村八分 (バンド)

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村八分
基本情報
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロックンロールパンクロックブルースロック
活動期間 1969年 - 1973年
メンバー
柴田和志ヴォーカル
山口冨士夫ギター
加藤義明ベース、ギター
エーイチベース
榊原敬吉ドラムス
旧メンバー
浅田哲 (ギター)
青木真一 (ベース)
恒田義見 (ドラムス)
上原裕 (ドラムス)
渡辺作郎 (ドラムス)
村瀬シゲト (ドラムス)

村八分(むらはちぶ)は、日本ロックバンドである。日本的な風情をもった攻撃的な楽曲を展開する。ドラムがずれようがおかまいなしに突き進み、時には客と喧嘩し、音源の発表よりもライブにこだわりつづけた。ヴォーカルのステージ上でのダンスや挑発的ながらユーモラスなMC、美声とは程遠いがなり声、「かたわ」「めくら」「びっこ」など現在では差別用語と言われるような過激な表現の歌詞など、アンダーグラウンドな雰囲気が漂う。評論家の小野島大によれば、村八分の名前と楽曲はNHKの放送自粛対象に指定されている。

メンバー[編集]

初期メンバー[編集]

柴田和志(1950年5月6日 - 1994年4月25日
ヴォーカル担当。通称チャー坊。
山口冨士夫1949年8月10日 - 2013年8月14日
ギター担当。元ザ・ダイナマイツ。1980年に裸のラリーズに参加。1987年に青木真一とティアドロップスを結成。
浅田哲(1950年12月15日 - 2000年8月17日
ギター担当。チャー坊の友人で、村八分加入前ははしだのりひことバンドをやっていた。1973年2月頃脱退。
青木真一1951年 - 2014年12月18日
ベース担当。1971年脱退。
1976年SPEEDを結成、1980年代後半まで東京ロッカーズシーンで活動。後にフールズ、ティアドロップスのメンバーとしても活躍。
恒田義見
ドラムス担当。

途中加入メンバー[編集]

上原裕
ドラムス担当(2代目)。1972年脱退。後にシュガー・ベイブ、沢田研二のエキゾチックス、忌野清志郎のラフィータフィーなどで活躍。
渡辺作郎
ドラムス担当(3代目)。通称カント。
加藤義明
ベース → ギター担当(2代目)。1972年8月加入。
エーイチ
ベース担当(3代目)。
村瀬シゲト
ドラムス担当(4代目)。
榊原敬吉
ドラムス担当(5代目)。通称、ボーヤ。日本画家、榊原紫峰の孫。

歴史[編集]

  • 1969年、アメリカ放浪から帰国した柴田和志と、ザ・ダイナマイツを解散したばかりだった山口冨士夫を中心に京都で結成。柴田による京都弁そのままの扇動的MCなど強力なインパクトで、関西を中心に人気を得ていく。
  • 1972年11月23日、慶應義塾大学三田祭野外ステージでコンサート(後年、この音源はCD化されている)。
  • 1973年5月5日京都大学西部講堂でコンサート。同年このライブを収録した唯一のオリジナルアルバム『ライブ』を発表。
  • 1973年8月25日、解散。
  • 1979年7月15日、京都大学西部講堂で再結成コンサート。柴田は本格的な再結成を望んでいたが、他のメンバーは賛同せず、この再結成は数回のコンサートのみとなる。
  • 1990年11月23日、柴田が「村八分」を名乗り京大でコンサート。以降、柴田は断続的に「村八分」として活動する(ただし、柴田以外の以前のメンバーは一切参加しておらず、また、柴田以外のバンドメンバーはその時々によって異なり、実質的には柴田のソロ活動的な色彩が強かった。また、メンバーが固定していなかったことや、この時期、柴田の状態がかなり不安定であったこともあって、その演奏は、時々でかなりムラがあった。山口冨士夫は同時期、何度かバンドへの復帰を誘われ、柴田と話し合いを持ったこともあるが、結局復帰しなかった)。
  • 1994年、柴田和志が死去。
  • 2000年8月17日、ギターの浅田哲が食道癌で死去。
  • 2013年8月14日、山口冨士夫が死去。
  • 2014年12月18日、青木真一が死去。

エピソード[編集]

