皇位継承問題 (平成)
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皇位継承問題(こういけいしょうもんだい)とは、1965年の秋篠宮文仁親王誕生以降、長く皇室に男子が誕生しなかったため、将来的に皇室典範に定める皇位継承資格者が存在しなくなる恐れが生じた、2000年代に入って表面化した問題。皇位継承資格者の不足という問題を解決するために、史上前例のない女系天皇を容認すべきか否か、あるいは皇位継承について定める「皇室典範」を改正すべきか否か、皇位継承順位をどのように定めるべきかという問題でもあるため、女系天皇問題や皇室典範問題などともいわれる。
2004年末に当時の内閣総理大臣・小泉純一郎の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が設置されたことにより関心が高まった。2006年に41年ぶりの皇族男子として悠仁親王が誕生したものの、依然として皇位継承資格者の不足という問題は残ったままである。
本項では特に、皇位継承資格者の不足問題の解決策として、旧皇族の皇籍復帰などによって男系継承を維持すべきとする論と、皇位継承原理を改変して女系天皇を容認すべきとする論との対立を中心に取り扱う。
目次 |
[編集] 皇位継承問題の背景
皇室典範第1条には皇位継承に関し次のように定められている
- 「皇位は、皇統に属する男系(なんけい)の男子(なんし)が、これを継承する。」
近年になって皇位継承問題について議論されるようになってきた最大の理由は、皇室に30歳代以下の男子がなく、このままでは近い将来、皇位を継ぐべき男系男子が絶えて皇室典範に定める皇位継承資格者が存在しなくなり、皇統が断絶する可能性が現実味を帯びてきたためである。
皇族男子の不足については、主に3つの原因が指摘されている。
- 終戦後のSCAPの政策による傍系皇族の大量の皇籍離脱により、皇族の数が極端に減少したこと。
- 大正天皇の側室廃止以来、皇室は一夫一妻制を採っていること(昭和22年5月3日に施行された現在の皇室典範においては、天皇および皇族男子の子であっても、施行日以降に出生した非嫡出子は皇族の身分を与えられない。皇室典範第5、6条、附則2項)。
- 1965年11月30日に秋篠宮文仁親王が誕生した後から、2006年9月6日に文仁親王妃紀子が悠仁親王を出産する前までの間に誕生した皇族9人は全て女子であり、約40年9ヶ月もの期間、皇室に男子が生まれなかった。
なお、日本国憲法は天皇の地位について第2条で「世襲のもの」とのみ規定し、詳細を皇室典範の定めに委ねている。そのため、本項にいう皇位継承問題は立法上、皇室典範の改正問題に帰着する。
[編集] 皇位継承資格者の不足解消策
皇位継承資格者の不足解消策として、現在のところ主に2つの対策が考えられている。
「女系天皇」案は、皇位継承資格者数の安定確保、および昨今の男女同権意識や民間における婿養子による女系相続等の理由から主張されている。皇位継承は歴代天皇の子孫であれば男系である必要はなく、前例がないことは絶対のタブーに当らないとする。ただ、本来は伝統を護り伝えることを本体とする皇室にとって、前例を省みないのは異例かつ乱暴であり、「皇籍復帰」案よりは賛同に憚られるとする意見もある。
「皇籍復帰」案は、日本の皇位継承が一度の例外もなく男系継承によって行われてきたことを第一の論拠とする、「女系天皇」案への対案である。かつて臣籍降下した皇子が皇籍に復帰して皇位を継承した宇多天皇の例や、その宇多天皇の皇子で臣籍において誕生した醍醐天皇(宇多天皇が臣下であった時期に儲けた子)の例があり、万世一系の伝統と皇位継承の安定とを調和させる方策として主張されている。皇籍離脱して一般の国民となった人間が皇族に復帰することは絶対のタブーに当たらず、必ずしも皇族の高貴性を揺るがせることにはならないとする。
皇位継承資格者の安定的な確保については、現在の皇室典範においては、永世皇族制を採用しているが、実際の運用は世数限定制によっている。女系継承による場合、従来であれば民間人との婚姻にともなって皇籍離脱していた内親王・女王が婚姻後も皇族身分にとどまって宮家を設立することになるため、皇位継承資格者が鼠算的に増加し、国民の経済的な負担が大きくなるとの予測もなされている。しかし、一定の世数を経た系統を皇籍離脱させる世数限定制を採用すれば、皇族の数の調節は可能であるとする意見もある。
「皇籍復帰」案において、旧皇族を皇籍復帰させる場合、復帰した者の皇位継承順位および皇族の範囲について別に定める必要がある。なお、皇室典範における皇位継承順位を延長した場合、現状では旧皇族よりも皇別摂家の方が優先するという意見もある。
[編集] 過去の皇位継承にまつわる前例
記録を元に過去の前例をここに明記する。初代から第125代までの124例の践祚を例にとる。
記録によれば
- 109回は天皇の実子である。
- 皇孫(大行天皇の孫)にあたるのは9回である(例として正親町天皇から後陽成天皇)。
- 皇曾孫(大行天皇の曾孫)にあたるのは3回である(皇極天皇と孝徳天皇:皇極天皇は重祚しており、合計で3例)。
以上の121例は4親等以内の皇族から践祚した例とその分類である。女性天皇は8人10回の例があり、うち2回は重祚である。重祚した天皇は女性天皇のみである。
また、皇位が親→子と継承されたのが66例、兄弟継承が26例、叔父・伯母→甥と継承されたのが5例である。
以下は4親等以上の皇族から践祚した例である。
- 武烈天皇 - 上古
- 武烈天皇が嗣子なく崩御し、しばらく皇位は空位とされたが、やがて武烈天皇から10親等離れた継体天皇が践祚した。『古事記』、『日本書紀』、『上宮記』の系図(『釈日本紀』が記す逸文)によれば、継体天皇は武烈天皇より10代前の第15代応神天皇の曾孫の孫(五世孫)である。継体天皇の皇后には武烈天皇の姉(あるいは妹)の手白香皇女が冊立された(歴史学では議論がある。詳しくは別項「継体天皇」を参照)。継体天皇と手白香皇女との間に誕生したのが欽明天皇である。
- 古代における最後の女性天皇である称徳天皇(孝謙天皇の重祚)は皇嗣を定めずに崩御し、称徳天皇から男系8親等(女系6親等)離れた光仁天皇が践祚した。度重なる政争により天武天皇系の皇族は激減していた。それでも近親の天武天皇系の皇族が存在していたが、聖武天皇以来の政治的混乱から群臣に忌避され、天智天皇系に皇位が移動した。光仁天皇は天智天皇の男系の孫である。光仁天皇の皇后には称徳天皇の異母姉の井上内親王が、皇太子には井上皇后が産んだ他戸親王が冊立されたが、後に井上皇后と他戸皇太子は廃立され、庶出の山部親王(後の桓武天皇)が皇太子に冊立された。
- 4親等で2世代さかのぼる高齢の光孝天皇が践祚した。陽成天皇の光孝天皇への譲位は陽成天皇本人の不行跡に起因するとされるが、むしろ外戚の藤原基経による政治的作為の可能性を指摘する説もある(角田文衞等)。光孝天皇の皇子の宇多天皇は源定省として臣籍にあった時期もあったが、光孝天皇の崩御の直前に皇籍に復帰して皇太子とされた。なお、宇多天皇の例は皇位継承問題において皇籍復帰の前例の一つとされている。
- 称光天皇は男子を儲けないまま崩御し、称光天皇から8親等離れた後花園天皇が践祚した。後花園天皇は北朝の崇光天皇の男系の曾孫であり、伏見宮貞成親王の王子である。なお、伏見宮家は後花園天皇の弟の貞常親王が継承し、この貞常親王の実系子孫が皇位継承問題で皇籍復帰の話題に上がる旧皇族である。
- 後桃園天皇から7親等離れた聖護院を相続するように育てられる予定だった光格天皇が践祚した。継体天皇が践祚した前例を踏まえての践祚であるとする見方もあり、皇后には後桃園天皇の皇女の欣子内親王が冊立された。桃園天皇が崩御し、皇子の英仁親王がまだ5歳で幼かったため、桃園天皇の姉の智子内親王が後桜町天皇として践祚した。後桜町天皇は在位9年の後、英仁親王に譲位し、後桃園天皇が践祚した。後桃園天皇は在位10年の後、皇嗣を定めないまま崩御した。光格天皇は閑院宮家の出身で、東山天皇の男系の曾孫である。なお、光格天皇と欣子皇后との間に誕生した温仁親王と悦仁親王は早世し、後を継いだ仁孝天皇は光格天皇と側室との間に誕生した庶子である。
以上124例が皇室が皇位を継承してきた伝統の概略である。以下の議論参照の参考にされたい。また本項の各所議論では、この数例が話題にあがることがしばしばあるので、各天皇の別項も参照されたい。
[編集] 女系天皇をめぐる議論
[編集] 概説
女系天皇とは、その天皇自身の性別とは関係なく、父が臣下出身で、母のみが皇統に属する天皇をいう。語句の類似から、単に女子の天皇を指す女性天皇と混同されることも多いが、両者はまったく異なる概念である。
