三番瀬

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宇宙から見た三番瀬
三番瀬周辺図

三番瀬(さんばんぜ)は、千葉県にある干潟[1]。干潟としては東京湾奥部最大の面積を誇る。なお、読み方は「さんばん」ではなく、「さんばん」が正しいとされる。特に市川市行徳から浦安市にかけては新浜と呼ばれていた。

地理[編集]

現存する三番瀬は、浦安市の埋め立て地の東沖に位置する、江戸川(江戸川放水路)の河口付近の干潟および浅海域を指し、船橋市、市川市、浦安市、習志野市の沿岸に接する。東端には船橋航路や千葉港があり、西端には猫実川河口や新浦安駅付近の埋立地が広がる。埋立が進む以前は、より西側の旧江戸川河口付近まで干潟や浅海域が広がっていた。

旧江戸川から供給される土砂によって、旧江戸川河口一帯の前置斜面の前浜干潟および浅海域に広く干潟や浅海域が形成され、現在の三番瀬は、その一部が埋め立てを免れて現存している状態である。

江戸川(江戸川放水路)河口の沖合いにある深さ6.5mの市川航路によって中央部で分断されており、東半分を「船橋側」、西半分を「市川側」と呼ぶこともある。東西5700m、南北4000mの範囲に広がっており、水深1m未満の面積は約1200ha。水深5mまでの海域を含めると面積は約1800haに達する。千葉県企業庁によれば、以浅の範囲は陸岸から沖合3~4kmの広い範囲にまで広がっており、海底勾配は1/1000程度と非常に緩やかな勾配で傾斜している。現在、大潮時に干出する面積はそのうち140haであり、かつての干出域が地盤沈下したものと考えられる。

なお、三番瀬の付近には、谷津干潟行徳湿地(行徳鳥獣保護区・行徳近郊緑地特別保全地区・市川野鳥の楽園・宮内庁新浜鴨場)などの干潟や水辺などが散在する。

歴史[編集]

三番瀬という名前は、沖から離れるごとに高瀬、二番瀬、三番瀬と名付けていったことから始まったとする説[2]があるが、「三番瀬」という名前が、いつごろつけられたものか、どういう由来によるものかなどは定かではない。

三番瀬周辺の低地において人が居住をはじめた最古の記録は平安時代であるとされているが、この地域で大々的に漁業が行われるようになったのは、徳川家康江戸に入府し、西国で開発されたを使った漁法とともに西から漁民が移り住んできた1600年前後だと考えられている。

江戸時代、三番瀬の周辺域は江戸幕府に魚介類を献上するための「御菜浦」として指定され、紀州より移り住んだ漁民によって排他的に利用されていたと考えられている。この排他的な利用に関しては、周辺の漁民との軋轢を生み、代官所への訴訟や老中への直訴などの事件に発展している。三番瀬周辺は豊かな漁場であったほか、陸地には塩田がつくられ、周辺地域は江戸を支える食糧供給基地であった。なお、「のりひび」による海苔養殖やアサリ・ハマグリの養殖は、江戸末期から明治時代にかけて本格的にはじまっている。

明治時代になると、三番瀬の周辺海域では詳しい図面が作られ、漁場としての管理がより厳格になったと考えられる。高度経済成長期に埋立水質汚染が進むまでの間、旧江戸川河口から東の三番瀬周辺では、アサリなどの貝類、スズキ、カレイ、シャコガザミコウイカクルマエビサヨリシバエビなどの多種多様な魚介類が獲れていたことが記録に残っている。また、当時の図面からは、浅海域にアマモが多く生育していたことがわかる。海苔に適した速い潮の流れが維持され水質も良かった昭和50年頃まではノリが盛んに生産されていた。

