アクセプト (バンド)

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アクセプト
Accept
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基本情報
出身地 ドイツの旗 ドイツゾーリンゲン
ジャンル ヘヴィメタル
パワーメタル[1]
活動期間 1979年-1989年
1993年-1996年
2005年
2009年-
レーベル G.U.N. Records
ポリグラム
エピック・レコード/ポートレイト・レコード
ニュークリア・ブラスト
メンバー
マーク・トーニロ(Vo)
ウルフ・ホフマン(G)
ハーマン・フランク(G)
ピーター・バルテス(B)
ステファン・シュヴァルツマン(Dr)
旧メンバー
ウド・ダークシュナイダー(Vo)
デイヴィッド・リース(Vo)
ジム・ステイシー(G)
ヨルグ・フィッシャー(G)
ヤン・コウメット(G)
フランク・フリードリヒ(Dr)
ステファン・カウフマン(Dr)

アクセプトACCEPT)はドイツヘヴィメタルバンド。1970年代より活動を続け、正統派のパワーメタルを指向して、ドイツのヘヴィメタル界においてスコーピオンズに次ぐ地位を確立したバンドとして知られる[1]

経歴[編集]

デビュー前後[編集]

バンドの母体は非常に個性的な声と風貌で有名なヴォーカリストであるウド・ダークシュナイダーが1970年代初頭にゾーリンゲンで結成した。その後、彼を慕うミュージシャンが加入・脱退を繰り返す形でメンバーチェンジを繰り返すが、1979年にウルフ・ホフマン(ギター)、ヨルグ・フィッシャー(ギター)、ピーター・バルテス(ベース)と、1stアルバム制作後に加入するステファン・カウフマン(ドラムス)というラインナップを完成させ、アルバム『アクセプト〜殺戮のチェーンソー』でデビューを果たす。

デビュー・アルバムはいかにも欧州的な叙情派バラードや、後のスピード・メタル路線につながるパワフルな曲などが収録されていたが、2枚目のアルバム『アイム・ア・レベル』では自分たちの意志ではなかったというアメリカン・ロックを強要され、不本意な作品となった。この時期はまだ商業的な成功にはほど遠かった。

ヘヴィ・メタル・バンドとしての地位の確立[編集]

1981年、3枚目のアルバム『ブレイカー〜戦慄の掟』発表時、英国ではNWOBHMのムーブメントが起こっており、それに呼応する形で彼らの存在が認められていった。このころからマネージメントを引き受けるようになったマネージャーのギャビー・ホーク(現在はホフマンの妻でもある)の活躍もあり、バンドはジューダス・プリーストの前座としてワールド・ツアーを行い、ヨーロッパのみならずアメリカでも高い評価を得る。

ヨルグ・フィッシャーの脱退後(後に復帰)、ハーマン・フランクの加入を経て、アルバム『レストレス・アンド・ワイルド』、『ボールズ・トゥ・ザ・ウォール』で彼らのスピードメタルヘヴィメタルバンドとしての地位が確立される。『ボールズ・トゥ・ザ・ウォール』は商業的にも成功を収め、母国ドイツのアルバム・チャートに初登場を果たして59位を記録[2]。さらにアメリカでも自身初のBillboard 200入りを果たし、74位を記録する[3]

1984年、英国ドニントンパークで開催された第5回モンスターズ・オブ・ロックに出演。1985年には『メタル・ハート』をリリースする。このアルバムはドイツのアルバム・チャートで13位に達して初のトップ50入りを果たし[2]、スウェーデンでは最高4位という大ヒットを記録した[4]。このアルバム発売の直後に初の日本公演を行う。この模様は当初、愛知県勤労会館での公演を収録した6曲入りのライヴ・アルバム『ライヴ・イン・ジャパン』として発売され[5]好セールスを記録したが、その後『ステイング・ア・ライフ』として大阪公演がリリースされた(ビデオも存在するが、映像は日本公演のものではない)。"Princess of the Dawn"では、観客の大合唱にダークシュナイダーが驚いている様子までが収録されている。

ヴォーカリスト交代から解散へ[編集]

1986年、『ロシアン・ルーレット』をリリースするが、その後ダークシュナイダーが脱退し(本人は後のインタビューで「解雇」だったと語っている[6])、自己のバンドU.D.O.を結成。なお、U.D.O.の1stアルバム『アニマル・ハウス』の収録曲は本来アクセプト用に作られていたが、バンド側がよりアメリカ向けの路線に変更することを決断したため、ダークシュナイダーが自分のアルバムに収録した経緯があり[6]、そのうち"Lay Down the Law"はアクセプトのメンバーが演奏にも参加している[7]

