P-MODEL

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P-MODEL
核P-MODEL
基本情報
出身地 日本の旗 日本
ジャンル テクノポップ
ニュー・ウェイヴ
ポストパンク
活動期間 1979年 - 1988年
1991年 - 1993年
1994年 - 2000年
2004年 -
レーベル ワーナーパイオニア
1979年 - 1981年
ジャパンレコード
1982年 - 1984年
アルファレコード
1985年 - 1986年
ポリドール
1992年 - 1993年
DIW/SYUN
1994年 - 1995年
日本コロムビア
(1995年)
日本コロムビア/TESLAKITE
1996年 - 1997年
マグネット/TESLAKITE
1999年
ケイオスユニオン/TESLAKITE
2000年2004年 - )
事務所 MODEL HOUSE
1979年 - 1988年
アイスリープロモーション
1989年 - 1996年
ケイオスユニオン
1997年 - )
公式サイト [1]
メンバー
平沢進(ボーカル、ギター)
PEVO1号(ギター)
旧メンバー
田中靖美(キーボード)
田井中貞利(ドラムス)
秋山勝彦(ベース)
菊池達也(ベース)
三浦俊一(キーボード)
横川理彦(ベース)
荒木康弘(ドラムス)
中野照夫(ベース)
高橋芳一(システムズ)
ことぶき光(キーボード)
藤井ヤスチカ(ドラムス)
上領亘(アルゴリズム)
福間創(システム1)
小西健司(システム2)
TAINACO(ヴァーチャル・ドラマー)

P-MODEL(ピー・モデル)は、日本音楽グループ

1979年プログレッシブ・ロック・バンドの「マンドレイク」を母体に、平沢進がリーダーとなって結成され、シングル『美術館で会った人だろ』でデビュー。その後、民族音楽テクノを融合させたようなアジアン・テクノ、独自の世界観を持った歌詞表現などで独特の音楽を展開していった。

1988年に「凍結」と称して活動を休止。1991年に「解凍」と称して活動を再開するが、2000年に再び「培養」と称して活動を休止している。

ここでは、2004年から断続的に活動している核P-MODELも記述する。

略歴[編集]

初期[編集]

  • 1979年1月1日結成。オリジナル・メンバーは「マンドレイク」から平沢進、田中靖美、田井中貞利、そして彼らのファンだった秋山勝彦。ステージでのデビューは同年3月下北沢ロフト。ヴァン・ヘイレンの来日ライブの前座を務めたことで人気に火が点き、同年7月シングル『美術館であった人だろ』でメジャーデビューした。
  • 1980年1月には、P-MODELの個人事務所「MODEL HOUSE」主催の初の全国ツアー「P-TRICK PLAN」開始。テクノ御三家の1つとして様々なメディアにも出演した。
  • 1980年5月、過熱するテクノポップブームへの危機感からバンドは大幅な路線変更を打ち出した。これに伴い秋山とバンドの間でステージパフォーマンスの方向性に食い違いが生じ、秋山は同年11月に脱退した(実際は解雇に近い形である。2ndアルバムでは秋山も楽曲製作に携わっていたが、中心となっていたのはあくまでも平沢と田中であった)。

中期[編集]

  • 残った3人で3rdアルバム『POTPOURRI』を制作し、1981年3月発表。ライブでは平沢が講師を務めたシンセサイザー教室の生徒だった菊池達也が参加し、後に正式にメンバーとなった。
  • 1982年、4thアルバム『Perspective』を発表。この頃にはテクノポップ時代の曲は殆どやらなくなり、「potpourri」「Perspective」と次のアルバム収録曲[1]や自作楽器「ヘヴナイザー」による実験演奏を主にしていった。
  • 1983年3月、アイデアの枯渇を理由に田中が脱退。高校を卒業したばかりの三浦俊一が後任として加入。
  • 83年中に5thアルバム『ANOTHER GAME』を発売する予定であったが、歌詞の一部に修正を迫られたため延期を余儀なくされ翌年2月に発売。これが原因でジャパンレコードとの契約を解消し、「P-MODEL ANOTHER ACT」と称してインディーズでレコード・ソノシートを発表する。
  • 1984年8月に菊池が脱退し、「4-D mode1」から引き抜く形で横川理彦が加入。同年10月、カセットブック『SCUBA』を発表。また同年付で田井中の脱退が決定し、同じく同年一杯で解散した「ALLERGY」から荒木康弘が加入。また「ALLERGY」の解散ライブで「」として出演し、これが旬の唯一のライブとなった。
  • 1985年にはアルファレコードへ移籍。同年10月に6thアルバム『KARKADOR』を発表するも、12月のKARKADORツアーを最後に横川、三浦が揃って脱退。ローディとして出入りしていた中野照夫、高橋芳一が加入する。
  • 1986年6月、7thアルバム『ONE PATTERN』を発表。
  • 1987年頃からアルバム『モンスター』の制作を開始するが、レコード会社との契約交渉が難航。4月には荒木が「どうしてもガラパゴス島に残りたい」として脱退(実際には一身上の都合で止む無く引退)し、田井中が「パートII」と称して復帰。9月には高橋が脱退。その後ことぶき光が加入するも結局アルバムはお蔵入りとなり、最終的に1988年12月のライブをもって「凍結」すなわち一時的な休止状態に陥った。これにより、平沢はソロミュージシャンとして再出発することとなる。
  • 1987年にはケラと共に、初期P-MODELのコピーバンド「此岸のパラダイス亀有永遠のワンパターンバンド」として渋谷ラ・ママのライブイベントに出演。目標はP-MODELの前座としてその後も数回ライブを行い、念願のP-MODELの前座を務めた後解散した。

