大塚耕平
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| 生年月日 | 1959年10月5日(52歳) |
|---|---|
| 出身地 | 名古屋市 |
| 出身校 | 早稲田大学政治経済学部、早稲田大学院社会科学研究科博士課程 |
| 学位・資格 | 博士号 |
| 前職 | 日本銀行員 |
| 所属委員会 | 厚生労働副大臣 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | 愛知県選挙区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 所属党派 | 民主党(無派閥) |
| 党役職 | 政策調査副会長 |
| 会館部屋番号 | 参・議員会館1121号室 |
| ウェブサイト | 大塚耕平のホームページ |
大塚 耕平(おおつか こうへい、1959年10月5日 - )は、日本の政治家。民主党所属の参議院議員(現在2期目)。
目次 |
[編集] 経歴
- 愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。1983年、日本銀行入行。在職中の2000年に早大大学院社会科学研究科博士課程を修了し博士号を取得(マクロ経済学、公共政策論などを専門としている)。同年、政策委員会室調査役を最後に日本銀行を退職。
- 2001年7月、第19回参議院議員通常選挙に愛知県選挙区から出馬し初当選。2007年7月、第20回参議院議員通常選挙で再選。
- 民主党内では元祖中間派と位置づけられており、政治評論家の伊藤惇夫元民主党事務局長の著書「民主党」(新潮社)では「放し飼いグループ」に分類されている。
- 人口減少問題解決策として、浅尾慶一郎(現みんなの党)・細野豪志・古川元久・松井孝治・松本剛明らと共に「1000万人移民受け入れ構想」を共同提案されたことがVoice (雑誌)2003年9月号に掲載されている。
- 2003年から2006年の3年間で、小泉純一郎首相に対し予算委員会等で7回質問した。安倍晋三首相とも在任中に2回質疑を行っている。2007年の第21回参議院議員通常選挙で再選された後も福田康夫首相と2回、麻生太郎首相と4回の質疑を行った。
- 1期目に委員会で100回以上の質疑等の発言を行っており、国会論戦におけるオピニオンメーカーのひとりとして与野党から認知された。2期目に入ると参議院第1会派の法案発議者として答弁する機会が増え、野党時代の委員会での発言回数は累計150回以上に及んだ。政権交代後は内閣府副大臣、厚労副大臣として答弁回数は260回以上に達している(2011年6月現在)。
- 民主党のマニフェスト制作に一貫して関与しており、政策立案の中心人物のひとりとなっている。
- 2005年4月から中央大学大学院公共政策研究科客員教授、2006年10月から早稲田大学総合研究機構客員教授を務める。
- 2008年、9月15日のリーマンショックを契機に金融危機が顕現化すると、民主党の金融対策チーム座長に就任。金融危機対策(第1次対策)、行動プラン(第2次対策)を立案し、与党や関係当局の対応を促す役割を果たしている。行動プランの中で提唱した、諸外国の資金支援要請に応じる場合には円建債(サムライ債)発行を促すこと、基軸通貨多極化、日本のプレゼンス向上のためにIMF(国際通貨基金)経由だけでなく個別国支援も行うこと、などの内容が内外の関心を集めた。
- 2008年10月24日の朝まで生テレビで自民党議員に対して「次の金融サミットで円建て米国債を出すようアメリカに提案すべき」と述べている。
- 2009年9月16日鳩山由紀夫内閣にて内閣府副大臣に就任し、亀井静香大臣の下では金融庁と郵政改革を担当した。金融庁においては、鳩山内閣として最初の本格的法案である中小企業等金融円滑化法を策定し、成立させた。亀井大臣が徳政令的なモラトリアム措置を主張する中、法制や金融実務を踏まえ、現実的な内容に収斂させたことが金融界や財界から評価されている。
- 2010年9月、日本振興銀行に対してわが国で初めてペイオフを適用した。
- 郵政改革に関連して、斎藤次郎元大蔵次官を日本郵政社長に起用する人事について「どの企業グループとも関係ない人が、この局面を担うのが適切。ベストとは言わないがベターな選択だ」と述べ、民主党の掲げる「天下り根絶」に反するという批判に「外形上は反する形になった。国民にしっかり説明しないといけない」と述べた。郵政改革法案の策定に際して、与党政策会議等のプロセスを丁寧に進めたことが、与党議員や全特、JP等の関係者の信頼を高めた。法案の内容については、竹中平蔵元総務大臣等とテレビ討論で論争を演じた。
- 内閣府副大臣としては、地域主権改革、規制改革、拉致問題対策なども担当した。
- 拉致問題対策担当として、2009年に来日した大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元死刑囚と接触した。
- 2011年(平成23年)1月18日菅第2次改造内閣における内閣改造人事で厚生労働副大臣に就任した。
- 細川律夫大臣の下で旧厚生省分野を担当し、社会保障制度改革の企画立案に当たっている。第3号被保険者問題(いわゆる「運用3号問題」)への対応にも深く関与している。
- 東日本大震災後の厚労省の対策を主導するとともに、福島第一原子力発電所事故後の食品や水道水に対する放射性物質規制も行っている。2011年年3月、放射性物質規制に関する記者会見において、「日本は長く放射性物質と向き合っていかざるを得ない」と述べている。2011年年5月にジュネーブで開催された世界保健機関(WHO)総会に出席し、日本政府代表として大気中、海洋中に放射性物質を放出したことを謝罪した。
[編集] その他
- 曽根泰教慶應義塾大学大学院教授、田中宏樹同志社大学教授、上村敏之関西学院大学准教授、川﨑一泰東海大学准教授、中里透上智大学准教授等と「政策創見ネット21」という政策提言グループを主宰している。
- スキューバダイビングのインストラクター資格を持つ。
- 家族は、夫人と一男一女。
[編集] 著書
- 「公共政策としてのマクロ経済政策」(成文堂<2004年>、単著)
- 「ふつうの国民が考えたニッポン」(小学館スクウェア<2006年>、監修)
- 「小泉改革とは何だったのか」(日本評論社<2006年>、共著)
- 「検証格差拡大社会」(日本経済新聞社<2008年>、共著)
- 「ジャパンミッシング」(オープンナレッジ社<2008年>、単著)
- 「弘法さんかわら版」(大法輪閣<2008年>、単著)
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 増原義剛 宮澤洋一 谷本龍哉 |
大島敦、古川元久、平岡秀夫と共同 2009 - 2010 |
次代: 東祥三 末松義規 平野達男 |
| 先代: 小宮山洋子 藤村修 |
小宮山洋子と共同 2011 |
次代: 牧義夫 辻泰弘 |