皇室はこれまで一貫して「万世一系」の男系で皇位継承を行ってきたとされている。「万世一系」が真実かどうかは論争があるが(詳しくは万世一系の項を参照)、男系継承とは簡単に言うと「今上天皇の父親の父親の……」と辿っていくと、最後は(実在の真偽はともかく原理としては)初代天皇である神武天皇に行き着くことを指す。「女系天皇」は過去に前例がない。
例えば敬宮愛子内親王ないし眞子内親王が女性天皇となり、そして皇族の男系子孫以外の男性との間に産まれた子が践祚すれば、血統が変わり、神武天皇以来の天皇家の大和王朝は「愛子天皇」ないし「眞子天皇」を最後に断絶し、次代から新王朝が誕生するという考え方がある。その結果、日本の歴史上に前例のない王朝交代が生じ、「万世一系」の伝統は終焉する。
女性天皇は歴史上に8人10代存在したが、そのうち5代4人は皇族出身の皇后あるいは皇太子妃であり、その夫が亡くなったのちに践祚したもので、残りの5代4人は生涯未婚の内親王であった。また、女性天皇は、中天皇とも呼ばれ、ほとんどが次期天皇が成長するまでの中継ぎとして践祚した(詳しくは別項「女性天皇」を参照)。
女系反対論者によれば、過激な意見として「女系容認論の最終的な目的は天皇制廃止である」との穿った見方もある。他方、女系容認論者からは「男系維持派の目的は皇位継承資格者を減らし、皇統を断絶させることである」「一度、一般の国民となった旧皇族の皇籍復帰を通して、皇室の神聖性をおとしめ、皇室の価値を低めようとしている」などのこれまた穿った見方の反論がなされることもある。
王室をめぐる環境は国際的に変化しつつある。日本の皇室を歴史的背景が大きく異なる他国の王室と単純に比較することはできないが、日本でも国民に敬愛される皇室のあり方や女性天皇及び女系天皇の是非などについて、新しい問題を投げかけ始めている。
[編集] 女系容認論の主張
- 現在の皇室典範制定時に比べ、「皇統」の意義を男系に限らず女系にも広げてよいと考える国民が増加している。これからの天皇にとって何よりも重要なのは「日本国憲法による裏付け」及び「国民の親近感」であり、歴史と伝統に裏付けられた正統性など無くとも充分に象徴天皇としての機能を果たすことができる。男系と女系とをことさらに区別するのは現代の社会になじまず、英国王室のように王配(プリンス・コンソート)が確立している例もあるので、日本においても同様にうまくいくと考えられる。
- 皇位継承のルールが単純であり、かつ皇嗣の確保が比較的容易である。旧皇族の皇籍復帰により、一時的には皇位継承資格者たる男系男子を確保して男系継承を維持できるかに見えるが、現在の一夫一妻制を前提とすれば、統計学的に見て、3代程度で再び男系男子が絶えて、男系男子皇族を確保できなくなる可能性が相当程度にある。よって、男系継承の維持は制度的安定性が低く、女系による継承も認める方が制度的安定性に優れる。
- 女性天皇を容認しても女系天皇を容認しなければ、周囲の皇族夫婦に対する出産への過大な期待が今後も強いものであり続けることは容易に想像され、皇族夫婦に対する人格侵害は無視しがたいものになる。旧態依然として妃に男子の出産ばかりを期待し、女子に皇位継承資格を与えないようでは国民感情も皇室から離れてしまうだろう。
- 現実に、皇太子妃雅子の病気療養は数年におよび、適応障害と発表されているが、その症状は実際には適応障害より重く、もはや皇室存続に影響を及ぼすほどの苦痛となっている。男子出産への社会的、精神的圧力は看過できないほど過大であり、このままでは皇室への親しみや信頼を低下させてしまうし、夫妻への大きな人権侵害でもある。これらを考えると、現在の男系男子限定の制度を続けることは、現実的ではない。
- たしかに過去に女系天皇が即位したという記録はないが、記紀の記事には歴史学によって実証されていないところが多くある。初代神武天皇や欠史八代(第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人)は実在していないとする学説、継体天皇がそれ以前の天皇と血のつながりがないとする学説、また、何度か男系継承が断絶して王朝交代しているが、記紀がそれを隠蔽しているだけだとする学説も存在する。そもそも大和朝廷(ヤマト王権)の歴史については、天皇陵の発掘も多くは宮内庁が不許可とし、十分な記録もない。したがって、「万世一系」とはただの神話である可能性も否定できず、そのようなもののために「国民の親近感」や「皇族の人権」などを犠牲にすべきではない。そもそもこれらの説を全て真実とするならば、天皇の始祖とされるのは女神である天照大神であるため「天照大神以来の男系継承」は成立しない。
- 結局、皇位継承資格者不足を解決して男系を維持するには、旧皇族を皇籍復帰させるか、側室制度を認めることしか、現実には方法がない。しかし、旧皇族は国民の間に親しみがなく、旧皇族が天皇となるのは国民の支持を得ることができない。また、確かに明治天皇や大正天皇は正室の子ではないが、現在の国民世論の状況を見れば、側室制度を復活させることは国民の支持を得ることはできず全く不可能である。国民の支持がなければ、結局は天皇制廃止につながってしまう。
- 欧州の各王家では、女系継承した国王は歴史的にも広く認められている。英国のチャールズ皇太子も即位すれば女系継承した国王となる。これは、イングランドおよびスコットランドはサリカ法典圏外であったためである。サリカ法典圏下にあったルクセンブルクでは1815年の大公国成立以来、オラニエ=ナッサウ家のオランダ国王が大公を兼ねる同君連合が組まれていたが、1890年にオランダでヴィルヘルミナ女王が即位すると、女系継承の規定がないルクセンブルクは同君連合を解消し、遠縁に当たるナッサウ=ヴァイルブルク家のアドルフを大公に迎えた。だが2代で男系が絶えてしまったため、継承法を改定して女子の継承を認めることとなり、女大公が2代続いた。オーストリア-ハンガリーのハプスブルク家はサリカ法典により女系継承は禁じられている。しかしハンガリー王国はサリカ法典圏外であったため同家の女子の継承を認める。
- 現在の日本の法体系から見ても、男系優先より直系優先の方が一般国民になじみやすい。
[編集] 男系維持論の主張
- そもそも天皇は皇帝(Emperor)であり、王(King)ではない。皇帝と王は制度上似ているが、全く異なる概念である。詳しくは皇帝と王の記事をそれぞれ参照。しかし東洋では皇帝の称号を西洋でいうところの王が使う慣習がある。たとえば、大韓帝国皇帝、ベトナム皇帝など。日本の皇帝も西洋でいうところの王である。皇帝は多民族・多人種・多宗教などを内包しつつも大きな領域を統治する国家の長である。天皇の称号は西洋にはなく古代ローマの称号アウグストゥス - 宗教的支配者 - がそれに似ている。日本は琉球王国併合、台湾と大韓帝国の植民地化によって西洋でいうところの帝国になった。天皇は、海外訪問時に最大限の儀礼と歓待を受けるが、これは皇帝として扱われているからである(たとえば、アメリカ大統領が国外来賓を迎える際の最礼装(所謂ホワイトタイ)にて迎えるのは皇帝=現時点では日本国天皇のみ、ローマ教皇、イギリス国王)。
- 世界には、国家の元首(象徴も含む)の間に、歴史的・慣行上の厳然たる序列があり、皇帝≧教皇>王>大統領>首相という順位がある(バッキンガム宮殿では世界各国の国家元首は同等に儀礼と歓待を受ける。スペイン王、デンマーク女王、フランス共和国大統領、大韓民国大統領も日本国天皇と同等に儀礼とホワイトタイ宮中晩餐会などの歓待を受ける)。 もちろん、それぞれのグループに置いても、歴史が古い家系あるいは即位・就任した年次が古い者が高位として扱われる。[要出典]日本の天皇は、その家系の権威の前提として、いわゆる万世一系を基礎としており、女系天皇を認めるとこの大前提が崩れてしまう。つまり、単なる新米の王族になるということである(女系容認論者が異議を唱えるだろうが、皇帝や教皇(宗教)あるいは王族の権威(権力ではない)の成り立ちを考えれば、容易にわかる事である)。
- なお、万世一系を大元まで辿ったときに、その領域が神話であるかどうかは万世一系の信頼性には関係がない。古代エジプトの王朝に代表されるように、太古の文化には、神話を土台に君主を生き神と捉え、信仰と君主政治が渾然とした治世は普通に存在したからである。むしろ、その生き神信仰の時代の家系が途中で断絶することなく一貫して実際に残っている、という点が皇室の最大の権威を構成しているのである(しかし日本国憲法は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定しており、生き神信仰が天皇の最大の権威の土台と規定していない。それ故に天皇の尊厳は法に基くものである)。
- 皇室とはもともと代々男系で継承されてきており、一度たりとも例外は存在しない。今回の皇室典範改正の問題とは、皇位継承資格のある人物の中で順位を決めようとするのではなく、本来は天皇になる資格のない人物に皇位を継承させようとするものであると、男系のみが皇統であると考える視点からは思われる。
