神武天皇即位紀元
神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)は、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする、日本の紀年法である。
略称は皇紀(こうき)という。外にも、皇暦(こうれき)、神武暦(じんむれき)、神武紀元(じんむきげん)、日紀(にっき)[1]などともいう。年数の英字表記では、「Koki」や「Jimmu Era」などといい、皇紀2660年を「Koki 2660」「Jimmu Era 2660」などと表記する。紀元節(現在の建国記念の日)廃止までは、単に「紀元」と言った場合には、神武天皇即位紀元(皇紀)を指していた。
西暦2012年は、神武天皇即位紀元皇紀2672年である。
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[編集] 概説
神武天皇即位紀元は、キリスト紀元(西暦)より660年大きな値(キリスト紀元X年+660年=神武紀元Y年)となる。このずれは年により変わることは無く一定である。例えば、西暦2012年は皇紀2672年となる。
国家の紀元を神武天皇の即位に求めることは、古代の『日本書紀』編纂以来、一般的な認識であった。これを暦法に応用した皇紀の使用は、江戸時代後期の1840年代から1860年代にかけて、藤田東湖など国学者が用いた事が始まりである。当時の国学者は、アヘン戦争が勃発した西暦1840年を「紀元2500年」というように呼んでいた。しかし、政府の公文書は干支と元号を併用しており(例:天保11年庚子[西暦1840年])、皇紀は使用されなかった。
戦前の日本では、元号の外に皇紀がよく使用されており、単に「紀元」というと皇紀を指していた。但し、戸籍など地方公共団体に出す公文書や政府の国内向け公文書では、皇紀ではなく、元号のみが用いられていた。戦前において皇紀が一貫して用いられていた例には国定歴史教科書がある。
戦後になると、単に「紀元」というと西暦を指す事が多い。また、現在では、皇紀を見る機会はほとんどなく、政府の公文書でも用いられていない。しかし、公式に廃止されたわけではなく、閏年の置き方に関しては、神武天皇即位紀元を元に決めた勅令が根拠となっている(閏年ニ関スル件、明治31年[皇紀2558年、西暦1898年]5月10日勅令第90号)。
その他にも、一部の日本史や日本文学などのアマチュア愛好家・知識人、神道関係者、全日本居合道連盟などが使用している。
アメリカ中央情報局(CIA)のWebページにある"The World Factbook"(各国要覧)の日本の項目[2]には、"Independence: 660 BC (traditional founding by Emperor JIMMU)"とされている。
神武天皇は古代の人物であるが、歴史学的には3世紀に即位したとされる応神天皇以前の初期の天皇の実在性は不明確である。古墳の出現年代などから考古学上はヤマト王権の成立は3世紀前後であるとされており、神武天皇が紀元前660年に即位したことが事実であるという一致した見解は現在成立していない。考古学的には、この時期は弥生時代前期にあたる。
[編集] 制定
明治5年旧暦11月15日(当時の日本の暦は太陰太陽暦の天保暦で、太陽暦のグレゴリオ暦では1872年12月15日)の太政官布告第342号により定められたもので、明治6年(1873年)1月1日の日本における太陽暦採用と同時に施行された。
- 太陽暦御頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト定メラルニ付十一月二十五日御祭典(明治5年太政官布告第342号)[3]
- 今般太陽暦御頒行 神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付其旨ヲ被為告候為メ来ル廿五日御祭典被執行候事
- 但當日服者[4]参 朝可憚事
[編集] 紀元前660年となった根拠
『日本書紀』神武天皇元年正月朔の条に「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」とあり、辛酉年の春正月の庚辰朔に、天皇、橿原宮に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳を天皇の元年とすと記述がある。(『宋史』日本国伝(『宋史』491卷 列傳第250 外國7日本國[5])では「彥瀲第四子號神武天皇 自築紫宮入居大和州橿原宮 即位元年甲寅 當周僖王時也」とあり即位は周の僖王(紀元前681年 - 紀元前677年)の時代の甲寅が即位元年とする。)
明治維新後の1870年代初期に歴史学者の那珂通世が、『日本書紀』はその紀年を立てるにあたって中国の前漢から後漢に流行した讖緯説を採用しており、干支による年号が開始された西暦604年から逆算される辛酉年の、西暦601年から1260年遡った西洋紀元前660年(辛酉年)を、大革命である神武天皇即位の年として起点設定したとの説を立てた[6]。これは隋の煬帝により禁圧されて散逸した讖緯説の書(緯書)の逸文である『易緯』の鄭玄の注に、干支が一周する60年を1元(げん)といい、21元を1蔀(ぼう)として算出される1260年(=60×21)の辛酉年に、国家的革命(王朝交代)が行われる(辛酉革命)ということに因む。
