市川市

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市川市
いちかわし
日章旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
団体コード 12203-3
面積 57.40km²
※境界未定部分あり
総人口 475,252
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 8,280人/km²
隣接自治体 千葉県:浦安市船橋市
松戸市鎌ケ谷市
東京都:江戸川区
市の木 黒松
市の花 バラ
他のシンボル 市の鳥 : ウグイス
市の虫 : スズムシ
市の歌 : 市川市歌、
市川賛歌 透明の芯の芯
市川市役所
所在地 〒272-8501 千葉県
市川市八幡一丁目1番1号
電話番号 047-334-1111
外部リンク 市川市

市川市位置図(千葉県)

:政令指定都市 / :市 / :町・村
特記事項:
市川市 紋章(1937年3月16日制定)
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市川市(いちかわし)は、千葉県北西部にある人口約47万人の千葉市船橋市松戸市に次いで千葉県では人口第4位。

目次

[編集] 概要

市川市は、江戸川及び旧江戸川をはさんで東京都の隣、都心から20km圏内に位置し、首都圏のベッドタウンとして発展している。南部は住宅地としてひらけ、北部の傾斜地等には豊かな自然が斜面林などとして、いまだ残っている。

市の一部は高級住宅地となっており、東京に近いこともあり過去には永井荷風幸田露伴(次女の幸田文、孫の青木玉も同居)、北原白秋など数多くの文人が好んで住んだり、市川に関する記述がある作品も多い。これら文人の足跡が、市民団体や市などの手で「市川文学の散歩道」として残されている。また、八幡菅野真間市川平田新田の一部には市の木であるクロマツも多く静かなたたずまいである。これらの地区は、戦前は東京下町の富豪が別荘を構えたり、戦後も敷地の広い邸宅が多く存在した。

上記のようなクロマツの繁った住宅街の存在や、歴史のある町で古刹が多いこと等から千葉県の鎌倉と呼ばれることもある。

しかしながら、近年は大邸宅も相続等の関係で切り売りされたり、マンションや駐車場に変わってしまい少なくなった。また、社会となり路地が狭く入り組んでいる等、不都合ともなっている箇所も多い。人口の増加や開発も進み閑静な風情も薄れつつある。

[編集] 地理

千葉県の北西部にあり、市の西部は江戸川と旧江戸川を挟んで東京都江戸川区と接している。北部は松戸市、東部は船橋市、北東部は鎌ケ谷市と接し、南部は浦安市、東京湾と接する。市の南部は海抜2m程度の平野で、北部は海抜20m程度のなだらかな台地となっている。最高点は国府台地先、里見公園内で30.1m。最低点は福栄地先で0.1mとなっており、一部で海抜ゼロメートル地帯が広がる。

  • 地質学において東北日本と西南日本の境目とされるフォッサマグナ東縁の柏崎千葉構造線が北西-南東走向に貫いている。
    • 市川市と船橋市の境界付近から東京湾沿いに千葉市中央区付近まで延びる長さ約22kmの東京湾北縁断層の存在が推定されていたが、調査の結果、推定されていた位置を含め調査した範囲内には活断層は確認されなかった。(千葉県の見解)
    • 平成9年度の県の調査結果に加え、国の地震調査研究推進本部地震調査委員会においても、平成12年11月に、「東京湾北縁断層は活断層ではない」との評価を公表した。

市域

  • 広ぼう:東西8.2km 南北13.4km

自然

[編集] 歴史

市川市は、縄文時代の昔より栄えた地域で、市内には堀之内貝塚姥山貝塚曽谷貝塚等多数の貝塚があり、その集中度は国内最大級である。また、律令時代には市域に下総国国府が置かれた。市内の真間に手児奈という絶世の美少女がいたという伝説があり、その噂は遠く都にまでとどき万葉集に詠まれるほど有名で、当時は東国(関東)を代表する地域だった。

市川の地に人が住みはじめた歴史は古く、市内北部の台地上には、旧石器時代の遺跡がいくつかある(丸山遺跡、権現原遺跡、今島田遺跡等)。また、貝塚等縄文時代の遺跡は約60カ所にのぼる。さらに、弥生時代の遺跡も何箇所かある(須和田、杉ノ木台、小塚山、宮久保、国府台等)。