その後、三番瀬は社会状況の大きなうねりの中で、東京湾全体として進行していた水質悪化や埋立によって大きく変貌していく。その転換期に起きた象徴的な出来事が、1958年に発生した「本州製紙事件」である。この事件は、東京都江戸川区にある本州製紙(現・王子製紙)江戸川工場が新型生産設備を稼動させ、パルプ精製の際に出た廃液を江戸川に流した結果、「黒い水」(廃液中に含まれていた大量のタンニンが海水と反応したために黒い色になった)が江戸川河口域の海を広範囲に汚染したことに端を発する。これに対し漁民は汚染の早い段階から抗議を行ってきたものの、本州製紙は行政による中止勧告を無視して操業を続け、ついに汚染に業を煮やした漁民が工場に乱入。機動隊と衝突して漁民から重軽傷者105人、逮捕者8人、その他負傷者36人を出す大乱闘事件に発展した。

この事件の後、政府はいわゆる「水質二法」(「公共用水域の水質の保全に関する法律(水質保全法)」と「工場排水等の規制に関する法律(工場排水規制法)」)を制定したが、三番瀬の漁業を取り巻く社会状況は経済成長とともに厳しさを増し(「本州製紙事件」で漁民のリーダーだった人物が浦安町長となり、「開発推進」に転向したこともあった)、1960年代に入ると、浦安漁業協同組合による漁業権の一部放棄と埋立事業の開始、1970年代には浦安漁協が漁業権を全面放棄し、1980年代には、旧江戸川河口から市川市境界までの埋立事業が完成する。

こうした東京湾の環境悪化は魚介類の減少を招き、これまでの漁業の存在基盤を危うくすることになった。三番瀬における漁業が現在のように網による海苔養殖や、アサリなどの養殖に依存するようになったのもこの時期である。

一方、市川市や船橋市などの他の地域においても1970年代はじめまでに一部の埋立事業は進行する。しかし、その後の事業は自然保護運動の高まりやオイルショックなどを背景にして計画が凍結され、現在の三番瀬の範囲がかろうじて残る結果となった。

しかし、1980年代に入ると凍結されていた事業が目的を変更して復活し、後に焦点となる「京葉港二期地区計画」「市川二期地区計画」として発表される。これらの計画に対して、1990年代、特にその後半にもなると、干潟の生態系の中での機能の重要さに関する理解が市民レベルでも広がりを見せたこと、諫早湾干拓事業の実態に関する報道が全国的に大きな衝撃を引き起こしたことなどから埋立の反対運動が全国的に広がり、1999年には当初の740ha案から101ha案へと変更されるが、事業は実行されなかった。

その後2001年に、三番瀬の埋立計画の白紙撤回を掲げた堂本暁子千葉県知事に選出され、住民参加と情報公開の下、三番瀬の再生・保全を進めるという方向が示されるに至った。

さらに2009年の知事選挙で、森田健作(本名:鈴木栄治)が堂本の後継候補を破り、初当選した。森田は「人と自然との共生」を主張している。三番瀬の再生自体は、知事の交代があったものの、県としても継続して取り組むこととされた。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、海岸が広範囲に液状化、また振動・津波により構築物等も大きな被害を受けた。以後、自然環境の再生以前の問題として、震災からの復興が大きな課題となっている。

生物相[編集]

三番瀬は、木更津市盤州干潟、習志野市の谷津干潟と並び、東京湾奥部における数少ない干潟・浅海域であるため、魚類をはじめとする海の生物や鳥類の貴重な生息地であると考えられている。少なくともこれまで魚類101種、鳥類89種、底生生物155種、プランクトン302種、合計647種が確認されている。そのため、環境省が選定する「日本の重要湿地500」の一つに選定されている。

特に鳥類については、渡り鳥の重要な中継地と考えられており、キアシシギハマシギオオソリハシシギメダイチドリスズガモコアジサシなどの四季折々の渡り鳥が休息や採餌のために三番瀬を訪れる。全国的に珍しいとされるセイタカシギは、1990年代以降、三番瀬周辺でよく見ることができるようになった。これらの鳥類は近接する谷津干潟と三番瀬の間を頻繁に往復しており、両者がこれら鳥類の生存に関して補完的な関係にあることが示唆されている。