凍結後[編集]

  • P-MODEL凍結後、平沢は様々な雑誌のインタビューでP-MODEL復活の質問をされていたが、平沢は全て復活を否定していた。しかし、平沢ソロライブでは、P-MODEL時代の楽曲が数曲演奏され、バックバンドにも元メンバーのことぶき光や秋山勝彦が在籍していた。
  • 1990年、平沢ソロライブ「ERROR FORCE」に「此岸のパラダイス~」メンバーでP-MODELが一夜限りの復活。この時はシャレとしての復活だった。

解凍期[編集]

  • 1991年9月に平沢はソロのサポートメンバーであったオリジナル・メンバーの秋山、「凍結」直前のメンバーのことぶき光、事務所の後輩だったR&Rバンド「ザ・グルーヴァーズ」のドラマーの藤井ヤスチカの3人を迎えて「解凍」ライブで活動を再開。よりテクノ感・サイバー感を高めたサウンドを展開する。3年間限定の活動の中で『P-MODEL』『big body』を発表し、1993年10月のライブをもって1年間の「改訂」と呼ばれる一時的な活動休止期間に入る。

改訂期[編集]

  • この時期のP-MODELは「電子船P-MODEL号が旅に出る」というコンセプトを掲げており、アルバムやライブ、インターネットを通じて物語が進んでいく、平沢ソロでのインタラクティブ・ライブの発展形が行われた。「電子船P-MODEL号」はアルバムによって「Black in White船団」「回収船P-MODEL号」と名称が変わっていった。
  • 1994年12月に平沢は自分以外のパーソネルを一新して活動を再開、「4-D mode1」の小西健司、小西と親交のあった福間創、元「グラスバレー」のドラマーで平沢のソロのバックバンドも務めた上領亘が加入する。本来ならば1994年9月に日比谷野外音楽堂にて活動再開する予定だったが、メンバー候補者の1人であったTAKA[2]が辞退したことにより難航。この公演は平沢ソロライブ「平沢三幕三時間」に変更された。この時に小西はP-MODEL加入を希望した[3]
  • 1993年1995年にはファンクラブ主催のP-MODELのコピーバンド大会『Errors of P-MANIA!』が開催され、加藤賢崇らと元P-MODELメンバーなどがそれぞれ別の楽器を演奏する「亀有タワーズ」を結成。
  • 1995年12月、10thアルバム『』を発表。全国ツアー「電子舟訪日行脚」開始、各地でP-MODELの当時の公式サイトを歌にした楽曲「http」をファンに唱和させた。このツアーの模様は当時の公式サイトにて配信されたが、現在では特別サイト「凝集する過去 還弦主義8760時間」で視聴可能。
  • 1996年10月の「Branch-O」より、P-MODELメンバーがそれぞれ別れて活動するプロジェクト「Unfix」が開始。しかし11月15日 東京新宿リキッドルームにて開催されたオールナイト・イヴェント“Unfix ♯3 コミュノ・ハイブリディア”にて平沢が欠席。理由は「風邪のため」と発表されたが、数日後平沢自身がGHOST WEB上において「私は風邪ごときで休むような人間ではない。休んだ本当の理由は言えないが」という発言がなされた。翌1997年、平沢はそれまで所属していたアイスリープロモーションを離脱し、自ら新事務所ケイオス・ユニオンを設立した。
  • 同年、ソロに専念するために上領亘はP-MODELを脱退し、その後はCGのドラマー「TAINACO」をメンバーとし、実質3人体制での活動となる。「Unfix」は「レイヤー・グリーンの危機 -議定書を探せ-」という物語に変化し、シングル『ASHURA CLOCK』『LAYER-GREEN』11thアルバム『電子悲劇/〜ENOLA』を発表した後、全国ツアー「LIVE電子悲劇」で完結した。
  • 1999年、20周年プロジェクト「音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE」を開始、新アルバムをMP3で配信すると発表し、そのために平沢とP-MODELは日本コロムビアを離脱し、ホームページにP-PLANTを立ち上げMP3配信を行なった。「VIRTUAL LIVE」シリーズ3作と12thアルバム『音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE』を発表。同年6月には“80年代的ニューウェーブの回収”と称してライブイベント「Future Screen of Tokyo New Wave」に出演、POLYSICSらと共演した。
  • 2000年、20周年プロジェクト「音楽産業廃棄物」のフィナーレを飾るイベント「グローバル・トリビュート大作戦」がスタート。インターネットを介して平沢進/P-MODELのカバー楽曲を制作し海外の人に歌わせる趣旨であったが、完成したのは大半が国内ファンによるカバー楽曲であった。
  • 同年12月、「培養期」と呼ぶところの活動休止状態となったことが宣言された。表向きは活動休止だが、事実上の解散である[4]

