モトリー・クルー
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| モトリー・クルー Mötley Crüe |
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|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ハードロック グラム・メタル |
| 活動期間 | 1981年~ |
| レーベル | モトリー・レコード Hip-O レコード エレクトラ・レコード |
| 公式サイト | motley.com |
| メンバー | |
| ヴィンス・ニール ニッキー・シックス トミー・リー ミック・マーズ |
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| 旧メンバー | |
| ジョン・コラビ ランディ・カスティロ サマンサ・マロニー |
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モトリー・クルー (Mötley Crüe) は、1981年にロサンゼルスで結成されたロックバンドである。結成以降、ロックシーンを数々のゴシップで騒がせている「セックス、ドラッグ&ロックンロール」を地で行くバンド。現在までに全米だけでアルバム総売り上げ2500万枚以上、全世界で5000万枚以上を売り上げている。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] デビューまで (1981-1982)
1981年、ロサンゼルスのクラブシーンで活動していたバンドLondonから脱退したベーシストのニッキー・シックスは、自らのバンドを結成するべくSuite19のドラマー、トミー・リーを誘い、さらに雑誌広告を見てWhite HorseやVendettaなどの多くのローカルバンドでプレイしていたギタリストのミック・マーズと連絡を取る。 ヴォーカリストにはRock Candyのヴィンス・ニール(トミーの高校時代の友人でもあった)をミックが気に入り、一度目のオーディションはすっぽかされたが二度目のオーディションを経て加入した。
バンド名はミックのアイデアMotley Wolfをニッキーが少し変えてMötley Crüeと決定。
4月には自主制作シングル「Stick Your Guns / Toast Of The Town」をリリース。 12月に同じく自主制作による1stアルバム「Too Fast For Love」を発表。 この頃からドラッグ、アルコール漬けの日々を送っており、デイヴィッド・リー・ロスやラットのスティーヴン・パーシー、ロビン・クロスビーらと共に自堕落なパーティを繰り広げていた。
[編集] LAメタルの旗手 (1983-1986)
1982年、メジャーレーベルのエレクトラと契約、7月に「Too Fast For Love」をリミックスしなおし再リリースした。 かつてのグラム・ロックのような派手なメイクにヘアスプレーで膨らませた髪、レザーのステージ衣装、ザクザクしたギターリフなど、彼らのスタイルは多くのフォロワーを生み出し「LAメタル」と呼ばれる一大ムーブメントとなった。
1983年5月、『USフェスティバル』にヴァン・ヘイレン、オジー・オズボーン、スコーピオンズらと共に出演。 同年9月、2ndアルバム「Shout At The Devil」を発表。 タイトル曲、ペンタグラムの描かれたアルバムジャケットから「彼らは悪魔主義だ」とPMRCから名指しで批判されたがバンドはこれを否定(ジャケットは後にメンバー4人の写真に変更)。 アルバムは全米チャート最高17位を記録、プラチナムを獲得した。
1984年8月、イギリスのドニントンで行われた『モンスターズ・オブ・ロック』にオープニング・アクトとして出演。
12月、ヴィンスが交通死亡事故をおこす。 自宅で開いたパーティーの途中、ハノイ・ロックスのドラマーラズルとともに足りなくなったアルコールを買いに出かけた途上、停車していた消防車を避けようとハンドルを切ったヴィンスの車がスリップ、中央分離帯を超え対向車線の車と正面衝突してしまった。
この事故により対向車の一般人二人は重傷を負い、ラズルは死亡。 ハノイ・ロックス解散の原因にもなった。 事故後、ヴィンスは自宅に引きこもり、後の裁判で賠償金270万ドル、30日間の禁固刑等の判決が下りた(入獄後、模範囚として刑期は18日間に短縮された)。
1985年6月、3rdアルバム「Theatre Of Pain」発表。全米チャート最高6位を記録しプラチナム獲得。 このアルバムより、バンド・ロゴはアルバム発表ごとに変わるようになった。 この頃よりデビュー前から手を染めていたドラッグ問題が深刻になる。特にニッキーのドラッグ中毒は深刻でヘロイン、コカイン等に金と時間を費やしていた。
