紘子中村あずさ中村橋之助中村泰士仲本工事中山大三郎夏木マリ夏目雅子西川のりお錦織一清西田敏行西村晃ねじめ正一野坂昭如野口五郎野田秀樹
は行
間寛平橋田壽賀子橋幸夫長谷川和彦服部克久ハナ肇羽野晶紀羽仁進馬場鉄志浜田マキ子浜尾朱美林葉直子林寛子林家木久蔵林家こぶ平林家こん平原日出子板東英二坂東八十助ビートたけし東山紀之平田昭彦福地泡介藤島親方藤村俊二藤吉久美子布施明古舘伊知郎古谷一行古谷徹別所哲也辺見マリポール牧細川ふみえ細川隆一郎細川隆元堀江美都子ぼんちおさむ
ま行
前田武彦松井菜桜子松居直美松崎しげる松田聖子松本伊代松本典子松雪泰子舛添要一円広志真屋順子汀夏子三雲孝江水島裕水野晴郎三ツ木清隆南伸坊三波春夫宮尾すすむ宮川泰三宅裕司本木雅弘森川由加里森口博子森末慎二森田芳光森田健作森昌子森光子森本毅郎森山周一郎諸星和己
や行
矢口高雄薬丸裕英泰葉山口智子山口美江山城新伍山瀬まみ山田邦子山田康雄山藤章二山本コウタロー山本直純ゆうゆ由紀さおり豊山湯原昌幸吉幾三吉川団十郎吉村明宏四方義朗
ら行
龍虎レオナルド熊
わ行
若原一郎若原瞳和田アキ子渡辺文雄渡辺正行渡辺美佐子

[編集] 常連ゲスト解答者の出場回数・勝敗・勝率

氏名、(1段下げて)出場回数、勝敗、勝率の順に記載。

1988年2月27日までの記録。ただし、小沢昭一松崎しげる稲川淳二和田アキ子については1992年12月19日までの記録。

  • 黒沢久雄
    • 出場回数:7回、勝敗:56勝5敗、勝率:9割1分8厘
  • 宮尾すすむ
    • 出場回数:6回、勝敗:38勝14敗、勝率:7割3分0厘
  • 長山藍子(元レギュラー)
    • 出場回数:7回、勝敗:25勝32敗、勝率:4割3分8厘
  • 湯原昌幸
    • 出場回数:13回、勝敗:45勝63敗、勝率:4割1分7厘
  • 稲川淳二
    • 出場回数:7回、勝敗:22勝34敗、勝率:3割9分3厘
  • 福地泡介
    • 出場回数:7回、勝敗:22勝36敗、勝率:3割7分9厘
  • 中島梓
    • 出場回数:5回、勝敗:15勝25敗、勝率:3割7分5厘
  • 田中小実昌
    • 出場回数:5回、勝敗:15勝26敗、勝率:3割6分5厘
  • 大島渚
    • 出場回数:7回、勝敗:29勝51敗、勝率:3割6分2厘
  • 和田アキ子(末期準レギュラー)
    • 出場回数:11回、勝敗:29勝61敗、勝率:3割2分2厘
  • タモリ
    • 出場回数:12回、勝敗:32勝68敗、勝率:3割2分0厘
  • 五月みどり(元レギュラー)
    • 出場回数:11回、勝敗:28勝60敗、勝率:3割1分8厘
  • 松崎しげる(ゲストとしては最多出場)
    • 出場回数:21回、勝敗:53勝116敗、勝率:3割1分3厘
  • 桂歌丸
    • 出場回数:9回、勝敗:22勝50敗、勝率:3割0分5厘
  • 所ジョージ
    • 出場回数:9回、勝敗:21勝51敗、勝率:2割9分1厘
  • 小川知子(末期準レギュラー)
    • 出場回数:11回、勝敗:25勝64敗、勝率:2割8分0厘
  • 小沢昭一
    • 出場回数:13回、勝敗:28勝78敗、勝率:2割6分4厘
  • 片岡鶴太郎
    • 出場回数:6回、勝敗:11勝37敗、勝率:2割2分9厘
  • 市毛良枝(4枠産休代理)
    • 出場回数:5回、勝敗:9勝31敗、勝率:2割2分5厘
  • 山田邦子
    • 出場回数:5回、勝敗:9勝31敗、勝率:2割2分5厘
  • 楳図かずお
    • 出場回数:7回、勝敗:11勝45敗、勝率:1割9分6厘

