ブライアン・アダムス
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| ブライアン・アダムス | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | Bryan Guy Adams |
| 出生 | 1959年11月5日(49歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック |
| 職業 | シンガーソングライター |
| 担当楽器 | ボーカル、ギター |
| 活動期間 | 1978年 - 現在 |
| レーベル | A&Mレコード |
| 公式サイト | www.bryanadams.com |
ブライアン・アダムス(Bryan Adams OC, 1959年11月5日 - )は、カナダオンタリオ州キングストン出身のミュージシャン・歌手、作曲家、作詞家。
カメラマンとしても活動しており、雑誌などでその腕前を披露している。ベジタリアンでもある。
目次 |
[編集] 経歴
10代で音楽活動を始め、19歳でA&Mレコードとソングライターとして契約。すぐにシンガーとしても契約を結ぶ。
1980年2月、1枚目のアルバム『ギヴ・ミー・ユア・ラヴ』、1981年6月に2枚目のアルバム『ジェラシー』を発表。1983年1月に発表された3枚目のアルバム『カッツ・ライク・ア・ナイフ』が全米アルバムチャート8位(全英21位)となる。このアルバムからシングル「フロム・ザ・ハート」が全米チャート10位(全英51位)、「カッツ・ライク・ア・ナイフ」が全米チャート15位(カナダ12位)、「ディス・タイム」が全米チャート24位(カナダ32位、全英41位)を記録する。
1984年にリリースされた4枚目のアルバム『レックレス』が世界的大ヒット。年間チャートでもブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に次ぐ2位を記録。その中のシングル「ヘヴン」が自身初のシングルチャート(ビルボード)全米ナンバーワンとなる(カナダ11位、全英38位)。このほかにもこのアルバムから「ラン・トゥ・ユー」「サムバディ」「想い出のサマー」「イッツ・オンリー・ラヴ」がシングルカットされヒットした。
1987年に5枚目のアルバム『イントゥ・ザ・ファイヤー』をリリース。前作ほどではないものの全米7位、全英10位と好調なセールスを記録。
1989年に、クリント・イーストウッド主演の映画『ピンク・キャデラック』で劇中曲の作詞を担当。これが縁で、イーストウッド演じる主人公がリノに向かう途中に寄るガソリンスタンドの従業員の役でカメオ出演した。
1991年に4年ぶりのオリジナルアルバムとなる『ウェイキング・アップ・ザ・ネイバーズ』を発売、全米チャート6位と前作を超えるセールスを記録する。また全英では初の1位を獲得し、同時に初めてイギリスでのランクがアメリカを上回り(必ずしもセールス枚数が上回ったわけではない)、後にアメリカとイギリスにおいて人気が逆転する嚆矢ともなった。
このアルバムに収録された「アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー」は映画『ロビン・フッド』のテーマソングとなり、全米チャート7週連続で1位を獲得し、年間ランキングでも1位となる記録的大ヒットとなった。全英では1位を16週連続で獲得してギネスブックに最長連続1位として登録され、スウェーデンとオランダで11週連続、カナダでは39週連続で1位を記録したほかドイツ、ベルギー、オーストリア、スイス、フィンランド、ノルウェー、デンマークのチャートを制覇した。
1993年、ロッド・スチュワート、スティングと「オール・フォー・ラヴ」をリリース。これは映画『三銃士』のテーマ曲となったことにちなんで、3人で「三銃士」を結成したもので、全米チャート1位(全英2位)となる。同年、ベストアルバム『ソー・ファー・ソー・グッド』を発売。全米6位、全英1位。
映画のテーマソングでバラードを歌い、ヒット曲を量産したブライアンであったが、いつしかバラードシンガーとの見方が定着した。それに抗うかのように1996年、5年ぶりとなるオリジナルアルバム『18 TIL I DIE』をリリース。「死ぬまで18歳」という意味のこのアルバムはロックを前面に出したアルバムであったが、アメリカのオーディエンスとのイメージのずれが大きくなったのか、アメリカ(と日本)ではヒットに結びつかず全米では最高31位に甘んじた。しかし一方全英では1位を獲得し、アメリカ(とアジア)とイギリス(と欧州)における人気は本作で完全に逆転した。また皮肉にも、このアルバムで最も売れたのはバラードの「リアリー・ラヴド・ア・ウーマン」(『ドンファン』の主題歌)である。
1997年にはライブアルバム『MTV アンプラグド』をリリース。これはアメリカの放送局MTVの人気番組MTVアンプラグドに出演した模様を収録したもので、タイトルが示す通りアコースティックサウンドを基調に、自身の過去曲を大胆にリアレンジした意欲作となった。指揮者のマイケル・ケイメンとの出会いも生まれ、シンプルでストレートなロックンローラー、映画の名バラード歌手、というイメージからの更なる転身を見せた。この作品で得た手応えが、ロック色を抑え良質なアコースティックアルバムに仕上げた次作『デイ・ライク・トゥデイ』(1998年)に結実する。しかし本作は全英では11位と健闘するものの全米では103位とこれまでになく低迷し、以後本人もイギリスをマーケットの中心に据えるようになる。また、このアルバムに収録されている曲、「ウエン・ユア・ゴーン」はイギリスの人気女性グループスパイス・ガールズのメンバー、メラニーCとのデュエット曲である。UKチャート3位をマークした。
英米での人気の逆転傾向を顕著に示したのが1999年発表のベストアルバム『ベスト・オブ・ミー/ブライアン・アダムス・ベスト2』で、この作品は欧州と日本では同年に発売され全英で12位を記録するものの、アメリカでの正式な発売は2002年であった。これは彼が本作を引っさげて数年がかりのワールドツアーを行ったので、アメリカでのリリースは米国ツアーとタイミングを合わせる形となっただめだが、この時期のインタビューで彼は「アメリカでは何をやっても売れない」とも発言している。これは、ロック色の強い『18 TIL I DIE』もアコースティック色の強い『デイ・ライク・トゥデイ』も不振にあえいだことを指している。
