ジュリー・アンドリュース
| ジュリー・アンドリュース Julie Andrews |
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| 本名 | Julia Elizabeth Wells ジューリア・エリザベス・ウェルズ |
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| 生年月日 | 1935年10月1日(77歳) | ||||||||||||||
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| 配偶者 | トニー・ウォールトン (1959–1967) ブレイク・エドワーズ (1969-2010) |
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| 主な作品 | |||||||||||||||
| 舞台『マイ・フェア・レディ』(1956-) 映画『メリー・ポピンズ』(1964) 映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965) 映画『プリティ・プリンセス』シリーズ クラリス・レナルディ役 |
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ジュリー・アンドリュース(デイム・ジューリー・アンドルーズ、Julie Andrews, DBE, 1935年10月1日 - )は、イギリス生まれの女優、歌手。
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来歴・人物 [編集]
本名ジューリア・エリザベス・ウェルズ(Julia Elizabeth Wells)、 イギリスのサリー州ウォールトン・オン・テムズ(Walton-on-Thames)で生まれる。幼少より約4オクターヴという驚異的な声域を持っていた彼女は、双方ともヴォードヴィル芸人だった母親と義理の父親により才能を見出され、義父や声楽家のレッスンを受けながら、1947年ロンドンのウェスト・エンドで子役でデビュー、その後、1954年に渡米するまで子役として英国で幅広く活躍する。
アメリカに渡ったアンドリュースは、ミュージカル『ボーイ・フレンド』のポリー役でブロードウェイ・デビュー。ブロードウェイ史上に残る大ヒットとなった『マイ・フェア・レディ』のイライザ役や『キャメロット』のグウェナヴィア役で、ニューヨーク、ロンドンの舞台に立つ。
『キャメロット』を公演中にディズニー社は、ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』を製作中であった。主演のメリー・ポピンズが決まらない中、ウォルト・ディズニーの秘書がキャメロットの舞台の主演女優はどうかと薦め、ディズニーは『キャメロット』を見に行った。舞台に感動したディズニーはアンドリュースに役をオファーした。しかし、アンドリュースは当時妊娠6ヶ月で、すぐには出られないと話すと、ディズニーは出産後まで待つと快く約束した。1964年にミュージカル映画『メリー・ポピンズ』の主役として映画デビュー、アカデミー主演女優賞を獲得。更に翌年『サウンド・オブ・ミュージック』では主役のマリア役で世界レベルでのブレイクを果たす。
その後ハリウッドのトップスターとしてミュージカル映画やストレートドラマなどに次々と出演したものの、『メリー・ポピンズ』『サウンド・オブ・ミュージック』でのキュートで健全なイメージを当時のファンが求めたこと、そして『スター!』『暁の出撃』という大作2つが興行的に失敗したこと、ブレイク・エドワーズとの結婚生活もあり、1970年代はハリウッドから離れ、TVやライブなどで歌って踊れるアーティストとして活躍。
1972年から始まったテレビ・ショー『ジュリー・アンドリュース・アワー』ではエミー賞を7部門で受賞。また、『マンディ』で作家デビューも果たした。
1979年には映画『テン』で久々ハリウッドに復帰。『S.O.B.』で初のトップレスシーンで話題を呼んだ後(2005年『プレミア』誌による『映画史上最もショッキングな瞬間』第7位)、『ビクター/ビクトリア』では成熟したコメディエンヌとしての魅力を発揮しアカデミー賞ノミネートされるなど絶賛される。
1987年には全米ツアーを行った。
1990年代は、PHILIPSレーベルでのブロードウェイシリーズのレコーディングや、オフブロードウェイミュージカル『Putting It Together』への出演など、舞台ミュージカル版『ビクター・ビクトリア』をにらんだ活動が中心となった。
1992年に開発されたバラの新種に「ジュリー・アンドリュース」の名前がつけられた。
1995年10月25日の『ビクター・ビクトリア』初日には特集番組「Julie Andrews: Back On Broadway」が全米放映されるなど、彼女の30年ぶりのブロードウェイ復帰はショウビズ界のビッグイベントとして話題を呼んだ。が、翌年のトニー賞において本作品からノミネートされたのはミュージカル主演女優賞へのジュリーのみだったため、公演後のスピーチでノミネート辞退を発表し物議を醸したスピーチ全文(Playbill.com)。このスピーチでの「egregiously overlooked」(直訳:言語道断に見落とされた人たち)というフレーズはこれ以降、同様のシチュエーションにおける決まり文句になっている。
1998年には声帯に腫瘍ができ、外科手術を受けたものの失敗、手術を担当した医師二人を告訴した(後に和解)。手術後、女優業には復帰したものの、以前の美しい歌声は戻っていない(歌声を失うなどのショックにより一時的に精神的リハビリ施設に通った)。彼女の声質の変化(かすれ声)は、現在の彼女の話し声にも顕著に現れている。
2000年代には再び女優としてのキャリアにシフト、『プリティ・プリンセス』『シュレック』シリーズなどのハリウッド作品で気品あふれるチャーミングなクイーンとして、また、ブロードウェイやディズニー関連のアンバサダー的な立場として姿を見せることが多くなっている。『プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング』など、以前の声と同じではないが歌声を披露する機会もある。
2000年、エリザベス女王より大英帝国勲章DBE(Dame Commander of the Order of the British Empire)を受勲。
2003年、娘のエマ・ウォールトンが主催するBay Street Theatreで上演された『ボーイフレンド』で演出家デビュー。
2006年9月映画俳優組合(SAG)は、彼女の長年にわたる活躍に対して功労賞を贈ると発表した。
2008年、自伝『Home: A Memoir of My Early Years』を出版。