[編集] 全問正解したゲスト解答者

[編集] ゲスト勝率ランキング

[編集] 歴代番組レギュラー出演者の変遷

いずれも代理出演は除く。

出演期間 司 会 出 題 1 枠 2 枠 3 枠 4 枠 5 枠 6枠 オッズマン ゲストオッズマン
初回(第1回) 大橋巨泉 丹羽節子 畑正憲 五月みどり 黒鉄ヒロシ 萩尾みどり ガッツ石松 植木等 藤村俊二 ハナ肇
1976.1-4 白石浩一 ゲスト解答者 ゲストオッズマン
1976.4-6 鈴木武樹 岸じゅんこ
1976.6-9 ゲスト解答者 廃止 廃止 廃止
1976.10-1977.1 竹下景子
1977.1-5 沢たまき はらたいら
1977.6-6 プリングス・ハイム
1977.6-10 和久峻三
1977.10-1978.8 篠沢秀夫 うつみ宮土理
1978.8-8 高峰三枝子
1978.9-1979.9 南田洋子
1979.10-1980.3 長山藍子
1980.4-1981.9 保田裕子
1981.10-1983.9 宮崎美子
1983.10-1984.3 斉藤慶子
1984.4-1985.3 きゃんひとみ
1985.4-1988.2 小池達子 山崎浩子
1988.2-7 井森美幸
1988.8-1990.3 北野大
1990.4-1991.3 徳光和夫
1991.4-6 渡辺真理
1991.7-1992.6 植草克秀
1992.7-12 不特定 不特定 不特定 不特定
最終回(第862回) 大橋巨泉 北野大 井森美幸 はらたいら 竹下景子 徳光和夫
2000復刻版 小池達子 篠沢秀夫 久本雅美 石坂浩二
2004復刻版 井森美幸 田村淳

[編集] 連勝記録

それぞれ、最高記録のみ。

[編集] 連敗記録

それぞれ、最高記録のみ。

[編集] 節目の回の詳細

[編集] 大橋巨泉司会最終回

解答者
1枠:北野大(成績3勝5敗。倍率 5・6・66・7・8・6・18)
2枠:井森美幸(成績3勝5敗。倍率 7・7・8・79・10・7・20)
3枠:はらたいら(成績5勝3敗。倍率 1・3・2322・3・4)
4枠:竹下景子(成績6勝2敗。倍率 223・2・3・3・28
5枠:篠沢秀夫(成績2勝6敗。倍率 6・5・7・7・10・8・7・16
出場者
赤チーム:ガッツ石松萩尾みどりチーム<賞金獲得額0円>
黄チーム:斉藤慶子山崎浩子チーム<賞金獲得額144,000円>
緑チーム:黒鉄ヒロシ長山藍子チーム<賞金獲得額90,900円>
  • この回の第5問で、ラジオ番組の投書を基にしたクイズが出題された。内容は「この番組での解答者に対する倍率を表す時の決め台詞『倍率ドン!!』を中学校の理科の授業で使った先生がいて、学校の中で流行っています。さて、どのような時にこの台詞を言うのでしょうか」というものだった。答えは「顕微鏡を見るときの倍率設定」で、井森、竹下の女性2名とはらの3人が正解した。井森は平仮名で「けんびきょう」、はらと竹下は「顕微鏡を覗くとき」と書いており、これについて巨泉は「顕微鏡を見るというのが普通の人で、覗くと書くとスケベな人です」とコメントした。
  • ガッツと萩尾の赤チームは、7問目で10万点に達する可能性もあったが、賭けた解答者(はら)が不正解だったため、最終問題前の10万点達成には至らなかった。
  • 最終問題はカミソリの広告から「?のうぶ毛もきれいにそれる」の「?」を当てるもの。各解答者の書いた答えは以下の通り。
    • 北野:ヤマアラシ
    • 井森:足
    • はら:心臓
    • 竹下・篠沢:桃(正解)
  • エンディングでは次回から司会を務める徳光和夫が登場し、巨泉に花束を贈っていた。

