プリティ長嶋
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プリティながしま
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| 生年月日 | 1954年10月2日(57歳) |
| 出生地 | 千葉県長生郡 |
| 出身校 | 拓殖大学大学院 |
| 所属政党 | 無所属 |
| 公式サイト | プリティ長嶋の野球日誌 |
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| 選挙区 | 市川選挙区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2011年 - 現職 |
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市川市議会議員
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| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2007年 - 2011年 |
プリティ長嶋(プリティながしま、本名:片岡 馨(かたおか かおる)、1954年10月2日 - )は、千葉県長生郡出身のものまねタレント、政治家。プリティ長嶋事務所所属。血液型はO型。
目次 |
[編集] 年譜
- 1954年10月2日 - 千葉県長生郡白子町に生まれる。
- 1972年3月 - 千葉県立茂原工業高等学校卒業。
- 1972年4月 - 千葉県庁入庁。
- 2007年 - 千葉県市川市議会議員(1期)。
- 2009年4月 - 拓殖大学大学院地方政治行政研究科修士課程入学。
- 2011年1月 - 千葉県議選立候補を表明。
- 2011年3月 - 拓殖大学大学院地方政治行政研究科修士課程修了。
- 2011年4月10日 - 千葉県議会議員選挙、市川市選挙区から千葉県議会議員当選。
[編集] 来歴
- かつては千葉県水道局に勤務していたが、在職中に長嶋茂雄の物真似で注目される。
- 千葉県水道局退職後の1981年にフジテレビ系「笑ってる場合ですよ!」の1コーナー『お笑い君こそスターだ!』に出演し、その後芸能界デビューを果たした。
- 1981年、以降、「オレたちひょうきん族」に準レギュラーとして出演。
- 1982年、「笑ってる場合ですよ!」の後番組「笑っていいとも!」に出演。川上哲治の物真似芸を得意とする渡辺信一(DON)とコンビを組み『来たかチョーさん待ってたドン!』というレギュラーコーナーで人気を博した。
- その後、芸人に転身。当時はものまねタレントといえば多彩なレパートリーが売り物だっただけに、長嶋であり続ける芸風を危ぶむ声も多かった。芸人に転身後、暫くして自宅を千葉県市川に新築。この時は「長嶋茂雄さんのおかげで家が建てられました」と語っていた。
- 長嶋からのお墨付きもあり、長嶋からは「プリ長」の愛称で呼ばれている。
- 1993年映画「帰ってきたナガシマ!!」に出演するなど、俳優としても活躍。
- 1997年から毎年、自宅のある千葉県市川市から自転車で巨人のキャンプ地である宮崎に通っている。
- 2002年5月つかこうへい作品『徳光和夫の青春-長嶋茂雄殺人事件-』舞台出演。
- インディーのプロレス団体(NOW)のリングアナウンサーをしていた事もある。
[編集] 人物
- 拓殖大学大学院で地方行政について学んだ。
- かつて本宮ひろ志のアシスタントをしていたことがある[1]。
- 2007年の市川市議会議員選挙への出馬を表明。政策は自動体外式除細動器(AED)の普及。これは、2004年8月に、自らが役員を務め、息子が所属する少年野球チームのライバルチームの選手が試合中、胸に打球を受け心臓発作(心臓震盪)を起こし、治療の甲斐なく死亡したため「AEDがあれば救える命がある」との思いからであるという。
- 市川市議選の新記録となる10782票を獲得し、他の候補者に大差でトップ当選した。議会では自民党系市議らで構成される右派系会派「市民の声」に所属。
- 野球を通じて地域の青少年の教育や、ボランティア活動にも熱心である。
- 長嶋茂雄監督在任中のジャイアンツが、チーム力よりも個々の高い能力で相手に打ち勝つ・長距離バッターを連ねてHRを量産することで子供に夢を与えるという長嶋の方針と潤沢な資金力によって、大型補強を繰り返していたことについて聞かれた際には、テレビインタビューに対して「金持ち(長嶋茂雄のこと)が金を使って戦力補強して何が悪いんですか」とコメントした。この発言について、自身のブログ(2007年4月23日付け)で、「巨人の補強について語ったことで、選挙とは関係無い」と“長嶋”という固有名詞を除外して弁明している。
[編集] テレビ
[編集] 主な歌唱作品
[編集] 脚注
- ^ フジテレビ『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』2005年7月20日放映分より