リンキン・パーク

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リンキン・パーク
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州 ロサンゼルス
ジャンル オルタナティブ・ロック
ニュー・メタル
ラップコア
ミクスチャー・ロック
活動期間 1996年 -
レーベル ワーナー・ブラザーズ・レコード
マシーン・ショップ・レコーディングス
公式サイト LINKIN PARK / HOME
(英語)
メンバー
チェスター・ベニントンボーカル
マイク・シノダ (ボーカル、ギターキーボード
ジョー・ハーンDJ
ブラッド・デルソン (ギター)
ロブ・ボードンドラムス
フェニックスベース
旧メンバー
マーク・ウェイクフィールド (ボーカル)
スコット・コジオール (ベース)
カイル・クリステナー (ベース)
  

リンキン・パーク (Linkin Park) は、アメリカ合衆国バンド1996年に結成されたバンドSuper Xeroを前身としている。幅広いジャンルの音楽要素を取り入れており、オルタナティブ・ミュージックの独自のミュージック・センスを持つ。2000年にリリースしたデビューアルバム、『ハイブリッド・セオリー』で一躍有名となった。

目次

[編集] 来歴

[編集] バンドの結成

マイク・シノダ (Mike Shinoda) とブラッド・デルソン (Brad Delson) は、南カリフォルニア、ロサンゼルスのアゴーラ・ヒルズ (Agoura Hills) にある中学、高校からの親友。鑑賞したパブリック・エナミーアンスラックスのコンサートに衝撃を受け、バンドの結成を決意[1]した二人は、1996年[2]のアゴーラ高校 (Agoura High School) 卒業時に友人だったロブ・ボードン (Rob Bourdon) を誘い、バンドSuper Xeroを結成する[3]。(ブラッドとロブは、かつて「Relative Degree」というバンドで共に活動していた[3])その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でブラッドがアパートをシェアしていたルームメイト、フェニックス (Dave "Phoenix" Farrell) と、マイクがパサデナ (Pasadena) のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで知り合ったジョー・ハーン (Joe Hahn) (イラストの勉強をしていた。)が加入した。2人の加入後、バンド名は短縮されXeroとなる[3]。5人組となった彼らは、さらにマーク・ウェイクフィールドを加え、初のデモテープを自主制作した[3][4]

[編集] 結成初期

結成当初(1996年頃)はメンバーがバンド活動・学業・仕事の両立に四苦八苦していた上、活動は上向かず、ライヴの客入りは寂しかった[5]1998年にはリードボーカルを担当していたマークが脱退した。彼の後任を探していたメンバーは、Zomba Recordingsの有力スタッフだったジェフ・ブルーを通じて、9年間ソロや他のバンドで歌っていたアリゾナ州フェニックスのボーカリスト、チェスター・ベニントン (Chester Bennington) を知る。1999年、デモテープを受け取ったチェスターはその音響に感銘し、オーディションを受け加入が即決定した。オーディションの際、彼の卓越した歌声を聴いた他の候補者は帰って行ってしまったという[6]。チェスターを迎えたのを機に、バンドのコンセプトを明確にするためバンド名をXeroからハイブリッド・セオリーに改名、ハイブリッド・セオリー名義でEP作品のハイブリッド・セオリーEP(Hybrid Theory EP) を1000枚自主制作した。フェニックスは、1999年から2000年後半にかけて他のバンドのツアーに参加するため、バンドから一時離れたが、2001年の『Crawling』のPV撮影から復帰した[7]

[編集] ワーナーと契約

チェスターの加わったハイブリッド・セオリーは42社ものレーベルを訪れたが、一向に契約を結べないでいた。しかし先述のジュフ・ブルーがワーナー・ブラザーズ・レコードA&R部門(新人アーティストを発掘・デビューさせる部門)に移籍していたこともあり、ワーナーとの契約締結に漕ぎ着けた。ところがワーナーにはすでに同名バンドが存在していたことからバンド名を改名することになる。チェスターは、定期的に車で通りかかっていたサンタモニカの公園の名前に因み、LINCOLN PARKという名称への改名を提案したが[2][8]、インターネットのドメイン名がおさえられていたために断念。結局LINCOLN PARKと同じ発音であるLINKIN PARKに落ち着くこととなった。

[編集] メジャーデビュー(2000年-2002年)

2000年10月、ドン・ギルモアのプロデュースで1stフルアルバム『ハイブリッド・セオリー』 (Hybrid Theory) をリリース。多くの音楽ファンから好評を受けビルボード・アルバムチャート (Billboard 200) で初登場16位、最高位2位を記録(以下、「全米○位」と表記)。アメリカで2001年に最も売れたアルバムに認定され[1]、現在までに世界で1900万枚を売り上げている[2]。収録曲のいくつかは、映画のドラキュリアリトル★ニッキーバレンタインなどでフィーチャーされた[2]2001年にデビューシングル『One Step Closer 』をリリースし、同年11月、初の映像作品集『フラット・パーティー』 (Frat Party at the Pankake Festival) を4thシングル『In the End』と同時にリリースした。