[編集] 全盛期 (1987-1991)
1987年5月、4thアルバム「Girls, Girls, Girls」発表。メイクをやめ、ブームとなっていたLAメタルからいち早く脱却したこのアルバムは全米チャート最高2位を記録。
1988年、ニッキーがラットのロビン・クロスビー、ガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュらとのドラッグ・パーティーの途中、過剰摂取により心臓が一時停止してしまう。「ニッキーの代わりにベースを弾いた」と発言する人物も現れ(ニッキーは二人いた事件)裁判にもなる(当然バンド側が勝訴)。 この頃ニッキーはガンズ・アンド・ローゼスのアクセル・ローズを弟のように可愛がっていたが、後に二人の中は険悪となる(原因はヴィンスがガンズ・アンド・ローゼスのギタリスト、イジー・ストラドリンを誤解から殴ったことから発展した)。のちに和解した。
1989年8月、ボン・ジョヴィ、オジー・オズボーン、スキッド・ロウ、スコーピオンズらとともに当時のソビエト連邦首都モスクワで行われた『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』に参加。
9月にはメンバー全員がドラッグを絶ち、初めてシラフで制作された5thアルバム「Dr.Feelgood」を発表。エアロスミス、スキッド・ロウ、ブライアン・アダムスらがゲストとして参加したこのアルバムは遂に全米チャート第1位を記録し、アメリカだけで700万枚以上のセールスを記録した。
1991年8月、再び『モンスターズ・オブ・ロック』に出演。ヘッドライナーのAC/DC、この年に全米No1アルバム「Metallica」を発表していたメタリカの前の演奏だった。 この年10月に結成10周年を記念したベストアルバム「Decade Of Decadence」発表。全米チャート2位を記録。
[編集] 低迷期 (1992-2003)
1992年2月、ヴィンス・ニール解雇。表向きの理由はヴィンスがバンド活動よりも趣味であるカーレースに没頭したためとされたが、当時からニルヴァーナらグランジ勢によるヘヴィロックが音楽業界のメインストリームを席巻し始めたためのバンド側の音楽路線変更にヴィンスが従わなかったことによると噂された。 ヴィンスは不当解雇の裁判を起こし、両者の中は険悪となった。
ヴィンスの後任にはThe Screamのジョン・コラビが決定。
ヴィンスはソロ活動を始め、1993年4月に1stアルバム「Exposed」を発表。全米チャート13位を記録した。
1994年3月、メンバーチェンジ後初のアルバム(6thアルバム)「Mötley Crüe」を発表。全米チャート7位。 明らかな当時の音楽シーンを意識した路線の変更、また新ヴォーカリストのコラビのイメージ、声質がモトリーらしさに合わなかったために、なかなかの佳作にもかかわらず今作はすぐにチャートから姿を消した。しかし、ファンの間では本作を「Dr.Feelgood」に次ぐモトリーの最高傑作という声も多い。サウンドガーデンのキム・セイル は「彼らはこれを80年代に作るべきだった。」とコメントしている。
11月、再びドラッグに手を染め始めたトミーがドラッグの過剰摂取による緊急入院。
1997年1月、ヴィンス・ニールがバンドに復帰。6月に7thアルバム「Generation Swine」発表。全米チャート4位。
1998年よりエレクトラ・レコードを離れ、自らのレーベルモトリー・レコードを設立。 11月に2枚目のベストアルバム「Greatest Hits」をリリース。全米チャート20位。
1999年前年に妻である女優パメラ・アンダーソンへの暴行容疑で投獄されたトミーが脱退。 脱退後トミーは12月にMethod Of Mayhemなるヒップホップ色の強いソロアルバムをリリースした。
2000年トミーの後任に元オジー・オズボーン・バンドでプレイしていたランディ・カスティロを迎え、7月に8thアルバム「New Tatoo」を発表。が全米チャート41位と振るわなかった。
2001年バンドの自伝本、「The Dirt」発売。
2002年にランディ・カスティロが癌により死亡。ツアーには元ホールのサマンサ・マロニーが急遽参加した。
2003年ニッキーは元L.A.ガンズのトレイシー・ガンズとともにBrides Of Destructionを結成。3月に1stアルバム「Here Come The Brides」発表。がニッキーはツアー終了後に脱退。
[編集] オリジナル・メンバー再結成 (2004-)
