ラット (バンド)
| ラット RATT |
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バンドロゴ
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | グラムメタル ハードロック LAメタル |
| 活動期間 | 1981年 - 1992年 1997年 - 現在 |
| レーベル | ロードランナー ポートレイト/エピック アトランティック |
| 共同作業者 | オジー・オズボーン ドッケン |
| 公式サイト | THERATTPACK.COM |
| メンバー | |
| スティーヴン・パーシー(ボーカル) ウォーレン・デ・マルティーニ(ギター) カルロス・カヴァーゾ(ギター) ロビー・クレイン(ベース) ボビー・ブロッツァー(ドラム) |
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| 旧メンバー | |
| ロビン・クロスビー(ギター) フォアン・クルーシェ(ベース) ジョン・コラビ(ギター) |
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ラット(Ratt)はアメリカのハードロックのバンド。1980年代に隆盛したLAメタルの代表的存在で、モトリー・クルーと双璧をなす人気を誇り、全米で1600万枚、全世界で3000万枚以上のアルバム総セールスを記録した。
目次 |
略歴 [編集]
結成~デビュー [編集]
1976年にスティーヴン・パーシーを中心にカリフォルニア南部サンディエゴでMicky Rattとして結成。 その後ロサンゼルスへ移り、後にオジー・オズボーンに選ばれるギタリストのジェイク・E・リーが参加する。1981年バンド名をRattとして活動を続けるが、リーを含む初期のメンバーらがラフ・カットを結成するためグループを脱退。バンドはパーシーとギタリストのロビン・クロスビーを中心にメンバーを再編する。リハーサル、ライヴを重ねた末、ドラマーとしてボビー・ブロッツァーが加わり、またパーシーとクロスビーの地元サンディエゴから当時18歳のギタリスト、ウォーレン・デ・マルティーニが参加。最後にベーシストのフォアン・クルーシェがドッケンを脱退してバンド加入しラットのデビュー・メンバーとなる。
1983年8月に自主制作盤「RATT」でデビュー。派手なファッションと化粧、明るく開放的な音楽性はラットン・ロール(RATT N' ROLL)と呼ばれて人気を博し、モトリー・クルーとともにLAメタルのブームを牽引した。
このバンドがLAメタル特有の独特なスタイルを築いた経緯はベーシストのクルーシェがドッケンの元メンバーであった事による効果もあるが、それ以上にバンドの作曲面での中心人物であったクロスビーとモトリー・クルーの中心人物であるニッキー・シックスがそもそものルームメイト同士であった由縁が強いとされる。
メジャー・デビュー [編集]
アトランティック・レコードと契約してプロデューサー、ボー・ヒルのもと1984年3月にメジャー・デビューアルバム「OUT OF THE CELLAR」(全米チャート7位)をリリース。シングル「ラウンド・アンド・ラウンド」がMTVを通じて全米でヒットを起こし、日本ではSONY MUSIC TVを通じてラットブレイクのきっかけとなった。
1985年7月に2ndアルバム「INVASION OF YOUR PRIVACY」リリース(全米チャート7位)。特にシングル・ヒット「レイ・イット・ダウン」のヴィデオに当時のプレイボーイ誌のモデルMarianne Gravatteが出演、PMRCによる検閲を受けることでグラム・メタルのグラマラスなイメージを高めていった。オジー・オズボーンやボン・ジョヴィらとともにイギリス、アメリカ、日本などで公演を行い9月にイギリス・ドニントンでのモンスターズ・オブ・ロックに出演する。
1986年8月に3rdアルバム「DANCING UNDERCOVER」リリース。この頃からメイン・ソングライターの座がクロスビーからデ・マルティーニへ徐々に移っていく。収録曲「ボディ・トーク」がエディ・マーフィー主演の映画『ゴールデン・チャイルド』に起用された。若手のポイズンをサポートに起用し1987年にかけてアメリカ国内、ヨーロッパでツアーをおこなう。同年2度目の来日公演。
1988年11月に4thアルバム「REACH FOR THE SKY」リリース。1989年3度目の来日公演。