培養後[編集]

  • 平沢は2001年、「Hirasawa Energy Works」にて平沢ソロ作品をP-MODEL風にアレンジした『Solar Ray』、翌年に全音源を網羅したバインダーCDセット『太陽系亞種音』を発表。その後、『太陽系亞種音』は2010年に発売中止になるも、2014年に装丁を変更して再発売された。

核P-MODEL期[編集]

  • 2004年、平沢一人が「核P-MODEL」なる名義で断続的に活動開始[5]。アルバム「ビストロン」発表、ライブ「トーキョービストロン」を行った。
  • 2005年2008年には中野ブロードウェイに存在するお店「メカノ」限定のマキシシングルを発売。
  • 2013年、平沢の兄YOU1プロデュースのニューウェーブ喫茶「GAZIO」がオープン。4月26日から30日までプレオープンイベント「CYCLE-Z」が開催し元メンバーも来店。その中で核P-MODELの新譜の制作を開始することが発表され、同年11月、「гипноза」発売。
  • 2014年1月、ライブ「パラレル・コザック」を行い、10月には平沢ソロと核P-MODELのハイブリッドライブ「HYBRID PHONON」が行われた。
  • 2014年12月には、平沢がかつて在籍していたポリドール(現在はユニバーサルミュージック)より、「BITMAP 1979-1992」のDVDが発売。

音楽性[編集]

時期によって激しく変遷しているため、大きく初期、中期、解凍期、改訂期、核P-MODELと分けて記述する。

初期[編集]

中期[編集]

  • 過熱するテクノポップブームへの危機感から攻撃的、批評的な歌詞やテクノ的な音作りを捨て、奥行きを持たせた音の空間や、独自のリズム解釈、そして意味と音のバランスを作為的に崩したコトバの組み立てによる歌詞など実験的なアプローチへとバンドは大幅な路線変更を打ち出した。
  • 田中の脱退後はメンバー、音楽性の変遷を繰り返し、その中で他バンドの経験者やローディーだった者がメンバーとして採用されるにつれて、次第に平沢のワンマン・バンドとしての要素が強くなっていく。後に平沢はこのことが活動休止の遠因であったと述べている[7]。ライブではテープ・エコーを改造した「ヘヴナイザー」などの自作楽器やドラムサウンドのホワイト・ノイズ加工、MIDIギターやフレーズ・サンプリングの多用、横川のヴァイオリン、ステージ上から客席に鳥の餌を撒く、突然ヤマトのりをひねり出すなどのパフォーマンスで、個性的なステージングを展開した。この頃から平沢は現在でも続く直立不動で演奏を行うようになる。
  • 高橋の加入後は、封印されていたシンセサイザーやシーケンサー等も導入されたが、ライブでは生ドラムに合わせるために使用されず全て手弾きしていた。これは、シーケンサーとの同期を不得手としていた田井中に対する配慮のためである。

解凍期[編集]

