原子力撤廃
原子力撤廃(げんしりょくてっぱい、英: Abolition of nuclear power)または反原子力(英: Anti-nuclear power)あるいは脱原子力(英: Nuclear power phase-out)とは、核エネルギー技術である原子力の利用に反対し、撤廃、縮小すること。これらは反核運動の一部である場合もある。
特に代表的な原子力利用である原子力発電への反対、撤廃、縮小(反原発、脱原発)の意味で使用される場合が多い。当記事では主にこの意味で使用する。
ただし正確には、原子力利用には発電以外に原子力船などの原子力推進も含まれる。
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[編集] 経緯
[編集] 日本における原子力撤廃の議論
日本政府はアメリカ主導の下、原子力発電導入を積極的に推し進めた。首相経験のある政治家で特に先頭に立ったのは中曽根康弘であるが、古くは田中角栄がオイルショックを背景に、火力発電に対する依存の脱却を目指し地元に原子力発電所を誘致しようとした例がある。
1963年に動力試験炉の運転が開始され、1969年に原子力船むつが進水した[1]。その一方で、1970年頃から伊方原子力発電所をはじめ各地で原子力発電所建設への反対運動が起こった[2]。1974年に原子力船むつの放射線漏れが発覚。母港むつ市の市民から帰港を拒否された[3]。
1979年のスリーマイル島原発2号機の事故は日本国内の反原発運動にはあまり影響を与えなかったとされる[4]。
日本の反原発運動の大きな転換点となったのは1986年のチェルノブイリ原発事故である。チェルノブイリ原発事故は、その規模の大きさと深刻さから世界的に大きく報道された。原子力事故の危険や放射性廃棄物の処理問題など、それまであまり注目されることのなかった問題が注目されるきっかけになった。
1986年8月、広瀬隆は『東京に原発を!』の改訂版を出版し[5]、続いて『危険な話』を執筆した。広瀬の著書は30万部を超える大ヒットとなり、広瀬の講演会は東日本を中心に頻繁に開催された[6]。その一方で、1988年に日本科学者会議が開催したシンポジウムでは、複数の研究者が広瀬隆の主張内容の誤りと扇情的な筆致の問題点を指摘した[7]。
日本のマスコミの論調の偏りを指摘する声もある。元NHK解説委員の長岡昌、元朝日新聞科学部長の尾崎正直、元読売新聞論説委員の中村政雄らは、「原子力報道を考える会」というNPOを設立して、原子力発電関係の報道姿勢が危険性の強調一辺倒であるとの批判を行っている。
2000年代に入り、地球温暖化問題が注目されるようになると、二酸化炭素を出さないとして原子力発電を肯定する宣伝がなされ、2009年10月に内閣府が行った世論調査によれば、原子力発電の今後について「推進していく」との回答が59.6%となり、「廃止」の16.2%を上回った。一方、原子力発電の安全性については「不安」が53.9%で、「安心」の41.8%を上回った[8]。
2011年3月の東日本大震災により発生した福島第一原子力発電所事故は大きな衝撃を与え、世界全体で原子力撤廃運動が巻き起こった。日本でも1万人規模の集会、デモ行進が関東を中心におこなわれた。ルポライターの鎌田慧やYMOの坂本龍一らは脱原発を求め1千万人の署名運動[9]を呼びかけた[10]。
民主党の支持母体の一つである全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)は、「原子力発電は、議会制民主主義において国会で決めた国民の選択。もしも国民が脱原発を望んでいるなら、社民党や共産党が伸びるはず」として脱原発に反論した[11]。
エネルギー問題の専門家、飯田哲也は、世界的な原子力発電の縮小は不可避であると述べた。