- 天照大神は確かに皇室の祖神であるが、皇室の直接の先祖となるのは、素戔男尊の口を通じて天照大神の勾玉から生まれた天忍穂耳命である。よって、神話の上でも天皇家は男系であり、天照大神が祖神をもって女系とするのは、正確な知識に欠ける短絡的思考に過ぎない。
- 神話や過去の伝承を源泉とする権威こそが天皇としての最大の要件である。もし女系天皇が即位すれば神武天皇以来男系で連綿と継承されてきたとされる男系による皇統は断絶し、従来とは全く別の一系による天皇が誕生することになる。女系天皇には日本の象徴としての歴史的正統性が無いため、国民統合の象徴たりえず、皇位は安定するどころか極めて不安定なものとなる。場合によっては、時の実力者が入り婿等の手段により皇室を乗っ取ってしまう事態すら起こりうる。
- 国民の親近感や社会通念も無論大事ではあるが、伝統を守り次代に継承していくこともまた重要である。一度途絶えた伝統は二度と元に戻らないのだから、一時の国民感情だけを理由に軽々しく伝統を変革すべきではない。また、天皇・皇室の制度そのものが世界の中でもきわめて特殊なものであるため、諸外国の王室の改革例と単純に比較すべきではない。
- そもそも「天皇の歴史的正統性」とは「神話か史実か」といった問題を超越したところにある。それでなくとも、神武天皇や欠史八代は実在しなかったとする学説や、男系継承は過去に何度も断絶しているとする学説には批判も多く、定説となっていない。また、もしそのような学説を理由に女系天皇を容認するのであれば、同じ理由から皇位の世襲制度やさらには天皇・皇室の制度そのものをも廃止しなければならなくなる。
- 旧皇族が皇籍に復帰する事が国民の支持を受けられないかどうかは、その時になって見なければ分からない。また旧皇族は皇籍離脱の際、宮内庁から「将来いつ皇族の身分に復帰するかも知れないから、くれぐれも慎ましい生活を営んで欲しい」という訓告を受けており、旧皇族の皇籍復帰は不自然なことではない。民間人であった旧皇族がそのまま皇位を継承することに抵抗があるならば、そうならないよう仕組みを変えればよい(詳しくは後述)。
- 一度女系を認めてしまえば、皇室の伝統を破壊し、天皇制廃止の第一歩になる。女系論者は天皇制廃止論の隠れ蓑ではないか(ただし、天皇制廃止論者の多くは、女系容認論自体を「天皇制の延命策」として批判している)。
[編集] 皇族女子と女系継承決定の期限
現在の皇室典範は天皇から2世以内(すなわち天皇の皇子、皇孫)の皇族男子が減少することを避けるため、第11条第2項で「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)」の皇籍離脱を「やむを得ない特別の事由があるとき」「皇室会議の議により」と制限している。したがって、もし女性天皇および女系天皇を容認することになれば、男女平等を期するため内親王の皇籍離脱も親王と同様に制限せざるを得なくなる。
有識者会議の報告書でも、「内親王に関する制度を親王に関する制度に合わせ、共に意思による離脱ができないこととすることが適当である」としている。
女系による継承を容認するのであればその決定はなるべく早期であることが望ましい。
理由は、第1に皇族女子が結婚し、皇籍離脱する前でなければならない事。第2に早期に教育方針を変更し、「終生皇族」となることに備えさせるためである。教育方針の変更が遅くなれば、これに適応できなくなるおそれがある。
過去に存在した10代8人の女性天皇は、践祚前に11年間皇太子を経験している孝謙天皇を除くと、成人後に践祚することは予定されていなかった(これは女性天皇が、当代天皇ないし次期皇位継承予定者の急逝により、中継ぎとして践祚したケースが多いことを示している)。しかしこれを現代に当て嵌めるのは酷であり人権侵害ともいえる。
寬仁親王によると、(同年代の男性皇族が存在しないため)自分は娘の彬子女王、瑶子女王を将来皇籍離脱することを前提に教育してきており、本人たちもこの改革案について「自分たちはそんなつもりで生きてきたのではない」と語ったという(『正論』2006年3月号)。高円宮家の承子女王、典子女王、絢子女王、秋篠宮家の眞子内親王、佳子内親王にも既に将来は降嫁し皇室を離れる身としての教育がなされている。敬宮愛子内親王に対しても同様の教育がなされるであろう。
その他、全ての内親王・女王に結婚と同時に宮家創設を認めると、皇族費の増大が懸念される。また、大正天皇の曾孫という三世女王が終身皇族となり、今上の長女(一世の内親王)でありながら降嫁・民間人となった黒田清子(清子内親王)との境遇差への違和感も否めない。
[編集] 女性天皇をめぐる議論
女系容認論者は男系女系の系統によらず皇位を継承するべき、つまるところ男子女子の性別を問わずに皇位を継承するべきだとする者が多い。男系の女性天皇のみを新たに容認するという意見や、女性天皇については現状のまま男系でも女系でも認めないという意見は見られない。民事における相続でも、親の財産が子に相続されないことはあるが、親が祖父母から相続できなかった財産を子が親から相続するということは有り得ない。同様に、民間出身の男子を父、皇位継承資格のない皇族女子を母とする男子がその資格を有することは、世襲の一般原則からして不可能であるとする意見もある。また世襲の一般原則を措いても、男系男子に限られている現在の皇位継承資格を男系女子、女系男子、女系女子にまで広げれば、皇位継承資格者の確保は容易になることは予測されるが、男女差別を解消するどころかかえって鞏固にしかねないという意見がある。
男系維持論者の間では女性天皇の是非について意見が分かれている。一方の男系維持論者は、女性天皇に賛成したことが「女性・女系天皇に賛成」と誤解または誤報され、女系天皇容認のための皇室典範改正を加速させるのではないかと危惧しているのである。しかし他方には、歴史や伝統を女系天皇に反対する最大の理由としながら、過去に10代8人の前例がある女性天皇にまで反対するのは自己矛盾である、男女平等の社会情勢からいって女系天皇のみならず女性天皇にまで反対するのは国民世論の反発を受ける、また「女性天皇に賛成、女系天皇に反対」との方針を打ち出すことで、両者が別物であることを強調させられる、とする意見も存在する。
しかしながら、男系継承を維持した場合、女性天皇をどのように位置付けるかは複雑な問題である。
第1に、過去の女性天皇はすべて未婚(生涯独身)か天皇・皇太子の配偶者(未亡人、再婚せず)かであった。第2に、天皇の権威が特定の個人や勢力に利用されないようにすべきだという事情は、今も昔も変わりない。そのため女性天皇は結婚・再婚しないこと、少なくとも男性天皇と同様に決して皇籍離脱しないことが望ましいという意見がある。
これまで125代の天皇のうちで、女性天皇は僅かに10代8人、神功皇后と飯豊青皇女とを算入しても10人が存在するのみである。これは、それだけ女性天皇が「中継ぎ」的に皇位を継承しなければならない場面が稀有であったことを意味している。このように男系維持での女性天皇は本人への負担が大きく、また必要となる頻度もこれまでは低かった。
ましてや現代において、生涯独身や旧皇族の男系男子との結婚を強要するのは、皇族女子の人権を全く顧みない論である。この観点から女性天皇に反対の立場をとる男系維持論者も存在する。
[編集] 直系優先か男子優先か
女系天皇は容認しないが、男系の女性天皇のみを容認した場合、直系優先か男子優先かが問題となる。皇位継承順位を直系優先とした場合、現在の皇室の構成においては敬宮愛子内親王が皇太子徳仁親王に次ぐ第2位となり、中継ぎの必要がないにも拘らず秋篠宮文仁親王より先に即位することとなる。一方皇位継承順位を男子優先とした場合は、皇太子徳仁親王から秋篠宮文仁親王へと兄弟継承となり、皇族女子が不必要な中継ぎ即位を迫られる事態は避けられる。ただ、男子優先の継承はイギリス王室を始めいくつかの例があるが、たとえばイギリスのジョージ6世から、弟のヘンリーではなく娘のエリザベス2世に王位が継承されたように、弟よりも娘を優先するのが諸外国では一般的であるのに対し、日本で議論されている男子優先は、娘(敬宮愛子内親王)よりも弟(秋篠宮文仁親王)を優先するものであり、独特であまり前例のないものである事に注意せねばならない。皇室典範に関する有識者会議では、諸外国で一般的な男子優先継承を「兄弟姉妹間男子優先」と定義している。“日本版男子優先”は、皇族の中の男性だけで皇位を継承し、男性がいなくなった場合にはじめて女性の皇位継承をスタートさせる方式であるため、天皇と皇族女子との親等が複雑に入れ替わることや、継承順に解釈が分かれたり、また継承の度に継承順が大幅に書き換わる可能性など、難しい問題も抱えている。例えば想定される男子優先継承順位の場合(本項の章「皇位継承順位」を参照、7位の桂宮宜仁親王から、父の兄のひ孫という、6親等離れた敬宮愛子内親王に皇位がジャンプすることになっている。さらに実際に2位の秋篠宮文仁親王が皇位を継承した場合は、兄の娘で、それまで継承順が上位であった敬宮愛子内親王と、実の娘で、それまで継承順が愛子内親王の下位にいた眞子内親王の、どちらが継承順の上位になるのかが明らかではない。眞子内親王が上位に来るとすれば、継承順が継承の度に書き換わる事になり、王位継承法としては異例で、問題を抱えたシステムになる。さらに、「日本版男子優先」・「兄弟姉妹男子優先」の共通の問題として、秋篠宮家のように女子が先に生まれ、男子が遅く生まれたケースでは、皇族女子の教育方針が定まらない、変更されるという事態が想定される。
