市川哲史

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市川 哲史(いちかわ てつし、1961年3月16日 - )は、日本の音楽評論家岡山県津山市出身。O型

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[編集] プロフィール

1980年代突入と同時に13年間、ロッキング・オンの雑誌を中心に洋邦問わず評論活動を続ける。

当時、硬派な雑誌であったROCKIN'ON JAPANXBUCK-TICKといった後にヴィジュアル系と呼ばれるようなバンドを積極的に取り上げ、多くの支持を受ける。アーティストとの呑みの場をレポートをした連載コラム『市川哲史の酒呑み日記』も好評を博した。

1993年に独立して音楽と人を創刊するが、1998年、諸事情によりリタイア。地元岡山で隠遁生活を送るが、21世紀に入って復帰。oricon style等で執筆、いつの間にかジャニーズ系にまでその名を轟かす。

2005年にはヴィジュアル系について綴った著作『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』を発表、好評を博し、2006年には続編『私も「ヴィジュアル系」だった頃。』を発表している。

現在はマイペースの音楽素浪人生活中。日経エンタテインメント!連載中のコラム『市川哲史のライヴは人なり。』は、いまどき珍しい「正直すぎる」アーティスト評で、相変わらず業界内に波紋を起こしている。

[編集] 概要

  • 独特なインタビュースタイルや文体が特徴である。例えば、「笑い」の表現方法だけでも、「笑」「失笑」「苦笑」「微笑」「鼻笑」「焦笑」「狂喜乱舞笑」「一同天地創造激爆笑」「一同岸壁転落爆笑」などがある。
  • 創刊から休刊までの音楽と人は、現在と異なり、メジャー路線であるにもかかわらず、自分のプッシュするアーティストはリリース時期やセールスとは関係なくインタビュー大盤振る舞いとなる相当個人的な音楽雑誌であった。BUCK-TICKやBJC、橘いずみなどが偏愛されていた。また、「市川哲史嫌い」のコーネリアスや「カバに似てますね」発言の中村一義などと丁々発止のやりとりが行われ、ROCKIN'ON JAPANとは違った意味で緊張感溢れる誌面であった。
  • ヴィジュアル系の名付け親という説があるが著書で否定している。
  • ブライアン・フェリーやXTCの日本オンリーのコンピレーションでは世界初CD化等の偉業がある。失踪直前、XTCの日本のみのコンピレーションの選曲を担当したが、ライナーノーツは間に合わなかった。
  • 音楽ライター業を休止していた際には「GLAYに借金をした」や「愛人と蒸発した」などの心無い憶測が繰り広げられた。後に当時、体調を崩し、自殺未遂を繰り返し神経衰弱になっていた事が本人によって明らかになる(hideの追悼記事より)。
  • 近年は、シアトル・マリナーズ城島健司に英語を話させた男・坂本充との英会話本や、バンダイの人気食玩シリーズ「ウルトラ怪獣名鑑」本を出すなど、意外な分野での仕事も見られる。
  • なぜか、ジャニーズ・ファンの間での支持が高い。

[編集] インタビューしたことがある主なアーティスト

[編集] ROCKIN'ON JAPAN・音楽と人

その他多数

[編集] oricon style

その他多数

[編集] ライナーノーツ

その他多数

[編集] 書籍

[編集] ラジオ

[編集] 外部リンク