東葛飾郡

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千葉県東葛飾郡の位置(水色:後に他郡から編入した区域)

東葛飾郡(ひがしかつしかぐん)は、千葉県にあった。現在の旧東葛飾郡地域に関しては東葛地域を参照。

郡域[編集]

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域にあたる(公有水面埋立地を除く)。

歴史[編集]

1871年明治4年)、廃藩置県後の府県統合で下総国葛飾郡は一旦全域が印旛県の所属となり、1873年(明治6年)に印旛県と木更津県の合併により千葉県の所属となった。1875年(明治8年)、新治県が廃止されて茨城県と千葉県に分割された際に、下総国西半を管下としていた(旧)千葉県のうち利根川以北の区域が茨城県に移管され、利根川の両岸にまたがって広がる下総国葛飾郡も茨城県と千葉県に分割された(同様に相馬郡も茨城・千葉両県に分割された)。この時に併せて下総国葛飾郡のうち江戸川以西の区域は埼玉県に移管された(埼玉県はすでに武蔵国葛飾郡の北半を管下としている)。

下総国葛飾郡の大半は千葉県に残ったが、この区域が1878年(明治11年)の郡区町村編制法により東葛飾郡となり、郡役所を松戸町に置いた。この際、茨城県管下の下総国葛飾郡は西葛飾郡、埼玉県管下の下総国葛飾郡は中葛飾郡、また埼玉県管下の武蔵国葛飾郡は北葛飾郡東京府管下の武蔵国葛飾郡は南葛飾郡となっている。併せて、千葉県管下の下総国相馬郡は南相馬郡、茨城県管下の下総国相馬郡は北相馬郡となった。 南相馬郡(現在の柏市の一部(旧沼南町全部を含む)や我孫子市の地域にあたる)は1897年(明治30年)に東葛飾郡に編入されて消滅した。

2005年平成17年)3月28日に東葛飾郡にあった最後の町である沼南町が柏市と合併したことにより、地名としての東葛飾郡は消滅した。しかしこの地域を指す言葉として、千葉県東葛飾地方東葛(とうかつ)という略称は現在でもしばしば使われる。

郡発足までの沿革[編集]

