アクセル・ローズ

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アクセル・ローズ
2010年に撮影されたアクセル・ローズ
2010年に撮影されたアクセル・ローズ
基本情報
出生名 William Bruce Bailey
出生 1962年2月6日(50歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国インディアナ州
ジャンル ハードロックヘヴィメタルLAメタル
職業 ミュージシャンシンガーソングライター
担当楽器 ピアノギターシンセサイザー
活動期間 1979年 - 現在
レーベル ゲフィン・レコード
共同作業者 ガンズ・アンド・ローゼズ
公式サイト http://www.gunsnroses.com/
アクセル・ローズ(2006年6月11日

アクセル・ローズ (W. Axl Rose, 本名:William Bruce Rose, 1962年2月6日 -)はアメリカロックバンドガンズ・アンド・ローゼズボーカリストである。インディアナ州ラファイエット出身。身長175cm。

"Axl Rose”という芸名は、後のガンズ・アンド・ローゼスのギタリストイジー・ストラドリンと組んだ最初のバンドである「A.X.L.」と、実父の名前の「ROSE」に由来する(現在は正式に改名)。

90年代初頭まで全盛を極めたあとは一時休眠状態にあったが、2001年頃より、再びガンズ・アンド・ローゼズとしてツアーを行ったり、アルバムをリリースしている。

目次

[編集] 性格

1980年代から1990年代初頭までの全盛期は、破天荒な問題児としてその悪名を轟かせた。コンサートなどを開始直前でキャンセルしたり、遅れて登場することも少なくない。その背景には、幼い頃に実の父親が家を出て行ってしまい、義理の父親からは身体的虐待、性的虐待を受けていたという過去があるとされ、常に精神が不安定で、人を極度に信用できなくなってしまったのはこういった暗いバックグラウンドがあるからであろうと言われている。元メンバーで、親友であったイジー・ストラドリンによると、有無を言わせないのように暴れたかと思えば、次の瞬間世界で一番優しい男になると言っており、不安定な一面もある。ライブ中にビデオ撮影をしていた客に殴りかかり、そのままステージをキャンセル。暴動が起きて逮捕されたこともある。また、自らのツアーでスラッシュのTシャツを着ていた客が気に食わないとわざわざ脱がせたこともある。

1992年、東京ドーム公演の来日時のエピソードとして、昼食に注文したステーキの焼き具合が指定のレアよりも火が通っていたと怒り出しシェフに皿を投げつけるも、その後に当公演ライブ映像収録の主任スタッフに涙を流しながらその事を謝罪する場面をコンサートスタッフらに目撃されている。またその後は元モデルでもある彼女(エリン)に慰めてもらっていたという情報もある。相次ぐメンバーとのトラブルや脱退、"Guns N' Roses"のバンド名の所有をめぐったメンバーとの法廷での泥仕合など、常に人間関係がうまくいかず独裁者的なイメージがある。

コンサートの開始はしばしば遅れる。数時間遅れもざらで、その殆どがアクセルの会場入りが遅れたため。ゲフィンとのデビュー契約時も、「コンタクトレンズが見つからない」という理由で遅刻[1]。ゲフィンの経営陣を2時間に渡って待たせた。最新アルバム『チャイニーズ・デモクラシー』の製作にも14年という年月を要している。

[編集] 音楽的特徴

スキャンダルばかりが目立つことが多いが、ボーカルは曲によって変幻自在で、高音ボイスから低音まで幅広く使い分ける。ソングライティングは「ノーヴェンバー・レイン」や「イストレインジド」といった長編バラードを得意とする。(「ノーヴェンバー・レイン」は15歳のときに作曲)また、コンサートではピアノの演奏も担当する。フレディ・マーキュリー追悼コンサートに出演しており、クイーンが最も尊敬するバンドの一つで、最高のアルバムは『クイーン II』と答えている。

歌は、聖歌隊で習った、と友人らに話している[2]

もともとはバリトンの普通の声で歌っていたが、あるとき、アクセルがシャワーを浴びながらナザレスの「ヘアー・オブ・ザ・ドッグ」を甲高い声で歌っているのをイジーと友人が聞きつけ、その特徴的な声で歌うように要請、これが特徴的な高音のはじまりとなった[3]