古代中国の呉では、王位を長子から第2子、第3子、そして長子の子ではなく第3子の子へと継承させたため、王位をめぐって骨肉の争いが生じたという故事がある(別項「闔閭」を参照)。ただし第3子の次に長子の子を擁立していたとしても、第3子の子がこれを不満に王位を狙った可能性は否定できない。この故事を単純に現代へ当て嵌めることはできないが、いずれにせよ皇位継承順位は明快で万人が納得できるものであることが望ましく、男系維持のままの女性天皇容認には少なからず課題が残されている。
なお、読売新聞社が2005年12月に行なった世論調査によると、女性・女系天皇を容認する場合の皇位継承順位について、「男子を優先すべき」と回答した者が41%、「性別にかかわらず長子を優先すべき」と回答した者が37%である。
[編集] 皇籍離脱者の皇籍復帰問題
[編集] 概説
現在は皇族でない天皇の男系子孫を皇籍復帰させ、皇位継承資格者の不足を解決すべきとの主張が提起されている。しかし、この方法については賛否両論がある。
現実として、一度皇籍を離れたものは絶対復帰してはならない(復帰不能条項)という一文は、現皇室典範のどこにも記入されていない事も同時に述べなければならない。その解釈の限りにおいては現行皇室典範でも広義の解釈は可能である。
なお皇位継承は民間の通常選挙事務とは違い、皇統譜に定められた継承順位を粛々と守るものである。人格調査や選挙により行われる種類ではないし今後も有り得ない。
また皇室は、皇室にしか存在しない儀典の数々がある。その近くに触れ、その流れを知るものでなければ正確に皇嗣となることも現実には難しいとの論調も有る。
以上のことから、充分な議論と、慎重な選択が必要となっている。
しかし、現実には現皇統が先細りしている現状は前掲の通りであり、速やかな結論と準備が急がれる側面もある。
皇籍復帰の候補者としてまず挙げられているのが、旧皇族(正確にはその男系子孫)である。旧皇族とはかつて世襲親王家とされた伏見宮家の系統に属する傍系の11の宮家であり、明治維新以降も皇族であったが、敗戦後の1947年(昭和22年)、SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の指令によって皇籍を離脱した。
旧皇族が挙げられる理由は以下の2点である。
- 皇籍離脱したのは約60年前と最近のことであった。
- 旧皇族の皇籍離脱はSCAPの指令によるものであった。
なお第2点について、もしSCAPの指令がなかった場合又は指令の実施が不完全の場合、それでも旧皇族のうち、宮家を継承する予定のなかった王(次男以下の王)は、1920年(大正9年)の「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」によって臣籍降下することになっていたとの推測がある。しかしながら、同準則は1946年(昭和21年)12月に廃止されているので、昭和21年以後に成年を迎えた王については、同準則の適用の余地はなかったとも言える(詳細は別項「旧皇族」を参照)。
世襲親王家は4つあったが、旧皇族はすべて伏見宮系である。今から6世紀近く遡る第102代後花園天皇の実系子孫が今上天皇に続く系統で、後花園天皇の弟の伏見宮貞常親王の実系子孫が旧皇族である。ただし明治天皇の内親王4人および昭和天皇の内親王1人が伏見宮系の宮家に嫁いでいるため、伏見宮系の男系男子であってかつ明治天皇及び昭和天皇の子孫に当たるなど血縁の深い者も存在する(旧皇族である東久邇家の現当主は、母が昭和天皇皇女、父方の祖母は明治天皇皇女であり、母方の祖父母は昭和天皇夫妻、父方も祖父母に至るまで全員皇族という血筋である為、ある意味では皇太子の世代の誰よりも皇族の血が濃い(皇后美智子は民間出身、他の宮妃も旧華族である))。
ただしこの案への賛成論者の間にも、皇籍復帰した旧皇族に直ちに皇位を継承させるべきとする意見はほとんどない。これは、皇統に属するにしても、一般国民として生まれて20~30年以上も民間で生活した人物が天皇となることへの国民感情に配慮したものである。第26代継体天皇のように血筋の薄い傍系から継承した天皇に対しては、直系女子を皇后とすることで直系の血縁を補強した前例もあり、皇籍復帰したとしても旧皇族本人ではなく、皇族女子と婚姻させて生まれた子のみに皇位継承資格を与えるとする意見もある。
なお、旧皇族以外にも現在は皇族でない天皇の男系子孫として皇別摂家なるものが存在する。祖先が臣籍降下している点では旧皇族と同じであり、男系で今上天皇と枝分かれした時点が伏見宮家より遅いので男系での親等は近い。このような事実はマスコミにはほとんど知られてはいない。
多くの皇籍復帰賛成論者が、皇別摂家を斥ける理由は以下の2点である。
- 鷹司輔平が臣籍降下したのは約260年前の昔のことである。
- 嗣子のない摂家の養子となったのだから、藤原氏の子孫であって皇別ではない。藤原氏および中臣氏は神別であり、藤原氏には皇位継承資格はない。皇族となるには、血筋が皇胤かどうかだけでは駄目で、家柄、家格も必要であるが、摂家や清華家は臣下の家柄である。
以下、旧皇族の皇籍復帰についてその賛成論・反対論の主張を挙げる。
[編集] 旧皇族の皇籍復帰賛成論の主張
旧皇族の皇籍復帰は男系継承を維持するための方法の1つである。そのため、すべての男系維持論者がこの案に同意しているわけではない。
- 天皇に男子が無い時には傍系である宮家の男子が即位するのが皇室の伝統である。過去にも系譜を遡れば閑院宮から出た光格天皇、伏見宮家から出た後花園天皇等、幾度となく傍系継承を行うことで皇統断絶の危機を回避し、万世一系の伝統を守ってきた。したがって、傍系であっても1947年まで歴とした皇位継承資格があった旧皇族など男系男子を皇籍に復帰させ、男系継承の伝統を守るのは皇室の歴史を考えれば自然なことである。これら皇胤を排除して女系天皇を容認するのは、先人から受け継いできた歴史と伝統を無視する行為に他ならない。
- 過去にも第59代宇多天皇は一度臣籍降下しているものの、後に皇籍復帰して皇位を継承している。また、その皇子である第60代醍醐天皇も出生時は臣籍であったが、父とともに皇籍に復帰し、即位したなどの前例がある。したがって旧皇族が皇籍復帰しても問題はない。
- 醍醐天皇の皇子兼明親王も920年に臣籍降下したが977年に親王宣下となり、57年を経て皇籍復帰している。ただし、これは大臣職を退かせることが目的であり、皇位継承問題とは関係がない。
- 特に明治天皇、昭和天皇は自身の直系の断絶に備え、傍系の宮家に内親王を降嫁させることで親密な近親関係を再構築するなどの配慮をしてきた。その結果、旧皇族の中には男系男子であり、なおかつ明治天皇、昭和天皇の血を受け継ぐ者も多数存在する。皇籍を離脱した後も皇室の親戚という立場に変わりはなく、皇室親族の親睦団体「菊栄親睦会」に所属して現在でも皇室と親しく交流を続けている、皇族でなくとも民法上天皇の親族・血族である者(近親婚等の民法の規定が適用される)も存在するなど、単なる民間人とは同列に論じられない。
[編集] 旧皇族の皇籍復帰反対論の主張
- いったん皇籍離脱した傍系宮家の者の皇位継承が実現するとしても、その者は昭和天皇以来1世紀近く育まれた核家族的直系主義からは外れるものである。そのため、国民が現在の皇室に寄せる親近感をこのまま確保することはできない。
- 旧皇族とはあくまで天皇の男系男子というだけの人たちである。皇族としての品位は、年に数回菊栄親睦会で皇族と接していれば自然と身に付くというものではない。そのため、男系継承の維持に固執すれば皇室の品位を貶め、国民からの尊崇の念を失うようなことにもなりかねない。
- 過去に即位した傍系宮家出身の天皇は、男系でせいぜい3代遡れば天皇に達する皇族であった。旧皇族のように、男系で20代近く遡らなければ天皇にたどり着かないような傍系の皇族が即位した例はない。
- 宇多天皇や醍醐天皇は一時期臣籍であったが、これは3年程度であり、危篤状態であったとは言え、宇多天皇の実父である光孝天皇在世中の復帰である。旧皇族は皇籍から離れて既に60年近く経過しており、その男系男子は一般の国民として生まれて20~30年以上も民間で生活している。そのような人物が皇族となるのは皇籍「復帰」ですらなく、国民が皇族として天皇の父としての親近感や尊崇の念を抱くことはないであろう。