2002年にはドリームワークスのアニメ『スピリット』のサウンドトラックを発表する。映画の興行的な不振もあってさほどの話題にはならなかったが、本作は彼が初めて手がけたサウンドトラックで全米40位、全英8位を記録している。
2004年には久々のオリジナルアルバム『ルーム・サービス』をリリース。これは長期にわたったワールドツアーの中から生まれたアルバムで、すべての楽曲が世界各国のホテルの室内で録音されているユニークなアルバムである。また仕事の幅を越えて親交があり、前年に急逝したマイケル・ケイメンへの追悼の意も込められている。全英4位、全欧州で1位を記録している。
2005年はデビュー25周年にあたり、総括的ベストアルバム『アンソロジー』(2枚組)をリリースした。トータルキャリアの代表曲を網羅した内容にはなっているものの、ベストアルバムが乱発され気味なイメージもあって全米65位、全英30位となっている。
2008年には11枚目のオリジナルアルバム『11』をリリース。全11曲(日本盤は1曲ボーナストラックあり)、欧州11都市でプロモーションツアー11公演、と「11」尽くしの作品となった。カナダ、スイスで1位を獲得したほか、欧州全体では人気を呼んだ。
[編集] バンド・メンバー
アダムスはその長いキャリアのほぼ全てにおいて、レコーディング及びツアーのバンド・メンバーを変更していない。現在のラインナップはギターがキース・スコット、ドラムスがミッキー・カリー、ベースがノーム・フィッシャー、キーボードがガリー・ブレイト。1980年代初頭から1997年まではベースがデヴィッド・テイラー、キーボードがトミー・マンデル。ツアーによってはアダムス本人がヴォーカルとベースを兼ねることもある。
アダムス自身はドラム以外の全てのパートを自身も演奏することができ、アルバムでは彼の演奏するトラックと上記のメンバーの演奏するトラックが混在している。また多くのツアーにおいてアダムスはギタリスト兼ヴォーカリストである。フェンダー・ストラトキャスターを演奏することが多く、そのプレイ・スタイルは盟友のスコットにきわめて似ていて、どちらがどのパートを弾いているのか一聴しただけでは区別不能である。
スコットは1970年代後半にアダムスのバンドに参加してからは、ブライアン・フェリーやティナ・ターナーなどのサポートをした以外はほぼアダムスとの活動一本に絞っている。不動のバンド・メンバーの中でもスコットはアダムスの半身とも言うべき存在で、カリーから「僕たちはブライアンとキースのバックバンドさ」とからかわれることもある。メインとして使用しているのはフェンダー・ストラトキャスターである。特別速く指が動くというような派手さはないが、リフや音造りのセンスは抜群であり、アダムスのバックバンド一筋というその地味なキャリアにもかかわらず、多くのギタリストから一目置かれている職人である。
[編集] ディスコグラフィ
- ギヴ・ミー・ユア・ラヴ Bryan Adams(1980年)
- ジェラシー You Want It, You Got It(1981年)
- カッツ・ライク・ア・ナイフ Cuts Like a Knife(1983年)
- レックレス Reckless(1984年)
- イントゥ・ザ・ファイアー Into the Fire(1987年)
- LIVE! LIVE! LIVE! Live! Live! Live!(1989年)
- ウェイキング・アップ・ザ・ネイバーズ Waking Up the Neighbours(1991年)
- ソー・ファー・ソー・グッド So Far So Good(1993年)
- 18 TIL I DIE +1 18 Til I Die +1(1996年)
- MTV アンプラグド MTV Uuplugged(1997年)
- デイ・ライク・トゥデイ On a Day Like Today(1998年)
- ベスト・オブ・ミー/ブライアン・アダムス・ベスト2 The Best of Me(1999年)
- スピリット~オリジナル・サウンドトラック Spirit: Stallion of the Cimarron(2002年)
- ルーム・サービス Room Servive(2004年)
- アンソロジー Anthology(2005年)
- 11 11(2008年)
[編集] 日本公演
- 1983年 11月1日 渋谷公会堂、3日 日本青年館、4日 大阪御堂会館
- 1985年 10月27日 大阪城ホール、28日 大阪フェスティバルホール、30日・31日・11月1日 日本武道館
- 1988年 1月29日 横浜文化体育館、30日 静岡産業館、31日 名古屋レインボーホール、2月2日・3日 大阪城ホール、5日・6日・7日・9日・10日 日本武道館
- 1989年 12月31日 東京ドーム(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースと共催)
- 1990年 1月1日 東京ドーム(同上)
- 1992年 2月21日 仙台市体育館、23日 横浜アリーナ、25日 名古屋レインボーホール、27日 広島サンプラザ(風邪のため休演)、28日・29日 大阪城ホール、3月2日・3日・4日 代々木オリンピックプール、6日 日本武道館
- 1993年 2月8日 日本武道館
- 1994年 2月16日 大阪城ホール、18日・19日・20日 日本武道館
- 1997年 3月5日・6日 日本武道館、7日 名古屋レインボーホール、9日 マリンメッセ福岡、11日・12日 大阪城ホール、14日 横浜アリーナ、15日・16日 日本武道館
- 2000年 6月15日・16日 日本武道館、17日 名古屋市公会堂、19日 Zepp Fukuoka、20日・21日 大阪厚生年金会館
- 2005年 4月23日 日本武道館、25日 Zepp Osaka、26日 大阪厚生年金会館、27日 日本武道館