1990年8月に5thアルバム「DETONATOR」リリース。メジャーデビュー以降、すべてのアルバムをプロデュースしてきたヒルが制作を離れ、ヒットメイカーであるデズモンド・チャイルドを起用、ジョン・ボン・ジョヴィもゲスト参加、と話題となるも結果的にバンド初のプラチナムに届かない作品となった。
時代は既にグランジの様なオルタナティヴ・ロックの時代に移っており多くのグラム・メタルのグループは大手レーベルの契約を失う様になっていった。別の問題としてクロスビーは重度のヘロイン中毒に陥っていた。
1991年2月の来日公演後、クロスビーのリハビリに伴い、マイケル・シェンカーがグループをサポートすることになる。9月にベストアルバム「RATT & ROLL 8191」リリース後、アトランティック・レコードとの契約を解除される。すでにクロスビーは新しいグループで活動を開始し、相まって1992年にバンドを解散することとなる。
解散~再結成 [編集]
スティーヴン・パーシーはグループを離れ、アーケイド (Arcade)を結成。ウォーレン・デ・マルティーニは1994年にホワイトスネイクに参加、ソロ作品をリリースする。
1994年にクロスビーはHIVの保持者として診断される。(ヘロイン注射の回し打ちで注射針から感染した)
1997年にスティーヴン・パーシー、ウォーレン・デ・マルティーニ、ボビー・ブロッツァー、元ヴィンス・ニール・バンドのロビー・クレインのラインナップで再結成。未発表曲集「COLLAGE」をメジャー・レーベル、ソニーからリリース。
1999年には再びバンド名を冠した6thアルバム「RATT」をリリースするもパーシーが脱退。
その後はウォーレンを中心としジジー・パールやジョン・コラビ(元モトリー・クルー)をメンバーに加え活動を続けていたが、その後バンドは再び解散することとなる。
2002年6月6日、ロビン・クロスビー、エイズにより42歳で死亡(闘病苦からの自殺説あり)。
2007年、2枚目のベストアルバム「TELL THE WORLD: THE VERY BEST OF RATT」をリリースし、パーシー、デ・マルティーニ、ブロッツァーを中心に再結成ギグを行う。
2008年8月、元クワイエット・ライオットのカルロス・カヴァーゾが加入。
2010年4月、ロードランナー・レコードから11年ぶりのニュー・アルバム「INFESTATION」がリリースされた。
バンドメンバー [編集]
全盛期のメンバー [編集]
- スティーヴン・パーシー(Stephen Pearcy) (ボーカル)1959年7月3日カリフォルニア州ロングビーチ出身
- ウォーレン・デ・マルティーニ(Warren DeMartini) (ギター)1963年4月10日イリノイ州シカゴ出身
- ロビン・クロスビー(Robin Crosby)(ギター)1959年8月4日カリフォルニア州ラ・ホヤ出身
- フォアン・クルーシェ(Juan Croucier) (ベース)1959年8月22日キューバ、サンティアーゴ・デ・クーバ出身
- ボビー・ブロッツァー(Bobby Blotzer) (ドラム)1958年10月22日ペンシルベニア州ピッツバーグ出身
現在のメンバー [編集]
- スティーヴン・パーシー (ボーカル)
- ウォーレン・デ・マルティーニ (ギター)
- カルロス・カヴァーゾ(ギター)
- ロビー・クレイン (ベース)
- ボビー・ブロッツァー (ドラム)
ディスコグラフィー [編集]
オリジナル・アルバム [編集]
- 7位 3Xプラチナム(US)
- 1985年 インヴェイジョン・オブ・ユア・プライヴァシー - Invasion Of Your Privacy -
- 7位 2Xプラチナム(US)
- 1986年 ダンシング・アンダーカヴァー - Dancing Undercover -
- 26位 プラチナム(US)
- 1988年 リーチ・フォー・ザ・スカイ - Reach For The Sky -
- 17位 プラチナム(US)
- 23位 ゴールド(US)
- 169位(US)
- 2010年3月 インフェステイション- Infestation -
- 30位(US)
コンピレ-ション・アルバム [編集]
- 1991年 ラットン・ロール 8191 - Ratt N Roll 8191
- 57位 ゴールド(US)
- 49位(US)
外部リンク [編集]
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