  • 旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、後の当郡域の支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。下記以外に本行徳村には荷物揚場除地が存在した。また、武家町の関宿町、三軒家と、関宿向河岸については記載なし。
知行 村数 村名
幕府領 幕府領 127村 次木村、木間ヶ瀬村、丸井村、岡田村、東金野井村、船形村、蕃昌新田、吉春村、座生新田、岩名村、●清水村、上花輪村、宮崎新田、柳沢新田、奉目新田、鶴島新田、中根新田、桜井村(桜台村)、堤根新田、花井新田、横井村(横内村)、三ヶ尾新田、小船新田、山崎村、亀山新田、今上村、深井新田、青田新田、十太夫新田、駒木新田、青駒新田、初石新田、平方村、平方新田、平方原新田、柏村、柏中新田、柏堀之内新田、桐ヶ谷村、桐ヶ谷新田、下花輪村、長崎村、長野新田、流山村、向小金新田、今谷新田、塚崎新田、高柳新田、串崎新田、木村、大谷口新田、●小金町、小西新田、小金上町新田、金ヶ作村、七右衛門新田、主水新田、九郎左衛門新田、三村新田、伝兵衛新田、古ヶ崎村、中根村、千崎新田、鎌ヶ谷村、一本椚新田、中沢村、松戸新田、松戸村、小根本村、田中新田、丸山新田、上山新田、藤原新田、大町新田、秋山村、大橋村、小山村、中矢切村、栗山村、稲越村、高塚新田、行田新田、前貝塚村、柏井村、奉免村、貝塚村(現市川市)、曾谷村、●須和田村、宮久保村、古作村、米ヶ崎村、七熊村、印内村、寺内村、若宮村、古八幡村、菅野村、平田村、●八幡村、○高谷村、市川新田、小栗原村、二子村、本郷村、山野村、西海神村、●船橋村、船橋九日市海神新田、○二俣村、●○原木村、○田尻村、○妙典村、○河原村、○稲荷木村、○下新宿村、●○本行徳村、加藤新田、儀兵衛新田、関ヶ島村、○伊勢宿村、○押切村、●○湊村(湊新田を含む)、●○欠真間村、○新井村、○当代島村、○猫実村、●○堀江村
旗本領 28村 東宝珠花村、平井村、●堤台村、野田町、大殿井村、瀬戸村、駒木村、芝崎村、古間木村、中村、後平井村、前平井村、●中金杉村、幸田村、●平賀村、大谷口村、横須賀村、●幸谷村、久保平賀村、二ツ木村、三ヶ月村、●上本郷村、後貝塚村、北方村、西夏見村、●東夏見村、高石神村、●中山村
幕府領・旗本領 46村 尾崎村、中里村、谷津村(現野田市)、五木村、中野台村、三ヶ尾村(西三ヶ尾村、二ツ塚村)、若柴村、中野久木村、上新宿村、戸張村、桐ヶ谷北村、北村小屋村新田(小屋村を含む)、桐ヶ谷南村、谷津貝塚新田(現流山市の貝塚村、谷津村も含む)、大畔村、●三輪野山村、市野谷村、野々下村、名戸ヶ谷村、名都借村、前ヶ崎村、西平井村、思井村、中新宿村、酒井根村、東平賀村、殿平賀村、根木内村、栗ヶ沢村、外河原村、新作村、中和倉村、河原塚村、日暮村、南花島村、岩瀬村、●和名ヶ谷村、紙敷村、上矢切村、下矢切村、南金杉村、高根村、国分村、市川村、鬼越村、●○大和田村
幕府領・与力給知 1村 ●船橋五日市新田
藩領 下総関宿藩 13村 関宿向下河岸、関宿江戸町、関宿台町、関宿元町、関宿内町、西高野村、東高野村、新田戸村、中戸村、柏寺村、桐ヶ作村、古布内村、親野井村
駿河田中藩 16村 木野崎村、三ツ堀村、山高野村、大青田村、西深井村、中曾根下谷新田、松ヶ崎村、高田村、篠篭田村、加村、佐津間村、鰭ヶ崎村、●上総内村、粟野村、根本村、大野村
幕府領・藩領 幕府領・田中藩 16村 目吹村、船戸村、小青田村、大室村、正連寺村、東深井村、花野井村、●増尾村、藤心村、逆井村、●馬橋村、千駄堀村、八ヶ崎村、道野辺村、中沢村、竹ヶ花村
その他 寺社領 1村 国府台村
  • 幕末から明治初年に以下の変更が行われた(小西新田の動向は不明)。
    • 一本椚新田が幕末期に鎌ケ谷村に編入か。
    • 五木村から五木新田が分村。
    • 三ヶ尾村、三ヶ尾新田が上三ヶ尾村、下三ヶ尾村、西三ヶ尾村、二ツ塚村に分割。
    • 小船新田が小青田村、船戸村に編入。
    • 亀山新田が山崎村に編入。
    • 青駒新田が青田新田、駒木新田、十太夫新田に編入。
    • 柏中新田が柏村中下に改称か。
    • 桐ヶ谷北村が北村に改称。
    • 北村小屋村新田が北村、小屋村に編入。
    • 桐ヶ谷南村が南村に改称。
    • 谷津貝塚新田が谷津村(現流山市)、貝塚村(現流山市)に編入。
    • 桐ヶ谷新田が下花輪村、北村、南村、貝塚村(現流山市)、谷津村(現流山市)、小屋村に編入。
    • 長野新田が長崎、野々下村に編入か。
    • 千崎新田が千駄堀村、八ヶ崎村に編入か。
    • 松戸村が松戸駅に改称。
    • 市川村から真間村が分村。
    • 船橋村、船橋九日市海神新田が船橋五日市村、船橋九日市村、船橋海神村に分村。
    • 妙典村が上妙典村、下妙典村に分村。
  • 慶応4年
    • 7月10日1868年8月27日) - 田中藩領(転封予定)、幕府領など48村(木村、七右衛門新田、外河原村、主水新田、伝兵衛新田、古ヶ崎村、松戸新田、南花島村、竹ヶ花村、根本村、松戸村、小根本村、岩瀬村、大橋村、小山村、上矢切村、中矢切村、下矢切村、栗山村、国分村、国府台村、須和田村、平田村、八幡村、市川村、高谷村、市川新田、西海神村、二俣村、原木村、田尻村、妙典村、河原村、稲荷木村、大和田村、下新宿村、本行徳村、加藤新田、儀兵衛新田、関ヶ島村、伊勢宿村、押切村、湊村、欠真間村、新井村、当代島村、猫実村、堀江村)が武蔵知県事の管轄となる。
    • 7月13日(1868年8月30日) - 駿河田中藩が安房長尾藩に転封。
    • 8月4日(1868年9月19日) - 田中藩領、幕府領などの残部(187村)が下総知県事の管轄となる。
    • 領地替えにより、次木村、親野井村が、下総知県事、武蔵岩槻藩相給となる。
  • 明治2年
  • 明治4年
  • 明治5年 - 小金牧の開拓地に初富村、二和村、三咲村、五香六実村、豊四季村、十余二村が成立。
  • 1873年(明治6年)6月15日 - 印旛県が木更津県に統合して千葉県が発足。
  • 1874年(明治7年) - 奉目新田、鶴島新田が合併して鶴奉村が成立。
  • 1875年(明治8年) - 下総国葛飾郡のうち利根川以北の町村(のちの西葛飾郡)が茨城県に、江戸川以西の村(のちの中葛飾郡)が埼玉県に移管。
  • 1878年(明治11年)

