ポーティスヘッド
| ポーティスヘッド | |
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ロスキルド・フェスティバルにて(2011年)
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | トリップホップ エレクトロニカ エクスペリメンタル ローファイ |
| 活動期間 | 1991年 - 1999年 2005年 - |
| レーベル | Go! Beat |
| 共同作業者 | BEAK>, Beth Gibbons and Rustin Man |
| 公式サイト | Official Site |
| メンバー | |
| ベス・ギボンズ ジェフ・バーロウ エイドリアン・アトリー |
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ポーティスヘッド (Portishead) は、イギリスの音楽グループ。1991年にブリストルでボーカルのベス・ギボンズとコンポーサーのジェフ・バーロウによって結成され、後にギタリストのエイドリアン・アトリーが加わった。マッシヴ・アタック、ラム、トリッキーなどと並び、ブリストルを発祥の地とするトリップホップミュージックの先駆者として知られ、ファーストアルバム『ダミー』は350万枚、セカンドアルバム『ポーティスヘッド』は200万枚のセールスを記録する大ヒットとなった。
バンド名は、ジェフが生まれ育ったサマセットの田舎町ポーティスヘッドから取られている。メンバーは全員ブリストル出身ではなく、自分のやりたい音楽を実現するためにブリストルに集まった。
トリップホップというカテゴリーに入れられることを本人たちは嫌悪しており、「トリップホップはヒップホップの基本も理解していないような人間が作ったもの。トリップホップというカテゴリーに入れられて売られている音楽はすべてクズだと思うね。聴いてると嫌な気分になる」と、ヒップホップ・ミュージックから強い影響を受け育ったジェフは語っている。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 結成
1991年、ブリストルにてベス・ギボンズとジェフ・バーロウにより結成される。バンド結成以前、ジェフはブリストル出身のミュージシャンのレコーディングのアシスタントとして活動しながら、自分の作るトラックにメロディーを付けて歌ってくれるボーカリストを探していた。一方のベスはパブでブライアン・アダムスのカヴァーなどを演奏して生計をたてていた。ベスと出会ったジェフは、「こんな暗い音楽に歌をのせてくれる人がいるとは思わなかった」と感激し、レコーディングを開始。その後、ギタリストのエイドリアン・アトリーが加わり、ファーストアルバムの制作が開始された。ジェフとエイドリアンはポーティスヘッドが結成される以前から顔見知りの仲であったが、ベスとエイドリアンはレコーディングが開始されるまでまったく面識がなかった。エイドリアンは、当時のベスについて「彼女の人見知りは異常の域に達していた」と述べているが、次第に彼もベスのシンガーとしての才能に気づき、互いに打ち解けていった。
[編集] デビュー
1994年、ファーストアルバム『ダミー』を発表。イギリスのほとんどのミュージックアワードで年間ベスト・アルバムを受賞するなど、各賞を総なめにした。一般紙はもちろんのこと、メジャー・インディーズ問わずに辛口批評をする雑誌等でも大絶賛される。ヨーロッパ・アメリカ、その他日本を始めとした世界各国で爆発的なセールスを記録し、100万枚以上を売り上げた(後に350万枚まで売り上げる)。これは、メンバーはもちろんレコード会社関係者の予想をも遥かに上回る数字だった。
同時期、『ザ・ベンズ』のリリースを控えたレディオヘッドのメンバーが、自分たちが次のアルバムでやろうとしていたことを完璧なまでに「ダミー」で表現され、歯ぎしりをしたというエピソードも残っている。(次作『OK コンピューター』においてレディオヘッドは実際にトリップホップに接近した。)
世間からの過剰なまでの歓迎、そして「この『ダミー』を超える作品は、彼らには作れないだろう」といった批評家からの言葉などがプレッシャーとなり、ポーティスヘッドは音楽制作を一時中断せざるを得なくなる。プロモーションやインタビューで精神的にバランスを崩したベスは、今後一切のインタビューを断ると宣言。「彼女にボーカルを辞められたら困る」という理由で、インタビューにはジェフが応じるようになる。この間、トリッキーが無断でポーティスヘッドの曲をサンプリングして自らのトラックに使用し、両者間の関係が悪化するなどのトラブルもあった。
[編集] セカンド・アルバムと活動休止
1997年、ニューヨークで世界中から記者を集め、大規模な復活ライブと記者会見を行う。記者会見になるとベスはその場から姿を消し、一言も喋らずに帰っていった。
そして、13ヶ月かけて製作された3年ぶりのセカンドアルバム『ポーティスヘッド』をリリース。本作も大ヒットを記録し、アルバムは全英アルバムチャートで2位、Billboard 200で21位を記録(後に200万枚を売り上げる)。その後、世界ツアーを行う。ニューヨークで行われた、ニューヨーク・フィルハーモニックを従えて行ったライブは、ビデオとライブCDとして発売される(1998年、『Roseland NYC Live』をVHSとCDで発売)。このツアーには日本公演も含まれていたが、直前にベスが体調を崩したことにより中止となった。
ツアー終了後は長い充電期間に入り、単発的なライブやコンピレーションアルバムへの参加はあったものの、ベスはソロ活動を開始し、ジェフやエイドリアンは他アーティストのプロデュース等に専念するようになり、ポーティスヘッドとしての活動は凍結状態となった。
[編集] 活動再開から現在
- 2005年
活動を再開し、3枚目のアルバムの制作に着手したことを発表[1]。
- 2007年
12月、久しぶりにフルセットでのライブを行い、新曲を4曲披露。ニューアルバムのレコーディングはすでに終了したことを発表し、会場を沸かせた。
- 2008年
4月28日(日本では30日)、実に11年ぶりとなるサードアルバム『サード』を発売。リリースに併せてヨーロッパツアーが開始され[2]、都市部を避け郊外にある小規模の会場でライヴが行われた。その後、バンド側はアルバムをサポートする大規模なツアーは行わないことを表明し、アメリカ・オーストラリア・アジア等でのライヴは行われなかった[3][4]。
- 2009年
同年秋、新作の制作を開始したことが明らかにされる[5]。
12月10日、新曲『Chasing The Tear』がリリースされる。このシングルは国際人権団体アムネスティ・インターナショナルから配信され、収益などはすべて同団体に帰属することになった[6]。
- 2010年
ジェフ・バーロウがインタビューで同年夏にも新作アルバムのレコーディングを開始する予定であると述べる[7]。しかし、同年秋には新作のレコーディング開始は翌年であると報じられた[8]。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アルバム
- ダミー (1994年)
- ポーティスヘッド (1997年)
- ローズランド NYC LIVE (1998年)
- サード(2008年)
[編集] ビデオ
- ローズランド NYC LIVE VHS (1998年)
- ローズランド NYC LIVE DVD(ボーナス映像としてPVを追加) (2004年)