シド・バレット
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| シド・バレット | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | ロジャー・キース・バレット Roger Keith Barrett |
| 出生 | 1946年1月6日 |
| 出身地 | イギリスケンブリッジ |
| 死没 | 2006年7月7日(満60歳没) イギリスケンブリッジ |
| ジャンル | サイケデリック・ロック サイケ・フォーク スペース・ロック |
| 職業 | 音楽家 シンガーソングライター |
| 担当楽器 | ギター, 歌, エレクトリックベース, スライドギター, ウクレレ, マンドリン, バンジョー |
| 活動期間 | 1964年 - 1974年 |
| レーベル | Harvest/EMI |
| 共同作業者 | ピンク・フロイド スター |
ロジャー・キース・バレット(Roger Keith Barrett, 1946年1月6日 - 2006年7月7日 )は、シド・バレット(Syd Barrett)の名でよく知られたイギリスの伝説的ロック・ミュージシャン。プログレッシブ・ロック・グループ、ピンク・フロイドの設立メンバーの一人。
早い時期に音楽業界から引退するが、デヴィッド・ボウイをはじめ数多くのアーティストに大きな影響を与える。ピンク・フロイドの残されたメンバーにとっても、天才的な才能で自分達を導いてくれたにも拘らず、業界や社会に馴染めず、精神を病んで去っていったシドの存在が心に重く残り続け、全盛期の彼らの作品が圧倒的に深いテーマ性を持つ一因となった。2006年7月、糖尿病に起因する合併症のため60歳で死去。
目次 |
[編集] バイオグラフィー
大学街ケンブリッジの比較的裕福で教育熱心な家庭に生まれ、幸福な幼少期を送る。ただし、少年時代に父親を失っており、バンドメンバーのロジャー・ウォーターズと同じく、このことが彼の人間形成に影響を与えたと言われている。
もともと画家志望でロンドン芸術大学のキャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツに進学するが、音楽にも興味を持ち、同郷の友人であるウォーターズらと共にピンク・フロイドの母体となるバンドを結成。作詞作曲・ギター・ヴォーカルを担当して、グループを牽引する。その端正な容姿と斬新な音楽性で、1967年にバンドのメジャー・デビューを成功へと導いた。しかし、間もなくストレスや麻薬(LSD)中毒が原因で精神のバランスを崩し、録音中や公演中にも奇行を繰り返すなど、音楽活動に支障をきたし始める。そして1968年、バンドを脱退してしまう。この間、次のリーダーとなるウォーターズとの間に確執が有ったとも言われる。
1970年、ピンク・フロイドのメンバーやソフト・マシーンの協力を得て、印象的なソロ・アルバム『帽子が笑う…不気味に』を発表。これが全英トップ40にランクインするヒットを記録し、EMIはすぐさまセカンド・アルバムの制作を指示する。そして同年、2作目『その名はバレット』を発表。これらの作品から、彼は最初のサイケデリック・フォークのアーティストと見なされる。いずれの作品も正常な精神状態で録音されたものではなく、危機的な雰囲気を漂わせている。
その後も新作の制作が計画されたが、精神の荒廃はそれを許さないところまで進行していた。シドが最後に公衆の面前に現れたのは、1972年にスターズとして数回のライヴをしたときである。しかし、すぐにバンドを辞めてガールフレンドと共にケンブリッジへと帰っていく。その後も熱烈なファンからの要望で、様々な音源がレコード化されてきたが、いずれも納得のいく形の作品ではなかった。1988年には未発表音源を集めた編集盤『オペル』が発表されるが、録音は1970年以前のものである。
結局、70年代半ばからは、完全に実家に引き篭もってしまう。ストレスからか過食症のような暴食を繰り返し、あっと言う間に丸々と太ってしまった。以後、精神病に苦しみながら、かつての作品からの印税収入と生活援助を糧に隠居生活を送った。晩年になっても、パパラッチなどにその変わり果てた姿を捉えられることが何度かあったが、ついに音楽シーンに復帰することはなかった。最晩年は極度の鬱病が発祥してしまう事から、ピンク・フロイドのメンバーの面会は完全に許されず(バンド脱退後に加入したデヴィッド・ギルモアすら面会を認められなかったという)、糖尿病の合併症から失明寸前にまでなっていたという。