魚類などについても、三番瀬は産卵場として機能するほか、幼魚・幼生が成魚・成体に育つ場所(いわゆる「ゆりかご」)としての役割を担っているとされているため、三番瀬は東京湾全体の生物の消長にかかわる場所であると考えられている。

利用[編集]

現状[編集]

「市川側」の三番瀬

東京湾の「汚れている」イメージや、無機質な埋立地が多い海岸線とはうらはらに、三番瀬は東京湾内でも屈指の漁場の一つである。ノリ(1600万枚)やアサリ(967トン)を筆頭に、スズキ(1146トン)やカレイ(41トン)、イワシ(7トン)などが漁獲されている(カッコ内は2003年の生産量および漁獲量)。これらの漁獲物は「江戸前」として珍重され、特にノリは最高級品として流通している。

このほか、三番瀬では潮干狩り釣りウィンドサーフィンなどの場として利用されている。

なお、三番瀬の周辺は港湾、工場などが多く、海岸線のほとんどが護岸化されているため船橋市の「ふなばし三番瀬海浜公園」や浦安市側の埋立地の護岸など、干潟にアクセスしやすい場所は限られている。「ふなばし三番瀬海浜公園」以外の海岸線は立ち入りが禁止されている場所であったり、危険な場所であったりするので、干潟への立ち入りは十分に注意する必要がある。

主な課題[編集]

