デフ・レパード
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| デフ・レパード | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ハードロック ヘヴィメタル NWOBHM |
| 活動期間 | 1977年〜現在 |
| レーベル | マーキュリー ユニバーサル・ミュージック フォノグラム ヴァーティゴ アイランド ポリグラム |
| 公式サイト | www.defleppard.com |
| メンバー | |
| ジョー・エリオット リック・サヴェージ リック・アレン フィル・コリン ヴィヴィアン・キャンベル |
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| 旧メンバー | |
| スティーヴ・クラーク ピート・ウィリス トニー・ケニング フランク・ヌーン |
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デフ・レパード (Def Leppard) はイギリスのハードロックバンドである。1980年代初頭にアイアン・メイデン、サクソンなどと並んで、NWOBHM (New Wave Of British Heavy Metal) ムーヴメントの中心的存在となった(彼ら自身はNWOBHMバンドに括られることを嫌っている)イギリスのトップバンドのひとつで、アルバム総売上は6500万枚を超える(3500万枚は全米での売り上げ)。『炎のターゲット』、『ヒステリア』の空前の大ヒットにより、80年代の最もセールスの多いロックバンドのひとつとなった。また、「VH1の最も偉大なハードロックバンド」において31位を獲得した。
目次 |
[編集] メンバー
オリジナル
- ジョー・エリオット (Joe Elliott) (ヴォーカル)
- リック・サヴェージ (Rick Savage) (ベース)
- リック・アレン (Rick Allen) (ドラム)
- スティーヴ・クラーク (Steve Clark) (ギター) 1991年没。
- ピート・ウィリス (Pete Willis) (ギター) 1982年脱退
現メンバー
- ジョー・エリオット (Joe Elliott) (リードヴォーカル、アコースティックギター、ピアノ)
- リック・サヴェージ (Rick Savage) (ベース、ヴォーカル)
- リック・アレン (Rick Allen) (ドラム)
- フィル・コリン (Phil Collen) (ギター、ヴォーカル)
- ヴィヴィアン・キャンベル (Vivian Campbell) (ギター、ヴォーカル)
[編集] ヒストリー
[編集] 1977年~1979年
1977年、タプトン・スクールの生徒であったリック・サヴェージ(ベース)、ピート・ウィリス(ギター)、トニー・ケニング(ドラム)により、バンドの母体となるアトミック・マスが結成される。偶然、バスに乗り遅れたピート・ウィリスは現在のヴォーカリストであるジョー・エリオットと出会い、バンドのギタリストとして雇うことになる。しかしながら、オーディションの間、彼にはヴォーカリストのほうが向いていると思われたので、それ以後、ジョーはヴォーカリストとしてバンドに加入することが決定する。
ジョーが学校の英語の授業で思いついた、"Deaf Leopard"(耳の聞こえない豹)が元のバンド名であったが、ケニングの提案により、パンクバンドと間違われないように現在の綴りに変更した。1978年1月には、スティーヴ・クラークがバンドに加入する。ジョー・エリオットの回顧によると、彼はレーナード・スキナードのフリーバードをプレイし加入に成功したという。
同年11月には三曲のコンパクト盤であるDef Leppard EPのレコーディング作業に入る。このときケニングはバンドを去り、後任としてフランク・ヌーンが加入するが、彼も脱退し、その月末には当時15歳のリック・アレンが正式なドラマーとして加入する。
1979年にはハードロック、へヴィメタルのファンを開拓していき、NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オヴ・ブリティッシュ・へヴィメタル)の代表格として認められるようになる。そして、彼らの急激な人気上昇により彼らはメジャーレーベルのフォノグラム社とのレコード契約に漕ぎ着ける。
[編集] 1980年~1983年