[編集] 来歴

RAPID FIRE
1984年1月 ROSE 1984年春 HOLLYWOOD ROSE
1984年10月-11月 L.A. GUNS
1985年1月 HOLLYWOOD ROSE (NEW)
1985年4月 GUNS AND ROSES

1984年インディアナからL.A.にヒッチハイクで移住。当時はビル・ベイリーと名乗っていた。ホームレス状態でバンド活動を続けていた。働いていたビデオ店(タワー・ビデオ)の階段下がねぐらだったり、彼女や友人の彼女、スラッシュの実家などを転々とした。バンドメンバーも極貧状態で、1985年にガンズ・アンド・ローゼズのオリジナルメンバーで行った自主ツアーでは、移動はヒッチハイク、食料は道の脇の畑で野菜を盗んで食べるなどして飢えをしのいでいた。ガンズ・アンド・ローゼズを結成してからは快進撃で、わずか数年の間にスターダムへと駆け上がった。

[編集] タトゥー

右腕
上 AXL ROSE
中 デビュー前に付き合っていたモニークという女性
下 ガンズ・アンド・ローゼズのクロス

左腕
上 ROCKER(3度ほど改造)
下 VICTORY OR DEATH(AXLの座右の銘ともなっている)

[編集] エピソード

1989年にはMTV関係の授賞式の楽屋で当時ガンズ・アンド・ローゼズに所属していたギタリストのイジー・ストラドリンヴィンス・ニールモトリー・クルーのヴォーカリスト)に殴られるという事件が起きた。理由は当時ヴィンスと一時的に別居していた妻が、とあるクラブでイジーを引っ掛けようとして振られた腹いせにヴィンスを差し向けたとの事。その後イジーとヴィンスは和解したが、アクセルは自分の一番の理解者であるイジーを傷つけられた事でヴィンスに大きな怒りを覚え、大変傷ついた様子。その後、何度かヴィンスに挑発的なコメントを投げかけていたが、ヴィンスから「テレビ中継の前で俺と喧嘩して決着を着けようぜ!!いつでも挑戦を受けてやる。」と言い聞かされ、さすがのアクセルも「身の危険を感じたので『新作のレコーディングで忙しいから無理』と言ってすぐに断った」と発言している。また、2006年のCNNでのインタビューの際にヴィンスは「それ以来俺はアクセルには会っていないし、現在は彼を殴ろうとは思っていない。」と発言している。また、イジーの発言を10数年に渡りノートに記録していたとされる。2000年あたりにアクセルがイジーに電話をかけた際、「1982年にお前(イジーの事)はこう言った!」とノートをめくりながらイジーに詰め寄ったと、イジーがアクセル・ローズ批評伝内で明かしている。

2008年11月23日に発売されたガンズ・アンド・ローゼズのアルバム『チャイニーズ・デモクラシー』の売り上げが、当初の予想よりも期待外れである事(アクセルによるプロモーション活動が十分でなかったとの噂)を米国のザ・サン紙へ問われた際、モトリー・クルーヴィンス・ニールは、以下を語った。「あんなに長い年月を掛けてレコーディングしたにも関わらず期待ハズレだったなんて、クレイジーにも程がある。また、このアルバムのツアーはキャンセルだろ?俺のダチ(DJアシュバ)が、奴の為にギターを演奏しに行って約3ヶ月もリハーサルをしたというのにも関わらず、アクセルの奴は1度も現れなかったらしいな。ルールその1、姿を見せろ!」、「こんな事をし続けていたら、ファンがどんどん去って行く。奴(アクセル)はずっとこんな状態だ。それでも付いてきているファンだって“いい加減にしろ!もうやってられねーよ!”って、心では思っていると思うぜ。肝心のバンドのライブを見られないなら、ファンではいられないぜ」と語っている。[4]