  • 凍結前は意図的に避けていた「テクノポップ」を宣言し、よりサイバー感を高めたサウンドや、科学技術、特にコンピューター等をテーマにした歌詞、を展開している。また平沢ソロで培った、メロディやコンピュータのなかにプリミティヴな精神世界を見いだす姿勢が貫かれている。
  • メンバー選出に対し平沢は、「打ち込みができる人、楽器を弾けてルックスがいい人、そして秋山。」と語っているが、実際は事務所の後輩だった藤井ヤスチカ以外、元P-MODELメンバー兼平沢ソロバンド参加者であった。同じく平沢ソロバンドに参加していた砂原良徳にもオファーをしていたが、電気グルーヴ加入の話が先となりこの話は流れた。
  • ライブでは、ことぶき光のキーボードセットは「砦」と呼ばれ、キーボードやシーケンサー、「魂」と呼ばれる球体などが縦に立て掛けられたまま演奏した。[8]秋山はキーボード兼ダンス担当だったため、半裸でステージを縦横無尽に駆け巡る、常にマラカスを振りながら踊る、キーボードを蹴飛ばすなどのパフォーマンスを行った。

改訂期[編集]

  • 平沢と小西の二頭体制であり、この時期に発表された楽曲の半数近くは小西のものである。楽曲はメンバーの個人製作が中心となり、また打ち込みや「Miburi(ミブリ)」、ファミコンの周辺機器を改造した「パワー・グローブ」といった電子楽器群の比重が高まったため、解凍期から徐々に希薄化していたバンド色がこの時期にはさらに薄れ、ライブでも打ち込み音源がメインとなっていった。
  • 北欧、東洋的メロディやリズムといった平沢ソロの手法もより積極的に取り入れられ、解凍期とは異なる、アジアンテイストが加わった“アジアン・テクノ”なるサウンドを展開。「電子悲劇/〜ENOLA」ではタイでのレコーディングを行った。また、指揮棒を振り回す、バナナを客席に投げる、テレビカメラを持ち込み観客を映すなど、個性的なパフォーマンスも受け継がれた。バンド結成から平沢はボーカル・ギター担当であったが、上領が脱退した1997年よりボーカル・ギター兼キーボードにパートチェンジした。
  • インターネットを活動のキーワードとしており、P-MODEL加入の理由として小西はインターネットの発達により大阪に居ながら東京の平沢との楽曲制作が可能になったこと、福間はパソコン通信で小西に誘われたことを理由として挙げている[9]。ライブではホームページを活用した観客とのインタラクティブなやりとりや、ステージングひとつひとつに意味を持たせた独自の世界観を構築していった。

核P-MODEL[編集]

  • 当初は平沢のソロプロジェクトであったが、2ndアルバムでは田中靖美とPEVO1号がゲストで参加した。
  • 『太陽系亞種音』の物語の続編として位置付けられたコンセプトアルバムが中心。改訂期の平沢ソロ的手法は幾分抑えられ、よりテクノポップ的なサウンドとなっている。ライブでは「亜種音培養炉」と呼ばれる巨大なセットが鎮座している。この「培養炉」は2011年に起きた東北地方太平洋沖地震により破損し、そこから2ndアルバム「гипноза」の物語が始まる。
  • 2004年のライブ「トーキョービストロン」では、曲数が足りないことからP-MODEL時代の曲も演奏され、中でも「Solid Air」「フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘ」は新たにリメイクされて演奏された。2014年に行われた全てのライブではPEVO1号がサポートメンバーとして、「パラレル・コザック」では謎の毛糸帽の男(福間創)がゲストで登場した。

エピソード[編集]

  • マンドレイク結成時からの「パート不問」の伝統を受け継いでいる。このため元々キーボーディストだった秋山が田中の意向で未経験のベースを持たされた、横川がヴァイオリンを弾く際には平沢がベース、三浦がギターを弾く変則構成がとられた、中野照夫が前メンバーの脱退で空席となっていたベースとキーボードのどちらかを選択させられたなどのエピソードがある。ベース不在の解凍期以降も曲によっては秋山や小西がベースを弾いている。
  • 凍結以前の平沢は無駄に騒ぐ観客と静かにしている観客を嫌っていたが、1986年のライブ中、初めて平沢が観客に対して踊れと絶叫した。観客が盛り上がった為にモッシュが起こり、数名が倒れてしまうハプニングが起こった。
  • オリジナルメンバーであった秋山勝彦は、前身バンドマンドレイクの熱心なファンであった。アイドル的な存在が欲しかった平沢の思惑もあり、P-MODELへ加入。その思惑は当たり女性ファンは秋山に人気が集中したと語っている。
  • 活動再開こそ絶望視されているものの元メンバー同士の関係は良好であり、かつて平沢がプロデュースしたShampoo、PEVOのメンバーも交えて共演、共作など盛んに交流が行われている。2009年10月28日、DRIVE TO 2010に平沢進プレゼンツとして4-D mode1、Shampoo、PEVO、中野テルヲが出演。平沢も4-Dのステージにビデオ出演した。00年代は楽曲制作、ライブ共にほぼ一人で行っていた平沢も、12年のソロライブ「PHONON2555」にて荒木とPEVO1号、翌年の「ノモノスとイミューム」にて折茂昌美と久々に共演。14年の「パラレル・コザック」ではPEVO1号、福間創と共演している。

