憲仁親王妃久子

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憲仁親王妃久子
高円宮妃
Prinsessan Takamado.jpg
2013年、スウェーデン王女マデレーンの挙式にて
身位 親王妃
敬称 殿下
Her Imperial Highness
お印
出生 1953年7月10日(61歳)
配偶者 高円宮憲仁親王
子女 承子女王
典子女王
絢子女王
父親 鳥取滋治郎
母親 鳥取二三子
役職 日本赤十字社名誉副総裁
日本水難救済会名誉総裁
日本海洋少年団連盟名誉総裁
名誉総裁
日本サッカー協会名誉総裁
日本ホッケー協会名誉総裁
日本フェンシング協会名誉総裁
全日本軟式野球連盟名誉総裁
いけばなインターナショナル名誉総裁
他多数
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憲仁親王妃久子(のりひとしんのうひ ひさこ、1953年昭和28年)7月10日 - )は、日本皇族で、高円宮憲仁親王の妃。旧名は、鳥取 久子(とっとり ひさこ)。身位親王妃皇室典範における敬称殿下お印(おうぎ)。勲等は勲一等[1]学位博士 (芸術文化学)称号名誉学位)として名誉法学博士アルバータ大学プリンスエドワードアイランド大学[2]。憲仁親王薨去後は、高円宮家の当主を務めている。

略歴[編集]

1953年(昭和28年)7月10日、実業家である鳥取滋治郎・二三子夫妻の長女として誕生。鳥取家は香川県三豊郡出身の旧家の家柄であった。聖心女子学院初等科・中等科を卒業後、三井物産に務める父のイギリス転勤のため渡英。ケンブリッジ大学ガートン・カレッジ人類学考古学を学び、1975年(昭和50年)に卒業した後、日本に帰国し翻訳会社に勤める。一時帰国の後、法律を学ぶために再び渡英し、1982年(昭和57年)に帰国した。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳助手を務めた。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。

1984年(昭和59年)4月23日、カナダ大使館のレセプションパーティーにて1歳年少の憲仁親王と出会う。5月上旬には、憲仁親王の父・三笠宮から好意の有無を確認される。5月20日に英語で「Will you marry me?」とのプロポーズに「Yes.」と答え承諾。同年9月17日納采の儀12月6日に結婚の礼を行い[3]、憲仁親王と結婚。婚儀と同日に、高円宮家が創設された[4]承子女王[5]典子女王[6]絢子女王[7]の3人の女子をもうけたが、女王のみで男子はいない。

日本サッカー協会・名誉総裁である憲仁親王とともに、彼女もサッカー関係の行事に出席する際にはサッカー関連のアクセサリーを身につける等、振興に協力した。2002年平成14年)には、サッカー・ワールドカップ日韓大会が開催された。5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、開会式にも出席した。ちなみに日本サッカー協会総裁としてではあるが皇族の公式な韓国訪問は、高円宮夫妻が第二次世界大戦後初である。

高円宮杯U-18サッカーリーグの「高円宮杯」を授与する妃殿下(2013年)

2002年(平成14年)に憲仁親王が薨去し[8]、高円宮家の当主となった。その後は日本サッカー協会全日本軟式野球連盟日本水難救済会をはじめ憲仁親王が務めていた諸々の総裁・名誉総裁職を引き継ぎ、精力的に活動している。

2012年(平成24年)に、根付に関する研究大阪芸術大学より博士 (芸術文化学) の学位を授与された[9]

2013年(平成25年)9月、日本サッカー協会(JFA)・アルゼンチンサッカー協会の友好記念行事に日本サッカー協会名誉総裁として出席するためにアルゼンチンを訪問し、記念式典ではJFAを代表して挨拶を行った後にアルゼンチンナショナルサッカートレーニングセンターを視察した[10]。また、両国サッカー協会の記念行事と同時期にブエノスアイレス2020年夏季オリンピックの開催地選考を行っていたIOC総会が開催されることから、日本の皇族として初めて出席することになった。だが、東京オリンピック招致に結び付けたい首相官邸と皇室の政治利用を懸念する宮内庁との駆け引きの末、出席してスピーチはするもののオリンピック招致を直接呼びかけず招致委員会メンバーのユニホームを着ないことになった[11]。東京のプレゼンテーションにおいて冒頭のスピーチでIOCやスポーツ団体の東日本大震災救援に対する感謝のスピーチを流暢なフランス語と英語で行った[12]。スピーチではオリンピック招致を直接呼びかけることはなかったが、スピーチの最後で「チームジャパンがこれからプレゼンテーションを始めます。説得力のあるものとして聞いていただけると思います」とオリンピック招致について間接的に触れた[13]