ニルヴァーナカート・コバーンとは対立関係にあったが、もともとはアクセルはニルヴァーナのファンであり、ガンズのツアーのサポートをニルヴァーナに頼んだことさえある。だが、それをカートは拒否しその後メディアに向けてガンズやアクセルに対する批判をぶつける様になり両者の対立関係が生まれた。

また、同い年生まれのボン・ジョヴィのボーカリスト、ジョン・ボン・ジョヴィとも長くに渡り確執が続いていた。ジョンも数年前のインタビューで、13年間もレコードを出していない事を批判し、自身のキャリアには遠く及ばないと発言した。しかし、こうした二人の状況はアクセルの親友で、同じくジョンを最も嫌っていたセバスチャン・バックによって修復へと向かう。2006年にロンドンバーでアクセルとワインを飲んでいたセバスチャンは、偶然にも同じバーでジョンがいることを発見する。この二人も昔、楽曲の版権問題でお互いを激しく中傷しあった間柄である。しかし、セバスチャンはジョンへと近づき、笑顔で久しぶりに挨拶をしたのである。驚いたジョンだったが、アクセルもその輪へと加わり、飲み会を始めたのである。ジョンはワインを二人に何本も振る舞い、アクセルもジョンのビジネスの才覚に興味を持ち、いろいろと質問し3人で談笑したのだという。

[編集] 新生ガンズ・アンド・ローゼズとして

ガンズ・アンド・ローゼズのオリジナル・メンバーとしては、最後の一人。最近では性格も落ち着いてきたのか、彼の家で開かれたハロウィン・パーティの夜に、子ども達を驚かすところを目撃されている。しかし、2006年にはニューヨークで友人(ロザリオ・ドーソン)の27歳の誕生パーティに出席したアクセルは有名デザイナーのトミー・ヒルフィガーと殴り合いの乱闘を繰り広げた。原因はトミーのガールフレンドの飲み物が落ちそうだったため、アクセルがコップの位置を変えたところ、トミーが言いがかりをつけてきたために乱闘となった。[5] [6]また、6月27日にはスウェーデンストックホルムのホテルにてセキュリティ・ガードの足に噛み付き、ロビーの鏡を割り逮捕された[6](4万クローナ(約64万円)の罰金を払って釈放、足を噛まれた警備員には1万クローナ(約16万円)を払った)[7]

元スキッド・ロウのセバスチャン・バックと親交があり、2006年のツアーに彼を帯同。声がでなくなったクライマックスにヴォーカルを代わってもらうなどした。バックのアルバム、エンジェル・ダウンでゲスト参加もしている。


90年代のGN'R全盛期には、ショーがたった40分で終わるなどということもあったが、2009年の来日公演では、大阪・東京の両公演で3時間を超えるコンサートを披露。 [8][9][10][11]

[編集] 脚注

  1. ^ Reckless Road and the Making of Appetite for Destruction(マーク・カンター著)
  2. ^ Reckless Road and the Making of Appetite for Destruction(マーク・カンター著)
  3. ^ Reckless Road and the Making of Appetite for Destruction(マーク・カンター著)
  4. ^ モトリー・クルー、アクセル・ローズの態度にご立腹」 BARKS、2009年8月25日。
  5. ^ GNR、トミー・ヒルフィガーとひと騒動!?」 BARKS、2006年5月13日。
  6. ^ a b ガンズのアクセル・ローズが警備員に”噛み付いて”御用に」 ABC振興会、2006年6月27日。
  7. ^ アクセル、罰金を支払い釈放される」 BARKS、2006年6月29日。
  8. ^ http://www.barks.jp/news/?id=1000056545
  9. ^ http://www.barks.jp/news/?id=1000056661
  10. ^ ガンズ・アンド・ローゼズ大阪公演、3時間超の熱狂」 BARKS、2009年12月17日。
  11. ^ ガンズ・アンド・ローゼズ東京公演速報、3時間半ライヴの末、二度にわたって宙に弧を描いたアクセルのマイクの行方は?」 BARKS、2009年12月20日。

[編集] 外部リンク

先代:
オリジナル
ガンズ・アンド・ローゼズのボーカリスト
1985 – 現在
現職

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