中村一義
| 中村 一義 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生 | 1975年2月18日(38歳) |
| 血液型 | A型 |
| 出身地 | |
| ジャンル | J-POP ロック |
| 職業 | ミュージシャン シンガーソングライター |
| 担当楽器 | ボーカル ギター |
| 活動期間 | 1997年 - |
| 共同作業者 | 100s |
| 公式サイト | 公式サイト |
中村 一義(なかむら かずよし、1975年2月18日 - )は、日本のミュージシャン。東京都江戸川区出身。血液型はA型。
目次 |
来歴[編集]
幼い頃より、家庭内不和があり、両親との離縁を経て父方の祖父母の家へと移住する。この父方の祖父は満州の生まれであるため、中村自身は、後に100sとしてアルバム『ALL!!!!!!』をリリースした際の各種インタヴューでも語ったように、1/4中国の血を継いでいるクォーターである。当初はゴッホやシャガールに影響を受け絵画に興じていたが、高校生の頃より、その表現方法を音楽へと転換する。最初に聞き始めたのは、イギリスのクリエイション・ブーム期の音楽で、当時はその影響から友人らとバンドを組み、英歌詞の曲を作っていたが、本人曰く「鳴かず飛ばず」だった。
高校卒業と時を同じくして、日本語の詩による音楽作りをはじめる。この際、より本格的な音楽活動へと打ち込むべく、大学進学用の支度金を使って楽器を購入し、当時住んでいた祖父母の家の自室をスタジオ代わりとし、デモテープなどを録音している。
1995年、ファイブ・ディーに所属が決定。1997年にマーキュリー・ミュージックエンタテインメントより、シングル『犬と猫』でデビューを果たす。デビュー同年には1stアルバム『金字塔』を発表。当時22歳という若さにして、セルフプロデュースによって作られたこの作品は、意味深かつ独特な日本語詞と卓越したポップセンスにより、音楽雑誌を中心に、業界において高い評価を受ける。渋谷陽一はシングルカバーに「10年に一人の天才」と書き、いとうせいこうは自身のホームページで「桑田佳祐を継ぐ日本語詞の使い手」と評した。なお、デビューと同時期に結婚をしている。
1998年、2ndアルバム『太陽』をリリース。1999年に発表したシングル『ジュビリー』を最後に、マーキュリーとのレーベル契約を終了する。2000年にインディーズレーベルよりシングル『ハレルヤ』をリリースした後、東芝EMIよりシングル『1,2,3』と、3rdアルバム『ERA』を発表する。
同年夏にはフェスへ出演し、自身初となる公式アナウンスによるライブを披露する(以前にシークレットゲストとしての演奏はあった。詳しくは後述)。
2001年に出演した「ROCK IN JAPAN FES.2001」にて構成したバンドメンバーと意気投合し、同じメンバーにて2002年に4thアルバム『100s』をリリース。同年には同メンバーと共に、自身初となるライブツアーを行い、12月には大阪城ホールや日本武道館などで追加公演が開催された(後述)。また、この年にはスピッツのトリビュートアルバム『一期一会 Sweets for my SPITZ』に『冷たい頬』で参加している。
2003年に行われた「ROCK IN JAPAN FES.2003」には、やはり同じバンドメンバーを率いて「中村一義(100s)」名義で参加。2004年には完全に「100s」という名義となり、ソロ活動から本格的にバンド活動へと移行した。
以後、100sのフロントマンとして活動していたが、2012年にはソロ活動を再開。約10年ぶりのソロアルバム『対音楽』をリリースする。
楽曲について[編集]
詞については、句読点やダブルミーニングなどのことば遊びを多用し、自己のプライベートを抽象的な表現により内包するといった表現方法を駆使することが多い。またメロディについては、高い位置に設定された音階や、裏声の多用による歌唱法を特徴としている。
これらの要素により、一度聴いただけでは日本語詞として理解できないとまで言われる複雑な歌詞を擁しているが、実のところは、生や死といった観念や、時代性、日常などに基づいた非常に意味深な詞世界を作り上げている。
その詞世界については、彼と同居していた祖父から毎日のように語られた哲学や思想が色濃く反映されていることが公言されており、祖父の言葉をまとめた書籍『中村語録』が発行されているほか、祖父の逝去時には、中村本人の文章により、100s公式ホームページにその訃報が公表された(現在、公式サイトからは閲覧不可)。
