ジョン・ライドン
| ジョン・ライドン | |
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2011年、公演中
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| 基本情報 | |
| 出生名 | ジョン・ジョセフ・ライドン John Joseph Lydon |
| 別名 | ジョニー・ロットン |
| 出生 | 1956年1月31日(57歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | パンク・ロック ポスト・パンク オルタナティヴ・ロック |
| 職業 | ミュージシャン ボーカリスト シンガーソングライター |
| 担当楽器 | ボーカル ギター、サクソフォン、ベース シュトロー・ヴァイオリン ヴァイオリン、シンセサイザー キーボード、パーカッション |
| 活動期間 | 1975年 - |
| 共同作業者 | セックス・ピストルズ パブリック・イメージ・リミテッド タイム・ゾーン |
| 公式サイト | John Lydon.com |
ジョン・ライドン(John Lydon、1956年1月31日 - )は、イギリスのミュージシャン。
ジョニー・ロットン(Johnny Rotten、「腐れのジョニー」の意)の愛称でパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズのリード・ヴォーカルを務め、解散後はパブリック・イメージ・リミテッドを結成した。
ジョニー・ロットンの愛称は、歯磨きの嫌いな彼の汚い歯の状態から付けられたという説と、ピストルズのギターのスティーブ・ジョーンズが彼の態度の悪さに「お前は腐ってる」と言ったことから付けられたという説がある。
2012年現在は音楽以外の仕事ばかりが目につく一方、タイム誌における第二次世界大戦後「60年来の偉大な人物」の一人に選ばれるなど本国で再評価されている。ただし、本人のスタンスは変わっておらず、相変わらずその時期にやりたいことしかしないという気分のムラがあり人々を惑わせ続けている。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第16位。
目次 |
経歴 [編集]
出生 [編集]
ジョン・ライドンは1956年1月31日にロンドンのフィンズベリー・パークで生まれた[1]。両親は共にアイルランド移民であった。彼は三人の弟と共にフィンズベリー・パークの貧しい労働者階級の中で成長した。当時のイギリスにおけるアイルランド移民は黒人と同様、最下層に近い差別を受けていた。彼は自伝『No Irish, No Blacks, No Dogs』で子供のころ、通学の途中に差別による投石を頻繁にうけたと語っている。
幼いころに髄膜炎を患い、半年近く生死の淵を彷徨い、その後遺症で退院した時は“cat(猫)”の綴りや両親の顔すら忘れている記憶喪失の状態で、それが原因で小学生のころはいじめられっ子であった。何もかも一からやり直しの状態であったが、母親の熱心な教育のおかげで人並み以上のレベルまで取り戻すことができた[2]。彼はこの病気の過去を「“ロットン”への道を歩み始める第一歩」と語っている。なお、この病の影響で20歳代に10cm以上身長が伸びた。
セックス・ピストルズ [編集]
小学生時代とは打って変わり、中学生からのライドンは退学処分されるほどの不良となり、十代後半はマルコム・マクラーレン(デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが共同経営者)のブティック「Sex」をライドンをリーダー格とする不良グループ“ジョンズ”の溜まり場としていた[3]。
1975年にマクラーレンがアメリカのバンド、ニューヨーク・ドールズとの小ツアーから帰り、スティーヴ・ジョーンズやポール・クックと共に新たなバンドの結成を模索していたとき、ライドンが現れた。ライドンは「I Hate」とサインペンでなぐり書きされたピンク・フロイドのTシャツを着ており、店内でのオーディションでアリス・クーパーの「アイム・エイティーン」を歌った。そしてバンドへ加入、バンド名はセックス・ピストルズに決まる。
