ポーティスヘッド

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ポーティスヘッド
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド
ジャンル トリップホップ
ロック
サイケデリック
エレクトロニカ
活動期間 1991 - present
レーベル Go! Beat
公式サイト Official Site
メンバー
ベス・ギボンズ
ジェフ・バーロウ
エイドリアン・アトリー
  

ポーティスヘッド (Portishead) は、イギリスブリストルボーカルベス・ギボンズコンポーサージェフ・バーロウの2人で1991年に結成、後にギタリストエイドリアン・アトリーが加わり現在に至る。エイドリアンとジェフは1990年頃から二人で別のユニットとして音楽活動を行っていたが、そのときに作られた音源は最終的にポーティスヘッドのアルバムに使用される形となる。マッシヴ・アタックラムトリッキーなどと並んでブリストルが発祥の地と言われるトリップホップミュージックの先駆者として知られ、ファーストアルバム『ダミー』が350万枚、セカンドアルバム『ポーティスヘッド』が200万枚のセールスを記録し大ヒットとなった。

バンド名は、ジェフが生まれ育ったサマセットの田舎町ポーティスヘッドから取られている。メンバーは全員ブリストル出身ではなく、自分のやりたい音楽を実現するためにブリストルに集まった。

トリップホップというカテゴリーに入れられることを本人たちは相当嫌悪しており、「トリップホップはヒップホップの基本も理解していないような人間が作ったもの。トリップホップというカテゴリーに入れられて売られている音楽はすべてクズだと思うね。聴いてると嫌な気分になる」と、ヒップホップ・ミュージックから強い影響を受け育ったジェフは語っている。

[編集] 歴史

1991年

ブリストルでベス・ギボンズとジェフ・バーロウの2人が出会って結成。結成前はさまざまなブリストル出身のミュージシャンのレコーディングのアシスタントとして活躍していたジェフだったが、自分の作るトラックにメロディーを付けて歌ってくれるボーカリストを探していた。ベスはその頃、ブライアン・アダムスのカヴァーなどをパブで演奏して生活していた。ベスと出会ったジェフは、「こんな暗い音楽に歌をのせてくれる人がいるとは思わなかった」と感激し、レコーディングを開始。そして、ギタリストエイドリアン・アトリーをメンバーに加えて、ファーストアルバムの製作に乗り出す。ジェフとエイドリアンはポーティスヘッドが結成される以前から顔見知りの仲であったが、ベスとエイドリアンの面識はレコーディングが実際に始まるまでまったくなかった。エイドリアンは、ベスについて「彼女の人見知りは異常の域に達していた」とするも、次第にベスのシンガーとしての才能に気づき、互いに打ち解けていった。

1994年

ファーストアルバム『ダミー』を発売。イギリスのほとんどのミュージックアワードで年間ベスト・アルバムを受賞。一般紙はもちろんのこと、メジャー・インディーズ問わずに辛口批評をする雑誌等でも大絶賛される。ヨーロッパ・アメリカ、その他日本を始めとした世界各国で爆発的なセールスを記録し、100万枚以上を売り上げた(後に350万枚まで売り上げる)。これは、メンバーはもちろんレコード会社関係者の予想をも遥かに上回る数字だった。

同時期、『ザ・ベンズ』のリリースを控えたレディオヘッドのメンバーが、自分たちが次のアルバムでやろうとしていたことを完璧なまでに「ダミー」で表現され、歯ぎしりをしたというエピソードも残っている。(次作『OK コンピューター』においてレディオヘッドは実際にトリップホップに接近した。)

世間からの過剰なまでの歓迎、そして「この『ダミー』を超える作品は、彼らには作れないだろう」といった批評家からの言葉などがプレッシャーとなり、ポーティスヘッドは音楽制作を一時中断せざるを得なくなる。プロモーションインタビューで精神的にバランスを崩したベスは、今後一切のインタビューを断ると宣言。「彼女にボーカルを辞められたら困る」という理由で、インタビューにはジェフが応じるようになる。この間、トリッキーが無断でポーティスヘッドの曲をサンプリングして自らのトラックに使用し、両者間の関係が悪化するなどのトラブルもあった。

1997年

ニューヨークで世界中から記者を集め、大規模な復活ライブと記者会見を行う。記者会見になるとベスはその場から姿を消し、一言も喋らずに帰っていった。

そして、13ヶ月かけて製作したセカンドアルバム『ポーティスヘッド』をリリース。その後、世界ツアーを行う。ニューヨークで行われた、ニューヨーク・フィルハーモニックを従えて行ったライブは、ビデオとライブCDとして発売される(1998年、『Roseland NYC Live』をVHSとCDで発売)。このツアーには日本公演も含まれていたが、直前にベスが体調を崩して中止となってしまう。

ツアー終了後は長い充電期間に入り、単発的なライブやコンピレーションアルバムへの参加はするものの、ベスはソロで活動を開始し、ジェフやエイドリアンは他アーティストのプロデュース等に専念するようになり、ポーティスヘッドとしての本格的なリリースは10年近く封印されることとなる。その後、幾度かニューアルバム発売のアナウンスがあったものの、延期に次ぐ延期でリスナーを困惑させた。

2007年

12月、久しぶりにフルセットでのライブを行い、新曲を4曲披露。ニューアルバムのレコーディングはすでに終了したことを発表し、会場を沸かせた。

2008年

4月28日(日本では30日)、待望のサードアルバムとなる『サード』を発売することが決定。リリースに併せて、ヨーロッパツアーを開始することが決定。ヨーロッパの中でも、都市から離れた割と郊外にある小規模のライブ会場が多く選ばれた。アメリカ・オーストラリア・アジア等は今回のツアーに含まれず、年内のライブはもうやることはないだろうとの宣言がなされた。

「サード」発売時点のインタビューで、すでに次のアルバムは制作中であり、今回のように10年も待たせたりしないから楽しみに待っていて欲しいと発言。次回作の制作は順調に進行しているという。

[編集] ディスコグラフィー

アルバム

  • ダミー (1994年)
  • ポーティスヘッド (1997年)
  • ローズランド NYC LIVE (1998年)
  • サード(2008年)

ビデオ

  • ローズランド NYC LIVE VHS (1998年)
  • ローズランド NYC LIVE DVD(ボーナス映像としてPVを追加) (2004年)

[編集] 外部リンク