2004年にトミーが復帰、2005年2月に3枚目のベストアルバム「Red White & Crue」をリリース。全米チャート6位。
2006年4月、ライブアルバム「Carnival Of Sins」をリリース。 9月にはエアロスミスと『ルート・オブ・イーブル・ツアー』で全米各所を廻る。
2007年ニッキーが1986年~1987年までのドラッグ中毒だった自身の日記「The Heroin Diaries : A Year In The Life Of A Shatterd Rock Star」を発表。同時にそのサウンドトラック「The Heroin Diaries Soundtrack」をSixx:A.M.なるバンドを結成しリリース。
2008年6月、8年ぶりとなる9thアルバム「Saints Of Los Angeles」リリース。オリジナルメンバーによるフルアルバムとしては、1997年発表の「Generation Swine」以来、実に11年ぶりとなるこのアルバムは、全米チャート最高4位に。 7月からバックチェリー、パパ・ローチらと共に全米主要都市をツアーする『クルー・フェス』を開催。
[編集] バンドメンバー
[編集] 全盛期及び現在のメンバー
- ヴィンス・ニール(Vince Neil, Vocals)
- ミック・マーズ(Mick Mars, Guitar)
- ニッキー・シックス(Nikki Sixx, Bass)
- トミー・リー(Tommy Lee, Drums)
[編集] 元メンバー
- ジョン・コラビ(Vocals)
- ランディ・カスティロ(Drums)
- サマンサ・マロニー(Drums、サポート、元ホール)
[編集] エピソード
- ニッキー編
- ある男が「バイクの事故を起こし、ベースが弾けなくなったニッキーの代わりに自分がベースを弾いた」と主張。印税を巡り、男が裁判所へ訴えた。
- ニッキーは、小学生の頃いじめられていて、上級生がニッキーを押し倒し、昼食代を渡すまで踏みつけにする、ということが7回あった後、もう許すまいと誓う。翌朝、ニッキーはアポロ13号の絵の付いた、金属製の弁当箱に石をいっぱい詰めて、学校に持参した。そして学校に着くや、その弁当箱を振り回し、いくつもの鼻が折れ、いくつもの頭がへこんで、そこら中に血が飛び散って、しまいには根っからのいじめっ子の頭に当たり、弁当箱は真っ二つになった。
- ヘロインの過剰摂取で、心臓が2分間停止した事がある。周りが慌てている最中、張本人のニッキーは幽体離脱していたが、救急車で運ばれる瞬間に、『誰かに足をつかまれるような感じがして、それに引っ張られて自分の体に復帰した』という。しかし、蘇生した直後、あまりの激痛により、また気を失う。次に目を覚ましたのは病院であり、そこに事情聴取に来ていた警察と口論になり、また失神。次に目を覚ました直後に病院を脱走。家に帰る。しかし、周りはニッキーが死んだと思っており、家に沢山のマスコミが駆けつけていたため、バレないように裏口から家に入る。そしてその光景がなんとも愉快だったニッキーが最初にしたことは留守番電話のメッセージを「やあ、こちらニッキー。死んじまったんで、家にはいません。」に変えることだった。そしてバスルームに行き、電話から鳴っている「やあ、こちらニッキー。死んじまったんで、家にはいません」というメッセージを聞きながら、ヘロインを打ち、また気絶。
[編集] ディスコグラフィー
詳細は「モトリー・クルーの作品」を参照
オリジナル・アルバム
- 77位 プラチナム (US)
- 1983年 『シャウト・アット・ザ・デヴィル』 Shout At The Devil
- 17位 4Xプラチナム (US)
- 1985年 『シアター・オブ・ペイン』 Theatre Of Pain
- 6位 4Xプラチナム (US) 36位(UK)
- 1987年 『ガールズ、ガールズ、ガールズ』 Girls, Girls, Girls
- 2位 4Xプラチナム (US) 14位(UK)
- 1989年 『ドクター・フィールグッド』 Dr. Feelgood
- 1位 7Xプラチナム (US) 4位(UK)
- 7位 ゴールド (US) 17位 (UK)
- 1997年 『ジェネレーション・スワイン』 Generation Swine
- 4位 ゴールド (US)
- 41位 (US)
- 2008年 『セインツ・オブ・ロスアンゼルス』 Saints Of Los Angeles
- 4位 ゴールド(US)
ベストアルバム
- 1991年 『デケイド・オブ・デカダンス』 Decade Of Decadence
- 2位 2Xプラチナム (US) 20位(UK)
- 1998年 『グレイテスト・ヒッツ』 Greatest Hits
- 20位 ゴールド (US)