ピストルズの後半、ライドンは、ヘロイン中毒である親友のシド・ヴィシャスの薬物治療の手助けするが、結局シド・ヴィシャスはヘロインをやめられずまともに演奏できる状態ではなくなった。メンバー間の不仲も頂点に達し、バンドは最悪の状態になり、アメリカツアーのサンフランシスコ最終公演を最後にライドンは脱退を表明。ラストライブの最後に言い放った彼の「アハハ、騙された気分はどうだい?」と、脱退表明時の「ロックは死んだ」はロック界の名言として残っている。
ピストルズ脱退後 [編集]
ライドンは1978年4月に、ベースのジャー・ウォブル、ギターのキース・レヴィン、ドラムのジム・ウオーカーと共にパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)を結成し、ファースト・アルバム『First Issue』を発表する。
1988年12月21日に起こったパンアメリカン航空103便爆破事件のロンドン発ニューヨーク行き便に搭乗予定だったが、妻ノラの荷造りが間に合わず乗り遅れ、結果的に命拾いをした[4]。
1996年のセックス・ピストルズを一時的に再結成。
1997年に初のソロ・アルバム『Psychos-Path』を発表。PILを休止する。
突然の変貌 [編集]
2004年にイギリスITVのリアリティ番組「I'm A Celebrity Get Me Out Of Here」に出演。落ちぶれた芸能人がジャングルでサバイバルを行う番組で、ライドンは尻をカメラにつきだしたり、ダチョウにつつかれたりと「醜態」をさらすが、この番組によって、皮肉にも彼は「一流コメディアン」として世間に再認識されることとなった。
その後、イギリス・ディスカバリー・チャンネルにて「john lydon's megabugs」なる昆虫をテーマにしたシリーズ物にメインパーソナリティーとして出演。その他、白いチンパンジーやホオジロザメの特集番組にもそれぞれ出演する[5]。
2007年、「ギターヒーロー3 レジェンド オブ ロック」に「Anarchy in the U.K.」が採用されたことで、本作のPRを始めるようになりセックス・ピストルズとして久しぶりに活動することになる。
2009年12月にPILでイギリス国内で数回コンサートを行った。
人物 [編集]
英国及びその隣国の現代史をテーマにした番組にも出演し「英国を偉大なものにしたのは何か?」というテーマに対し、「俺だろ」とわざとシニカルに振舞った。ライヴでは派手なパフォーマンスを見せるライドンだが、実はいつも大変緊張していたらしく、緊張を和らげるためによく著名な舞台俳優の伝記を読み漁っていたという。
彼の猫背は幼いころのにうった脊髄注射の影響で、睨み付けるような目つきはそうしないと焦点が合わないためであり、髄膜炎の後遺症である。
2002年、BBCが行った「100名の最も偉大な英国人」投票にて第87位に選ばれている。
音楽の趣向 [編集]
反抗的で不良じみたスタイルをまとってはいるものの、実際はかなりのインテリで聡明な一面を持っており、ピストルズ以降の音楽活動でもパンクにとらわれない幅広い音楽性を見せた。母親が音楽ファンであり、少年時代から様々な音楽に触れて来ている。彼が「嫌いだ」と言う音楽(ザ・クラッシュやオアシスなど)は、実はほとんどの場合は反面、一定の理解を示しており、一概に発言をそのまま受け取ることはできない。
例えば 1970年代後半、それまでのイギリス、そして世界のロックシーンを支配していたレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイドなどは「ダイナソーロック」と代名され、嘲笑されるものとなった。このころにライドンはレッド・ツェッペリンのボーカル、ロバート・プラントの前にふざけてひざまつき、神の如く拝める仕草をし[6]、プラントに頭を蹴られそうになったことがある。しかしレッド・ツェッペリンそのものの音楽性は好みだといい(主に後期ツェッペリン)、後年になるとプラントの作詞能力を認める発言もしている。本人曰く「フィジカル・グラフティこそ最高だ!」とのこと。この素直で柔軟なキャラクターもライドンの魅力の一つである。ただし、その理由を「フィジカル・グラフィティは2枚組アルバムであり、曲が多く入っているから」だとするなど、一筋縄では行かない。また、既述のとおりデビュー前に Pink Floyd の文字の前に "I Hate" と自分で書いたTシャツを着ていたことはつとに有名だが、2012年1月のアメリカにおけるトークショー[7]では同バンドのレコード数枚は素晴らしく、メンバー数名も個人的に知っていて良いやつらだと語っている。
