愛知県立旭丘高等学校

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愛知県立旭丘高等学校
Asahigaoka High School - Front01.JPG
過去の名称 洋學校
愛知県洋學校
成美學校
官立愛知外国語學校
官立愛知英語學校
愛知県中學校
愛知県尋常中學校
愛知県立第一中學校
愛知県第一中學校
愛知県立第一高等学校
名古屋市立第三高等女學校
名古屋市立第三高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 愛知県
学区 普通科:尾張1群Aグループ
美術科:専門学科Aグループ
正確には学区ではなく複合選抜の分類である
併合学校 愛知県立第一高等学校
名古屋市立第三高等学校
校訓 全人的教育
「正義を重んぜよ」
「運動を愛せよ」
「徹底を期せよ」
設立年月日 1870年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
美術科(全日制)
学期 3学期制
高校コード 23101A
所在地 461-0032
愛知県名古屋市東区出来町3-6-15
外部リンク 公式サイト
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愛知県立旭丘高等学校(あいちけんりつあさひがおかこうとうがっこう, Aichi Prefectural Asahigaoka High School)は、愛知県名古屋市東区に所在する県立高等学校。通称は、「(あさひ)」

概要[編集]

歴史
1870年(明治3年)に尾張藩の設立した藩校・洋学校を起源に持つ。紆余曲折の末1877年に、官立愛知英語学校の空き校舎と設備を引継ぎ、愛知県中学校として開校した。1899年に愛知一中と改称されて以降は、東京府立一中(現:日比谷高校)、神戸一中(現:神戸高校)と並び、「一中御三家」と称されていた[1]
しかし、1973年(昭和48年)から全日制課程では学校群制度が導入されたことにより、千種高校と組んだ名古屋第2群は県下一の難関となったが、市立北高校と組んだ名古屋第3群は北高校へ回されるのを敬遠したため、学校全体としては勢いがなくなってしまった。1989年複合選抜制度が導入されてからは復活し、愛知県の公立高校入試において最難関の公立高校になった。[2]
設置課程・学科
全日制課程 2学科
定時制課程(夜間) 1学科
  • 普通科
校訓
「正義を重んぜよ」
「運動を愛せよ」
「徹底を期せよ」
校章
旭丘高等学校の発足当時、在職教員のデザインしたものが投票で選定された。所在地の名古屋を象徴する二匹の(双鯱(そうこ))を図案化したものの間に校名の「旭高」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
現校歌は1952年(昭和27年)に制定。作詞は旧制中学校の卒業生で、国文学者久松潜一(当時・東京大学教授)、作曲は信時潔による。歌詞は3番まであり、1番に校名の「旭ヶ丘」が登場する。また、これとは別に応援歌や壮行歌、逍遥歌がある。
スクールカラー
海老茶色 - 1949年(昭和24年)に女子制服の色として制定されたのが始まり。
教育課程
全日制課程
多くの進学校が受験に特化した科目を中心に勉強させるのに対して、この学校では全人教育を行っている。文系・理系を問わずに大学受験での選択科目(日本史世界史地理倫理政経生物地学化学物理)を全て必修としている。これは目先の大学入試にあわせるのではなく、将来社会に出たときに役立つ勉強を身につけるという考えによるものである。[3]
授業時間は50分。月曜日は7時間、それ以外は6時間である。
定時制課程
夜間には定時制課程の生徒が学んでいる。4年課程であり、1学年あたり20名程在籍している。入試は安心して授業ができることを重点にしているため、定時制としては筆記試験・面接ともに厳しく不合格者が多い。中学時に不登校だった生徒が主で授業は比較的おとなしくまじめである。体育はフィットネスクラブのような内容で、生徒の実情にあった指導がなされている。生徒への金銭的負担を軽減するため、体操着は自由で修学旅行は無い。卒業生の大学進学率は定時制としては高く、また、看護学校への進学も毎年ある。
授業時間は45分で4時間。1時間目と2時間目の間に給食がある。
同窓会
「鯱光会」(ここうかい)と称している。

沿革[編集]

旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
  • 1870年(明治3年)6月 - 名古屋藩立「洋学校」が七間町に開設される。
  • 1872年(明治5年)- 廃藩置県により、「愛知県洋学校」と改称。
  • 1873年(明治6年)- 「成美学校」と改称。
  • 1874年(明治7年)9月 - 成美学校が廃止され、官立(国立)「愛知外国語学校」が設置される。後に「愛知英語学校」に改称。
  • 1877年(明治10年)
    • 2月
      • 国の財政難により、愛知英語学校が廃止される。
      • 愛知県はその校舎と設備を文部省から移管され、(県立)「愛知県中学校」を設置。
  • 1878年(明治11年)10月 - 南外堀校舎(現・中区)に移転。
  • 1886年(明治19年)9月 - 中学校令の施行により、「愛知県尋常中学校」と改称。
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 尋常中学校(愛知県第二尋常中学校)の新設により、「愛知県第一尋常中学校」と改称。
  • 1899年(明治32年)4月1日 - 中学校令の改正により、「愛知県第一中学校」と改称(「尋常」が除かれる)。
  • 1901年(明治34年)8月 - 「愛知県立第一中学校」と改称(県の後に「立」が加えられる)。
  • 1904年(明治37年)- 校歌を制定。作詞は当時の校長日比野寛によるもの。日本で最初の校歌であると言われている[4]
  • 1908年(明治41年)9月 - 西ニ葉町校舎(現・東区)に移転。
  • 1917年大正6年)8月 - 野球部、第3回全国中等学校優勝野球大会夏の甲子園大会の前身)で優勝。
  • 1922年(大正11年)5月 - 「愛知県第一中学校」(再)と改称(「立」が除かれる)。
  • 1938年(昭和13年)7月 - 新出来町校舎(現在地)に移転。
  • 1943年(昭和18年)
    • 4月1日 - 中等学校令により、この時の入学生から修業年限が5年から4年に短縮される。
    • 7月 - 愛知一中予科練総決起事件が発生(後述。#エピソードを参照。)
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月 - 5年生(1940年(昭和15年)入学生)と4年生(1941年(昭和16年)入学生)の合同卒業式を挙行。
    • 4月1日 - 戦時教育令により、1945年度(昭和20年度)1年間の授業が停止される。ただし勤労動員は継続。
    • 9月 - 終戦後、教育ニ関スル戦時非常措置方策・戦時教育令等が廃止され、授業が再開される。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧制中学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
    • 新制中学校を併設し(名称:愛知県第一中学校併設中学校、以下:併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校に在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校は廃止され、新制高等学校愛知県立第一高等学校」(男子校)が発足。
      • 全日制普通課程(全日制課程 普通科)に加え、通信教育部普通課程(通信制課程 普通科)と昼間定時制普通課程(定時制課程 普通科 (昼間))を設置。
      • 旧制中学卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学4年修了者を新制高校2年生、併設中学卒業生(3年修了者)を新制高校1年として収容。
      • 併設中学校は新制高校に継承され(名称:愛知県立第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
  • 1924年(大正13年)4月 - 名古屋市立第二高等小学校(東区東片端町)を仮校舎として「名古屋市立第三高等女学校」が開校。
  • 1927年(昭和2年)4月 - 東片端新校舎に移転。
  • 1928年(昭和3年)10月 - 開校式を挙行。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月 - 名古屋大空襲により全校舎を焼失。
    • 4月1日 - 戦時教育令により、1945年度(昭和20年度)1年間の授業が停止される。ただし勤労動員は継続。
    • 8月・9月 - 終戦後、教育ニ関スル戦時非常措置方策・戦時教育令等が廃止され、授業が再開される。筒井国民学校を仮校舎として使用。