干潟の干出
地盤沈下の影響で現在干潟の干出域はわずかである。干潟の維持に必要な土砂は、江戸川放水路からの洪水時の出水に依存している[3]。粗砂や細砂など粒径の大きな土砂は三番瀬を2分割する市川航路に落下してしまい、三番瀬には堆積しない。航路に落ちてしまう土砂は、毎年浚渫で取り除かれている分だけで年間数万立米単位の量にのぼる[4]。また、旧江戸川からの出水によってもたらされる土砂は、東京ディズニーリゾート新浦安の埋め立て地に遮られてしまい、流れてくることは期待できない。つまり、三番瀬海底地盤が自然状態においてこれ以上上がることは期待できない。そのため、今後どのようにして干出域を再生するのかは、三番瀬で最大の課題と言える。
この干出域の創出の試みに関し、客観的には60平方メートル程度の干出域の造成を、ごく一部の環境団体関係者は、「埋め立て」あるいは「人工干潟化」と評し、後述の「第二湾岸道路」の建設と関連付けて、反対を唱えているが、客観的な事業規模を勘案すると、失当な主張と評される。
第二湾岸道路
東京外環自動車道は三番瀬に突き当たり、首都高速湾岸線に接続する。湾岸線の交通量が増加が見込まれる中、構想段階にあるのが第二東京湾岸道路の建設であり、3環状9放射ネットワーク構想の一部を担う道路である。第二湾岸道路に転用可能な用地は既に確保されている。三番瀬を埋め立てて道路を建設する案が存在した[5]
猫実川河口域
同河口域では一部環境保護団体調査で、千葉県レッドデータブックに掲載されている6種の生物が確認されるなど、同河口域で多くの生物種が確認されている[6]
また、底質はシルト分が多い泥質であるが、有機物含有量が必ずしも多いわけではなく、ヘドロ化しているとは言えないとの評価もある[7]。が、あくまでも相対的な評価に過ぎず、一般的な用語としての「ヘドロ」か否かは明確な結論が出せるものでは、そもそもない。また、浮泥の堆積域は局所的な領域に限られ、他は砂泥質である。底質中の有機物は、アオサよりむしろ猫実川河川水や海産植物プランクトンが主因である可能性が高い[8]。しかし、波が無く、流れがほぼ止まっているために夏季に貧酸素化・還元状態になりやすく、何らかの改善措置が必要だとされている[9]
なお、当該域の水質については平成13年前に行われた県調査(通称「補足調査」)によると、他の三番瀬海域と異なり、水質・浄化作用とも劣る水域との結果となっている。なお、その後の他の独自調査等では、さまざまな結果が示されており、水質改善傾向にあるという見解が示される場合があり、後述のカキ礁の浄化作用による当該水域自体の浄化能力が理由に挙げられるが、カキ礁自体に有機物が蓄積され、当該水域に堆積することは自明であり、理由にはなり得ないところで、単に、下水処理対策などにより、東京湾への流入河川等の水質が改善されたことによると考えるのが自然であるとされる。
カキ礁・カキ群落
猫実川河口付近のカキ礁
三番瀬の猫実川河口域の蛎殻島は、1998年以降からその存在は航空写真でも確認でき、2006年現在、その大きさは4,000平米にのぼり、ウネナシトマヤガイハゼの仲間の生息が確認されている[10]
このカキ礁については、「化石カキ礁と同様にカキ礁を作っており、貴重なハビタットである」との主張が一部の環境保護団体の中にある[11]
対して、地元の漁業関係者や住民、地元NPOなどの間では、浦安側の埋め立てに伴い海の流れが停滞したことや沈没船等の不法投棄物等を核としてカキの群落が90年代後半というごく近年できたにすぎないとの見解や、流れがあり底質が砂質でないとアサリ漁場としての価値も無くなるとの意見、カキ群落が青潮に与える悪影響も懸念されるという意見、アオサの発生源になっているという意見もある[12]
市川塩浜駅前の開発
市川塩浜駅前には、貨物線計画の際に旧国鉄に倉庫用地として売却した6ヘクタールの駅前用地が、開発されない状態で残されている。これは京葉線の旅客化と国鉄民営化に伴い、訴訟を経て、最終的には2002年度末に海の再生を前提として市川塩浜駅前の用地を海辺の街にふさわしく再整備するための用地として買取っている。現在サッカー練習地などに暫定利用されているが、環境学習や研究の場などに活用することを検討している[13]
護岸改修
市川塩浜駅前からほど近いの約2.2kmの直立護岸は耐用年数を超え陥没事故を起こした。また、浦安市が7.5mの護岸であるのに対し、市川側の護岸は5m以下であり、高潮が護岸を乗り越える事故が起こった。応急処置後、円卓会議・再生会議の委員会で議論が行われ、「防護と環境と利用」に配慮した護岸を、モニタリングを行いながら順応的管理で整備していくこととなった。塩浜2丁目の護岸改修に当たっては、「マガキを中心とした潮間帯ハビタットの成立」がモニタリングの基準の一つとされており、工事1年後のモニタリングではこの基準は達成され、今後もモニタリングの継続が予定されている[14]
アオサの大発生
多い年には7,000t 以上、少ない年には1,000t 以下ものアオサが発生する。アナアオサの初期発生域の一つは、市川側の岸寄り部分ミナミアオサの初期発生時期は市川側・浦安側の岸寄り部分及び船橋の防泥柵付近が考えられている[15]
効率的な回収方法の検討や、回収後のアオサの利用などが検討されている。例えば、発酵飼料などにする方法などが検討されている[16]
青潮
