皇太子徳仁親王妃雅子
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| 皇太子徳仁親王妃 雅子 | |
|---|---|
| 日本の皇太子妃 | |
| 身位 | 皇太子妃(親王妃) |
| 敬称 | 殿下 Her Imperial Highness |
| お印 | ハマナス |
| 出生 | 1963年12月9日(49歳) 東京都港区・虎ノ門病院 |
| 配偶者 | 皇太子徳仁親王 |
| 子女 | 愛子内親王 |
| 父親 | 小和田恆 |
| 母親 | 小和田優美子 |
| 役職 | 日本赤十字社名誉副総裁 |
| 天皇と皇族 |
|---|
皇太子徳仁親王妃雅子(こうたいしなるひとしんのうひ まさこ、1963年(昭和38年)12月9日 - )は、日本の皇族。皇太子徳仁親王の妃。旧名・小和田雅子(おわだ まさこ)。身位は皇太子妃、親王妃。皇室典範に定める敬称は殿下。お印はハマナス。勲等は勲一等宝冠章。学位は経済学士(Bachelor of Arts in Economics magna cum laude)(ハーバード大学・1985年)。
目次 |
略歴[編集]
生い立ち[編集]
- 1963年(昭和38年)12月9日、外務省職員の小和田恆・優美子夫妻の長女として東京都港区虎ノ門病院にて誕生する。父の仕事の関係で幼少期をソビエト連邦・スイス連邦で過ごす。
- 1971年(昭和46年)3月、目黒区立原町小学校第1学年に編入して、同年5月に、新宿区立富久小学校第2学年に編入する。
- 1972年(昭和47年)4月から、田園調布雙葉小学校に編入して卒業する。その後、同中学校を経て同高校に進学するも、父の仕事の関係で、米国ボストンへ移住する。
- 1979年(昭和54年)よりベルモントハイスクールへ通学する。
- 1981年(昭和56年)、同ハイスクールを卒業する。
独身時代[編集]
- 1985年(昭和60年)6月、ハーバード大学経済学部を卒業する。在学中は、心身障害児の運動指導[1]やフランス語のサークルで活動する。
- 1986年(昭和61年)、帰国後となる4月に東京大学法学部に外部学士入学するが、同年10月に外務公務員採用I種試験に合格し、外務省入省が決まる。この際、女性初のキャリア官僚 スーパールーキーと話題になる。1986年10月17日号「外交官に「清原級」ルーキー ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠」[2]1986年10月6日 日本経済新聞(夕刊)
- 1987年(昭和62年)に東京大学を中退し、外務省へ入省。経済局国際機関第二課に配属された。
- 1988年(昭和63年)から外務省の研修留学として、オックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学。
- 1990年(平成2年)6月に学位を取得しないまま帰国、7月1日付で北米二課に配属された。
徳仁親王との馴れ初め[編集]
- 1986年(昭和61年)に来日したスペインのエレナ王女の歓迎レセプションに出席した時に徳仁親王と知り合い[3]、研修留学からの帰国後には、皇太子となった皇太子徳仁親王の御妃候補として報道され、大きな話題となった。その後、徳仁親王との交際に付いては、『鴨場でのデート』も話題になっている。
- 1992年(平成4年)12月12日に、皇太子徳仁親王からの求婚を受諾している[3]。
愛車と流行[編集]
当時、雅子妃が所有し運転するトヨタ・カローラIIが報道され、販売台数が爆発的に増えた。
皇太子妃時代[編集]
成婚を記念して発行された500円硬貨
- 1993年(平成5年)1月19日、皇室会議にて徳仁親王妃に内定し、記者会見を行なう。ハーバード大卒のキャリアウーマンであること等が世間の注目を受けた。同年2月をもって外務省を退職。同年4月12日の納采の儀(婚約)を経て、同年6月9日に結婚の儀が行なわれた。成婚パレードには沿道に19万人の市民が集まり、テレビ中継の最高視聴率は79.9%を記録した[4]。6月17日に雅子妃の名が皇統譜に登録された。
- 1996年(平成8年)5月、米国のニューズウィーク誌が伝統の中で能力を発揮できないという主旨の記事を掲載する[5]。同年12月の誕生日記者会見には単独で応じ、以後2002年(平成14年)まで6回、単独会見を開いている。
- 1999年(平成11年)12月10日、朝日新聞が朝刊一面で雅子妃の懐妊の兆候をスクープ報道する[6]。宮内庁および同東宮職は複数回に渡り、過熱報道の自粛を要請した。雅子妃は12月23日の天皇誕生日一般参賀には出席したが、その後12月30日に稽留流産の手術を受けたと発表された。古川清東宮大夫・川口政行東宮侍医長・医師の岡井崇が記者会見を開き、懐妊が早期から大々的に報道され雅子妃に心労を与えたことを批判する一方、海外訪問[7]との因果関係については否定した[8]。また、過度の報道に対して徳仁親王は遺憾の意を表明した[9]。
- 2000年(平成12年)2月からは、公務に復帰している。
- 2001年(平成13年)4月16日に懐妊の可能性が発表された。
