醍醐天皇

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醍醐天皇
第60代天皇
在位 897年8月14日 - 930年10月16日
在位中の時代 平安時代
在位中の年号 寛平昌泰延喜延長
在位中の首都 京都
在位中の皇居 平安宮
維城、敦仁
別名 延喜帝
出生 885年2月6日
死去 930年10月23日
先代 宇多天皇
次代 朱雀天皇
中宮 藤原穏子
女御 源和子
藤原和香子
更衣 源封子
藤原鮮子
源周子 他多数
子女 克明親王
保明親王
重明親王
兼明親王
寛明親王(朱雀天皇
成明親王(村上天皇
源高明
宣子内親王
恭子内親王
慶子内親王
勤子内親王
雅子内親王
靖子内親王
康子内親王
韶子内親王
斉子内親王 他多数
父親 宇多天皇
母親 藤原胤子
  

醍醐天皇(だいごてんのう、元慶9年1月18日885年2月6日)- 延長8年9月29日930年10月23日))は、平安時代の天皇。第60代。在位:寛平9年7月13日897年8月14日)- 延長8年9月22日(930年10月16日)。はじめの維城(これざね)、のちに敦仁(あつぎみ・あつひと)に改めた。

目次

[編集] 系譜

宇多天皇の第一皇子。母は内大臣藤原高藤の女藤原胤子。養母は父の正妃藤原温子関白太政大臣基経の女)。20人に近い女御更衣をかかえ、保明親王(文献彦太子)・代明親王重明親王(吏部王)・源高明(臣籍降下)・兼明親王(前中書王)・寛明親王(朱雀天皇)・成明親王(村上天皇)をはじめ、36人の子女をもうけた。

[編集] 系図

 
(54)仁明天皇
 
(55)文徳天皇
 
(56)清和天皇
 
(57)陽成天皇
 
元良親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
惟喬親王
 
 
貞純親王
 
(源)経基清和源氏へ〕
 
 
 
 
 
(58)光孝天皇
 
(59)宇多天皇
 
(60)醍醐天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人康親王
 
操子女王
(藤原基経妻)
 
 
真寂法親王
(斉世親王)
 
 
 
 
 
敦実親王
 
(源)雅信宇多源氏へ〕
 
 


[編集] 略歴

元慶9年1月18日(885年2月6日)、源定省の長男・源維城として生まれる。仁和3年(887年)、父が皇籍に復帰して天皇に即位した事に伴い、皇族に列する事になった。寛平元年(889年)親王宣下、同5年4月2日立太子。同9年7月3日元服し、同日践祚、同月13日に即位。父帝の訓示を受けて藤原時平菅原道真を左右大臣とし、政務を任せる。その治世は34年の長きにわたり、摂関を置かず形式上の親政を行っていたため、後世「延喜の治」と崇められたが、昌泰4年(901年)、時平の讒言を聞き菅原道真を大宰権帥に貶めた昌泰の変は、聖代の瑕と評されることであった。だが近年では、この事件を天皇と時平による宇多上皇の政治力排除のための行動であったと考えられている。また、同年に時平の妹である藤原穏子(後に中宮)が女御に立っており、宇多上皇が採ってきた藤原氏に対する抑制政策を転換していることも変と関係していると考えられている。時平も初めての荘園整理令を発布したりして政治の刷新に意欲的であり、国史『日本三代実録』を完成させ、また律令政治の基本法である延喜格式の撰修に取り掛かったりしたが、完成に至らぬまま早世し、弟藤原忠平らがその志を継いで延長5年(927年)に完成した。

天皇はまた和歌の振興に留意し、延喜5年(905年)、『古今和歌集』撰進を紀貫之らに命じた。自身も和歌に堪能で、勅撰集に43首入る。家集『延喜御集』もある。20巻にわたる33年間の宸記『延喜御記』は諸書に引かれている逸文のほかは現存せず、村上天皇の御記と併せて『延喜天暦御記抄』とよばれて伝わる。

天皇ははじめ中宮藤原穏子との間にあげた長子保明親王を東宮の座に据えたが、早世したためその子慶頼王を立坊させるも、やはり夭折した。一連の不幸は菅原道真の怨霊の仕業と噂され、延喜23年(923年)になって、天皇は道真を左遷した詔を破棄し、右大臣に復し贈位を行うなどその慰霊に努めた。

延長8年9月22日(930年10月16日)、病篤きによって皇太子寛明親王に譲位し、その7日後、延長8年9月29日(930年10月23日)に崩御。醍醐寺の北、笠取山の西、小野寺の下において土葬された。

[編集] 后妃・皇子女

  • 第四皇子:重明親王(906-954) - 三品式部卿
  • 第十一皇子:兼明親王(前中書王)(914-987) - 一品中務卿
  • 第十三皇子:章明親王(924-990) - 二品弾正尹
  • 更衣:中将更衣 - 藤原伊衡女
  • 皇子:源為明(?-961)
  • 更衣:源敏相女
  • 皇子:源允明(919-942)
  • 更衣:源清子
  • 更衣:藤原同子
  • 更衣:源暖子
  • 生母不明
  • 皇女:源厳子

[編集] 諡号・追号・異名

勅願寺醍醐寺の近辺にあり、御陵のある醍醐に因んで「醍醐天皇」と追号。「醍醐院」とは言わなかったようである。また在位中の代表的な年号を取って「延喜帝」と称された。

[編集] 在位中の元号

  • 寛平
  • 昌泰
  • 延喜
  • 延長

[編集] 陵墓・霊廟

醍醐天皇陵は、長く醍醐寺の管理下にあったため、所在が確定できる数少ない平安時代の御陵の一つとなっている。後山科陵(のちのやましなのみささぎ)として京都市伏見区醍醐古道町に現存。

[編集] 関連項目

先代:
宇多天皇
天皇
第60代: 897年 - 930年
次代:
朱雀天皇