市川市の中でも、国府台(こうのだい)より広がる高台は、常に市川一帯の歴史を担って来た。古墳時代には小集落ができた。古墳はこのときはまだない(北根、前原、鳴神山、杉ノ木台)。その後、この高台上に多くの古墳が築かれた。法皇塚古墳(東京医科歯科大構内)、弘法寺古墳(真間山弘法寺敷地内)、明戸古墳(里見公園内)の3基の前方後円墳の他、国府台近辺だけで約30箇所の古墳があったと推定されている。

その後、国府台に律令制により国府が置かれ、下総国の中枢となった。10世紀には平将門の乱に巻き込まれ、12世紀には石橋山の合戦に敗れて安房国に落ち延びた源頼朝が、上総介広常と下総国府で合流して軍勢を立て直した。15世紀には太田道灌が国府台に仮陣を置き、その弟の太田資忠国府台城を築城した。16世紀には、国府台城は、里見義堯里見氏後北条氏との間で2度にわたり戦われた国府台合戦の舞台となった。

戊辰戦争の際には、江戸を脱出した大鳥圭介が率いる旧幕府陸軍が、国府台に集結した。これに土方歳三らの新撰組も合流した。1ヶ月ほどで大鳥・土方らは宇都宮を経て日光へ向かったが、その後、別の旧幕府軍(撤兵隊)と官軍の戦いが、この台地下の市川から船橋にかけて戦われた(市川・船橋戦争)。

幕末、国府台地区は勝海舟によって国会議事堂の選定地として考慮に入れられたこともある(恐らくテームズ川にそった英国の国会議事堂を想定していたと推測される)。

また、明治8年には、教育機関の最高学府として国府台大学校計画(この計画は岩倉使節団 に随行して欧米諸国の大学校を調査してきた田中不二麿を中心に「欧米二通ズ真ノ高等大学校」の実現を目指して計画されたもので、現在の東京大学とは別の教育機関として構想されたものだった。)が持ち上がり、具体的なもまとまり、土地の買収も進められていたが諸事情により実現しなかった。

さらに明治18年には都心からのアクセスがよく、渡河訓練をはじめ、各種訓練に適した立地に恵まれていたことから、大学校用地跡に陸軍教導団が置かれた。教導団は明治32年に廃止されたが、その後、陸軍の野砲兵連隊・国府台陸軍病院などが置かれ、市川は軍都として栄えた。

終戦後、陸軍の広大な土地は、国立国際医療センター国府台病院(旧・国府台陸軍病院)、国府台スポーツセンター、東京医科歯科大学千葉商科大学和洋女子大学筑波大学附属聴覚特別支援学校千葉県立国府台高等学校市川市立第一中学校の各施設に変わった。

国府台以外の地区についていえば、中山地区は、中山法華経寺の門前町として発展した。行徳地区は成田街道の宿場町として、また江戸川水運の中心地として発展した。また、近世における行徳地区の製塩業は有名である。

[編集] 年表

  • 1934年11月3日 - 東葛飾郡市川町八幡町中山町国分村が合併し、市川市が発足。
    なお、市名には旧町村名を使用しないこととしたため、候補として「総府市」や「葛南市」、「下総市」、「東葛市」などもあったがなかなか決まらず、業を煮やした市川町代表が縦と横に「市川市」と書き、どこから読んでも市川市でわかりやすいという語呂の良さから、とうとう現市名が選ばれたという話である。ちなみに市役所等市の中枢施設は八幡にある。
  • 1949年11月3日 - 東葛飾郡大柏村を編入。
  • 1955年3月31日 - 東葛飾郡行徳町を編入。
  • 1956年10月1日 - 東葛飾郡南行徳町を編入。

[編集] 市川の由来

市川の名前の由来は、現在の江戸川が当時東国一の川であったことから一の川が訛ったとする説、江戸川の河岸に川舟が集まり定期的に市が開かれていたことに由来するという説の2つが有力である。ちなみに市川の地名が初めて登場するのは義経記石橋山の戦いで敗れ安房で再起した源頼朝が、軍勢を率いて下総の松戸庄市河に達するという記述がある。

[編集] 人口

市川市と全国の年齢別人口分布図(比較) 市川市の年齢・男女別人口分布図
紫色は市川市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 364,244人
1985年 397,822人
1990年 436,596人
1995年 440,555人
2000年 448,642人
2005年 466,608人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

