マイ・ウェイ

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マイ・ウェイ
フランク・シナトラ楽曲
リリース 1969年
録音 1968年12月30日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ロサンゼルス
ジャンル ポピュラー音楽
時間 4分35秒
作詞者 ポール・アンカ
作曲者 クロード・フランソワ
ジャック・ルヴォー
プロデュース ソニー・バーク
チャート順位

27位(アメリカ)/ 5位(イギリス

マイ・ウェイ」(英語My Way)は、フランク・シナトラポピュラー・ソング。作詞はポール・アンカ、作曲はクロード・フランソワジャック・ルヴォー英語版。原曲は1967年のフランス語の歌「Comme d'habitude」(作詞:クロード・フランソワ、ジル・ティボ 作曲:クロード・フランソワ、ジャック・ルヴォー)であり、ポール・アンカが書いた詞の内容は原曲の内容とは無関係である。「マイ・ウェイ」は、カバーされた回数が史上第2位の曲(第1位はビートルズの「イエスタデイ」)だと言われている。[1]

テーマ[編集]

「マイ・ウェイ」の歌詞は、死が近い男性が語っている内容である。男性は自分の人生で起こったすべての苦難に対して行ったことについて、後悔せず自信を持っている。

解説[編集]

ポール・アンカは、1967年のフランス人歌手クロード・フランソワのシャンソン「Comme d'habitude」を、南フランスで休暇中に聞いて、曲の権利を交渉するためにパリへ向かった[2]。2007年のインタビューでは、「いまいちのレコードだと思ったけど、何かを感じた」と語っている[3]。そして交渉後に無償で権利を得た[4]。2年後にフロリダでフランク・シナトラと食事をした際、シナトラが「仕事は終わっているし、地獄から抜けるのにもううんざりだ[3]」と語った。

アンカはニューヨークへ戻ってから、元のフランス語の曲のメロディーを微妙に変更して、シナトラのために歌詞を書いた。

「いつかの朝、IBM製の古い電動タイプライターの前に座ったときに『もしフランクにこの書いた詞を渡したら、彼は何て言うだろう?』と思いながら『今終わりが近い・・・』と始めた。雑誌をたくさん読んでいると、すべてが『俺のこれ (my this)』、『俺のあれ (my that)』であることに気づいた。僕らはフランクのことがまさに『俺の世代 (my generation)』だと思った。僕はいつもは使わない言葉だけど、彼が話した内容を『食いつくし、吐き出した』。僕はラットパックの奴ら、自分の影に怯えているにもかかわらずマフィアのように話すのが好きな連中と蒸し風呂のまわりにいたものだった。」

アンカは朝5時に曲を作り終え、「フランクにネバダへ呼ばれた。彼はシーザーズ・パレスに居て、『お前のために特別だよ』と語った。[3]」アンカはさらに語っている。「僕のレコード会社は、僕が自分自身のために曲をつくったのでないことを知ると怒った。でも僕は『ね、僕はこの曲を書くことはできるけど、この曲を歌う人ではないよ』と言った。この曲を歌うのは他の誰でもなく、フランクこそふさわしい。[3]」なお、アンカはシナトラが録音した直後の1969年にこの曲を録音しており、1996年には映画『マッド・ドッグス』でガブリエル・バーンとのデュエットを、2007年にはジョン・ボン・ジョヴィとのデュエットを発表している[5]

フランク・シナトラのバージョンは1968年12月30日に録音され、1969年のはじめに発売された。アメリカでは27位を記録し、イギリスでは40位以内に75週間も滞在(1969年4月から1971年9月まで)する、とてつもない記録をつくった。75位以内ではさらに49週間も滞在したが、最高位は最初にランクされた5位止まりだった[6]

カバー[編集]

ドロシー・スクワイアのカバー[編集]

全英シングルチャートでシナトラの記録が続く中、ウェールズの歌手ドロシー・スクワイアが1970年9月に「マイ・ウェイ」を発表した。彼女のレコードは全英シングルチャートで10位を記録した。

エルヴィス・プレスリーのカバー[編集]

エルヴィス・プレスリーは、1970年代半ばからコンサートでこの曲を歌い始めた。1973年1月12日から14日にかけて、プレスリーは世界同時生中継番組「アロハ・フロム・ハワイ」でこの曲を歌い、その模様はインテルサットを介して43か国に中継され、特にヨーロッパではゴールデンタイムだった。なお、アメリカ本土では4月14日のゴールデンタイムにNBCから放送され、全部で世界の10億の人々が視聴者した。

彼の死の数週間後である1977年10月3日、「マイ・ウェイ」のライブ・バージョン(1977年6月21日のCBSの特別番組「Elvis In Concert」の録音)のシングルが発売された。アメリカのビルボード・ホット100ではフランク・シナトラ・バージョンを上回る22位を記録し、ビルボード・アダルト・コンテンポラリ・チャートでは 6位となり、50万枚の売上を記録してゴールド認定された。翌年には、ビルボード・カントリー・シングル・チャートで 2位を記録したのに対し、キャッシュボックスのカントリー・シングル・チャートでは 1位を記録した。イギリスでは、全英シングルチャートで 9位記録した。

