今井寿

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今井寿
基本情報
出生名 今井寿
出生 1965年10月21日(48歳)
血液型 O型
学歴 群馬県立藤岡高等学校
出身地 日本の旗 日本, 群馬県藤岡市
ジャンル ロック
職業 ミュージシャン
担当楽器 ギター
ボーカル
活動期間 1985年 -
1991年 - (SCHAFT
2001年SCHWEIN
2004年 - (Lucy)
レーベル HAPPY HOUSE
事務所 BANKER
共同作業者 BUCK-TICK
SCHAFT
SCHWEIN
Lucy
横山和俊
公式サイト Lucy official web site
著名使用楽器
フェルナンデス・STABILIZER SLV
フェルナンデス・BT-120MM
フェルナンデス・BP-220HI

YMO
RCサクセション
バウハウス
ジョン・ライドン
布袋寅泰
スターリン
ザ・キュアー
など

今井 寿(いまい ひさし、1965年10月21日- )は、日本ミュージシャン群馬県藤岡市出身。

ロックバンドBUCK-TICKギタリスト。BUCK-TICKとは別に活動しているバンド・Lucyではギターだけでなくボーカルも担当。

身長175cm。血液型はO型。

デビュー初期の頃は「HISASHI」と表記されていた。他のメンバーと違い愛称はなく、メンバーからは「今井」、「今井くん」、「今井さん」などと苗字で呼ばれている。

来歴[編集]

人物[編集]

バンドでの役割[編集]

  • バンド結成当初から現在に至るまでBUCK-TICKの作曲のほとんどを担当している。初期は作曲に合わせてほとんどの曲に作詞をしていたが、『TABOO』以降は1つのアルバムに2、3曲となり、近作ではアルバムに4-5曲と増えている。
  • 『MY FUCKIN' VALENTINE』『CHECK UP』『細胞具ドリー:ソラミミ:PHANTOM』『RHAPSODY』などの楽曲で櫻井との掛け合い的にサイドボーカルを執っているが、アルバム『Six/Nine』収録の『相変わらずの「アレ」のカタマリがのさばる反吐の底の吹き溜まり』ではメインボーカルを務め、アルバム『Mona Lisa OVERDRIVE』収録の『Sid Vicious ON THE BEACH』では、初めてソロのリードボーカルを担当した。
  • 頬に書いてあるB-Tの文字がトレードマーク。デビュー当初は頬全体に大きく書かれていたが、『SEVENTH HEAVEN』の頃より「なんか…みっともねえから」という理由で小さく書かれるようになり、現在に至る。頬ではなく首筋に書かれていたり、「BiTch」と書かれていた時期もあった。

ギタリストとして[編集]

  • 非常に独創的なフレージングやコード感を持つギタリストであり、バンドの移り変わりの激しい音楽性をあくまで自己流に創造する。不協和音の多用やノイジーなアドリブなどがプレイ上の特徴であり、後述の通りテクノニューウェイヴからの影響が強いため、雑誌のインタビューなどでも「キーボードシンセサイザーのような感覚で弾いている」と度々語っている。hideは今井について「狂ってるとか正しいとかいう次元を超えた、不思議な音程感を持ったプレイヤー」と評している[1]。ステージではギター以外にテルミンも使用しており、曲によってはギターシンセサイザーも演奏する。一方で、自身のこだわりに関しては「最終的にはギタープレイ云々よりも楽曲」だと語っている[1]
  • 学生時代はRCサクセションザ・スターリンセックス・ピストルズなどのパンクロックYMO一風堂などのテクノやニューウェイヴに影響を受けたほか、ファンブックにおいて60年代ポップスからの影響も告白している。
  • テクノやニューウェイヴによる影響のためか、いわゆるオーソドックスなロックにあまり興味を示さない。ローリングストーンズのライヴでは最前列にも関わらず居眠りをし、ディープパープルに関しても「名前くらいは知ってるけど・・・」程度である。またインタビューで、メンバーのヤガミが好きなレッド・ツェッペリンを初めて聴いた時の感想を市川哲史から質問されて、「最初はやっぱ…ボツです。」と答え、市川に「ツェッペリンにボツを出した男」と笑われた。60年代のポップサウンドと80年代の多様化したアプローチにはその音楽的基盤の多くを負うが、その間の70年代のロックサウンドの硬質化の影響をほとんど受けていない、特異な感性の持ち主である。
  • レフティ・ギターだが利き腕は右。本人曰く「初めて持った時に左のほうがしっくりきたから」であり「祖父や父親など左利きが多い家系だからその影響かも」と語っている。[1][2]
  • 最初に買ったギターはフィッシャーのストラトキャスター。ギターを始めて1ヶ月後に初ステージを経験している。
  • オールド、ビンテージといわれるギターにはあまり興味を示さない。ギターを選ぶ(または作る)際には見た目を重視している。初期の頃はヴァイオリンを模した「マイマイギター」と呼ばれるモデルを使用し、ヴァイオリンの弓でギターを演奏したりしていた。1997年頃には「スタビライザー」と呼ばれる、特殊な形状のオリジナルモデルを作成。後にテルミン内蔵モデルのギターも作成。「一目でわかるオリジナルモデル」を作成するようになったのは布袋寅泰に影響を受けたという[3]。また布袋からは「ソロを弾かなくても格好良いギタープレイ」「ギターではないようなサウンドをギターで奏でる」といったスタイルも影響を受けている。[1]
  • スロースターターの傾向があるのか、作曲期間の締め切りを超えてしまったり、レコーディングが始まってからも作曲・編曲を続けているというエピソードも多い。その影響で『Six/Nine』など、星野英彦が作った楽曲では今井がギターを弾いていないケースも存在する。