メンバー[編集]

所属年 ボーカルギター ベース キーボード ドラムス
1979年1月 - 1980年11月 平沢進 秋山勝彦 田中靖美 - 田井中貞利
1980年11月 - 1983年3月 菊池達也
1983年3月 - 1984年8月 三浦俊一
1984年8月 - 1984年12月 横川理彦
ヴァイオリン兼任)
1985年1月 - 1985年12月 荒木康弘
1986年1月 - 1987年3月 中野照夫 高橋芳一
System
1987年4月 - 1987年9月 田井中貞利
1987年11月 - 1988年12月 ことぶき光
1991年9月 - 1993年10月 秋山勝彦 秋山勝彦 藤井ヤスチカ
1994年12月 - 1997年6月 小西健司 福間創
System-1
小西健司
System-2
上領亘
Algorhythm
1997年10月 - 2000年12月 TAINACO

ライブ・データ[編集]

ツアーライブ[編集]

  • P-TRICK PLAN vol.1 (1980年1月3日~1月26日)
  • P-TRICK PLAN vol.2 (1980年3月28日~4月13日)
  • 万物三つこぶらくだの旅(1981年6月5日~6月9日)
  • BAND in Perspective (1982年3月8日~3月20日)
  • ANOTHER GAME TOUR (1983年10月24日~12月27日)
  • ANOTHER GAME TOUR 2nd (1984年3月16日~3月25日)
  • SCUBA TOUR (1984年8月28日~11月3日)
  • SCUBA TOUR(II) (1984年12月16日~12月23日)
    12月21日「因果律ランダムパーティ LAST part1」、12月22日「part2」、12月23日「アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティバル《冬の陣》」とサブタイトルが追加された。
  • P-MODEL TOUR (1985年10月26日~12月27日)
    最終公演では「“KARKADOR LIVE LAST”P-MODEL 2DAYS」として、2days公演となった。
  • “ONE PATTERN”TOUR (1986年7月19日~9月28日)
  • “ONE PATTERN”TOUR 2nd (1986年10月19日~10月25日)
  • Model House Presents tour (1987年5月8日~5月29日)
  • TOUR SENSONICS (1987年7月1日~7月26日)
  • P-MODEL TOUR'92 (1992年3月10日、3月18日)
  • TOUR ON GRID (1992年5月11日~5月19日、7月14日(振替公演))
  • 能率の予感 (1992年12月7日~12月11日)
  • BIG BODY TOUR (1993年5月26日~6月21日)
  • 電子舟訪日行脚 (1996年3月9日~4月26日)
  • LIVE 電子悲劇 (1998年1月21日~2月7日)
    それぞれ『COLOR-7、6、5、4、3、2、1、0』と変更された。
  • 音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE (1999年10月24日~10月28日、11月6日)
    追加公演には「音楽産業廃棄物 取扱技能者労働組合 総決起集会」に改題された。
  • 核P-MODEL LIVE トーキョー・ビストロン (2004年11月8日~11月13日)
  • 核P-MODEL LIVE パラレル・コザック (2014年1月11日~1月14日)
  • 平沢進×核P-MODEL HYBRID PHONON (2014年10月11日~10月13日)

ライブイベント[編集]