- 旧皇族が皇籍離脱してからすでに60年近く経過しているため、もし皇籍復帰するとすれば20~30代の男子本人のみであり、その父母や祖父母までは復帰しないであろう。そうなると、父や祖父が皇族であったことのない男性皇族が誕生するが、そのような前例はいまだかつてない。
- 男系であろうとなかろうと、国民は将来の天皇も今の血統を継承することを期待している。旧皇族男系男子と未婚の皇族女子とは既に菊栄親睦会などを通じて面識があるだろうが、結婚には両性の合意が必要である。また、皇族女子が降嫁せず生涯皇族でいることに同意するかどうかはまったく分からない。
- 旧皇室典範の増補でさえ、臣籍降下した者の皇籍復帰を認めなかった。復古どころか大日本帝国憲法・旧皇室典範も想定しない事である。
[編集] 旧皇族自身の意見
現在、旧皇族は法的には一般の国民と同じ立場であり、この問題に関する彼ら自身の意向は巷間にあまり伝わってこない。しかし、「皇室典範に関する有識者会議」が女性天皇および女系天皇容認の姿勢を明確に打ち出したことに合わせ、一部の旧皇族はマスコミ等を通じて同会議の結論への明確な反対意見を表明した。
旧竹田宮家出身の竹田恒泰は皇位継承の歴史や宮家皇族の役割に言及した本(『語られなかった皇族たちの真実』)を出版した。竹田はこの中で、「男系でない天皇の誕生は『万世一系の天皇家』の断絶」と指摘し、旧皇族の男系男子は皇籍復帰の覚悟を持つべきだとしている。また、男系継承の伝統の重要性を強調し「皇室の存在意義を守り抜くために、旧皇族の男系男子は責任を果たさなくてはならない」と主張する。竹田が同書で自身の意見を表明する際には、一部の皇族や旧皇族の当主らにも相談したとのことである。
なお、自身が皇籍復帰する意思の有無については「現時点では、あくまでも『旧皇族の子孫』という立場でメッセージを発していくのが私なりの責任の果たし方だと思っています」とし、さらに「一般論として」と前置きした上で「その〔皇統断絶の危機に皇位を継承するという〕お役目の歴史的な重さに比べたら、個人的な欲望や野望など、取るに足らないちっぽけなものにすぎないと思っています」と述べている(『SAPIO』2006年2月8日号)。
また、竹田は『天皇弥栄(すめらぎいやさか)』「第一回 皇統保守のために」(2009年1月1日付、北海道神宮社務所発行『北の志づめ』第164号掲載)の中で、「男系維持派は命を賭けて発言していた」「「平成の山口乙矢」の出現を求める声は至る所にあり、現に火薬を満載した十トントラックで総理官邸に突入する準備を進めていた活動家もいた」「そのような活動家にとって、万世一系の皇統を断絶させる小泉総理は、将に「暗殺に足る政治家」だった」と述べ、小泉純一郎に代表される女系論者を「暗殺に足る政治家」であると強く非難し、テロも辞さない覚悟を持った男系論者の一部活動家を賞賛している。
[編集] 側室制の復活問題
男系子孫を増やす二次的対策として側室制度の復活を挙げる人もいる。
1人の女子が生涯に出産できる子の数は限られており、また妻の健康状態、夫婦仲などによりそもそも子ができないこともある。そのため、一夫一婦制のもとで皇族男子を多数確保し続けることは困難であり、男系の皇統が断絶するリスクが無視できない程度に高くなる。しかし側室にも子を産ませれば、正室の側の要因により子孫を得られなくなる危険性は低くなる。また仮に夫の側の原因により子ができない場合であっても、代々側室制が採られていれば他の宮家に男子がいる可能性が高く、男系による皇位継承を維持することができる。
日本の皇室において、明治天皇の代までは側室を設けるのが慣例であり、例えば第119代光格天皇から第123代大正天皇まで正室以外の女性からの所生が5代続いている。しかし、大正天皇の代からは天皇本人の意思により一夫一婦制が導入された。従って男系男子の子孫の確保が従前より困難になり、現在の皇族男子の不足問題が発生したといわれている。
[編集] 側室制の復活に対する反対論
- 現在の日本の倫理観から見て、問題がある
- 国民の間では一夫一婦制が定着しており、天皇・皇族のみが国民から更に乖離する事になる。
- 側室制度が復活した場合、現代において側室になろうという女性がいるかどうか、また将来側室をとることになっている男性のもとに正妃として嫁ごうという女性がいるかどうか、という点まで視野を広げれば、側室制度を復活させたがために肝心の正妃をも得ることができなくなる危険性をはらんでいる。
- ほぼ全ての先進国で一夫一婦制が採用されている現在の国際社会において、側室を復活させれば、一部の国を除いて日本の近代文明国としての品位が疑われかねない。
[編集] 天皇・皇族の意向
現行の日本国憲法第3、4条には「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とあり、天皇の政治発言は認められていない。皇族(皇族とは皇室に属する天皇以外の人を指す)が発言することについて規定している法律はないが、憲法第4条の規定は皇族にも及ぶとの解釈が一般であり、皇族自身も戦後は政治へ介入することを極力避けてきた。そのため、天皇や皇族が皇位継承問題についてどのような意見を持っているかは、なかなか明らかになっていない。
[編集] 今上天皇
2005年12月19日、今上天皇は自身の誕生日に際して記者会見を行なった。そこでは記者から「これまで皇室の中で女性が果たしてきた役割を含め、皇室の伝統とその将来」について事前質問があり、天皇は「皇室の中で女性が果たしてきた役割については私は有形無形に大きなものがあったのではないかと思います」と述べたが、「皇室典範との関係で皇室の伝統とその将来」については回答を控えた[1]。
なお、その後に記者からの関連質問が予定されていたが、宮内庁は「時間の都合」を理由に会見を打ち切った。これに対して記者会は22日に抗議文を提出し、宮内庁は「思い違い」で会見を打ち切ってしまったことを謝罪する一幕があった。
このように、今上天皇と皇后美智子は皇位継承問題について一切態度を明らかにしていない。これまでに橋本明をはじめとする、今上天皇の「ご学友」を自称する者たちが、週刊誌上やワイドショーに登場し、「学生時代から開明だった陛下は女性・女系天皇にも賛成しているだろう」などのコメントをしているが、いずれもあくまで部外者による推測の域を出ず、問題があると思われる。
- 武部勤(当時自由民主党幹事長)は、2006年1月17日、全国都道府県議会議長会と自由民主党三役との懇親会で、皇室典範改正法案に関して、「(皇室典範改正は天皇)陛下のご意思だ」「こんなことを国会で議論すること自体、不敬な話なんだ」と発言した。
- 宮内庁総務課報道室は「天皇陛下におかれては、記者会見で、皇位継承制度は法律に基づく制度の問題で、国会で議論されることであり、発言を控えたいとお答えになっています」と発表している。
[編集] 皇后美智子
2006年10月20日、皇后美智子は72回目の誕生日を迎えた。これに先立って、宮内記者会は「次々代を担う女性皇族にどのような役割や位置付けを期待するか」という質問を寄せたが、皇后は文書による回答で「皇室典範をめぐり、様々に論議が行われている時であり、この問に答えることは、むずかしいことです」と述べ、回答を控えた[2]。
[編集] 皇太子徳仁親王
2006年2月21日、徳仁親王は46歳の誕生日に際しての記者会見にて、記者からの「皇室典範に関する有識者会議が最終報告書を提出し、女性・女系天皇を容認する方針が示されました。今後の皇室のあるべき姿に関する考えや敬宮愛子様の将来について、父親としてのお気持ちをお聞かせください」という質問に対して、「皇室典範に関する有識者会議が最終報告書を提出したこと、そしてその内容については、私も承知しています。親としていろいろと考えることもありますが、それ以上の発言は控えたいと思います」と述べた。
[編集] 寬仁親王
寛仁親王は、自身が会長を務める福祉団体「柏朋会」の会報『ざ・とど』2005年9月30日号の「とどのおしゃべり」というコラム欄で、「プライヴェート」な形式と断った上で「歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と女系天皇への反対姿勢を表明した。同誌は会員向けの非売品であるが、『WiLL』2006年1月号がこのエッセイの全文を転載している。
寬仁親王は「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張し、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません」「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んで、女系天皇容認の動きにこれまでの歴史と伝統を尊重しないとする強い懸念を表明した。