ダークシュナイダーの脱退後は、ヴォーカリストとしてアメリカ人のデイヴィッド・リースを、またフィッシャーも再度脱退したためギタリストにジム・ステイシーを加入させ、1989年にアルバム『イート・ザ・ヒート』をリリース。しかし、この頃カウフマンが激しいドラミングと長年のツアーから背骨の異常をきたし活動不能になる。ここに至りホフマンはバンドの解散を決意。その後、ホフマンは写真家に転向、リースはバンガロー・クワイア(Bangarole Choir)を結成、カウフマンはU.D.O.やOutrageといったバンドの作品のプロデューサー(2度目の解散後、ギタリストとして再結成したU.D.O.に加入)として、またバルテスはドン・ドッケンのバンドに招かれてそれぞれ活動する。

再結成[編集]

バンド解散後に発表されたライヴ・アルバム『ステイング・ア・ライフ』の好評を受け、1993年、『オブジェクション・オーヴァールールド』でバンドは再結成を果たす。

この再結成は歓迎をもって迎えられ、スピードにこだわったこのアルバムは欧州・米国での好セールスを記録する。しかしスタジオはともかく、ライヴでも2人目のギタリストを加入させず、彼らの特徴でもあったツイン・ギターが再現されなかった。ダークシュナイダーはそれに不満を持ち、2013年のインタビューにおいて当時のことを「俺にとって、アクセプトのサウンドは常に2人のギタリストがいることが前提だったから、既に新しい問題が起こっていた」と振り返っている[8]

また再結成2作目の『デス・ロウ』(1994年)は時代に合わせたようなヘヴィ・ロックに転向する。さらにカウフマンの体調が再び悪化し、ステファン・シュヴァルツマン(当時ランニング・ワイルドU.D.O.)のサポートでツアーを何とか終える。1996年には3作目の『プレデター』を発表するが、その後バンドは再び解散。なお、『プレデター』制作時にダークシュナイダーはカウフマンをギタリストに転向させ、2人目のギタリストとしてバンドに戻すことを提案したが、ホフマンに却下されている[9]

2度目の解散後、ダークシュナイダーとカウフマンはU.D.O.を再結成。ホフマンは写真家としての活動の傍ら、1997年にソロ・アルバム『クラシカル』を発表。バルテスはジョン・ノーラムのアルバムに参加するなど、幅広くセッション活動をしている。

2005年にロシア・日本・欧州ツアーのため再々結成。ここではステファン・シュヴァルツマンの他、ハーマン・フランクを久々に呼び戻し、ツイン・ギターの構成であった[10]

2009年5月、バンドはダークシュナイダーの代わりにアメリカ人ヴォーカリストのマーク・トーニロ(元T.T.クイック)を迎え、3度目の再結成。

2010年ニュークリア・ブラストと契約を得て[11]、14年ぶりのアルバム『ブラッド・オブ・ザ・ネイションズ』を発表。このアルバムは、ドイツのアルバム・チャートで自身最高の4位を記録した[2]。同年には日本でLOUD PARK10に参加。

2012年、前作と同じラインナップでアルバム『スターリングラード』を発表。

特徴[編集]

ツイン・ギターは初期のバラードや"Fast as a Shark"といった曲では両方がハーモニーを奏でる(ツイン・リード)こともあるが、一般的には片方がギターソロの時には片方がバッキングを弾くということが多い。 

楽曲に関してはメンバー全員のクレジットとなっていて実際の作曲者は明記されていない。

メンバー[編集]

  • Vocal:ウド・ダークシュナイダー~デイヴィッド・リース~ウド・ダークシュナイダー~マーク・トーニロ
  • Guitar:ウルフ・ホフマン
  • Guitar:ヨルグ・フィッシャー~ハーマン・フランク~ヨルグ・フィッシャー~ジム・ステイシー~(一時不在)~ハーマン・フランク
  • Bass:ピーター・バルテス
  • Drum:フランク・フリードリヒ~ステファン・カウフマン~(サポートメンバー)~ステファン・シュヴァルツマン

ディスコグラフィー[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

ライヴ・アルバム[編集]

  • ライヴ・イン・ジャパン - Kaizoku-Ban (1985)
  • ステイング・ア・ライフ - Staying a Life (1990)
  • オール・エリアズ・ワールドワイド - All Areas - Worldwide Live (1997)
  • The Final Chapter (1998)

関連項目[編集]

脚注[編集]