  • カナリアの籠展開図ぐるりと回る360度期待は記憶気のどくだねオゾノコブラノスキー (1981年10月18日「part1(Perspective)、10月31日「part2(Story)」、11月8日「part3(Canary)」)
  • 突拍子のためのLesson.1 BAND in Perspective (1982年3月26日)
  • MODEL HOUSE & office GIN-BAN presents VIDEO MUSIC (1982年11月21日「vol.1」、12月26日「vol.2 COOL INDEX」、1984年4月22日「vol.3」)
  • モデルハウス プレゼンツ 夏休み特別企画 NO GAMES NIGHT (1983年8月6日「vol.1」、8月7日「vol.2」)
  • SPECIALDAY&NIGHT (1984年4月15日)
  • “10MILES HIGH”P-MODEL 3DAYS (1985年5月26日~5月28日)
  • 埼玉県動説 重力過密地帯 (1986年4月28日)
  • MODEL HOUSE Presents Vol.1 (1986年5月9日)
  • ゼブラの日 (1986年11月26日)
  • 進化の軌跡 ガラパゴス島の待ち伏せ男 (1987年3月14日)
    「ガラパゴス島の待ち伏せ男」とはパーソネルに復帰した田井中のことを指す。
  • アトミック・カフェ (1987年4月24日)
  • 売上税黄金狂時代 (1987年4月25日)
  • Shoot the Monster (1987年6月20日)
  • 此岸のパラダイス亀有永遠のワンパターンバンド解散記念ライブ (1987年9月5日)
  • 埼玉県動説 II (1987年9月12日)
  • グレーテルの一撃? (1987年9月27日)
  • 逆さパラダイス恐竜図鑑のたくらみ (1987年11月1日)
  • 北から来たオルガン弾き (1987年12月4日)
  • 関西3DAYS“天国のANAGRAM” (1988年3月3日~5日)
    それぞれ「ビーナスの知能指数-関西3DAYS-」「ようこそ雛鳥王殿~」「BAND IN PERSPECTIVE II線~」と変更された。
  • DAY'S BRAVO!・NIGHT'S BRAVO! (1988年6月10日~6月11日)
    2daysとして開催。
  • FEAR'S BRAVO! (1988年7月29日)
  • 凍結ライブ (1988年12月28日)
  • ERROR FORCE (1990年9月23日)
    本来は平沢のソロライブであり、P-MODELとしてはシャレでのライブである。
  • ERROR OF UNIVERSE (1991年9月23日)
  • PLANET ERROR (1992年10月25日)
  • ERROR OF INFORMATION 待機 (1993年10月11日)
  • ENDING ERROR (1994年9月30日)
  • Branch-O コミュノ・ハイブリディア (1996年10月5日)
  • 非局所性LIVE (1997年10月21日、10月22日)
  • ASIA FOR THAILAND (1997年12月6日)

作品[編集]

シングル・ソノシート[編集]

  • 美術館で会った人だろ(1979年7月25日)
  • KAMEARI POP(1979年12月25日)
  • ミサイル(1980年5月25日)
  • ジャングルベッドII(1981年3月25日)
  • P-0 (1983年8月25日)(非売品)
    ブックレット「ANOTHER PAPERS」付属ソノシート。
  • SOLID AIR DANCE VERSION (1983年10月25日)(非売品)
    ライブ会場限定で配布されたソノシート。
  • IKARI/NO PERSPECTIVE (1984年2月)
  • RE;(1985年5月)
  • PROT DRUM/D-SIDE'(1985年5月)
  • アナザー デイ(1986年5月)(非売品)
    プロモーション用シングル。
  • P-MODEL OPENING SE 1992 (1992年2月26日)(非売品)
  • P-MODEL demo (1994年5月25日)(非売品)
  • SAKISIT North Passage MIX (1996年2月29日)(非売品)
  • Rocket Shoot(1996年10月19日)
  • ASHURA CLOCK(1997年8月1日)
  • LAYER-GREEN(1997年8月30日)

アルバム[編集]

  • IN A MODEL ROOM(イン・ア・モデル・ルーム、1979年8月25日)
  • LANDSALE(ランドセル、1980年4月25日)
  • POTPOURRI(ポプリ、1981年3月25日)
  • Perspective(パースペクティブ、1982年3月1日)
  • ANOTHER GAME(アナザー・ゲーム1984年2月25日)
  • KARKADOR(カルカドル、1985年10月25日)
  • ONE PATTERN(ワン・パターン、1986年6月25日)
  • P-MODEL(ピー・モデル、1992年2月26日)
  • big body(ビッグ・ボディ、1993年3月25日)
  • (ふね、1995年12月9日)
  • 電子悲劇/〜ENOLA(でんしひげき/エノラ、1997年11月29日)
  • 音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE(おんがくさんぎょうはいきぶつピー・モデル・オア・ダイ、1999年9月1日)
  • モンスター(未発表アルバム)
    収録予定だった一部の楽曲は平沢ソロ作品「時空の水」、ボックスセット「太陽系亜種音」、ライブDVD「三界の人体地図」に収録されている。


ライブアルバム[編集]

その他のアルバム[編集]

