yukihiro

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yukihiro
基本情報
出生名 淡路幸宏
別名 YUKI P'UNK
出生 1968年11月24日(44歳)
血液型 A型
出身地 日本の旗 日本千葉県市川市
ジャンル ロック
オルタナティヴ・ロック
インダストリアル
テクノ
ハウス
シューゲイザー
職業 ドラマーヴォーカリストギタリストベーシストDJ作詞家作曲家
担当楽器 ヴォーカル
ギター
ベース
ドラム
活動期間 2001年-2006年/2010年-
(acid android)
レーベル Ki/oon Records / track on drugs records
事務所 マーヴェリック
共同作業者 L'Arc〜en〜Ciel
acid android
公式サイト tracks on drugs

yukihiro(ユキヒロ、1968年11月24日 - )は、日本ミュージシャンドラマー千葉県市川市出身。L'Arc〜en〜Cielのドラマー、P'UNK〜EN〜CIELベーシストacid androidヴォーカリスト、フロントギター、geek sleep sheepのドラマーとして活動している。また、元Zi:KillDIE IN CRIESのドラマー。L'Arc〜en〜Ciel加入以前は表記がYUKIHIROだった。愛称は「ユッキー」。身長165cm、体重48kg。血液型はA型。

目次

概要 [編集]

プレイとしては細かい手数を用いたフレーズフィルインが特徴。特にL'Arc〜en〜Ciel加入以前は今よりも多くの手数を用いており、叩く姿も大振りなため派手でアグレッシブなプレイだった。 また、「SEVENTH HEAVEN」を始め、打ち込みブレイクビーツ(「New World」、「winter fall」、「spiral」、「DRINK IT DOWN」などで使用)を同期させたプレイスリップビートなど変則リズムも多く採り入れたことで、結果的にはL'Arc〜en〜Cielの楽曲幅を広げることに貢献した。尊敬するドラマーは上領亘であり、プレイスタイルにも近似点が見られる。

ドラムセットの特徴 [編集]

チャイナシンバルロートタム、ピッコロスネア、2バスを組み合わせた複雑なドラムセットの使用が特徴。ドラムラックを用いて左右対称を意識して構築しており、その複雑さからしばしば「要塞」と形容されることもある。(Pearlのアーティスト情報参照)

セットは通常、パールの黒の2バス・ドラムセット、MRXシリーズにセイビアン製のシンバルを組み合わせたもので、スネアドラムは2006年末に発売されたyukihiroモデル(YA1435-2: シェルが薄く高音域で、音のヌケが良いピッコロスネアタイプ)をドラムセットの中央に配置している(バス・タム類の色は以前は白だったが2012年現在は黒)。またスネアの前方にタムを一つ、さらに本人から見て右側にフロアタムが2つ備わっていて、前方のタムをはさんで右に2つ・左に1つ、それぞれ口径の違うレモ製の3種類のロートタムをセットしている。タムやスネアは地面に対して水平に設置されており、位置も低め。しかし中央のチャイナシンバルだけはかなり高い位置にセットされている。このためライヴなどでは他のドラマーに比べて、上半身がより見えやすい。また、フットペダルにはPearl製のEliminator IIを使用。右足側は右バスドラム、左足側は右から順に右リモートハット・左バスドラ・左リモートハット用のペダル(3つ)がマウントされていることが分かる。ハイハット用のペダルはPearlではなくYAMAHAの旧モデル。

シンバルに関しては、ハイハットシンバルはリモートハイハットが左右に1枚ずつ、クローズドハットが左側に1枚、合計3枚セットされている。ハイハットを2枚配置するドラマーは比較的多いが、3枚配置することはあまりない。右リモートハットとクローズドハットは、主に16ビートを刻む際に使われる。4拍子のバスドラの裏に右手で右リモートハイハット(オープンもクローズもあり)、同時に裏の16分音符で左のクローズドハイハットを刻んで16分のビートを刻んでいる(各種ライブDVD参照)。例外としては「STAY AWAY」やNEXUS 4のサビなど。また前述した通りドラムラックを用い、スタンドを必要とせず場所に困らないため、チャイナシンバルやクラッシュシンバルライドシンバルスプラッシュシンバルチャイナスプラッシュシンバルといった非常に多くのシンバル類が組み込まれている。全て合わせると14種16枚のシンバルが設置されている。特にチャイナシンバルに至っては3種4枚が設置され、他ドラマーに比べて使用頻度も高い。また、クラッシュシンバルも3種4枚設置されている。スプラッシュシンバルはドラムセットの左側に1枚、中央左寄りに1枚、中央右寄りに2枚、それぞれ異種の物がセットされている。そしてドラムラック自体も、脚の部分をyukihiro自らが三脚式に改造するなど、拘りが伺える。yukihiro本人は、このセットが本人にとってほぼ完成形であると公言している。