100sのバンドメンバーとの出会いまでは、一部のゲストミュージシャンを除いて、ほぼ全ての楽器を自分で演奏していた。自室(通称“状況が裂いた部屋”として、クレジットにも記載される)を中心にレコーディングを行うことから、当時、日本における宅録アーティストのはしりとして採り上げられる機会も多かった。
ライブ活動について[編集]
デビューから数年の間、一度もライブ活動を行っていなかったという、ミュージシャンとしては非常に稀有な経歴を持っていたが、 1999年4月28日に名古屋ボトムラインで行われた「CLUB SNOOZER SPECIAL」のシークレットゲストとして初のライブを行う。このイベントの東京公演(5/1赤坂ブリッツ)の一部が、VHS/DVD『90's FILMS』に収録されている。
『ERA』発表目前の2000年8月13日に、ひたち海浜公園で開催された「ROCK IN JAPAN FES.2000」における最終日のトリでの出演が告知されたが、当日の天候不良によりイベント自体が途中終了となってしまう。同年9月3日に日比谷野外音楽堂で行われた「Sweet Love Shower 2000」での演奏が、結果的に自身初の公式アナウンスによるライブとなった。
なお、翌年の2001年8月5日に行われた「ROCK IN JAPAN FES.2001」では、昨年の借りを返すとばかりに、やはり最終日のトリを務めており、前述の通り、このライブをきっかけにバンドメンバーでの活動を開始した。
2002年5 - 6月には自身初となる全国ツアー「博愛博」にて4都市12公演を行うほか、同年11 - 12月には「博愛博+」と題して、さらに7都市7公演を行っている。
バンド名義での活動後は、アルバムの発表に併せて全国ツアーが行われるなど、ライブ活動は増加している。
ディスコグラフィ[編集]
シングル[編集]
- 犬と猫/ここにいる(1997.1.22)
- 犬と猫…NHK-FM『ミュージック・スクエア』1996年12月期 - 97年1月期オープニング曲
- 街の灯/いっせーのせっ!(1997.3.26)
- 天才とは/いつか(1997.3.26)
- 永遠なるもの(1997.5.7)
- 主題歌/金字塔(1997.11.27)
- 魂の本/あえてこそ(1998.5.8)
- そこへゆけ/歌(1998.8.4)
- 笑顔(1998.10.14)
- ジュビリー/威風堂々(1999.9.22)
- ハレルヤ/恋は桃色(2000.4.25)
- ハレルヤ…日産自動車「2.9%低金利クレジット・キャンペーン」CMソング
- 1,2,3(2000.7.19)
- 君ノ声(2000.11.8)
- 日産自動車「2.9%低金利クレジット・キャンペーン」CMソング
- キャノンボール(2002.1.23)
- 日産自動車「低金利キャンペーン」CMソング
- セブンスター(2002.4.11)
- 新世界(2002.7.31)
- 運命/ウソを暴け!(2012.2.15)
アルバム[編集]
オリジナルアルバム[編集]
ベストアルバム[編集]
BOXセット[編集]
- 魂の箱(2011.4.13)
映像作品[編集]
- 金字塔(1998.12.9)VHS
- ERARE(2001.7.25)VHS/DVD
- 90's FILMS(2002.1.30)VHS/DVD
- 博愛博EAST(2002.8.28)DVD ※オンライン通販限定品
- 博愛博WEST(2002.8.28)DVD ※オンライン通販限定品
- 021217(2003.3.19)DVD
書籍[編集]
- 魂の本 〜中村全録〜(2011.03.23)
その他[編集]
Tuesday Song(2002.1.23)
- 326プロデュースのコンピレーション・アルバムに『永遠なるもの』収録
一期一会 Sweets for my SPITZ(2002.10.17)
- スピッツのトリビュートアルバムに『冷たい頬』で参加
DISCOVER THE SONGS 1+1(2004.3.1)
- カバー曲を集めたコンピレーション・アルバムに『恋は桃色』収録
J-Standard 003「元気」(2004.4.21)
- コンピレーション・アルバムに『キャノンボール』収録
802 HEAVY ROTATIONS J-HITS COMPLETE 96-99(2004.12.8)
- FM802によるコンピレーション・アルバムに『犬と猫』収録
6 REMIX'N BIRDS(2012.03.28)
外部リンク[編集]
- 中村一義 facebook 公式ページ 最新情報、ディスコグラフィー、バイオグラフィーなど
- コンセプトサイト「KIKA:GAKU」
- avex オフィシャルサイト
- 100s
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