- 2004年(平成16年)5月、徳仁親王が訪欧を前にした記者会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言[1]。海外育ちで国際派と見られていた雅子妃と、伝統と慣習に厳格な宮内庁との間で不和があることをうかがわせた。この発言は人格否定発言と呼ばれ、大きな反響を呼んだ。
- 2006年(平成18年)からは、療養中にもかかわらず、今上天皇・皇后(いずれも現在)陪席のもと、御所で歴代天皇のご進講を続けている。
- 2010年(平成22年)3月以降、愛子内親王を気遣って登下校にほぼ毎日付き添うようになり[10]、外出の機会は増加した。
公務と体調[編集]
2000年(平成12年)7月の香淳皇后の斂葬の儀を欠席や同年8月の佐賀県訪問中止を皮切りに、徐々に体調不良を理由とした公務や祭祀への欠席が目立つようになる。2003年(平成15年)には帯状疱疹のため長期静養し、さらに2004年(平成16年)7月30日に、適応障害で長期間静養している事実が公表された。以後から現在まで、東宮御所における接見を除けば出席する公務は殆ど無く、宮中祭祀も参加していない状態にある[11]。唯一、2009年(平成21年)1月2日、「昭和天皇二十年式年祭の儀」中の「皇霊殿の儀」に、今上天皇・皇后の名代として夫の徳仁親王とともに拝礼した。これは2003年(平成15年)9月23日以来5年3ヶ月ぶりに、潔斎を経て平安装束を着用しての祭祀出席となった[12]。
2011年(平成23年)、4月より8月まで複数回、岩手県大船渡市などの東日本大震災の被災地慰問を行っている[13]。
年譜[編集]
- 1963年(昭和38年)12月9日、東京都港区に生まれる。本籍地は新潟県村上市本町[14]
- 1985年(昭和60年)6月(21歳)、ハーバード大学経済学部卒業
- 1986年(昭和61年)4月(22歳)、東京大学法学部に学士入学し3年に編入学
- 1987年(昭和62年)4月(23歳)、外務省入省 経済局国際機関第二課に配属されOECD担当となる
- 1988年(昭和63年)(24歳)、オックスフォード大学ベリオール・カレッジへ留学
- 1990年(平成2年)(26歳)、北米局北米二課に配属 市場開放・規制緩和を担当となる
- 1993年(平成5年)1月19日(29歳)、皇室会議で皇太子徳仁親王の妃に内定
- 2001年(平成13年)12月1日(37歳)、愛子内親王を出産
家系[編集]
| 雅子 | 父: 小和田恆 (外務省事務次官) |
祖父: 小和田毅夫 (高田市教育委員長) |
| 祖母: 小和田静 |
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| 母: 小和田優美子 |
祖父: 江頭豊 (チッソ会長) |
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| 祖母: 江頭寿々子 |
発言[編集]
- 「私に対して『皇室に入られるということには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから』というふうに仰ってくださいました」 - 皇室入りを決意させたものについて
- 1993年(平成5年)1月19日、婚約内定の記者会見にて
- 「本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました」 - 愛子内親王出産の際の気持ちについて
脚注[編集]
- ^ 「素顔の雅子さま」 主婦と生活社
- ^ 1986年12月6日 毎日新聞(夕刊)「麗しき外交官の卵」
- ^ a b 1993年1月19日 毎日新聞「昨年5月に申し入れ 宮内庁長官、新事実明かす」
- ^ MSN産経【皇室ウイークリー特別編】お写真で振り返る皇太子ご夫妻の15年
- ^ 1996年5月27日 読売新聞「「雅子妃は伝統の壁の中にこもってしまった」 米誌が特集記事」
- ^ 1999年12月10日 朝日新聞「雅子さま、懐妊の兆候 近く詳細な検査」
- ^ 12月3日~12月7日、ベルギー訪問(フィリップ王太子の結婚式に出席のため)
なお、滞在中ヒール靴を履いたり等、妊娠を予感させる素振りは見せなかった(週刊朝日 1999年12月24日号) - ^ 1999年12月31日 読売新聞「雅子さま流産 医師らの祈り届かず」
- ^ 平成12年皇太子徳仁親王の誕生日に際する記者会見にて
- ^ 2010年12月9日 読売新聞「雅子さま47歳 体調 着実に快復」
- ^ 宮内庁>皇室のご活動>皇太子同妃両殿下のご日程
- ^ 2009年1月7日 読売新聞(東京夕刊)「昭和天皇崩御20年 両陛下、武蔵野陵を拝礼」
- ^ 産経ニュース 皇太子ご夫妻が避難所をご訪問
- ^ 新潟文化物語 - 地域文化情報
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 皇太子夫妻の略歴と子女の紹介(宮内庁公式)
- とっておき!雅子さまの写真(写真家・浅岡敬史による)
- 皇太子妃殿下雅子様ゆかりの地(新潟県村上市郷土資料館)