  • バンド結成のきっかけは、山口とサンフランシスコから帰国した柴田が、東京市ヶ谷で知り合い意気投合したこと[1]。柴田は元々ラリーズにベーシストとして加入する予定だった[1]。また、山口は初め石間秀樹(ex.ビーバーズ)とのツイン・ギターを構想していたが、石間が内田裕也フラワーズに加入したため、急遽柴田の幼馴染の浅田が参加することとなった[1]
  • 唯一の公式アルバム『ライブ』は、レコード会社「エレック」の倒産を直接の理由として廃盤になっていたが、86年にCDで再発されて以来、廃盤になることなく入手可能な状態が続いている。今までの『ライブ』のCDには以下のものがある。
    • 1986年盤:初CD化。だが、後半の数曲が収録されていなかった。1枚ものCD。
    • 1992年盤:「完全盤」としてVIVID SOUNDより発売。2枚組CD。
    • 2001年盤:『ライブ+1』としてGoodLovin'より発売。未発表曲「ゴミ箱のふた」が追加収録された。紙ジャケット仕様、1枚ものCD。
    • 2005年盤:GoodLovin'より発売された『村八分BOX』のDISC7・8として収録。オリジナル盤に忠実なミキシング・マスタリングが行われており、01年盤とはエコー感などがかなり異なって聴こえる。ELEC盤を完全復刻した紙ジャケット仕様、2枚組CD。
    • 2007年盤:"ELEC紙ジャケシリーズ"の復刻企画としてバップより発売。冒頭1曲目の、『ライブ』を代表する曲の1曲である「あッ!!」が(歌詞に問題があるために)収録されず、ファンから大きな反発を受ける。現在では生産中止であり、コレクターズアイテム化している。紙ジャケット仕様(01年盤と異なりLPの帯を復刻している)、2枚組CD。
  • 1971年のスタジオ録音を収録したミニ・アルバム『草臥れて』は、1991年に京都のウォーターゲーブルより最初に発売され、1994年にVIVIDより柴田の追悼盤として再発。さらに2007年、GoodLovin'より『くたびれて』として再発された。
  • ローリング・ストーンズのライブアルバム「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト」のミッドナイトランブラーの中で「カッチョイイー」と言う日本語らしき声が聞こえる。これは柴田の声であるという噂があるが、本人は明確に否定している。
  • ギタリストのCharセックス・ピストルズを聴いて「これ村八分と一緒じゃん」と発言したのは有名な話である(ちなみにピストルズは1976年デビュー)。
  • 『ライブ』の「のうみそ半分」はインストゥルメンタルで歌がないが、これは単に柴田が急に歌わなかったためで、実際には歌詞があるという。このように、他のライブでも歌わなかったり歌詞を突然変えることは日常茶飯事であった。
  • 大半の曲がギターから始まる。これは結成当初、山口以外の他のメンバーがプロとしての活動経験がほとんどなかったため、安定したリズムで演奏するための措置である。ただし山口と柴田はあえてプロではなくアマチュアのミュージシャンを加入させたという。
  • 1994年7月10日、京都大学西部講堂にて「ライヴ! フォーエバー・チャーボー」という柴田の追悼コンサートが行なわれ、ボ・ガンボスソウル・フラワー・ユニオン、裸のラリーズという豪華な顔ぶれが村八分の曲を演奏した。

作品[編集]

書籍[編集]

  • チャー坊遺稿集 1950〜1994(2002年12月、飛鳥新社) ※1992年の再結成ライブと1990年のセッションを収録したCD付
  • 村八分(2005年10月、K&Bパブリッシャーズ) ※「村八分BOX」から選曲したライブ音源を収録したCD付

シングル[編集]

  • Recorded Live '73(2000年10月18日)
    1. 鼻からちょうちん
    2. にげろ

アルバム[編集]

  • ライブ(1973年)
    • A面
      1. あッ!!
      2. 夢うつつ
      3. どうしようかな
      4. あくびして
    • B面
      1. 鼻からちょうちん
      2. 水たまり
      3. のうみそ半分
      4. 馬の骨
    • C面
      1. ねたのよい
      2. ぐにゃぐにゃ
      3. のびてぶぎー
      4. んッ!!
    • D面
      1. どこへ行く
      2. にげろ
      3. どうしようかな
      4. 序曲
  • くたびれて(1991年4月) ※1971年のスタジオ録音を収録したミニ・アルバム
  • Live'72 -三田祭- (2000年10月24日)
  • UNDERGROUND TAPES〜1972KBS京都スタジオ・ライブ(2003年1月25日)
  • UNDERGROUND TAPES〜1973京都大学西部講堂(2003年1月25日)
  • UNDERGROUND TAPES〜1979京都大学西部講堂(2003年1月25日)
  • 村八分BOX(2005年11月21日) ※CD8枚+DVD1枚
    • <DISC 1>1971年3月31日 スタジオレコーディング(ミニ・アルバム「くたびれて」)のリマスタリング +1971年6月27日 日比谷野外音楽堂ほか
    • <DISC 2>1972年8月23日 京都円山野外音楽堂ライブ
    • <DISC 3>1972年11月11日 京都会館 ライブ
    • <DISC 4>1972年 京都ディスコ ガロ ライブ
    • <DISC 5>1973年 エレックスタジオ +72年 プライベートアコースティックテープ
    • <DISC 6>1979年5月6日 京都大学西部講堂
    • <DISC 7&8>1973年5月5日 京都大学西部講堂(エレックオリジナルLP「ライブ」レコード被せ帯付き初回盤を紙ジャケ完全復刻&リマスタリング)
    • <DISC 9>-DVD-1972年慶応大学三田祭CD発売時に特典用として配布された映像をまるごと全て収録し、後年発見された同日の映像も現存する限りノーカット収録、さらに発掘された16mm、8mmフィルムより、1971年日比谷野外音楽堂、1972年京都円山野外音楽堂でのライブ映像を収録
  • ぶっつぶせ!―1971北区公会堂Live―(2010年3月24日)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 山口冨士夫「SO WHAT」