2011年8月、スタジオジブリ発行の小冊子『熱風』で、宮崎駿が「NO! 原発」と書かれたプラカードを着けて歩く写真が表紙を飾った。表紙の説明には「6月11日、宮崎駿監督は東小金井で小さなデモをした」と書かれている。この号の特集「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」では、宮崎駿、鈴木敏夫、河野太郎、大西健丞、川上量生による特別座談会が掲載されており、宮崎駿は原発をなくすことに賛成と語っている。座談会では他に、2010年夏ごろ福島の原発施設内(福島第二原子力発電所エネルギー館)に知らないうちにトトロの店が置かれていたことが発覚し撤去させたことや、ジブリとしては原発に反対であることなども語られている[12]。また2011年6月から、東京都小金井市のスタジオジブリの屋上に、「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」と書かれた横断幕が掲げられている[13]。
2011年10月、全国原子力発電所所在市町村協議会副会長も務めた東海村の村上達也村長が、「人に冷たく、かつ無能な国では原発を持つべきでない。」と述べ、細野豪志原発担当大臣に東海第二発電所の廃炉を提案した[14]。
2011年11月30日、福島県の佐藤雄平知事は、現在策定作業を進めている県復興計画案に関わって「県内の原発全10基の廃炉を要求する」考えを表明した。同県内には東京電力福島原発に6基、第2原発に4基ある。同復興案は12月9日開会の県議会に提出される。[15][16]
2011年12月、公安調査庁は、中核派などの過激派が、福島第一原子力発電所事故を利用して反原発を訴えながら活動を活発化させ、勢力拡大を図っている実態を発表した[17]。
[編集] 国際的な世論
原子力撤廃に関する議論は、1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故の後、活発化した。スウェーデン(1980年)、イタリア(1987年)、ベルギー(1999年)、そしてドイツ(2000年)などでは、政策化された。1990年から2000年代前半の原油価格の下落、火力発電の効率向上により原子力の経済性が低下したため原子力撤廃論は発言力を得た、とされている。
その後、2007年頃から急激な上昇を見せた原油価格の高騰は、原子力発電推進の材料となっている。2008年7月の洞爺湖サミットでは、原油価格高騰対策として原子力発電を世界的に推進し、中国やインドにも原子力発電の利用を積極的に働きかけるという方向性で、参加各国の合意を見ることとなった[18]。
原発大国であるフランスは、国の政策は基本原発推進であるが世論は脱原発に傾きつつある[要出典]。
米国は世論は、脱原発に傾きつつはあるが国の政策は原発推進である[要出典]。
ロシアは新規の原発建設の計画を見直す考えは無いと表明した[19]。ただ、世論は脱原発に傾きつつある[要出典]。
中国は、2011年3月17日に新規の原発計画の審査や認可を一時的に凍結する方針を打ち出したが、その後凍結を解除する動きが強まっている[20]。
[編集] ドイツ
原子力撤廃に最も積極的な姿勢を示しているのは、ドイツである。
ドイツでは2005年9月18日に行われたドイツ総選挙で、それまで政権を取っていたドイツ社会民主党(SPD)に代わり、原子力推進または堅持の傾向があるドイツキリスト教民主同盟(CDU)が第一党になったため、ドイツでの原子力政策が変わるのではないかと考えられた。しかしその後、CDUはSPDと大連立を組んだため、ゲアハルト・シュレーダー前政権の「脱原子力(=原子力撤廃)政策」が継承されることとなった。 2009年9月27日に行われたドイツ総選挙では、今まで連立政権を構成していたSPDが連立から外れ、中道政党の自由民主党が政権に入る見通しとなった。脱原子力政策を主導してきたSPDが政権から離脱したことから、ドイツの脱原子力政策の行方が注目されていたが、2009年10月24日に連立政権の政策合意として、脱原子力政策の見直すことで一致した。[21]
一方で、近年の原油価格高騰及び二酸化炭素排出量削減の必要性により、原子力撤廃政策を見直そうという議論も始まっている。ドイツの2001年8月の世論調査では、47%が2000年の原子力発電撤廃合意の実効性を疑問視し、将来的に別の政権によって脱原発政策が放棄される可能性があると答えた。スウェーデンでは2004年8月の世論調査において81%が原子力発電の継続を支持した[22]。
しかし、2011年に発生した福島第一原子力発電所における原子力事故を受けて政策を転換。ドイツでは、国内17基の原発のうち7基を暫定的に停止した[23]その後、ドイツは、2022年までに17基ある全ての原発を閉鎖することを正式に決定した。[24]。
2001年11月26日、フランスの再処理工場から北部ゴアレーベンへの放射性廃棄物搬入に反対し、脱原発を訴える集会が同地の西20キロのダネンベルグで開かれた。抗議デモは24日から始まり、26日にはドイツ各地から約2万3千人が集まった。当地は1979年に旧西ドイツの放射性廃棄物の最終処分場の候補地とされていたが、現在は中間貯蔵施設が設置されている。[25]
[編集] スウェーデン
スウェーデンでは、1980年の国民投票において、稼働中の原発12基の全廃を決定した。2009年2月にはスウェーデン政府が1980年の国民投票において決まった原発の段階的廃止という方針を修正した[26]。再生エネルギーの開発・普及や省エネの促進によるエネルギー構造の転換は今後も続けていくものの、既存の10基の原子炉の寿命が来た際に新設原子炉による更新が必要とされれば、その更新を認めるという決定を行った[27]。
スウェーデンでは2004年8月の世論調査において81%が原子力発電の継続を支持した[28]。
[編集] スイス
スイスで2003年に行われた国民投票では、脱原発政策は賛成34%、反対66%と大差で否決されている[29]。 2011年5月、スイス政府は、福島第一原子力発電所における事故を受けて、2034年までに、「脱原発」を実現することを決定した。稼働開始後50年をめどに、既存の原発をすべて停止していく。[30]
[編集] イタリア
イタリアでは原子力発電所を設置していない。2009年2月、フランスの協力で4カ所の原発を新設すると決定して、方針転換した[31] 。しかし、2011年に発生した福島第一原子力発電所における原子力事故を受けて国民投票を行い、これまで通り原発に依存しない方向に回帰した。[32]
[編集] 世界の現状
出典および最新の状況については「en:Nuclear power by country」を参照
[編集] 参考書籍
- 広瀬隆『東京に原発を!』集英社文庫 1986年8月 ISBN 978-4-08-749137-1
- 広瀬隆 『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』新潮文庫 1989年4月 ISBN 978-4-10-113231-0
- 西田慎 『ドイツ・エコロジー政党の誕生-「六八年運動」から緑の党へ-』 昭和堂、2009年 ISBN 978-4-8122-0960-8 -ドイツの反原発運動発生から緑の党誕生への軌跡を描く。脱原発に舵を切った1998年の赤緑連立政権にも言及。
[編集] 参考文献
- 中村政雄 『原子力と報道』中公新書ラクレ157 中央公論新社 ISBN 978-4-12-150157-8
- 『原子力ルネサンスの風 海外最新レポート』電気新聞海外取材班 日本電気協会新聞部 ISBN 4902553279
[編集] 脚注
- ^ 中村、前掲書、18-24頁
- ^ 中村、前掲書、27-30頁
- ^ その後、むつの原子炉はディーゼル機関に積み替えられた。その船体は独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の「みらい」として運航されている。また、取り去られた原子炉室はむつ市のむつ科学技術館で展示されている。
- ^ 中村、前掲書
- ^ 初版はJICC出版局から1981年に出版されていた。1986年8月に集英社文庫から改訂版が出版された。
- ^ この状況は「ヒロセタカシ現象」とも呼ばれた。
- ^ 「政界ジャーナル」編集部・監修『つくられた恐怖 「危険な話」の誤り』紀尾井書房、1989年、ISBN 978-4765610551。
- ^ “原発世論調査 ようやく半数が「原子力発電はエコ」を認識”. 産経新聞. (2009年11月26日) 2009年11月27日閲覧。
- ^ “「脱原発」求め1千万人署名開始 鎌田慧さんら呼びかけ”. 朝日新聞. (2011年6月16日) 2011年6月16日閲覧。
- ^ さようなら原発 1000万人アクション
- ^ 2011年06月18日 東京新聞
- ^ スタジオジブリ『熱風』2011年8号
- ^ スタジオジブリ屋上に横断幕「原発ぬき電気で映画をつくりたい」 Yahoo!ニュース6月17日
- ^ 朝日新聞2011年10月11日