  • 市長:千葉光行(1997年~、2001年~、2005年~、3期目)
市川市高石神の「上田歯科医院」の元院長。東京歯科大学非常勤講師を務め、千葉県議時代に歯学博士号を取得した。
  • 住民の所得水準が高く住民税や固定資産税が多い[要出典]ため、財政は豊かであり、地方交付税のうち財源不足の自治体に交付される普通交付税の交付を受けていない。
  • 1997年から行政サービス向上の一環として全国初の仕組み、あらかじめ市役所に電話で住民票を申請し、午前中申請なら同日午後4時以降、自分の近所の公共施設や消防署、コンビニエンスストア、市内の商店などで住民票が受け取れる「取次所」を設けている。受け取りの際、認め印と受取人を確認する4桁の暗証番号が必要となる。
  • 個人市民税納税者等が納める税の内、その1%の相当額を自ら任意に希望指名して地域づくりの主体であるボランティア団体やNPOなど、市民の自主的な活動に対してその団体の事業費(運営費を除く)に当てるよう要請することが出来ると言う全国初の1%支援制度(市民活動団体支援制)がある。2005年度に開始され、2007年から3団体まで支援できる団体数を拡大し、納税者以外が地域ポイントも振り当てられるよう条例改正をした。NHKで放送されたEUハンガリー国のパーセント法がヒントとなっている。
  • 人事院勧告に従い、市役所職員採用の年齢・学歴などによる制限を事実上撤廃し、59歳まで出願可能とした。
  • 地方自治法第252条の22第1項に定める政令による中核市になる要件を満たしているが、今のところ中核市にはなっていない。
  • 日本で最初に駅前放置自転車対策条例(平成4年(1992年)12月条例第27号)を施行した。
  • 健康都市推進協議会(2003年12月24日発足)により市民(委託された健康都市推進員などによる)と協働で2004年11月にWHO健康都市を宣言し取り組んでいる。2008年10月に健康都市連合国際大会が開催され、「健康都市市川宣言」[1]を採択した。
  • 市内を南北に貫く東京外環自動車道の建設が計画されており、一部着工されている。市は推進の立場をとっているが、市内の自然や史跡を傷つける、大気を汚染する、市の東西の交通の障害となる、住み慣れた土地をなぜ離れるのか等の理由から、環境保護運動その他いくつかの住民団体による反対運動も長期間にわたり続けられている。用地買収も完全には終わっていない。本道路市川部分の開通は平成27年度である。
  • 本市は東京に近いにもかかわらず、樹林の緑、湿地帯などの自然が比較的多く保存されている。これは、市民や在住知識人などの働きかけと、これに応えた市行政の努力によるものである。
  • 2007年4月27日 - 同年2月の議会での「政令指定都市検討促進決議」を受け、市川市、船橋市松戸市鎌ケ谷市が、この圏域の将来的な選択肢の一つとして、合併政令指定都市への移行に関する共同研究を目的とした「東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会」[2](2008年9月1日現在の4市推計人口1,649,569人)を設立した。
  • 2008年10月26日 - 市で初めての還暦式が行われた。地方自治体が催す式典としては先陣の一つとされる。

[編集] 経済

[編集] 産業

  • 主な産業
    • 農業: の生産高は千葉県内一である。「市川のなし」と「市川の梨」が2007年8月地域団体商標に登録された。
  • 臨海部(埋立地)、江戸川沿い(田尻など)が工場の多い地域である。

[編集] 主な企業

[編集] 再開発事業

[編集] 本八幡駅北口地区

  • 1999年11月:本八幡キャピタルタワー竣工、地上24階、地下2階。市川市初の高層ビル。
  • 2003年2月:プリームスクエア本八幡竣工。地上24階、地下2階
  • 2009年3月:ガレリア・サーラ竣工予定。地上34階、地下2階 市川市初の優良建築物等整備事業[3]
  • 2010年:ビル名未定、竣工予定。地上41階、地下2階[4]

[編集] 市川駅南口地区

  • 2009年1月:西地区、ザ・タワーズ・ウエスト竣工。地上45階、地下2階。
  • 2008年7月:東地区、ザ・タワーズ・イースト竣工。地上37階、地下2階。