1971年6月10日にナッシュビルのRCAスタジオBでエルヴィスはこの曲を録音したが、ヴォーカルの重ね録音をしている時に女性バックコーラスに対してエルヴィスは怒り「50回もこの曲やってきたのに、お前達はまだ自分のパートがわかってないじゃないか」と言ってマイクを放り出しスタジオを出て行ってしまい[7]、それがナッシュビルのRCAスタジオBでの最後の録音になってしまった。 この録音は1995年に発売されたボックス・セット「ウォーク・ア・マイル・イン・マイ・シューズ ジ・エッセンシャル70’Sマスターズ」で、発表されるまでお蔵入りしていた。

シド・ヴィシャスのカバー[編集]

セックス・ピストルズベーシストであるシド・ヴィシャスが、この曲のパンク・ロック・バージョンを発表している。ヴィシャスは歌詞をすべては覚えていなかったため、録音するとき即興の詞を入れている。歌詞が大幅に変更され、スピードアップされている。1978年にイギリスのチャートで 8位を記録した。オーケストラの伴奏は、サイモン・ジェフスがアレンジしている。このバージョンは、ヴィシャスの没後の1979年12月にリリースされたアルバム『シド・シングス』にも収録された。

2007年のインタビューでポール・アンカが「セックス・ピストルズのバージョンは不安定だけど、興味はあった。でも、僕は彼(ヴィシャス)の誠実さを感じたね」と語った[3]

ヴィシャスのカバー・バージョンは映画『グッドフェローズ』で再生されている。映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』には、元々ヴィシャスが観客に発砲して2人の観客が席に沈んで死んでいき、そしてシドはにやついて銃を捨て、観客にV字をみせてステージへの階段をのぼっていく映像があった。監督のジュリアン・テンプルは、元の暴力的な映像を削除し、1950年代からストックされた映像に置き換えた。検閲後のバージョンでは、単に観客へ激しく銃を撃つシドを示すのみで、弾丸や死体の映像はすべて削除された。ミュージックビデオは、アレックス・コックス監督の映画『シド・アンド・ナンシー』でシド(ゲイリー・オールドマン)がガールフレンドのナンシー・スパンゲンクロエ・ウェブ)を殺害する様子を描いている。しかし、映画の中では、彼女は起きて2人で抱き合ったまま照明は消えていく。

その他のカバー[編集]

  • ブルック・ベントンの1970年のバージョンは、ポップ、R&B、イージーリスニング・チャートでヒットした。
  • シャーリー・バッシーは1970年のアルバム『Something』にこの曲を収録している。彼女は1976年のロイヤル・ヴァラエティー・パフォーマンスなど、様々なライヴで演奏した。シナトラが亡くなった数週間後となる1998年、バッシーは彼女のダイモンド・コンサート・ツアーでシナトラへのトリビュートとしてこの曲を歌った。
  • ニーナ・シモンは1971年のアルバム『Here Comes the Sun』に収録されたこの曲のアレンジ・バージョンで成功した。よりアップビートでメロディアスな、コンガドラムを加えたバージョンであり、彼女のライヴ・コンサートで定番の曲となった。
  • 尾崎紀世彦は、1972年のアルバム『KIEYO'72/尾崎紀世彦アルバムNo.5』(英語詞)・『KIEYO in PERSON 尾崎紀世彦オン・ステージ』(岩谷時子による日本語詞)でカバー、『尾崎紀世彦の世界』他にも収録されている。
  • 日本語の訳詞は岩谷時子をはじめ、何種類かのバージョンがある。日本の歌手である布施明の日本語によるカバーは1972年にシングルとして発売され、その後「NHK紅白歌合戦」でこの曲を3回歌っている(1972年、2004年、2009年)。
  • 藤圭子がCD『Pops Collection』に収めている。
  • イタリア語バージョンである「La Mia Via」は、1975年にフレッド・ボンガストが録音している。ボビー・ソロが録音したバージョンは「La Mia Strada」である。
  • レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラなどフランスのイージー・リスニング大楽団もこの曲を録音している。
  • ニーナ・ハーゲンは1980年「マイ・ウェイ」のシングルを発売した。
  • U2は1992年から1993年の「Zoo TV ツアー」で「ウルトラ・ヴァイオレット」のエンディングで「マイ・ウェイ」を演奏していた。
  • アルゼンチンのロックスターであるアンドレ・カラマロは、「マイ・ウェイ」のレゲエ・バージョンをアルバム『Las otras caras de Alta Suciedad』に収録している。
  • ウクライナのロックバンドであるオケアン・エリズィは、ツアーでこの曲を彼らが唯一演奏する英語曲として演奏する。
  • フランスのバンドであるミューティレーションが演奏するブラックメタル・バージョンは、アルバム『From the Entrails to the Dirt』に収録されている。
  • CHARAは1996年のYEN TOWN BANDのアルバム『MONTAGE』でこの曲を歌っている。
  • メキシコ人歌手のヴィセンテ・フェルナンデスのスペイン語バージョンの曲名は「Mi Manera」である。ジプシー・キングスによる「Mi Manera」のカバーは、2001年の日本のテレビドラマ「バブル」の主題歌だった。
  • J-POP歌手の小柳ゆきのカバーは、2003年のアルバム『KOYANAGI the COVERS PRODUCT 2』に収録されている[8]
  • J-POP歌手の中島美嘉は、ヴィシャス・バージョンのカバーを映画『NANA2』で歌い、2006年のアルバム『THE END』に収録している。この曲を含めた『THE END』のクレジットは、Nana starring Mika Nakashima である。
  • フィンランドのシンフォニックメタルグループであるノーザ・キングスは、2008年11月19日のアルバム『Rethroned』にこの曲のカバーを収録している。
  • ドイツのユーロディスコアーティストのファンシーのカバーは、2008年のアルバム『Forever Magic』に収録されている。
  • ザ・ポーグスシェイン・マガウアンがパンク風にカバーし、全英シングルチャートで29位を記録した。彼のバージョンは、ナイキのコマーシャルで使用された。
  • パティ・オースティンのカバーは、2011年のアルバム『Sound Advice』に収録されている。
  • ジャッキー・チェンは2011年4月17日の第30回香港映画賞で、この曲を演奏した。
  • BLANKEY JET CITYがサビ部分のみ(1分も満たない)を日本語詞(中島淳:訳詞)で演奏され、「SONY WALKMAN」のCMタイアップに使用された。当初は懸賞商品のCDにのみ収録され非売品であったが、解散してから後にリリースされたベストアルバムに収録されている。
  • ロビー・ウィリアムズは、2011年10月10日にロイヤル・アルバート・ホールで「マイ・ウェイ」を演奏、DVD『Live At The Albert』に収録されている。