DIE IN CRIES時代は今よりもさらに点数の多いセッティングだった。基本的には同じだがキャノンタムを設置している代わりに、左端に設置されていたメロディックタム以外は一切、設置していなかった。ロートタムも、現在よりも多く、5つものロートタムを組み込んでいた。また、ライドシンバルやクラッシュシンバルは使用せず、チャイナシンバル9枚、スプラッシュシンバル3枚、ハイハットシンバル4枚という、現在にも況して特異なドラムセットであった。その点数の多さから、当時のローディーに、「お願いですからスタンドではなく、ラックにして下さい」と泣いて懇願されたという逸話まで残っている。さらにロートタムのスタンドをシンバル代わりに使用していた。

ドラムの音作りに関しては、楽曲の中でドラムの音は小さくてタイトに、スネアとハイハットを同時に叩いたときの音が人が聴いているという意味でのスネアの音である、と考えている。参考文献は『リズム&ドラムマガジン』2004年5月号。

2001年2006年12月にyukihiroのシグネチャー・モデルのスネアが発売された。現在、前者は生産終了、後者は200個限定生産であるためどちらも入手が難しい。

来歴 [編集]

yukihiroがドラムを始めたのは高校入学の時だった。入学祝いを貰い、それでギターを買おうと楽器店へ向かったが気に入るものが見つからず、ギターと同じフロアに置いてあったドラムセットに一目惚れした。タムやシンバルがきっちりと組み込まれているのを気に入ったとされる。「跳ね返りが悪くなる」という理由で防音マットも敷かずフルセットで叩き、近所から苦情が来たため、市役所の訪問を受けたことがある。結局、叩く時間を決めることで、事態は収拾された。そして高校入学後から髪を伸ばしはじめ、バンド活動を始めた。

しかし、バンド活動に傾倒し次第に学校へ行く意味を見失い、高校を退学しようと親に相談したところかなり怒られたため、高校を無事に卒業後、大学へ進学。 大学在学中、東京ヤンキースを結成する前のUME、NORIとGUERRILLAを結成。目黒鹿鳴館でそのバンドのライブを見ていたZI:KILLのKENがyukihiroを誘い、そのままZI:KILLに加入(89/06/11)。2枚のアルバムに参加したが、そのレコーディング終了後に脱退してしまう。わずか加入1年半での脱退(90/12/28)。理由は海外でレコーディング中ヴォーカルのTUSKが「こいつが居るなら俺が辞める」と言い出し、途中参加だったyukihiroが抜けることとなった。yukihiro曰く、音楽的に極端なものを目指す自分と普遍的なものを目指す他メンバーとの間に距離やズレが生じていたとのことである。脱退した途端にレコード会社の人間に見放されたため、初めて訪れた海外で放り出される結果となった。(音楽と人2006年6月号参照)

そしてロンドンにいたyukihiroはD'ERLANGERKYOとバンドを組みたいと思ったため「ZI:KILLをやめるからバンドをやらないか?」と現地から電話をした。その後THE MAD CAPSULE MARKET'Sを脱退した室姫深に誘われたが、結局は室姫深が引き込まれる形になる。

まずはKYOがDIE IN CRIESと名乗りつつもソロとして「NOTHINGNESS TO REVOLUTION」を発表。yukihiroと室姫深はユニットOPTIC NERVEを組み、CDを発売。OPTIC NERVEは既にNOTHINGNESS TO REVOLUTIONに参加していたため、二人を入れてバンドとして活動することが決定。そこにTAKASHIを加え、メジャーデビューを果たす。なお、このときの事務所がデンジャークルーだったことから、後にL'Arc〜en〜Cielに誘われるきっかけとなった。

1995年のDIE IN CRIES解散後はソロ活動と共に飯島直子のサポートドラマーとして活動をする。また、THE MAD CAPSULE MARKET'Sのリミックスに参加している。この時期、「ドラム以外の仕事をほとんどしなかったので財産は尽きかけ住む家もなくなり、他人の家に居候する生活が一年ほど続いた」と本人は音楽と人2006年6月号で語っている

1997年に前ドラムのsakuraの脱退を受け、L'Arc〜en〜Cielにサポートドラマーとして参加、1998年1月1日付けで正式加入する。

ドラムセットの前にマイクを置いていたsakuraとは対照的に、加入当初は歌うことはほとんど無かったが、2003年の「Shibuya Seven days」ライヴ中、自作曲「trick」をhydetetsuyakenらとギターで演奏しながら共に歌う。そして後のacid androidでは本格的にボーカルをとっている。

ドラムだけでなくギターやプログラミングP'UNK〜EN〜CIELではベースを担当。 他にも、2001年5月23日shibuya club asiaにてイベント「acid android in an alcove」を行ない、DJとしてステージに立った。『ark』収録の「Cradle」ではターンテーブルを、最近では『AWAKE』収録の「AS ONE」でスクラッチなどにて、その一部が垣間みられる。

L'Arc〜en〜Ciel内で作詞作曲を手掛けた物は少ないものの、『ray』収録の「trick」やyukihiroが作詞した、「New World」はhyde以外のメンバーが作詞を手掛けた初のシングル作品であり、yukihiro初の日本語詞でもある。『KISS』に収録されている「spiral」では作詞・作曲を手掛けている。彼の作曲する楽曲では打ち込みを多用したハードロックが大半を占める。