    • 11月 - 内山国民学校を仮校舎として使用。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 高等女学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
    • 新制中学校を併設し(名称:名古屋市立第三高等女学校併設中学校、以下:併設中学校)、高等女学校・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校に在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校「名古屋市立第三高等学校」(女子校)が発足。
    • 高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学卒業生(3年修了者)を新制高校1年として収容。
    • 併設中学校は新制高校に継承され(名称:名古屋市立第三高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
統合・愛知県立旭丘高等学校
  • 1948年(昭和23年)10月 - 公立高等学校の再編により、上記2校が統合され、「愛知県立旭丘高等学校」(現校名)が発足し、男女共学を開始。
    • 旧・愛知県立第一高等学校より通信制・昼間定時制を継承し、併置。
    • 併設中学校も統合される(名称:愛知県立旭丘高等学校併設中学校)。
  • 1949年(昭和24年)
    • 2月 - 東郷分校(昼間定時制)を設置。
    • 4月 - 小学区制・統合制が実施される。高校三原則に基づき、普通科・家庭科・商業科を設置し、総合制高等学校となる。
  • 1950年(昭和25年)4月 - 美術科を設置。
  • 1952年(昭和27年)
    • 1月 - 校歌を制定。 (作詞は久松潜一、作曲は信時潔による)
    • 4月 - 春日井市立高等学校を統合し、春日井分校(全日制課程普通科・家庭科)とする。
  • 1953年(昭和28年)4月 - 商業科の募集を停止。本校定時制と東郷分校を昼間定時制から夜間定時制に変更。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 家庭科の募集を停止。
  • 1955年(昭和30年)3月31日 - 商業科を廃止。
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月 - 鯱光館(体育館講堂)が完成。
    • 3月31日 - 家庭科を廃止。
    • 4月 - 大学区制を実施。
  • 1957年(昭和32年)6月 - プールが完成。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 春日井分校が分離し、愛知県立春日井高等学校として独立。東郷分校を定時制から全日制に変更。
  • 1965年(昭和40年)9月 - 財団法人愛知旭丘会を設立。
  • 1967年(昭和42年)4月 - 岐阜県吉城郡上宝村(現・高山市奥飛騨温泉郷)に林間学舎が完成。
  • 1970年(昭和45年)3月31日 - 東郷分校を廃止。
  • 1971年(昭和46年)
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 全日制課程で学校群制度を実施。千種高校と名古屋2群、市立北高校と名古屋3群を組む。
  • 1977年(昭和52年)
    • 4月 - 小体育館と定時制食堂が完成。
    • 10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1981年(昭和56年)3月 - 新図書館が完成。
  • 1982年(昭和57年)3月 - 校舎改修第1期工事が完了。クラブハウス(部室棟)が完成。
  • 1983年(昭和58年)3月 - 校舎改修第2期工事が完了。
  • 1984年(昭和59年)3月 - 校舎改修第3期工事が完了。
  • 1985年(昭和60年)3月 - 校舎改修第4期工事が完了。
  • 1986年(昭和61年)2月 - 鯱光舘(体育館兼講堂)の改修を完了。
  • 1989年(平成元年)
    • 3月 - 新弓道場が完成。
    • 4月 - 全日制課程で学校群制度が廃止され、複合選抜制度を開始。尾張Ⅰ群Aグループに属する。
  • 2002年(平成14年)3月 - 校舎の改築を完了。
  • 2007年(平成19年)
    • 7月 - 冷房設備を全教室に導入。
    • 11月 - ホームカミングデーを実施。
  • 2008年(平成20年)
    • 6月 - 愛知スーパーハイスクール研究(教育課程自然科学教育部門)指定を受ける。
    • 10月 - コンピュータバーコードを利用した新蔵書管理システムを導入。