[編集] 徳光和夫司会初回

解答者
1枠:北野大(成績3勝5敗。倍率6・6・6・6・9・9・7・18)
2枠:井森美幸(成績2勝6敗。倍率7・7・7・7・10・10・7・20)
3枠:はらたいら(成績7勝1敗。倍率312222・3・4
4枠:竹下景子(成績4勝4敗。倍率2・333・4・3・2・8
5枠:草野仁(成績1勝7敗。倍率6・6・5・6・8・8・6・18)
出場者
赤チーム:山本文郎長峰由紀チーム(モーニングEyeチーム)<賞金獲得額103,500円>
黄チーム:筑紫哲也浜尾朱美チーム(筑紫哲也 NEWS23チーム)<賞金獲得額0円>
緑チーム:定岡正二木場弘子チーム(JNNスポーツチャンネルチーム)<賞金獲得額90,000円>

[編集] 最終回

解答者
1枠:北野大(成績3勝5敗。倍率8・7・7・7・8・9・6・20)
2枠:井森美幸(成績0勝8敗。倍率7・7・9・6・10・8・7・20)
3枠:はらたいら(成績6勝2敗。倍率2・3・2332・3・4
4枠:竹下景子(成績4勝4敗。倍率3・2・4・2・5・3・26
5枠:徳光和夫(成績0勝8敗。倍率7・6・8・7・6・7・5・20)
出場者
赤チーム:黒鉄ヒロシ五月みどりガッツ石松チーム<賞金獲得額0円>
黄チーム:うつみ宮土理小沢昭一長山藍子チーム<賞金獲得額50,000円>
緑チーム:山崎浩子松崎しげる植草克秀チーム<賞金獲得額130,000円>
  • 出場者は過去のレギュラーと出場回数の多かったゲスト解答者の連合チーム。始めの挨拶のみを徳光が行い、その後で巨泉につなぐという流れだった。徳光が「巨泉の、クイズダービー!!」と叫び、巨泉の顔に似せたメガネをかけるという演出があった。
  • 最初の問題はフリップに書き込んでもらうもので「これは、当番組の始まった昭和51年に大ヒットした曲、『およげ!たいやきくん』のキャラクターです。ところがこの絵には、特徴的なあるものが一つ欠けています。それを書き込んでください。」という出題内容で、各解答者の書いた答えは以下の通りだった。
    • 北野「鼻」
    • 井森「(お腹の)アンコの影」
    • はら「(泳ぐための)手」(正解)
    • 竹下「胸びれ
    • 徳光「涙」
  • 最終問題は「先頃、サンフランシスコに住む大学生、ニールくんが、ユニークなプロポーズをしました。彼は“愛しのレスリー・結婚しておくれ!!”という言葉を、回りくどい方法で伝えました。さていったい、何のゲームでプロポーズしたのでしょう?」というもので、各解答者の書いた答えは以下の通り。
  • 結局、最初で最後のクイズダービー解答者席に座った徳光および最後の最後まで珍解答を出していた井森は、全敗という結果だった。巨泉は全問終了後、徳光に対して「僕が今幸せだと思ったのは一度もここ(解答者席)に座ったことがないことだ」と述べ、井森に対しては最終問題で「もし僕がこの番組もう一度やるならば、お前は絶対レギュラーだ!」と述べた。

[編集] 復活特番・2000年12月30日放送

  • なお、単独提供ではなかったものの、ロート製薬も(この放送枠での)筆頭スポンサーとして名を連ねた。スタジオセットは1980年代の放送(2代目)のものが再現されたが、放送はTBSホールではなく、TBS放送センターのスタジオから行われた。また、この復活版から、倍率、得点表示がそれぞれ電球、フラップ式から赤の7セグ式に、答えを記入するための筆記具はマジックからライトペンに変更された。
解答者
1枠:篠沢秀夫(成績1勝7敗。倍率7・5・5・6・8・7・6・14)
2枠:久本雅美(成績5勝3敗。倍率656・7・3・42・18)
3枠:はらたいら(成績5勝3敗。倍率2・3・24・3・246
4枠:竹下景子(成績4勝4敗。倍率32・4・2・4・3・3・8)
5枠:石坂浩二(成績4勝4敗。倍率32・5・5・5・5・5・10)
出場者
赤チーム:福留功男三雲孝江チーム<賞金獲得額98,000円>
黄チーム:長山藍子えなりかずきチーム<賞金獲得額0円>
緑チーム:中村玉緒セイン・カミュチーム<賞金獲得額 2,400円>