1980年3月14日には『オン・スルー・ザ・ナイト』 (On through the Night) でレコードデビューを果たした。同作は全英チャートで15位となったものの、「ハロー・アメリカ」と題されたシングル、アメリカ重視のツアーなど過剰ともとれるアメリカ市場の意識から従来のファンからは敬遠された。同年8月、レディング・フェスティバルではバンドのアメリカ志向に対するブーイングで妨害を受ける結果となった。
バンドは以前から注目していたAC/DCのプロデューサー、ロバート・ジョン・マット・ランジに白羽の矢を立て、1981年7月11日には2ndアルバムの『ハイ・アンド・ドライ』をリリースする。彼の念入りなプロデュースはバンドに隠された真価を発揮させることとなった。ヨーロッパ・ツアーではオジー・オズボーン、ブラックフットのオープニングアクトを務めた。
翌年1982年7月11日には過度のアルコール摂取によりバンドを解雇されたピート・ウィリス(リードギター)の後任役として、フィル・コリンが加入する。この交代劇は1983年1月20日にリリースされる3rdアルバム、『炎のターゲット』の製作途中に起こった出来事であった。
同アルバムの先行シングル、「フォトグラフ」はデフ・レパードを有名バンドへとのし上げ、MTVのリクエスト放送ではマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」の人気を超え、ラジオでの人気も確かなものにした。また、全米シングルチャートでは12位に入るヒットとなった。
「フォトグラフ」やそれに続くシングル、「ロック・オブ・エイジ」、「フーリン」により、売り上げは加速し年末までに600万枚を売り上げ、全米チャートではマイケル・ジャクソンのスリラーに次ぐ最高2位を獲得した。アメリカではRIAAによりダイアモンドディスクに認定されている。
3月にはビリー・スクワイアをオープニングアクトに迎え、ツアーを開始し、9月にはカリフォルニア州サンディエゴのジャック・マーフィー・スタジアムに5万5千人を集め、ヘッドライナー公演を終える。
当時のバンドの人気を裏付けるものとして、ローリング・ストーン誌などでデフ・レパードがAC/DCやジャーニーなどと並んでお気に入りのバンドに選ばれていることが挙げられる。しかし、彼らの母国イングランドではアメリカでの人気とはまだ程遠いものであり、この事実はバンドを悩ませることとなる。
[編集] 1984年~1989年
1984年2月には大ブレイクに伴い、イギリスの重税を回避するためにバンドはアイルランドのダブリンへ移住する。前作のプロデューサー、マット・ランジが初めは次作、『ヒステリア』の作詞作業に携わっていたが、突如、あまりの疲れのために辞退してしまい、代役としてミートローフなどを手がけたジム・スタインマンを迎えることとなる。
同年12月31日にはドラマーのリック・アレンがシェフィールド郊外で交通事故を起こし、左腕を全て切断することになる。これにより、彼はドラマーを続けることが困難になると思われた。しかし、彼の熱心な練習により足を腕同様に使えることが可能となった。また、そのとき、彼はシモンズ社とエレキドラムキットの共同制作に励んでいた。
他のメンバーは彼の解雇はまったく考えず、彼の回復の手助けをすることにした。このような一連の流れを経て、結局、マット・ランジがプロデューサーとして戻ってくることになり、1986年にドニントンで開催されたモンスターズ・オブ・ロックがアレンの奇跡的カムバックを決定付けた。
そして、遂に、1987年8月3日には4thアルバム、『ヒステリア』がリリースされる。セカンドシングルの「アニマル」は全英シングルチャートで6位を記録し、母国イギリスでもスターの仲間入りを果たす。そして、アルバム自体もその週には全英1位に登りつめる。
4thシングル、「シュガー・オン・ミー」が全米シングルチャートで2位に入るまで、全米での売り上げは前作『炎のターゲット』と比べ、スローペースであったが、ほぼ1年後の1988年7月に遂に全米でも1位を獲得する。10月にはパワーバラードの「ラヴ・バイツ」が(唯一の)全米1位、1989年1月には「アーマゲドン」が3位に入る。
『ヒステリア』は7つものシングルが全米でチャートインした数少ないアルバムで、アルバム自体も3年間チャートインし、全米だけで1200万枚、全世界で2000万枚以上を売り上げている。
ツアーは15ヶ月間にわたって行われ、ラウンドステージ方式をとった。これは「全てのファンに特等席を」というメンバーの配慮である。
[編集] 1990年~1999年