  • PERSPECTIVE II(カセット版:1982年3月1日)(CD版:1991年8月25日)(再発:2007年4月25日)
    アルバム『PERSPECTIVE』別テイク集。カセットテープのみでの発売。あとにCD化。
  • 不許可曲集(オリジナル:1983年3月25日)(再編集版:1988年春)(再再編集版:1998年10月21日)
    平沢進の自宅録音・ボツ曲集。事務所直販のカセット。
  • SCUBA(1984年10月10日)
    宝島」発行のカセットブック。平沢進と三浦俊一の2人だけで録音されたアルバム。89年に再発されたCDとはミックスが異なる。
  • モアレ・カセット(1985年5月~1988年12月まで配布)
    当時のファンクラブ会員限定で定期的に配布されたカセットテープ。田井中と平沢の対談やデモ音源、ライブ音源、平沢・中野が作曲したジングル集などがある。
  • LIVEの方法(1994年7月23日)
    ことぶき光が凍結前の楽曲を解凍後のライブ用にアレンジしたスタジオ録音集。
  • Corrective Errors〜remix of 舟(1995年9月30日)
    小西健司と福間創によるリミックス。
  • SCUBA RECYCLE(1995年11月30日)
    『SCUBA』のリ・アレンジ集CD。ブックレットも変更されている。
  • P-PLANT CD Vol.1(2000年6月1日)
    1999年に配信されたサンプル集などがすべて収録。
  • 太陽系亞種音(オリジナル版:2002年5月10日 再発売版:2014年7月4日)
    クロニクル・アルバム集ボックス(バインダー)セット。オリジナル・アルバム12枚をはじめ、過去発表されたP-MODELの音源のほぼ全てを収録した「P-MODEL全集」とも言えるボックスセット。2010年にバインダー版の販売を終了し、装丁を変更して2014年7月に再発売された。

核P-MODEL名義でのアルバム・シングル[編集]

  • ビストロン(2004年10月7日)
  • アンチ・ビストロン[MecanoVersion](2005年6月30日) - (ショップメカノ限定販売)
  • BigBrother-可逆的分離態様(2008年5月20日) - (ショップメカノ限定販売)
  • Гипноза(2013年11月6日)
  • 導入のマジック(2014年5月21日) - (平沢進/核P-MODEL)

ダウンロード音源[編集]

  • 不法投棄 (1999年)
    音楽産業廃棄物とVIRTUAL LIVEのサンプル集
  • VIRTUAL LIVE SAMPLE (1999年)
    VIRTUAL LIVEのサンプル集。すべての曲が転調、歌詞の改変がされておりJASRAC対策が施されている
  • VIRTUAL LIVE1 Live at Roppongi S-KEN Studio 1979(1999年)
  • VIRTUAL LIVE2 Live at Shibuya Nyron100% 1980(1999年)
  • VIRTUAL LIVE3 Live at 京大西部講堂 1982(1999年)
  • 音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE (1999年9月)
  • 核P-MODELライブ達成記念 (核P-MODEL、2005年2月)

ビデオ・DVD[編集]

  • MOIRE CLUB(1988年2月10日発売)ファンクラブ会員限定発売
    1987年に行われた「Shoot the Monster」「北から来たオルガン弾き」が収録されている。
  • 三界の人体地図(VHS版:1988年7月1日、再発:1996年12月10日)(DVD版:2005年4月1日)
    1988年に行われた「FUJI AV LIVE」が収録されている。未発売となってしまった「モンスター」収録曲も演奏されている。
    再発版・DVD版は「偉大なる頭脳」「ATOM-SIBERIA」が追加されている。DVD版では初期ロットに不具合があり、問い合わせれば修正版と交換できる。
  • BITMAP 1979-1992(VHS・LD版:1992年9月2日 再発:2000年12月 DVD版:2014年12月)再発版はFC会員限定発売
    1992年に行われた「P-MODEL TOUR'92」を中心に、過去のライブ・プロモーションビデオを収録している。
    2014年には平沢ソロデビュー25周年を期してDVD版として再発売された。
  • ENDING ERROR(VHS版:1996年1月)(DVD版:2009年9月15日)どちらもFC会員限定発売
    1994年に行われた同名のライブが収録されている。ラストにはメンバーのメッセージが入っている。
  • 非局所性LIVEビデオ(1997年12月)
    1997年に行われた「非局所性LIVE」が収録されている。
    平沢定期便に加入・P-MODEL特製PHSを購入すれば無料で配布されていたが、画像が荒く加工されており、カラーでフルなのは最初の一曲のみ、後はモノクロで全て曲のだいたい半分で終了する。(いわゆるブートレグに近い。)
  • LIVE VIDEO 音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE(VHS版:2000年4月4日)(DVD版:2011年3月15日)
    1999年に行われた同名のライブとプロモーションビデオ「論理空軍」が収録されている。DVD版では「論理空軍」のディレクターズ・カット版も収録されている。
  • LIVE VISTORON核P-MODEL、2005年4月1日)
    2005年に行われた核P-MODELライブ「トーキョービストロン」が収録されている。ボーナストラックとして初日、2日目にしか演奏されなかった曲も収録されている。