[編集] 復活特番・2004年5月14日放送

  • 巨泉司会・小池出題者・篠沢・はら・竹下解答者の4年前と同じメンバーに、2枠には井森美幸が久々に出演し、5枠にはロンドンブーツ1号2号の田村淳を加えての構成となった。なお、従来の『クイズダービー』では全部で8出題だったが、このときは5問(一般2問、三択2問、歌詞1問)のみの出題という短縮バージョンで放映された。エンディングで巨泉が井森の珍解答に対して「全然お前30代に(当時井森は35歳)なっても変わってないな。オジサン(巨泉)はすごく安心した。良かった、良かった。」と呆れ返り会場全体が大爆笑になった。また、出演者全員に対して「私の喜寿記念にまたクイズダービーをやりましょう!」とコメントした。仮にもし巨泉が喜寿の時に健在で且つこの番組が復活したならば2011年に放送されることになるが、実際は放送されなかったのである(ちなみに2011年は地上デジタル放送の完全移行の時期であり、アナログ放送が終了した年でもある)。
解答者
1枠:篠沢秀夫(成績1勝4敗。倍率:8・4・8・5・14)
2枠:井森美幸(成績2勝3敗。倍率:5・5・65・12)
3枠:はらたいら(成績3勝2敗。倍率:2・3・2・3・4
4枠:竹下景子(成績5勝0敗。倍率:32426
5枠:田村淳(成績2勝3敗。倍率:7・55・4・18)
出場者
赤チーム:大和田獏秋山竜次ロバート)、山本博(ロバート)<賞金獲得額58,000円>
黄チーム:ラサール石井島崎和歌子<賞金獲得額0円>
緑チーム:田村亮ロンドンブーツ1号2号)、馬場裕之(ロバート)、安めぐみ<賞金獲得額0円>

[編集] 『クイズダービー』のクイズ形式を行っていた番組

基本的なルールは本家の『クイズダービー』と同じ。

  • ダービークイズ
    • 日本テレビビートたけしの全日本お笑い研究所・北野家の出たがり日記』内の1コーナー。妻(もたいまさこ)と同番組に出場し、第1問からの持ち点の全賭けや2点賭けなどを駆使して、10万点オーバーした(相手チームの席を陣取る)ものの、結果的に出演者、スタッフとイザコザを起こしてしまう。
  • クイズ競艇ダービー
    • 競艇の専門チャンネルであるCS放送日本レジャーチャンネル2005年度から毎月1回ペースで放送。トップ賞を獲得したチームには番組のセットをモデルにしたミニチュア模型のフルセット(参加者全員にももれなくレギュラーセット)がプレゼントされる。また10万点以上獲得しての優勝の場合には賞金10万円が贈られる。

[編集] 関連書籍

[編集] ボードゲーム

タカラ(現・タカラトミー)により当番組のボードゲーム化が行われている。

  • クイズダービーゲーム
    • ゲームの形式は実際の番組と同じく、正解者を当てて賞金を増やしていくものであり、四択(A-D)の記入された回転ドラムのついた筐体と問題カードを使用する。筐体に問題カードを差し込むと正解の際の倍率が表示され、その倍率を元に払い戻しを行うが、ドラムに記入されたマークには偏りがあり、高い倍率のマークが出る可能性は低い。
  • スクールパンチ『クイズダービーゲーム』
    • 前述のポケットサイズ版。イラストで描かれた解答者の名前は伏せられ「大学教授」「女優」「漫画家」「TV女優」「ゲスト」とされているが、4枠までは当時の出演者(篠沢秀夫、南田洋子、はらたいら、竹下景子)に、ゲストはさだまさしにそれぞれ顔が似ている。

