スマッシング・パンプキンズ

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THE SMASHING PUMPKINS
2007年のライヴ。
2007年のライヴ。
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
ジャンル オルタナティブ・ロック
活動期間 1988年2000年2006年
レーベル キャロラインヴァージンリプリーズ
公式サイト SMASHINGPUMPKINS.com
メンバー
ビリー・コーガン
ジェフ・シュローダー
ジンジャー・レイズ
リサ・ハリトン
旧メンバー
ジェームス・イハ
ダーシー・レッキー
メリッサ・オフ・ダ・マー
ジミー・チェンバレン
  


スマッシング・パンプキンズThe Smashing Pumpkins)は、1988年にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴビリー・コーガンを中心に結成されたロックバンド1990年代以降のロック音楽を代表する存在である。日本における略称は、「スマパン」。

全作品を通じて、ドラマチックな楽曲構成や歌詞は他のバンドの追随を許さない。1990年代グランジの代表的なバンドのひとつとしてニルヴァーナと並び称された。ジミーのドラムス、旧メンバーのジェームスのギタープレイも評価が高い。ボーカリストのビリーの声は非常に個性的であるため、賛否両論に分かれる。

目次

[編集] メンバー

[編集] メンバー

  ガールズバンド、ハロー・フレンドリーズの元メンバー。

[編集] 旧メンバー

[編集] 来歴

デビュー時期から頻繁にニルヴァーナと比較され、陽の目を見ない時期もあったが(ギグを行えば常に会場を満員にしていたニルヴァーナに比べ、客が数人ということもざらだったらしい)、2作目のアルバム『サイアミーズ・ドリーム』(1993年)と、続く2枚組の大作アルバム『メロンコリー そして終りのない悲しみ』(1995年)でその独創性を発揮し、一躍オルタナティブ・ロックアイコン的存在となる。

しかしそんな中、1996年7月、ツアー中のニューヨーク市においてヘロイン薬物中毒によりサポートメンバーのジョナサン・メルビンが死亡するという事件が起こった。事件当夜、ジョナサンと同室でドラッグを使用し、逮捕されたドラマーのジミー・チェンバレンはバンドから解雇された。

そしてバンドはドラム不在により音楽性を変更し、ピアノやアコースティックギター、そしてリズムマシーンを使いアルバム『アドア』(1998年)を制作する。同作は、ニュー・ウェイヴからの影響を感じさせるメランコリックで非常に美しい作品であり、日本では高い評価を得た。だが、ギターロックを期待していた米国のリスナーに理解されず売上が伸びなかった。

1999年、ビリーの呼びかけによりジミーがパンプキンズに復帰することになった。しかし、そのことに不満を持っていたダーシーが、ジミー復帰後間もなくして脱退する。2代目ベーシストとしてメリッサ・オフ・ダ・マー(Melissa Auf der Maur)が加入。しかし、この時すでにバンド内では解散が決定しており、farewell album(さよならアルバム)として2000年に『マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴット』を制作し、その後の12月2日、デビューと同じステージでのライブをもって解散した。

後にビリーは自身のホームページで、バンドの解散の原因はジェイムズの脱退にあったと語っている。ビリーの暴露話が、上記のページ上でアップされている。いかにジェイムズとビリーの仲が険悪だったかがわかる。

解散後の同年に、世界で25組のみプレスされファンサイト等に無償配布された『マシーナⅡ -フレンズ&エネミーズ・オブ・モダン・ミュージック』が発表された。ビリーは「レコード会社に金儲けさせるくらいなら、ファンに無償提供していろんな人に広めてくれたほうがいい」と語っており、MP3ファイルにてゆかりのあるライブハウスのホームページ上でダウンロードすることができた。

2005年6月21日にビリーは、新聞『シカゴ・トリビューン』の全面広告で、スマパンの再結成と活動再開を計画している事を公に発表した。

2006年5月、活動再開を公表。2007年5月22日にフランス・パリにて約7年ぶりとなるライブを行った。2007年7月には新アルバムである『ツァイトガイスト』を発売。先行シングルとして『タランチュラ』がリリースされている。

2009年3月、ジミーが再び脱退。オリジナルメンバーが再びビリー1人となった。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] DVD

[編集] 外部リンク

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