[編集] 干支年について
干支#干支による紀年は、前漢の太初元年(紀元前104年)は乙亥(『呂氏春秋[7]』)、丙子(『漢書[8]』賈誼伝[9])、丁丑(『漢書』翼奉伝[10])、甲寅(『史記[11]』歴書[12])となっていた。太初暦では同年を丙子から丁丑としたが、三統暦では丙子にもどし、合わせ太始2年(紀元前95年)を乙酉から丙戌とする[13][14]など混乱があり[15][16]前漢以前は後の60周期にはなっていなかった。なお『日本書記』の暦は小川清彦 (天文学者)の「日本書紀の暦日に就いて(第五稿 )」(『日本暦日原典』に収録)によれば450年までは儀鳳暦の平朔で後代は元嘉暦を使用しているとする。
[編集] 皇紀2600年記念行事
「紀元二千六百年記念行事」を参照
「ゼロ戦」という通称で知られている大日本帝国海軍の「零式艦上戦闘機」は、この皇紀2600年(西暦1940年)に採用されたことに因んだ名称である(軍用機の命名規則により、制式名称は皇紀の下2桁を冠する規定による)。大日本帝国陸軍の場合、同年制式採用兵器の数字は百式重爆撃機、一〇〇式司令部偵察機、一〇〇式輸送機など海軍とは異なり、零ではなく百(一〇〇)としている。
皇紀2601年(西暦1941年)に陸軍に採用された戦闘機は一式戦闘機(通称隼)としている。
[編集] 戦後に皇紀が用いられた例
[編集] 皇紀と安田生命保険
安田生命保険(今の明治安田生命保険)は、1970年代に個人情報管理のシステムを構築することになった。その際システムの担当者は、20数年後に生じるであろう2000年問題をすでに予測していたのか、あるいはシステム上で都合がいいからなのか、「年」の処理に西暦や元号ではなく皇紀を使用した[17]。そのことにより、安田生命保険は2000年問題を(皇紀の下2桁が00になるのは2040年なので)40年先送りしたとされる。
[編集] インドネシア独立宣言文
1945年8月17日、インドネシアの独立がスカルノおよびハッタによって宣言された。
日本軍政下のインドネシアでは、皇紀が使われていた(元号は用いられていなかった)。この為、その独立宣言文の日付は、既に日本がポツダム宣言を受諾していたにも拘らず、皇紀(2605年)の下2桁で記載されている。
[編集] 類似の紀元
日本の皇紀以外にも、西暦やイスラム紀元と異なる独自の紀元を立てたり、あるいは古くからあったものを西暦に替えて使った事例がある。以下はその例。現在では使われていないものも多い。
- ジンギスカン紀元(成紀) - 東部蒙古王公領・蒙古聯合自治政府。成吉思汗の即位を紀元とする。1937年=成紀732年。
- トルコ紀元(突厥紀元) - トルコ共和国。モンゴル高原での初代突厥可汗の即位を紀元とする。
- アケメネス紀元(イラン暦)- キュロス紀元とも。イラン。古くからあったがパーレビ王朝で公式採用された。
- 仏滅紀元(仏暦) - タイ、ミャンマーなど。東南アジア諸国で昔からあった紀年法で、今でも使われている。
- 黄帝紀元(黄紀) - 中国清朝末期に使用が始まった紀元。伝説上の帝王黄帝の誕生年または即位年を紀元とする。
- 檀君紀元(檀紀) - 大韓民国。朝鮮神話による最初の王檀君の即位を紀元とする。1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年12月2日の年号廃止の法令制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用が禁止された。
- 主体暦 - 北朝鮮。金日成の誕生年である1912年を紀元とする。
- ローマ建国紀元(ローマ紀元) - ローマ帝国。初代ローマ王ロムルスの古代ローマ建国を紀元とする。
[編集] 参考文献
[編集] 脚注
- ^ 東方年表など
- ^ CIA - The World Factbook -- Japan →Government
- ^ 内閣官報局編『法令全書』、国立国会図書館・近代デジタルライブラリー
- ^ 「服者」(ぶくしゃ)とは、近親が死んだために、喪に服している者のこと。
- ^
脫脫: 宋史/卷491#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9C.8B - ウィキソース - ^ 『日本書紀(一)』補注(巻第三)一八 400頁
- ^
呂不韋: 呂氏春秋 - ウィキソース - ^
班固: 漢書 - ウィキソース - ^
班固: 漢書/卷048 - ウィキソース - ^
班固: 漢書/卷075 - ウィキソース - ^
司馬遷: 史記 - ウィキソース - ^
司馬遷: 史記/卷026 - ウィキソース - ^ 太歳
- ^ こんどは太歳紀年法
- ^ 歳星の記事によりて左伝国語の製作年代と 干支紀年法の発達とを論ず (PDF)
- ^ 木星と太歳
- ^ 天声人語 朝日新聞1999年2月22日[いつ?][要検証]
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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