- 2005年 『レッド・ホワイト&クルー』 Red White & Crue
- 6位 プラチナム (US)
ライブアルバム
- 1999年 『ライヴ・エンターテイメント・オア・デス』 Live:Entertainment Or Death
- 133位 (US)
- 2006年 『炎上ライヴ~罪への宴』 Carnival Of Sins
シングル
- Toast Of The Town (自主制作盤) [1981]
- Live Wire [1982]
- Looks That Kill [1984]
- Too Young To Fall In Love [1984]
- Smokin' In The Boys Room [1985]
- Home Sweet Home [1985]
- Girls,Girls,Girls [1987]
- Wild Side [1987]
- You're All I Need [1987]
- Dr.Feelgood [1989]
- Kickstart My Heart [1989]
- Without You [1990]
- Don't Go Away Mad (Just Go Away) [1990]
- Same Ol' Situation (S.O.S.) [1990]
- Primal Scream [1991]
- Anarchy In The U.K. (The Sex Pistols cover) [1991]
- Hooligan's Holiday [1994]
- Misunderstood [1994]
- Smoke The Sky [1994]
- Afraid [1997]
- Beauty [1997]
- Glitter [1997]
- Bitter Pill [1998]
- Enslaved [1999]
- Teaser [1999]
- Hell On High Heels [2000]
- New Tatoo [2000]
- If I Die Tomorrow [2005]
- Sick Love Song [2005]
- Saints Of Los Angeles [2008]
- Mutherfucker of the Year [2008]
[編集] 日本公演
- 7月7日~10日 中野サンプラザ、7月12日 渋谷公会堂、7月13日 名古屋市公会堂、7月15日 フェスティバルホール
- Theater of Pain Tourの一環として行われた。
- 12月13日 名古屋レインボーホール、12月14日 大阪城ホール、12月16日~18日 日本武道館
- Girls, Girls, Girls Tourの一環として行われた。
- 5月8日 大阪城ホール、5月11日 名古屋レインボーホール、5月12日 横浜アリーナ、5月14日~16日 日本武道館
- Dr. Feelgood Tourの一環として行われた。
- 10月3日 大阪城ホール、10月4日 広島郵便貯金ホール、10月5日 福岡サンパレス、10月7日 浦和市文化センター、10月8日 東京ベイNKホール、10月10日 仙台サンプラザ、10月11日 日本武道館
- 10月4日 福岡市民会館、10月5日,6日 Zepp Osaka、10月8日 Zepp Tokyo、10月9日 赤坂BLITZ、10月10日 仙台サンプラザ、10月11日 東京国際フォーラムホールA、10月13日 愛知厚生年金会館、10月15日 広島郵便貯金ホール
- Welcome To Freakshow
- トミー・リーの後任にランディ・カスティロを迎えての来日公演。
- 11月5日 東京ベイNKホール、11月6日 パシフィコ横浜国立大ホール、11月5日 東京厚生年金会館、11月8日 フェスティバルホール、11月10日 広島郵便貯金ホール、11月11日 Zepp Fukuoka、11月12日 名古屋市公会堂、 11月13日 アクトシティ浜松、11月15日 仙台サンプラザ、11月17日 北海道厚生年金会館、11月18日 岩手県民会館、11月19日 松本市文化会館
- Maximum Rock Tour
- ヘヴィメタル誌「BURRN!」の人気投票でのBORE部門に「モトリー・クルーのライブが短すぎる(一時間弱)」がランクインされた。ドラマーはサマンサ・マロニー。
- 11月19日,20日 さいたまスーパーアリーナ、11月21日 広島サンプラザ、11月23日 大阪城ホール、11月24日 マリンメッセ福岡、11月25日 愛知県体育館、11月27日 パシフィコ横浜国立大ホール
- Carnival of Sins Tour
- 10月19日 さいたまスーパーアリーナ
- LOUD PARK mmets CRUE FEST