浦安沖(新浦安駅から見て公園墓地の奥側の海)に埋め立て土砂を採取した、3000万立方メートル級の大規模な深掘れがあり[17]貧酸素水塊の発生源になっていると言われている。10トン車で1度に運べる土砂が約5立米であることからも分かるように、途方もない量の土砂であり、すぐに全て埋め戻すことは極めて困難である。市川航路も同様に貧酸素水塊の発生源とされている[18]。なお、過去にマイクロバブル等による青潮対策の実験がなされた。
ラムサール条約登録
ラムサール条約登録に関しては、鳥獣保護区特別保護地区に指定すると人の立ち入りが出来なくなるのではないか、干出域がかつてに比べて減っており再生をしてからの登録が良いのではないかなど、様々な懸念もあり未だに実現していない。漁業者からは、水産関連施設やノリヒビなど漁業行為への規制、覆砂や養浜の規制、水鳥保護による食害などの被害を懸念する声も挙がっている[19]
また、市川市の漁業協同組合に対する漁業補償を巡り、一部の環境保護団体関係者から住民訴訟が提起され、これは直接は漁業関係者に対する賠償請求ではないが、最終利得者が漁業関係者である構図を巡っての住民訴訟であり、結果的にこれらラムサール条約登録を推進しようとする一部環境環境団体が、ラムサール条約登録に関する直接の利害関係人であり登録のために同意を得る必要のある漁業関係者を、事実上の敵対関係に置いてしまった形となった(訴訟は一部環境保護団体関係者の敗訴で確定)。
なお、三番瀬海域においては、船橋市の漁業協同組合もあるが、同漁協はすでに埋め立てを前提に総額で200億円近い漁業補償を受け取り、漁業権を放棄済みであり、漁業権という観点からは、市川市の漁業関係者に比して、恒久的な漁業権を有していない点で、ラムサール条約登録についての利害関係の程度は落ちる。ちなみに、船橋市の漁業協同組合は、三番瀬海域においては、現在は恒久的な漁業権を有していないものの暫定的に漁業を継続しており、ラムサール条約登録に伴い、恒久的に将来に渡り漁業を継続する場合(すなわち、再度、恒久的な漁業権を得る場合)、当該漁業補償金の返還の問題等の解決が必要となる(船橋市の漁業協同組合は、三番瀬海域外でも漁業を行っており、魚類は、ほとんどが三番瀬外の海域で捕獲されたものである)。
漁場の再生
漁業と一体となって維持されてきた里海の再生が叫ばれており、アサリ・シオフキ・マテガイの漁場、海苔養殖場の再生が要望されている[要出典]
漁場資源
市川漁港沖と船橋三番瀬海浜公園沖には共同漁業権が設定されており、アサリ等の採取は禁止されている。猫実川河口域から日の出干潟に関しては漁業権は設定されていないが、千葉県海面漁業調整規則第37条により2.7cm以下のアサリの採取をしてはならず、違反者には10万円以下の罰金が科される。また、漁具についても貝まき、まんがについても漁業者以外は使用することができない[20]
三番瀬再生会議
三番瀬に関しては、2001年から2009年まで知事の座にあった堂本は、三番瀬への取り組みにあたり、住民参加と情報公開により進めることとし、住民参加の具体化として、三番瀬再生計画検討会議(円卓会議)、その後に三番瀬再生会議を設置し、現在に至っているが、その現状が問題視されている。
円卓会議の初期においては、一般の参加者として、現在に比して多様な、数的にも多くの参加者があり議事録からもその様子が見て取れるが、現在は極めて少数の、同種の主張を持った者の参加があるに過ぎない状況が議事録から覗われ、堂本が想定していた住民参加からは程遠い状況にある。
更に、委員についても、公募委員については、応募者が極めて少ない状況にあり、有識者についても、円卓会議から継続して委員を続けている者も多く、いずれも固定化傾向にある。
また、議論については、円卓会議における主張を繰り返すこと等による議論の「むしかえし」、「発言者に話が長すぎて何が言いたいか分からない人が結構いる」等との批判があり、更には、その前段の問題として、単なる自己主張や私見の開陳に過ぎず、議論に至らない点が、議事録から覗える。
加えて、徹底した情報公開として、あらゆる会議録や資料が公開されているが、両論併記的な事項で結論を見ていない事項について、恣意的に特定部分を引用し、あたかも結論を見ているかのように装う言動や、誹謗中傷の材料に使われる、更には、県のHPで議事録が公開されることを利用して、一部の学識経験者を含め、自己主張の宣伝の場として三番瀬再生会議を利用するがごとく、同様の発言を繰り返す等、情報公開の価値を毀損する言動も見受けられる。
今後は、これらの現状をいかに克服するかが、三番瀬の再生を住民参加で進めるにあたり、大きな課題であるが、長年、構成や運営方法が固定的であったことから、課題解決は大きな難問である。
なお、2009年の知事選挙で、森田健作が当選したが、選挙で争った堂本後継候補(吉田平)への再生会議会長を含む有識者による出馬要請(2009年2月5日付け毎日新聞(千葉県版)による)、三番瀬保全を掲げての、2007年の習志野市議会議員選挙への竹川未喜男委員の立候補(最下位で落選)等、委員による政治的な動きも散見される。また、環境保護団体も、政治的な勢力と連携して活動をする例が見受けられる。なお、三番瀬関連の環境保護団体は、さまざまな名称の団体があるが、活動内容毎に団体名を変えて設立するケースが多く、複数の団体に参加している個人がほとんどであり、団体数に比して、実活動個人が極めて少数である。加えて、これらの団体の幹部には、これまでの三番瀬を巡る複雑な経緯に起因する、感情的言動、独善的言動を弄する者が相当数見受けられる。
このような状況を踏まえ、千葉県は、三番瀬再生会議の見直しが必要であることを、10年9月の県議会と三番瀬再生会議で公にし、2010年12月をもって三番瀬再生会議は組織として終了した。

