金沢明子

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金沢 明子(かなざわ あきこ、1954年10月25日 - )は民謡歌手千葉県市川市出身。

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[編集] 概要

津軽民謡を得意とするアマチュアの民謡歌手であった父の影響で子供の頃から民謡を始める。

1970年に16歳で財団法人日本民謡協会主催の全国大会優勝。

1975年にアルバム『若い民謡』(ビクターエンタテインメント)でデビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは『民謡界の百恵ちゃん』であった。

原田直之と共にNHKの番組「民謡をあなたに」の司会を務めた。その中でジーパンをはいて民謡を歌う姿が当時は新鮮で人気を決定的にした。津軽民謡を得意としたが、三味線奏者の本條秀太郎に師事したことによりレパートリーを広げ、民謡のレパートリー300曲と言われ、その場でリクエストに答えて即座に歌うコーナーもこなしていた。結果、1979年から2年連続紅白歌合戦出場。一日3時間しか寝られないというほどの売れっ子となり、民放でも大活躍したが、フジテレビの社員と結婚後、人気が急落した。離婚後、歯科医と再婚。

1982年大瀧詠一プロデュースの『イエローサブマリン音頭』がヒットした。この曲はビートルズ結成20周年記念曲ということであったが、多くのまじめなビートルズファンから顰蹙(ひんしゅく)を買った。

だが今ではこういう活動もクロスオーバーの成功例とも考えられ、ワールドミュージックの流れに乗ったという評価もある。事実、寺田創一による民謡のハウスミュージック的リミックスを録音しており、本人はその後の事態をコントロールしていた。

清酒大関のCMのほか、ロウソクの炎を揺らさずに歌う日東あられのCMも話題になったが、その後、充電期間を置きながらも地道に歌手として活動。現在は民謡よりも演歌を主体に活動している。

他の活動では、1984年に初のヌード写真集を発売、昔ながらの「日本人体型」の裸体は独自のエロティシズムを発揮、話題となった。

インターネットのヘビーユーザーで、公式サイトのBBSの返答は自らが書いている。

[編集] ヒット曲

[編集] バラエティー番組

[編集] ラジオ

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク