愛知県立旭丘高等学校

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愛知県立旭丘高等学校
2008 12300015.JPG
過去の名称 洋學校
愛知県洋學校
成美學校
官立愛知外国語學校
官立愛知英語學校
愛知県中學校(英語學校跡に設立)
愛知県尋常中學校
愛知県立第一中學校
愛知県第一中學校
愛知県立第一高等学校
名古屋市立第三高等女學校
名古屋市立第三高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 愛知県
学区 普通科:尾張1群Aグループ
美術科:専門学科Aグループ
正確には学区ではなく複合選抜
分類である
併合学校 愛知県立第一高等学校
名古屋市立第三高等学校
校訓 全人的教育
「正義を重んぜよ」
「運動を愛せよ」
「徹底を期せよ」
設立年月日 1870年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
美術科(全日制)
学期 3学期制
高校コード 23101A
所在地 461-0032
愛知県名古屋市東区出来町3-6-15
外部リンク 公式サイト
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愛知県立旭丘高等学校(あいちけんりつあさひがおかこうとうがっこう)は、愛知県名古屋市東区に所在する県立高等学校。通称は、「(あさひ)」

目次

[編集] 概要

1870年尾張藩の設立した藩校・洋学校を起源に持つ。紆余曲折の末1877年に、官立愛知英語学校の空き校舎と設備を引継ぎ、愛知県中学校として開校した。1899年に愛知一中と改称されて以降は、東京府立一中(現:日比谷高校)、神戸一中(現:神戸高校)と並び、「一中御三家」と称されていた[1]

しかし、1973年から学校群制度が導入されたことにより、千種高校と組んだ名古屋第2群は尾張学区一の難関となったが、市立北高校と組んだ名古屋第3群は北高校へ回されるのを敬遠したため、学校全体としては勢いがなくなってしまった。1989年複合選抜制度が導入されてからは復活し、尾張学区の公立高校入試において難関の公立高校になった。

多くの進学校が受験に特化した科目を中心に勉強させるのに対して、この学校では全人教育を行っている。文系・理系を問わずに大学受験での選択科目(日本史世界史地理倫理政経生物地学化学物理)を全て必修としている。これは幅広い知識を身に付けていた方が大学入学後に伸びるという考えによるものである。

授業は50分授業である。月曜日は7時間、それ以外は6時間である。

[編集] 沿革

[編集] 校風

生徒の自主性を尊重しているため、服装なども含めて自由な校風が特徴的である。そのため、規律がなく、闊達な校風といえる。

[編集] 校則

制服は定められており、女子はセーラー服であるが、私服登校が黙認されており、多くの生徒が私服で登校している。また、髪型、化粧などについても生徒個人の判断に任されている。その為殆ど校則がないといっていいが、唯一下駄を学校に履いてくることとマント(外套)は禁止されている。これは下駄によって床が傷つけられたり、歩く音が授業の妨げになるといった理由によるものである。 1969年に激化した高校紛争では、県教育委員会から事態の沈静化が求められたが、教職員、生徒一丸となってこれに対抗し、以来今日まで自由自治の伝統が守られている。 

[編集] 学校行事

春の小文化祭
毎年新入生歓迎のために行われる、文化部の発表。入学式の後に行われる。多くの文化部は新入生獲得のために熱を上げる。
Spring Festival
始業式の後に行われる、お祭。主な内容は軽音楽部によるバンド、ダンス部によるダンス、有志によるコントや器楽演奏など。
春の遠足
2,3年生はクラスで好きなところに遠足に行く。行き先や内容は自由で、クラスごとに自分達で決める。
林間学舎集団訓練
修学旅行はなく、林間学舎(通称:学舎)が修学旅行の扱いとなっている。
1年生の6月頃に財団法人旭丘会が管理している林間学舎に班ごとに分かれて行く。3泊4日。内容は野外炊事、班別活動、ホームルーム自主(討論会)、キャンプファイヤーなど。
ホームルーム対抗
初夏と年度末の年2回、クラス対抗で3日ほど行なわれる球技大会。主な種目はサッカーバスケバレーボール。2週間ほど前から各クラスで練習を始め、非常に力が入れられる。
学校祭
6日間の長丁場で行われる。毎年、初日が火曜日で最終日が日曜日と決まっている。
前夜祭
初日に行われる。主にバンドやコント、音楽発表や文化祭の宣伝など。夜やるわけではなく、午前中で終わって午後からは体育祭の準備にとりかかる。
体育祭
2日目に行われる。大まかに真面目に運動する種目と適当に楽しむ種目がある。
全校企画
3,4日目に行われる。主な内容は映画・演劇鑑賞、分科会、舞台発表、討論会など。
文化祭
5,6日目に行われる。文化部の発表やクラスで露店や出し物をする。3年生は演劇をやることが慣例となっており、夏休み前から準備をして当日は相当の盛り上がりを見せる。
後夜祭
最終日の夜に行われる。主な内容はキャンプファイヤーやトーチ。