三番瀬の再生事業[編集]

千葉県三番瀬再生計画[編集]

千葉県三番瀬再生計画は、堂本知事が公約として掲げた「三番瀬の再生」を目指すための計画である。2005年8月に、その県の基本計画案が公表され、2006年12月に基本計画が、2007年2月に事業計画が策定された[21]

この計画策定は2002年1月、「三番瀬再生計画検討会(円卓会議)」(会長:岡島成行)の設置によって検討が始まった。千葉県、漁業関係者、自然保護団体、地元住民などの多様な主体のもと議論が始まったが、当初あった埋立案を白紙撤回した後での開催であり、様々な思惑、利害が錯綜した結果、議論は難航を極めた。しかし、2002年12月に「中間とりまとめ」を公表し、2004年1月には千葉県への提言として、両論併記的な記述を含む、「三番瀬再生計画案」が提出された[22]。この計画案は、あくまでも県に対する提案として取りまとめられたものであり、なんらの法的拘束力・公定力を持つものではないが、一部環境保護団体の関係者は、両論併記部分の一方の見解のみを引用の上、あたかも公定的な見解であるかのような言動を行っており、これらの言動が、議論の蒸し返しであるとの批判を受けている。

「三番瀬再生計画検討会(円卓会議)」は計画案の提出により役目を終えたが、2004年12月に、千葉県が策定する三番瀬再生計画についての知事の諮問機関として、「三番瀬再生会議」が発足している。そして、2006年12月に千葉県が千葉県三番瀬再生計画(基本計画)を策定し、翌2007年2月に同(事業計画)を策定し、千葉県三番瀬再生計画が完成[23]

以下に再生計画の要旨をまとめる。

  • 再生の5つの目標
    • 生物多様性の回復 - 藻場、州、泥干潟、汽水域等 の多様な環境を再生する。
    • 海と陸との連続性の回復 - 三番瀬への河川等からの淡水や土砂の供給、後背湿地や地下水脈を通じた淡水の供給等の回復。
    • 環境の持続性及び回復力の確保 - 青潮(貧酸素水塊)発生の抑制、流入河川等の水質改善。
    • 漁場の生産力の回復 - 1960年代の豊かな漁場環境の改善や持続的な漁業の振興。
    • 人と自然とのふれあいの確保 - 親水性及びパブリック・アクセスの向上、環境学習・教育の推進等、ふれあいを進める仕組みづくり。
  • 再生に当たっての進め方
    • 科学的な知見及び漁業者の経験的な知見の活用
    • 予防的態度及び順応的管理
    • 賢明な利用
    • 協働による取組

三番瀬再生事業[編集]

2007年2月には、千葉県三番瀬再生計画(基本計画)に引き続き、三番瀬再生計画(事業計画)が策定された[24]。この事業計画の計画期間は、2006年度から2011年度の5ヶ年であり、事業計画は5年毎に見直すことが予定されている。

