セックス・ピストルズ

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セックス・ピストルズ
1977年に「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」のPVを撮影するセックス・ピストルズ。(左からシド・ヴィシャス、ジョニー・ロットン、ポール・クック、スティーヴ・ジョーンズ)
1977年に「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」のPVを撮影するセックス・ピストルズ。(左からシド・ヴィシャス、ジョニー・ロットン、ポール・クック、スティーヴ・ジョーンズ)
基本情報
別名 ピストルズ
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル パンク・ロック
活動期間 1975年 - 1978年
1996年
2002年 - 2003年
2007年 - 2008年
レーベル EMI
ヴァージン・レコード
ワーナー・ミュージック
メンバー
ジョニー・ロットンボーカル
スティーヴ・ジョーンズギター
ポール・クックドラムス
グレン・マトロックベース
旧メンバー
シド・ヴィシャス (ベース)
  

セックス・ピストルズ (Sex Pistols) は、イギリスパンク・ロックバンド。1977年のロンドン・パンク・ムーブメントを代表するバンドである。

目次

[編集] 時代背景

1970年代当時のロック・シーンは、ハード・ロックプログレッシヴ・ロックが二大主流であり、超絶技巧のギター演奏テクニックや、高価なシンセサイザーの使用などにより、「スーパー・バンド」と聴衆たちのあいだには、埋めがたい溝が生まれていた。

当時ロンドンキングス・ロードで『SEX』という小さなブティークを経営していたマルコム・マクラーレンは、店に出入りしていたスティーヴ・ジョーンズ(ギター)とポール・クック(ドラムス)が結成したアマチュアバンドに目をつけた。マルコムはアメリカで2週間ほどニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めたことがあり、ニューヨーク・パンクムーヴメントをイギリスでも流行させようと目論んでいた。その後グレン・マトロック(ベース)とジョニー・ロットン(ヴォーカル)が加わり、セックス・ピストルズとしてライブデビューした。

バンドは、シンプルで攻撃的な演奏、イギリス政府やイギリス王室や、EMIのような大手音楽レーベルを標的にした歌詞、破れた洋服を安全ピンで留めるファッション、短くカットしツンツンに立てた髪、テレビや雑誌のインタビューで"SHIT","FUCK" を連発するといった人を馬鹿にした態度などで、大きな注目を浴びた。同時に、愛国主義者たちから敵視され、演奏会場の提供拒否や排斥運動が起こった。メンバーが襲われて重傷を負う事件まで起こった。

元MI5(英国機密情報局)部員が後に証言したところによると、MI5のテロリストやスパイを監視を行う部署に、『1977年コンテンポラリーミュージック破壊活動分子』というタイトルの付いたファイル群があり、その膨大な書類は全てピストルズに関するものだったという。しかし、ピストルズはかならずしも左派とは言えず、楽曲『Bodies』がイギリスの保守ソングのランキング10位中にランクインしたこともある。

安全ピンや、髪をツンツンに立てるといったファッションは、元々リチャード・ヘルテレヴィジョンハートブレイカーズの創設メンバー)が行っていたものを、マルコム・マクラーレンが採り入れたものである。

1977年にベーシストのグレン・マトロック(作曲面における功績が大きかった)が、ジョニー・ロットンとの不和などの理由で脱退。後継ベーシストとして、古くからジョニーと親交のあったシド・ヴィシャスが採用された。ピストルズの熱心なファンでルックスもよく、ボゴダンスを発明し、ライブ会場でのさまざまな武勇伝でも有名だったシドの加入で、ピストルズはよりスター性のあるバンドとなった。しかしグレンの脱退はバンドの未来に暗い影を落とすことになった。

EMIと契約し、シングル「Anarchy In the U.K./I Wanna Be Me」をリリースするが、直後にEMIから契約を破棄された。つぎにA&Mと契約したが、シングル「God Save the Queen/No Feelings」の発売直前に契約を破棄される。結果としてバンドは両者から巨額の違約金を手に入れた。最後にヴァージン・レコードと契約し、以降のシングル、アルバムを発売している。

