マイケル・シェンカー
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| マイケル・シェンカー (Michael Schenker) |
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| 基本情報 | |
| 出生 | 1955年1月10日(54歳) ドイツSarstedt |
| ジャンル | ハード・ロック ヘヴィメタル |
| 職業 | ギタリスト |
| 活動期間 | 1974年 - 現在 |
| レーベル | BMG |
| 共同作業者 | マイケル・シェンカー・グループ UFO スコーピオンズ |
| 影響 | リッチー・ブラックモアなど |
| 公式サイト | Official Website |
| 著名使用楽器 | |
| Gibson Flying V Dean Signature V model |
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マイケル・シェンカー(ミヒャエル・シェンカー、Michael Schenker、1955年1月10日 - )は、ドイツ出身のハードロック/ヘヴィメタルのギタリスト。
ギブソン社のギター「フライングV」を使用していることが有名。
ドイツのバンド、スコーピオンズに結成時より参加。まもなく英国のバンドUFOに加入。数々の名演を残す。脱退後は自らのバンド、マイケル・シェンカー・グループを結成。ロック・ギターの名手として一時代を築いた。
「Michael Schenker」のドイツ語読みは「ミヒャエル・シェンカー」(なお、一部の方言を除き、Schenkerはシェンケルとは発音されない)。ドイツではミヒャエル・シェンカーと呼ばれる。
スコーピオンズのリーダー、ルドルフ・シェンカーはマイケルの実兄。
目次 |
[編集] 特徴
奏法そのものはペンタトニック・スケール主体の極めてオーソドックスなロック奏法(セオリー通りの奏法)の積み重ねで、アイディアや速弾きはあっても、革新的な奏法を開発したわけではないとされる[誰?]。マイケルの奏法の基礎はハンク・マーヴィンなどに影響されたものであると言われる[誰?]。
またロックの世界では音楽以外の部分の伝説も重要な一部であるが、マイケルの場合もこれらの伝説(しかも殆どは実話だといわれている[誰?]。下記参照)には事欠かない。
彼の使用するギターにはトレモロユニットが搭載されておらず、また当人もそれを設置することに能動的ではないが[要出典]、ギターボディーを足で固定し、ネックを強引に歪曲することでトレモロアームを使用するのと同様のサウンドエフェクトを発生させることがある。そのような奏法のため、結果的にネックを折ってしまうことがとても多く、毎回修復するクラフトマンは苦労が絶えないという。
[編集] 経歴と逸話
- 兄・ルドルフと結成したスコーピオンズではリード・ギターとしてデビューアルバムにも参加している。1972年、スコーピオンズはドイツ・ツアー中のUFOの前座を務めることになったが、UFOのギタリスト、ミック・ボルトン(バーニー・マースデンとの説もあり)が突如失踪。困ったUFOは前座バンドからマイケルを借りることでなんとかステージを終える(当時のUFOはスタンダード・ナンバーの他は、即興演奏が殆どを占めるバンドであった)。その後ギタリスト探しは難航し、マイケルを英国に呼ぶことになるが、英語ができない上に内気な性格だったマイケルは最後まで難渋した。最後に決断させたのは兄・ルドルフの励ましだったという。当時17歳であり、ガールフレンドが英語の通訳をした[要出典]。
- ミック・ボルトンの行方は杳として知れなかったが、随分経った後年になんとマイケル・シェンカー・グループのローディ(コンサートスタッフ)として活動しているのを伊藤政則が紹介され、大変驚いたという[要出典]。
- スコーピオンズでマイケルが弾いているのはレスポール・モデルのギターであり、フライングVではない[要出典]。ギブソン社の変形モデル再生産シリーズの第1号であるこのギターを購入したのはルドルフである[要出典]。UFO加入時に兄と交換したと言われているが、その後兄もフライングVを再度購入した[要出典]。
- UFOにおいては、英語が話せない上に、気むずかし屋で英国流の冗談・偏屈のきついリーダー、フィル・モグと理解し合うのは至難の業だった[要出典]。それに加えてもともと内向的な性格だったこと、しかし演奏については極端な完璧主義者であることなどから、精神的に追いつめられることが多かったと言われる[誰?]。またUFO全体がアルコールや麻薬の問題を抱えていたとも言われている。伝説によればバンドを飛び出して放浪すること数回(しかし無理矢理連れ戻される)、新興宗教にのめりこみ、美しい金髪を自ら切り刻み…とあるが[誰?]、本人によれば気晴らしに旅行をした程度で宗教には深く関わっていない(後にラエリアン・ムーブメントには傾倒するが)とのこと[要出典]。ただし金髪をずたずたに刈った後の様子は現存するライブ映像で確認することができる。
- UFO脱退後、アルコール中毒の治療をうけ音楽シーンに復帰。そのころには多少英語にも慣れ、MSGでの活動はUFOよりも順調に見えたが、今度は自らバンドを率いてゆくプレッシャーからトラブルを抱え込むことになる。特に活動絶頂期において、コージー・パウエルが神経質にリハーサルを繰り返すマイケルに嫌気がさして脱退した事件は、多くのファンを嘆かせた[要出典]。
- ファーストアルバムのプロデューサーは、ディープ・パープル~レインボーのロジャー・グローヴァーである。
- その後ロビン・マッコーリーと双頭体制を組み比較的安定したように見受けられたが、1990年代に入ると音楽シーンは伝統的ハードロックを受け付けないようになってしまい、本来不器用な彼にとっては活動しにくい時代になってしまう。以降はアコースティックへの傾倒や宗教的発言の数々など、独自の活動に入っているが、UFOやMSGの再結成で見せるエレクトリックのプレイの方を好むファンも多い[要出典]。そのUFOの再結成(1995年)は、後にフィル・モグとの仲違いでマイケルはUFOから脱退した[要出典]。
- 2000年、離婚したために慰謝料や子供の養育費などを捻出する必要に迫られ、愛車メルセデスと値打ちの有る全てのフライングV、及び自身が作り上げた音楽の主たる権利を手放した[要出典]。
- 時にはライブの途中でギターを放り投げて演奏を放棄してしまうこともあり、このことに関してファンの間では「マイケル・シェンカーだからしょうがない」という同情的な見方と、「マイケルふざけるな!」という怒りの反応に二分されている[要出典]。日本でも最近の例として2006年11月の中野サンプラザ公演において、二日酔いの殆ど演奏が不可能な状態でステージに登場し、2曲が終わった所でステージから降りてしまうという事件が発生した(翌年2月に振り替え公演)。
- 2006年、ヴァッケンの野外コンサートで息子でギタリストのタイソン・シェンカーと競演した。タイソンはバンド、Faster Infernoのメンバーである。
- ネット上では自身の公式ウェブサイトにおいてメンバーとやりとりした電子メールの内容を公開したり、ツアーの不出来を謝罪する文言を掲載したベーシストのレヴ・ジョーンズのウェブサイトや、彼のアジアツアーの不出来を報じた日本人のファンサイトを名指しで非難するなどの奇行を繰り返している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- michaelschenkerhimself.com(公式サイト)


