SONY MUSIC TV

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SONY MUSIC TV
ジャンル 音楽番組
放送時間 金曜日23:30 - 26:50→23:30 - 25:30→23:30 - 25:00(200→120→90分)
放送期間 1983年12月~1994年9月
放送国 日本の旗 日本
制作局 テレビ神奈川
プロデューサー 住友利行ほか
出演者 ヒロ寺平(不定期ナレーション)
音声 ステレオ放送
オープニング PINK「Zean Zezn #0」→ HALO「AMANA」
エンディング PINK「水の都」→「SOUL FLIGHT」

特記事項:
一社提供番組
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SONY MUSIC TV(ソニー・ミュージック・ティーヴィー)は1983年12月から約10年にわたりテレビ神奈川(TVK)をキーステーションに、金曜夜23:30から放送された音楽番組洋楽プロモーションビデオを中心に紹介した番組)である。当時、各地で放送されたプロモーションビデオ番組の一つといえよう(当時はプロモーションビデオがレコード会社各社から「プロモーション用」として無料もしくは極めて安価で提供されており、米・MTVが注目を集めていた時期とも相まって、キー局を含め各局が制作していた)。

目次

[編集] 概説・歴史

ソニー一社提供の音楽番組で、開始当初の放送時間は200分(3時間20分)。この放送時間は自社製品のVTRベータマックスのプロモーションを兼ねており、放送と連動して200分テープ・L-830が発売された。当時のVHS標準モードは最長120分(2時間)~160分(2時間40分)であったため1本のテープに録画できないことから、ベータ方式の優位性をアピールすることができた。しかしソニーがVHS方式のVTRを発売開始した1989年(平成元年)春改編で放送時間が2時間に短縮され、1993年(平成5年)頃には更に短縮され、90分枠での放送(番組開始時の半分以下の放送時間)となった。

番組スタート時はTVKと近畿放送(KBS京都)の共同制作であったが、1984年にTVKで音声多重放送(この場合はステレオ放送)が開始され、それを受けてTVKの単独制作へと切り替わった[1](実際の番組制作を担当したのは、番組制作会社のインプットビジョン)。ネット局はTVK・KBS京都・サンテレビジョンの3局。後に千葉テレビ放送テレビ埼玉テレビ愛知へとネットが拡大した。基本的には同時ネット番組であったものの、テレビ東京系列であるテレビ愛知は、編成上の都合から60分遅れネットとなり[2]、サンテレビでは阪神戦中継が延長の場合に限り、放送時間を繰り下げて対応していた。

一度、放送日が大晦日になった1993年12月31日のみ、横浜市内の海の見えるカフェバーから生放送の独立U局年末特番として独立Uにフルネットされたことがある。『ゆく年くる年』終了後、独立U局では毎年フルネットの年越し特番を放送していた(1998 - 1999年まで)ことから、この年の大晦日がちょうど金曜日だったための措置となったのである。このときに限っては、本来非ネット局である群馬テレビ岐阜放送テレビ和歌山等でもネットされた一方で、テレビ愛知ではテレビ東京系列の特別番組及び編成が優先されたことから、当該回は放送されなかった。

当時、パーソナリティを置く洋楽ビデオ番組は他にも存在したが、期首期末など特別企画時を除き、司会者やゲストなどは一切なく(それ以前に収録のためのスタジオも使用せず)。オープニングに続いていきなり1本目のビデオ・クリップが流れ、以降はただひたすらに時の新作、ヒット曲を中心としたビデオが、時折ロゴのアニメーションやソニー製品のCMを挟みつつ、終了時刻まで淡々とオンエアされるという、人件費のかからない極めて安上がりな番組であった。とはいえ、当日のオンエア曲目は、電話での自動音声による案内と、ネット局本社・支社などの受付での無料配布、TVK・FAXサービスでのコピー紙の無料配布によって、分刻みのかなり詳細なオンエア時刻まで照会することができたので、視聴者はビデオでの予約録画にたいへん重宝した。ラジオ番組におけるエアチェックを見習ったファン・サービスだったといえる。番組詳細は小学館が当時発売していた隔週刊テレビ情報誌「テレパル」でも毎号掲載された。