郡発足以降の沿革[編集]

  • 1878年(明治11年) - 葛飾郡のうち千葉県に属する部分が分立して東葛飾郡となる。
  • 1879年(明治12年) - 貝塚村(現市川市)が下貝塚村に、貝塚村、谷津村(現流山市)がそれぞれ上貝塚村、谷村に改称。
  • 1880年(明治13年) - 本行徳村が本行徳駅に改称。
  • 1883年(明治16年) - 山高野村が船戸村に編入。
  • 1886年(明治19年) - 八幡村と古八幡村が合併して八幡町となる。
  • 1887年(明治20年) - 南相馬郡戸張村新田が東葛飾郡に移管。
1.浦安村 2.南行徳村 3.行徳町 4.船橋町 5.八栄村 6.葛飾村 7.中山村 8.鎌ケ谷村 9.大柏村 10.塚田村 11.法典村 12.八柱村 13.五常村 14.八幡町 15.市川町 16.松戸町 17.明村 18.高木村 19.土村 20.千代田村 21.豊四季村 22.小金町 23.馬橋村 24.流山町 25.八木村 26.田中村 27.十余二村 28.新川村 29.梅郷村 30.福田村 31.野田町 32.旭村 33.七福村 34.川間村 35.木間ヶ瀬村 36.二川村 37.関宿町 41.布佐町 42.湖北村 43.我孫子町 44.富勢村 45.風早村 46.手賀村(紫:市川市 桃:船橋市 赤:松戸市 橙:流山市 黄:柏市 緑:野田市 水色:我孫子市 青:合併なし)
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、東葛飾郡に以下の9町と28村が成立する(現存しない地名は〈 〉で現在の地名を記した)。(9町28村)
    • 浦安村 ← 堀江村、猫実村、当代島村(現浦安市)
    • 南行徳村 ← 新井村、欠真間村、湊村、湊新田、押切村(現市川市)
    • 行徳町 ← 本行徳駅、伊勢宿村、関ヶ島村、下新宿村、大和田村、稲荷木村、上妙典村、下妙典村、河原村、田尻村、高谷村、原木村、二俣村の大半、儀兵衛新田〈幸、宝〉、加藤新田(現市川市)
    • 船橋町 ← 船橋五日市村〈本町〉、船橋九日市村〈本町〉、船橋海神村(現船橋市)
    • 八栄村 ← 三咲村、二和村、南金杉村、高根村、東夏見村、西夏見村、七熊村〈東町〉、米ヶ崎村(現船橋市)
    • 葛飾村 ← 西海神村、山野村、印内村、古作村、寺内村〈西船〉、本郷村、二子村、小栗原村〈本中山〉、二俣村の一部(現船橋市)
    • 中山村 ← 中山村、若宮村、北方村、鬼越村、高石神村(現市川市)
    • 鎌ケ谷村 ← 鎌ケ谷村、粟野村、佐津間村、初富村、道野辺村、中沢村、串崎新田の一部、印旛郡根村の一部(軽井沢新田)(現鎌ケ谷市)
    • 大柏村 ← 大野村、大町新田、柏井村、奉免村(現市川市)
    • 塚田村 ← 前貝塚村、後貝塚村〈旭町〉、行田新田(現船橋市)
    • 法典村 ← 藤原新田、上山新田、丸山新田(現船橋市)
    • 八柱村 ← 和名ヶ谷村、河原塚村、田中新田、紙敷村、串崎新田の大半、大橋村、秋山村、高塚新田(現松戸市)
    • 五常村 ← 須和田村、曽谷村、国分村、下貝塚村、稲越村(現市川市)
    • 八幡町 ← 八幡町、菅野村、宮久保村(現市川市)
    • 市川町 ← 市川村、真間村、市川新田、国府台村、平田村(現市川市)
    • 松戸町 ← 松戸駅、小山村、上矢切村、中矢切村、下矢切村、栗山村(現松戸市)
    • 明村 ← 根本村、岩瀬村、小根本村、南花島村、松戸新田、上本郷村、古ヶ崎村、伝兵衛新田〈栄町〉、竹ヶ花村(現松戸市)
    • 高木村 ← 金ヶ作村、日暮村、五香六実村、千駄堀村、八ヶ崎村、中和倉村、栗ヶ沢村(現松戸市)