また、男系継承を維持するための方法として、歴史上実際に取られたことのある以下の4つを挙げている。
- 皇籍離脱した旧皇族を皇籍に復帰させる。
- 皇族女子(内親王および女王)に旧皇族の男系男子から養子を取れるようにし、その方に皇位継承資格を与える。
- 廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀を、伏見宮家の子孫である旧皇族の男系男子が継承し、宮家を再興する。これは、明治時代に現皇室の祖先である光格天皇の実家である閑院宮家が絶えた際、伏見宮家から養子を迎え継承した先例があり、何も問題がなく、最も順当な方法である。
- 昔のように「側室」を置く。自分(寬仁親王)としては大賛成だが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思う。
- 以上、同年11月3日に讀賣新聞がはじめて報道。国内の大手新聞やテレビなどは寬仁親王が「側室制の復活」を提案したことについてあまり言及しなかったが、これと正反対に、海外のマスメディアは「日本の皇族がconcubine(側室、妾)の復活を提案した」ということに重点を置いて報じた。また、国民を『民草』と呼んだことも批判を浴びた。
なお、寬仁親王は、保守系政治団体である「日本会議」(会長・三好達元最高裁長官)の機関誌「日本の息吹」2006年2月号に掲載された「皇室典範問題は歴史の一大事である―女系天皇導入を憂慮する私の真意」と題するインタビューで、皇位継承問題について「三笠宮一族は、同じ考え方であるといえる」と、父・三笠宮崇仁親王と母の百合子妃も歴史と伝統に反する皇室典範の改正に反対していることを初めて明らかにした。この中で寬仁親王は、崇仁親王が前年10月、宮内庁の風岡典之次長を呼んで、皇室典範改正に向けた拙速な動きに強く抗議したことを紹介した。
また、皇室典範改正は「郵政民営化や財政改革などといった政治問題をはるかに超えた重要な問題だ」と指摘するとともに、自身の発言に対して宮内庁の羽毛田信吾長官らが「正直、困ったな」「皇族の立場を改めて説明する」などと重ねて憂慮を表明していることに関しては、「私がこういうインタビューに応じたり、かなり積極的に発言しているのは国家の未曾有の大事件と思うので、あえて火中の栗を拾いに行っているような嫌いがあります」と述べ、女系天皇容認の動きに対抗する意思を明確にした。
[編集] 宣仁親王妃喜久子
高松宮宣仁親王の妃喜久子は敬宮愛子内親王誕生のおり、女性天皇の即位を「不自然な事ではない」と容認する意見を雑誌『婦人公論』に寄稿した。しかし、女系天皇については明言しなかった。
[編集] 政府・民間での動き
現在の皇室典範第1条には、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と定められており、女性天皇も女系天皇も認められていない。
しかしながら、皇族男子は不足しており、さらに平成13年(2001年)に東宮家に敬宮愛子内親王が誕生したことから、その後平成18年(2006年)に秋篠宮妃紀子が悠仁親王懐妊を発表するまでの間、女性天皇を認めるように皇室典範を改正しようとする論議が活発に行われた。
[編集] 「皇室典範に関する有識者会議」
2004年12月27日、政府は皇室典範を改正して女性天皇及び女系天皇を認めるべきかどうかを審議するため、有識者による懇談会の設置を決め、翌2005年1月26日、小泉純一郎首相は私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(以下、「有識者会議」)を設置し、同会議は独立行政法人産業技術総合研究所理事長を務める吉川弘之を座長に互選し、議論を始めた。会合では、皇位継承原理の案として(1)第一子優先、(2)兄弟姉妹間で男子優先、(3)男系男子優先、(4)男子優先、の4つが提示された。(1)の場合、男女に関わらず天皇直系の長子が皇位を継ぐ。(2)の場合、例えば愛子内親王に弟が生まれた場合、その子が皇位を継ぐ。産まれなかった場合は愛子内親王が皇位を継ぐ。(3)の場合、父親が皇族である事が条件になる。(4)の場合、男系女系に関わらず、男子が優先される。現行典範は男系男子限定を規定している。
同年3月18日、全国約8万社の神社で組織する神社本庁は有識者会議が皇位継承のあり方について検討していることを受け、神社本庁としての考えを「皇室典範改正に関する神社本庁の基本的な姿勢」としてまとめ、各都道府県の神社庁に送付した。神社本庁はここで「歴史的に、皇位は男系男子によって継承された」と指摘し、政府や有識者会議には「男系男子による継承の歴史的な意義と重みを明確にした上で、将来にわたって安定的に皇統を護持するための具体的な論議がなされるべきだ」との立場を明確にした。また、天皇、皇族は憲法の基本的人権の「例外」とされることから、男女平等の観点から女性天皇を論じるのは不適切と主張。皇位継承のあり方に関し「海外の例を安易に取り入れることは、国柄の変更をもたらす恐れがある」としている。
同年7月、有識者会議は中間報告を発表し、皇位継承範囲の拡大を提唱するとともに「女性天皇及び女系天皇の容認」案及び男系継承の伝統を守る立場から「旧皇族の皇籍復帰による男系男子継承の維持」の2案を具体案として提示した。有識者議会はあくまで「私的諮問機関」であり法的効力は無いに等しいが、小泉首相がその最終報告を尊重すると表明していたため動向が注目された。
そして同年10月、有識者会議は女性・女系天皇容認の最終指針を打ち出すための調整に入った事が明らかになった。10月25日、有識者会議は全会一致で皇位継承資格を皇族女子と「女系皇族」へ拡大することを決めた。吉川座長は同日の記者会見において「現行の皇室典範で安定的な皇位継承ができるかどうかを議論したが、将来、後継者不足が生じることは明らかだ。憲法で定められた皇位の世襲を守るのが、女子、女系への拡大だ」とその理由を説明。ただこの時点では、皇位継承順位は男子優先か長子優先かについて意見がまとまっていない。また、小泉首相は同日夜の記者会見で、皇室典範改正の方向ですでに準備に着手していると述べた。
11月24日、有識者会議は、象徴天皇制度の安定的な維持のため、皇位継承資格を女性や天皇・皇族の女系子孫に拡大することなどを求める最終報告書をまとめ、首相に提出した。同会議では旧宮家の男系男子を皇族の養子とする案について「どの方の養子となるかにより継承順位がかわることになるので、当事者の意思により継承順位が左右されることになる」「どうしても当事者の意思が介在してしまい、一義性に欠けることになる」など皇位継承の安定性の観点から否定的な意見が強く、また、男系の血統の保持についても「男系男子だけによる継承が行き詰るということははっきりしている」などの消極的意見が大勢を占めていた。この報告書の背景には女性天皇・女系天皇を容認して皇位継承者の範囲を拡大すべきとする考えがある。
ただし、2006年2月に秋篠宮妃紀子に第3子懐妊が明らかになり、この問題についての議論はその出産まで先送りされた。2006年9月、秋篠宮妃紀子が悠仁親王を出産し、41年ぶりの皇族男子の誕生となり、直系長子優先継承・女系継承容認の議論は沙汰止みとなった。
小泉首相の後任の安倍晋三首相は、「直系長子優先継承、女系継承容認」の有識者会議の報告を白紙に戻し、静かに慎重に論議していくことが大切と述べた。
[編集] 宮内庁
平成18年(2006年)に悠仁親王が誕生する以前、前述の有識者会議とは別に、宮内庁においても皇位継承者の不足を解決するために女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範改正が検討されていた。宮内庁案では、男系男子をもって継承することを原則とするが、やむを得ない場合のみ女性天皇・女系天皇を容認するという内容であった(「悠仁親王誕生以前に想定されていた皇位継承順位」の章も参照)。
[編集] 言論界での議論
有識者会議の結論に対して言論界の一部からは強い反発があり、特に女性天皇はともかく女系天皇という史上類を見ない存在までも容認しようとする同会議の姿勢に対しては、「なし崩し的である」との強い疑問の声も上がった。有識者会議には単なる男女平等論調の観点から意見を述べた委員が複数いることも判明し、また結論を急ぎすぎていると同指針に対する批判も相次いだ。女系による皇位継承の容認は、日本の建国以来神武天皇の男系の血統を連綿と継承してきたとされている「万世一系」と称される皇統の断絶を意味するとし、有識者会議が否定した旧皇族の復籍を、特別法の制定などの方法によって実現させ、男系の皇位継承を維持するべきとする意見が表明されている。2005年10月6日には、小堀桂一郎東大名誉教授を代表とする「皇室典範問題研究会」が結成され、「男系継承の皇室の伝統を維持するために旧皇族の復帰を検討するべき」「現在の皇族の方や旧皇族の方からも意向を伺うことが大事」等の声明を発している。同年10月21日には女系天皇の容認に反対する「皇室典範を考える会」(代表=上智大学名誉教授・渡部昇一)が結成された。