その他[編集]

  • 3人の兄妹の長男で、4歳下の弟と8歳下の妹がいる。実家は「今井商店」と言う名前のタバコ屋。マンガ本なども置いてあり、学生時代は仲間の溜り場となっていた。次第に知り合いの知り合いなど今井の知らない人間も出入りするようになり、その中にいたのが櫻井敦司、樋口豊である[2]
  • 妻の姉はバーを営んでおり、東日本大震災の被災者の寄付ために製作したBUCK-TICKのチャリティートートバッグを置かせてもらっていたことがある[4]
  • 高校時代は小僧寿しアルバイトをしていた。店長がロック好きだったので、RCサクセションなどを聴きながら寿司を握っていたとのこと。
  • 金遣いが荒く、CDやビデオなどを50-100枚単位で購入していた。しかしビデオを100本買ったときにビデオが壊れ、一つも見ていないというエピソードをラジオで披露していた。「RX-72 〜HISASHI (GLAY) VS 茂木淳一〜」にゲスト出演した際には、お勧めの映像作品を紹介するコーナーで、HISASHI茂木淳一が紹介したほとんどの作品について「これDVD買ったけど、まだ見てない」と発言していた。
  • かなりの酒好きであり芋焼酎バローロバーボンなどがお気に入りである。「酔うと地蔵化する(動かなくなる)」、「つまずいて坂道を転げ落ちた」、「はしゃぎすぎて骨折した」などアルコール絡みのエピソードにも事欠かない。長時間飲むこともざらであり、翌日の昼まで飲んだあげくに蕎麦屋で一杯引っ掛けてから帰宅するというのもしょっちゅうだと語っていた。ちわきまゆみがBUCK-TICKと飲んだ際には、朝9時になって店を出たのでようやく帰るのかと思いきや「移動です」と言われ驚愕したという。
  • 料理好きでもあり、パスタタイ料理煮込み料理などを作ることがファンクラブの会報や自身のブログにて語られている。

エピソード[編集]

  • BOØWYの『INSTANT LOVE』がリリースされた時期に、ラフォーレ原宿で布袋寅泰を見かけサインを貰ったが、この時今井が着ていた服が偶然『INSTANT LOVE』の裏ジャケットで布袋が着ている衣装の色違いだったというエピソードがある[5]。その後、1988年に行われた布袋の『GUITARHYTHM LIVE』の打ち上げで彼との交流が始まった。オファーを受け、2009年2月18日放送のSONGS2010年9月29日のライブでは共演も果たしている。
  • 引っ越すための物件探しで、とあるマンションを見学しに来た際、入居候補だった空き部屋の隣が、偶然にも忌野清志郎が住んでいる部屋だった。しかし、壁の色とキッチンに納得できなかったため、その部屋は借りず、近くの別のマンションへ引っ越した[6]
  • TVの音楽番組において、ギターソロの部分でチューニングを始める、両手を上げる、ギターに弦を張らずに出る、星野と共に生シタールを適当に弾く、ギターソロの部分で携帯電話を出していじり始める、などのパフォーマンスを行うことがある。これは「『カラオケなのに生演奏っぽく演出する』のを嫌っていたから」という噂があったが、今井本人は2010年8月27日のブログでこの件について触れ、機材トラブルへの考慮から、カラオケ演奏が自分や星野の希望によるものであったと明らかにした上で、「(あのような行動をしたのは)面白いから」、「TVでのカラオケ演奏。嫌いじゃないです。俺は、楽しんでます。」とこの説を否定している[7]

作品[編集]

BUCK-TICK、Schaft、Schwein、Lucyでの活動についてはそれぞれ該当する欄を参照。

他作品へ参加[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]