    • 土村 ← 増尾村、名戸ヶ谷村、藤心村、逆井村、酒井根村、今谷新田〈今谷上町〉、小金上町新田〈今谷上町〉、中新宿村、塚崎新田、(現柏市)、根木内村(現松戸市。根木内新田〈光ヶ丘〉となった区域は現柏市)
    • 千代田村 ← 柏村、戸張村、松ヶ崎村、高田村、篠籠田村、戸張村新田、柏堀之内新田、柏中村下(現柏市)
    • 豊四季村 ← 豊四季村(現柏市)
    • 小金町 ← 小金町、上総内村〈小金清志町〉、二ツ木村、大谷口村、横須賀村、幸田村、中金杉村、平賀村、殿平賀村、東平賀村、久保平賀村(現松戸市)
    • 馬橋村 ← 幸谷村、三村新田〈西馬橋〉、大谷口新田〈新松戸〉、九郎左衛門新田〈旭町〉、中根村、馬橋村、三ヶ月村、主水新田、七右衛門新田、外河原村〈河川改修で消滅〉、新作村(現松戸市)
    • 流山町(1次) ← 流山村、加村、木村、西平井村、鰭ヶ崎村、三輪野山村(現流山市)
    • 八木村 ← 思井村、古間木村、芝崎村、前平井村、後平井村、長崎村、野々下村、市野谷村、名都借村、前ヶ崎村、向小金新田、大畔村のうち大畔新田、駒木村、十太夫新田、駒木新田、青田新田、初石新田、中村(現流山市)
    • 田中村 ← 花野井村、大室村、若柴村、正連寺村、大青田村、船戸村、小青田村(現柏市)
    • 十余二村 ← 十余二村、青田新田〈西原、西柏台〉(現柏市)
    • 新川村 ← 桐ヶ谷村、大畔新田を除く大畔村、下花輪村、北村、南村、小屋村、谷村、上貝塚村、上新宿村〈一部は上新宿新田〉、平方村、平方新田〈平方村新田〉、平方原新田、中野久木村、深井新田、東深井村、西深井村(現流山市)
    • 梅郷村 ← 山崎村、今上村、桜台村、花井新田、堤根新田(現野田市)
    • 福田村 ← 木野崎村、三ツ堀村、瀬戸村、二ツ塚村、上三ヶ尾村、西三ヶ尾村、下三ヶ尾村(現野田市)
    • 野田町 ← 野田町、清水村、堤台村、中野台村、上花輪村(現野田市)
    • 旭村 ← 大殿井村、目吹村、鶴奉村、柳沢新田、宮崎新田、中根新田、横内村(現野田市)
    • 七福村 ← 吉春村、蕃昌新田、五木村、岩名村、谷津村、五木新田、座生新田(現野田市)
    • 川間村 ← 中里村、東金野井村、船形村、尾崎村(現野田市)
    • 木間ヶ瀬村 ← 木間ヶ瀬村、岡田村、丸井村(旧関宿町→現野田市)
    • 二川村 ← 古布内村、新田戸村、東高野村、西高野村、中戸村、柏寺村、親野井村、次木村、平井村、東宝珠花村、桐ヶ作村(旧関宿町→現野田市)
    • 関宿町 ← 関宿町、三軒家、関宿江戸町、関宿台町、関宿元町、関宿内町(旧関宿町→現野田市)、関宿向河岸、関宿向下河岸(現埼玉県幸手市
  • 1890年(明治23年)5月23日 - 五常村が国分村に改称。
  • 1895年(明治28年) - 関宿町のうち権現堂川以北(関宿江戸町の一部)を茨城県西葛飾郡五霞村(現猿島郡五霞町)に、江戸川以西(関宿向河岸、関宿向下河岸、関宿江戸町の一部、関宿内町の一部)を埼玉県中葛飾郡豊岡村(現幸手市)に編入。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 郡制の施行により、東葛飾郡・南相馬郡の区域をもって、改めて東葛飾郡が発足。布佐町湖北村我孫子町富勢村風早村手賀村が本郡の所属となる。(11町32村)
  • 1909年(明治42年)9月1日 - 浦安村が町制施行して浦安町となる。(12町31村)
  • 1914年大正3年)10月10日(12町29村)
    • 千代田村・豊四季村が合併し、改めて千代田村が発足。
    • 田中村・十余二村が合併し、改めて田中村が発足。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 1924年(大正13年)8月10日 - 中山村が町制施行して中山町となる。(13町28村)
  • 1926年(大正15年)
