マクシマ・ソレギエタ
| マクシマ・ソレギエタ Máxima Zorreguieta |
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| Prinses Máxima der Nederlanden | |
プリンセス・マクシマ(2010年)
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| 称号 | オランダのプリンセス、オラニエ=ナッサウのプリンセス |
| 全名 | Máxima Zorreguieta Cerruti |
| 出生 | 1971年5月17日(40歳) |
| 配偶者 | オラニエ公ウィレム=アレクサンダー |
| 子女 | カタリナ=アマリア アレクシア アリアーネ |
| 父親 | ホルヘ・ソレギエタ |
| 母親 | マリア・デル・カルメン・セルティ・カリカルト |
| オランダ王室 |
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マクシマ・ソレギエタ・セルティ(Máxima Zorreguieta Cerruti, 1971年5月17日 - )は、オランダの王太子であるオラニエ公ヴィレム=アレクサンダーの妃。オランダのプリンセス(Prinses der Nederlanden)、オラニエ=ナッサウのプリンセス(Prinses van Oranje-Nassau)の称号を持つ。なお、彼女はオラニエ公(Prins van Oranje)の妃ではあるが、Prinses van Oranjeではない。現在オランダにおいてPrinses van Oranjeの称号は、王位の法定推定相続人である女性が帯びるものであるためである。
[編集] 結婚まで
1971年、バスク系・イタリア系アルゼンチン人のホルヘ・ソレギエタ(Jorge Zorreguieta)と、2度目の妻でバスク系アルゼンチン人のマリア・デル・カルメン・セルティ・カリカルト(María del Carmen Cerruti Carricart)の娘としてブエノスアイレスで生まれた。父が先妻との間にもうけた異母姉が3人、同母兄2人と同母姉1人がいる。父ホルヘは裕福な農場経営者で、ホルヘ・ラファエル・ビデラ政権時代に農林大臣を務めた。1995年にアルゼンチン・カトリック大学(Universidad Católica Argentina)で経済学の学位を取得し卒業した。1999年、ニューヨークで銀行に勤めていたマクシマは、友人主催のパーティーのあったセビリアでウィレム=アレクサンダー王子と知り合う。
2000年頃、2人の交際が公になり、オランダ国内で大きな議論を巻き起こした。マキシマの父ホルヘが、軍事独裁政権であったビデラ政権の閣僚であったことが問題であった。無実の市民の大量虐殺を引き起こした政権の実力者の娘と、次期王位継承者との結婚を許していいものか、もし結婚を選ぶなら王位継承権を放棄すべきだ、との世論が巻き起こった。結局、ホルヘは大量虐殺には一切関与していなかったとの結論が出された。
2001年1月31日の女王ベアトリクスの誕生日、女王夫妻とウィレム=アレクサンダー、そしてマキシマが並んで写された写真が公表され、女王と王配クラウスが2人の結婚に賛成の意志を示していることを公に示した。
[編集] 国籍
2001年5月17日にオランダ国籍を取得した。結婚前に外国人がオランダ国籍を取得することはオランダでは慣例となっていないため、この特別扱いは不満を引き起こした(通常の状況ではオランダの市民権を得るのには数年かかる。しかし、王室の花嫁となるために必須であり、オランダの法律によって授けられている)。現在はオランダとアルゼンチンの二重国籍を持つ。
挙式の数日前、女王ベアトリクスによってマクシマはオランダのプリンセス(Prinses der Nederlanden)の称号と殿下(Koninklijke Hoogheid)の敬称を授けられた。
一般に考えられているのとは違い、マクシマはウィレム=アレクサンダーと同じプロテスタント(オランダ改革派)に改宗せず、カトリック教徒のままである(オランダの王位継承は、法律ではなく慣例として、カトリック教徒が君主となることを禁じている。これはオランダがカトリック教国スペインから八十年戦争を経て独立した歴史に起因する)。しかし、マクシマはウィレム=アレクサンダーとの間に生まれた3人の王女たちをプロテスタントとして育てることに同意している。
以前、ベアトリクス女王の妹であるイレーネ王女とクリスティーネ王女がカトリック教徒と結婚した際には、議会から承認が得られず、オランダ王位継承権を失っている。
[編集] オランダのプリンセスとして
マクシマとウィレム=アレクサンダーは2001年3月30日に正式に婚約した。テレビ放送された婚約会見では、マクシマはほぼ流暢なオランダ語を披露した。
2002年2月2日、アムステルダムのブールス・ファン・ベルラーヘ(Beurs van Berlage)で民事婚を行い、アムステルダム新教会(Nieuwe Kerk)にて宗教婚を執り行った。しかし、結婚の障害になりかけた妃の父ホルヘは式に招かれなかった。また、夫を一人残していけないとして、母マリアも挙式に欠席した。式中、アストル・ピアソラのAdiós Nonino(『さよならお父さん』)が流れた時、彼女は両目から大粒の涙を流した。
2003年に長女カタリナ=アマリア王女が誕生、2005年には次女アレクシア王女が誕生している。2007年4月10日、第3子となるアリアーネ王女が誕生した。
2005年、銀行で働いていた経験を生かし、国際連合の国際マイクロクレジット年におけるアドヴァイザーとなった。
マクシマは、LGBTの人権擁護活動を支援する世界でも希な王族の一人である。マクシマの広報担当は、『プリンセスは、オランダ国内の全てのグループが平等な権利を持つことに賛同している。』と述べている。