1991年1月8日、オリジナルギタリスト・スティーヴ・クラークが死亡。死因はアルコールと薬物(精神安定剤と鎮痛薬)の過剰摂取と見られている。メインソングライターであったスティーヴの死により、制作途中であったアルバムの完成が不安視されたが、スティーヴのパートは、メンバーの中でも彼と一番親交の深かったフィルが、亡きスティーブらしさを漂わせたプレイで埋め、1992年3月30日に5枚目のアルバム『アドレナライズ』 (Adrenalize) を発表した。スティーヴ不在を感じさせない素晴らしい出来となり、ファンを安心させると共に『アドレナライズ』も爆発的にヒットし、15カ国で1位を記録、全世界で700万枚以上売り上げた。
リリース当初、4人で活動を続けるかとも思われていた彼らだったが、ジョン・サイクス(元シン・リジィ~ホワイトスネイクetc)加入の噂が上るなど、後任が注目された。アイリッシュであり、世代的にも近く、バンドへのフィット感が一番だったという、元ディオ (Dio) 、ホワイトスネイク (Whitesnake) のギタリスト、ヴィヴィアン・キャンベルを加入させ5人で再スタートを切ることとなった。翌年の1993年にはB面曲、未発表曲等を集めたアルバム『レトロアクティヴ』 (Retro Active) をリリースした。映画『ラスト・アクション・ヒーロー』のサントラに使われヒットした『トゥー・ステップス・ビハインド』 (Two Steps Behind) はこのアルバムに収められている。
1995年には彼ら初のベストアルバム『デフ・レパード・グレイテスト・ヒッツ』 (Vault: Def Leppard's Greatest Hits (1980-1995) ) をリリース。新曲として『ラヴ・アンド・ヘイト』(When Love & Hate Collide)がシングル・ヒットし、チャートインした。
1996年に4年ぶりのスタジオ・アルバム『スラング』 (Slang) をリリースしたが、過去の作品に比べ、メンバーによる実験的な要素やアジアンテイストを取り入れるなど、アプローチそのものが当時の主流であった、セールス的にはふるわなかった。
1999年4月にリリースされた『ユーフォリア』 (Euphoria) は、そのタイトルの語尾iaからもわかるように、彼ららしいサウンドが復活しファンを喜ばせた。特別プロデューサーに長年のパートナーであるマット・ラングを迎え制作されたこのアルバムは、セールスこそ全盛期の作品には追いつかないものの、前作の不評を払拭し、デフ・レパード健在を印象づけた。このアルバムからの先行シングル『プロミセス』 (Promises) がヒットし、メインストリーム・ロックのチャートで3週間1位をキープした。
[編集] 2000年~
2001年には彼らのドキュメンタリーDVD『Hysteria - The Def Leppard Story』をリリースした。
2002年7月には彼らの8枚目となるスタジオアルバム『X』 (X) をリリースした。サウンドは彼ら独特のものであるが、全体的にポップな仕上がりとなっており、外部ソングライターを起用したり、ギターソロが少ないなど従来とは違ったアプローチもある。結果、全米初登場で11位を記録するもすぐにトップ40のチャートから姿を消し、彼らの中で最も売り上げの悪いアルバムとなってしまった。このアルバムのツアーは、彼らと彼らの所属するレコード会社との関係が悪かったために、レコード会社からのサポートを受けずに自費で行った。アルバムの売れ行きとは裏腹に、10000人程度収容できる会場をメインに行われた北米ツアーはほぼ満席で、ツアーは大成功に終わった。
2004年にはイギリスで『Best Of』、2005年にはアメリカで『Rock of Ages: The Definitive Collection』のベストアルバムをリリース、それぞれ最高位6位、10位を記録した。また2005年7月にフィラデルフィアで行われたLIVE 8(ライブ・エイト)に参加した。
2006年5月23日(日本発売6月28日)にカバーアルバム『Yeah!〜イエーイ』 (Yeah!) をリリース、メンバーが色濃く影響を受けたアーティストの楽曲が、彼らの手によって見事に現代に蘇っている。
2008年4月、10枚目のスタジオアルバム『ソングス・フロム・ザ・スパークル・ラウンジ』 (Songs from the Sparkle Lounge) をリリースし、全米5位、全英10位を記録した。同アルバムからの先行シングル『ナイン・ライヴス』はアメリカのカントリー歌手、ティム・マッグロウがボーカルと作曲で参加している。本作品のツアーより、ホワイトスネイク(whitesnake)とのダブルヘッドライナーでのツアーを敢行、同年、来日を果たし、武道館公演が行われた。