プロモーションビデオ[編集]

監督 曲名 備考
不明 偉大なる頭脳(1979年)
ASHURA CLOCK(discomuniactor)(1997年)
-
平沢裕一 I AM ONLY YOUR MODEL(1980年)
diffrent≠another(1981年)
ポプリ(1981年)
ナチュラル(1981年)
いまわし電話(1981年)
Heaven(1982年)
Perspective(1982年)
のこりぎりぎり(1982年)
HOKA NO KEIKAKU(1983年)
ECHOES(1983年)
ふるへっへっへ(1983年)
ATOM-SIBERIA(1984年)
HARM HARMONIZER(1984年)
「ふるへっへっへ」は「BIT MAP」に収録。他作品は一般公開されていない。
ピーター・カラス Karkador 3min 1986 Australia(1986年) 「KARKADOR」をBGMに使った映像作品であり、公式なプロモーションビデオでは無い。
神尾明朗 Another Day(1986年) このPVに納得が出来なかった平沢はAmigaを導入し、自分で制作するようになる。
平沢進 2D or not 2D(1992年)
Grid(1992年)
Monotone Grid(1994年)
http (1996年)
平沢がAmigaで制作。『http』は当時ライブで流していた映像と同一。『2D or not 2D』『Grid』は「BIT MAP」収録。『Monotone Grid』は平沢ソロビデオ「PHOTON」、『http』はシングル「Rocket Shoot」に収録。
ホッホー石田 夢見る力に(1995年) 全編CGで作成。P-MODELメンバーは写真のみ。
大和久マサル 論理空軍(1999年) 「音楽産業廃棄物 ~P-MODEL OR DIE」DVD版ではディレクターズ・カット版も収録されている。

書籍[編集]

  • P-model LANDSALE P-model RECORD COPY FULL SCORE(1980年)
  • ANOTHER PAPERS(1983年)
  • 三界の人体地図(1988年)
  • P-MODEL(1992年)
  • 音楽産業廃棄物 OPEN SOURCE/卓上のウロボロス(1999年12月)
    P-MODEL結成20周年、平沢進ソロ・デビュー10周年記念公式単行本。
  • 改訂復刻版 音楽産業廃棄物(2005年6月)
    2005年までのデータを収録した改訂復刻版。

電子書籍[編集]

  • 改訂DIGITAL復刻版音楽産業廃棄物(2010年)
    改訂復刻版のpdfファイルも付属。

脚注[編集]

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  1. ^ ANOTHER GAMEやSCUBAに収録される曲の原型など
  2. ^ 平沢がプロデュースを手掛け、ソロバンドにも参加していた。
  3. ^ 出典:「音楽産業廃棄物」(1999年)
  4. ^ 出典:キーボード・マガジン2010年AUTUMN No.370(リットーミュージック ISSN 1344-6371)および http://rdm.ne.jp/keyboard/magazine/notes/451 【P-MODEL特集】アウトテイク・コメント紹介! この中で、高橋はオファーがあれば参加したい旨を述べている。小西も平沢が「(小西自身が)好きなだけドイツにいてもいい」と認めることを前提条件として述べているが再結成には前向きである。しかし平沢は非常に後ろ向きであり、四本淑三とのインタビュー内で再結成を否定している。
  5. ^ これはP-MODELとは異なるものと定義されている。
  6. ^ 『音楽産業廃棄物』内のインタビューにて、『メンバー全員「打倒ピンクレディー」で行こうとしていた』と語っている。
  7. ^ VHS『CG年賀状』(1989年)
  8. ^ 『音楽産業廃棄物』のインタビューにて、ことぶきはトリガーを押しているだけで大半がパフォーマンスだったと語っている。
  9. ^ http://rdm.ne.jp/keyboard/magazine/notes/451 【P-MODEL特集】アウトテイク・コメント紹介!

外部リンク[編集]