    • 7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
    • 9月15日 - 千代田村が町制施行・改称して柏町となる。(14町27村)
  • 1931年昭和6年)1月1日 - 葛飾村が町制施行して葛飾町となる。(15町26村)
  • 1933年(昭和8年)4月1日 - 松戸町・明村が合併し、改めて松戸町が発足。(15町25村)
  • 1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町・八幡町・中山町・国分村が合併して市川市が発足し、郡より離脱。(12町24村)
  • 1937年(昭和12年)
    • 4月1日 - 船橋町・葛飾町・八栄村・法典村・塚田村が合併して船橋市が発足し、郡より離脱。(10町21村)
    • 4月15日 - 南行徳村が町制施行して南行徳町となる。(11町20村)
  • 1938年(昭和13年)4月1日 - 八柱村が松戸町に編入。(11町19村)
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 松戸町・馬橋村・高木村が合併して松戸市が発足し、郡より離脱。(10町17村)
  • 1949年(昭和24年)11月3日 - 大柏村が市川市に編入。(10町16村)
  • 1950年(昭和25年)5月3日 - 野田町・旭村・七福村・梅郷村が合併して野田市が発足し、郡より離脱。(9町13村)
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 流山町(1次)・八木村・新川村が合併して江戸川町が発足。(9町11村)
  • 1952年(昭和27年)1月1日 - 江戸川町が流山町(2次)に改称。
  • 1954年(昭和29年)
    • 9月1日 - 小金町・柏町・土村・田中村が合併して東葛市が発足し、郡より離脱。(7町9村)
    • 10月15日 - 東葛市のうち旧小金町が松戸市に編入。
    • 11月1日 - 富勢村が我孫子町と東葛市に分割編入。(7町8村)
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月30日 - 風早村・手賀村が合併して沼南村が発足。(7町7村)
    • 3月31日 - 行徳町が市川市に編入。(6町7村)
    • 4月29日 - 我孫子町・布佐町・湖北村が合併して我孫子町が発足。(5町6村)
    • 7月20日 - 関宿町・木間ヶ瀬村・二川村が合併し、改めて関宿町が発足。(5町4村)
  • 1956年(昭和31年)10月1日 - 南行徳町が市川市に編入。(4町4村)
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 福田村・川間村が野田市に編入。(4町2村)
  • 1958年(昭和33年)8月1日 - 鎌ケ谷村が町制施行して鎌ケ谷町となる。(5町1村)
  • 1964年(昭和39年)2月1日 - 沼南村が町制施行して沼南町となる。(6町)
  • 1967年(昭和42年)1月1日 - 流山町(2次)が市制施行して流山市となり、郡より離脱。(5町)
  • 1970年(昭和45年)7月1日 - 我孫子町が市制施行して我孫子市となり、郡より離脱。(4町)
  • 1971年(昭和46年)9月1日 - 鎌ケ谷町が市制施行して鎌ケ谷市となり、郡より離脱。(3町)
  • 1981年(昭和56年)4月1日 - 浦安町が市制施行して浦安市となり、郡より離脱。(2町)
  • 2003年平成15年)6月6日 - 関宿町が野田市に編入。(1町)
  • 2005年(平成17年)3月28日 - 沼南町が柏市に編入。同日東葛飾郡消滅。