[編集] スタッフ

  • 構成:菅谷健一
  • 出題:林利根男、毛利知於、前岡晋、雀部俊毅、八木伸栄、斉藤直人、中村三郎
    • 出題作家グループの愛称は「チャーリー」。これは篠沢秀夫の命名。
  • 音楽:たかしまあきひこボブ佐久間
    • ボブ佐久間作曲のテーマ曲・効果音は放送期間中一貫して変わらなかったが、(1981年放送分より)と同時にたかしまがステレオ収録にアレンジしたものに変わっていた。メインテーマ曲は、当初はシンセサイザーで演奏されてから、最後のファンファーレのみオーケストラだったが、後にフルオーケストラ演奏に変更された。
  • 美術デザイン:山田満郎、浦上憲司
  • 美術制作:和田一郎
  • メカシステム:金野寿雄
  • タイトルロゴデザイン:山形憲一
  • ディレクター:副島恒次、山口安広、木崎武重、山崎玲、小畑光良、小玉滋彦、大沼眞理
  • プロデューサー:居作昌果、副島恒次、山口安広、小畑光良
  • スーパーバイザー:大橋巨泉(第735回-最終回)

[編集] ネット局

[編集] 放送時間

[編集] 脚注

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  1. ^ 徳光和夫の司会就任から。
  2. ^ クイズ・ゲーム高世帯視聴率番組|ビデオリサーチ
  3. ^ 面白ゼミナールが42.2%を記録したのは1982年9月12日放送のことであり、それまではクイズダービーの40.8%が最高だった。
  4. ^ 『東奥日報』2010年5月1日「大橋巨泉司会「クイズダービー」/「アドリブ命」で面白く/自身が飽きぬ番組目指す」
  5. ^ 『東奥日報』2010年5月1日「大橋巨泉司会「クイズダービー」/「アドリブ命」で面白く/自身が飽きぬ番組目指す」
  6. ^ 『朝日新聞』1992年12月21日夕刊「「クイズダービー」17年の歴史に幕」
  7. ^ 1時間を通してロートの一社提供で放送された。製薬会社のレギュラー番組は、製薬会社の紳士協定により31分以上の単独提供はできない規則になっていたが、単発番組だけは特例だった。
  8. ^ 同時に、提供クレジットも白地に同社のロゴを大写しする様式(上に「提供」の文字)に変更されている。
  9. ^ 最終問題ではらの倍率が2倍だったこともある。
  10. ^ 2010年6月に「TBS未来への生命募金」へと組織変更された。
  11. ^ 『クイズダービーベスト500』の大橋巨泉のはしがきに記載あり
  12. ^ 過去7回ゲスト解答者として出演し、そのうち5回目と6回目の出演については、共に0勝8敗の全問不正解であった。
  13. ^ 坂本に関しては2回目の1問目から3回目の7問目まで不正解だった。
  14. ^ 制作局、当時は東京放送
  15. ^ 1989年10月から山形県では1989年9月までは東北放送新潟放送テレビユー福島、1983年9月までは福島テレビで当番組が視聴可能だった。
  16. ^ 1983年3月まではJNNFNSとのクロスネット局、1983年4月からFNN・FNSフルネット局、1983年9月まで福島テレビは1983年4月からはフジテレビ系フルネット局にネットチェンジしたが、視聴者保護のため1983年4月から9月までの間も引き続き放送した。そのため、1983年10月1日~12月3日放送分は福島県では未放送だった。未放送期間中はTBS東北放送新潟放送で当番組が視聴可能だった。
  17. ^ 1983年12月開局から1983年12月10日放送分から放送開始。
  18. ^ 1992年9月までの社名はテレビユー富山、1990年10月から富山県では1990年9月までは北陸放送新潟放送で当番組が視聴可能だった。
  19. ^ 当初は岡山県のみで放送、1983年4月からは香川県でも放送ただし、香川県では電波相互乗り入れ以前から山陽放送で当番組が視聴可能だった。
  20. ^ 当時の正式社名は伊予テレビ、1992年10月から愛媛県では1992年9月までは山陽放送中国放送テレビ高知大分放送で当番組が視聴可能だった。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

TBS 土曜19時台後半
前番組 番組名 次番組
お笑い頭の体操
(1968.2.3-1975.12.27)
クイズダービー
(1976.1.3-1992.12.19)
クイズテレビずき
(1993.1.9-9.25)
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