2010年5月8日に、声帯手術後、歌手としての初の復活コンサート『The Gift of Music : An Evening with Julie Andrews』を、ロンドンO2アリーナにおいて開催することになり、大きな話題となっている。
家族 [編集]
母はピアニストのバーバラ、父は学校教師のテッド・ウェルズ。2人の間には弟がいる。 2008年出版の自伝で「本当の父親は別の人だと母に教えられた」ことを初めて公表したが、テッド・ウェルズを「本当の父親」として慕う気持ちは変わりないとも述べている。 幼少の頃両親が離婚し、母は歌手テッド・アンドルーズと結婚。
1959年には幼なじみでデザイナーのトニー・ウォールトン(w:Tony Walton)と結婚し、娘エマが生まれた。エマには現在子供が2人いる。 ウォールトンとは1967年に離婚しエマの親権を得たが、ジュリーとエマの書いた本のイラストを担当するなど、現在でも親交は続いている。
1969年に映画監督のブレイク・エドワーズと再婚。 ABCテレビでのドキュメンタリー"Julie Andrews Back on Broadway"(1995年アメリカ)で、エドワーズ監督は二人の最初の出会いを語り、ある日ビバリーヒルズのサンセット大通りの交差点で信号待ちをする間、二人の運転する車が対抗車線同士で停車し、目が合ってHelloと挨拶を交わしすれ違ったと言った。そのまま青信号になって双方すれ違ったが互いに何か運命的に強烈な印象を残した模様だった。 その後もエドワーズが「あんなに魅力的なのだから、脚の間には、きっとスミレの花でも咲いているのかしらん」と評したとかで、それを耳にしたアンドリュースがスミレの花束とレターを送ったという。そしてすぐ交際、結婚となった。
以降、2010年にエドワーズが亡くなるまでハリウッドのベストカップルとして知られた。 70年代~80年代の出演映画はほとんどエドワーズ作品である。 エドワーズには前妻との子供、ジェニファーとジェフリーがいる他、ベトナム生まれの女の子2人を養子として迎えている。
その他 [編集]
来日公演 [編集]
- 1977年9月19日、27日、28日 日本武道館
- 20日、21日 フェスティバルホール
- 26日 真駒内アイスアリーナ
- 10月1日 九電体育館
- 3日 帝国ホテル ディナーショー
- 1993年 NHKホール他
主な出演作品 [編集]
映画 [編集]
- メリー・ポピンズ Mary Poppins (1964)
- 卑怯者の勲章 The Americanization of Emily (1964)
- サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music (1965)
- ハワイ Hawaii (1966)
- 引き裂かれたカーテン -Torn Curtain (1966)
- モダン・ミリー Thoroughly Modern Millie (1967)
- スター! Star! (1968)
- 暁の出撃 Darling Lili (1968)
- 夕映え The Tamarind Seed (1974)
- テン 10 (1979)
- Little Miss Marker (1980)
- S.O.B. S.O.B. (1981)
- ビクター/ビクトリア Victor/Victoria (1982)
- グッバイ・ディビッド The Man Who Loved Women (1983)
- That's Life! (1986)
- デュエット・フォー・ワン Duet for One (1986)
- アフタヌーンティーはベッドで Cin Cin (1991)
- Relative Values (2000)
- 夢見る頃を過ぎても Unconditional Love (2000) *カメオ
- プリティ・プリンセス The Princess Diaries (2001)
- シュレック2 Shrek 2 (2004) 声
- プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング The Princess Diaries 2: Royal Engagement (2004)
- シュレック3 Shrek the Third (2007) 声
- 魔法にかけられて Enchanted (2007) ナレーション
- 妖精ファイター Tooth Fairy (2010)※(第3回したまちコメディ映画祭in台東でのみ上映)
- 怪盗グルーの月泥棒 3D Despicable Me (2010) 声
- シュレック フォーエバー Shrek Forever After (2010) 声
舞台 [編集]
- ボーイ・フレンド The Boy Friend (1954) ブロードウェイ
- マイ・フェア・レディ My Fair Lady (1956) ブロードウェイ
- マイ・フェア・レディ My Fair Lady (1958) ウエスト・エンド (ロンドン)
- キャメロット Camelot (1960) ブロードウェイ
- Putting It Together (1993) オフブロードウェイ
- ビクター/ビクトリア Victor/Victoria (1995) ブロードウェイ
主な受賞 [編集]
(☆は受賞、それ以外はノミネート)
- 1964年 『メリー・ポピンズ』☆
- 1965年 『サウンド・オブ・ミュージック』
- 1982年 『ビクター/ビクトリア』
- 1956年『マイ・フェア・レディ』
- 1960年『キャメロット』
- 1995年『ビクター/ビクトリア』
- 1964年 『メリー・ポピンズ』☆
- 1965年 『サウンド・オブ・ミュージック』☆
- 1967年 『モダン・ミリー』
- 1968年 『スター!』
- 1970年 『暁の出撃(DarlingLili)』
- 1973年 『ジュリー・アンドリュース・アワー』
- 1979年 『テン』
- 1982年 『ビクター/ビクトリア』☆
- 1986年 『That's Life』
- 1986年 『Duet for one』
- 1991年 『メリー・ポピンズ(1964年)』☆
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- Julie Andrews - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- Julie Andrews Collection 自らプロデュースしている子供向けメインの出版シリーズ。
- Operation USA 役員として関わっているチャリティ団体
- Factum Non Fabula
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