女性ヴォーカルバンドや女性ミュージシャンが大好きでシンディー・ローパーとは特に仲が良い。PIL時代、96年ピストルズ再結成時を通じてツアーの前座には新人女性ミュージシャン&バンドを起用していた。ソニック・ユース、シュガーキューブスやL7などがブレイクを果たし、彼の見る目の確かさを物語っている。PIL時代は開演前のBGMもダイアナ・ロスやマドンナなどおよそ彼のイメージからは想像も付かない曲ばかりを流していた。レディ・ガガを知性に裏付けられた独創性があると讃え(彼女のヒット曲、”Paparazzi” などを例に)[8]、ケイト・ブッシュの声域が非常に高いにもかかわらず「本当に心に響いた」とも褒めている[9]。
歌詞・主張 [編集]
セックス・ピストルズ時代、マネージャーのマルコム・マクラーレンに「Submission(=服従、屈服)」に関しての詞を書けと言われたライドンが後日持って来た詞は「Sub Mission(潜水艦の任務)」に関してのものであった。
ピストルズの社会風刺の効いた過激でストレートなメッセージ性の強い歌詞はライドンの手によるもので、「Anarchy in the U.K.」での“アンチ・キリスト”発言(キリスト教圏内ではありえないタブー)や「God save the Queen」では“女王は人間じゃない”“王室は民衆を白痴にする”などの痛烈な王室制批判など過激な歌詞をぶちまけている。
これらの歌詞や言動によって、ライドンは右翼や国家警察の目の敵となり、ピストルズ時代には愛国主義者に襲われ、ナイフで足や左手の平を貫通するほどの怪我を負っている。この後遺症で左の拳が握れず、ギターも弾けなくなった。警察にも嫌がらせのように幾度となく家宅捜索や別件逮捕をされ、そのため2007年現在もイギリスからアメリカに居住を移したままである。ライドンはイギリスの保守派全般に危険人物とみなされた。
交友関係 [編集]
アメリカのテレビ番組でシド・ヴィシャスに関してコメントを求められた時は、「ピストルズなんて聴いたことないんだろ?」と悪態をつきながらも、「あの頃はみんな自分の事だけで精一杯で、誰もあいつを助けてやれなかったんだ」と言って涙を見せた。ジョンにとって、シドは悪ガキ時代の大切な仲間だった。
ピンク・フロイドのシド・バレット、デヴィッド・ギルモアやロジャー・ウォーターズとも親交があり、マリブの邸宅は近所なのでよく連れだってリムジンに同乗し、パーティーに出かけたりしている。
婚姻関係 [編集]
妻ノラとは法的には結婚をしていないことを明かしているが、彼女の事は妻だと紹介している。ノラはライドンより14歳年上で、彼女の娘はスリッツのボーカリスト、アリ・アップである。また、ノラはドイツの大手出版業者の資産家の娘で、ライドンは彼女の資産を運用し、不動産開発業者になったと噂があるが、事実はライドンがイギリスの日刊紙ザ・サンに冗談で発言したものが広まって行っただけである[10]。
脚注、出典 [編集]
- ^ これは彼の自叙伝によるもので、彼の出生証明書は失われており事実を確認することはできない。
- ^ このため彼は攻撃的なキャラクターに似合わず、大変な母親思いである。
- ^ ジョンズはメンバー全員の名がjohnであることから名づけられた。(当時メンバーだったシド・ヴィシャスの本名もJohn Simon Ritchieである)。
- ^ John Lydon 16年前の飛行機爆破事件にまつわる恐怖体験を語る[1]
- ^ 特に「俺はガキの頃『ジョーズ』って映画を見て以来、ずっとサメの生態に興味を持っていた」らしく、スイムスーツに着替えて水中ケージの中でサメと対面する事に嬉々とし、更に番組中ホオジロザメに対する人々の認識の誤解を説く擁護派の一面を見せた。
- ^ プラントは70年代、『黄金の神』というニックネームを持っていた。
- ^ [2]
- ^ [3]
- ^ スケーター雑誌、Supreme Book Vol.6にて。
- ^ 2004年4月18日付「The Sunday Times」
外部リンク [編集]
- Official John Lydon website
- Portrait of Johnny Rotten created by Shepard Fairey
- 洋楽 ジョン・ライドン、独占インタビューを掲載! | 特集 - RO69(アールオーロック)
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