正田英三郎
正田 英三郎(しょうだ ひでさぶろう、1903年9月21日 - 1999年6月18日)は日本の実業家。群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。
日清製粉グループ本社の創業者・正田貞一郎の三男として生まれたが、長兄・明一郎(貞一郎の長男)が早世し、次兄・建次郎(貞一郎の次男)が数学者となったので、英三郎が父の跡を継いだ。皇后美智子の実父である。
製粉業界最大手の日清製粉グループ本社の社長や会長を歴任したが、長女美智子の皇室内での立場を気遣ってかマスコミへの登場も極力控えるなど、実業家としてはかなり地味な存在であった。
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[編集] 略歴
- 1916年 - 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。
- 1921年 - 旧制東京高等師範附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
- 1927年 - 東京商科大学(現・一橋大学)を卒業(上田貞次郎ゼミ)し、三菱商事に入社。
- 1929年 - 日清製粉に転じる。
- 1935年 - 取締役に就任。
- 1945年6月 - 社長に就任。
- 1959年4月10日 - 長女美智子が当時の皇太子明仁親王(1989年即位し天皇となる)と結婚。
- 1973年11月 - 社長を退き会長に就任。
- 1981年6月 - 会長を退き名誉会長に就任。
- 1986年6月 - 次男・修が日清製粉の社長に就任。
- 1999年6月18日 - 逝去。
[編集] 家族関係
英三郎の長女が皇后美智子であるのは略歴で明記してあるが、他の子女も良家の子女と結婚している。英三郎の長男・巌は元内閣総理大臣・濱口雄幸の孫娘・淑と、次女・恵美子は元昭和電工社長・安西正夫の長男で昭和エンジニアリングの社長を務めた安西孝之と、次男・修は元クラレ社長・大原総一郎の次女・泰子と結婚した。
孫は巌の2男、恵美子の1男1女、修の2女、そして現在の皇后である美智子の2男1女(皇太子徳仁親王・秋篠宮文仁親王・黒田清子)の計9人、男5人女4人である。
なお英三郎の兄・建次郎も華麗な姻戚関係をもっているが、詳しくは正田建次郎及び平山信(建次郎の先妻・多美の父で天文学者)を参照のこと。
[編集] 系譜
正田家の遠祖は新田義重の家臣生田隼人であると称している。後世、世良田にいた正田家の人が館林に移って商人になった。館林における始祖は“六三郎”であり、江戸時代には代々「米文」の暖簾のもとに米問屋を家業とし上州館林および近郊きっての富商であった。「米文」の名声は江戸だけでなく大阪方面まで聞こえていたという。
弘化の頃(1844年 - 1847年)には名主の職にあり名字帯刀を許されていた。文政元年(1818年)7月に生まれた文右衛門(3代目)は正田家「中興の祖」といわれている。文右衛門は明治6年(1873年)米穀商を辞め醤油醸造業を始めた。貞一郎は館林製粉を創立して製粉業を始め醤油醸造業は本家筋が引き継いだ[1]。
六三郎…(略)…文右衛門━┳━文右衛門 ┃ ┏━明一郎 ┃ ┣━はる ┗━作次郎━━貞一郎 ┃ ┃ ┃ 多美 ┏━彬 ┃ ┃ ┣━━╋━絢子 ┣━━╋━建次郎 ┗━さだ子 ┃ ┃ ┣━━━━紘 ┃ ┃ 禎子 きぬ ┃ ┣━勅子 ┣━英三郎 ┃ ┣━━┳━巌 ┃ 冨美子 ┣━美智子 ┃ ┣━恵美子 ┣━祐子 ┗━修 ┣━順四郎 ┃ ┣━━━━紀子 ┃ 郁子 ┃ ┣━千鶴子 ┣━篤五郎 ┃ ┣━━━━晋一郎 ┃ 公子 ┃ ┗━和子
なお上記の系図のうち正田建次郎の係累については『昭和人名辞典 第1巻 東京編』504頁、831-832頁を、正田順四郎の係累については同書503頁を出典とする。
[編集] 脚注
- ^ 『正田貞一郎小伝』 9-21頁
[編集] 参考文献
- 正田貞一郎小伝刊行委員会 『正田貞一郎小伝』 非売品 1965年
- 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 220-223頁
- 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』 日本図書センター 1987年 ISBN 4-8205-0693-5 503-504頁、831-832頁
- 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 立風書房 2001年 274-278頁
- 神一行 『閨閥 特権階級の盛衰の系譜』 角川文庫 2002年 381-393頁
- 筑波大学附属中学校・高等学校の人物一覧