校風[編集]

「バンカラ紳士」で鳴らした愛知一中の伝統を受け継ぐ自由な校風である。特徴的な点として、

  • 愛知県内の公立高校では唯一私服通学である。
  • 3年生が夏休みを利用して教科や教師選定、時間などをすべて生徒主体で取り仕切る「自主ゼミ」を行っている。
  • 生徒会が中心になり、教師に対して授業の批判や要望を書いた手紙を送る「意見制」

などがある[5]

校則[編集]

制服は定められており、女子はセーラー服であるが、私服登校が黙認されており、多くの生徒が私服で登校している。[6]。また、髪型、化粧などについても生徒個人の判断に任されている。その為殆ど校則がないといっていいが、唯一下駄を学校に履いてくることとマント(外套)は禁止されている。これは下駄によって床が傷つけられたり、歩く音が授業の妨げになるといった理由によるものである。[要出典] 以前は私服自由化闘争など生徒会活動が非常に盛んだったが、今は沈静化している。しかし、例えば多くの学校では教員主体で行われる掃除を生徒会主体で行っているなど、自由度の高い活動が行われている。

学校行事[編集]

全日制課程
春の小文化祭
毎年新入生歓迎のために行われる、文化部の発表。入学式の後に行われる。
Spring Festival
始業式の後に行われる、お祭。主な内容は軽音楽部によるバンド、ダンス部によるダンス、有志によるコントや器楽演奏など。
春の遠足
2,3年生は行き先や内容をクラスごとに自分達で自由に決める。
林間学舎集団訓練
修学旅行はなく、林間学舎(通称:学舎)が修学旅行の扱いとなっている。
1年生の6月頃に特例財団法人愛知旭丘会が管理している林間学舎に班ごとに分かれて行く。3泊4日で、内容は野外炊事、班別活動、ホームルーム自主(討論会)、キャンプファイヤーなど。
ホームルーム対抗
初夏と年度末の年2回、クラス対抗で3日ほど行なわれる球技大会。主な種目はサッカーバスケバレーボール。2週間ほど前から各クラスで練習を始め、非常に力が入れられる。
学校祭
6日間の長丁場で行われる。毎年、初日が火曜日で最終日が日曜日と決まっている。
前夜祭
初日に行われる。主にバンドやコント、音楽発表や文化祭の宣伝など。夜やるわけではなく、午前中で終わって午後からは体育祭の準備にとりかかる。
体育祭
2日目に行われる。大まかに真面目に運動する種目と適当に楽しむ種目がある。
全校企画
3,4日目に行われる。主な内容は映画・演劇鑑賞、分科会、舞台発表、討論会など。
文化祭
5,6日目に行われる。文化部の発表やクラスで露店や出し物をする。3年生は演劇をやることが慣例。
後夜祭
最終日の夜に行われる。主な内容はキャンプファイヤーやトーチ。
定時制課程

部活動[編集]

全日制課程
(2013年度(平成25年度)前期時点)
文化部
運動部
同好会
有志団体
定時制課程
  • 男子バスケットボール部
  • 女子バドミントン同好会

エピソード[編集]

  • 毎年10人ほどが在学中に海外に留学する。1992年、留学中の服部剛丈(当時16歳)がバトンルージュで射殺されるという事件が起きた(日本人留学生射殺事件)。追悼の意味をこめて校内に木が植えてある。また、悲劇を繰り返さないためには文化の違いを乗り越え理解を深めていく必要性があるとして、銃のない安全な日本社会を体験してもらうため米国の高校生を年に一人ずつ招こうと計画して「YOSHI基金」が設立された。
  • 2000年から2002年まで校舎建て替えの際、卒業生で政治家の河村たかしを筆頭に「伝統のある文化的意義の高い校舎を壊すな」という座り込み運動が起きた。結局運動は挫折し、校舎は建て替えられたが、新校舎は旧校舎の雰囲気を残して建てられている。[7]
  • 野球部のユニフォームは愛知一中時代のものを受け継ぎ、帽子が黒の二本線で胸の真ん中に校章が配されている。1917年、野球部は第3回全国中等学校優勝野球大会に出場した。この時は1回戦で敗れたが、敗者復活戦で勝ち、決勝まで勝ち進んで優勝した。大会前の組み合わせ抽選会で、主催者側から敗者復活戦の説明があり、この時に愛知一中の主将が「敗者復活戦から勝ち進んでも優勝できるんですか?」と質問した。「勿論優勝です」と大会委員は回答し、それを愛知一中は現実のものにした。なお、敗者復活戦はこの年限りで廃止になった。
  • 1943年、当時愛知一中に在籍していた全校生徒約700人が、軍の命令に応じ海軍甲種飛行兵予科練習生に志願するという出来事があった。この時のいきさつについては第二次世界大戦終戦からちょうど65年の日にあたる2010年8月15日夜に、地元のNHK名古屋放送局NHKスペシャルの終戦特集ドラマ『15歳の志願兵』を制作・全国放送した。ドラマの原案となった本を書いた江藤千秋(2003年死去)は、この出来事の当事者のひとりであった。

交通アクセス[編集]

高校関係者一覧[編集]

関連書籍[編集]

同名の高等学校[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 新生通信編『日本の名門高校ベスト100 公立高校編』(新生通信・朝日新聞社)
  2. ^ 『47都道府県の名門高校』平凡社新書 P175
  3. ^ 『名門高校ライバル物語』講談社 P202
  4. ^ 校歌 - 愛知県立旭丘高等学校ウェブサイト
  5. ^ 『名門高校ライバル物語』講談社 P207
  6. ^ 『名門高校ライバル物語』講談社 P206
  7. ^ 『47都道府県の名門高校』平凡社新書 P175

関連項目[編集]

外部リンク[編集]