また、他の同種番組でよく見受けられた「クリップの最後がフェイド・アウトされたり、冒頭部分がカットされるような事態」もまったくなく、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のような長いクリップなども全編ノーカットでオンエアされた。

小林克也の「ベストヒットUSA」(テレビ朝日)、ピーター・バラカンの「ザ・ポッパーズMTV」(TBS)といった、パーソナリティの個性に委ねられた番組にはないクールな良さが人気だったといえる。

放送100回目を迎えた週は、冒頭に「Fright Night」が流れたほかは、それまでの回で1曲目に紹介したクリップ(つまりツカミ)が放送されるという、ある種の「総集編」「回顧企画」的な構成であった。

プロモーションビデオ毎に番組のロゴがテロップ(ストリーミングジングルズ)で出るが、小さいロゴであるせいか「SONY MTV」と「USIC」が省略された形で表示されていた(本来は当然「SONY MUSIC TV」)。クリップの間にはアニメーションのロゴも存在した。末期には番組に八分音符の形をかたどったキャラクターも出現し、欧米風女性につかまえられるCGアニメにも登場していた。

オープニングはPINKの「ZEAN ZEAN #0」(後期はPINKの福岡ユタカが在籍したユニットHALOの「AMANA」原型)、エンディングはPINK「水の都」である(後にエンディング曲は同じくPINKの「SOUL FLIGHT」へと変更された)。初代オープニングの人物もPINKと思われる。エンディングでは独自のCGアニメが存在した。なおオープニングでは、放送期間中TVK制作の音楽番組の冒頭で共通に流れていたその時々のビジュアルロゴ(例えば「Let's feel the music telepathy」)も流れ、ネット局でも見ることができた(「ミュージックトマト」「ミュージックトマトJAPAN」等でも同様)[3]

[編集] 番組の終焉とその後

段階的に放送時間枠が縮小されつつも、約11年続いた当番組であったが、洋楽ブームの落ち着きや、一部ビデオクリップの有償化などの動き、さらにはスポンサーやネット局の意向など種々の事情から1994年9月、番組の幕を下ろした。

なお、当番組終了後はTVKのみ引き続き、ソニー一社提供によるビデオクリップ紹介番組が継続され(番組枠はさらに短縮され60分枠に)、SONY MUSIC DISC(1994年10月~)→SONY MUSIC ACCESS(2000年4月~2004年9月24日)と変遷した。この2番組については選曲者や選曲コンセプトを週替わりで明確にしたことにより、最新ヒットなどをノンストップで放送していた当番組とは趣を異とする部分も見られた。ちなみに当番組終了後、TVKとテレビ愛知以外のネット各局は、KBS京都制作の30分枠音楽番組2本のネットに移行した。

[編集] 関連項目

TBS1980年代に深夜枠で放送されたソニー一社提供の映画番組。番組の最後に映画のビデオソフト(β版)のプレゼントコーナーがあった。
フジテレビで1986年9月から1987年2月まで放送された番組。VHSビデオ陣営の家電メーカー各社が共同提供し、当番組のほぼ真裏の時間帯に編成されていた。詳細は当該項目参照。

[編集] 脚注

  1. ^ 音声多重放送になってすぐ切り替わったのではない。
  2. ^ 当番組ネット局で唯一、在京キー局のネットワーク系列局であったテレビ愛知は、編成上の制約があったため、テレビ愛知ならではと言えるエピソードもある。そのいくつかを列記する。
    • 24時間放送が未実施だった当時、テレビ愛知の放送終了が3:50なのはかなり斬新であった。
    • テレビ愛知はテレビ東京系ネット番組など編成上の都合で金曜に放送できないときは、水曜の同様の時間帯(映画枠)に曜日を変更しての繰り上げ振替放送を行った。
  3. ^ これは、TVKの音楽番組制作を一手に引き受けていたTVKミューコム(現:ミューコム)の担当番組であるというクレジット代わりであり、TVK制作部音楽班の共通ジングルとして。TVKの音楽番組すべての冒頭に差し込まれていたものである。当番組もTVK制作部音楽班担当ゆえ、当然の如く差し込まれていた。

[編集] 外部リンク

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