[編集] 一般国民の理解と世論の動向
この数年間、皇位継承問題についての世論調査は全国紙や通信社、テレビ局によるものだけでも計10回以上実施されている。その結果によると、ほぼ常に2/3以上の国民が女性天皇や女系天皇に賛成し、女性天皇への賛成は75%以上にもなる。女性・女系天皇を容認する場合に男子と長子といずれを優先すべきかについては、前述のように意見が分かれている。
ただし、国民が女性天皇と女系天皇との違いをどれほど理解しているかについては疑問が残る。皇位継承問題は21世紀に入ってから注目を集めるようになったが、当初マスコミはこれを「女帝問題」「女性天皇問題」と呼称し、現在でも「女性・女系天皇問題」と呼ぶなど、誤解や混乱を招きやすい傾向にある。
前述したように、女性天皇や女系天皇の是非についての世論調査は何度も行なわれているが、両者の相違の理解度についての統計調査はほとんど実施されていない。ほぼ唯一の例外として、日本テレビが2006年1、2月に実施した世論調査では以下の結果となった。これによれば、半数以上の国民が両者の違いを理解していないようである。ただし、質問文で「女性天皇の子どもが天皇になる『女系天皇』」と女系天皇の概要を説明してしまっているため、実際には違いを理解していなかった人まで「知っている」と答えたおそれもある。125代続く伝統を一時の国民感情で変更するのは軽率だという見方も依然として強く、伝統にこだわるべきではないという見方の間で対立が続いている。
| 1月 | 2月 | ||
|---|---|---|---|
| 天皇制は、伝統として父方の天皇の血筋を継ぐ「男系」が維持されてきました。政府の有識者会議では、女性が天皇になるのみでなく、女性天皇の子どもが天皇になる「女系天皇」を認めています。あなたは、「女性天皇」と「女系天皇」の違いについてご存知ですか、ご存知ではありませんか?(1、2月に共通) | |||
| 知っている | 36.7% | 41.7% | |
| 知らない | 53.2% | 52.1% | |
| わからない、答えない | 10.2% | 6.2% | |
また、女系天皇への賛成世論には「男女平等」を理由としているものが多い。しかしそのような賛成世論に「皇族女子の待遇を悪化させてでも、あるいは本人たちの希望に反してでも女系天皇を容認すべきだ」という意見は少なく、多くはあくまで「女系天皇を容認しても皇族女子の待遇は悪化せず、それどころか改善されるため、本人たちも望むところだろう」という観測に基づいている。
女系継承の容認は、一般に皇族女子にとって以下のような利点があると考えられている。
- 后妃は男子出産を期待する重圧から解放される。
- 皇族女子は結婚しても皇籍を離脱しなくともよくなり、家族が末永く同居できる。
しかしながら、このような観測に対しては以下のような反論がある。
- 女系天皇が容認されることによって、后妃が「男子出産を期待する重圧から解放された」と感じるか、それとも「自分が男児を出産しなかったために、男系の伝統が崩れてしまった」と感じるかは本人にしか分からない。
- 皇族女子は、皇族男子と同様に一部の基本的人権が制限される、また、皇籍にとどまる皇族女子が、配偶者を見つけるのは困難が予想される(詳細は本項の節「#皇族女子と女系継承決定の期限」を参照のこと)。
有識者会議の報告書提出を受けて、毎日新聞が2005年12月10日、11日の両日に行なった全国世論調査(電話)でも、皇位継承原理について「女系も認めるべきだ」が「男系を維持すべきだ」を大きく上回っている。しかし「女性皇族は結婚後も皇族にとどまるべきだと思いますか、自分の意思で皇族から離れられるようにすべきだと思いますか」との質問については「自分の意思で離れられるようにすべきだ」が、「皇族にとどまるべきだ」を大きく上回り、賛否の割合がほぼ逆転している。この調査結果から、国民は女系天皇の容認が伴う変化についても、あまりよく理解していないことが窺われる。
| 全体 | 男性 | 女性 | |
|---|---|---|---|
| これまで天皇は、父方が天皇の血筋を継ぐ「男系」で維持されてきました。皇室典範に関する有識者会議の報告書は、母方天皇の血筋を継ぐ「女系天皇」も認めており、歴史的な転換となります。男系を維持すべきだと思いますか、女系を認めるべきだと思いますか。 | |||
| 男系を維持すべきだ | 22% | 26% | 19% |
| 女系も認めるべきだ | 71% | 68% | 74% |
| 女性皇族は結婚後も皇族にとどまるべきだと思いますか、自分の意思で皇族から離れられるようにすべきだと思いますか。 | |||
| 皇族にとどまるべきだ | 15% | 16% | 14% |
| 自分の意思で離れられるようにすべきだ | 80% | 78% | 81% |
天皇や皇族の意見表明について、JNNが2005年1月15、16日に実施した世論調査では76%の人が「天皇や皇族の意見を聞くべきだと思う」と答え、「聞くべきだとは思わない」と答えた19%を大きく上回った。しかし1年後の2006年1月14、15日の調査では、「皇族が意見を表明することに賛成」「反対」がほぼ拮抗している。これは、その間に寬仁親王が福祉団体「柏朋会」の会報『ざ・とど』2005年9月30日号、毎日新聞2006年1月3日付、雑誌『文藝春秋』同年2月号、政治団体「日本会議」の機関誌『日本の息吹』同年2月号、オピニオン誌『正論』同年3月号で、女系天皇への反対姿勢を強く打ち出したことが影響していると考えられる。寬仁親王の一連の発言は、「天皇や皇族がこの問題について沈黙を守っているのは、政府や有識者会議の方針に満足しているからだ」という風説を打ち消すことに成功した。しかしながら、当事者とはいえ皇族の1人が政治問題について、それも国民の多くが賛成する問題について強く反対したことは極めて異例であり、国民世論に少なからぬ動揺を与えたようである。
| 天皇や皇族は一般的に政治的発言をしませんが、女性天皇を認めるには、皇室典範の改正が必要です。改正にあたって天皇や皇族の意見を聞くべきだと思いますか? | |
| 聞くべきだと思う | 76% |
| 聞くべきだとは思わない | 19% |
| 答えない・わからない | 5% |
| 天皇や皇族は一般的に政治的発言をしませんが、この問題について皇族が、意見を表明することにあなたは賛成ですか、反対ですか? | |
| 賛成 | 48% |
| 反対 | 45% |
| 答えない・わからない | 7% |
[編集] 昨今の動向
2006年9月6日に秋篠宮妃紀子が悠仁親王を出産したものの、皇位継承問題が完全に解決したわけではない。
- 皇族女子は皇統を引き継がず、また皇室以外の男性と結婚をしたら皇籍離脱しなければならない。
- 悠仁親王が誕生するまでは、秋篠宮文仁親王以来約41年間、皇室に男子が産まれず、皇太子妃雅子や秋篠宮妃紀子の出産も年齢的に難しくなりつつあった。
以上の理由により、皇族男子の誕生が難しい現状では、何らかの形で改正しなければ、皇位継承資格者どころかすべての皇族が途絶える危険性がある。そのため女系容認派論客・旧皇族皇籍復帰派論客ともに、いかにして皇室典範を改正すべきかに問題が集中している。一方、女系容認論、旧皇族皇籍復帰論、共に欠点を持つため、現行の皇室典範維持やむなしと見る向きもある(#男系維持論の主張・#旧皇族の皇籍復帰反対論の主張参照)。
2006年2月に秋篠宮妃紀子の懐妊が発表され、同年9月6日に悠仁親王を出産したため、改正が先送りされる公算が高くなったものの、いずれにせよ今の典範のままで今後皇室に男子誕生がない場合、将来皇族が悠仁親王1人だけになってしまう可能性がある。しかし、悠仁親王の誕生により議論を深める時間的猶予が生じた。小泉首相の私的諮問機関であった有識者会議の案は白紙に戻され、一からの仕切り直しとなりそうである。
[編集] 経緯
- 2001年12月1日
- 東宮家に敬宮愛子内親王誕生。
- 2003年12月3日
- 皇太子妃雅子が帯状疱疹で宮内庁病院に入院。その後の診察で適応障害と診断され、以後公務を長期欠席。
- 2004年5月10日
- 皇太子徳仁親王による「人格否定発言」。
- 2004年12月27日
- 小泉純一郎首相の諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議(座長:吉川弘之産業技術総合研究所理事長)」が発足した。これにより皇位継承問題に対する関心が高まることとなったが、会議メンバーには皇室問題の専門家はほとんどおらず、恣意的な人選が批判を浴びた。