両地区とも低層階には商業施設および公共施設が入る。東地区の高層階は介護付有料老人ホームのライフ&シニアハウス市川と都市再生機構の賃貸住宅となり、西地区の高層階は野村不動産三井不動産レジデンシャルが販売する分譲マンションとなる。

  • 2007年11月7日、西地区分譲マンション「ザ・タワーズ・ウエスト」の工事中に25~29階の各階12本の外周柱で柱毎に22本必要な鉄筋が2本不足、30階の4本の柱で同様の不足、全体で計128本の鉄筋不足が明らかとなった。清水建設は施行ミスを認め補修工事を施し強度不足を解消する。販売会社が施行ミスを知った後も、説明せずに販売したことも指摘された。三社連名による「お詫び」
  • 2007年12月25日~28日 - 25日、鉄筋不足をうけて、12月初めから事業主である市川市は清水建設などの建築会社への工期が遅れた場合の損害賠償を、また分譲マンション購入予定者の不安解消のための訴訟などに対する誠意ある対応や瑕疵(かし)担保責任の通例の10年間を超える期間延長を今後協議すると野村不動産三井不動産レジデンシャルに求めていたが相互にその確認書が交わされ、27日市議会に報告された。また鉄筋を設計どおりに戻す補修工事の計画が、28日国土交通省に認められ、補修工事は2008年2月にも始まる見通しとなった。
  • 市は鉄筋不足の補強工事を2008年3月24日に完了したと翌25日に清水建設野村不動産三井不動産レジデンシャルの3社から報告を受けた。鉄筋不足だった柱側面を超高圧水で削り鉄筋を挿入しコンクリートで固め、「当初設計通りの強度が確保できる」とされた。[5][6] また、2008年6月15日、3社は新聞全面広告[7]によって、補強の是正工事内容を事前に指定確認検査機関国土交通省および建築研究振興協会で審査し、工事後は同協会から妥当な施工であったと判断した評価書を2008年4月17日に受領したと公表した。これまで以上に品質管理に注意し取り組むともしている。

[編集] 漁業

  • 市川漁港
  • 行徳漁港

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 地域

[編集] 都市合併

市川市や船橋市、松戸市、鎌ケ谷市などが、合併や政令指定都市移行に関する研究をしている。上記、行政参照。

[編集] 教育

[編集] 交通

[編集] 鉄道路線

[編集] 道路

[編集] 港湾

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集] 宗教施設

[編集] その他

[編集] 文化財

番号 種別 名称 所在地 所有者又は管理者 指定年月日 備考
1 典籍 観心本尊抄 附 添状1巻 春日山蒔絵筥 1合 中山二丁目10番1号 法華経寺 昭和27年3月29日 文永十年卯月廿五日奥書
1 立正安国論 中山二丁目10番1号 法華経寺 昭和27年3月29日 文永六年十二月八日書写奥書
番号 種別 名称 所在地 所有者又は管理者 指定年月日 備考
1 建造物 法華経寺五重塔 中山二丁目10番1号 法華経寺 大正5年5月24日 元和8年建立
2 法華経寺法華堂 附 棟札5枚 中山二丁目10番1号 法華経寺 大正5年5月24日 室町時代後期
3 法華経寺四足門 中山二丁目10番1号 法華経寺 大正5年5月24日 室町時代後期
4 法華経寺祖師堂 附 棟札11枚 中山二丁目10番1号 法華経寺 大正5年5月24日 延宝6年建立
5 絵画 絹本著色十六羅漢像 中山二丁目10番1号 法華経寺 明治37年2月18日 元時代
6 絹本著色日蓮聖人像 中山三丁目10番4号 浄光院 昭和27年7月19日 鎌倉時代
7 古文書 日蓮自筆遺文 附 蒔絵聖教箱2合 中山二丁目10番1号 法華経寺 昭和42年6月15日 鎌倉時代
  • 市内の史跡(国指定)一覧
番号 種別 名称 所在地 所有者又は管理者 指定年月日 備考
1 史跡 堀之内貝塚 堀之内二丁目2899番地他 市川市・他 昭和39年7月6日 繩文時代後期・晩期。馬蹄形貝塚。
2 姥山貝塚 柏井町1195番地他 市川市 昭和42年8月17日 繩文時代中期及び後期。
3 下総国分寺跡 国分三丁目20番1号他 国分寺・他 昭和42年12月27日 法隆寺式伽藍配置
4 下総国分尼寺跡 国分四丁目17番1号他 市川市・他 昭和42年12月27日 無し
5 曽谷貝塚 曽谷二丁目438番地1他 市川市・他 昭和54年12月22日 繩文時代後期。大規模な馬蹄形貝塚。
番号 種別 名称 所在地 所有者又は管理者 登録年月日 備考
1 建造物 西洋館倶楽部(渡辺家住宅) 新田 個人 平成11年7月8日 昭和2年竣工。木造3階建。