この第125次IOC総会で2020年夏季オリンピックの誘致活動を行った東京は、マドリードイスタンブールを破り、2020年東京オリンピック開催が確定した。開催地が東京に決定したのは、このスピーチが大きな影響を与えたとの分析がある[14]。このスピーチについては、オリンピック誘致に政治的な側面があることから宮内庁は慎重であったが、内閣と東京都が押し切って実現した。なお、ライバルのマドリードは、フェリペ王太子(のちの国王フェリペ6世)など王室メンバーが積極的に関わっていた[15]

子女[編集]

外遊歴[編集]

家系[編集]

東邦物産専務・三井物産関連会社役員等を務めた鳥取滋治郎の長女。鳥取家は香川県の旧家である。

母方の曾祖母の晃子は、貞明皇后と従姉妹にあたる。その後、晃子は鷹司煕通公爵の養女となり、曾我祐邦子爵に嫁いだ。したがって、久子は高円宮と遠縁にあたる。

九条尚忠松園尚嘉曽我晃子—友田盛子—鳥取二三子—久子
     |
     └九条道孝貞明皇后三笠宮高円宮

エピソード[編集]

サッカーワールドカップ南アフリカ大会終了後、日本サッカー協会名誉総裁である久子は出場した日本代表岡田武史監督や一部選手、同じく大会に参加した西村雄一審判員の表敬訪問を受けた。その際、日本代表監督の辞任を表明したものの、その後の予定が決まっていない岡田に対し「いつまでも浮草のようにフラフラしてないで、もう夏休みは終わりですよ」と声をかけたという。

著作[編集]

備考[編集]

政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では皇族に宮号が冠されることはない(「皇太子」を除く)ため、それらの告示が掲載される官報での表記は「憲仁親王妃久子」とされ、「高円宮」が冠されることはない。ただし、同じ政府による表記であってもホームページなど「国民一般へのわかりやすさ」が重視される場面では「高円宮妃」の表記も用いられる。

脚注[編集]

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  1. ^ 1984年(昭和59年)12月7日『官報』第17351号9ページ「叙勲」
  2. ^ 宮内庁・高円宮妃の略歴
  3. ^ 1984年(昭和59年)12月6日宮内庁告示第10号「憲仁親王殿下は、昭和五十九年十二月六日、鳥取久子と結婚の礼を行われた件」
  4. ^ 1984年(昭和59年)12月6日宮内庁告示第11号「天皇陛下は、昭和五十九年十二月六日、憲仁親王殿下に、高円宮の称号を賜つた件」
  5. ^ 1986年(昭和61年)3月11日宮内庁告示第2号「憲仁親王妃久子殿下は、愛育病院において御出産、女王が御誕生になった件」、1986年(昭和61年)3月15日宮内庁告示第3号「御誕生になった憲仁親王殿下の第一女子は、御名を承子と御命名になった件」
  6. ^ 1988年(昭和63年)7月23日宮内庁告示第4号「憲仁親王妃久子殿下は、愛育病院において御出産、女王が御誕生になつた件」、1988年(昭和63年)7月29日宮内庁告示第5号「御誕生になつた憲仁親王殿下の第二女子は、御名を典子と御命名になつた件」
  7. ^ 1990年(平成2年)9月18日宮内庁告示第12号「憲仁親王妃久子殿下は、愛育病院において御出産、女王が御誕生になった件」、1990年(平成2年)9月25日宮内庁告示第15号「御誕生になった憲仁親王殿下の第三女子は、御名を絢子と御命名になった件」
  8. ^ 2002年(平成14年)11月25日宮内庁告示第9号「憲仁親王殿下が薨去された件」
  9. ^ 「「根付」研究で博士号 高円宮妃久子さま取得 大阪芸大から」『読売新聞』2012年5月18日東京朝刊34面参照。
  10. ^ a b アルゼンチンサッカー協会との友好記念行事に高円宮妃殿下がご臨席 日本サッカー協会オフィシャルサイト トピックス(2013年9月7日付)
  11. ^ 高円宮妃久子さま、IOC総会出席へ 朝日新聞 2013年9月2日
  12. ^ “久子さま「震災支援、国民代表し御礼」プレゼンでご登壇”. 産経新聞. (2013年9月8日). http://sankei.jp.msn.com/life/news/130908/imp13090802030000-n1.htm 2013年9月8日閲覧。 
  13. ^ 髙円宮妃久子さまお言葉要旨 産経新聞 2013年9月8日
  14. ^ “「なぜ、東京は五輪を勝ち得たのか?」記者座談会”. 朝日新聞. (2013年9月8日). http://www.asahi.com/sports/update/0908/TKY201309080141.html 2013年9月9日閲覧。 
  15. ^ 菅原慎太郎 (2013年9月29日). “久子さまIOC総会ご出席の舞台裏 官邸の意向、渋る宮内庁押し切る”. 産経新聞. http://sankei.jp.msn.com/life/news/130929/imp13092900390000-n1.htm 2013年9月29日閲覧。 

参照文献[編集]

  • 『読売新聞』2012年5月18日東京朝刊

関連項目[編集]

外部リンク[編集]