- 2005年7月26日
- 有識者会議、中間報告書を提出。
- 2005年11月3日
- 読売新聞の報道によって、寛仁親王が女系天皇に反対の立場を表明する寄稿をしていたことが判明。
- 2005年11月24日
- 有識者会議が、皇位継承の安定を図るため女性・女系天皇を容認し、皇位継承順位は男女に拘らず長子を優先させるという内容の最終報告書を小泉首相に提出した。このためメディアで様々な議論が起こる。
- 2006年1月10日
- 寬仁親王、月刊誌『文藝春秋』2月号で櫻井よしこと対談し、改めて女性・女系天皇に反対の立場を表明。
- 2006年1月12日
- 宮内庁の羽毛田信吾長官、定例記者会見で寬仁親王の発言に対し、「正直困ったな」と懸念を表明。
- 2006年1月20日
- 小泉首相、第164回通常国会施政表明演説で、今国会での皇室典範改正に強い意欲を表明。以後、政界で様々な議論が起こる。
- 2006年1月28日
- 小泉首相は「女系を認めないということは愛子内親王の子供が男でも駄目なのか。それをわかってるのか」と女系反対派を批判する発言。この発言によって首相自身が皇位継承問題の本質を何も理解していなかった事が明らかになり、賛成・反対両派を困惑させ、女系賛成派からも批判を浴びる。
- 2006年2月7日
- NHKの報道によって、秋篠宮妃紀子が第3子の懐妊1カ月余、9月末の出産予定であることが明らかに。典範改正賛成・反対両派の国会議員から、出産まで改正を見送るべきとの意見が続出する。
- 2006年2月11日
- 小泉総理、第164回通常国会での皇室典範改正案の提出を断念。これによって当面の政治日程から外れる。
- 2006年2月17日
- 産経新聞の報道によって、2004年5月、政府の非公式検討会が女性・女系天皇容認を決定していたことが判明。
- 2006年2月23日
- 皇太子徳仁親王、誕生日記者会見で秋篠宮妃紀子の懐妊を「大変喜ばしい」と話し、さらに皇室典範改正問題に対し「親としていろいろと考えることもありますが、それ以上の発言は控えたいと思います」と発言。
- 2006年3月10日
- 有識者会議のメンバーである岩男壽美子・武蔵工業大学(現東京都市大学)教授が海外向け雑誌「ジャパンエコー」に発表した論文で、寬仁親王の発言を「時代錯誤」と批判。さらに有識者会議の結論が、すでに政府内で非公式に設置されていた研究会での方針に沿ったものであったことを認める。
- 2006年6月13日
- 自民党内閣部会(木村勉部会長)が皇室典範改正問題についてまとめた中間報告を発表。男系維持と女性・女系天皇容認の両論を併記したものの、「男系維持が望ましい」との文言を盛り込み、男系維持派に配慮した内容となる。
- 2006年7月2日
- 政府が同月の各省庁人事に合わせ、内閣官房の「皇室典範改正準備室」を縮小する方針を固める。
- 2006年9月6日
- 秋篠宮妃紀子が悠仁親王を出産。皇位継承順位は第3位となる。
- これに伴って小泉首相が記者会見で「次期(第165回)通常国会で議論される問題ではない」と発言し、皇室典範改正の議論を急ぐ必要はなくなったとの認識を示す。
- 2006年9月12日
- 羽毛田信吾宮内庁長官が定例記者会見で、悠仁親王誕生に関連し、「今回親王さまがお生まれになったので皇位の安定的な継承に課題がなくなったかといえば、そうではない。皇位の継承という意味では、まだまだ課題は残っている」とコメント。
- 2006年9月30日
- 下村博文官房副長官が皇室典範改正問題について、「法律改正せずにこれからも男系男子の伝統が大丈夫だということではない」と改正の必要性を強調しつつも、「内閣が代わったのだから、有識者会議の結論に拘束される必要はない」と、実質上、改正議論を繰り延べする考えを示す。
- 2006年10月17日
- 男系による伝統的かつ安定的な皇位継承を目指す超党派の議員連盟「皇室の伝統を守る国会議員の会」(会長・自民党島村宜伸元農水相)が発足。
[編集] 皇位継承順位
大正天皇 ┠───┬昭和天皇 貞明皇后 │ ┠───┬今上天皇 皇太子 │香淳皇后 │ ┠───┬徳仁親王 │ │皇后美智子│ ┠────敬宮愛子内親王 │秩父宮 │ │ 雅子 ├雍仁親王 │常陸宮 │ │ ┃ └正仁親王 │秋篠宮 │勢津子 ┃ └文仁親王 │ 華子 ┠───┬眞子内親王 │高松宮 紀子 ├佳子内親王 ├宣仁親王 └悠仁親王 │ ┃ │喜久子 │ │三笠宮 └崇仁親王 ┠───┬寛仁親王 百合子 │ ┠───┬彬子女王 │ 信子 └瑶子女王 │ │桂宮 ├宜仁親王 │ │高円宮 └憲仁親王 ┠───┬承子女王 久子 ├典子女王 └絢子女王
- 現行の皇室典範において
- 徳仁親王(1960年生)
- 秋篠宮文仁親王(1965年生)
- 悠仁親王(2006年生)
- 常陸宮正仁親王(1935年生)
- 三笠宮崇仁親王(1915年生)
- 寬仁親王(1946年生)
- 桂宮宜仁親王(1948年生)
- 女性天皇を容認(直系優先)した場合
- 徳仁親王
- 愛子内親王(2001年生)
- 秋篠宮文仁親王
- 眞子内親王(1991年生)
- 佳子内親王(1994年生)
- 悠仁親王
- 常陸宮正仁親王
- 三笠宮崇仁親王
- 寛仁親王
- 彬子女王(1981年生)
- 瑶子女王(1983年生)
- 桂宮宜仁親王
- 承子女王(1986年生)
- 典子女王(1988年生)
- 絢子女王(1990年生)
- 女性天皇を容認(男子優先)した場合
| 現在 | 徳仁親王が即位した時点での仮想 | 文仁親王が即位した時点での仮想 | ||
- a b c 秋篠宮文仁親王が徳仁親王から皇位を継承した場合、「先代天皇」の娘である愛子内親王と「当代天皇」の娘である眞子・佳子両内親王と、いずれを上位にすべきかが問題となる。長子であった徳仁親王の子である愛子内親王を上位にするのが自然という意見と、「当代天皇」の子である眞子・佳子両内親王を上位にするのが自然という意見がある。
- ここで言及されている男子優先は、イギリスやデンマークなどの王室で適用されている一般的な男子優先継承と異なる。一般的には男子優先継承では息子→娘→弟→妹という優先順位であるが、日本では息子→弟→娘→妹という男系男子を優先する順位が想定されており、有識者会議では一般的な男子優先継承の事を「兄弟姉妹間男子優先」と名付けている。一般的な男子優先(兄弟姉妹間男子優先)の場合、徳仁親王→愛子内親王→秋篠宮文仁親王→悠仁親王→眞子内親王→佳子内親王という順位が不動であるため、1にあるような優先順位の問題は生じない。
- 女性天皇を容認(兄弟姉妹間で男子優先)した場合
- 徳仁親王
- 愛子内親王(2001年生)
- 秋篠宮文仁親王
- 悠仁親王
- 眞子内親王(1991年生)
- 佳子内親王(1994年生)
- 常陸宮正仁親王
- 三笠宮崇仁親王
- 寛仁親王
- 彬子女王(1981年生)
- 瑶子女王(1983年生)
- 桂宮宜仁親王
- 承子女王(1986年生)
- 典子女王(1988年生)
- 絢子女王(1990年生)
[編集] 悠仁親王誕生以前に想定されていた皇位継承順位
- 現行の皇室典範において
- 女性天皇を容認(直系優先)した場合
- 徳仁親王
- 愛子内親王(2001年生)
- 秋篠宮文仁親王
- 眞子内親王(1991年生)
- 佳子内親王(1994年生)
- 常陸宮正仁親王
- 三笠宮崇仁親王
- 寛仁親王
- 彬子女王(1981年生)
- 瑶子女王(1983年生)
- 桂宮宜仁親王
- 承子女王(1986年生)
- 典子女王(1988年生)
- 絢子女王(1990年生)
- 女性天皇を容認(男子優先)した場合
| 現在 | 徳仁親王が即位した時点での仮想 | 文仁親王が即位した時点での仮想 | ||
- a b c 秋篠宮文仁親王が徳仁親王から皇位を継承した場合、「先代天皇」の娘である愛子内親王と「当代天皇」の娘である眞子・佳子両内親王と、いずれを上位にすべきかが問題となる。長子であった徳仁親王の子である愛子内親王を上位にするのが自然という意見と、「当代天皇」の子である眞子・佳子両内親王を上位にするのが自然という意見がある。
[編集] 参考文献
- 荊木美行「戦後の記紀批判をめぐる覚書―最近の皇室典範改正問題に関聯して―」、『皇學館論叢』231 平成18年
- 所功「皇位継承のあり方 “女性・母系天皇”は可能か」PHP新書、平成18年
- 笠原英彦「象徴天皇制と皇位継承」ちくま新書、平成20年
- 百地章ほか「皇位継承の伝統を守ろう! 皇室典範に関する有識者会議の問題点」、日本会議編 明成社 平成18年
- 寛仁親王「皇室と日本人 寛仁親王殿下お伺い申し上げます」、聞き手/加瀬英明・桜井よしこ・小堀桂一郎 明成社 平成18年