アルバムの大ヒットを機にオズフェストや「オールモスト・アコースティック・クリスマス」(ラジオ局KROQ主催)、「ファミリー・バリュー・ツアー」など多くのツアー、コンサートに参加。オズフェストではブラック・サバスマリリン・マンソンスリップノットパパ・ローチディスターブドクレイジー・タウンブラック・レーベル・ソサイアティなどと競演した[3]。この年には324本のライブをこなした。2001年11月、バンドと親しいJessica Bardasの提案で、公式ファンクラブ「リンキン・パーク・アンダーグラウンド」 (Linkin Park Underground、LPU) が設立される[3]2002年には自らが立ち上げたコンサート・ツアー、プロジェクト・レボリューション (Projekt Revolution) の初公演が行われた。初のフィーチャリングはアデマ (Adema)、サイプレス・ヒル (Cypress Hill)、DJ Z-Tripだった[3]

2002年に開催された第44回グラミー賞で3つの部門にノミネートされ[9][10]、『ハイブリッド・セオリー』からの2ndシングル『クローリング』 (Crawling) でベスト・ハード・ ロック・パフォーマンス部門を受賞した。[1]ちなみに授賞式の際、会場入り口で写真撮影に応じていた時に受賞がアナウンスされてしまい、受賞決定の瞬間をメンバーたちは聞けなかったというエピソードがある[11]

同年7月、『ハイブリッド・セオリー』のリミックス・アルバム『リアニメーション』 (Reanimation) をリリースし、全米初登場2位を獲得。発売週だけで27万枚以上を売り上げ[12]、リミックス・アルバムとしての初動売り上げ記録を更新した。

[編集] 2003年-2006年

2003年3月、2ndアルバム『メテオラ』 (Meteora) をリリース。初週に81万枚を売り上げ、アメリカとイギリスで初登場1位を獲得した[8]。現在までに全世界で1000万枚以上の売り上げを記録している[1]。同年11月には1stライヴ・アルバム『ライブ・イン・テキサス』 (Live In Texas) を、2004年にはラッパー、ジェイ・Z (Jay-Z) とのマッシュ・アップ作品『コリジョン・コース』 (Collision Course) をリリースし、後者は全米初登場1位となった。なお、ジェイ・Zは2005年にバンドMCのマイク・シノダが立ち上げたサイド・プロジェクト「フォート・マイナー」に、エグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。

2003年4月8日から行われたプロジェクト・レボリューションのツアーに、アメリカの軍人とその家族を特別ゲストとして招待、「国のために自ら犠牲を払っている人たちに対して、お返しをする必要があると思う。」と述べ、軍人らを称えた[13]2004年東南アジア地域がスマトラ島沖地震による災害に見舞われた際には、赤十字の協力のもとに基金団体「ミュージック・フォー・リリーフ」を設立、バンド自身も10万ドルを寄付し、ファンらにも寄付を呼びかけた[14]。また2005年チェスター・ベニントンは、アメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナの被害救済のチャリティー企画に参加した[15]。(モトリー・クルーのヒット曲『Home Sweet Home』を再レコーディングし、その売上げを被害救済に充てるというもの。)

2006年、ジェイ・Z feat. リンキン・パークの『ナム/アンコール』 (Numb/Encore) で第48回グラミー賞の最優秀ラップ/ ソング・コラボレーション部門を受賞[16]。開会式でポール・マッカートニー、ジェイ・Zとともに『ナム/アンコール』『イエスタデイ』を披露した。また、サマーソニック06(ゼロシックス)のヘッドライナーとして来日、新曲『QWERTY』を披露した。その前日には単独公演も行った。