[編集] 文化

[編集] 市の歌

[編集] 市川市歌

昭和24年(1949年)制定。歌詞は公募による。

[編集] 市川賛歌

市歌の詞に描かれた風景と実情が時代とともに変化してきたことから、1999年に市川賛歌制作市民委員会の要請により作曲された。

  • 題名:透明の芯の芯
  • 副題:市川賛歌
  • 作詞:宗左近
  • 作曲:三善晃
  • 作曲年:1999年
  • 初演日:1999年11月4日

作詞家・作曲家とも日本を代表する重鎮だが、詞中にある言葉のユニークさ[1]から2ちゃんねるをはじめとする一部のネットコミュニティで爆発的に受け、同じ顔ぶれの作詞作曲による福島県立清陵情報高等学校校歌とともに有名となった。

[編集] 出身有名人

[編集] 市川に由縁がある有名人

[編集] その他

  • 東京エアカーゴシティターミナル(株)(TACT)- 原木地区に所在していた生鮮食品と医薬品を除く航空貨物の通関業務、保管、搬出入のための上屋。明徳寮やロイヤルから通勤してる人も多かった。TACTは1972年3月設立、2003年10月に会社解散が行われ、広大な跡地はホームセンターなどに変貌し、TACT近傍のいくつかの大手航空貨物業者の倉庫を残し、成田国際空港付近に移転した。
  • いちかわエフエム - コミュニティFM
  • インターネットで書籍やCDなどを売る「Amazon.co.jp」の市川塩浜配送センターがある。
  • TDKテクニカルセンター - TDKの技術開発の拠点。(1960年(昭和35年)市川工場を新設し2004年まで有った)
  • ニッケコルトンプラザ - 日本毛織の工場跡地にあるショッピングモール。「ニッケ鎮守の杜」の「おりひめ神社」が残る。
  • 式場病院(日本で最初の庭園式精神科病院。バラ園で有名)
  • 人間禅本部道場
  • 市川市指定のごみ収集袋や、ごみ収集車には、魔法使いの男の子と女の子がほうきに2人乗りしている姿が描かれている。2人の名前はキラリン、ピカリンという。
  • キックベースボールの発祥の街。子供会活動を通じて普及した。
  • 市川市文化会館 - 市川市を代表するホールで、月に数回有名歌手によるコンサートが開催される。
  • 京成自動車工業 - 特殊車両の設計・製造をする企業。TV局放送中継車の製造を行っている事でも有名。京成電鉄グループ。
  • 山崎製パン - 1948年市川市で創業。現在もJR市川駅前に山崎パンの売店がある。
  • サイゼリヤ - イタリアンレストランチェーン。1973年市川市で創業。八幡の1号店は記念館として保存されている。
  • ユニデン - 1966年ユニ電子産業として市川市に工場を設立。現在も市川に事業所を持つ。
  • 虎の穴 - 本社は秋葉原だが、物流センターや関連企業の本社が市川市田尻にある。

[編集] 市内の学校

[編集] 市立の小学校

[編集] 市立の中学校

[編集] 県立の高校

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ "健康都市市川宣言" (PDF). 市川市 (2008-10-25). 2008-12-22 閲覧。
  2. ^ "東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会". 2008-12-22 閲覧。
  3. ^ 優良建築物等整備事業とは国土交通省
  4. ^ 地上41階建てで約370戸の住宅が入る共同施設の建設(平成20年度着工予定)店舗、業務、住宅の用途
  5. ^ 2008年3月26日、読売新聞13S版33面記事
  6. ^ A街区ビルにおける工事上の不具合について
  7. ^ 読売新聞2008年6月15日朝刊12版24面
  8. ^ 文学の散歩道

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

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