- ^ 東日本大震災:福島原発全10基の廃炉、知事が表明 毎日新聞 2011年12月1日
- ^ 東日本大震災:福島第1原発事故 「全10原発廃炉」知事午後表明 復興計画の前提に 毎日新聞 2011年11月30日
- ^ 2012年版「内外情勢の回顧と展望」
- ^ 原発推進へ協力強化、原油価格を抑制…サミット首脳宣言
- ^ “ロシア、原発シェア拡大へ強気「福島より安全」 反対派の懸念を一蹴”. 産経新聞. (2011年3月31日) 2011年5月12日閲覧。
- ^ “中国、原発審査の凍結解除へ、8月にも安全計画策定、地元紙報道”. 産経新聞. (2011年4月22日) 2011年5月12日閲覧。
- ^ “ドイツ、脱原発政策修正へ 保守・中道連立で最終合意”. 共同通信. 2009年10月26日閲覧。
- ^ 中村政雄 『原子力と報道』中公新書ラクレ157 中央公論新社 50-56頁 ISBN 978-4-12-150157-8
- ^ “ドイツ:7基停止で電力輸入国に…「脱原発」先行き不透明”. 読売新聞. (2011年5月8日) 2011年5月12日閲覧。
- ^ “Energiewende: Wulff unterschreibt Atomausstieg-Gesetz”. SPIEGEL ONLINE (2011年8月1日). 2011年9月9日閲覧。
- ^ <ドイツ>“反原発”集会に2万3000人結集=福島事故被災者があいさつ! Ameba offical blog 2011年11月28日
- ^ “スウェーデン、脱原発政策を転換 温暖化対策で建設容認”. 日本経済新聞. 2009年2月6日閲覧。
- ^ “「スウェーデンが原発新設」報道の真相”. [スウェーデンの今]. 2009年5月20日閲覧。
- ^ 中村政雄 『原子力と報道』中公新書ラクレ157 中央公論新社 50-56頁 ISBN 978-4-12-150157-8
- ^ 中村政雄 『原子力と報道』中公新書ラクレ157 中央公論新社 50-56頁 ISBN 978-4-12-150157-8
- ^ “Bundesrat beschliesst Atomausstieg” (ドイツ語). wirtschaft.ch (2011年5月25日). 2011年9月9日閲覧。
- ^ “イタリア“脱・脱原発”に転換、仏との協力協定に署名”. 読売新聞. 2009年2月25日閲覧。
- ^ “Italy nuclear: Berlusconi accepts referendum blow” (英語). BBC news. 2011年9月9日閲覧。
[編集] 関連項目
- 反核運動
- 原子力事故
- チェルノブイリ原子力発電所事故
- スリーマイル島原子力発電所事故
- 福島第一原子力発電所事故
- 温室効果ガス - 地球温暖化 - 環境運動
- 六ヶ所村核燃料再処理事業反対運動
- 原子力発電所反対デモ
- NIMBY(「施設の必要性は認めるが自分の居住地域には建設してほしくない」という態度を指す言葉)
- 再生可能エネルギー
- 新エネルギー
- 水力発電
- 火力発電
- 広瀬隆
- いしだ壱成(伊方原子力発電所の出力調整実験に反対する運動に参加し機動隊の実力行使を受けた経験をブログに綴っている)
- 藤波心(東日本大震災に際してブログで“原発の危険性”を訴え、「中学生なのに慧眼」「現実を見ろ、もっと社会を学べ」と賛否両論)
- 山本太郎(デモに参加した直後に出演が決まっていたドラマを下ろされたと告白 事務所に累が及ぶのを避けるためフリーランスとなる)
- 小出裕章(京都大学の実験用原子炉管理者の一人だが脱原発を唱えている)
- 原子力資料情報室
- 原水爆禁止日本国民会議(反原発運動に参加開始)
- 廃炉
[編集] 外部リンク
- 原発不要論(古舘真「原発不要論・反原発」)
- 自然エネルギー(グリーンピース (NGO))
- 美浜の会
- 原水爆禁止日本国民会議
- 日本共産党「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を 国民的討論と合意をよびかけます」(2011年6月13日)
- VIEW エネルギーシフト学生ネットワーク ブログ
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