文化[編集]

トリビュート[編集]

歌への影響[編集]

  • ボン・ジョヴィの「イッツ・マイ・ライフ」(のちにポール・アンカが『Rock Swings』でカバー)のコーラス部分の詞は、「Like Frankie said, I did it my way」(フランキーみたいに、わが道を行け)である。
  • ポップデュオのスパークスは、「When Do I Get to Sing My Way」という曲を1994年のアルバム『Gratuitous Sax & Senseless Violins』に収録している。
  • ラッパーのJay-Zは、この曲について何度も言及している。アルバム『The Blueprint 2』に、この曲をサンプリングした「I Did It My Way」を収録している。

ポップカルチャーへの影響[編集]

その他[編集]

  • 日本では卒業式で歌われる曲(いわゆる卒業ソング)の一つとして知られている。

脚注[編集]

  1. ^ 映画「最後のマイ・ウェイ」の宣材資料より
  2. ^ http://music.guardian.co.uk/vinylword/story/0,,2129407,00.html How Sinatra did it My Way - via a French pop star and a Canadian lounge act
  3. ^ a b c d e McCormick, Neil (2007年11月8日). “Daily Telegraph interview, 8 November 2007”. The Daily Telegraph (London). http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2007/11/08/bmanka108.xml 2010年5月19日閲覧。 
  4. ^ Paul Anka, "With Paul Anka, 'Rock Swings', Part Two", interviewed on Fresh Air, WHYY, 10 August 2005
  5. ^ Paul Anka: Classic Songs My Way. Progressive Songs Online. disk union. 2007年11月21日.
  6. ^ http://www.everyhit.com/record6.html
  7. ^ エルヴィス伝―復活後の軌跡1958-1977 456P
  8. ^ WARNER MUSIC JAPAN. “KOYANAGI the COVERS PRODUCT 2”. 2011年5月20日閲覧。
  9. ^ My Way tops funeral charts - An article in The Guardian
  10. ^ Utton, Dominic (2009年3月28日). “My Way: The story behind the song”. Daily Express. London: Northern and Shell Media Publications. 2009年7月11日閲覧。 “'Meanwhile in the Philippines My Way is so popular at karaoke bars that it has been declared responsible for a number of deaths after arguments over performances degenerated into violence - a social phenomenon referred to by the Philippine media as "My Way killings".'”
  11. ^ Onishi, Norimitsu (2010年2月6日). “Sinatra Song Often Strikes Deadly Chord”. New York Times (New York: New York Times). http://www.nytimes.com/2010/02/07/world/asia/07karaoke.html 2010年2月9日閲覧. "'Whatever the reason, many karaoke bars have removed the song from their playbooks. And the country's many Sinatra lovers... are practicing self-censorship out of perceived self-preservation.'"