変遷表[編集]

その他[編集]

葛東郡[編集]

葛飾郡を分割する考え方は、江戸時代以前にもあった。代表的なのが太日川(江戸川)を境界として、東側を「葛東郡」(略して葛東)、西側を「葛西郡」(略して葛西)と呼ぶ考え方である。この葛東郡は現在の旧相馬郡地域を除いた東葛飾郡とほぼ合致している。鎌倉時代文永年間に仙覚によって書かれた万葉集の注釈(『万葉集注釈』)に葛飾郡を太日川を境に東西に分けると書かれ、永仁年間の香取神宮の造営記録にも、かつて(建長年間に)守護千葉頼胤が葛東から人夫を調達した事が記録されている。[1]

葛南[編集]

東葛飾地方の南部を指す言葉として葛南(かつなん)がある。

船橋市や市川市、浦安市周辺が含まれるが、まれに本来は東葛飾郡ではなかった習志野市八千代市周辺も含んで葛南という場合もある。

千葉県葛南県民センター、千葉県葛南地域整備センターなど、船橋市内の公共施設の名前に残るが、葛南警察署(現:浦安警察署)、葛南病院(現:東京ベイ・浦安市川医療センター)、葛南工業高校市川工業高校と統合)など、市川市や浦安市では改称が相次ぎ、使われなくなっている。

東葛市[編集]

1954年9月1日に東葛飾郡の小金町・柏町・土村・田中村が合併(新設合併)して東葛市(とうかつし)が成立した。この東葛市も「東葛飾郡」から採られた地名である。

しかし、旧小金町域は血縁など昔から松戸方面との関連が強く、小金町民の間では柏との合併に反対する動きが強かった。そのため同年10月15日に一部を除いて東葛市から分離し、松戸市と改めて合併した。そのため残った3地域は同年11月15日に東葛市から柏市に名称を変更した。

後に松戸市長となった松本清は経営する薬局(後のマツモトキヨシ)が小金町にあったため、千葉県議会議員だった当時には小金町が所属していた「東葛飾郡選挙区」を基盤としていた。その後、小金町が松戸市と合併した後も(松戸市長に立候補するために県議を辞職するまで)松戸市選挙区に選挙区を替えることなく同選挙区から立候補している。

気象庁予報警報区分の「東葛飾」[編集]

2002年3月1日に一次細分区域(天気予報が出される区画)の「千葉県北西部」を分割して二次細分区域(注意報・警報が発令される単位)の「印旛」「東葛飾」「千葉中央」が新設された。当初、「東葛飾」は旧東葛飾郡域の市川市・船橋市・松戸市・野田市・柏市・流山市・我孫子市・鎌ケ谷市・浦安市となっていたが、2004年3月1日に旧千葉郡域(千葉市・習志野市・八千代市)および市原市(旧市原郡域)を範囲としていた「千葉中央」から、習志野市と八千代市が東葛飾に移された。

その他[編集]

千葉県の東葛飾郡にはかつて葛飾村(1931年に葛飾町)があったが、1937年に船橋町などと合併して船橋市の一部となった。旧葛飾町の区域内に船橋市立葛飾小学校船橋市立葛飾中学校葛飾郡総社葛飾神社などがある。またこの区域を通過する京成電鉄本線に「葛飾駅」があったが、1987年に「京成西船駅」と改称した。駅名標には現在も「旧葛飾」の表記がある。

市川市にある葛飾八幡宮、柏市にある千葉県立東葛飾高等学校、春日部市にある葛飾中学校などにも、その名をとどめている。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 小笠原長和「葛東郡」(『国史大辞典 3』(吉川弘文館、1983年)ISBN 978-4-642-00503-6

関連項目[編集]

外部リンク[編集]