[編集] 2007年-現在

2007年5月リック・ルービンをプロデューサーに迎え、実に4年2ヶ月ぶりとなる3rd・オリジナルアルバム『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』 (Minutes to Midnight) をリリース。音楽性で大きな路線変更があり、賛否両論が起こったものの、アメリカ、日本を初め世界31ヶ国で1位を獲得[14]。そのほとんどの国々でプラチナ・ディスク、ゴールド・ディスクの認定を受けた。また、アルバムからの1stシングル「ワット・アイヴ・ダン」が、スティーヴン・スピルバーグ制作総指揮の映画、「トランスフォーマー」の主題歌に使用された。その翌年、ラッパーのバスタ・ライムスとのコラボレーション曲「ウィ・メイド・イット」 (We Made It) のシングルCDをリリース。この曲は当初、バスタ・ライムスの新アルバムに収録される予定だったが、最終的には収録に至っていない。2008年11月には二枚目となるライヴアルバム『ロード・トゥ・レヴォリューション』 (ROAD TO REVOLUTION:LIVE AT MILTON KEYNES ) と、未発表音源を収録したミニ・アルバム『ソングス・フロム・ジ・アンダーグラウンド』 (Songs From The Underground) をリリースした。同アルバムには、これまでにLPU会員限定で公開されてきた、デビュー前の楽曲や「QWERTY」が収録されている。日本では来日記念盤が2009年5月14日にリリースされた。また、前述した「トランスフォーマー」の続編にあたる2009年6月公開の映画、「トランスフォーマー: リベンジ」の主題歌として「ニュー・ディヴァイド」 (New Divide) が書き下ろされ、ビルボードシングルチャートで初登場6位を記録した[17]。前回は主題歌に起用されただけだったが、本曲は映画のために書き下ろされたものである[18]

2007年7月に世界7大都市で同時開催されたチャリティーコンサート、「ライヴ・アース」 (LIVE EARTH) の東京公演に、ヘッドライナーとして出演した。同年11月には来日公演の「JAPAN TOUR 2007」が開催され、その際に来日記念盤として、『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト―ツアー・エディション』(Minutes To Midnight -Tour Edition)がリリースされた。なお、ソマーソニック09にヘッドライナーとして出演することが決定している。

[編集] 音楽性

ヘヴィ・ロックヒップ・ホップハードコアインダストリアルエレクトロニックなど様々な音楽要素の影響を受けていて、一般にはニューメタルラップコアに分類される事が多い。しかし当人はラップ・ロック、ニューメタルといったジャンル分けにはうんざりしていたといい[19]、フェニックスはかつて、楽曲中に融合されている複数の音楽要素について、「ここはヒップホップで、この部分はハードロック」などのように各ジャンルごとにカテゴライズされるのではなく、「リンキン・パークの音」だと言われたいとコメントしている[6]3rdアルバムでは大きく音楽性を転向し、従来の楽曲に見られたマイクによるラップボーカル、チェスターのシャウト、ヘヴィなサウンドはほとんど姿を消し、哀愁感のあるロック・バラードが前面に出た作品になった。また、歌詞中にはfuckなどのいわゆるFワードが2ndアルバムまで含まれていないことも特徴だった。(3rdアルバムの一部の曲(ギヴン・アップ等)には含まれる為、日本国外ではFワードのないclean版も発売された)

2ボーカルには明確な役割分担があり、通常はマイクがラップ、バックコーラスを、チェスターがメロディック、ロック、シャウトを担当する。これらの分担が緩急ある曲展開を成す要因となっている。曲の制作に際しては、バンドサウンドよりも打ち込みとサンプリングを多用したオケ作りをすることが多い。そのキャッチーさからコアなファンのみならず多くのリスナーの支持を得ている。

[編集] メンバー

現メンバー
旧メンバー

[編集] ディスコグラフィー

[編集] ハイブリッド・セオリー

[編集] EP

EP 1999年 ハイブリッド・セオリーEP (Hybrid Theory EP)

[編集] リンキン・パーク

[編集] オリジナルアルバム

1st 2000年 ハイブリッド・セオリー (Hybrid Theory) 全米最高2位 ダイアモンドディスク獲得
2nd 2003年 メテオラ (Meteora) 全米最高1位 4xプラチナム獲得
3rd 2007年 ミニッツ・トゥ・ミッドナイト (Minutes To Midnight) 全米最高1位 2xプラチナム獲得

[編集] 企画盤アルバム

リミックス 2002年 リアニメーション (Reanimation) 全米最高2位 プラチナム獲得
ライヴ 2003年 ライヴ・イン・テキサス (Live In Texas) 全米最高23位 プラチナム獲得
マッシュアップ 2004年 コリジョン・コース (Collision Course) 全米最高1位 プラチナム獲得
ライヴ 2008年 ロード・トゥ・レボリューション (Road to Revolution: Live at Milton Keynes)
音源集 2008年 ソングス・フロム・ジ・アンダーグラウンド (Songs From The Underground)

[編集] シングル

発売年 シングル 収録アルバム
2000年 One Step Closer ハイブリッド・セオリー
2001年 Crawling
Papercut
In The End
2002年 Pts.Of.Athrty / H! Vltg3 リアニメーション
Enth E Nd / Frgt/10
2003年 Somewhere I Belong メテオラ
Faint
Numb
2004年 From The Inside
Lying From You
Breaking The Habit
Numb / Encore コリジョン・コース
2007年 What I've Done ミニッツ・トゥ・ミッドナイト
Bleed It Out
Shadow Of The Day
2008年 Given Up
Leave Out All The Rest
2009年 New Divide トランスフォーマー: リベンジ サウンドトラック