[編集] 音楽的スタイル
デフ・レパードの楽曲はハードロック、AOR、へヴィメタルの影響を色濃く受けているが、それらを独自のものの昇華しているところに特徴がある。具体的には重厚なコーラス、メロディアスな響きを持ったギターサウンドが挙げられる。
また、1983年『炎のターゲット』は80年代のハードロックの方向性を示したという点で後続の数々のバンドに多大な影響を与えた。彼らはグラム・メタルという表現を音楽的特徴が現されていないジャンル名ということで嫌っている。
このバンドの他に、全米で2作以上1000万枚を超える売り上げを記録したロックバンドは他にビートルズ、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、ヴァン・ヘイレンだけである。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] スタジオアルバム
| 発売年 | タイトル(邦題) | タイトル(原題) | UK | US | 全米売上 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1980年 | オン・スルー・ザ・ナイト | On Through The Night | 15 | 51 | 1,000,000 |
| 1981年 | ハイ・アンド・ドライ | High 'n' Dry | 26 | 38 | 2,000,000 |
| 1983年 | 炎のターゲット | Pyromania | 18 | 2 | 10,000,000 |
| 1987年 | ヒステリア | Hysteria | 1 | 1 | 13,000,000 |
| 1992年 | アドレナライズ | Adrenalize | 1 | 1 | 3,000,000 |
| 1996年 | スラング | Slang | 5 | 14 | 500,000 |
| 1999年 | ユーフォリア | Euphoria | 11 | 11 | 500,000 |
| 2002年 | X | X | 14 | 11 | - |
| 2006年 | Yeah!〜イエーイ! | Yeah! | 52 | 16 | - |
| 2008年 | ソングス・フロム・ザ・スパークル・ラウンジ | Songs From The Sparkle Lounge | 10 | 5 | - |
[編集] コンピレーションアルバム
| 発売年 | タイトル(邦題) | タイトル(原題) | UK | US | 全米売上 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1993年 | レトロ・アクティブ | Retro Active | 6 | 9 | 1,000,000 |
| 1995年 | デフ・レパード・グレイテスト・ヒッツ | Vault:Def Leppard's Greatest Hits (1980-1995) | 3 | 15 | 4,000,000 |
| 2004年 | ベスト | Best of Def Leppard | 6 | - | - |
| 2005年 | ロック・オブ・エイジズ | Rock of Ages:The Definitive Collection | - | 10 | 1,000,000 |
全米通算売上枚数 3500万枚
- 売上はRIAA(全米レコード協会)による認定枚数。
[編集] 日本公演
- 5月17日 国立代々木競技場第一体育館、19日 横浜文化体育館、21日,22日 大阪フェスティバルホール、24日 名古屋市公会堂
- 6月11日 名古屋国際会議場センチュリーホール、13日 広島厚生年金会館、14日 福岡サンパレスホール、17日 大阪城ホール、18日,19日 日本武道館、21日 横浜文化体育館、22日 仙台サンプラザ
- 9月24日 名古屋市民会館、26日 大阪フェスティバルホール、27日 大阪厚生年金会館、28日 Zepp Fukuoka、30日,10月1日,2日 東京国際フォーラム ホールA、4日 パシフィコ横浜国立大ホール
- ホワイトスネイクとのジョイント・ツアー
10月23日,24日 日本武道館、27日 大阪城ホール、28日 名古屋 日本ガイシホール