アクセス[編集]

  • ふなばし三番瀬海浜公園(毎年、4月6月に有料の潮干狩り場が開設される)
  • 市川側(深度が深く、直立護岸のため、干潟へは立ち入れない)
  • 浦安側(干潟への立ち入りは原則として立ち入りを禁じている)
  • 関連施設
    • 千葉県三番瀬サテライトオフィス(JR船橋駅前 フェイスビル7階)
    • 市川市三番瀬塩浜案内所 (JR市川塩浜駅前)

脚注・参照[編集]

  1. ^ 広義には周辺の浅瀬や海域も含まれるが、その範囲は特に定まっていない。
  2. ^ 江戸時代には、既に三番瀬の明確な区分がわからなかったようで、三番瀬の領域について争う訴状が1800年寛政12年)に江戸町奉行所に出され、そこには二番瀬という領域が書かれている。なお、提出された訴状名は「船橋磯猟場と唱、右の内字高瀬、二番瀬、三番瀬抔」である。
  3. ^ 江戸川放水路からの出水による三番瀬の環境変化/国土交通省
  4. ^ 市川航路の経緯
  5. ^ 第26回千葉県環境調整検討委員会
  6. ^ 千葉県自然保護連合
  7. ^ 「三番瀬における埋立地近傍の地形と底質変化の実態」呉ら(海岸工学論文集2004)
  8. ^ 「東京湾三番瀬の猫実川河口域における底泥堆積環境の空間特定とその形成要因」佐々木ら(海岸工学論文集2004)。
  9. ^ 第8回三番瀬「専門家会議」
  10. ^ 「三番瀬に係る平成18年度自然環境保全基礎調査の結果について」千葉県環境生活部自然保護課、千葉県環境研究センター、2007年
  11. ^ カキが支える多様な生態系 | 日米カキ礁シンポジウム
  12. ^ カキ礁問題|三番瀬研究所
  13. ^ 塩浜地区の再整備〜海辺にふさわしいまちづくり〜
  14. ^ 工事から1年後の検証・評価
  15. ^ 三番瀬におけるアオサ類の発生量および分布状況
  16. ^ 船橋三番瀬アオサ回収大作戦
  17. ^ 平成15年度 東京湾奥部海域環境創造事業 第1回 資料(概要版)
  18. ^ 海と海浜部の特性及び課題/市川市
  19. ^ 「政策形成過程における合意形成の困難性を生み出す要因とは何か―三番瀬の自然再生を事例として―」高橋猛生(法政大学大学院紀要,2007)
  20. ^ | 千葉県海面漁業調整規則
  21. ^ 「千葉県三番瀬再生計画(基本計画)(案)」についての意見募集
  22. ^ 三番瀬再生計画案
  23. ^ 千葉県三番瀬再生計画(基本計画)の策定について
  24. ^ 千葉県三番瀬再生計画(事業計画)の策定について

参考[編集]

  • 三番瀬再生計画検討会議 『三番瀬再生計画案』 三番瀬再生計画検討会議事務局、2004年。
  • 永尾俊彦 『公共事業は変われるか : 千葉県三番瀬円卓・再生会議を追って』 岩波書店、2007年
  • 市川市建設局都市政策室 『三番瀬の再生に向けて : 地元市川市の挑戦』 市川市、2003年
  • 三番瀬フォーラム 『三番瀬から、日本の海は変わる : 市民が担う干潟保全 : 「豊饒の海」をめざして』きんのくわがた社、2001年
  • 小埜尾精一 『東京湾三番瀬 : 海を歩く』三一書房、1995年
  • 三番瀬環境市民センター 『海辺再生 : 東京湾三番瀬』築地書館、2008年
  • 千葉県総合企画部企画調整課三番瀬再生推進室『三番瀬パンフレット』千葉県、2007年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度39分25秒 東経139度57分25秒