2007年に再結成された際に、ロンドンのブリクストン・アカデミーで演奏するメンバー

この契約トラブル劇は、レーベルに所属するプログレッシブ・ロックのミュージシャンたちの強硬な反対も大きく影響していたといわれる。最終的に契約したヴァージンでも、マイク・オールドフィールド(ヴァージン契約第1号ミュージシャンでもある)が最後まで契約に反対していたという。

初にして唯一のオリジナルアルバム「勝手にしやがれ!!」は、ロキシー・ミュージックピンク・フロイドポール・マッカートニーなどを手掛けたクリス・トーマスによってプロデュースされた。この結果、サウンドはギター中心の比較的落ち着いた音造りとなった。クリスは1996年2007年の再結成のライブ盤のプロデュースも行っている。

マルコムは、アルバムの販売権をヴァージンには独占させず、フランスの会社に1曲多い盤の製作を許可するなどの揺さぶりをかけた。米国では、大手のワーナー・ブラザーズ、日本では当初日本コロムビアからと、本来の資本系列とは無関係に発売された(後に、日本盤はヴァージン提携レーベルからの発売に変更された)。

[編集] ヒストリー

その後、スティーブ・ジョーンズとポール・クックは、イギリスの大列車強盗犯人であるロナルド・ビッグスや、ナチスの戦犯で絞首刑の判決を受け、処刑前に自殺したが1972年まで死体が見つからなかったため南米逃亡説のあるマルチン・ボルマン(これは、本人かどうかも不明だが、映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』でも、ナチスの制服を着用した男が登場している)とのコラボレーションを行い、おふざけ半分でピストルズを延命させた。マルコムは、嫌がるシド・ヴィシャスに、フランク・シナトラの「My Way」(替え歌)をレコーディングさせ、レコード発売もおこなっている。その後シドは、恋人であったナンシー・スパンゲンを刺殺した容疑をかけられたまま、麻薬の大量摂取が原因で他界。結果的には、シドの代表的ナンバーとなった。

  • 1996年 - オリジナルメンバーにより再結成し、世界ツアーを行い、来日した。海外の有名アーティストとしては異例の1か月間も掛けた、全国18公演を行っている。
  • 2002年 - 夏に2回目の再結成、イギリスとアメリカで2公演を行う
  • 2003年 - 夏に、アメリカツアーを行う。
  • 2006年 - ロックの殿堂入りを果たすが、本人達は受賞を拒否した。
  • 2007年 - 11月に4回目の再結成を行い、ワールドツアーを展開。
  • 2008年 - サマーソニックに出演。

[編集] 来日公演

[編集] メンバー

[編集] ディスコグラフィー

[編集] シングル

  • アナーキー・イン・ザ・UK / アイ・ワナ・ビー・ミー (Anarchy In the U.K. / I Wanna Be Me)
  • ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン / ディド・ユー・ノー・ロング (God Save the Queen / Did You No Wrong)
  • プリティ・ヴェイカント / ノー・ファン (Pretty Vacant / No Fun)
  • さらばベルリンの陽 / サテライト (Holidays In the Sun / Satellite)

[編集] アルバム

[編集] スタジオ・アルバム

[編集] ライブ・アルバム

  • Anarchy in the UK: Live at the 76 Club (1985年)

[編集] 企画盤

  • Spunk (ブートレグ-1977年、オフィシャル-2006年)
  • Some Product: Carri on Sex Pistols (1979年)
  • Flogging a Dead Horse (1980年)
  • Kiss This (1992年)
  • Jubilee (2002年)
  • Sex Pistols Box Set (2002年)
  • Agents of Anarchy (2008年)

[編集] DVD

  • ノー・フューチャー(2000年、バンドのドキュメント)
  • クラシック・アルバムズ:勝手にしやがれ(2002年、レコーディングのドキュメント)
  • 勝手にやったぜ!!(2008年、ライブDVD)