エメリン・パンクハースト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国会議事堂の隣のヴィクトリア・タワー・ガーデンにあるエメリン・パンクハーストの像(ウェストミンスター)
エメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst, 1858年7月14日 - 1928年6月14日)は、イギリスの婦人参政権活動家。パンクハースト夫人として、第一次世界大戦以前の女性の選挙への参加に尽力したことで有名。
[編集] 来歴
彼女は1858年に実業家のロバート・グールデンと情熱的な女性運動家ソフィア・クレーンの娘エメリン・グールデンとしてイングランドのマンチェスターで生まれた。彼女は15歳でパリの学校に入学し、1879年に弁護士のリチャード・マースデン・パンクハーストと結婚した。パンクハーストは婦人参政権運動の支持者で、1870年の婦人財産法案の起草者だった。1889年にエメリンはウーメンズ・フランチャイズ・リーグを設立した。パンクハーストは1898年に胃潰瘍で死去したが、エメリンの活動は続いた。
1903年に彼女はその過激な活動で有名になる婦人社会政治連合(Women's Social and Political Union, WSPU)を結成した。メンバーにはアニー・ケニー、婦人参政運動の「殉教者」エミリー・ディヴィッソン、エセル・スマイスが含まれた。エメリンの娘クリスタベルとシルヴィアも活動に加わり、二人は異なる方法で運動に貢献した。
パンクハースト夫人の活動は過激なもので、数度の逮捕をともなった。彼女は10回のハンガー・ストライキを行った。彼女の運動に対する過激なアプローチは婦人参政権論者に支持されず、婦人社会政治連合は分裂した。彼女の自叙伝『My Own Story』は1914年に公表された。彼女はその目標、イギリスでの婦人参政権をほぼ達成して、1928年に死去した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク