44MAGNUM
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| 44MAGNUM(フォーティフォーマグナム) | |
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ハードロック ヘヴィメタル |
| 活動期間 | 1977年 - 1989年 2002年 - |
| 公式サイト | 44MAGNUM OFFICIAL SITE |
| メンバー | |
| 梅原“PAUL”達也(ヴォーカル) 広瀬“JIMMY”さとし(ギター) 吉川“BAN”裕規(ベース) 宮脇“JOE”知史(ドラム) |
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| 旧メンバー | |
| 永森晃(ギター) 田中タカ(ベース) 前元博文(ドラムス) 伊賀照幸(ドラムス) |
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44MAGNUM(フォーティフォーマグナム、1977年 - 1989年)は、日本のヘヴィメタル・ロックバンドである。
目次 |
[編集] 概要
ジャパニーズヘヴィメタル、ヴィジュアル系の先駆けと言えるバンドで影響を受けたバンドの数は多い(X-JAPAN、D`ERLANGER等)。特にD'ERLANGERのギタリスト瀧川一郎とドラマーの菊地哲と元リアクション~グランド・スラムの加藤純也は、44MAGNUMのローディーとして働いており、瀧川は広瀬に弟子入りし、菊地は宮脇に弟子入りしていたことはファンの間でも有名である。
1977年 PAUL(梅原達也 / ボーカル)によって結成される。1979年、ギターのJimmyが加入。今のバンドの原型ができあがる。その後メンバーチェンジを繰り返しながら1983年にメジャーデビューした。
当時としては珍しく(1980年代は不良であろうがモヒカンのパンクスであろうが髪を金髪に染める行為は相当の覚悟がいる時代だった)、メンバー全員が髪を金髪に染め、派手なルックスは後のヴィジュアル系バンドやパンクバンドにも多大な影響を与えることになる。
1987年にレコード会社移籍と共にヘヴィメタルはもう古いとソフトロック路線に変更するが、ファンから猛烈なバッシングを喰らい、バンドの勢いは衰え、1988年にドラムの宮脇が脱退、1989年4月4日に解散してしまう。
解散後、活発に活動していたのは宮脇くらいのものだった(DIAMOND☆YUKAI(田所豊)→hide with Spread Beaver、ZIGGY、RIDER CHIPS)。
2002年に復活し、アルバム「IGNITION」をリリースしたが、ファン待望の44MAGNUMとしてのライブは開催されないまま(PAUL&JIMMYによる22MAGNUM名義でのイベント参加は行われた)、活動自体が徐々にフェイドアウトしてゆく。
2006年11月に大阪のライブハウス『バハマ』で行われたライブの中で、ボーカルの梅原達也は自分が若年性パーキンソン病患者である事を公表した。
2007年4月4日 公式HPにメンバー4人がコメントを載せ、再度の復活と本格的な活動を宣言。
10月13.14日に目黒鹿鳴館にてライブを開催予定していたが、事務所とのマネージメント契約が突如解除される等した為、寸前まで開催を不安視する意見が多かった。また宮脇のライブスケジュールに44MAGNUMのライブが含まれていない事にも疑念の声が上がっていた。 その不安は的中し、結局この公演は中止となってしまった。
しかし翌年3月1日、前年の鹿鳴館公演の振り替えを兼ねた「関西なぐりこみGIG 2008」(中野サンプラザ)にてMARINO、アースシェイカーと競演、久々にオリジナルメンバーがステージ上で顔を揃えた。
[編集] メンバー
- 梅原“PAUL”達也(ボーカル)
- 広瀬“JIMMY”さとし(ギター)
- 吉川“BAN”裕規(ベース)
- 宮脇“JOE”知史(ドラマー 現ZIGGY)
[編集] 元メンバー
- 永森晃(ギター)
- 田中タカ(ベース)
- 前元博文(ドラムス)
- 伊賀照幸(ドラムス)
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アルバム
- DANGER (1983)
- STREET ROCK`N ROLLER (1984)
- THE LIVE (1984)
- ACTOR (1985)
- FOUR FIGURES(1985 布袋寅泰参加)
- LIVE ACT II (1986)
- LOVE or MONEY (1987)
- EMOTIONAL COLOR (1988)
- STILL ALIVE (1989)
- IGNITION (2002)
[編集] 楽曲提供
- ダンプ松本『Dump The Heel』『Trouble Maker』(アルバム『極悪』収録)
- いずれも作詞:Joe、作曲:Jimmy、編曲44MAGNUM