死後、実姉がシドのケンブリッジでの生活について、サンデー・タイムズのインタヴューに答えている。その中では、シドの精神病は過度に強調されていることが示唆されていた。また、美術史に関する研究書の執筆に傾注していたことや、地元住民と大変友好的な関係を築いていたことも語られている。看護師の立場からは、彼女は、シドには幼少時からアスペルガー症候群の兆候があったとしている。さらに、五感が未分化である共感覚の持ち主であったことも語られている。
[編集] 音楽シーンへの影響
ほんの5年足らずの活動期間にも拘らず、その卓越した音楽センスと抜群のカリスマ性から、シドを信奉するアーティストは数多い。リアルタイムで彼を目撃してきた世代は勿論、その後の世代にも多大な影響を与えてきた。
デヴィッド・ボウイはシド時代のピンク・フロイドの楽曲「シー・エミリー・プレイ」をカヴァーするなど、シドから強く影響を受けたことを公言している。また、彼は膨大な数のシドの絵画作品をコレクションしているらしい。シド死去の際には「どれだけ悲しいか言葉にできない。シドからは物凄く影響を受けた。60年代に観た彼のギグは絶対に忘れないだろう」というコメントを発表した。
同じくグラム・ロックの代表格であるマーク・ボランもシドの大ファンであり、シドに憧れてカーリーヘアにしたと言われている。ちなみに、彼が所属していたマネージメント事務所はピンク・フロイドが設立した会社であり、これはシドに近づこうとしていたためではないかと言われている。
その他、ブリットポップの代表格であるブラーのメンバーも影響を受けたと公言しておりドキュメンタリーDVD「ピンク・フロイド&シド・バレット・ストーリー」にはグレアム・コクソンが出演している。イギリスのフォーク・シンガー、ロビン・ヒッチコックも大きな影響を受けた一人である。デビュー前からの知り合いであるミック・ジャガーもシドのファンだと語っていた。
また、ピンク・フロイドなどの大物バンドを敵視していたパンク系のアーティストにも、シドを信奉する者は多い。ザ・ジャムのポール・ウェラーがシドのような音楽を作ろうとしていたと語ったり、ダムドがシドにプロデュースを依頼したりと(結局は実現せず、ドラマーのニック・メイスンが担当)、様々なエピソードが残っている。セックス・ピストルズのマネージャー、マルコム・マクラーレンもシドの才能だけは認めている。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アルバム
- 『帽子が笑う…不気味に』 The Madcap Laughs (1970)
- 『その名はバレット』 Barrett (1970)
- 『何人をも近づけぬ男』 The Madcap Laughs & Barrett (1974)
- 『ピール・セッションズ』 The Peel Sessions (1987)
- 『オペル~ザ・ベスト・コレクション・オブ・シド・バレット』 Opel (1988)
- 『クレイジー・ダイアモンド』 Crazy Diamond (1994)
- 『ぼくがいなくて寂しくないの?』 The Best Of Syd Barrett - Wouldn't You Miss Me? (2001)
[編集] 映像
- 『ピンク・フロイド ・アンド ・シド・バレット ストーリー』 The Pink Floyd and Syd Barrett Story (2003)
[編集] 関連項目
- ピンク・フロイド
- 『炎〜あなたがここにいてほしい』(1975年)
- ピンク・フロイドの代表作の一つ。シド脱退の7年後、バンドが世界的な成功を確立した後の作品だが、シドの栄光と挫折をテーマの一つとしている。録音中のスタジオに彼自身が変わり果てた姿でふらりと現れたと言われる。
- サイケデリック・ロック
- シド・バレット・トリビュートアルバム SYD BARRETTE TRIBUTE COMPILATION ALBUM 「星空のドライブ」 レーベル Heart Lord Studio (2008)
希少な彼のトリビュートアルバム。個性派アーティスト達による様々なアレンジがなされたピンクフロイド時代からソロに至るまでの幅広い選曲。