SOFT BALLET藤井麻輝が手がける睡蓮の楽曲「左手」のドラムのレコーディングに参加した。

2012年にはMO'SOME TONEBENDERの百々和宏、凛として時雨の345によるバンド、geek sleep sheepを始動。

人物 [編集]

  • ラルク以前の呼び名は「先生」だった。これは、学生時代に英語数学家庭教師をしていたことからである。また、ラルク以降も時々、特にacid androidとして活動する際には 「先生」と呼ばれているが、概ね「ユッキー」の愛称が定着している(元々、バンドマンとして先輩だったため、加入当初kenやtetsuyaはどう呼んで良いか分からなかったらしいが、hydeが前触れも無くふいに「ユッキー」と呼んだため定着した)。
  • DIE IN CRIES時代、ラルクでの楽曲やソロ活動から見られるように、主にクラブ・ミュージックテクノハウスインダストリアルなどを好んで手がける。ドラムのプレイがタイトなのも、同期させた際にズレや音の響きの違いを軽減させるために考慮されていると思われる。また、ブリティッシュ・ミュージックにも精通しており、特に尊敬するレディオヘッドライブ会場に足を運び、グッズ売り場で購入したポスターを額縁に入れて家に飾っているほどである。
  • ラルク以前はバンドマンたるものかくあるべし、というポリシーを断固として守っていた。例えば「半袖は着ない。」「ハワイには行かない。」など。音楽以外に割く時間はないと、自動車免許も持っていなかった。しかし、ラルクに加入し、自然体のメンバーに大きな影響を受けた後は、ハワイも行き、半袖を着用するようになった。1999年にはリーダーであるtetsuyaに「車の免許も取ったほうが良い」と言われ取得したことを、FMラジオで公言した。
  • 初めてラルクのレコーディングに参加したとき、hydeが水着を着ていてびっくりしたという(yukihiro本人は、水着と発覚するまで「ピチッとした半ズボン」だと思っていた)。また、hydeの初期の容貌から「綺麗な人」というイメージを持っていたため、いざhydeが登場したときにヒゲが生えていたことにもびっくりしたと語っている[1]
  • コーラチョコレートジンジャエールマクドナルドが好きで強いこだわりがある。マクドナルドではフィレオフィッシュが好物で海外へ行った時も食べる。
  • テレビ出演時は、ほかのメンバーに比べ口数は少なめで、いじられることが多い。
  • 角フェチである(正確には「直角フェチ」)。本人曰くきっちりしているのが良いらしく、テーブルも丸いテーブルは嫌いとのこと。
  • 下戸で、大学時代に先輩にしつこく酒を勧められ、キレたことがある。また、POPJAMではhyde・tetsuyaが「(お酒を)飲む派」、kenが「飲まない派」だったのに対し、yukihiroはただ一人「飲めない派」と発言していた。
  • 元喫煙者。ファンクラブの企画でセミナーを受け、禁煙に成功している。
  • 食が細く、ライブの打ち上げなどで食事に出かけてもあまり食べないため、それを心配したメンバーが一つにまとめたセット(通称:ユッキーセット)を注文し食べさせる。
  • 元々非常に細身の体型であり担当のドラムも体力を使うパートなためか、ツアー中に体脂肪率を計ったところ低すぎて計測不可能だった[2]
  • バンド内でギターを担当していたこともある。しかし、パワーコードしか押さえなかったため、弦は4本しか張っていなかったらしい。
  • 2011年12月25日スペースシャワーTVで放送された「V.I.P. ─L'Arc~en~Ciel─」内の「やまだひさしのこの際だからL'Arc〜en〜Cielに聞きたい20のこと!!」という質問コーナーの中で「中日(ドラゴンズ)が好き」である事を告白している。好きになったキッカケは野球ではなく、マスコットキャラクターのドアラが好きだったからだという。メンバーはその事を知らなかったといい、Kenも「ドアラ好きということはちょっと知っていたが、試合までのめり込んでいるとは知らなかった」と驚いていた。今一番文句があることは「中日ドラゴンズが(日本シリーズで)負けたこと」だという。

作品 [編集]

シングル [編集]

アルバム [編集]

ビデオ・DVD [編集]

acid android [編集]

ZI:KILL [編集]

シングル
  • LONELY(1991年4月26日
  • HERO(1995年8月23日) ※3曲目に収録されている「LONELY (LIVE VERSION)」のみyukihiroがドラムを叩いている。
アルバム
  • CLOSE DANCE(1990年3月25日
  • DESERT TOWN(1991年3月20日) ※クレジットはされていないが、yukihiroがドラムを叩いている。

OPTIC NERVE [編集]

アルバム

DIE IN CRIES [編集]

全作品に参加

バンド遍歴 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 音楽戦士 MUSIC FIGHTER』 2007年11月7日放送分より本人談
  2. ^ QUADRINITY 〜MEMBER'S BEST SELECTIONS〜』特典DVDの問題より

関連項目 [編集]