[編集] 部活動

在籍生徒数に対して部活動・同好会・有志団体が非常に多いため、慢性的な部員不足に悩まされる団体も少なくない。複数の部に所属(兼部)する生徒もいる。

  • 2010年度後期現在の部活動・同好会・有志団体
文化部…天文、吹奏楽、電気、囲碁将棋、軽音楽、図書、演劇、弦楽、写真、書道、放送、生物、合唱、鉄道研究
運動部…硬式野球、軟式野球、硬式テニス男女、軟式テニス男女、バレーボール男女、バスケットボール男女、バドミントン男女、ハンドボール男女、ラグビー、サッカー男女、ダンス、卓球、柔道、弓道、剣道、陸上競技、ボート、水泳、ワンダーフォーゲル
同好会…映画製作、絵画研究、物理、JRC (JapanRedCross)
有志団体(確認されているもの)…歌留多、クイズ研究

[編集] トピックス

  • 毎年10人ほどが在学中に海外に留学する。1992年、留学中の服部剛丈(当時16歳)がバトンルージュで射殺されるという事件が起きた(日本人留学生射殺事件)。追悼の意味をこめて校内に木が植えてある。また、悲劇を繰り返さないためには文化の違いを乗り越え理解を深めていく必要性があるとして、銃のない安全な日本社会を体験してもらうため米国の高校生を年に一人ずつ招こうと計画して設立された。
  • 2000年から2002年まで校舎建て替えの際、卒業生で政治家の河村たかしを筆頭に「伝統のある文化的意義の高い校舎を壊すな」という座り込み運動が起きた。結局運動は挫折し、校舎は建て替えられたが、配慮があったのか新しい校舎は非常に趣のある景観をしている。
  • 愛知一中時代から続く、帽子が黒の二本線で胸の真ん中に校章のある野球部のユニフォームは珍しいため有名である。1917年、野球部は第3回全国中等学校優勝野球大会に出場した。この時1回戦で敗れたが、敗者復活戦で勝ち、決勝まで勝ち進んで見事優勝した。この大会の前、組み合わせ抽選会で、主催者側から敗者復活戦の説明があった。この時愛知一中の主将が、「敗者復活戦から勝ち進んでも優勝できるんですか?」と質問した。「勿論優勝です」と大会委員は回答した。そして、それを愛知一中は現実のものにした。なお、敗者復活戦はこの年限りで廃止になった。
  • 1943年、当時愛知一中に在籍していた全校生徒約700人が、軍の命令に応じ海軍甲種飛行兵予科練習生に志願するという出来事があった。この時のいきさつについては第二次世界大戦終戦からちょうど65年の日にあたる2010年8月15日夜に、地元のNHK名古屋放送局NHKスペシャルの終戦特集ドラマ『15歳の志願兵』を制作・全国放送した。ドラマの原案となった本を書いた江藤千秋(2003年死去)は、この出来事の当事者のひとりであった。

[編集] 定時制課程

夜間には、定時制課程の生徒が学んでいる。4年課程であり、1学年あたり大体20名程度在籍している。入試は、安心して授業ができることを重点にしているため、定時制としては、筆記試験・面接ともに厳しく不合格者が多い。中学時に不登校だった生徒が主で授業は比較的おとなしくまじめである。体育はフィットネスクラブのような内容で、生徒の実情にあった指導がなされている。生徒への金銭的負担を軽減するため、体操着は自由で修学旅行は無い。卒業生の大学進学率は定時制としては高く、また、看護学校への進学も毎年ある。

[編集] 交通

[編集] 高校関係者一覧

[編集] 関連書籍

[編集] その他

[編集] 脚注

  1. ^ 新生通信編『日本の名門高校ベスト100 公立高校編』(新生通信・朝日新聞社)

[編集] 関連項目


[編集] 外部リンク


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