[編集] DVD・VHS

2002年 フラット・パーティ (Frat Party At The Pankake Festival)
2003年 The Making Of Meteora / メテオラ限定盤に付属
2003年 ライヴ・イン・テキサス (Live In Texas)
2004年 ブレイキング・ザ・ハビット (Breaking The Habit)
2004年 コリジョン・コース (Collision Course)
2007年 ミニッツ・トゥ・ミッドナイト (Minutes To Midnight) / 限定盤に付属
2008年 ソングス・フロム・ジ・アンダーグラウンド (Songs From The Underground)

[編集] 受賞歴

2001年
  • Kerrang Awards - Best International Newcomer
  • Finland's Emma Awards - Best Foreigner Artist of The Year
2002年
2003年
2004年
  • MTV Video Music Awards - Viewer's Choice Award (『Breaking The Habit』)
  • Radio Music Awards - Artist of the Year - Rock Radio
  • Radio Music Awards - Song of the Year - Rock Radio (『Numb』)
2005年
  • MTV Video Music Awards Japan - 最優秀グループビデオ (『Breaking The Habit』)、最優秀コラボレーションビデオ (『Numb/Encore』)[14]
2006年
  • 第48回グラミー賞 - 最優秀ラップ/ソング・コラボレーション(『Numb/Encore』)
2007年
  • MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード - 最優秀バンド
  • アメリカン・ミュージック・アワード - オルタナティヴ・ロック最優秀アーティスト
2008年
  • MTV Video Music Awards - 最優秀ロック・ビデオ(『Shadow of the Day』)
  • アメリカン・ミュージック・アワード - オルタナティヴ・ロック最優秀アーティスト

[編集] ミュージックビデオ

ジョー・ハーンが監督をすることが多い。作製手法はバラエティーに富んでおり、アニメーションSFXを用いているものもある。日本のアニメーション製作会社GONZOが製作したことでも有名な『Breaking The Habit』のPVを含め、何度かMTV Video Music Awardsを受賞している。リアニメーション収録曲のPVは全曲分が作製されているが、Pts.Of.AthrtyのPVを除き、テレビでは放映されたことがないためインターネット上でしか視聴出来ない。

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d LINKIN PARK / リンキン・パーク プロフィール ワーナーミュージック・ジャパン、2009年6月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Biography for Linkin Park The Internet Movie Database、2009年6月18日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g Minutes to Midnight Biography
  4. ^ 制作されたデモテープ『Xero Sampler Tape』はさまざまなレコーディング会社に送られたが、結局契約に至ることはなかった。
  5. ^メテオラ』日本盤ブックレット
  6. ^ a b 『フラット・パーティ』より
  7. ^ フェニックスが離れている間は、カイル・クリステナー(『ハイブリッド・セオリーEP』に参加)とスコット・コジオール(『ハイブリッド・セオリー』に参加)がベースを代行した。
  8. ^ a b Linkin Park BIOGRAPHY AskMen.com、2009年6月19日閲覧。
  9. ^リンキン・パーク、グラミーにノミネートされて最高だと語る」 BARKS、2002年1月8日
  10. ^ ノミネートされた部門は「ベスト・ハード・ ロック・パフォーマンス」、「ベスト・ニュー・アーティスト」、アルバム『ハイブリッド・セオリー』での「ベスト・ロック・アルバム」。
  11. ^リアニメーション』日本盤ブックレット
  12. ^Linkin Park Remixes Chart With Number Two Debut」 YAHOO! MUSIC News、2002年8月7日
  13. ^リンキン・パークの『Meteora』が初登場1位。軍人たちをショウに無料招待」 BARKS、2003年4月4日
  14. ^ a b c ニュース | LINKIN PARK / リンキン・パーク ワーナーミュージック・ジャパン、2009年6月18日閲覧。
  15. ^M・クルー、リンキン参加のあの名曲で被害救済!」 BARKS、2005年9月13日
  16. ^グラミー賞、最多8部門ノミネートのカニエ・ウェスト、マライア・キャリー、ジョン・レジェンドはそろって3部門の受賞に」 notrax、2006年02月10日
  17. ^ The Billboard Hot 100
  18. ^リンキン・パーク、『トランスフォーマー/リベンジ』のために新曲書き下ろし」 BARKS 2009年6月6日閲覧。
  19. ^リンキン・パーク、ニュー・アルバムを語る」 BARKS 2007年4月24日

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